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「延坪島紛争」で読んでおくべき韓国の報道その3

前回に引き続き林東源インタビューの翻訳です。これを読めば日本で報道されている朝米間の核問題が、いかに嘘だらけかがよく分かるでしょう。別名「石丸次郎が教えない朝米間の歴史」(笑)。
原文URLはこちら
(訳 ZED)


「米国が教えてくれたと? 証拠もなかった」
 
プ:発表文を見ると北朝鮮のウラン濃縮プログラムは1997年から米国マスコミに報道され、ジェームス・ケリー米国務省次官補が2002年訪韓時に関連情報を教えてくれたとされているが、それは確かなものではなかったとされている。
 
林:事実、その当時には南北関係が活気に溢れていて2002年8月30日には小泉純一郎日本首相も朝日首脳会談の為に9月17日に平壌を訪問すると言う計画まで発表された。しかしその直前に米国務省内対朝強硬派であるジョン・ボルトン国際安保担当次官が韓国を訪問した場で、国防部長官らに「北朝鮮が1997年から推進してきた高濃縮ウラン(HEU)生産計画が憂慮すべき水準に達した」とし「これは北朝鮮との関係改善において障害要因になりうる」と言った。
 
これは小泉総理の訪朝日程が知らされてから、それを阻止する目的があったものと思われる。その頃韓国政府が南北鉄道を連結する為に、非武装地帯の地雷を撤去しようとした時も(ボルトン次官らは)否定的な態度を見せた。
 
当時、我が政府は米国側のそのような態度に対してまともではないと考えた。両国の情報機関同士でまずは協調し、我が情報機関が(米国側から得た情報を)我が政府に報告するのがまともな情報共有の過程なのに、政治家であるボルトン次官がソウルに来て韓国国防部長官と外交通商部次官補に言うのは少し異例だ。おまけに訪韓目的は「講演」だったのだ。
 
北朝鮮のHEU生産疑惑は1997年「ワシントンタイムス」が二日間一面でトップ記事にするなど大々的に報道する事で全世界に知られ、その時から韓米双方の情報機関がたゆまず追跡してきた。両国情報機関は定期的に情報交流及び評価会議をするなど協力を強化してきた。2002年6月頃までは進展した情報を確保出来なかったというのが、6月当時韓米情報機関同士の会議内容だ。
 
しかしボルトン次官がおかしな発言をするので我が情報機関が確認してみると、情報機関の間ではそのような情報交流はないという事だ。米国側から情報を公式に通報してもくれなかったのだ。
 
同年10月3~5日に予定された訪朝を前にして、ケリー次官補がソウルに入った。ブッシュ大統領が金大中大統領に電話して「大胆な接近」をしに特使を送るとしたので「これでようやく朝米間の緊張関係を解消する為に特使を送るのだな」と思った。
 
事実その前までは韓国政府が、北朝鮮と対話して協商せよと言っても駄目だと言うのがブッシュ行政府の立場であり、それに北朝鮮は「悪の枢軸」であって先制的軍事攻撃で除かねばならない政権だというのが「ブッシュドクトリン」の立場ではなかったか。ボルトン次官は「イラクの次には北朝鮮だ」とまで言った。そこで我が政府はケリー次官補の訪朝を(朝米関係改善の為の融和的ジェスチャーと見て)内心歓迎した。
 
ところが実際にケリー次官補と会ってみると、そのようなものでは全くなかった。「北朝鮮がウラン濃縮プログラム(UEP)を推進しているという事を米国は知っており、これを廃棄せねば対話はない」と通報しに行くのだという。
 
そこで「もし北朝鮮がUEPを推進するというのが事実ならば、なぜ情報機関同士の情報交換がないのか、韓国政府に正式に情報を提供せねばならないのではないか」と聞くと、結局ケリー特使の訪朝以後である10月7日に米中央情報局(CIA)チームがソウルに来て我が政府当局者にブリーフィングをした。
 
その最初のブリーフィングを私も一緒に聞いた。(林前長官は当時、青瓦台統一外交安保特別補佐役として在任中だった)ブリーフィングの内容は「北朝鮮が地下にHEU生産施設を建設している最中であり、遠心分離機も充分に確保している」というものだった。またCIAは北朝鮮が2005年からは1年に核爆弾を2個ずつ作れる高濃縮ウラン(HEU)を生産するだろうとの情報判断を伝えて来た。
 
そこで「これは並みの深刻さではないが、証拠はあるのか」と聞くと、確証はないという。それで「私は国家情報院院長までやった人間だが、不確実な諜報水準のものを政治的に解析して情報と言えるのか、参考にはするがこのような水準の情報を根拠に対北政策を変える事は出来ない」と釘を刺した。
 
