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「報国活動」としての社会運動

文科省前で朝鮮高校無償化除外に抗議する座り込み(数ヶ月前に筆者も時間を見てシュークリームの差し入れを持って行った事があるが)をしている方のツイッターにこういうのがあった。

https://twitter.com/r_i_m_y_o_n_g/status/380892300521394176
packoon 今だけ「きた・まもる」‏@r_i_m_y_o_n_g
警察が多いと思ったらデモ隊ですね。学生のひとたち主体の消費税増税反対デモみたいで、おおそうかそうかと見てましたが、なんだか「日本の繁栄を共に創りましょう」とか、日の丸デザインのプラカードとか、果てには「北朝鮮の人に自由を」と書かれたものまであり、思わず「クソが…」と漏れました
2013年9月19日 - 20:12

この消費税反対デモとやらは典型的な「3.11以降の日本の社会運動」であると思う。消費税に反対する、つまり日本という国の悪政に反対する示威行動のはずなのに、同時に「日本の繁栄」だとか日の丸だとか「北朝鮮の人に自由を」などという日本政府が泣いて喜びそうなプラカードを掲げてしまう。こうしたプラカードを掲げるという事はすなわち、日本という国の体制権力に「恭順の意」を示す行為に他ならない。つまりこんなデモ、例え参加者が100万人になろうとも日本政府にとっては恐くも何ともなく、消費税増税を止めさせるのにクソの役にも立たないという事だ。反原発デモで日の丸を掲げるのと全く同じ意味合いである。上記デモはまさに「亜流反原連・亜流首相官邸包囲デモ」という事だ。このデモをやってる団体が何者かは知らないが「消費税増税反対報国会」とでも呼ぶに相応しい。反原連が日本の社会・市民運動に及ぼした悪影響は本当に甚大である。この団体はそのうちどこぞの大学院の研究科長のように「私は消費税増税には反対です。それは今も変わりません。しかし、『ことここに至っては』増税もやむを得ないと思います。」と言い出すのではないか。

「私は何々には反対です。それは今も変わりません。しかし、『ことここに至っては』何々するのもやむを得ないと思います。」というフレーズがこれからエセ学者・御用学者・ブラックジャーナリスト・反動政治家・報国会的社会運動の世界で流行りそうな気がする。上記フレーズの「何々」に「シリアへの軍事介入」を入れると例の大学院研究科長になるし、「朝鮮高校無償化除外」だと石丸次郎や川崎の市長が一丁上がりだ。もちろん「原発再稼動」が入ると原子力資料情報室共同代表の伴英幸になる。東京オリンピックもそう。「私はオリンピックには反対です。それは今も変わりません。しかし、『開催が決まった以上は』五輪協力もやむを得ないと思います。」とか言う連中がかなりいましたねえ。
実に便利なフレーズですね。上記のような言い方をする奴はほぼ100%インチキだと分かって見分け易いという意味で(笑)。
ちなみにこれがどこぞのカメラマンだと「私は従軍慰安婦に同情的です。それは今も変わりません。しかし、『ことここに至っては』朴裕河式の「日韓和解」するのもやむを得ないと思います。」ってとこでしょうか(笑)。

もう一つ、「北朝鮮の人に自由を」などというプラカードを掲げる者とそれを許容する運動体というのは、自分らが「飢えている独裁国家北朝鮮」とは正反対な「豊かで自由な日本国」に住んでその幸せを享受しているという偉そうな思い上がりがあるという事だ。明治維新以来の朝鮮に対するレイシズムと「飢えている独裁国家北朝鮮」というイメージのすり込みによる、優越感と民族差別が一体になった極めて醜悪な増上慢である。今やこういう連中が「消費税増税反対運動」をしており、こいつら結局日本社会の強者(と連中は思い込んでいる)としての立場から運動をしているに過ぎない。こうした運動が消費税増税や原発再稼動を止める事は絶対にないだろう。「飢えている独裁国家北朝鮮」を見下す事で自分ら日本の悲惨な現実から逃避している者が、どうして社会を変革出来るのか。
上記のデモは消費税増税を止める為のデモに全くなってない。デモ参加者達が日本国家への忠誠と帰属を誓い、自分達が「日本の社会的優位者」の立場にある事を確認して優越感に浸る為のお祭りに過ぎないのである。

