孫忠武という名を聞いても今の日本の若い人には分からないかもしれません。が、かつて韓国の民主化運動に関わった古株であれば聞いた事のある人は割といるんじゃないでしょうか。この男は韓国のジャーナリストで、軍事政権時代に朴正煕や全斗煥といった大統領達、さらには統一協会や三星財閥(いわゆるサムスン Samsung グループの事。本来ならば「サムスン」ではなく「サムソン」の方がより朝鮮語本来の発音に近い。日本での正式名称とはいえ、あまり不正確な発音表記を筆者は好まない為、当ブログの記事でこの財閥グループについて述べる際は基本的に漢字表記の「三星」を使用します)の批判記事を書いてアメリカや日本に亡命したり国家保安法違反で逮捕された事が度々ある上に、日帝植民地時代の独立運動家であった金九暗殺事件の真相を追究したルポルタージュや関連資料の発掘といった骨太な取材・執筆活動で一世を風靡した記者でした。かつてはね。そう、かつて昔は、です。
その孫忠武が去年の10月19日にアメリカで死んでいたという話をたった今知りました。筆者も久しく忘れていた名前なので、懐かしいとは思いつつも、まあ寂しい終わり方だったなという感じです。特にこの男の若い頃と晩年の「落差」を考えるとなおさらでした。
筆者もこの男の昔の本(日本で出版された金九暗殺事件と三星財閥本の訳書)を持っていますが、確かにあの当時に買っておいて良かったと今でも思います。内容的にも資料的にもかなり充実している上に、それらの多くは現在入手困難なので、大きな図書館でもなければ読めないでしょう。ちなみにそれらの一つにして、この男がジャーナリストとして最も輝いていた頃の代表作の一つである「韓国三星財閥の内幕―巨大企業の暗黒と李一族の野望」(韓国語原書は1988年刊行。日本語版は1990年刊行)という本は今や結構なプレミアが付いているようで、アマゾンの古書出品物を見たら3000円(出版時の定価は税込みで1300円)という値が付いていました。当時もそんなに発行部数が多くはなかったでしょうし、あるいは三星グループ自体が大きく成長して世界的に進出した現在においては、その創業一代記がより一層内容的に見るべき点が多いと評価されたのではないでしょうか。
現在の三星電子では半導体工場労働者に白血病や奇形児出産、自殺が頻発して大きな社会問題となっている(ここ最近のプレシアンではほとんど連日この問題がトップ記事です)一方で、李健熙会長&李在鎔社長のトップ2親子(こうした韓国の財閥経営者世襲も石丸次郎は批判したためしがない! もし一度でもしていたなら誰か教えて下さい)は連日のように江原道平昌郡への2018年冬季五輪誘致活動にばかり熱を上げている有様です。この冬季五輪誘致活動にはもちろん大統領の李明博も積極的で、三星電子の件と併せて日本で全く知られていない現在の韓国のトップニュースの一つと言って良いでしょう。平昌は過去に2度連続して誘致に失敗しており、仮に誘致出来たとしても長野の二の舞にしかならないのは明白なのですが。李健熙は韓国IOC委員も務めており、自社労働者の労働環境や生活を一切省みずにスポーツ道楽と利権に熱中しているブラック企業経営者ですが、こうした三星グループの現在のブラック企業ぶりがどこに源流を発しているのかを知る上でも同書は優れた資料と言えるでしょう。20年以上も前の本とはいえその輝きは今でも色褪せていない、三星財閥を語る上で絶対に外す事の出来ない基礎資料となっています。
とは言え同書は当時韓国で著者と三星の間で裁判になり、最終的に和解で決着が付きながらそこに「韓国では今後出版しない」という条件が付きました。おまけに著者も死んだ以上、日本でも韓国でも今後復刊される可能性はほぼゼロに近いでしょう。いずれの機会に同書の内容は詳しく紹介したいと思います。
また、金九暗殺事件を追及した「暗殺」(韓国での原題は「これが真相だ」という)という本も、才気走りながらも若き日の孫忠武がこの事件を精力的に取材した力作であったと評価出来ます。当時孫忠武は金九暗殺実行犯を取材する為に、医者に変装してその実行犯のいる病院へ(当時この実行犯はある金九支持者の青年に刺されて瀕死の重傷を負い、面会謝絶の状態だった)潜入したほどですから、荒っぽいながらもその記者魂には頭が下がります。何よりも同書に流れるテーマは、日帝植民地の解放直後に多くの独立運動家がテロによって命を落としたり、植民地時代の36年を超えて国が分断している状況を嘆き、韓国の民衆が真の民族的覚醒を経て、民主主義と統一を築かねばならないと強く訴えた事でしょう。当時の著者が同書に込めた意思は今読んでも多くの朝鮮・韓国人の胸を強く打つはずです。
ところが、ところが…。これほどの活動をした記者が後年、特に90年代初頭辺りからどうなったかというと…。