米国が提起した不確実な諜報である「金倉里(クムチャンリ)地下核施設疑惑」の為に1998年にも戦争が起こる所だった。それは当時からわずか4年前の事だ。米国で食料60万トンを北朝鮮に提供してやり、その代価として現場へ行って調査してみると、違うという事が判明したのだ。このような失敗を繰り返してはならず、朝米間緊張関係は望ましくないとい思った。もちろん北朝鮮の核開発を認める事は出来ない。だが確証のある情報を持って対処せねばならないではないか。今から緊密に情報協力を維持して、確証をまずは確保した後で対策を論議するのが正しいと思う。
 
当時このような私の考えを米国側に伝えた。しかしどうして、米国が私の言う事を聞くものか(笑)。そのまま米国ネオコン達が最初に計画した通りに引っ張られて米国の対朝政策は定められた。
 
当時我が政府が心配したのは朝米間の「ジュネーブ合意」が決裂する事だった。ジュネーブ合意の骨子は、北朝鮮がプルトニウム生産活動などを中断する代わりに韓米などの西側が軽水炉を建設してやるというものだが、もしこの合意が決裂したら北朝鮮は(1994年以後)8年間中断していたプルトニウム核活動を再開するものと見られた。当時の状況からプルトニウムプログラム再開にはさほど長い時間は掛からないであろう反面、UEPはまだ疑惑提起水準であった為に時間が多く掛かるだろうと見られた。
 
そこで急がれるのは北朝鮮のプルトニウムプログラムを防ぐ事だという判断の下、ジュネーブ合意に致命的な影響を与える事を憂慮して慎重に対応しようとしたのに、米国は軽水炉提供プログラムを中止して重油供給も中断するなど「暴走」した。結局2003年1月に北朝鮮は核拡散禁止条約(NPT)脱退宣言をして核開発を再開し、2006年10月に第1次核実験をしたではないか。そこで米国では北朝鮮の核爆弾を「ブッシュの核爆弾」とも呼ぶ。ブッシュ行政府の無策な対朝強攻策が北朝鮮の核開発を助けてやったという意味だ。
この項続く)
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「延坪島紛争」で読んでおくべき韓国の報道その2

今回は前回に引き続きプレシアンに掲載された記事の中から、林東源(イム・ドンウォンまたはリム・ドンウォン)インタビューの翻訳をお伝えします。
林東源氏は金大中政権時代の統一部長官であり、いわば南北首脳会談と太陽政策の立役者とも言うべき人物である事は多くの方が御存知でしょう。経歴もユニークで、北の平安北道出身で朝鮮戦争の際に南へ来た、いわゆる「失郷民」と言われる北出身者でした。その後朴正煕が政権を握ってからは陸軍士官学校で主に反共対策や対ゲリラ戦の専門家として活躍するという、典型的な軍事政権下の軍人であり、当時はおよそ朝鮮半島の平和や統一とは縁遠い存在だったのです。実際に軍人としてはかなり有能だったようで、80年の退官の際には当時大統領だった全斗煥(こいつも軍人上がりでした)が大いに惜しんだというエピソードも伝わっています。
若き日の林東源氏が軍事政権下で反共軍人として立身出世する道を選んだのは、北出身者という自身の生まれに起因するものでしょう。当時の韓国では北の出身者は敵性国民として監視下におかれ、同時に反共を国是とする政治体制下で様々な差別を受ける立場にありました。北朝鮮では南出身者がやはり要注意人物と見なされて社会的な監視・差別を受けますが、そうした構図は南北どちらにもある悲劇だったのです。そうした中で韓国の北出身者の一部には極端な反共主義と韓国軍事政権への忠誠を誓って過激なテロ活動を行う極右組織(西北青年会、白骨団など)を作って活動する者もいました。こうした極右テロ組織構成員達の多くは北の共産主義体制化で財産を没収されて南に逃れて来た元ブルジョア層という事もあって、北の体制に対する憎悪から南の李承晩や朴正煕政府の忠実な手先となったのです。今回の事件で日本のテレビは、金正日親子の写真を燃やすなどの過激なパフォーマンスを行う韓国の右翼団体の行動ばかりを意図的かつ集中的に取り上げていますが、そうした団体はこうした古臭い極右団体の流れを受け継ぐ存在であり、本来ならばまともに取り上げる対象ではありません。実際に600万人とも言われる大部分の北出身者や離散家族は日帝植民地解放後や朝鮮戦争の混乱期にやむなく故郷から引き離された身であり、そうした一部過激派の極右暴力組織が南の「失郷民」を代表する存在などという事は断じてないのです。
 
