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クリエイターに最も必要な感性、それは処世術

宮崎駿のスタジオジブリ最新作はよりにもよってゼロ戦設計者の堀越二郎の話だという。今さら驚くには値すまい。宮崎は元よりロリ趣味のミリタリーオタクに過ぎない男なのだから、こういう映画を作って当たり前ではあろう。ニコニコ超会議の米軍や日本軍(自衛隊)のブースに嬉々として押し掛けた連中(現総理大臣も含む!)と本質的に大差のないジジイだ。現総理大臣も含むその他大勢のミリタリーオタクと宮崎が違うのは、アニメ監督としての腕があったかどうかという点と、ある種の感性があったかどうかという違いに過ぎない。

佐藤秀峰・青山剛昌・桑田圭祐・宮崎駿。この4者最大の共通点とは、どうすればお上に褒めてもらえる(に加えて、批判を受ける事なく世間の愚劣な俗情に無難に応えてヒット出来る)作品を作れるか、それを本能的に感知する直感の鋭さであろう。海上保安庁と特攻隊のヨイショ漫画で名を上げ、その上で東京都の漫画表現規制にも賛意を表した佐藤秀峰(この男を漫画界の風雲児のように扱う一部マスコミも相当イカレている)。日頃から警察や外務省などお上のポスターを喜び勇んで描き、ついに名探偵コナンの最新映画ではあからさまに北朝鮮を敵役に設定した青山剛昌。くだらない特攻隊映画の主題歌を担当し、ついには日本のアジア侵略・植民地支配の歴史を無視した「日韓未来志向」を礼賛する新曲を発表するに至ったサザンオールスターズの桑田圭祐。そしてこの度、日頃のミリタリーオタクとしての個人的趣味を満足させるゼロ戦のアニメを、それも戦後の右傾化の極みにある今この時期に発表して、「趣味と実益」を最大限に充足させるのを早くも確定的にした宮崎駿。この4人は「体制権力と資本に取り入って名を上げる芸術家」のこれ以上ないサンプルケースと言えるだろう。いつの時代・どこの国にもこういう連中はいるものだが、とりわけ腐敗と外道の極みに達した今の日本ではこの4人が最も象徴的事例ではないか。もはやこの4人をそういう分野での四天王とか四大護法と称するのが相応しいと思う。

宮崎駿の作品について言うならば、公開前という事もあって事前のストーリー紹介を見た限りでの評価になるが、本当にゼロ戦は自慢するほどの戦闘機だったのかという事と、なぜこの時期にゼロ戦の開発者のアニメなのかという点に尽きる。
「ゼロ戦は旧日本軍が開発した当時高性能の戦闘機」という話が今でもまことしやかに伝えられ、日本ではそれを右翼軍国主義者ばかりか、左翼や反戦主義者でさえ事実と認定しているようだ。あの水木しげるでさえ「コミック昭和史」でゼロ戦が高性能な戦闘機であったと言っていた(水木しげるは評価すべき漫画家だが、この辺りに彼の限界を見る事も出来る)程だから、日本人の「ゼロ戦信仰」はほぼ天皇崇拝にも等しいほど抜き難いものなのだろう。だが実際のゼロ戦の性能は大した事がなく、当時の敵国だったアメリカやイギリスはおろか、同盟国だったドイツのものと比べても極めて劣っていたという。要するに日本がアメリカと戦争して負けたのは当たり前だったという事であり、「ゼロ戦神話」は事実を無視した見苦しい負け惜しみに過ぎない。それが右翼どころか、世間的には左寄りとされてきた水木しげるや宮崎駿までもが事実と認定してきたのだから。
余談だが三菱グループが「ゼロ戦を作った」事を戦後も延々と時代錯誤な自画自賛し続けてきた事は周知の事実だろう。だが実際に当時ゼロ戦と交戦した事のある米軍パイロット達は後に「何で日本の戦闘機はああも簡単に撃墜されるのか」と疑問を呈したそうだ。ゼロ戦は装甲が薄くてちょっと弾を食らっただけで撃墜される事で有名であり、安全性に著しく欠ける飛行機だったのである。それから60年以上が過ぎ、「ゼロ戦を作った」同じ三菱グループの自動車がリコール隠しをして、2002年にはその欠陥車による死亡事故まで起きた事は記憶に新しい。戦闘機でも自動車でも、安全性を配慮しない乗り物を作るというのは三菱グループの輝かしい伝統のようだ。

