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「金甲洙近現代史特別講座」より

韓国の作家・金甲洙氏が自身のフェイスブックで連載した記事「金甲洙近現代史特別講座」の内容を所々翻訳して以下に抜粋する。強調部分は訳者による。


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/370641403086810
「朝鮮が滅びた理由を捏造するべからず!」
「日本は西洋覇道の手先に過ぎず」
金甲洙近現代史特別講座(2)

我々の近現代史において最も大きく歪曲された歴史は、近現代史ではなく朝鮮(王朝)史という事を常々私は強調してきた。朝鮮が劣っていて滅びたなどという。やや訳知りに言うなら「朝鮮は矛盾によって滅びた」ともいう。でなければ「日本が優れていて朝鮮を食った」などという。もう少し訳知りに言って「日本は近代化に成功した為に朝鮮を征服出来た」という。断言するが、この中でどれ一つとして正確な歴史認識ではない。

朝鮮は東学と義兵戦争で50万人近い戦死者を出した。朝鮮の官吏・学者達の中に自決で抗日した人の数は数え切れないほど多い。朝鮮の最後の皇帝・高宗は日韓併合を告示した詔勅についに署名しなかった(日本人達は強奪した国璽を押しただけだ)。俗な言葉で言って、朝鮮は決して「与し易い国」ではなかった。

一例として、身分社会という理由で朝鮮を批判する人達がいる。だが皮肉な事に「身分 신분」という言葉自体が朝鮮にはなかった言葉だ。我々はこの言葉が日本から輸入された語彙だという点で、身分社会をという事を理由に朝鮮を批難する論理がどのように作られたか暗示を受ける事が出来る。世の中に身分社会でない国がどこにあるのか?

もう一つの例を挙げてみよう。朝鮮統監・伊藤博文は朝鮮に近代的法制度を移植する為に梅謙次郎を送り、民法などを制定する事前措置として旧慣調査を実施させた。その意図は、近代法である日本民法をそのまま朝鮮に適用したら様々な問題が発生するだろうと予想し、近代法に適合しない旧慣を調査した後に朝鮮独自の民法を作ろうとしたのだった。

だが実際に調査を進行してみるとこうした予想は外れ、近代的所有権と極めて類似した土地所有権がすでに朝鮮には存在していたという事が確認された(宮嶋博史論文、「日本史認識のパラダイム転換のために」)

以下は梅謙次郎が伊藤博文に送った報告書の一部だ。

「現在としては、一般的に土地所有権を人民に認定しているという事は疑いようがなく見え(中略)要するに所有権と言える権利が朝鮮の人民には少なくとも数百年前から認定されてきたという事は否定出来ません」

これはアメリカの東アジア専門家ブルース・カミングスが朝鮮を「農業官僚社会」と規定した事とも脈を同じくする。


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/371500416334242
「優れた朝鮮」は初めてという方々の為に
金甲洙近現代史特別講座(3)

今日の私の文は「優れた朝鮮とは初めて」という方々の為に急ぎ掲載するものだ。最近になって朝鮮を正当に評価する良い文章達が多く生産されているが、その中でも今日は三星経済研究所刊「韓国と日本方程式」に収録された韓永愚教授(한영우 ハン・ヨンウ ソウル大国史学科)の論文「法古創新と東道西器の道」を一部だけ抜粋して紹介する事にしたい。

「一流国家になろうという夢は今日の我々だけでなく昔の祖先達も同様に持っており、実際にあの時代の水準から一流国家を不断に生産してきた事が我々の歴史である。

中国人達が我が国を「君子之国」または「東方礼儀之国」と指して言い、我が国の使臣を周辺各国の使臣の中で最も上席に配置しながら手厚く優待したのは、国際社会で一流国家として認識されていた事を端的に証明するものだ。我が国の通信使が日本に行けば国力を傾く程に厚遇されたのも、我々が一流国家であったからだ。実に我々は20世紀100年を除けば常に一流国家として生きてきた。

朝鮮王朝は特に各王朝の中でも最も模範的な国家と言える。伝統文化の韓国的特性が最も洗練されて発現したのがこの時代であり、中国文化を情熱的に受容したのもこの時代であり、朝鮮後期には西洋の天主教と科学技術に対しても最初は比較的友好的に受け入れた。相手が我々の伝統文化を正面から破壊しようという侵略性を露にしない限り、常に心の扉を開いて外来文化を摂取してきたのが我が祖先達の基本姿勢であった。