筆者のような在日朝鮮人が最も腹立たしく思うのは、こうした朝鮮半島近現代史の深い闇を知りもしないくせに、何か事件が起こると「北朝鮮許すまじ」と軽々しく発言する日本人の存在です。当人が歴史に無知な上に、日本という国の歴代政権は植民地支配の清算もろくにせず南北分断を固定化するような外交政策を戦後一貫して続け、しかも今回の事件では韓米と共に日本軍=自衛隊が軍事演習に合同参加して北朝鮮を挑発した当事者だったという厳然たる事実を無視して、どうしてそんな口が叩けるのでしょうか。しかもその当人が普段は左翼ぶって日本やアメリカの政策に苦言を呈し、朝鮮高校の無償化除外にも反対しておきながら、そういう事を言うのであれば支離滅裂の極致です。日本人の中でもそういう者は信用出来ません。こういう連中は普段は平和だの9条護憲だのと綺麗言を言っておきながら、いざ本当に戦争が始まったら「北朝鮮だけは9条の例外。これは独裁政権を倒す為の文明と野蛮の聖戦」などと福沢諭吉並みの妄言を吐いて戦争に賛成しそうな気がします。共産党や社民党はもちろん、週刊金曜日とかアジアプレスとか、具体的な名指しはしませんがいくつかの「左派人気ブロガー」とか…。
 
それはともかく、若き日の林東源氏もまさにそうした思考で南の軍事政権に忠誠を誓った、歪んだ心根の北出身者であった事に疑いの余地はないでしょう。しかしそれが後に大きく考えを変えて南北対話論者となり、2000年の南北首脳会談と太陽政策の功労者となるのです。
軍を離れた氏はその後外交官に転身してナイジェリア・オーストラリア大使を歴任、90年代からの冷戦終結後はそれまでとは逆に南北対話へと路線を大きく転換して、91年の南北基本合意書締結に大きな役割を果たし、その後94年に北朝鮮の金日成主席が急死する直前まで韓国の金泳三大統領と首脳会談の予行演習も行いました。同年に金大中氏と出会った事が転換点と言われますが、実際にはそれ以前のナイジェリア大使就任が氏の人生にとって最も大きな転換点になったのではないかと筆者は思います。
 
氏が大使に就任した80年当時のナイジェリアはアパルトヘイト時代の南アフリカから激しい武力攻撃を受けていました。当時アフリカではヨーロッパ諸国から多くの国が独立を果たしましたが、南アフリカはそうした黒人政権の独立に驚異を感じて直接・間接的に侵略行為を繰り広げ、それを西欧の旧宗主国が影から支援するという構図があったのです。南アの侵略は正規軍による直接的な攻撃に加えて傭兵を別働隊として大量に送り込み、様々な破壊工作作戦を仕掛けるというものでした。正規の軍には交戦規定やらジュネーブ条約やらややこしい規則・法規によってまだ行動が制限されますが、傭兵の場合はそうした縛りに束縛されず正規軍の表立って出来ないような残虐行為をやりたい放題という状態だったのです。これが南アの侵略をうけた国で大惨事をもたらす結果となりました。これに対してナイジェリアが採った大きな行動が79年12月5日に国連総会へ提出した「傭兵の活動に対する国際条約の起草」と題する議題の上程です。南アの行動を国際テロとし、その傭兵の活動を国際社会に訴えたのでした。国連での傭兵に関する議論はその後も長きに亘って継続し、89年に傭兵条約が採択、01年10月20日という9.11以降にようやく発効されて傭兵が国際社会では違法とみなされたのです。あまりにも遅きに失した感はありますが。現在のイラクやアフガニスタンなどでその手の組織が「傭兵 mercenary」ではなく「警備会社」「民間軍事会社」と称しているのはその為です。
ナイジェリアは非同盟諸国でも有力な国家の一つとして知られますが、それにはこうした南アとの対決と傭兵の問題を国連で訴えた歴史が背景の一つとしてあります。そしてこうした南アに抵抗したアフリカの新興独立国を北朝鮮が支援してきたというのも厳然たる歴史的事実なのです。北朝鮮のこうした非同盟諸国・第三世界での活動は、国内での鉄拳統治とはまた違った評価がなされねばならないでしょう。少なくともこうした国際外交の舞台に関して言えば、イラク戦争前夜に安保理で自らの宗主国に同調するよう経済的に貧しい国々を恫喝して回ったアジアの某島国の「小国」(笑)よりはるかに賞賛されるべき出来事ではありませんか。
そして当時の林東源氏は赴任先のナイジェリアでそうした出来事を直に目撃した事でしょう。南アの侵略による惨状、それに脅かされながらも非同盟諸国の一員として国連をも巻き込んで抵抗し続けたナイジェリアの姿、さらにそれを支援する北朝鮮の姿を。それが北出身ゆえに反共軍人の道を歩んだ林東源氏の人生観に大きな衝撃を与え、南北対話への道を歩ませるきっかけになった事は十分に考えられるのです。
 