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今回の件、外交戦の観点で言えば北の完勝

来る12日に平壌で開催される重量挙げの国際大会で韓国選手団の参加が決まり、しかも南の「愛国歌」演奏と太極旗掲揚を認めたという。これは朝鮮戦争以来初めての事だ。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2013/09/06/0300000000AJP20130906002400882.HTML
北朝鮮 平壌で韓国の国旗掲揚と国歌演奏を初容認 2013/09/06 14:58
【ソウル聯合ニュース】北朝鮮で初めて韓国の国旗掲揚と国歌演奏が行われる見通しだ。

 韓国統一部は6日、北朝鮮の平壌で今月中旬に開催される重量挙げの国際大会に出場する韓国選手団の訪朝を承認した。韓国選手が北朝鮮で試合を行うのは2003年以来10年ぶり。

 大韓重量挙げ連盟所属クラブの7チームの選手と役員、連盟関係者41人は10日に平壌入りし、18日に韓国へ戻る予定。北朝鮮は今大会で太極旗(韓国国旗)掲揚と愛国歌(韓国国歌)演奏を認めたという。

 統一部は同大会がアジアウエイトリフティング連盟(AWF)が主催する国際大会である上、北朝鮮が別途に韓国選手団の身辺安全を保障したことなどを踏まえ、訪朝を承認した。大会は12日~17日まで行われる。

韓国や日本の極右・反北朝鮮勢力(例えばアジアプレス・石丸次郎など)の目からすれば「経済危機の北朝鮮が白旗を掲げて、韓国の国旗と国歌を認めた」というように映るかもしれない。だが現実は全く逆で、今の情勢ではこれによってむしろ朝鮮民主主義人民共和国の「ポイント」は高まるだろう。
この記事を書いている段階ではまだ日本マスコミの扱いは小さいが、南北朝鮮の外交戦という観点から見た場合の意味は小さくない。すでに述べたように南では統合進歩党の「極左議員」が北を信奉して内覧陰謀を企てた、それを国会で逮捕同意案まで可決した、という、30年以上前の軍事独裁政権時代にタイムスリップしたかのような状況なのだ。南は「自由と民主主義の大韓民国」を標榜しながらも、北に少しでも肩入れするような奴は絶対に許さず、与野党、保守・進歩メディア、官民一体になって集団リンチという、実態は旧態依然の反共ファシズム体制そのままである事を世界中に曝け出した。ニューヨークタイムズにまでも取り上げられるほどである。それに対して北は、南の「国歌」「国旗」を許容するという。これを今の時点で第3国の目から見たらどう映るだろう。「何だ。北は南の国旗・国歌まで容認したのに、南の方は相手の事を一切認めようとしない狭量でひどいファシズムじゃないのか」という事になるではないか。

韓国政界では与党セヌリ党はもちろん、それに馴れ合う野党の民主党や正義党も「国家保安法&米軍駐留体制」を容認してナアナアで済まそうとしている(日本の野党の大部分が明文・解釈問わず改憲になびいているのとほぼ同じ)中、それにしつこく反対する統合進歩党(旧・民主労働党)は少数政党ながらも一番煙たがられていた。それで今回の「内乱陰謀嫌疑」でやられる事になった訳である。
今回の「李石基・統合進歩党事件」、朴槿恵にしてみればウザい「アカ・従北派」を親父の手法に倣って一掃したつもりだろうが、今は60年代・70年代ではない。国際ニュースにこの話が載れば笑い者になるだけだ。何よりも憎き北がそれを利用しないはずがない。北が今度の重量挙げ大会で南の愛国歌と太極旗を認めたのは、明らかに南の「アカ・従北狩り」風潮を意識してのものだろう。朴槿恵政権は国内政治にかまけて、国際外交では墓穴を掘ったのだ。実際今の韓国では極右団体が北の共和国旗を焼くようなデモを連日繰り返しており、これを並べて見れば外国の反応は決定的だろう。「朝鮮民主主義人民共和国では南の国旗を尊重しているのに、大韓民国では北の国旗を焼き討ちしている」と。恥をかいたのは南なのだ。

