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宮崎駿はなぜわざわざ「護憲」「従軍慰安婦への賠償」を謳ったのか 後編

・筆者より
前編
http://roodevil.blog.shinobi.jp/Entry/174/
中編
http://roodevil.blog.shinobi.jp/Entry/175/
からの続きです。

韓国はかつて日本の大衆文化の輸入に大きな規制を掛けていたが、1998年から2004にかけて4度に亘ってそれを徐々に開放していった。特に2004年の第4次開放では日本映画が全面解禁(それまでの1-3次開放では何らかの国際的な賞を取った作品に限定)となり、これによってジブリ作品を含む日本のアニメも韓国でおおっぴらに上映出来る事になったのである。もっともそれまで韓国で上映は出来ずとも、日本のアニメの多くは韓国(の他にも北朝鮮、中国、タイなど人件費の安いアジア諸国)の下請け業者によって制作されてきたのだが。「作品の上映」と「作品の下請け制作商売」は飽くまで別個の話という事だ。
ジブリのアニメもこれで次々に公開されていったのだが、そこで「火垂るの墓」が問題になったのである。韓国においてこの作品は「戦争加害国である日本を被害者として描写した、日本帝国主義を礼賛する極右アニメ」との猛反発を受けたのだ。その結果、当初は2005年4月に予定されていた全国ロードショーが無期延期となって現在に至っている。その後、2006年6月8日に韓国で「高畑勲監督展」が開催される事になり、そこでようやく「火垂るの墓」は特別に上映出来たのだった。その後もこの映画は韓国において何かのイベントや単館上映のように限定的な形式で公開されるに留まっており(ただし後にDVDは発売された)、当然興行成績も惨憺たるものである。これまで韓国で公開されたジブリの全劇場アニメの中で、「火垂るの墓」は観客動員数がドンケツのビリである2999人と公表されているのだから。
もちろんジブリのアニメが韓国でも全て興行的に成功した訳ではない。例えば「崖の上のポニョ」は150万人、「千と千尋の神隠し」は200万人、「ハウルの動く城」は300万人という観客を韓国で記録したものの、こうした大成功例は別として、同じ高畑勲の監督作品でも「赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道」の2万3000人、「平成狸合戦ぽんぽこ」の2万1000人などと比べてもはるかに落ちる。2004年からの日本映画全面解禁に喜び勇んで韓国へ進出したは良いが、思わぬところで出鼻をくじかれてしまった。
とりわけジブリ側にとってショックだったのは、日本では堂々たる「反戦アニメ」として通用したはずの映画が、韓国では「日帝礼賛の極右アニメ」という全く正反対の評価を受けて大ブーイングだった事だろう。もちろん高畑勲もこの作品で日本帝国主義を礼賛するつもりはなく、むしろ逆の意図で制作していたとは思う(多分)。戦争の悲惨さを良く描いた作品ではあると思う。だが、この作品の主人公兄妹と同じ境遇の子供達を、当時の日本は朝鮮や中国で無数に作り出していた。朝鮮半島や中国など日帝被害国の目から見れば、「火垂るの墓」のような話はざらにあったか、もっとひどい目にあわされてきたという話にしかならない。それも当の日本のせいでだ。清太と節子の立場に同情する立場になれる訳がなかろう。

だがこの「火垂るの墓ショック」はスタジオジブリに大きな教訓を与えた。この件がジブリに与えてくれた教訓とは、ある種の作品を外国へ輸出しようと思ったら、あらぬ「誤解」を受けぬように周到な根回しや広報が徹底されなければならないという事だ。「風立ちぬ」のようなアニメを公開すれば韓国や中国などの日帝被害国から猛反発が来るという事を、最も良く知っていたのは他ならぬスタジオジブリ自身だった。
その「教訓」を生かした結果物が例の宮崎駿の「護憲」「従軍慰安婦への賠償」発言なのである。要するに営業スマイルならぬ営業護憲に過ぎない。特に今は従軍慰安婦の件のように韓国の反発がアメリカにまで飛び火するという、2005年の時よりさらにコワイ事態すら起こりかねない国際情勢である。ましてやゼロ戦は実際にアメリカと戦争した戦闘機なのだから。韓国ばかりかアメリカからも「宮崎駿は日本軍国主義を礼賛している」と非難されかねない訳で、それは宮崎が橋下徹や安倍晋三と同類視されるという事だ。会社の一番の監督が事もあろうに橋下や安倍と同じに扱われてその名声が地に落ち、(日本以外の)興行もズタズタなどという事態になったらまさにジブリにとっては悪夢そのものだろう。

「風立ちぬ」を公開するに先立って、今後予想される韓国での反発をなだめ、うまい具合に「火垂るの墓ショック」のような事態を回避すべし。

この至上命題は間違いなく宮崎駿や鈴木敏夫といったジブリ首脳陣の間で事前に協議され、具体的なスケジュールやマニュアルを組んで予め綿密に対処方針を想定していたと思われる。その結果、掲載された「熱風」が品切れになって急遽ネット上でPDFでの配布を行なうに至り、大きな話題を作るのに成功した。映画の興行も上々なようで、公開2.3日で早くも興行収入100億は見えたとささやかれている。少なくとも日本国内に限って言えばジブリ側の目論みはほぼ成功したと言えるだろう。
一方で肝心の韓国側の反応はと言うと、日本公開の直前である7月18.19日辺りの時点では宮崎の「護憲」発言は韓国の既存メディアにおいて左派・右派を問わずおおむね好評だ。以下に主な記事のリンク先を貼っておく(全て韓国語記事)が、進歩派の民衆の声やハンギョレ、保守派の朝鮮日報や東亜日報にいたるまで宮崎の「護憲」「従軍慰安婦への賠償を」という発言が大きく取り上げられており、おおむね好意的に受け取られている。少なくともこうした既存のメディアでは、宮崎のあざとさ・わざとらしさに対する批判や懐疑の声というのがこの時点では全くと言って良いほど見当たらない。これには鈴木敏夫も宮崎駿も大いに胸をなで下ろし、自分達の韓国対策が成功した事に気を良くして祝杯を上げた事だろう。
「火垂るの墓ショック」は彼らにとって大変貴重な経験であり、あの失敗がこのような形で見事ジブリの商売にとって大いに役立ったというのがよく分かる。

