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「延坪島紛争」で読んでおくべき韓国の報道その3

前回に引き続き林東源インタビューの翻訳です。これを読めば日本で報道されている朝米間の核問題が、いかに嘘だらけかがよく分かるでしょう。別名「石丸次郎が教えない朝米間の歴史」(笑)。
原文URLはこちら
(訳 ZED)


「米国が教えてくれたと? 証拠もなかった」
 
プ:発表文を見ると北朝鮮のウラン濃縮プログラムは1997年から米国マスコミに報道され、ジェームス・ケリー米国務省次官補が2002年訪韓時に関連情報を教えてくれたとされているが、それは確かなものではなかったとされている。
 
林:事実、その当時には南北関係が活気に溢れていて2002年8月30日には小泉純一郎日本首相も朝日首脳会談の為に9月17日に平壌を訪問すると言う計画まで発表された。しかしその直前に米国務省内対朝強硬派であるジョン・ボルトン国際安保担当次官が韓国を訪問した場で、国防部長官らに「北朝鮮が1997年から推進してきた高濃縮ウラン(HEU)生産計画が憂慮すべき水準に達した」とし「これは北朝鮮との関係改善において障害要因になりうる」と言った。
 
これは小泉総理の訪朝日程が知らされてから、それを阻止する目的があったものと思われる。その頃韓国政府が南北鉄道を連結する為に、非武装地帯の地雷を撤去しようとした時も(ボルトン次官らは)否定的な態度を見せた。
 
当時、我が政府は米国側のそのような態度に対してまともではないと考えた。両国の情報機関同士でまずは協調し、我が情報機関が(米国側から得た情報を)我が政府に報告するのがまともな情報共有の過程なのに、政治家であるボルトン次官がソウルに来て韓国国防部長官と外交通商部次官補に言うのは少し異例だ。おまけに訪韓目的は「講演」だったのだ。
 
北朝鮮のHEU生産疑惑は1997年「ワシントンタイムス」が二日間一面でトップ記事にするなど大々的に報道する事で全世界に知られ、その時から韓米双方の情報機関がたゆまず追跡してきた。両国情報機関は定期的に情報交流及び評価会議をするなど協力を強化してきた。2002年6月頃までは進展した情報を確保出来なかったというのが、6月当時韓米情報機関同士の会議内容だ。
 
しかしボルトン次官がおかしな発言をするので我が情報機関が確認してみると、情報機関の間ではそのような情報交流はないという事だ。米国側から情報を公式に通報してもくれなかったのだ。
 
同年10月3~5日に予定された訪朝を前にして、ケリー次官補がソウルに入った。ブッシュ大統領が金大中大統領に電話して「大胆な接近」をしに特使を送るとしたので「これでようやく朝米間の緊張関係を解消する為に特使を送るのだな」と思った。
 
事実その前までは韓国政府が、北朝鮮と対話して協商せよと言っても駄目だと言うのがブッシュ行政府の立場であり、それに北朝鮮は「悪の枢軸」であって先制的軍事攻撃で除かねばならない政権だというのが「ブッシュドクトリン」の立場ではなかったか。ボルトン次官は「イラクの次には北朝鮮だ」とまで言った。そこで我が政府はケリー次官補の訪朝を(朝米関係改善の為の融和的ジェスチャーと見て)内心歓迎した。
 
ところが実際にケリー次官補と会ってみると、そのようなものでは全くなかった。「北朝鮮がウラン濃縮プログラム(UEP)を推進しているという事を米国は知っており、これを廃棄せねば対話はない」と通報しに行くのだという。
 
そこで「もし北朝鮮がUEPを推進するというのが事実ならば、なぜ情報機関同士の情報交換がないのか、韓国政府に正式に情報を提供せねばならないのではないか」と聞くと、結局ケリー特使の訪朝以後である10月7日に米中央情報局(CIA)チームがソウルに来て我が政府当局者にブリーフィングをした。
 
その最初のブリーフィングを私も一緒に聞いた。(林前長官は当時、青瓦台統一外交安保特別補佐役として在任中だった)ブリーフィングの内容は「北朝鮮が地下にHEU生産施設を建設している最中であり、遠心分離機も充分に確保している」というものだった。またCIAは北朝鮮が2005年からは1年に核爆弾を2個ずつ作れる高濃縮ウラン(HEU)を生産するだろうとの情報判断を伝えて来た。
 
そこで「これは並みの深刻さではないが、証拠はあるのか」と聞くと、確証はないという。それで「私は国家情報院院長までやった人間だが、不確実な諜報水準のものを政治的に解析して情報と言えるのか、参考にはするがこのような水準の情報を根拠に対北政策を変える事は出来ない」と釘を刺した。
 
米国が提起した不確実な諜報である「金倉里(クムチャンリ)地下核施設疑惑」の為に1998年にも戦争が起こる所だった。それは当時からわずか4年前の事だ。米国で食料60万トンを北朝鮮に提供してやり、その代価として現場へ行って調査してみると、違うという事が判明したのだ。このような失敗を繰り返してはならず、朝米間緊張関係は望ましくないとい思った。もちろん北朝鮮の核開発を認める事は出来ない。だが確証のある情報を持って対処せねばならないではないか。今から緊密に情報協力を維持して、確証をまずは確保した後で対策を論議するのが正しいと思う。
 
当時このような私の考えを米国側に伝えた。しかしどうして、米国が私の言う事を聞くものか(笑)。そのまま米国ネオコン達が最初に計画した通りに引っ張られて米国の対朝政策は定められた。
 
当時我が政府が心配したのは朝米間の「ジュネーブ合意」が決裂する事だった。ジュネーブ合意の骨子は、北朝鮮がプルトニウム生産活動などを中断する代わりに韓米などの西側が軽水炉を建設してやるというものだが、もしこの合意が決裂したら北朝鮮は(1994年以後)8年間中断していたプルトニウム核活動を再開するものと見られた。当時の状況からプルトニウムプログラム再開にはさほど長い時間は掛からないであろう反面、UEPはまだ疑惑提起水準であった為に時間が多く掛かるだろうと見られた。
 
そこで急がれるのは北朝鮮のプルトニウムプログラムを防ぐ事だという判断の下、ジュネーブ合意に致命的な影響を与える事を憂慮して慎重に対応しようとしたのに、米国は軽水炉提供プログラムを中止して重油供給も中断するなど「暴走」した。結局2003年1月に北朝鮮は核拡散禁止条約(NPT)脱退宣言をして核開発を再開し、2006年10月に第1次核実験をしたではないか。そこで米国では北朝鮮の核爆弾を「ブッシュの核爆弾」とも呼ぶ。ブッシュ行政府の無策な対朝強攻策が北朝鮮の核開発を助けてやったという意味だ。
この項続く)
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