一方、北が南の「国旗・国歌」を許容したのはもう一つ別の理由がある。それは北がかつての経済難や飢饉を脱し、核や長距離ミサイルの開発をかなり成功させたことで相当な自信をつけた事による精神的余裕だろう。最近、中国朝鮮族や在米韓国人らの訪朝旅行記などを読むと、そうした意識の高揚が官民問わず高まっているらしい。「核武装したおかげで、もうアメリカの侵略に怯えなくていいんだ。これからは生活向上と経済開発に専念出来る」と、朝鮮の民衆達は異口同音に言うという。2006年に朝鮮では徴兵制を撤廃して兵役を志願制に切り替えたが、これはそうした延長線上にあるだろう。80年代には大規模な韓米合同軍事訓練が起こる度に、国民を総動員して厳戒態勢に入っては工場や農村の生産活動停止を強いられ、それが90年代の飢饉・経済危機の遠因になった。それはもう過去の話であり、朝鮮の民衆の多くが携帯電話やパソコンを使うに至り、「中国製品は信用出来ない。やっぱり国産品だ」と平壌市民が語るのが2013年8月現在の朝鮮民主主義人民共和国の現状なのだという。だがそれらの詳しい話はまたこの次に…。

「馬鹿野郎! 武力行使は最後の武器だ。俺達は社会民主党だ!(by 又市征治)」

どうせ先の長くない社民党の事なぞ相手にしてもしょうがないのだが、党首代行の又市征治がこんな事を言っている。

http://www.jiji.com/jc/zc?key=%cb%f4%bb%d4&k=201308/2013082900267
シリア攻撃は慎重に=社民・又市氏
 社民党の又市征治党首代行は29日午前の常任幹事会で、アサド政権が化学兵器を使用したとされるシリアへの軍事攻撃について「証拠を示してアサド政権の退陣を求め、国際世論で封じ込めていくことが大事だ。武力行使は最後の最後の手段だ」と述べ、慎重な姿勢を示した。
 又市氏は「国連安保理常任理事国で合意もされていないのに米英仏がそういう行動(軍事介入)に出ることは、われわれ(日本)としては慎むべきだと言わないといけない」とも指摘した。(2013/08/29-10:56)