第一に非同盟諸国の有力国家であるナイジェリアの大使として赴任し、それを通じた他の非同盟諸国との対話の有効性を思い知らされた事。
第二にそうした軍事・外交上の経験によって冷戦の終結にうまく対応出来た事。
第三に金大中氏との出会い。
こうした経歴によって根っからの反共軍人だった林東源氏は南北対話へとスタンスを大きく変えました。その太陽政策の立役者が今回の事件についてどのように語ったのかを見て行きましょう。長いので分割して掲載します。
 
特にこのインタビューでは石丸次郎の嘘がまた一つ暴かれる結果になっているのも見所でしょう(北朝鮮のウラン濃縮開始時期について)。石丸は自身のツイッターでこんな事を言っているのですが…。
 
北朝鮮が「数年前からウラン濃縮始めていた」との報。とするとノムヒョン政権時代の可能性。
 
要するに石丸次郎は盧武鉉政権の太陽政策が北朝鮮の核開発を助けた、だから北朝鮮と対話したり支援したりするのは論外、太陽政策・南北対話は誤りだと言外に言いたい訳です。しかしながら先日訪朝してウラン濃縮施設を視察した米スタンフォード大学のジークフリート・へーカー国際安保協力センター所長の報告書によれば、この施設の建設が始まったのは2009年4月以降、つまり韓国では大統領選挙が終わってとっくに北との対決路線を打ち出す李明博政権となった後であり、盧武鉉政権時代ではありません。またしても石丸は根拠不明のデタラメを述べている訳です。実際には太陽政策ではなく、対決政策や制裁が北朝鮮の核開発・ウラン濃縮を促進させた…。
 
老婆心ながら忠告すると、石丸はもうツイッターを止めた方が良いのでは。これ以上ボロを出したら、せっかく築いて来た「北朝鮮報道の第一人者」という仮面が壊れてシノギに支障を来たすだけですよ。いや、筆者自身にとってはネタになるので、これからも続けてどんどん批判材料を提供して自爆して下さいと思ってますが(笑)。でも石丸自身にとってはマイナスにしかならないから止めるべきなんですけどね。それすら気付かないとしたら、この男はぱぎやん以上の馬鹿としか言いようがありません。
 
韓国語原文記事はこちら。

(訳 ZED 強調部分は訳者による)

「今のままでは北朝鮮は、3度目の核実験を必ずする」
林東源インタビュー「10.4宣言だけでも履行していれば延坪島事件はなかった」
2010.11.29午前8:21:32
 
林東源前統一部長官が、北朝鮮のウラン濃縮に続く「延坪島事件」など急冷却した南北関係と朝鮮半島の緊張の高まりに対して重い心情を打ち明けた。林前長官は26日「プレシアン」とのインタビューで「その間に事態を悲観的に見ていなかったが、最近はむしろ楽観出来ない状況」とし「だんだん事態が悪化するようだ」と暗い表情を浮かべる。「最近憂鬱で死にそうだ」という言葉でインタビューを始めた彼はインタビューの所々で「憂鬱さ」をあらわにした。ある質問には虚脱したように笑いもした。
 
彼は「今回北朝鮮が大韓民国領土に砲撃したのはあり得ない事であり、認められない事」とし「北朝鮮がどのような意図でやったものだろうと誤りである。そうだからと我が政府が屈服するはずもなく、むしろ国民達から敵愾心と怒りばかりを呼び起こした」として憤怒と共にもどかしい心情をあらわにする。
 
林前長官はしかし、これまで北朝鮮との関係で制裁と圧迫だけでは核開発や南北関係改善において良い結果を得られないとし、軍事力増強による問題解決ではなく、時間が過ぎて契機が整えば協商と対話を通じて問題解決の糸口を探さねばならないと強調した。
  
