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【翻訳記事】あなたの中に文昌克はいないのか

金甲洙(キム・ガプス 김갑수)氏のフェイスブックより

あなた達の中に「文昌克」はいないのか(1)
日帝の啓蒙主義者達と今日の「擬似進歩」は同じ穴の狢

多くの人達が文昌克(ムン・チャングッ 문창극)の発言に興奮、怒りを表明している。それもそうで、文昌克は日本の植民地支配も、分断と朝鮮戦争も全て神の意思だとしたからだ。もし彼が韓国の民主化や経済発展が神の意思だと言ったなら、どのような反応を見せただろうか? おそらく何事も起こらなかっただろう。人々はただ文昌克をキリスト教信仰を持った純真な人となり程度で心に刻んだ所だ。

だが文昌克は後者のような話はしなかったし、するはずもなかった。それならばなぜ彼は「神の意思」を煽り立てたのだろうか? 端的に言って彼は我々の歴史を貶める為に神を利用して食い物にしたに過ぎない。したがって、彼は決して篤実な信仰人だとも言えないようだ。

私が見るに本当の問題は文昌克の言葉にすっかり興奮、怒りながらもなぜ彼の言葉が不当なのかを明確に論証出来ない所にあるのではないかと思う。多くの知識人達が誰も彼も簡単に「親日史観」と「植民史観」だと言う。それならばなぜ親日史観で、どうして植民史観なのかと問い返す事も出来る。これに対して「文昌克は日本帝国主義の『植民地近代化論』を信奉している為だ」と答弁する事だろう。

私が見るにはここまでだ。日本が退いてすでに70年なのに、なぜ文昌克の類の人間達が依然として勢力を持ち、どうして文昌克式の発言が忘れられては浮上するのか、深く考えてみる必要があるのではないか?

私はこの場で、文昌克を庇護するいわゆる「守旧馬鹿達」を論議しようというのではない。私は、文昌克を非難しながらも論理を備えられない知識人達と進歩主義者達を問題にしようとしている。

「おまえ達は李朝500年に無為な歳月を送った民族だ」
「李朝末期に、我が民族達の血にはただで遊んで食うのが全くそのまま身に刻まれていました」

上の二つの発言は文昌克のものだ。あなたはとりあえずここから「李朝」という用語を問題にする能力はある。だがその次の言葉について考えてみよ。我々は朝鮮500年を無為な歳月であり、朝鮮末期に我が民族は非常に怠惰であった主張に対してあなたはどのように考えてきたのか? 今までこれと等しい考えを持ってはいなかったかという事だ。もし一抹でもそうであるなら、あなたもまた植民史観に知らず知らずのうちに感染していたという嫌疑をおく必要がある。


あなた達の中に「文昌克」はいないのか(2)

「一時は独立協会、万民共同会、新民会活動などで愛国啓蒙運動の中心的役割をした事もあった彼の『転向』または『変節』の下には朝鮮が未開だという日帝の認識がそのまま下敷きになっていた…だがあの時について言えば彼はまだ積極的『親日派』ではなかった。彼が『親日派』に『転向』したのは、国が亡んだ翌年である1911年に寺内総督暗殺未遂事件を口実として日帝が朝鮮民衆運動指導者達を大挙捕まえた『105人事件』で3年の懲役暮らしをしてからだった」(ハンギョレ記事「文昌克候補が引用した尹致昊(ユン・チホ 윤치호)はどんな人?」中から)
http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/642255.html
(ただしこの記事は日本語版では翻訳掲載されていない 訳者注)

上記は「ハンギョレ」記者の中でも比較的無難な歴史観を持っていると評価される韓承東(ハン・スンドン 한승동)記者のものだ。だが私が見るにこの文には明白な歴史認識の誤謬と限界が表れている。とりあえず韓記者は、尹致昊が最初は悪くない人間だったのに1911年以降に「転向」したという風に語っている。「転向」とは? 朝鮮知識人が親日派に堕落した事にも「転向」という言葉を使えるのか?