いや、社民党がそういう党、つまりすでに護憲でも何でもない解釈改憲政党だというのはとっくに分かりきった話なのだが、党代表代行からしてもうすでに「閉店モード」で本音らしき事を隠さなくなったようだ。正直と言えば正直かもしれないが。
又市の「証拠を示してアサド政権の退陣を求め、国際世論で封じ込めていくことが大事だ」という発言は、アサド政権が化学兵器を使った事は自明という前提でしゃべっている。後は証拠だけだ、と。それで一介の独立国家の政権を退陣させるのだという。しかも忍者部隊月光じゃあるまいし「武力行使は最後の最後の手段だ」って何だよ。武力行使を絶対駄目とは言ってないのだから、結局は戦争しても仕方ないって事でしょ。「国連安保理常任理事国で合意もされていないのに」というのは、逆に言えば安保理で合意されれば侵略戦争全然オッケーという事でもある。安保理やアメリカが何言おうが戦争反対というのが「日本国憲法の精神」だと、むかーし昔の護憲派達は言っていたような気がするのだが、それも今は違うらしい。どう見ても余計な内政干渉&外国政権転覆謀略であり、国連憲章2条4項並びに7項にも違反する発言だろう。
自国憲法だけでなく、国連憲章までも「解釈改憲」して侵略に賛成するのが今の社民党の方針のようだ。これって考え方によっては政府自民党以上にシリア侵略に肯定的なのではないか。
自民公明連立の安倍政権は元よりアメリカのシリア侵略支持ではあるものの、その「大義名分」をどうするかには苦慮しているという。それに比べて野党の社民党は気楽なものだ。政府自民党でさえ「大義名分」をどうするか、「決定的な証拠はない」(日本政府高官)などと一応悩んでいるのに、社民は何の悩みも葛藤もなくアサド政権の転覆を公然と語る。大体又市の言う「証拠を示しゃいい」「国際世論で封じ込め(早い話国際包囲網)」「武力行使は最後の武器だ!」って、オバマが言ってる事とほとんど同じではないのか。今や社民党は自民党以上にアメリカ帝国主義と親和性が高いように見える。
社民党というと古いオールド左翼・オールド護憲派のようなイメージがあるが、すでにそれを飛び越して欧州緑の党のような「戦争賛成左翼党」そのものになっていると思う。生憎と社会全体が十分すぎるほど右傾化・タカ派化している日本では自民などに食われて埋没してしまい、それが票につながる事はない。どうせ戦争好きなタカ派は最初から自民か維新か民主に入れるだろうから。
どうせ社民党は余命いくばくもなく、もう失う物など何もないんだからせめて「何が何でも侵略戦争反対」ぐらい強く主張して、最後はもうちょっときれいに往生すれば良いと思う。だがそれはどだい無理な相談だったようだ。

「社民党はシリアへの侵略及び政権転覆支持」これが社会民主党史最後の頁を飾る事になるだろう。恐ろしい偶然だが、今の党首代行の名前も「服してめる(よその国を)」という意味だから、侵略戦争に賛成した最後の党代表としてこれほど相応しい人物もいないかもしれない。

クリエイターに最も必要な感性、それは処世術

宮崎駿のスタジオジブリ最新作はよりにもよってゼロ戦設計者の堀越二郎の話だという。今さら驚くには値すまい。宮崎は元よりロリ趣味のミリタリーオタクに過ぎない男なのだから、こういう映画を作って当たり前ではあろう。ニコニコ超会議の米軍や日本軍(自衛隊)のブースに嬉々として押し掛けた連中(現総理大臣も含む!)と本質的に大差のないジジイだ。現総理大臣も含むその他大勢のミリタリーオタクと宮崎が違うのは、アニメ監督としての腕があったかどうかという点と、ある種の感性があったかどうかという違いに過ぎない。

佐藤秀峰・青山剛昌・桑田圭祐・宮崎駿。この4者最大の共通点とは、どうすればお上に褒めてもらえる(に加えて、批判を受ける事なく世間の愚劣な俗情に無難に応えてヒット出来る)作品を作れるか、それを本能的に感知する直感の鋭さであろう。海上保安庁と特攻隊のヨイショ漫画で名を上げ、その上で東京都の漫画表現規制にも賛意を表した佐藤秀峰(この男を漫画界の風雲児のように扱う一部マスコミも相当イカレている)。日頃から警察や外務省などお上のポスターを喜び勇んで描き、ついに名探偵コナンの最新映画ではあからさまに北朝鮮を敵役に設定した青山剛昌。くだらない特攻隊映画の主題歌を担当し、ついには日本のアジア侵略・植民地支配の歴史を無視した「日韓未来志向」を礼賛する新曲を発表するに至ったサザンオールスターズの桑田圭祐。そしてこの度、日頃のミリタリーオタクとしての個人的趣味を満足させるゼロ戦のアニメを、それも戦後の右傾化の極みにある今この時期に発表して、「趣味と実益」を最大限に充足させるのを早くも確定的にした宮崎駿。この4人は「体制権力と資本に取り入って名を上げる芸術家」のこれ以上ないサンプルケースと言えるだろう。いつの時代・どこの国にもこういう連中はいるものだが、とりわけ腐敗と外道の極みに達した今の日本ではこの4人が最も象徴的事例ではないか。もはやこの4人をそういう分野での四天王とか四大護法と称するのが相応しいと思う。