民衆の声
http://www.vop.co.kr/A00000658253.html
オーマイニュース
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0001887698&PAGE_CD=N0001&CMPT_CD=M0016
ハンギョレ
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/596437.html
京郷新聞
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201307191344381&code=970203
東亜日報
http://news.donga.com/BestClick/3/all/20130719/56555011/1
朝鮮日報
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2013/07/20/2013072000482.html
JPニュース
http://jpnews.kr/sub_read.html?uid=16573&section=sc1&section2=%EB%AC%B8%ED%99%94
連合ニュース
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2013/07/26/0200000000AKR20130726178500005.HTML?from=search

上記ニュース群の中でも特にJPニュースの記事は凄まじい。記事の題名が「誰が宮崎駿を右翼と言ったのか」というもので、宮崎の一連の発言を気持ち悪いぐらいにヨイショしている。不愉快なので翻訳はしないが、要約すると「あんな良心的な発言をする宮崎駿が右翼な訳ないだろ。彼は日本の代表的な左派・進歩的人士(ただし共産主義には批判的)だ。宮崎監督の歴史認識は今回の発言を見るまでもなくこれまでの言行や作品に表れているじゃないか。いずれにせよ今回のインタビューで宮崎監督の思想を取り巻く論争は終止符を打った」という内容だ。まあ、この記事のライターが気持ち悪いくらい熱心な宮崎信者である事は良く分かる。多分ここまで狂的な宮崎信者は、日本のアニメオタクにも今時そんなにいないのではなかろうか。この記事を日本語に訳して宮崎と鈴木の所に送ってやったら大いに喜ばれるだろう。
さらに連合ニュースの記事も凄絶だ。記事の3分の2くらいを宮崎の言い分とこの映画の問題点(?)指摘に費やしておきながら、結論の部分で突然「しかしそうした部分を除けば、この作品は巨匠の優れた才能と長い経験をまとった完成度の高いアニメだ。彼が今まで作ったどんな作品達よりもずっと心血を傾けた痕跡が垣間見える」と大絶賛し始めるのである。不思議な事にこの記事はなぜか連合ニュース日本語版では配信されていないのだが、その理由は不明である。
朝鮮語の分かる方で恐いもの(キモイもの?)が見たい方は、これらの記事を飽くまでも自己責任の下に読んでみてはいかがだろうか。キモイもの見たさ探検隊…。

このようにスタジオジブリの韓国世論対策は輝かしい「戦果」を上げる事に成功したのです! それこそ自殺特攻の役にしか立たなかった堀越二郎のゼロ戦とは違い、めざましい「戦果」ではありませんか! 堀越のゼロ戦よりも、それをネタにした宮崎の映画の方がはるかに御国の役にも会社の役にも立ったのです! 良かったですね、宮崎監督。あなたはあこがれの堀越二郎を超えたのです! そしてジブリは2005年の「火垂るの墓ショック」の経験をものの見事に活かしきる事が出来ました! 反戦映画の経験を活かして、戦争礼賛映画の批判をかわすのに利用するなどという高等戦術、果たして誰が思いつくでしょう! ゼロ戦の機体欠陥問題一つ見ても分かるように旧日本軍は過去の失敗を全く学ばず戦争に負けましたが、ジブリと鈴木プロデューサーはものの見事に「過去の失敗」から学んで「勝利」したのです! 鈴木プロデューサーがもし旧日本軍の司令官だったら日本はアメリカに勝っていた事間違いなし! 「火垂るの墓」の劇中で悲惨な運命をたどった清太と節子の兄妹もこれで安心成仏大往生間違いなし! 「火垂るの墓」の主人公兄妹(その元ネタである、餓死した原作者・野坂昭如の妹もね)は、「風立ちぬ」を売る為の、見事なカミカゼ的人柱となったのだから本望でしょう! それこそゼロ戦映画だけに実に大和魂・神風特攻精神にあふれ、物語と現実が絶妙に交差するジブリの商業展開ではありませんか!

…冗談はともかく、このように韓国のメディアやライター・知識人などは右翼も左翼も関係なくことごとく全滅状態で、みんなジブリの韓国対策に引っ掛かって批判精神を喪失するという醜態を一斉に晒した。いや、韓国の言論が右から左まで批判精神を失っているのは今に始まった話ではなく、ここ2.3年くらいで急速にひどくなったのだが。多分これが90年代だったら、ハンギョレなどの進歩派メディアが真っ先に「風立ちぬ」とジブリの偽善性・二重性を暴いていただろう。そればかりか韓国での上映中止を求めるキャンペーンをしたかもしれない。そもそも上記の韓国メディアの記事を見ていると、今回の件とかつての「火垂るの墓ショック」をどこも関連付けていないのが不思議だ。かつて「火垂るの墓ショック」で痛い目を見たジブリが、その経験から今回のように「護憲」「従軍慰安婦への賠償」といううわべを必死に取り繕ったというのは、韓国側の視点から見れば明白ではないか。日本のそこらに転がっている低級なアニメオタクならいざ知らず、「火垂るの墓ショック」は韓国のアニメの世界では有名な事件だ。ネットでも検索すればこれに関する情報はいくらでも出て来る。これは既存の韓国メディア達もまたジブリ側に配慮して意図的に避けているとしか思えない。連中はジブリと「巨匠・宮崎駿」に配慮して、「風立ちぬ」がつつがなく韓国でも上映されるのを望んでいるのだろうか。それこそまさしく過去史を抹殺して植民地支配の犠牲者を冒涜する行為、朴槿恵やサザンオールスターズの主張する「日韓未来志向」そのものである。韓国のメディアは進歩派・保守派を問わず、今や「日韓未来志向」を是とするのが基本スタンスという事であろう。ハンギョレから朝鮮日報までどこもかしこも。
日本で最近言い広められているおぞましいスローガンが思い出される。「仲良くしようぜ」…。
そう言えば他ならぬ宮崎駿自身がこんな事を言っていた。

http://linkis.com/www.tokyo-np.co.jp/a/f0gf
また、政府の歴史認識について「日本はバブル崩壊以降、歴史的な感覚を失い、経済の話しかしてこなかった」と批判。「自国民を大事にしなかった戦時中の日本政府が、他国民を大事にするはずがない。丸ごと反省しなければ、新しい道は生まれてこない」とした上で、「この困難な時代に中国、朝鮮半島、日本が仲たがいをしてはだめです」と訴えた。