次に尹致昊は1911年以降に転向したのではなく、「最初から親日派だった」事を韓記者は知らないか歪曲して把握している。これは皮肉な事に、韓記者が提示しておいた尹致昊の日記にもよく表れている。

1)「朝鮮が今の野蛮的状態に留まるより、敢えて文明国の植民地になるのがましだ」(1890年5月18日尹致昊日記)

2)「もし私が好きなように自分の故国を選択出来るならば、私は日本を選択する事だろう。おお、祝福された日本よ! 東方の楽園よ!」(1893年11月1日尹致昊日記)

このように尹致昊はすでに1890年代から親日派だった。彼は独立協会幹部を務めながら開催した万民共同会でも親日派だった。彼は福沢諭吉と伊藤博文を本心から尊敬した。特に尹致昊は、ソウルを訪問してから帰る伊藤博文の為に料亭・菊翠楼で歓送会を開いてやった。伊藤はその日尹致昊からもらった贈り物に大変満足し、答礼として自身の写真を尹致昊へ与える。伊藤が尹致昊からもらった贈り物は大型の銀茶碗だったが、そこには新しく建てた独立門が浮き彫りにされていた。

実像がこうなのに、なぜ韓承東記者は尹致昊が「一時は独立協会、万民共同会、新民会活動などで愛国啓蒙運動の中心的役割」をしたと肯定的に認識したのだろうか? これは果たして韓承東記者だけの問題ではない。これは今日大多数の韓国知識人達の問題でもある。

韓国の進歩的知識人達は啓蒙運動と独立協会を肯定的に認識する誤った歴史認識を持っているが、事実これこそ日本が普及させた「最悪性植民史観」によるものだ。


あなた達の中に「文昌克」はいないのか(3)

韓国進歩知識人達はいくつかの共通点を持っている。まず彼らは一様に社会進化論を受容する。「西遊見聞」を書いた兪吉濬(ユ・ギルチュン 유길준)は、この世には未開化な国と半開化な国と開化した国があると主張し、韓国は半開化、西洋は開化した国だと断定した事がある。それによればアフリカは未開化な国である事は間違いない。

もちろん私はこのような3分法に同意しない。社会とは発展もするし、退歩する事もあるものだ。社会が無条件に発展だけするなら、歴史的には無数に確認出来る文明の滅亡史をどのように説明出来るのか。そして西洋は無条件開化したという説明も正しくない。軍事的・経済的優越が開化の全てではないからだ。

次に韓国の進歩知識人達は根拠のないエリート意識に染まっている。彼らは人民大衆の属性をよく知らない。彼らは東学抗争と義兵抗争、そして東北満州の反日武装闘争などに対してよく知らなかったりわざと無視する。そうしてみると韓国の進歩知識人達が重視するのは、いわゆる愛国啓蒙運動であるというだけだ。したがって彼らは独立協会と独立新聞が歴史的には大変肯定的な団体だったものと考える。

厳正に言って、独立協会というところは甲申政変の後を継ぐ事大親日団体だったというだけだ。まず独立協会の幹部だった人間達の面貌を確かめてみよう。独立協会は顧問に徐載弼(ソ・ジェピル 서재필)、会長に安駉壽(アン・ギョンス 안경수)、副会長に尹致昊(後に会長)、委員長に李完用(リ・ワニョン 리완용)らで出発した。

会長団の中でも李完用と尹致昊については、もうすでに語る必要がないので省略する。安駉壽は、日本で金玉均(キム・オッキュン 김옥균)が伊藤に少女・裵貞子(ペ・ジョンジャ 배정자)を上納するようにした人間だ。彼は早くも1898年、日本にけしかけられて高宗譲位の陰謀を目論みもした。

独立協会委員としては、高利貸をしながら親日団体・政友会総裁を務めた金宗漢(キム・ジョンハン 김종한)、アメリカ留学出身で総督府男爵兼中枢院参議を務めた閔商鎬(ミン・サンホ 민상호)、乙巳五賊・李根澤(リ・グンテッ 리근택)の弟にして総督府男爵である李根澔(リ・グンホ 리근호)などがいる。結局、独立協会幹部と委員の中で、生き残ったのは李商在(リ・サンジェ 리상재)と周時經(チュ・シギョン 주시경)しかいない。

