今回の「延坪島紛争」で、日本では予想通りと言うか北朝鮮許すまじの大合唱報道でした。韓国の方はどうかというと、朝中東(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)の保守3紙は言うまでもありませんが、ハンギョレ新聞までもがこれら保守紙と違いのない好戦的な社説を掲げたのには本当に驚くと同時に大変な失望を感じました。ハンギョレまでもがこのザマとは…。ただ、ハンギョレ新聞がこのザマだからといって韓国の報道が日本のように「好戦論」一色だったのではありません。同じ市民派メディアでもプレシアンは比較的冷静で、南側が米軍と共同で軍事演習を行っていた事(つまり南が先にさんざん北を挑発したという事)が今回の引き金になった事や、現地入りした仁川市長が住民から聞いた話(韓国軍の演習砲撃が引き金で北朝鮮軍の攻撃が始まった)を自身のツイッターで公開したら右派・保守派から総攻撃を受けて該当文を削除せざるを得なかった件
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=20101126112517§ion=01
など、韓国・米国側が行った危険な軍事演習や、それに対して北朝鮮側の演習中止要請を黙殺し続けた結果が今回の事件を招いたといった数々の問題点、南北対話の重要性も指摘しています。ハンギョレは独自に日本語へ翻訳しているブログがあるのに、プレシアンは誰も専門的に日本語訳してくれる所がないので、こうした記事が日本の読者の目に触れる事がないのは大変な損失でありましょう。
そこでいくつかの記事を筆者が独自に訳して公開する事にしました。いずれも重要な内容・意見でありながら、日本のメディアやウェブでは全くと言って良いほど取り上げられていない(いや、だからこそ取り上げないのか)ので、ぜひ参考にしていただければと思います。
まずは第1回として「世界と東北アジア平和フォーラム」の代表である張誠珉(チャン・ソンミン)氏が同紙に寄稿した文章をお届けしましょう。この張誠珉氏という人は前・韓国民主党議員で、2000年に統一外交通商委員を務め(つまりちょうど金大中政権の南北首脳会談時代)、現在は上記フォーラムの代表と「韓国国際政治学会」理事を務める、国際政治学・北朝鮮政治の専門家であります。
率直に言って筆者は張氏の政治的主張や政策に100%同意する訳ではありません。特に張氏がやたらと主張する「外交大国・経済強国を目指す」という大国・強国志向はどうしても筆者には好きになれないものですし、北朝鮮の事を「管理する」という言い草は南の側の国力優位性を強調するあまり「対等な関係で互いの体制を尊重する」という6.15共同宣言の主旨とも外れている気がしてなりません。国益論を主張する辺りはどことなく日本の民主党の政治家(枝野幸男あたり)と雰囲気的に通低する感がしなくもないのですが、それでも日本の政治と報道の世界に充満している好戦論に抗する意味で氏の記事をあえて紹介します。「戦争の道でなくば対話せよ」「北の警告を無視しすぎたのではないか?」という視点が今の日本には最も欠けているでしょう。何よりも今回の軍事演習に日本軍=自衛隊が参加していたという恐るべき事実を踏まえて考えた場合、日本の平和主義者や護憲派(と称する人達)はどうあるべきかを今一度再考せねばならないはずです。
少なくとも日本の「北朝鮮専門家」と称する人間達とは違い、韓国の専門家、それも南北首脳会談と太陽政策に関わった本物の当事者が主張する所をよく知っていただきたいと思います。多分日本の「北朝鮮専門家」とは様々な面で雲泥の差がある事を実感していただけるでしょう。
テレビのニュースなどでは町が廃墟(実際に破壊された建物はごく一部)になっただの、報復を訴える韓国市民の映像ばかり流して好戦的な世論を煽り立てていますが、そうした報復感情ばかりが韓国人の意見の全てではなく、ましてや意見を代表するものでもありません。
日本の大手報道機関はいつも通りの惨状ですが、大手でない所もまたしかり。週刊金曜日やアジアプレスを見ても分かる通り、いかに当初は崇高な目的を掲げて始まった「独立系市民メディア」も、よほど気を付けていないと必ず腐敗・堕落します。それも彼ら自身が批判してきた「大手メディア」以上にひどい惨状に。今回の件ではハンギョレ新聞でさえ好戦的な社説を掲載するという愚を犯しましたが、真に反戦・平和を希求するのであればそれらに惑わされぬよう、好戦論に拍手せぬよう心がけねばなりません。
張誠珉氏のホームページとブログ