彼は特に朝鮮半島平和体制の構築の為の第1段階として「葛藤の西海」を「平和協力の西海」に変える事が重要だと指摘する。万一李明博政府が、かつての第2次首脳会談で合意された「西海平和協力特別地帯」構想を実践に移していれば、今回の延坪島事件は起こらなかったかもしれないというのだ。
 
「朝鮮半島平和体制を作らねばならないが、その1段階目は西海を平和の海にする事です。緊張と衝突の海を平和の海にせねばならない。それが第一歩です。問題はこの政府にそのような意思があるのかという事です」
 
一方で林前長官は北朝鮮の追加核実験に対する警戒も怠らなかった。現在のような南北または朝米対決状態が持続されれば、北朝鮮の第3次核実験は「時間の問題というだけで、必ずやるだろう」という警告だ。インド、パキスタンなどの非公式核保有国達が7.8回の核実験の果てに核兵器を手中にした事を考慮すれば、そして今までのように北朝鮮の核開発を放置したまま実効性のない圧迫と制裁だけに固執すれば、北朝鮮は核兵器を確保するまでこれからも引き続き核実験に乗り出すだろうというのだ。
 
林東源前長官はクリントン元大統領が94年ジュネーブ合意で北朝鮮の核開発を第1段階で8年間踏みとどまらせた反面、ブッシュ前大統領は2002年にウラン濃縮を元凶とする対朝強攻策でジュネーブ合意破綻に導いて、北朝鮮の核開発が2006年に3段階目まで(核実験)発展するように助けてやった(?)として、現在のようないわば「戦略的忍耐」では北朝鮮の核開発を決して防げないと警告した。
 
「だんだん事態が悪化しています。それでも転換の機会はあると思いますし、また作らねばなりません」
 
これが現在の事態を眺める林東源前長官の本心がこもった、懇切な忠告である。
 
以下は26日に朴仁奎(パッ・インギュ)プレシアン代表が進行したインタビュー全文である。
 
  
「青瓦台『ウラン濃縮隠蔽』疑惑提起は何もロクに知らず言っている事」
 
プレシアン(以下、プ):少し前に青瓦台政務首席が、金大中・盧武鉉政権が北朝鮮のウラン濃縮の事実を知りながら隠蔽したという疑惑を提起したので、26日に反論を発表された。一部ではウラン濃縮だけではなく、今回の延坪島事件も太陽政策のせいで、しばしば全ての責任を以前までの政府に押し付けようとしているが。
 
林東源(以下、林):この政府が執権してすでに3年になるというのに、いつも全ての事を前政府に覆い被せるやり方で非常に厄介だ。3年間で何も出来ないのか。議院内閣制である欧州国家達を見れば1年ほどで政権が変わる事もあり、それでも政策を立案してすべき事をちゃんとする。3年は十分な時間だ。
 
(この政府は)出発した時から以前の政府を否定して始まった。否定するのは良いが、ならば3年間に何か肯定的な事をしなければならないのではないか。失敗したら過去の落ち度のせい、では困る。ウラン濃縮隠蔽疑惑提起のような事は何もロクに知らず話しているようだ。
 
プ:ジークフリート・へーカースタンフォード大学国際安保協力センター所長の訪朝報告書を見ると、北朝鮮の官僚達が現在のウラン濃縮施設を2009年4月から建設し始めたという。これが事実なら国連で(北朝鮮の「光明星2号」発射と関連して)安保理議長声明を採択して、北朝鮮に対する経済制裁をした時ではないか
 
林:そうだ。実際にその時から建てたものと思われる。今回へーカー博士が訪朝するほんの数日前に完工したが、ならば(北朝鮮の施設着工時点が南の政権交代以降である為)以前の政府には隠すものもない。何も知らずに言っている事だ。
 
ただ認めるのは、以前の政権の時にも北朝鮮がUEP(ウラン濃縮計画)を推進しようという「意図」はあったという事だ。ただプログラムを推進する能力はなく、備える最中だったと思われる。そうしてここ2年の間にプログラムを推進したのだ。
 
ヘーカー博士の報告書を見ると北朝鮮の技術では遠心分離機を作れなかっただろうというニュアンスが漂ってくるが、ならばこの遠心分離機はどこから出て来たのか。どこか外国から持って来たようだが、ならば国連の貿易制裁措置をどうやって通り抜けたのかがまた謎だ。真相を知る術はないが、状況から見れば国連制裁も無力ではないかと思う。
(この項続く)
 

 