さらに筆者が腹立ちを感じるのは、その堀越二郎の設計したゼロ戦でどれだけの人間が特攻隊として犬死させられたかという事だろう。特攻を強要されたのは日本人だけではない。当時植民地だった朝鮮から徴兵されて「天皇陛下の為に」死ぬ事を強要された朝鮮人もたくさんいた。そうした話は宮崎のアニメで語られているのか。まだ映画を見ていない段階だが、それだけは100%あり得ないだろう。だってそんな生々しくてエグイ、まるではだしのゲンみたいな話をやっちゃったらアニメがヒットしなくなっちゃうじゃないですか! 右翼(それこそ鈴木邦夫を含む)から攻撃されちゃうじゃないですか! 海外に真っ先に輸出して稼がなきゃいけない大事な「ジャパニメーション」たるジブリアニメでそんな「ヤバイ」話出来る訳ないじゃないですか! 韓国にもたくさんいる宮崎アニメのファン達の為にも、何よりも李明博・朴槿恵と政権2代に亘って続く「日韓未来志向」をぶち壊すような作品を、それも「虚匠 巨匠」宮崎駿監督が作る訳にいかないじゃないですか! この作品「風立ちぬ」は飽くまでもそんなエグイ軍国主義・帝国主義日本とは別物でなければならないのです! ゼロ戦なんて日帝そのものを象徴する戦闘機であり、それを作った時代背景も暗い事この上ないものでしたが、そんな事実はなかった事にしなければならないのです! 南京大虐殺や従軍慰安婦や強制連行や731部隊の人体実験が全て「まぼろし」であったのと同じ意味で! 

公平に見ても堀越二郎はそうした兵器の開発者であり、戦争犯罪人でしかない。多くの人間が自分の作った戦闘機で特攻し、しかもその中には植民地朝鮮から徴用された者もいた。それを堀越は気も狂わずに見ていられた上に、戦後も80年代まで生き延びて「ゼロ戦設計者」としての栄誉に与っていたのだから、これは昭和天皇の冷酷さにも匹敵する。殺人兵器の設計者としての後ろめたさは微塵も感じられない。後世の人間が語るべきはそうした理不尽さと冷酷さへの批判であり、それを美化する事では決してないだろう。その美化を、それも3.11以降の日本でアニメでやったのが宮崎駿だった。3.11以降の日本とはいかなる時代か。それまでの右傾化がさらに加速度を付け、以前は反権力・反体制運動の筆頭格だった反原発運動までもが国家体制に取り込まれるという時代である。その最中にゼロ戦開発者を日帝の暗黒統治やアジア侵略と完全分離して美化した物語が、それも「日本一のアニメ巨匠」が作ったのだ。戦後右傾化の極みを邁進する今の日本においてこれほど時宜にかなった映画はない。それを宮崎は最も良く理解していた。この映画の原型である漫画は2009年から2010年、つまり3.11以前に描かれたそうだが、それから大震災を経て3年が過ぎ、まさに絶好のタイミングをつかんだという事である。

佐藤・青山・桑田・宮崎ら「四大護法」の最大の才覚が発揮されるのを相次いで目撃する事になった。この件が我々に与えてくれる教訓とは、クリエイターが出世するのに最も要求される才能とは「処世術」に尽きるという事であろう。いかに権力や資本に取り入るか、いかに世間の俗情に媚びるか、そしてそうした事をしながらも世間の批判や反発を極力買わないようなポジションを保つにはどうしたら良いかを総合的に判断して実行する能力だ。「総合処世術」とでも名付けるべきであろうか。上記4者はこの方面の才能にかけては他者の追随を許さぬものを持っている。

「ジブリと宮崎監督までもがこんな作品を作った」ではない。「ジブリと宮崎監督だからやった」のだ。宮崎は機を見るに極めて敏な監督であり、もし日本がこれほど右傾化していなければ商売にならないと判断してこんな劇場アニメは作らなかっただろう。逆に言えばこのようなアニメが十分商売になるほど日本社会が右傾化したから、宮崎は安心して趣味と実益を同時に満たせる今回の映画を作ったに他ならない。
この映画のポスターには「いざ生きめやも」というキャッチフレーズが付けられている。この意味は

http://matome.naver.jp/odai/2136240387624734801

ポスターに描かれた「いざ生きめやも」というメッセージの意味
「いざ生きめやも」の「め・やも」は、未来推量・意志の助動詞の「む」の已然形「め」と、反語の「やも」を繋げた「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれている。

だという。後に堀越の設計したゼロ戦で多くの人間が特攻して犬死した史実はどこへ行ったのか。呑気なものだ。
 

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