宮崎自身がレイシストしばき隊や反原連と同じく「仲良くしようぜ」とはっきり言っているのだ。中国や朝鮮半島が何でわざわざ日本と仲良くしてやらならなきゃいけない義理があるのか? 日本と仲良くする為に中国や朝鮮などの日帝被害国が存在するかのように宮崎は考えているのかもしれないが、思い上がっているとしか思えない。
鈴木敏夫の言ってる事も凄絶だ。

http://blogos.com/article/67038/
僕、日本が憲法九条を持っているって、海外の人はほとんど知らないと思う。だって自衛隊があるしね。そっちを知っているわけでしょう。だから日本が世界にアピールするとしたら、九条ですよね。これだけの平和は、九条がなければあり得なかったわけですから。僕はあってよかったって立場だし、たぶん宮さんもそうなんじゃないかと思います。

 日本には美しい森林もある。自分の国は自分で守るという考え方もあるでしょうが、平和憲法を持ち、森と水がきれいな国をね、みんな侵せますか。そこへ侵略する国があったら、世界の非難を受ける時代でしょ。現代って、一国の暴走に世論がブレーキをかける時代なんです。宮さんや僕が尊敬する作家の堀田善衞さんが、こんなことを言ったことがあるんです。「人間の歴史は、殺し合いだ」って。その殺し合いが、だんだん残虐になったのが歴史だと。最初は宗教をめぐる争いで、あるときから国家同士の争いになった。人間というのはそういうことをするもんだなぁっていうのが、実際にあるわけですが、その中でね、やっとたどり着いたわけでしょ、この平和憲法に。すごい理想主義でしょ。人間がそこまできたってのは、すごいこと。僕はそう思いますけどね。

きれいな自然のある国は侵略されないだって? そんなん初めて聞いたわ! じゃあ、イラクやリビアは砂漠だらけの「森と水がきれい」でない国だから侵略されても仕方なかったとでもいうのか? アフリカには今アメリカ(いわゆるアフリコム AFRICOM)や旧宗主国のフランスはじめとしたヨーロッパ諸国軍が再侵略を派手に始めているが、そうしたアフリカ諸国には「美しい森林」はないとでもいうのか? 自然がきれいであろうとなかろうと、そこへ無差別に爆弾や劣化ウラン弾を落として住民を虐殺し、地下資源などを奪っていく。それが現代の戦争である。
日本の戦後の平和はきれいな自然や9条のおかげというより、日米安保でアメリカの核の傘に守ってもらったおかげじゃねえのか。それをいい事に問題の自衛隊をバンバン海外に派兵して、今やアフリカのジプチには自衛隊の海外基地まである。これで9条を世界中にアピールなんかしたら、「平和国家」を表看板に掲げて侵略を進めるとんでもない偽善国家として、笑われるか軽蔑されるかしかないだろう。日帝被害国の民衆からすれば恐怖の対象でしかない。こんな国とどうして仲良くしろと?
鈴木や宮崎の言い分は「日本の駄目(悪質)な護憲派」の言い分を集大成した典型例である。マガジン9条や社民党、反原連などと何とそっくりなのかと思う。


だが、腑抜けと化した韓国の既存メディアはともかく、一般の民衆の意見や反発までもあのようなおためごかしで抑えきる事は出来ない。案の定、宮崎の「護憲」発言の後には「風立ちぬ」の予告編を見た韓国のネットユーザーから反発の声が上がり始めた。

http://www.j-cast.com/2013/07/23180008.html?p=all
韓国ネット民が「英雄」宮崎駿監督をバッシング 「風立ちぬ」は零戦を美化し戦犯国としての反省がない!

上記記事にあるように「殺傷用兵器を作った人を描くなんて宮崎監督に失望した」「慰安婦問題の批判は、映画の韓国上映を狙った擦り寄りだった」「零戦を組み立てたのは徴用された朝鮮人、中国人だ」という韓国ネットユーザー(ネチズン)達の見解や反応こそまともで正しいのである。ジブリや宮崎駿・鈴木敏夫らの舌先三寸に丸め込まれるJPニュースや連合ニュースこそイカレているのだ。
だが、旧日本軍や「想定外」な原発事故になす術もなかった今の日本政府と違って(笑)、さすがにジブリ側の対応は早かった。そうした韓国世論の反応も十分に「想定内」であったろう。上記J-CASTニュースの記事は23日だが、その3日後の26日には早くも東京都小金井市にある宮崎駿の自宅で韓国マスコミの記者達を集めて記者会見を開くという手際の良さである。この時には何と「風立ちぬ」の試写会まで行なわれる用意周到さであった。同日には東宝スタジオでもやはり韓国のマスコミ関係者を対象にした試写会が開かれており、連中の韓国世論対策は念が入っているのは確かであろう。少なくとも日本政府や東京電力の原発事故対策よりはるかに水際立った手並みと認めざるを得ない(笑)。「世界のアニメ巨匠・宮崎駿監督」の自宅で試写会までやって記者会見するのだから、ジブリ側にしてみれば破格の行動だろう。日本や韓国のアニメオタクであれば、自分がその記者会見&試写会に行きたいと思うかもしれない。多分、宮崎の自宅に招待された相手が本当にただの低級な権威志向のアニメオタク達であれば、それに感激しちゃって「風立ちぬ」礼賛に走ったのではあるまいか。

