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松竹伸幸は「変節者」ではなく「変質者」

斉藤貴男の子宮頸がんワクチンの本を探しに近所の本屋へ行ったが置いていなかった。やむなく他の大きな書店で探そうと思っていたところ、代わりにとんでもなく酷い代物を見ちまって、もの凄く気持ちが悪い。例の自衛隊を活かす会の松竹伸幸の新刊だそうで、タイトルも「慰安婦問題をこれで終わらせる。」という。こんなおぞましい代物を見に本屋へ行ったんじゃないのに、どうしてくれるんだと八つ当たりしたくなった。ああ、気持ちが悪い!

この松竹とかいう男は左翼とか右翼とか以前に、言ってる内容があまりに非論理的で、歴史的事実にも全く整合しない事ばかり並べ立てて文字通り話にならない。藤岡信勝辺りと言ってる内容も水準もほとんど違わないのだが、両者の違いは「右翼への転向」を明言したかどうかだけでしかないだろう。有田芳生にせよ西部邁にせよ藤岡にせよ、昔であれば左翼を辞めて右翼になった事を堂々と明言するものだが、今時の新派(?)転び左翼というのはそうしない。「自分は左翼(または護憲派)」という表向きの「立場」だけはキープしたまま「右派との協調」を掲げる。早い話が「佐藤優現象」だ。松竹はまさにその典型例だろう。

今回の本もざっと本屋で流し読みしただけだが、それでもこの本を一言で言い表わすと「帝国の慰安婦便乗商法本」という事に尽きる。言ってる内容が朴裕河の「和解」論とほとんど違わないからだ。松竹自身あとがきで「この本の生みの親は『帝国の慰安婦』」というような事を明言しているし、明らかに釣られて同調した、それも目新しい内容が皆無の安易な焼き直し便乗本という事を御丁寧にも自分で白状しているのである。こういうのは物書きとして本当に恥ずかしい事のはずだが、それを堂々と言ってしまう辺り、松竹という男はある意味「正直」なのではあろう。
朴裕河はああ見えて日本の右翼から露骨に賞賛されるのを(表向き)喜ばしく思わない。「「朝日新聞」の読者であるようなリベラル派の需要を満た」す事を主眼に置いている以上、韓国内で「日本右翼の代弁者」という攻撃を受けるのは甚だ都合がよろしくないのだ。なので、和田春樹のような「日本の良心勢力」や松竹のような「日本左翼」からの「援護射撃」がどうしても必要になる。松竹も及ばずながらそうした「援護射撃」に商売も兼ねて馳せ参じた。
「今後、誰が、どのような形で好意的に紹介するかにもあわせて注目すべきであろう。本書はある意味ではその対応を通じて評者たちの「見識」を露わにせずにはおかない、ある種の破壊力を持っているからである。」
という事を松竹は早速自分自身でものの見事に体現してくれた訳だ。

この本のキモさの一つは恩着せがましさにある。この本というより、松竹伸幸という男の人間性がそうなのではないか。この本の最初の方を流し読みして仰天したのは「日本の左翼には植民地支配や侵略戦争に命懸けで抵抗した者がいる。自分もそのDNAを受け継いでいる(要旨)」という下りだった。松竹は自分を「アジアの解放者」と言わんばかりに自画自賛して悦に入っている! ああ、気持ちが悪い! 日本の右翼が「大日本帝国はアジアの解放者」と言って正当化・自画自賛するのと何が違うんだ? 旧日本軍の流れを汲む自衛隊を安保の為に「活用」しようとし、ヨーロッパ帝国主義国家の植民地侵略が「無主の地」の先占しただけなどという認識の者が「アジアの解放者」を気取るというのが凄まじい。「俺がおまえ(アジア)を解放してやったんだ」というエラソーな身勝手さで「和解」を強要する。まさに粘着質なDV男かストーカー変質者の気質そのものではないか。そもそもおまえら(松竹を含むその手の日本人)が植民地侵略をしなければ何の問題もなかっただけの話なのに、何を偉そうにしているのか!
松竹という男は共産党でありながらこういう帝国主義・軍事優先主義丸出しな為、よく転向・変節者ではないかと言われるが、正確にはDV男気質の「変質者」というのがぴったりであると思う。
ああ、気持ちが悪い! キモい!

この本のもう一つのキモは従軍慰安婦問題と植民地支配責任の切り離しを図っている所だ。やはり最初の方で「植民地支配や侵略戦争に対しては何度でも謝ったらいい。だが従軍慰安婦問題は日韓関係の為に終わらせた方が良い」(要旨。うろ覚えだがこんな主張だったと思う)みたいな事を言っていた。従軍慰安婦はまさに植民地支配の下で行われた日帝の犯罪行為の一つである。それだけを特別別個に切り離して「終わらせる」とはどういう事なのか。松竹は従軍慰安婦被害者の為に、みたいな事を言ってもいるが、これほど被害者を愚弄した話はない。「植民地支配については何度でも謝る(誤る?)が、従軍慰安婦問題は終わらせる」つまり、これポッキリで従軍慰安婦問題については謝罪も何もしないようにするという宣言だ。この場合、もし被害者が何か言っても、とりわけ過去の証言をどこかでしゃべったりしようものなら「終わった話をまだ蒸し返すのか」という集中砲火を日本側から浴びるようになるのは間違いないだろう。被害者達をさらに虐げて苛む結果にしかならない事は100%保障付きである。
そもそも日本の朝鮮植民地支配の中でもとりわけ従軍慰安婦問題が大きく騒がれるようになったのは、あの残虐な植民地支配の中においてすら従軍慰安婦の問題はとりわけ残忍かつその非人道性が群を抜いていたからだ。そうした日帝植民地支配を特に象徴する案件だけを「切り離して終わらせる」というのは、それだけ従軍慰安婦問題が松竹のような日本人にとっては「本丸」であり、何としても「落城」させねばならないという事である。それさえ落ちれば後は骨抜きだ、と。もしそうなれば、究極的には日帝植民地支配責任の問題全体を分断させ、これを無力化させる事につながるだろう。本当に日本が反省して謝罪するというなら、従軍慰安婦問題も含めて植民地支配の全てに真摯な謝罪と補償をすれば良いだけの話なのに、そういう事は絶対にしない。日本のどこぞの地方自治体やエセ自然保護団体にも通底する、このような悪質な手口に決して騙されるべからず。

まあ、本屋でこの本を見つけても立ち読みには要注意である。とにかく気持ち悪過ぎる内容なので、これを読むのはちょっとした「キモイもの見たさ探検隊」だと考えるべきという事を老婆心ながら忠告しておきたい。

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