我が国は儒教の為に科学技術が発展出来なかったという俗説は根拠のない話だ。むしろ日本人達が持てなかった人文的教養と全人的思考力は、これから我々が日本を凌駕する一流国家になれる潜在力であるとみなさねばならない。

朝鮮王朝が果たして日本の武力によって国恥を受けたといえども、侵略者を批難すべきであって祖先を責める事ではない。紳士が不良の輩に殴られたからといって、紳士を咎める事が出来ないのと同じ脈絡だ。我々は国恥以後100年間、朝鮮王朝を恨みながら生きてきたが、これからは朝鮮王朝の名誉回復の為に努力すべき時だ。それが歴史に対する虚無主義を克服して新文明を創造する活力素となる事だろう」


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/371545222996428
昨今の大韓民国、朝鮮末期よりもましなのか
金甲洙近現代史特別講座(4)

国が滅びるのには二つがある。一つは自ら滅びる「破亡」であり、もう一つは外部勢力の侵略によって滅びる「敗亡」だ。朝鮮は日本によって敗亡した王朝である。それならば、もし日本が侵略しなければ朝鮮はどうなったろうか?

朝鮮が末期に入って急速に衰退の道に入った事は否定出来ない史実だ。表現を変えるならば、朝鮮は19世紀に入って破亡の道を歩んでいたといえる。だが人類の歴史で滅びなかった国はない。ましてや朝鮮は518年という最長寿の王朝寿命を維持した国だ。

日本が朝鮮を侵略しなければ、朝鮮はどのようになったろうか? 自己内部の改革または革命で生まれ変わり、次の寿命をつないでいった事だろう。この過程で国号を変更する事になって、「朝鮮」という名は歴史の裏道に押し出された可能性もある。

我々には滅び行く朝鮮を再生させる事も出来た歴史がなかった訳ではない。私はそこで東学を挙げるのを躊躇しない。東学は実に偉大な「挙事」であった。そして東学は革命へと昇華させられるハードウェアとソフトウェアをあまねく備えていた。

東学軍は最低でも朝鮮半島の60%以上の地域で挙兵した。東学軍が掲げた「弊政改革案(日本では「秕政改革案」と記述される事が多いが、正しくは「弊政」である:訳注)」は非常に革新的であり、特に東学軍の対民指針は50年後にも興起する中国共産革命軍のものよりも優れていた。

最近になって、当時の東学軍指導者達がどれだけ優れた人格体であったかを証言する日本側の記録が大量に発見されている。その記録達は一様に東学軍指導者達を「見識ある者達だ」「朝鮮国民の中の先覚者だ」と語っている。(日本「香川新報」など)
だが東学軍は日本軍によって殲滅された。当時日本軍が打ち出したスローガンは「匪徒掃滅」というものだった。1890年に東学軍が殲滅された事によって朝鮮は再起の機会を喪失し、1910年代義兵の壊滅によって朝鮮はそのものが台無しになってしまった。

朝鮮に正規軍がなかった訳ではない。日露戦争と乙巳勒約を体験した1905年の時点においても3500名の官軍が残っていた。日本は朝鮮の官軍を解体させた。すると彼らは義兵に変身して抵抗したが、やはり日本軍によって制圧された。

重要なのは、もし日本軍がいなければ東学革命は間違いなく成功していただろうという点だ。文治を志向した朝鮮は伝統的に民乱に寛大であった為である。これは日本軍が入って来て、東学軍対処レベルを調整する為に調査した報告書にも表れている。反乱民軍に最も野蛮的に対処したのは、自分達が精一杯近代化だと自称していた明治維新以後の日本政府である事を知った日本人達は、当惑を隠す事が出来ない。


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/372006292950321
一体アメリカは何をしたのか
朝鮮は「滅びた」のではなく「してやられた」のだ
金甲洙近現代史特別講座(5)

日本が朝鮮を強奪するのにアメリカの果たした役割はどの程度であったか? これまでは黙認・幇助したというのが定説だった。我々は桂・タフト密約を知っている。ここで桂とは1905年当時の日本首相であり、タフトとはアメリカ陸軍長官で3年後にアメリカ第27代大統領になる人物だ。

最近になって、日本が朝鮮を強奪するのに(米国は)黙認・幇助する程度ではなく積極的に周旋して駆り立てたという主張があちこちで提起されている。日本の朝鮮独占が決定付けられたのは日露戦争だったが、まさにこの日露戦争に天文学的な戦費を支援したのがアメリカであった。