1898年独立新聞の論説には「伊藤博文氏は当今世界の有名な政治家にして、また我が独立事業に大功ある人であろう。此度遊覧に来る際、政府と人民は格別に厚くもてなさん事を願う」となっている。彼らの言う独立とは大韓の自主独立ではなかった。彼らは日本の支援を受けて清国の宗主権をなくす陰謀を、独立と包装して言ったに過ぎない。そこで清国使臣を迎えた迎恩門を壊し、その場に独立門を建てたのだった。

この他にも露骨な親日論調を披瀝した独立新聞の社説は無数に多い。徐載弼が反民族的な親日・親米利権屋に過ぎない人となりであった事は、すでに知っている人はみな知っている。

それにも関わらずなぜ韓国の知識人達は近代的な愛国啓蒙運動を高く買うのだろうか? いくつかの要因を挙げられるが、その中でも核心的なのは彼らが朝鮮時代の歴史に無知な為だ。朝鮮に対する不当な歪曲・卑下こそ植民史観の核心だ。

518年間悠久に続いた世界最長寿王朝、最小限300年以上文治と治世を具現した朝鮮、東アジアの1等先進国家だった朝鮮を彼らは知らない。彼らは朝鮮易姓革命の精神と民本政治を知らず、朝鮮王朝実録と経国大典、それに大同法などを知らない。

先に確認したように、文昌克の植民史観は朝鮮に対する歪曲・卑下的認識にはじまるものだ。朝鮮を歪曲して卑下したのだから、朝鮮を取って食う勢力が免罪符を得るのであり、王政を無視するのだから西欧的近代化が無条件礼賛されるのだ。今日の進歩的知識人達の脳裏にも数多くの文昌克が巣食っている。

訳:ZED

韓国語原文記事はこちら
https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/321080624709555
https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/321080734709544
https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/321080811376203

韓国の新総理候補に指名された例の文昌克について書かれた文章を今回はお届けした。前に筆者がこの「韓国のナベツネ(籾井か百田でも可)」について書いた直後、「植民地支配は神の意思」発言が発覚して大騒ぎになったのはあまりに予想通り過ぎる展開であったろう。文について日本の右翼メディア(産経など)は当然大絶賛している。が、事態が大きくなり過ぎたせいか、今日17日になって文昌克が日和った発言をブツブツつぶやき始めたのは笑わせるだろう。

http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20140617_0012987380&cID=10301&pID=10300
文昌克「日本は『慰安婦』強制動員謝罪せねば」(韓国語記事)
[2014-06-17 09:16:14]
文昌克国務総理候補は17日「日本の『慰安婦』強制動員は明らかに反人倫的犯罪行為だという事に気付き、必ず謝罪されなければならない」と語った。

おいおい、ずいぶん弱気じゃねえか。数日前までのでかい態度とへらず口はどうしたんだ? おまえ少し前まではこんな事を主張してたんじゃねえのか?

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140612/kor14061216170003-n1.htm
2014.6.12 16:17
韓国「神の意思」発言の首相候補、慰安婦問題でも「謝罪を受ける必要はない

たった5日で「ギバ~~ッ! ギバ~~ッ! byマイク・クイン」(のふり)かよ。どうやら文昌克はそこまでして総理になりたいらしい。どっちにせよロクなものではないし、この男が本心から悔い改めた訳では決してないだろう。
事態と反発が大きくなり過ぎてついに文は「日本の謝罪は必要」と180度違う事を言い出した訳だが、そんな「主張の使い分け」は佐藤優や原子力資料情報室の伴英幸のような輩だって当たり前のようにしている事だ。文昌克のような権力亡者にとって、総理の座が掛かっていればその程度の二枚舌は平然と使い分けるものだろう。