「延坪島紛争」で読んでおくべき韓国の報道その1

今回の「延坪島紛争」で、日本では予想通りと言うか北朝鮮許すまじの大合唱報道でした。韓国の方はどうかというと、朝中東(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)の保守3紙は言うまでもありませんが、ハンギョレ新聞までもがこれら保守紙と違いのない好戦的な社説を掲げたのには本当に驚くと同時に大変な失望を感じました。ハンギョレまでもがこのザマとは…。ただ、ハンギョレ新聞がこのザマだからといって韓国の報道が日本のように「好戦論」一色だったのではありません。同じ市民派メディアでもプレシアンは比較的冷静で、南側が米軍と共同で軍事演習を行っていた事(つまり南が先にさんざん北を挑発したという事)が今回の引き金になった事や、現地入りした仁川市長が住民から聞いた話(韓国軍の演習砲撃が引き金で北朝鮮軍の攻撃が始まった)を自身のツイッターで公開したら右派・保守派から総攻撃を受けて該当文を削除せざるを得なかった件
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=20101126112517&section=01
など、韓国・米国側が行った危険な軍事演習や、それに対して北朝鮮側の演習中止要請を黙殺し続けた結果が今回の事件を招いたといった数々の問題点、南北対話の重要性も指摘しています。ハンギョレは独自に日本語へ翻訳しているブログがあるのに、プレシアンは誰も専門的に日本語訳してくれる所がないので、こうした記事が日本の読者の目に触れる事がないのは大変な損失でありましょう。
そこでいくつかの記事を筆者が独自に訳して公開する事にしました。いずれも重要な内容・意見でありながら、日本のメディアやウェブでは全くと言って良いほど取り上げられていない(いや、だからこそ取り上げないのか)ので、ぜひ参考にしていただければと思います。

まずは第1回として「世界と東北アジア平和フォーラム」の代表である張誠珉(チャン・ソンミン)氏が同紙に寄稿した文章をお届けしましょう。この張誠珉氏という人は前・韓国民主党議員で、2000年に統一外交通商委員を務め(つまりちょうど金大中政権の南北首脳会談時代)、現在は上記フォーラムの代表と「韓国国際政治学会」理事を務める、国際政治学・北朝鮮政治の専門家であります。
率直に言って筆者は張氏の政治的主張や政策に100%同意する訳ではありません。特に張氏がやたらと主張する「外交大国・経済強国を目指す」という大国・強国志向はどうしても筆者には好きになれないものですし、北朝鮮の事を「管理する」という言い草は南の側の国力優位性を強調するあまり「対等な関係で互いの体制を尊重する」という6.15共同宣言の主旨とも外れている気がしてなりません。国益論を主張する辺りはどことなく日本の民主党の政治家(枝野幸男あたり)と雰囲気的に通低する感がしなくもないのですが、それでも日本の政治と報道の世界に充満している好戦論に抗する意味で氏の記事をあえて紹介します。「戦争の道でなくば対話せよ」「北の警告を無視しすぎたのではないか?」という視点が今の日本には最も欠けているでしょう。何よりも今回の軍事演習に日本軍=自衛隊が参加していたという恐るべき事実を踏まえて考えた場合、日本の平和主義者や護憲派(と称する人達)はどうあるべきかを今一度再考せねばならないはずです。
少なくとも日本の「北朝鮮専門家」と称する人間達とは違い、韓国の専門家、それも南北首脳会談と太陽政策に関わった本物の当事者が主張する所をよく知っていただきたいと思います。多分日本の「北朝鮮専門家」とは様々な面で雲泥の差がある事を実感していただけるでしょう。

テレビのニュースなどでは町が廃墟(実際に破壊された建物はごく一部)になっただの、報復を訴える韓国市民の映像ばかり流して好戦的な世論を煽り立てていますが、そうした報復感情ばかりが韓国人の意見の全てではなく、ましてや意見を代表するものでもありません。

日本の大手報道機関はいつも通りの惨状ですが、大手でない所もまたしかり。週刊金曜日やアジアプレスを見ても分かる通り、いかに当初は崇高な目的を掲げて始まった「独立系市民メディア」も、よほど気を付けていないと必ず腐敗・堕落します。それも彼ら自身が批判してきた「大手メディア」以上にひどい惨状に。今回の件ではハンギョレ新聞でさえ好戦的な社説を掲載するという愚を犯しましたが、真に反戦・平和を希求するのであればそれらに惑わされぬよう、好戦論に拍手せぬよう心がけねばなりません。

張誠珉氏のホームページとブログ
http://211.238.14.162/~netjjang/
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「『戦争の道』でなくば対話せよ」
 