ジブリ側の目論見通り(?)、この日の夜のハンギョレ新聞では、早速昼間行なわれた記者会見での宮崎駿の言い分をそのまま垂れ流す記事が載った。ハンギョレ日本版でも翻訳配信されているので確認は手っ取り早い。

"慰安婦問題 日本が以前に清算していなければならなかった"
http://japan.hani.co.kr/arti/international/15258.html
同韓国語原文記事
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/597317.html

この記事はホン・ソクチェという記者が書いており、多分この記者も昼間に宮崎の自宅会見に行って取材してきたのは間違いないだろう。その日のうちにこうした記事が出たのだから、ジブリ側の26日記者会見&試写会はうまく行ったと、この時点では誰もがそのように考えるのではないか。ところが…。

情勢が一変するのはその2日後の28日夜である。26日会見の夜すぐに宮崎の発言をそのまま垂れ流してくれたはずのハンギョレが、何とそれまでとは一転して「風立ちぬ」の批判記事を載せたのだ。ハンギョレだけではない。京郷新聞系列のスポーツ京郷もまた同じ28日の夜に、短いが「風立ちぬ」への批判記事を載せた。前述したようにそれまでジブリ・宮崎駿・「風立ちぬ」への批判を避け、むしろ礼賛傾向すらあった韓国マスコミがここへ来て態度を変え始めたのである。何があったのか? それを考える前にハンギョレと京郷に載った「風立ちぬ」批判記事を実際にお読みいただきたい。と言うのも、日本語記事を配信していない後者京郷の記事は仕方ないものの、前者ハンギョレの方は日本語版では依然として配信されていないからだ。その前に載った宮崎の言い分垂れ流し記事は2回とも日本語版で翻訳配信されたのに…。原文記事発表から3日以上過ぎて翻訳されなかった事から、同記事がハンギョレ日本語版で配信される事は今後ともあり得ないと思うので、資料としての意味も込めてここに翻訳公開しておく。
前身のハンギョレサランバンの頃からそうだったが、ハンギョレ日本版というのはスタッフ達(全員日本人らしい)の気に入らないと言うか、日本にとって都合が悪かったり耳の痛い記事は翻訳を避ける傾向が非常に強い。宮崎駿と「風立ちぬ」関連記事でも、チョーチン記事は翻訳したのに批判記事は翻訳しなかったという事実はそれを最も裏付けるものだろう。


・ハンギョレの「風立ちぬ」批判記事
宮崎の新作、我々にとってはあまりに不愉快な…
登録:2013.07.28 20:34 修正:2013.07.28 20:34



宮崎駿監督が26日に東京都小金井市にある自身のアトリエで記者達と会い、新作「風立ちぬ」について話している。大元メディア提供

日本のアニメーション「風立ちぬ」9月封切
日本の過去史に批判があふれながらも
作品では戦闘機設計者美化論争
監督「主人公、時代に恵まれなかった罪
父も戦争に加担したがいい人だった」

日本のアニメ界巨匠・宮崎駿(72)が5年ぶりに送る新作「風立ちぬ」(韓国では9月封切)は彼の作品の中で最も論争の多い、問題的作品になると思われる。日本軍の第2次大戦主力戦闘機にして「神風特攻隊」の自殺攻撃に使われた「ゼロ戦」の実在設計制作者・堀越二郎を題材にしたこの映画を見て、軍国主義協力者を美化したという批判まで出ている状況だ。去る26日に、異例的にも韓国の記者達と東京都小金井市の自身のアトリエでインタビューを行い、現地試写会をしたのも多分に「歴史意識論争」を意識したものと見られる。

「神風特攻隊が出来た時、ゼロ戦はすでに旧式でさしたる役割をしませんでした」

映画論争に対する宮崎監督の答弁は意外だった。彼は「主人公・堀越は軍の要求をもっと多く受けたが、それなりに対抗して生きてきた人物だ。あの時代に生きたから無条件で罪を背負って行かねばならないと言うべきか? 私の父も戦争に加担したが、良き父であったと思う。あの時代がどこに向かっていたのかが重要な問題だ」と言った。宮崎監督は最近小冊子「熱風」で国家がどうであれ関係なく、飛行機などに部品を割り当てる軍需工場運営に熱中した自身の父の話をした事がある。彼はまた「『となりのトトロ』は子供達が外で遊び回ってくれたらという考えで制作したのに、結局は子供達がテレビをさらに見るようにしてしまった。一生懸命したからと思い通りに結果が出るのではないという考えがあった」という話もした。

だが戦争と夢を追う個人のアイロニーを描いたと見るには、この映画は物足りない。掛かっていた日章旗が全て落っこちる場面などは時代批判を暗示するが、戦争動員に対する個人の苦悩もよく表れておらず、素材自体もあまりに敏感なものだ。映画で堀越が制作に参加した「隼」(1式戦闘機)は実際に韓国人操縦士達がカミカゼ(自殺特攻隊)作戦に動員された時に使われた飛行機だ。ゼロ戦もやはり、かつて2009年に国内のあるガールグループがアルバムの表紙に小道具として使った所「カミカゼの痛い歴史がこもった小道具」だとして論争が起こるや、表紙全部を廃棄した事があるほど敏感な題材である。また、主人公が勤務した三菱は、戦争物資を生産していた当時に強制動員された韓国人勤労挺身隊のお婆さん達に対する賠償を拒否した悪縁がある所だ。

映画は設計士・堀越が第2次大戦当時の日本海軍の要請に従って戦闘機「ゼロ戦」を開発する姿を描いた。彼は幼い頃に本でイタリアの世界的飛行機制作者であるジャンニ・カプローニ伯爵と出会った後、「美しい飛行機」を作りたいという決心をする。結局戦争を前にして三菱で飛行機設計チーム長を務め、第2次大戦が盛りだった1939年に航続距離と旋回角度などで連合軍を凌駕する戦闘機を完成させる。堀越の個人史を中心に描いて、ゼロ戦と連合軍の空中戦は登場しない。題名「風立ちぬ」はフランスの作家ポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の中で「風立ちぬ、いざ生きめやも」という題目から取ったという。

宮崎監督は前作まで反戦・平和・環境などの価値を童話的ファンタジーの中に具現化してきた。日本政界の憲法改正の動きを強力に批判するかと思えば、この日も「慰安婦問題で韓国と中国に謝罪せねばならない」「日本が歴史感覚を喪失した」とはばかりなく発言した。歴史意識とは別個に、自身の作品はこうした歴史問題からは例外に置きたいのだろうか?