それはともかく、文昌克の根底にあるものこそまさに植民史観というものである。これは文昌克一人だけの問題ではなく、今回の記事で金甲洙氏が述べている通り文を擁護する韓国の保守派はもとより、それに対立するはずの進歩派の中にも深く根を下ろしている所が問題だ。だからいつまでもこうした親日問題を解決出来ない。上記記事で引用されている韓承東という記者はあれでもハンギョレの論説委員であるし、これではやはり同紙論説委員で「日本は戦後真面目に謝罪してきた」というホラ話を必死に言いふらしてきた日本特派員の鄭南求と一緒だろう。ハンギョレの歴史認識というのはそもそもがこの程度であり、日本で言えば朝日新聞や東京新聞と同じような水準&立ち位置という事だ。筆者はこれまで何度も繰り返してきたが、ハンギョレが「韓国の代表的革新系メディア」というのはもはや過去の話に過ぎないのである。はっきり言って、今のハンギョレはすっげえ保守的です! 少なくとも創刊当初の頃からは考えられないくらい右寄りになった。ハンギョレは歴史問題だけでなく、韓国の原発輸出にも賛成しているメディアだという事を忘れてはならない。
こうした傾向はハンギョレだけの話ではなく、他の代表的進歩派メディアである京郷・オーマイニュース・プレシアン(ここは日本の小泉・細川を支持したばかりか、なんと核融合発電にも好意的論調!)らも全く同じであり、また「韓国版岩波知識人」とも言うべき白楽晴の創作と批評、いわゆる「創批文化人」にも全く共通しているだろう。白楽晴や韓勝憲・丁世鉉といった「創批文化人」達が統合進歩党への弾圧事件や、非正規職・整理解雇などの労働問題、平和統一問題などで最近信じられないくらい愚劣・醜悪・無様な反動的言説を振りまいているのも、根っこは同じであると思う。ハンギョレや「創批文化人」などの韓国進歩知識人達もまた植民地史観に毒されているという点で、文昌克と根本的な部分を同じくしている。

もちろんこうした植民地史観に毒されているという問題は在日社会にも存在しよう。朝鮮学校への無償化除外にお墨付きをわざわざ与えている民団はもちろんそうだし、最近では他にも在特会に対する「カウンター」行動に関わっている在日、早く言えばしばき隊・野間易通一派に連なる在日達にそれは顕著である。野間一派の在日の中には日の丸大好き天皇大好きと公言する輩がいるし、自分こそ日頃からイヌのような真似ばかりして悪質なレイシスト日本人に「一死御奉公」しているくせに、他の日本国籍の在日に対して「おまえ日本人だろう」という最低な罵声を浴びせる輩もいる。まさに今の在日社会にも小型文昌克がずいぶんと目立つようになってしまった。
韓国知識人達、あるいは在日の親日不良分子に見られるこうした醜態は、まさに自民族に対する歪曲と卑下、すなわち植民地史観の産物そのものである。


今回取り上げた記事の執筆者である金甲洙氏という人物は韓国の小説家・評論家だ。日本ではほとんど知られていないが、今の韓国では屈指の硬骨な文筆家で、筆者が最近注目している人物の一人である。2012年の総選挙直後に起こった統合進歩党への社会的リンチとも言うべきバッシングに対して、早くから異議を唱えてきた稀有な人物の一人だった。その他、歴史問題の見識はもちろん、今回のような韓国進歩派の抱える問題点や日本批判なども非常に鋭く、在日同胞にももっと氏の事が知られ、その記事が読まれてしかるべきだと思う。その手始めとしてとりあえず今回の記事を選んで翻訳紹介した次第である。氏のその他の記事などは以下を参照していただきたい。もちろん全て韓国語記事である点はお断りしておく。

金甲洙氏のフェイスブック(記事を読むにはフェイスブックのアカウントが必要)
https://ko-kr.facebook.com/kimcapsu

ニュースサイト「真実の道」金甲洙氏記事一覧
http://www.poweroftruth.net/column/mainList.php?kcat=2024&PHPSESSID=c88201ca31bc711e1a3d6056ac1c5316

なお注意点として、金甲洙(キム・ガプス 김갑수)という名は朝鮮・韓国人の名前としては非常にありふれた多い名であり、同姓同名の文筆家や芸能人などが何人もいるので検索などする時は気を付けていただきたい。今後とも氏の著作や記事は折を見て書評や翻訳して御紹介していきたいと思う。