宮崎駿の作品について言うならば、公開前という事もあって事前のストーリー紹介を見た限りでの評価になるが、本当にゼロ戦は自慢するほどの戦闘機だったのかという事と、なぜこの時期にゼロ戦の開発者のアニメなのかという点に尽きる。
「ゼロ戦は旧日本軍が開発した当時高性能の戦闘機」という話が今でもまことしやかに伝えられ、日本ではそれを右翼軍国主義者ばかりか、左翼や反戦主義者でさえ事実と認定しているようだ。あの水木しげるでさえ「コミック昭和史」でゼロ戦が高性能な戦闘機であったと言っていた(水木しげるは評価すべき漫画家だが、この辺りに彼の限界を見る事も出来る)程だから、日本人の「ゼロ戦信仰」はほぼ天皇崇拝にも等しいほど抜き難いものなのだろう。だが実際のゼロ戦の性能は大した事がなく、当時の敵国だったアメリカやイギリスはおろか、同盟国だったドイツのものと比べても極めて劣っていたという。要するに日本がアメリカと戦争して負けたのは当たり前だったという事であり、「ゼロ戦神話」は事実を無視した見苦しい負け惜しみに過ぎない。それが右翼どころか、世間的には左寄りとされてきた水木しげるや宮崎駿までもが事実と認定してきたのだから。
余談だが三菱グループが「ゼロ戦を作った」事を戦後も延々と時代錯誤な自画自賛し続けてきた事は周知の事実だろう。だが実際に当時ゼロ戦と交戦した事のある米軍パイロット達は後に「何で日本の戦闘機はああも簡単に撃墜されるのか」と疑問を呈したそうだ。ゼロ戦は装甲が薄くてちょっと弾を食らっただけで撃墜される事で有名であり、安全性に著しく欠ける飛行機だったのである。それから60年以上が過ぎ、「ゼロ戦を作った」同じ三菱グループの自動車がリコール隠しをして、2002年にはその欠陥車による死亡事故まで起きた事は記憶に新しい。戦闘機でも自動車でも、安全性を配慮しない乗り物を作るというのは三菱グループの輝かしい伝統のようだ。

さらに筆者が腹立ちを感じるのは、その堀越二郎の設計したゼロ戦でどれだけの人間が特攻隊として犬死させられたかという事だろう。特攻を強要されたのは日本人だけではない。当時植民地だった朝鮮から徴兵されて「天皇陛下の為に」死ぬ事を強要された朝鮮人もたくさんいた。そうした話は宮崎のアニメで語られているのか。まだ映画を見ていない段階だが、それだけは100%あり得ないだろう。だってそんな生々しくてエグイ、まるではだしのゲンみたいな話をやっちゃったらアニメがヒットしなくなっちゃうじゃないですか! 右翼(それこそ鈴木邦夫を含む)から攻撃されちゃうじゃないですか! 海外に真っ先に輸出して稼がなきゃいけない大事な「ジャパニメーション」たるジブリアニメでそんな「ヤバイ」話出来る訳ないじゃないですか! 韓国にもたくさんいる宮崎アニメのファン達の為にも、何よりも李明博・朴槿恵と政権2代に亘って続く「日韓未来志向」をぶち壊すような作品を、それも「虚匠 巨匠」宮崎駿監督が作る訳にいかないじゃないですか! この作品「風立ちぬ」は飽くまでもそんなエグイ軍国主義・帝国主義日本とは別物でなければならないのです! ゼロ戦なんて日帝そのものを象徴する戦闘機であり、それを作った時代背景も暗い事この上ないものでしたが、そんな事実はなかった事にしなければならないのです! 南京大虐殺や従軍慰安婦や強制連行や731部隊の人体実験が全て「まぼろし」であったのと同じ意味で! 