「風立ちぬ」映画の一場面 大元メディア提供

彼は先立ってある日本マスコミ(※)のインタビューで「日本は愚かな思い上がりで戦争を起こし、アジア全域を焦土化して害を及ぼした」としながらも「(戦争で日本の)作戦能力が低かったとしか思えないような歴史ばかりだが、そんな中で『負けただけじゃなかった』と言える存在が零戦である。思考力と技術力を飛び越える堀越の天才的霊感の成果物であり、ゼロ戦のパイロット達はすさまじい力を持っていた」と語った。

※訳者注 以下の朝日新聞のインタビューを指すと思われる。
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201307190544.html

反応ははっきりと分かれる。日本内保守マスコミを中心に「感動した」「名匠の映画世界を集大成させた」などの賞賛が出ている。だが一部批評家は「美しい飛行機が同時に殺人兵器にもなり得るという矛盾を、物語の中で越えられなかった」と批判した。宮崎監督の初「大人向けアニメーション」という話も出て来る。

9月初頭封切が予定される国内(韓国 訳者注)でも少なからぬ論争が予想される。国内ネットユーザーはすでに「監督の前作に右翼性向はなかったのに、ゼロ戦が出て来るからと無条件で軍国主義扱いするのは適切でない」「純粋な夢が誰かにとっては悲しみになり得るという思いがする」として意見が分かれている。

「風立ちぬ」は去る20日に日本で封切られて後、今年の映画の中で公開日売上額1位を記録し、前作「崖の上のポニョ」の155億円(1722億ウォン)興行成績を超えるかどうかに関心が注がれている。アニメーション「エヴァンゲリオン」の監督・庵野秀明が主人公・堀越の声の演技を、宮崎監督の前作でタッグを組んだ久石譲が音楽監督を務め、来月開かれる第70回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に招請された。

小金井(東京都)/ホン・ソクチェ記者

韓国語原文記事はこちら
http://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/597486.html


・スポーツ京郷の「風立ちぬ」批判記事
「風立ちぬ」試写会上映が終わって「重い沈黙」の意味は?
東京 チウェ・ウギュ記者
入力 2013.07.28 22:13:34

少年の夢はパイロットだったが、近視が足を引っ張った。青空を飛ぶ事を放棄した。代わりに才能と熱情で最高の飛行機を作った。

日本のアニメーション巨匠・宮崎駿(72)監督が5年ぶりに演出した「風立ちぬ」のストーリーだ。宮崎監督はこのアニメーションで初めて実在人物を描いた。「三菱内燃製造(現三菱重工)」設計士・堀越二郎(1903-1982)の人生が横糸である。小説家にして詩人の堀辰雄(1904-1953)の小説内ロマンスが縦糸だ。題名はフランスの詩人ポール・ヴァレリー「風立ちぬ、いざ生きめやも」という詩から取ってきた。

作品には宮崎監督の主要小道具達がまた登場する。緑の草と草原、美しい自然はここでも如実だ。「紅の豚」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」などの主要テーマである「風と飛行」もこの作品の骨子だ。

彼の作品の主人公は大部分が子供や女性だが、今回は成人である。二郎と恋人の里見菜穂子の胸が痛む愛情に涙を流す観客が多かったという。

現在の日本の姿も込められている。右傾化と不景気、大地震、周辺国との不和などだ。自国民の共感を引き出せるテーマだ。去る20日に日本で封切られ、1週間で観客100万人を突破した。

二郎は二重の状況に置かれている。最高の飛行機は結局殺戮兵器、戦争の道具だ。彼は「一生懸命生きたが、そうした為に悲惨だ」と語った。遺憾の表明はその程度だ。代わりに周囲の人達、実際には二郎の人格の身代わりが弁護してくれる。二郎の憧れであるイタリアの飛行機設計士ジャンニ・カプローニ伯爵が代表的だ。二郎は夢の中で会ったカプローニに「飛行機は戦争の道具や金儲けの手段ではなく、美しい夢」と強弁する。カプローニは「飛行機は美しくとも呪われた夢」と言った。

2時間9分の上映時間、アクションファンタジーの代わりにドラマを強調した「大人の為の成長小説」である所以だ。

だが、日帝被害国の観客が不愉快になる、あるいは憤慨する部分もある。主人公の二郎が設計した「ゼロ戦」は日本海軍艦上戦闘機だ。真珠湾攻撃の時、神風特攻隊(爆弾を積んだ飛行機で艦艇に突っ込む自殺特攻隊)が一部使用された。

去る26日に東京「東宝スタジオ」で韓国記者達を相手に試写会が開かれた。上映が終わって明かりが点いた時、映画館に重い沈黙が流れた。映像美と運命的愛情の切々さの為だけではない。劇中で二郎が戦争を嫌悪し、あの時代の中で「一生懸命生きただけ」だと強弁するだけでは足りないと思う。ナチス主力戦闘機Me109の設計者であるメッサーシュミット博士をこのように描いていたらどうであったか。

第70回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に招請された。韓国では9月封切の予定である。

韓国語原文記事はこちら
http://sports.khan.co.kr/news/sk_index.html?cat=view&art_id=201307282214346&sec_id=540401
訳:ZED