(中略)

ならばなぜ西欧帝国主義国家達は日本を支援したのであろうか? 中国大陸を征服したがっていた西欧帝国主義国家達は、中国と日本の連合戦線を未然に防止する必要があったのだ。ここに付和雷同してアジアに裏切りをうったのが日本であり、それが初めて結実した歴史的事件が明治維新というものであった。

このような状況で亡ばない国がどこにあろう? こうして見た時、朝鮮は「滅びた」のではなく「してやられた」のだった。なぜなら当時の朝鮮は騙されたあまりに日本を除く西欧列強の侵略下心を知る事が出来ず、特に開化知識人達の場合むやみに西欧を憧れて羨望する愚かさまで露出したからだ。

列強も列強だが、問題はまさに「銃」にあった。東学軍は竹槍と火縄銃を手にしていたが、日本軍は最新式ライフル小銃で武装した軍隊だった。数十万の東学軍と義兵を殲滅したのは、わずか4000人の日本軍が所持した現代式兵器だった。

ここにもう一つの疑問が提起され得ると思う。「いかに日本軍が新式兵器を持っていたとしても、数十万の兵力と1000万の人口があった朝鮮がやられたのは問題ではないか?」だがこれは旧式武器に対して「銃」が持つ恐るべき威力を知らない為に言う言葉だ。

(中略)

朝鮮が劣っていて滅びたのか? それならば次の論理に承服せねばならない。

一人の少女がいる。少女がどこにいようと関係ない。男が近寄ってナイフを突きつけ、スカートを脱げという。少女は拒否する。すると男はガス銃で少女を気絶させた。男が汚れた欲望を満たしている間、少し遠くでは警察達が見張りをしてやっていた。

この少女は劣っていてやられたのだろうか? 行いが悪くて、あるいは服装がけばけばしくてやられたのだろうか? そうでなければ、少女が男のようにナイフとガス銃を持っていなかった為にやられたのだというのか? このように答える人間は、朝鮮が劣っていて滅びたのだろうと言っても差し支えないだろう。ただその者は帝国主義的な人格を持っているか植民史観に染まった人間だ。


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/374435452707405
西欧崇拝日本を他山の石とせねば
「間抜けな奴」がうようよしている大韓民国
金甲洙近現代史特別講座(7)

21世紀に入って日本はアジアにおいて周辺国へと押し出されている。シンガポール・香港・台湾の国民所得は早々に日本を抜き去っており、韓国も日本の国民所得の90%ラインまで肉迫して入った。日本の国家競争力が中国に押されて久しく、遠からずインドにも遅れる事が確実視される。

日本は韓国との関係が円満ではなく、中国とは疎遠で、朝鮮共和国との関係はほぼ敵対的な水準だ。のみならず、日本は地震・台風・火山噴火など自然災害の恐怖から一時も自由になった事がない国だ。

(中略)

事実日本の後退は全くおかしな事ではない。歴史の目で見た時はなおさらそうだ。日本は明治維新以前である19世紀中頃までアジアの中心国家だった事がない。したがって周辺国家であった国が再び周辺国家に戻る事をおかしく思うなら、それこそまさにおかしな事ではないか?

宮嶋博史教授は論文「日本史認識のパラダイム転換のために」で、「現在日本は経済的にはどうだか分からないが(それも相当におかしくなっているが)政治的にも社会的にも周辺各国に遅れている」と語るが、こうした観点は日本の学者達の間でもはや広範囲に共有されている。

断言するが、私は日本が再びアジアの中心国家となる可能性はないと見る。


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/375137185970565
先烈達の尊姓大名を呼ばわせよ
南満州の抗日烈士達
金甲洙近現代史特別講座(7)

李紅光(리홍광 リ・ホングァン)を知っているか? 1910年に京畿道龍仁で貧農の息子として生まれた彼は、1931年に南満州で初めて抗日武装闘争隊伍である赤衛隊を組織した人物だ。同時に彼は卓越した武装闘争の指導者であったばかりか、農民運動の指導者でもあった。

「李紅光は抗日武装闘争の輝ける指導者の中の一人にして革命軍首領であり、共産党員であった。強烈に日本に抵抗し、艱苦奮闘した彼の業績は誰もがよく知る所だ」(1938年 毛沢東)