寄稿「我らにとって大韓民国とは何なのか」
2010.11.26午前10:58:16
 
国家とは何か。国家とは国民の生命と財産が保護され、保障される、安定した生活の基盤である。国民の生命と財産がより安定され、より良く保護される国家は良い国家であり、そうでない国家は悪い国家(bad state)だ。ならば政治とは何か。政治とは、国家の仕事を良く管理する事が第一の義務だ。
 
国家とは誰が率いるのか。政治が率いる。ならば政治は誰が率いるのか。政党が率いる。政党は誰が率いるのか。政党の党首が率いる。政党の党首は誰によって率いられるのか。国民によって指導される。ならば国民は誰が率いるのか。国民の選択した国民の代表が率いる。国民の選択した国民の最高代表者は誰なのか。それはその国の憲政体制によって異なるが、大統領制を立憲主義とした国では大統領であり、内閣責任制を立憲主義に採択した国の場合は首相または総理がその国の代表者である。
 
今、大韓民国はどのような国家か。大韓民国という国家の政治体制は何であり、大韓民国と言う一国家の運命に責任を持つ大統領は何をせねばならないのか。大韓民国憲法66条は大韓民国大統領の地位及び権利について包括的規定を政治哲学的に明示している。「大韓民国大統領は国家の元首であり、外国に対して国家を代表する。大統領は国家の独立、領土の保全、国家の継続性と憲法を守護する責任を持ち、祖国の平和的統一の為に誠実な義務を担う」以上は我が憲法に明示された、大韓民国という特殊な国の特殊な大統領の任務だ。
 
なぜ大韓民国という国は特殊な国なのか。1950年に勃発した朝鮮戦争によって今まで領土統一のならない、分断された体制を持続してきた国家だからだ。しかし、我々は少し前に再び歴史の時計針を60年前に戻す惨憺たる現実を目撃した。戦争とは非常に古く、時間の経過した、しかし最近においては新しい事この上ない惨憺たる悲劇を反復した。そして殺戮とは反文明的であり、原始的な残酷性を再燃させ、言葉では「同族同士」「非核3000」を叫びながらも、行動では同族間で害し合い争い合う残酷性を再現させた。これが我々の暮らしている今日の大韓民国である。
 
この極端な状況へとひた走っている現実をどう見るべきなのか。それで今日の大韓民国を心配する。ひょっとしたら、延坪島から広がり出て西海岸を黒く覆った火薬臭のする砲煙によって、大韓民国という国家のブランドが全世界に刻み込まれるのではなかろうか。大韓民国大統領のイメージが747公約のように平和と繁栄と統一の時代を早める「歴史のリーダー」ではなく、何の対案もなく世襲独裁者によって無残に踏みにじられて国民に屈辱感と挫折感だけを抱かせる虚脱な時代の一「観察者」と認識されるのではないか。
 
大韓民国大統領がイスラエルのように単独で国家防衛力を備えた自主国防の完璧な最高司令官ではなく、米国の核航空母艦を引き入れて国家の完全な独立の道を希薄にさせ、弱小国に対する強大国の介入を自ら招いて領土を外勢に依存して保つという、従属国家のリーダーに転落したらどうだろう。このような点が心配される。今我々がどうしようもなく歩む事になったこの道が、果たして大韓民国国家の継続性を維持するのに必ずや行かねばならぬ「歴史の道」であろうか。いま我々が歩んでいるこの道が、我が未来の為の平和の道にして希望の道であろうか。
 
大韓民国大統領は祖国の平和的統一の為に誠実な義務を担わねばならない。ならば今、我々が進むこの道が祖国の平和的統一の為の道であろうか。
 
問いを繰り返さずにはいられない。
 
今大韓民国大統領が祖国の平和的統一の為にやらなければならない誠実な義務とは何か。北朝鮮との全面戦争を辞さずとも神の助けを信じて頼りとし、金正日・金正恩世襲独裁制に対する無差別報復と応酬をする事なのか。そして朝鮮半島をまた大戦争の泥沼へとはまらせる事なのか。さもなければ、今まで歩んで来た道とは全く違う、プロストの言う誰も歩まなかった「第3の新しい道」を歩んでみる事なのか。
 
その第3の道とは何か。それは敵対的提携という不便な関係を維持してでも避けてはならない「対話の道」だ。「疎通の道」だ。「共感の道」だ。その道こそがまさに共存の道にして進歩的自由の道だ。
 
北朝鮮は今、先軍外交を押し立てている。軍の脅威を押し立てて、韓国と米国を彼らの望む対話のテーブルに引き入れようという武力示威的外交戦略だ。これに対して我々は先制攻撃も先制打撃も先制防御も出来ない無戦略である。そこで奇襲ばかりを受け続けている。対決も出来ず、対話も出来ない無戦略だ。もう大韓民国は無戦略の沼から這い出なければならない。
 