正直言ってこれらはいずれも手ぬるい内容で、それほど十分な批判とは思わない。「風立ちぬ」に対してはもっと厳しく突っ込む所があるだろうと思うが、それでもこれらを取り上げるのは、これまで宮崎駿らの「護憲」発言に高評価一色だった韓国マスコミの流れが変わった口火であるという意味が大きい。なぜここに来て韓国マスコミの「風立ちぬ」に対する印象が変わってきたのか?
一言で言えば「百聞は一見にしかず」だったという事であろう。それまでの宮崎やジブリに対する韓国メディアの反応とは、まだ映画現物を十分に見ていない段階でのものだった。ジブリ広報誌の「熱風」や宮崎・鈴木らのインタビュー記事、YouTubeで公開中の「風立ちぬ」映画予告編などを見て、韓国のメディアは「宮崎駿は護憲派で、安倍政権を批判している」と判断していたのである。宮崎駿のような巨匠が軍国主義を礼賛するはずがない、あるいはその巨匠に日本の右傾化を食い止める力になって欲しいという、「宮崎駿ブランド」にすがった他力本願な韓国側の卑屈な願望も少なからずあっただろう。ところがいざジブリ側のセッティングした試写会に行って実際に映画全編を見てしまった所、そうした韓国メディア達の抱いてた幻想はあっさり吹っ飛んでしまった訳だ。
ハンギョレの「我々にとってはあまりに不愉快」という題名がそれをストレートに表現しているし、「現地試写会をしたのも多分に「歴史意識論争」を意識したものと見られる」「自身の作品はこうした歴史問題からは例外に置きたいのだろうか?」と指摘されているように、ジブリ側の目論みはあっさり見透かされた訳である。このジブリ批判を書いたのは26日に宮崎の言い分をそのまま書いたのと同じホン・ソクチェ記者で、一昨日とは打って変わって全然違うスタンスの記事を書くのはいささか無節操な気もするが、さすがに映画を実際に見てしまったら、もうこれは擁護のしようがないという事に気付いたのだろう。加えて日増しに強まる韓国内の世論の反発も無視出来なかったのではないか。とりわけ7月10日に韓国では、植民地時代に旧日本製鉄(現・新日鉄)に強制動員された被害者への賠償を命じる判決が出された。ジブリ試写会の4日後の30日には同様に三菱重工へも判決が出される事になっており、そこでも賠償を命じる判決が出る。ゼロ戦の三菱を含む日本の戦犯企業への賠償裁判判決が相次ぐこの時期に、いかに最近腑抜けになったハンギョレといえども「風立ちぬ」の擁護がこれ以上出来ようはずもない。
一方、京郷の記者は東宝スタジオの試写会に行ったようで、その時の様子は「上映が終わって明かりが点いた時、映画館に重い沈黙が流れた」だったという。「ナチス主力戦闘機Me109の設計者であるメッサーシュミット博士をこのように描いていたらどうであったか」という指摘はまさにその通りだろう。それを宮崎駿は実際にやっちゃった訳だ。しかもそれを「一生懸命生きただけ」と言い訳して正当化しているのだから。
最近批判精神をなくしつつある韓国マスコミでさえ、映画現物を「一見」してしまったらさすがにこれは駄目だと、しょせん宮崎や鈴木の言う「護憲」「従軍慰安婦への賠償」発言が「営業トーク」に過ぎないという事に気付いたのだ。26日の試写に招かれた韓国記者達が一様に示した「重い沈黙」という反応がそれを物語っている。

鉄壁と思われてきたジブリの広報が、ここに来てついに綻びを見せた瞬間であった。「風立ちぬ」のような映画が公開されれば「火垂るの墓」の時のような猛反発が起こって、韓国での上映が中止になりかねない。そればかりか、従軍慰安婦の時のようにそれがアメリカにまで飛び火し、「日本軍国主義を擁護している」として宮崎駿が橋下徹や安倍晋三と同類扱いされかねないのが2013年現在の国際情勢である。それを嫌というほど気付いていたスタジオジブリだからこそ、あそこまで韓国を意識した広報活動を徹底的に行ってきた。あたかもホリエモン並みに全てを想定(笑)していたジブリにとって、今回のハンギョレと京郷の批判はまさに死角からの意外な一突きであったろう。韓国内の「風立ちぬ」に対する批判がさらに高まる事は間違いない。

率直に言ってこのような映画は韓国での上映が中止になってしかるべきであるし、その方が良いと筆者は思う。ジブリ側がどんなにごまかした所で、これは戦争加害国の日本を美化する内容でしかないのだから。「火垂るの墓」はそれでもまだ「韓国側に誤解された」という言い訳や抗弁の出来る余地がまだあるが、「風立ちぬ」はそんな余地すらない完全アウトの内容だろう。「加害国である日本を被害者に描いて美化」という点では「風立ちぬ」の方がはるかに悪質でタチ悪い。予告編を見た時に筆者がのっけから呆れたのは「かつて、日本で戦争があった」という字幕である。