「東北抗日連軍の参謀長であり、第1軍第1司長であった李紅光同志は抗日連軍の中でも一番高位の首領の一人だった」(1946年中国「解放日報」【南満州を揺るがした李紅光同志】)

李紅光烈士は1935年5月、華子区黒瞎子望近辺で26歳の若い歳で戦死した。

似た名前の李東光(리동광 リ・ドングァン)を知っているか? 1904年に咸鏡北道慶源郡で生まれた彼は、1936年東南満州省委員会組織部長を歴任した。彼は群集事業の卓越した指導者だった。彼は南満州で農民達から最も厚い信望を得た。祖国光復会南満州代表として猛烈に活動していた彼は、1937年に黄土江山突破戦で戦死した。彼は名前の似た李紅光と共に南満州抗日闘争史に赫々と記録された先烈である。

許亨植(허형식 ホ・ヒョンシッ)を知っているか? 1909年に慶尚北道亀尾で生まれた彼は、哈爾浜メーデーデモで投獄され、満州事変以後出獄した。1930年序盤から反日遊撃隊に加担した彼は、抗日第3路軍総参謀長などを歴任しながら柳樹河子村戦闘、拉拉屯戦闘、五道崗戦闘などで優れた軍事的能力と自己犠牲精神を見せてくれた。日本軍の大討伐によって小部隊遊撃戦に転換して以後も彼は現場を離れず最後まで闘争し、1942年8月壮烈に戦死した。当時の先烈の歳は33歳であった。

楊林(양림 ヤン・リム)を知っているか。楊林の名になじみがなければ彼の本名・金勛(김훈 キム・フン)を記憶しているか? 3.1抗争以後中国に入った彼は、モスクワ東方労力者大学に留学した後、1930年に遊撃闘争の指導者となった。以後中国共産党に抜擢され、江西ソビエト地域に転勤した彼は、紅軍大学教官職を遂行しながら大長征に参加、多くの武功を立てた。惜しい事に彼は大長征を終えた直後、毛沢東の直接率いる東征戦闘で38歳の若さで戦死してしまった。

友らよ 備えよ 手にした武器
帝国主義侵略者を打ちのめし
勇進勇進 進めや 勇敢に
億千万回死のうとも 敵を討とう
(遊撃隊行進曲)

李秋岳(리추악 リ・チュアッ)を知っているか? 彼女の本名は金錦珠(김금주 キム・グムジュ) 、1901年に平安南道の貧しい農民の家庭で生まれた彼女は、7歳の時に父を失って母と友に片や勉強、片や労働して育った。彼女の学習熱は大変なものだった。彼女は国内独立運動の渦中でも大変な読書をした。3.1抗争以後指名手配されて中国に渡った彼女は楊林と夫婦の縁を結ぶ。彼女は行く先々で抗日演説を敢行、朝中人民が連合して抗日武装隊を組織して帝国主義の侵略に反撃しようと訴えた。

1932年秋、李秋岳は中共珠河中心県委に派遣された。彼女は県委委員、婦女部長、鉄北区委書記などの職務を務めた。彼女はすでに反日遊撃区の著名な抗日女性英雄となっていた。1936年8月27日、彼女は敵達に逮捕されて酷い拷問を受けるが、最後まで屈服しなかった。日本軍は1936年9月3日通河城西門外で彼女を銃殺した。その時の烈士の歳は35歳だった。

東満州第2軍パルチザン女性大将・金确実(김확실 キム・ファッシル)を知っているか? 第6師団不死鳥裁縫隊長・崔姫淑(최희숙 チウェ・ヒスッ)を知っているか? ならば第4師団機関銃女性班長・許成淑(허성숙 ホ・ソンスッ)を知っているか? 彼女が間三峯戦闘で轟かせた威容を覚えているか?

「残酷な刑罰は革命戦士の筋肉と骨を削る事は出来るが、女性英雄の確固たる意思を屈服させる事は出来なかった。敵は何とかする事が出来なくなるや、許成淑同志に死刑判決を下した。許成淑は死を少しも恐れなかった。ただ戦友達と共に民族の解放を戦い取れなかった事が惜しまれるだけであった」(満州抗日烈士列伝)

