忍者ブログ

Home > > [PR] Home > 社会 > 北朝鮮とミャンマーの民衆を愚弄する石丸次郎の「朝・緬独裁度比べ」

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

北朝鮮とミャンマーの民衆を愚弄する石丸次郎の「朝・緬独裁度比べ」

 いちいち言ってる事がムカつく石丸次郎ですが、この男報道規制の厳しいアジアのジャーナリストたちのネットワーク」「アジアの人々から学び、そして勇気づけられる体験を通じて、インディペンデントなジャーナリズムの極北に立つ意志を固めようとしているはずのアジアプレスに所属しているくせに、どこまで「アジアの人々」を愚弄すれば気が済むのでしょうか。例によって石丸のツイッターです。
 
変な例えだが、北朝鮮が「ビルマ並み」になるのは何時の日のことだろう。ネットができて携帯電話が自由に使えて、反体制派が存在できる・・・。今のメルマガ「どっちが強い?北朝鮮とビルマの独裁政権」書いています。http://www.mag2.com/m/0001188692.html
 
北朝鮮とミャンマーを比べてどちらがひどいかを「品定め」しようというのです。はっきり言ってこのような比較は、両国の真の民主化(アメリカがイラクやアフガニスタン、中南米諸国などに押し付けてきた意味での「民主化」ではない、本当の意味での民主化です。軍事政権時代の韓国やピノチェト時代のチリ、マルコス時代のフィリピンだってアメリカや日本の政府の立場からすれば堂々たる「民主主義国家の優等生」ですから)を願う立場からは何の意味もありませんし、むしろ有害ですらありましょう。
石丸は要するにミャンマーより北朝鮮の方が独裁の度合いが強いと言いたい訳ですが、そのような違いに何の意味があるのか? 「北朝鮮はあのミャンマーよりひどいんだ」という事を強調して北朝鮮のイメージをより一層貶めているだけであり、朝日両国の外交関係に留まらず、一般的な日本人の北朝鮮観をさらに悪化させるだけではありませんか。そして北朝鮮に対する植民地支配の賠償や国交正常化といった日本が国家として必ずやらねばならない戦後補償はもちろん、民衆同士の交流や連帯なども、言うまでもなく一部権力者などよりも一般民衆の拒否感やネガティブイメージが強いほど実現が遠のきます。日本との関係が悪化して軍事的緊張が高まるほど、北朝鮮国内の統制が厳しくなって民主化も遠のくのは自明の理ではありませんか。それでなくても戦時体制の国なのですから。
 
ミャンマー側から見てもこれほどひどい比較論はないでしょう。「北朝鮮よりミャンマーの方がマシ」と思われる事で、ミャンマーの独裁がさほどひどいものではないかのような誤解すら受けかねません。ミャンマーの民主化を求める民衆の立場にとって最も大事なのは飽くまで「自国の民主化」なのであって、「北朝鮮との比較」などでは断じてないのですから(もちろん石丸次郎とその眷属どもとは違う、真に北朝鮮の民主化を求める民衆がいれば連携するにしても)。むしろ北朝鮮と比較される事でミャンマー軍事政権が「よりマシ」に思われて免罪される事の方がはるかに大問題ですし痛手です。
 
北朝鮮とミャンマーの独裁度を比較して、それが両国の民主化を求める民衆と一体何の関係があるのか? 何の利益があるのか? 全く当事者の視点を欠いた石丸の「朝・緬独裁度比べ」など両国の国民にとって、有害無益な「先進国のエゴ的視点」でしかありません。「どっちが強い?」ですって? 石丸は北朝鮮とミャンマーをシャモか闘犬と勘違いしているのではありませんか? これほど両国を見下した姿勢はないでしょう。自分を何様と思っているのか知りませんが。
 