何が「日本で戦争があった」だ! 「日本が戦争を起こした」の間違いじゃねえのか。これ一つとっても、この映画がいかに日本と堀越二郎を美化し、戦争の悲惨さを脱臭しようと懸命になっているか歴然としている。そもそも宮崎自身が最初から言っていたではないか。
「実際の戦いでも、ミッドウェー海戦など作戦能力が低かったとしか思えないような歴史しか持っていない。そんな中で『負けただけじゃなかった』と言える数少ない存在が零戦です。開戦時に322機あった零戦と、歴戦のパイロットたちは、すさまじい力を持っていた」
と。
ゼロ戦や日本が「負けただけじゃなかった」という事を描くのがこの映画の目的であるという事を、監督自らゲロっていたのだ。ゼロ戦と大日本帝国をそのように描こうと思ったら、結局は日本の侵略戦争の悲惨さを誤魔化すしかないだろう。当時植民地朝鮮から強制動員されて神風特攻隊やゼロ戦の工場で奴隷労働させられた朝鮮人の話を一切無視しなければ成り立たない。ゼロ戦は三菱が作り、その三菱は朝鮮人を大量に強制動員・奴隷労働させてゼロ戦を作り、三菱重工は今でも当時の賠償を拒否し続けている。宮崎とジブリがそんなに映画の内容に自信を持っているんだ、自分らは「憲法9条護憲」だというならば、三菱の強制動員被害者とその遺族を呼んで「風立ちぬ」の試写会をやってみろという事だ。
三菱の戦闘機設計者をあそこまで美化した映画がどちらの側、すなわち三菱の側なのか、それとも強制動員や無理矢理特攻隊にされた朝鮮人の側に立っているのかは火を見るよりも明らかだろう。だがその事について宮崎や鈴木らジブリ関係者が明言した事は一度もない。いや、鈴木や宮崎にそんな事を説明してもらう必要すらないだろう。映画のポスターや公式サイトにもちゃんと書かれている通り、この映画の提携企業には「三菱商事」が入っているのだから。さすがにこれが「商事」ではなく「重工」だったら露骨過ぎただろうが。
それでいて商売の為に「護憲」を平然と言えるのだから、ジブリ関係者を含む日本人にとって「護憲」だの「従軍慰安婦への同情」というのは非常に便利で安価な免罪符なのだろう。とりあえずそれだけ言ってりゃごまかせると踏んでいるのではないか。中世の腐ったカトリック教会が出していた本家免罪符でさえそれなりのゼニを出して買わねばならなかったが、今の日本の「護憲免罪符」はゼニを出すまでもなく手に入るのだから何と簡単で安っぽい事か!
ゼロ戦が初めて実戦に投入されたのは対中国戦だという史実も思い出す必要がある。ゼロ戦はアメリカとだけ戦争したのではない。中国侵略にも導入され、中国人を殺すのにもずいぶんと使われた。帝国主義国家同士の覇権争奪戦だけでなく、アジア侵略用の兵器でもあったのが「堀越二郎が作った美しい飛行機」ゼロ戦なのだ。

今後韓国での上映がどうなるかが大きな焦点になる。上映を中止に追い込むほど韓国での世論が高まるかどうかであり、そうならねばならない。まだ映画の内容が十分に韓国側に知られていない段階ではそうでもなかったが、試写会までやってその内容が韓国マスコミにも広く知られた以上はどう転ぶか分からなくなってきた。ジブリ側にしてみれば韓国側の「誤解」を解いて丸め込む為の試写会だったろうが、実際にはむしろ薮蛇になった事を、ハンギョレや京郷の手の平返すような態度豹変ぶりは意味している。
だがあのジブリがそう簡単に引くとは思えない。連中も「風立ちぬ」の韓国上映が実現するかどうかが最大の関門、すなわち天王山である事を良く認識している。それさえ突破してしまえば続く他国での上映も比較的スムーズに行くと踏んでいるだろう。「あの韓国でさえ上映出来て暖かく迎えられた。だからこの映画は決して戦争や軍国主義を賛美するものではないのです!」と胸を張って言えるようになる訳だ。だが残された時間はあまり多くない。韓国での公開予定は9月初頭で、もう1ヶ月あるかないかだ。この1ヶ月のジブリはそれこそ手負いの獣、これまで以上になりふり構わず韓国側に向けて映画内容の正当化と広報に務めてくる事は間違いないだろう。

余談だが、映画の内容が問題になって日本の劇場用アニメが韓国で上映中止になった例は2005年の「火垂るの墓」だけではない。今年に入ってからもある有名な話題作が1本上映中止になっている。名探偵コナンシリーズの劇場最新作「名探偵コナン 絶海の探偵」がそうで、これは韓国での上映を「今年夏」と当初予定していたものの結局今に至るまで公開されておらず(ただし一部マニアが独自に字幕を付けて動画投稿サイトで公開した例はあり)、正式な発表はないが事実上の中止というのが向こうでの認識だ。なぜ「絶海の探偵」は上映中止になったのか? 
この映画は話の舞台が海上自衛隊のイージス艦で、しかも謎の敵役の正体を明言はしてないが、北朝鮮のスパイと思わせるように描写している事で一部話題を集めた。しかも制作に防衛省と海自が全面協力という、ものの見事な国策戦意高揚映画である。戦前の日本でも今のハリウッドにもこうした映画が山ほどあるが、まさに1945年以前にワープしたかのような愚劣極まりないアニメであった。まるで憲法9条など最初からなかったかのように。
で、この「北朝鮮を敵役にした日本の戦意高揚アニメ」がなぜ韓国で上映中止になったのか、不思議に思う日本人もおられよう。日本と韓国は北朝鮮を敵とする堂々たる「共にアメリカを親分と仰ぐ反共軍事同盟国」であり、ましてや南北朝鮮の関係は今や極めて悪化している。それでなくてもコナンは韓国でも人気のある作品(!)なんだから、「絶海の探偵」が上映中止になるなど理解出来ない…。と普通は考えるであろう。だが現実の国際外交関係とはそんなに単純なものではない。
まずこの作品の舞台が、旭日旗を掲げた海上自衛隊のイージス艦だという事。この「絶海の探偵」はさすが防衛省と海上自衛隊の全面協力映画(早い話広報映画)だけあって、場面のいたる所で旭日旗のはためくシーンが登場する。日の丸同様に日本帝国主義の象徴である旗が、だ。旧日本軍以来の旭日旗を韓国のスクリーンで堂々と映し出す事自体が大問題である。加えて海自のイージス艦は韓国で極めて評判が悪い。日本でイージス艦というと一般的に「対北朝鮮用の軍艦」という漠然としたイメージがあるが、海上自衛隊とこの船が標的にしているのは朝鮮半島の北だけでなく南もである。独島(竹島)の周辺海域には今まで海自のイージス艦がしょっちゅう出没しており、その事は今まで韓国でも事ある毎に報道されてきた。韓国において日本のイージス艦とは「独島再侵略を狙う日本の軍艦」そのものなのである。独島再侵略を狙う日本の野欲を象徴する軍艦、それを舞台にしたアニメをどうして韓国で上映出来るのか。「絶海の探偵」は北だけでなく南の逆鱗にも触れる作品なのである。
さらに韓国における「名探偵コナン」にはもう一つ別の致命的な問題が存在する。韓国でもコナンは原作漫画とアニメ版の両方が輸出されていて、前者は基本的にセリフを訳しただけで登場人物も舞台も日本になっている原典に忠実なものだが、後者は登場人物と舞台が全て韓国に変更されているのだ。これはコナンのアニメ版が韓国で放送され始めた当時はまだ日本の大衆文化が完全開放されておらず、上映する為には人物や作品世界設定を日本から韓国に変更しなければならなかった制約によるもので、それが今まで続いている。紙媒体の漫画訳書の方はそれよりも開放が早かった為、人物や国を原典通りに日本で出す事が出来た。この為に韓国語版の名探偵コナンは原作漫画の舞台と人物が日本、アニメ版は舞台と人物が韓国という、設定のねじれ現象を起こしたまま流通し続けて現在に至っている。したがってもし「絶海の探偵」をそのまま韓国で上映したら、独島を狙っている日本のイージス艦に「韓国人設定であるコナンの登場人物達」が乗っているという、泣いて良いのか笑って良いのか分からない展開になってしまう。これは設定を変更したり、一部表現を削除修正して誤魔化せるレベルの話ではない。