許成淑は叫んだ。「私は朝鮮民族の娘です」瞬間、銃声が響き、烈士の歳は24歳であった。

名前のみ羅列するにも紙面が足りない抗日烈士達、ここへ無名の烈士達まで合わせて夜空の星ほどにも数多く、そして玲瓏と輝くべき先烈達の名を我々は覚える事が出来ない。いや、彼らの名を呼ぶ事すら禁句視されている現実で、我々はせいぜい梨花学堂出身の柳寛順(류관순 リュ・グァンスン)烈士の名について何だかんだと言い争うだけだ。我々に先烈達の尊姓大名をまともに呼べるようにしてくれ。


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「朝鮮革命が完成する前には、私にとって平和は苦痛なだけ」
三分法で見る朝鮮独立運動勢力
金甲洙近現代史特別講座(9)

我々の独立運動は大きく三つに分けて見る事が出来る。上海から重慶に至る臨時政府中心勢力、広東蜂起から大長征そして延安に至った中国人民革命参加勢力、最後に間島すなわち満州反日武装闘争勢力だ。

便宜上上海派・延安派・満州派と呼称するならば、まず上海派は光復軍、延安派は朝鮮義勇軍、満州派は朝鮮人民革命軍を組織したという点が最も重要だ。最近北朝鮮で言われる「白頭山血統」は満州派に属する。

ただこのように単純に三分法のみだと、早くからソウル都城で義兵を起こした旺山・許蔿(허위 ホ・ウィ)、沿海州へ行って闘争した安重根(안중근 アン・ジュングン)、北路軍政署総裁・徐一(서일 ソ・イル)、青山里の主役達である洪範図(홍범도 ホン・ボムド)金佐鎮(김좌진 キム・ジャジン)李範奭(리범석 リ・ボムソッ)などと、いわゆる北京派として無政府主義と関連する李会栄(리회영 リ・フェヨン)などを外してしまうかもしれない。


https://www.facebook.com/photo.php?fbid=375522402598710&set=a.126958834121736.27678.100004228604235&type=1
「歴史の神」を冒涜する朴槿恵政権
最善の独立運動勢力は「満州派」だった
金甲洙近現代史特別講座(10)

独立運動の第3列、3列とは言うがこれら満州派こそ最も純粋で熾烈で体系的で自主的に武装闘争を展開した勢力であった。李紅光、李東光、許亨植、崔庸健(최용건 チウェ・ヨンゴン)、金策(김책 キム・チェッ)、金日成(김일성 キム・イルソン)、崔賢(최현 チウェ・ヒョン)、姜健(강건 カン・ゴン)などが代表性を帯びる。これらのうち生き残った崔庸健、金策、金日成、崔賢、姜健らは朝鮮民主主義人民共和国の権力核心となった。

これらは東北抗日連軍という名で中国軍と合作して抗日闘争を展開した。だが朝鮮人達の資質が何分にも抜きんでいた為、別に朝鮮人民革命という呼称が付与されもした。抗日遊撃戦の中で普天堡戦闘と間三峯戦闘は特に有名だが、この二つの戦闘はみな金日成が指揮したものだ。金日成は論理的ながらも親和力とリーダーシップがあり、中国共産党とソ連共産党からいずれも認められた。


金甲洙氏のこの連載は全72回にわたって連載されたもので、近日書籍化の予定もあるという。今はとても全てを翻訳する余裕がないので、とりあえず必要な部分だけ翻訳抜粋して御紹介した。以前に御紹介した「徐仲錫の現代史の話」と並んで、ぜひ同胞はもちろん日本人にも一読を進めたい。もちろん徐仲錫教授の記事と同じで一部細かい部分で筆者とは歴史観や見解を異にする部分はあるが、朝鮮半島の近現代史を知る為の読み物・入門書としては優れた内容であろう。
とりわけ金甲洙氏は、日本の右翼や韓国のニューライト勢力が主張する「朝鮮王朝は何もかも劣っていた国だから植民地化された」という植民史観の誤りや、日本のアジア侵略の背後でアメリカが果たした極めて重要な歴史的役割などを度々強調する。これらは意外に見過ごされがちだが、極めて重要な歴史的視点である。特にアメリカが日本の朝鮮侵略において共犯・教唆犯であったという史実は、「日本の歴史家を支持する声明」を考える上でも重要なポイントだ。日帝の被害国である朝鮮半島や中国の研究者を排除し、加害国側であるアメリカと日本側が勝手に自分らの都合ででっち上げて一方的に押し付けてきた声明に正義はあるのか? 
「桂・タフト密約」と「日本の歴史家を支持する声明」にどれほどの違いがあるというのか?
帝国主義列強が裏で手を組んで植民地の分け前を話し合う。それは今も昔も本質的に変わらない。
金甲洙氏のこの記事に関する詳しい推薦と紹介はまた改めて後日書きたいと思う。