公平に見ても堀越二郎はそうした兵器の開発者であり、戦争犯罪人でしかない。多くの人間が自分の作った戦闘機で特攻し、しかもその中には植民地朝鮮から徴用された者もいた。それを堀越は気も狂わずに見ていられた上に、戦後も80年代まで生き延びて「ゼロ戦設計者」としての栄誉に与っていたのだから、これは昭和天皇の冷酷さにも匹敵する。殺人兵器の設計者としての後ろめたさは微塵も感じられない。後世の人間が語るべきはそうした理不尽さと冷酷さへの批判であり、それを美化する事では決してないだろう。その美化を、それも3.11以降の日本でアニメでやったのが宮崎駿だった。3.11以降の日本とはいかなる時代か。それまでの右傾化がさらに加速度を付け、以前は反権力・反体制運動の筆頭格だった反原発運動までもが国家体制に取り込まれるという時代である。その最中にゼロ戦開発者を日帝の暗黒統治やアジア侵略と完全分離して美化した物語が、それも「日本一のアニメ巨匠」が作ったのだ。戦後右傾化の極みを邁進する今の日本においてこれほど時宜にかなった映画はない。それを宮崎は最も良く理解していた。この映画の原型である漫画は2009年から2010年、つまり3.11以前に描かれたそうだが、それから大震災を経て3年が過ぎ、まさに絶好のタイミングをつかんだという事である。

佐藤・青山・桑田・宮崎ら「四大護法」の最大の才覚が発揮されるのを相次いで目撃する事になった。この件が我々に与えてくれる教訓とは、クリエイターが出世するのに最も要求される才能とは「処世術」に尽きるという事であろう。いかに権力や資本に取り入るか、いかに世間の俗情に媚びるか、そしてそうした事をしながらも世間の批判や反発を極力買わないようなポジションを保つにはどうしたら良いかを総合的に判断して実行する能力だ。「総合処世術」とでも名付けるべきであろうか。上記4者はこの方面の才能にかけては他者の追随を許さぬものを持っている。

「ジブリと宮崎監督までもがこんな作品を作った」ではない。「ジブリと宮崎監督だからやった」のだ。宮崎は機を見るに極めて敏な監督であり、もし日本がこれほど右傾化していなければ商売にならないと判断してこんな劇場アニメは作らなかっただろう。逆に言えばこのようなアニメが十分商売になるほど日本社会が右傾化したから、宮崎は安心して趣味と実益を同時に満たせる今回の映画を作ったに他ならない。
この映画のポスターには「いざ生きめやも」というキャッチフレーズが付けられている。この意味は

http://matome.naver.jp/odai/2136240387624734801

ポスターに描かれた「いざ生きめやも」というメッセージの意味
「いざ生きめやも」の「め・やも」は、未来推量・意志の助動詞の「む」の已然形「め」と、反語の「やも」を繋げた「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれている。

だという。後に堀越の設計したゼロ戦で多くの人間が特攻して犬死した史実はどこへ行ったのか。呑気なものだ。
 

8.15以前に戻りたがる奴ら

まあ民団のやる事だから、と言ってしまえばそれまでかもしれないが、それにしても在特会とそのカウンター団体による右翼内ゲバ抗争が最悪の形で新大久保に悪影響をもたらしたと思う。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130708-00000010-yonh-kr
東京五輪招致支持の催し開催=在日飲食店経営者ら
聯合ニュース 7月8日(月)10時24分配信

 【東京聯合ニュース】東京・新大久保で飲食店を営む韓国人たちが、2020年の東京オリンピック招致を支持するイベントを開催する。
 日本国内の約400店の韓国料理店経営者らでつくる「民団韓食ネット協議会」は、来月9~11日に韓国料理店が多く集まる新大久保の通称「職安通り」で、東日本大震災被災者支援および東京オリンピック招致支持の催しを開く。同協議会が7日に明らかにした。
 新大久保地域の通りに五輪招致を支持するプラカードを掲げたり、新聞に紙面広告を出すことを検討している。中国人など、同地域のほかの国の経営者たちにも参加を呼び掛ける計画だ。
 今回の五輪招致支持の動きは最近日本で相次いでいる反韓デモ対策を議論する過程で生まれた。日本の一部の若者らが狭小なナショナリズムを露骨に主張する反韓デモに正面から対応するより、民族と人種の違いを超え平和を望む五輪精神を強調する必要があるという意見が出た。
 2020年の夏季五輪開催地は、9月7日にアルゼンチンで開かれる国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京とスペイン・マドリード、トルコ・イスタンブールの三つの候補地から決定する。