http://211.238.14.162/~netjjang/
http://blog.daum.net/_blog/BlogTypeMain.do?blogid=0IDqU&btype=0&navi=0#ajax_history_home
「『戦争の道』でなくば対話せよ」
寄稿「我らにとって大韓民国とは何なのか」
2010.11.26午前10:58:16
国家とは何か。国家とは国民の生命と財産が保護され、保障される、安定した生活の基盤である。国民の生命と財産がより安定され、より良く保護される国家は良い国家であり、そうでない国家は悪い国家(bad state)だ。ならば政治とは何か。政治とは、国家の仕事を良く管理する事が第一の義務だ。
国家とは誰が率いるのか。政治が率いる。ならば政治は誰が率いるのか。政党が率いる。政党は誰が率いるのか。政党の党首が率いる。政党の党首は誰によって率いられるのか。国民によって指導される。ならば国民は誰が率いるのか。国民の選択した国民の代表が率いる。国民の選択した国民の最高代表者は誰なのか。それはその国の憲政体制によって異なるが、大統領制を立憲主義とした国では大統領であり、内閣責任制を立憲主義に採択した国の場合は首相または総理がその国の代表者である。
今、大韓民国はどのような国家か。大韓民国という国家の政治体制は何であり、大韓民国と言う一国家の運命に責任を持つ大統領は何をせねばならないのか。大韓民国憲法66条は大韓民国大統領の地位及び権利について包括的規定を政治哲学的に明示している。「大韓民国大統領は国家の元首であり、外国に対して国家を代表する。大統領は国家の独立、領土の保全、国家の継続性と憲法を守護する責任を持ち、祖国の平和的統一の為に誠実な義務を担う」以上は我が憲法に明示された、大韓民国という特殊な国の特殊な大統領の任務だ。
なぜ大韓民国という国は特殊な国なのか。1950年に勃発した朝鮮戦争によって今まで領土統一のならない、分断された体制を持続してきた国家だからだ。しかし、我々は少し前に再び歴史の時計針を60年前に戻す惨憺たる現実を目撃した。戦争とは非常に古く、時間の経過した、しかし最近においては新しい事この上ない惨憺たる悲劇を反復した。そして殺戮とは反文明的であり、原始的な残酷性を再燃させ、言葉では「同族同士」「非核3000」を叫びながらも、行動では同族間で害し合い争い合う残酷性を再現させた。これが我々の暮らしている今日の大韓民国である。
この極端な状況へとひた走っている現実をどう見るべきなのか。それで今日の大韓民国を心配する。ひょっとしたら、延坪島から広がり出て西海岸を黒く覆った火薬臭のする砲煙によって、大韓民国という国家のブランドが全世界に刻み込まれるのではなかろうか。大韓民国大統領のイメージが747公約のように平和と繁栄と統一の時代を早める「歴史のリーダー」ではなく、何の対案もなく世襲独裁者によって無残に踏みにじられて国民に屈辱感と挫折感だけを抱かせる虚脱な時代の一「観察者」と認識されるのではないか。
大韓民国大統領がイスラエルのように単独で国家防衛力を備えた自主国防の完璧な最高司令官ではなく、米国の核航空母艦を引き入れて国家の完全な独立の道を希薄にさせ、弱小国に対する強大国の介入を自ら招いて領土を外勢に依存して保つという、従属国家のリーダーに転落したらどうだろう。このような点が心配される。今我々がどうしようもなく歩む事になったこの道が、果たして大韓民国国家の継続性を維持するのに必ずや行かねばならぬ「歴史の道」であろうか。いま我々が歩んでいるこの道が、我が未来の為の平和の道にして希望の道であろうか。
大韓民国大統領は祖国の平和的統一の為に誠実な義務を担わねばならない。ならば今、我々が進むこの道が祖国の平和的統一の為の道であろうか。
問いを繰り返さずにはいられない。
今大韓民国大統領が祖国の平和的統一の為にやらなければならない誠実な義務とは何か。北朝鮮との全面戦争を辞さずとも神の助けを信じて頼りとし、金正日・金正恩世襲独裁制に対する無差別報復と応酬をする事なのか。そして朝鮮半島をまた大戦争の泥沼へとはまらせる事なのか。さもなければ、今まで歩んで来た道とは全く違う、プロストの言う誰も歩まなかった「第3の新しい道」を歩んでみる事なのか。
その第3の道とは何か。それは敵対的提携という不便な関係を維持してでも避けてはならない「対話の道」だ。「疎通の道」だ。「共感の道」だ。その道こそがまさに共存の道にして進歩的自由の道だ。