今回これら金甲洙氏の記事を翻訳して取り上げたのは、例の関川夏央の酷過ぎる民族差別主義と歴史修正主義へのちょっとした反証でもある。関川という作家の差別暴言や歴史歪曲・捏造について筆者は前々から問題と思っていたのだが、最近はそれに拍車が掛かっているようだ。しかもそれを岩波書店の編集者が幇助・教唆している。朝鮮侵略・攻撃の現場犯と幇助犯。これではまるで日帝と米帝の関係ではないか(笑)!

・関川夏央
「韓国がそれ(ナショナリズム)にすがるなら、北朝鮮の愚行と蛮行を恥じなくては平仄があいません。韓国がそのあたりをあえて無視しているのは、やはり「物語」だからだね。――というようなことを岩波書店の坂本政謙さんに話したところ、それをぜひまたやってください、といわれました。」

・日露戦争当時の日銀副総裁・高橋是清
「韓国がロシアにすがるなら、日本は愚行と蛮行を厭わず戦争しなくては領土拡大が出来ません。日本がロシアと戦争するのにそのあたりで障害になっているのは、やはり「戦争資金」が足りないからだね。――というようなことをアメリカはクーン・レーブ商会のジェイコブ・シフさんに話したところ、金貸すからそれをぜひやってください、といわれました。」

…冗談はともかく、関川の民族差別主義は桜井誠・野間易通・石丸次郎・橋下徹らの、歴史歪曲・捏造は八木秀次・藤岡信勝らのそれとほとんど同じレベルの酷さだろう。桜井・野間・石丸・橋下・八木・藤岡の特に酷い部分だけを一身に寄せ集めて出来上がった不細工なキメラが関川夏央の人間性という事だ。
そもそも「日本時代の韓国には、事実上独立運動はなかった。独立は日本の敗戦によって自動的に得られたもので、解放後も新政府樹立を名のり出るものはいなかった。」とか言ってる時点で、一般常識レベルの歴史すら知らないか嘘をついているのは明白だろう。それを積極的に駆り立てている岩波の坂本とかいう編集者も凄いが、そもそも関川の嘘など韓国の作家の記事をわざわざ翻訳引用するという面倒なことをせずとも、他ならぬ岩波自身が刊行した雑誌に載っている宮嶋博史の論文一つで完膚なきまでに粉砕されるレベルのものではないのか。坂本という編集者はこうした自社刊行物の中身すら十分に把握していないと見える。それとも宮嶋教授は「岩波書店の著者」ではないとでも言いたいのだろうか。
関川とそれを喜んで起用する編集者。これはまさに現在の岩波書店の惨状を象徴する事例に他ならない。
さらに言うと関川と坂本は、アジア各国に古くからある民族主義や、ナセル時代のエジプトやカダフィ時代のリビア、今ではキューバやベネズエラなど南米左派政権諸国の反帝民族主義というのを全く理解出来ていない。それらを欧米日帝国主義諸国の国家主義とごちゃ混ぜにするという重大な誤謬を犯している。アジアや第三世界の民族主義と帝国主義国家の国家主義は根本的に別のものだ。いや、関川らもこれらの区別がついていない訳ではないだろう。これらの差異にちゃんと気付いており、自分ら「日本鬼的軍国主義」の邪魔となるアジアや第三世界の民族主義を抹殺せねばならない必要性から、ああいう誹謗中傷を言っているに過ぎない。
こうした被侵略国や弱小民族の民族主義に対する先進国の攻撃性という観点もまた、「日本の歴史家を支持する声明」を考えるのに重要なポイントである。

関川にせよ坂本にせよ、安倍晋三と同じで呆れるほど帝国主義的人格と植民史観に染まった人間である。それこそ「レイプされた少女が悪い」と平然と言ってしまいそうなぐらい、骨の髄まで「日本鬼的軍国主義者」だ。


「笑壊人、日本鬼的軍国主義就是不死!」
(笑わせるぜ。ジャップの軍国主義は死なずって事か!)


「関川夏央・坂本政謙・安倍晋三都是面皮極厚、対嘲諷置若罔聞」
(関川夏央・坂本政謙・安倍晋三はいずれもツラの皮が分厚く、嘲笑われても聞き捨てている)

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