今から約10年近く前、筆者は本屋である新刊書籍を見つけました。表紙を見てみると著者は「孫忠武」とあるではありませんか。「おお、あの金九暗殺事件や三星財閥追及の孫忠武の本か。この人、相変わらず健筆を振るっていたのだな」と思った筆者は、その本の題名に目をやると「金大中・金正日 最後の陰謀」となっていたのを見て非常に嫌な予感を感じました。本を裏返して裏表紙を見てみるとそこにはさらに凄まじい写真が載っていたのです。それは何と著者・孫忠武とジョージ・ブッシュ(9.11の息子の方ではなく、日本の宮中晩餐会でゲロを吐いた親父の方ね)が一緒に並んだツーショット写真という、まさに筆舌に尽くしがたい光景でした。もうこの時点でさすがに今の孫忠武は昔の孫忠武ではないのだという事は100%気付いたのですが、それでも事実を把握せねばならないという殺身成仁の境地で勇気を奮いつつ立ち読みして見た所、その内容は…。
「南北首脳会談は金正日の陰謀である。金大中は隠れ共産主義者で、北朝鮮の手先だ」
という、いつの時代の反共主義者のアジテーション例文集かと言いたくなるような古臭い言葉が長々と書き連ねられていました。これをとうの昔に冷戦が終わり、南北首脳会談までして南北和解へと導かねばならない21世紀に言うとは…。
そう、かつて民主化陣営に属して様々な社会問題を追い、時の軍事政権独裁者や三星財閥、統一協会にまで喧嘩を売ったほどの反骨ジャーナリストは転向していたのです。それも180度と言っても良いほどで、別人にも等しい変貌振りでした。これには現在の姜尚中でさえもびっくりでしょう。
孫忠武が転向するきっかけになったのは、92年に当時の大統領選挙候補だった金泳三の隠し子スキャンダルを暴露したのが始まりと言われています。金泳三は選挙の時に光州虐殺事件の責任者処罰や軍事政権時代の犯罪追及、軍幹部の不正蓄財した隠し口座の凍結、軍の綱紀粛正などを公約に掲げていたので、軍部やそれに近い勢力から総攻撃を受けました(とは言え、金泳三は自由民主主義を標榜しながら、対北政策を見ても分かる通り実際にはかなり保守的性向が強い。また頭脳も基本的に明晰でなく、口先だけの部分が大きい上に嫉妬深い。現在にいたっては完全に老害そのもの)。その一つが隠し子スキャンダルの暴露であり、それをかつて金泳三や金大中の支持者であった孫忠武が担う事になったのです。はっきり言えば孫はかつての同志を裏切り、ジャーナリストとしての矜持もこの時に捨ててブラックジャーナリストの道へのめり込んだのでした。典型的なジャーナリストの転落物語と言って良いでしょう。かつての民主化運動の同志が権力をつかんだ。いかにかつての民主化の同志と言えども、権力者になったからには監視は必要であり、良からぬ点があれば批判するのはジャーナリストとしての社会的使命です。が、孫の金泳三・金大中批判はそのような「ジャーナリストとしての社会的使命」といった崇高なレベルの話ではなく、単なる私欲に目が眩んだ裏切り行為と転向でしかありませんでした。単純な金泳三・金大中批判に留まらず、本人の考え自体が民主主義どころか古臭い反共主義に変貌・退化してしまい、社会の民主化と南北の和解を後退させるような活動しかしなくなったのですから。
このような記者がかつてのようなスクープを飛ばせるはずもありません。
かつての孫忠武は言論弾圧から逃れる為に度々米国へ逃れた事から、ある時期以降は米国に活動の拠点を移しました。孫忠武の子供達は全員米国籍です。そこで「インサイドワールド」という在米韓国人向けの雑誌を創刊、それを後に韓国でも出版するのですが結局それが振るわなかった為にブラックジャーナリスト・取り屋になって晩節を汚す破目に陥ったのでしょう。かつて朴正煕や三星財閥、統一教会にまで喧嘩を売って勇名を馳せた記者が、晩年はブッシュの親父と一緒に写真を撮って無邪気に喜んでしまうなど、まさに想像力の限界を超越した物語です。盧武鉉が自殺した時、この男は「これは全部左派や金大中、全羅道の人間が悪い」という、並の人間であれば想像も出来ないような内容の罵詈を、並外れた口汚い言葉で言った事があります。同じ盧武鉉の自殺について論じても、韓洪九の本とはまさに天と地ほどもレベルの違いのあるものでした。
かつて金九の暗殺事件をルポし、多くの人々に「民族的覚醒」「民主主義」「統一」を訴えた記者が民主主義を否定し、民族の和解・統一を否定するほどにまで変節した様は、しかし油断すれば誰でも陥りかねない落とし穴でもあります。今の日本ではもちろん言うまでもありません。
最近の韓国のスラングではこうした信じ難い出来事を指して「アストラルだ」と言うのですが、孫忠武の晩年はまさにアストラルそのものでしょう。
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