その出口は対北線略と政策を変えねばならないという事だ。対北政策のパラダイムを変えてみよという事だ。対決の水位を低めて対話の水位を少しずつ高めてみよという事だ。この提案が今は雰囲気上合わないという考えもある事だろう。そして今北朝鮮と対話をせよという事は、北の脅威に我々の違約をさらけ出す弱点として映るかもしれない。
 
だが北との日常的対話ではなく「戦略的対話」を始めてみよという事だ。この戦略的対話とは戦略外交の手段だ。すなわち、対話はせども妥協はない、もしくは妥協はせども協商はない。そうでもなければ協商はせども我らの国益に損害を与える結論はないという式の外交的技術と戦略を持って、北朝鮮の挑発意思を沈黙の状態に引っ張っていきながら管理してゆけというのだ。そうして北朝鮮の先軍外交に立ち向かえる先経外交で、朝鮮半島のより大きな平和と安定を担保させられる良き枠組みの政策を求めてみよという事だ。
 
なぜ戦争の技術もないのに、いや戦争に臨めるだけの心理的準備さえもない状態でしきりに言葉でばかり戦争への道に出るのかが気掛かりだ。北朝鮮の武力挑発を防ぐ方法には軍事的方法ばかりがあるのではない。外交的方法・経済的方法が軍事的方法よりもさらに安価な費用で大きな効果を担保出来る戦略と政策になる時も多い。いわゆるソフトパワー(soft power)の威力を展開出来る外交的スキルを持ってみよという事だ。
 
今このまま行けば、米国航空母艦が西海を出た後に再び延坪島局地戦よりもさらに大きく残酷な、ある種の未来の脅威が迫って来る可能性を排除出来ない。もちろんその脅威は今すぐには来ないだろう。だが、我が国民達の北に対する公的な憤りが治まりきれば、その時に世の中の隙を突いて再び挑発してくるだろう。それが北朝鮮の体制維持の秘訣だ。率直に言って今のような対北戦略と政策では北朝鮮を管理出来ないと見る。
 
北朝鮮を焦土化させられる対決能力と自身があるならば、そしてわが国民がその道を望むというならばその道を行かねばならない。だがそうでないなら、行くべき歴史の道を政略の観点から考える必要はないと見る。前任者の道が対話の道であったからといってその道を避ける事に執着するならば、クリントンの道を避けようとばかりしていたブッシュの道を歩む事になる。その道は戦争の道であった。
 
三年に渡って繰り広げられた朝鮮戦争が休戦と停戦を迎える事になった核心的理由は、まさに残酷な戦争の中でも敵国同士で対話を始めたからだ。戦争中の対話の始まりが60年間の大きな平和を担保し、それが今日の大韓民国の繁栄の土台となった。それゆえ、対話の力は偉大である。
 
だが戦争の力は残酷なだけだ。この地球上で戦争よりも悪い事はない。だが、戦争よりもさらに悪い事がある。それは戦争を仕出かしもしない前に、その国の国民に屈辱(slavery)と恥辱(dishonour)と戦争の恐怖を抱かせる国だ。今、生活の基盤を失って避難の道にある延坪島住民達を眺めながら、私の暮らしている大韓民国がもしやそのような国になったのではないかという事が気掛かりである。
 
朴正煕、全斗煥、盧泰愚、金泳三、金大中、盧武鉉政権時にも我らの地・延坪島は今のような砲撃の惨禍を受けた事はなかった。延坪島住民がこれほど不安に陥った事もなかった。この島が不安でこれ以上住めないので、その地を離れる国民もいなかった。しかし今の延坪島住民は自身の長い住処を背にして離れながら、止め処なく涙を流している。我々にとって大韓民国という国家は何なのか。我々にとって政治とは何なのか。我々にとって大統領とは何なのかという事をを反芻させる。
 
(訳 ZED)
 
元記事のアドレス

当然韓国語ですので、読める方は原文でも読んでいただきたいと思います。プレシアンでは今回の事件についてこれ以外にも良い記事が多くある(それこそアジアプレスとは雲泥の差がある 笑)ので、もし手の空いた方いましたらプレシアンに限らず良質な韓国の記事の翻訳や内容の主旨を紹介するなどして、日本のより多くの市民が貴重な情報を共有出来るようしていただければありがたいと思います。筆者一人では限界があるので。
 

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