スタジオジブリの広報誌である「熱風」最新号で「憲法改正」が特集され、そこで宮崎駿が「憲法を変えるなどもってのほか」「慰安婦問題で日本は謝罪して賠償すべきだ」と発言した事が話題になっている。そのせいか同誌はあっという間に品切れになり、ジブリ側も急遽ネット上でPDFファイルによる配布を行うにいたった。
この件が話題になるのは今の日本の右傾化という社会的背景もあるが、それ以上に宮崎の監督作品である例の「風立ちぬ」公開を目前に控えているからであろう。何しろこれはゼロ戦設計者である堀越二郎を主人公に据えたアニメであり、そんな映画を作っておきながらそれと真っ向から相反する「護憲」を語るのだから、疑問を持たない方がおかしい。事実「熱風」のインタビューはもちろん、同時期に他のメディアに載った宮崎の談話やインタビュー類も見苦しい言い訳のオンパレードとしか言いようがない。その最たるものが以下の朝日新聞でのインタビューではないか。
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201307190544.html
「僕自身を含め、日本のある時期に育った少年たちが、先の戦争に対して持つ複雑なコンプレックスの集合体。そのシンボルが零戦です。日本は愚かな思い上がりで戦争を起こし、東アジア全域に迷惑をかけ、焦土となった。実際の戦いでも、ミッドウェー海戦など作戦能力が低かったとしか思えないような歴史しか持っていない。そんな中で『負けただけじゃなかった』と言える数少ない存在が零戦です。開戦時に322機あった零戦と、歴戦のパイロットたちは、すさまじい力を持っていた」
この『負けただけじゃなかった』という発言こそ戦後延々と続いて来た「ゼロ戦神話」のまさに最大限動力と言って良いだろう。実際にはアメリカの航空機に全く太刀打ち出来なかった時代遅れのクズ飛行機に過ぎなかったゼロ戦を事実とは全くかけ離れた「スーパー兵器」に描いて、日本の戦争は決して悪い事ばかりではなかった、という日本人の負け惜しみ俗情に訴えた漫画や映画などが戦後大量に制作された。漫画で言えば辻なおきや貝塚ひろし辺りがその手の代表的作家だったろう。しかしそんな1960年代までの遺物に過ぎなかったゼロ戦ネタを、よもや21世紀に見る事になろうとは。2010年代の日本とは、1960年代よりも社会が右に寄っている事を「風立ちぬ」という映画は見せ付けている。「日本を代表するアニメ巨匠」とされて、ともすれば左がかっているまで言われる事もある宮崎駿のオツムは、実際のところ1960年代からほとんど進化していない保守オヤジの化石頭に過ぎない。おまえ、辻なおきや貝塚ひろしと何が違うんだという話だろう。
…いや、そうではない。宮崎と辻・貝塚らとの違いこそが重要であり、両者の明暗を分けているのだ。
宮崎駿はなぜこの時期に自社の広報誌やマスコミのインタビューで「護憲」「従軍慰安婦への賠償」を謳ったのか? ジブリ側の説明によれば以下のようなものであったという。
http://www.j-cast.com/2013/07/19179774.html?p=2
ただ、今回なぜ「憲法改正」特集にしたのかについては、東京新聞の2013年7月19日付記事にあった通りだとした。記事によると、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さん(64)が、21日投開票の参院選を前に旗色を鮮明にしようと発案した。実際、鈴木さんも、「9条 世界に伝えよう」という談話を寄せている。記事では、ジブリ出版部が「参院選の投票日前に読んでほしい」と呼びかけていた。
鈴木さんは談話で、「風立ちぬ」は戦争に関わる映画ではあるものの、「戦闘シーンは出て来ません」と強調している。これに対し、映画が20日に公開されることから、ネット上では、「熱風」の特集は話題作りではないのかとの憶測も出ていた。
もし、映画に合わせた政治的メッセージなら引かれてしまうことにならないのか。
この点について、ジブリの広報担当者は、「映画とは関係なく特集を組んでおり、結びつくものではありません」と説明した。映画公開が参院選前日であることについては、「数年前から計画しており、参院選に合わせたものではありません。それは、まったくの偶然です」と言っている。
鈴木敏夫の「参院選を前に旗色を鮮明に」「9条 世界に伝えよう」という説明も理由の一つではあるだろう。映画の話題づくりももちろん狙っての事だ。だがこれらは本筋、つまり最大の理由ではない。では最大の理由とは何なのか。
それは韓国・中国を筆頭にした諸外国対策、それこそ宮崎がわざわざ「護憲」という言い訳を謳った最大の理由である。
(後編に続く)
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