北朝鮮は今、先軍外交を押し立てている。軍の脅威を押し立てて、韓国と米国を彼らの望む対話のテーブルに引き入れようという武力示威的外交戦略だ。これに対して我々は先制攻撃も先制打撃も先制防御も出来ない無戦略である。そこで奇襲ばかりを受け続けている。対決も出来ず、対話も出来ない無戦略だ。もう大韓民国は無戦略の沼から這い出なければならない。
その出口は対北線略と政策を変えねばならないという事だ。対北政策のパラダイムを変えてみよという事だ。対決の水位を低めて対話の水位を少しずつ高めてみよという事だ。この提案が今は雰囲気上合わないという考えもある事だろう。そして今北朝鮮と対話をせよという事は、北の脅威に我々の違約をさらけ出す弱点として映るかもしれない。
だが北との日常的対話ではなく「戦略的対話」を始めてみよという事だ。この戦略的対話とは戦略外交の手段だ。すなわち、対話はせども妥協はない、もしくは妥協はせども協商はない。そうでもなければ協商はせども我らの国益に損害を与える結論はないという式の外交的技術と戦略を持って、北朝鮮の挑発意思を沈黙の状態に引っ張っていきながら管理してゆけというのだ。そうして北朝鮮の先軍外交に立ち向かえる先経外交で、朝鮮半島のより大きな平和と安定を担保させられる良き枠組みの政策を求めてみよという事だ。
なぜ戦争の技術もないのに、いや戦争に臨めるだけの心理的準備さえもない状態でしきりに言葉でばかり戦争への道に出るのかが気掛かりだ。北朝鮮の武力挑発を防ぐ方法には軍事的方法ばかりがあるのではない。外交的方法・経済的方法が軍事的方法よりもさらに安価な費用で大きな効果を担保出来る戦略と政策になる時も多い。いわゆるソフトパワー(soft power)の威力を展開出来る外交的スキルを持ってみよという事だ。
今このまま行けば、米国航空母艦が西海を出た後に再び延坪島局地戦よりもさらに大きく残酷な、ある種の未来の脅威が迫って来る可能性を排除出来ない。もちろんその脅威は今すぐには来ないだろう。だが、我が国民達の北に対する公的な憤りが治まりきれば、その時に世の中の隙を突いて再び挑発してくるだろう。それが北朝鮮の体制維持の秘訣だ。率直に言って今のような対北戦略と政策では北朝鮮を管理出来ないと見る。
北朝鮮を焦土化させられる対決能力と自身があるならば、そしてわが国民がその道を望むというならばその道を行かねばならない。だがそうでないなら、行くべき歴史の道を政略の観点から考える必要はないと見る。前任者の道が対話の道であったからといってその道を避ける事に執着するならば、クリントンの道を避けようとばかりしていたブッシュの道を歩む事になる。その道は戦争の道であった。
三年に渡って繰り広げられた朝鮮戦争が休戦と停戦を迎える事になった核心的理由は、まさに残酷な戦争の中でも敵国同士で対話を始めたからだ。戦争中の対話の始まりが60年間の大きな平和を担保し、それが今日の大韓民国の繁栄の土台となった。それゆえ、対話の力は偉大である。
だが戦争の力は残酷なだけだ。この地球上で戦争よりも悪い事はない。だが、戦争よりもさらに悪い事がある。それは戦争を仕出かしもしない前に、その国の国民に屈辱(slavery)と恥辱(dishonour)と戦争の恐怖を抱かせる国だ。今、生活の基盤を失って避難の道にある延坪島住民達を眺めながら、私の暮らしている大韓民国がもしやそのような国になったのではないかという事が気掛かりである。
朴正煕、全斗煥、盧泰愚、金泳三、金大中、盧武鉉政権時にも我らの地・延坪島は今のような砲撃の惨禍を受けた事はなかった。延坪島住民がこれほど不安に陥った事もなかった。この島が不安でこれ以上住めないので、その地を離れる国民もいなかった。しかし今の延坪島住民は自身の長い住処を背にして離れながら、止め処なく涙を流している。我々にとって大韓民国という国家は何なのか。我々にとって政治とは何なのか。我々にとって大統領とは何なのかという事をを反芻させる。
(訳 ZED)
元記事のアドレス
当然韓国語ですので、読める方は原文でも読んでいただきたいと思います。プレシアンでは今回の事件についてこれ以外にも良い記事が多くある(それこそアジアプレスとは雲泥の差がある 笑)ので、もし手の空いた方いましたらプレシアンに限らず良質な韓国の記事の翻訳や内容の主旨を紹介するなどして、日本のより多くの市民が貴重な情報を共有出来るようしていただければありがたいと思います。筆者一人では限界があるので。
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