いずれにせよ「風立ちぬ」の韓国公開がポシャろうものなら、「絶海の探偵」に続いて日本産の「大作アニメ」が政治的な理由で1年に2本立て続けに上映中止という大椿事だ。「絶海の探偵」は元より護憲もへったくれもない、それどころかある意味「正直」過ぎるくらいの戦意高揚国策アニメそのものだが、「風立ちぬ」はそれを巧妙にごまかそうとしている映画である。早い話「絶海の探偵」はハッキリスケベで「風立ちぬ」はムッツリスケベという話だが、後者が韓国上映中止に追い込まれたら、これはジブリにとって絶大な屈辱だろう。自分らはそれでも「護憲」「従軍慰安婦への賠償」まで言明したんだ、あんな防衛省の後ろ盾がなきゃやってけないような低級・低俗なアニメとは違うんだ、という高慢なプライドが鈴木敏夫らの態度からはなんとなく感じられる。自分らが橋下徹や安倍晋三ばかりか、日本漫画界一の超俗物王・青山剛昌とその作品と同列にまでみなされる危険が迫っている。繰り返すが、ジブリに残された時間は少ない。この1ヶ月が勝負だ。
だがそれは「風立ちぬ」を批判する側にとっても同じ事。ジブリはさすがに日本政府(笑)のような間抜けではなく、油断の出来る相手ではない。

スタジオジブリが油断の出来る相手でないと筆者が思うのは、韓国での上映を確実にしようとしてこれまでに必死かつ連中なりに綿密な手を打ってきた事に加えて、最悪の場合の「退路」もしっかり確保しようとしている部分にある。ここで言う最悪の場合とは、「風立ちぬ」の韓国上映が結局中止に追い込まれて宮崎駿に「日本軍国主義を礼賛した」という非難が世界的に起こった場合を指す。気掛かりなのは鈴木敏夫が事ある毎に「この映画の企画は自分が立てて宮さんに持ってった。そのせいで宮さんから最初はこっぴどく怒られた」という話を「証言」している事である。これが事実であるかは確かめようがないし、実際にそんな事は割とどうでも良い。なぜなら、「風立ちぬ」の韓国上映が成就するようあらゆる手を打つが、それでも万が一駄目で「軍国主義礼賛」という批判を受けた場合に「企画を立てた鈴木が悪い。宮崎は当初それに怒って反対していた」という言い訳が立つではないか。スタジオジブリというアニメ会社組織の商売にとってはこの場合、何よりも看板監督である宮崎駿の「名声とブランド」が死守されねばならないのである。いざとなったら宮崎駿の盾になって鈴木敏夫が泥を被るという絵図で、連中は内部的に合意しているのではないか。そうでなければ「この映画だけなぜか今までとは違って鈴木が立案しました」などという突拍子もない話をやたら不自然に強調するはずがない。
これらは飽くまで筆者の推測である。だがこの間の「状況証拠」を眺めていると、ジブリ側がこうしたいざという時の「出口戦略」まで考えて行動しているとしか思えない。例の第70回ベネチア国際映画祭にも招待されていながら、宮崎はこれに出られない事を早くも公言している。これも韓国上映が実現するかどうか断言出来ない状況では当然だろう。映画を軍国主義礼賛と批判されてしまったら映画祭に出るどころではあるまい。今のうちに欠席を表明しておいた方が傷は浅いだろう。ある意味賢明ではある。ベネチアには韓国上映が実現して(つまり軍国主義礼賛の批判を払拭出来て)から再度出欠を表明し直せば良いのだ。

「風立ちぬ」の内容が賛否両論を呼ぶ事は事前に誰しも分かっていた。だがそれを作ったジブリ側が世論対策の最終的切り札として用意したのもまた、神風特攻隊に使われた戦闘機であるゼロ戦の映画だけに、いざとなれば鈴木プロデューサーが自己犠牲して「カミカゼ的人柱」になるというオチだったのである。お見事! だが特攻前にほとんど撃墜されて実は大した戦果を上げられなかったモノホンの神風特攻隊との最大の違いは、おそらくいざとなった場合に鈴木プロデューサーの「勇敢な自爆行為」は宮崎監督の名誉を守るという面において十分な戦果を上げられるだろうという事だ。例え自殺特攻で身を捨てようとも、決してその「死」を無駄にはしない。そうした「聡明さ」にこそ宮崎駿らスタジオジブリと、モノホンの神風特攻隊や同じジャンルの先達である辻なおき・貝塚ひろしらとの決定的違いがあり、明暗を分けているのだ。
ゼロ戦をネタに商売する者、称揚する者、皆かくあるべし! 少なくとも筆者には連中がそう言っているように見える! 「風立ちぬ」という作品が聴衆に訴える最大のテーマはそれであると、少なくとも筆者はそのように解釈する!

(完)
 

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