先日、かつて三星(日本での呼称はサムスン)財閥を追求して勇名を馳せながら、後に考えを180度転向させて腐敗堕落した韓国のあるジャーナリストのお話をしました。が、世の中は不思議な物で、三星財閥をめぐってはこのジャーナリストと全く逆の人生を歩んだ人間がいたのです。検事を退官後に弁護士になり(韓国にももちろんヤメ検弁護士はいます)、そして三星グループの法務チーム長に天下りしたこの人物は、しかしながら後に三星を退職して良心宣言をし、その不法行為を告発する書を世に出しました。その人物の名を尋ねれば金勇澈と答えました…。
陰と陽、仁王像に阿と吽、暗殺拳に北斗神拳と南斗聖拳といったように、万物はすべからく一対をなして構成されているとはよく言われますが、まさに三星財閥を告発した人間にも北斗と南斗のように全く性格の逆な一対の韓国人が存在していたのです。
かつて1988年に「韓国三星財閥の内幕―巨大企業の暗黒と李一族の野望」を出し、それまでも民主化運動陣営に属して活動してきた孫忠武というジャーナリストは、しかしながら後に最も卑劣な振る舞いをして転向する事になりました(2010年に米国で病死)。
一方、ソウル地検特捜部首席検事だった金勇澈という検事はそれと全く逆で、弁護士になって三星財閥の秘書室(ここは創業者・李秉喆の時代から会長の社命を伝達するグループの事実上の司令塔でした)に入り、法務部チーム・財務部チームの理事として働きながら、2004年に退職。2007年に天主教正義具現全国司祭団の助けを得て「転向」と言うか良心宣言して、それまでの三星グループが行った不正行為を告発したのです。そして問題の書「三星を考える」(2010.01.29社会評論発行)を出版しました。以下のリンク先は韓国の代表的なネット書店「アラジン aladin」の同書通販頁です。
「三星を考える」金勇澈 著
http://www.aladin.co.kr/shop/wproduct.aspx?ISBN=8964350502&partner=pressian
韓国にはアマゾンがなく、代わりにこうしたネット書店が主流を成しているようでした。同書刊行時は日本でもそれなりに話題になったようなのですが、なぜか翻訳出版もされずに現在に至っています。これこそ訳すべき特ダネのはずなのですが…。一応最初の一部だけを訳しているブログがあったので参考までにリンクを貼っておきます。
http://plaza.rakuten.co.jp/tsuruwonya/diaryall
こういう手堅く売れそうな良書には見向きもしない辺り、株式の非上場化で話題になっている幻冬社もあんまり大した事ないなという気がします(ぬるま湯体質の岩波書店とかに比べたらそれでもまだ面白い作家や本を発掘する努力をしているとは思いますが)。
いや、筆者がアジアプレスに対しては何にも期待してないのは今さら言うまでもない事ですが(笑)。連中がこれと同じくらいに三星財閥を追求したら、それこそ太陽が西から昇るのと同じくらいの驚天動地な出来事ですよ。でもそんな驚天動地な事を実際にやってのけたのが金勇澈という弁護士だったのです。
週刊金曜日も「企業社会の不正」をテーマに飯を食って来た佐高信をトップに据えていた事があるくせに、こういう所へ神経が回らない辺りがどうしようもありません。それとも日本企業のセブンイレブンジャパンと違って、韓国企業の三星では批判本を出してもゼニが引っ張れないからか(笑)。
上記韓国ネット書店アラジンの同書通販ページに書かれている紹介文は以下の通り。
2007年、大韓民国を騒がせた「三星疑惑」告発の主人公・金勇澈弁護士の本。「三星を考える」という題名のこの本は「弁護士・金勇澈が真ににしたい話」というコピーを掲げている。本の内容の一部は良心告白当時にすでに公開されたもの達だ。そこへ金勇澈弁護士が7年間働いてみて体験した三星に対する話を付け加えている。
金勇澈弁護士がしたいという話は本の隅々で見つける事が出来る。三星に入社する前、彼が持っていたグローバル企業の幻想は全て崩れた。彼は三星が仕出かした不正を無数に目撃した。彼を苛んだのは三星が不正を仕出かしたという事実ではない。むしろ日常的に行われる不正こそが三星が存在する根拠の一つだという事実、それが彼を苛ませた。
彼は尋ねたかった。先進経営と世界的な競争力だけで三星を作れないのか? 三星はすでに韓国企業の範疇を超えている。今日の三星を築く為に、ただ前だけを見て走って来た。ならば、まさに今こそ暫し三星を再考せねばならぬ時ではないか? 金勇澈弁護士は読者達が自身の文を通じて三星を考える「時」を実感するようになる事を望んでいる。
(訳 ZED)
こちらは高麗書林の通販頁。日本での注文ならこちらの方が早いかもしれません。ただし全2巻の大部の著なのであしからず。
http://www.komabook.co.jp/search/search_result.php
孫忠武の本が三星財閥創業者・李秉喆の時代から2代目・李健熙への継承までを描いた本であるならば、金勇澈の本はまさに現代の新自由主義・グローバル経済下における三星を描いたものです。三星財閥全体を俯瞰するには両方とも読むのが一番良いのですが、現状の日本人読者には難しいのが歯痒い所でしょう。片や絶版のプレミア本、片や未訳ですから。
しかしながら同書に対する三星側の対応は孫忠武の時代とあまり変わらず、自社系列の中央日報(中央日報は三星系企業)を含む保守三大紙「朝・中・東」はおろかハンギョレ新聞(やっぱ最近のハンギョレは変!)までもが全て広告掲載拒否、ソウル駅の広告まで撤去されたと言いますが、インターネットの時代にそんな事で言論を封じられるはずもなく、かえってネット上の話題を呼んでベストセラーになりました。
そこに描かれた三星財閥の姿はかつて創業者時代の「政商」ぶりが一層激化したものとも言えるでしょう。「不正こそが三星が存在する根拠の一つ」とまで言われるほどに。かつての金権怪物・李秉喆が時の軍事政権を抱き込み、日本の保守・右翼的経済人と癒着して財を成し、それを受け継いだ後代の三星ははたしてどうだったでしょう。
「渉外」という言葉があります。日本の企業社会であればタカリ屋の総会屋やヤクザ・右翼といった反社会勢力(いわゆる「反社」)との窓口になって、それの口止め料を都合する窓口となる総務部の一部署や担当者を指しますが、三星財閥における「渉外」とは力のある高級官僚に対する「賄賂」を指す社内用語でした。そしてグループ総帥・李健熙がグループ社長会議の度に最も関心を示した案件が不動産と「渉外」だったのです。高級官僚への贈賄こそが財閥トップの最も感心を示した案件とは!
(この項続く)
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