日本は1945年8月15日の敗戦以降もロクに朝鮮に対する植民地支配の賠償をしなかったばかりか、南北分断を助長させる事をあたかも「国是」のごとくしてきました。ミャンマーに対しても軍事政権に経済支援を行い、多くの大企業が進出して工場を建設し、甘い汁を吸っています。いわば朝・緬両国の独裁体制存続に対して日本は大きな歴史的責任を現在進行形で持ち続けている訳で、その日本のジャーナリストが偉そうに独裁度の比較をして問題を弄ぶなど、何という高ビーで傲慢な態度なのか! 「民主的で金持ちな先進国が、遅れた後進国の独裁度を品定めしてやってるんだ」と言わんばかりの態度、もはやジャーナリストの名に値しません。
石丸次郎という男、ミャンマー・北朝鮮どちらにおいても、真の民主化にとって有害無益です。即刻ジャーナリストを辞めて在特会か主権回復を目指す会の活動家にでも転身して下さい(たぶん第三世界の民主化を破壊するアメリカの工作員には転身出来ないでしょう。無能・無知すぎて。だから在特もしくは主権回復へGO!)。
 
アジアプレス代表の野中章弘もいつまでこのような差別主義者を自分とこの記者として放任しておくのでしょうか? 野中自身もこれまでミャンマー軍事政権問題を取材してきたジャーナリストであり、この分野を得意な取材範囲としてきたはずです(少なくとも石丸よりは)。それなのに自分とこの報道機関に所属する「若い衆」の一人が、こんな身勝手な先進国の上から目線丸出しな記事を垂れ流すのを容認するとはどういう事でしょう。ミャンマーの民主化を真に願い、その地の「人々から学び、そして勇気づけられる体験」を是とするなら、問題を弄んでその地の民衆を愚弄している石丸次郎は絶対に許せない存在のはずです。本来ならばね。
 
「アジアプレスの理念
アジアプレス・インターナショナルは、文章や写真、映像を通して、アジア、そして世界の様々な問題を伝えていこうとするジャーナリストの集団です。
1987年10月、フリーランスのフォト・ジャーナリストの集団として発足しました。アジアに古くから伝わる「結(ゆい)」のようにお互いに援助しあう心を持つ、インディペンデントなジャーナリストのネットワークと位置づけてもよいかと思います。
巨大メディアのジャーナリズム精神が衰退する中で、私たちは表現者としていかなる資本にも従属せず、いかなる権力からも自由であろう、とする立場を築く努力をしてきました。
そのために時代の記録者としての力量と精神を鍛えていくのは当然のことですが、同時に私たちは国境や民族の違いを超えて広くアジアの人々と結びついていこうと考えています。
(中略)
メンバーの活動領域は、アジアにとどまらず世界のほとんどの地域におよんでいます。テーマも政治から文化まで多様化しています。アジアプレスという名称は、まず最初にアジアを社会認識の現場として選びとったということで、地理的な地域やテーマを限定しているわけではありません。
ただひとつ共通点をあげれば、私たちのおもな関心が歴史の闇に流されていく声なき声に耳を傾け、埋もれていく事実と人間の精神に光を当てることに向けられていることです。
それは人間をたんなる対象として路傍の石のように打ち捨ててしまう社会への、私たちなりの意思表示でもあります。
私たちはアジアの人々から学び、そして勇気づけられる体験を通じて、インディペンデントなジャーナリズムの極北に立つ意志を固めようとしています。
アジアプレスは独立系ジャーナリズムの潮流を形成しながら、メディア変革を主体的に担っていく決意です。」
 
建前と口先だけは御立派な事で。「人間をたんなる対象として路傍の石のように打ち捨ててしまう社会への、私たちなりの意思表示でもあります」ですって? 実際のアジアプレスと石丸次郎の言動を見れば、アジアの「人間をシノギの対象として経済動物のように使い捨てにする事を、私たちなりに実行するという意思表示でもあります」というのが正しいんじゃありませんか。
アジアの人々から学び、そして勇気づけられる」? 「アジアの人々を侮蔑し、そして優越感にひたる」の間違いでしょう。
これならまだ「ジャーナリズム精神が衰退」した「巨大メディア」の方が欲望むき出しで本音をさらけ出している分、ナンボかマシというものです。
 
率直に言ってもはやアジアプレスという報道機関の存在意義はゼロどころかマイナスであり、有害無益なものでしかありません。これ以上害悪を垂れ流す前にさっさと解散した方が日本の民衆にとっても、そして何よりもアジアの民衆の為でしょう。
 
PR
コメント

コメントを受けつけておりません。

プロフィール

性別:
非公開

ブログ内検索

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

フリーエリア