これははっきり言えば「反韓デモを追っ払ってくれた『良識ある日本人様』に感謝して、ぜひとも我ら民団韓食ネット協議会は五輪招致で祖国(もちろんこの場合日本である!)の御恩に報いたく思います」という宣言である。つまりは「21世紀版内鮮一体」そのものに他ならない。民団の恥知らず・親日ぶりには限界というものがないようで、まさに底なしのブラックホール並みだ。このニュースを見て今頃安田浩一や石丸次郎・萩原遼、さらにはそのイヌである高英起・李信恵・朴斗鎮・梁英姫らは万歳三唱しているのではないか。1945年8月15日以前にワープしたかのような印象だ。

かつて「日本内地」のみならず、日帝植民地時代の朝鮮にも「ナントカ報国会」といった感じの様々な御用団体がたくさんあった。「皇国臣民」として偉大なる天皇陛下と大日本帝国に報いる、という主旨のもので、朝鮮文人報国会だとか、国民総力朝鮮連盟だとか、朝鮮戦時宗教報国会だとか、満州保民会だとか、とにかく色々あった。今回の在日の飲食経営者がやるという五輪招致イベントはまさにそれの現代版であり、「在日韓国人五輪招致報国会」とでも銘打った方が相応しいだろう。ついでに民団は「在日保民会」とでも改名したらいい。かつて満州にあった満州保民会という親日団体は、満州地域の抗日運動に関する情報収集や朝鮮人社会の統制を行なっていた。今の民団はまさに現代日本版の満州保民会そのものである。元より民団は結成当時から親日派残党の巣窟であり、その体質が60年以上過ぎても何一つ変わっていない事が今回の件でもよく分かるだろう。

このような愚劣な話が連合ニュースによって韓国にも「美談」として伝えられるのだろう。サザンの歌のような恐ろしい未来が一歩ずつ近付いている。韓国の民族主義者もこういう時こそ強烈な反発を示さねばならない。
韓国の民族問題研究所はかつて「日帝協力団体事典 일제협력단체사전」という本を出した事がある。現在は絶版なのが惜しまれるが、もし今後改訂再刊される事があるなら現代日本篇として「在日保民会」こと民団や、「在日韓国人五輪招致報国会」こと民団韓食ネット協議会もその中に含めるべきだと冗談抜きで思う。

それにしても腹立たしいのは新大久保で騒ぎを起こしてきた在特会とカウンター団体だ。両者が騒ぎを繰り返し、結局後に残ったのは民団韓食ネット協議会のような新大久保の韓国人の「皇国臣民化」である。日本政府の民族・人種差別政策は以前と何一つ変わっていない。朝鮮高校は依然として無償化から排除されたままであり、入管の施設は何も代わらず地獄の収容所のままで強制送還も当たり前だ。
在特会カウンターなるものがやった事は結局日本の民族差別政策をより激化させ、それが嫌ならより忠良な日本のイヌ(それこそ朴斗鎮や高英起・李信恵・梁英姫のような)になれという同化圧力を強化させたに過ぎない。

五輪招致に協力する在日とは、日帝時代に自分の子供を日本軍の兵隊に取られながら何も知らずに「テンノーヘーカバンザイ」を喜んで叫んでいた類の朝鮮人と同じなのである。
親日派は生きている。依然として韓国にも日本にも。




独立運動家・金九の墓に供えられた、刊行されたばかりの「親日人名事典」


 

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