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【翻訳記事】北朝鮮の親日派清算実態について

〈親日派は生きている 86〉
北朝鮮の親日派清算実態「北朝鮮の親日派清算、我々(南)よりもよくやった」
2013.04.15 00:01鄭雲鉉

解放後、親日派清算問題は南北朝鮮全ての時代的課題だった。先に言及したように、南では米軍政が親日派清算作業を反対した事で、米軍政3年間は手も付けられなかった。続いて出帆した李承晩政権は親日勢力を背に負っていたせいで、反民法(反民族行為処罰法。解放後の南で、植民地時代の親日派を処罰する為に1948年8月に制定された。訳者注)制定段階からして反対し、結局は反民特委(反民族行為特別調査委員会。1948年10月に構成された、反民法に基づいて親日派を調査・処罰する為の特別機関。訳者注)まで瓦解させた。ならば、北朝鮮政権は親日派清算を十分に行ったのか? 結論から一言先に言うなら、北朝鮮はその時それなりの清算作業を終えており、それによって以後親日派問題で国民的対立が惹起された事がない。

解放直後、北朝鮮は親日派清算を当面の課題と規定したが、これは社会主義国家建設の必須課題と認識した為だ。さらに北朝鮮に進駐したソ連軍政は南朝鮮の米軍政とは違い、親日派排除の原則下に反日勢力が権力中枢となる事を希望し、またこれを支援した。北朝鮮の親日派清算方式は南朝鮮とは違う方式を採用した。すなわち反民法制定や機構を作らず、社会主義国家建設過程で処理した。これは人民裁判のような社会主義特有の制度の為だとも言える。

北朝鮮で親日派清算問題が公式的に取り上げられたのは1945年9月、朝鮮労働党平南地区拡大委員会で採択された「綱領」からだ。「綱領」には日本帝国主義と親日的朝鮮人及び反動資本家が所有していた工場・鉱山・運輸などは没収して国有とし、これらの土地も没収すると規定した。これは物的清算を通じて土地改革の為の基本原則として提示したものだが、人的清算も自ずと随伴した。特に北朝鮮は親日派の範囲を先祖の遺産を相続した子孫まで含ませたが、この為に大多数の大物親日派とその子孫達は北朝鮮政権樹立後に越南した。

北朝鮮で親日派粛清作業は、北朝鮮政権誕生と共に本格始動された。1945年10月労働党創建時、親日派処断と日帝残滓清算問題が革命の戦略的課業として決定された。以後親日派清算は2段階に亘って進行されたが、解放後から1946年2月北朝鮮政権樹立までを第1期、1946年2月-1947年2月までを第2期に分ける事が出来る。正式な国家機構がなかった第1期の時には、地方で住民達が人民裁判を開いて親日派達を検挙したり、あるいはソ連軍隊に引き渡したりした。この過程でリンチが加えられた事例もときおりあった。

第2期は1946年11月から1947年2月まで進行された北朝鮮の市・道人民委員会委員選挙過程でだった。北朝鮮は選挙法第1章第1条で親日派排除を規定し、親日分子の選挙権を剥奪した。親日派は投票出来ない事は言うまでもなく、選挙人名簿に登録する事すら禁止させた。その対象は▲中枢院参議・顧問全員 ▲道会・府会議員全員 ▲総督府及び道責任者全員 ▲警察・検事局・裁判所責任者全員 ▲軍需業者 ▲親日団体指導者などだった。これらは選挙人名簿作成過程で身元が確認されたり、また親日前歴が明るみにされたりした。その結果1946年11月3日の選挙で575人の親日派が選挙権を剥奪されたが、当時北朝鮮政権は選挙を通じて親日派を色分けしようとする目的も持っていた。

北朝鮮は親日派清算の為に特別法を制定する代わり、既存刑法と人民刑法、そして1946年2月の北朝鮮臨時人民委員会決定第2号を法的根拠に据える。人民委員会決定第2号の場合、処断対象者として▲売国奴 ▲中枢院参議 ▲特高刑事とそれらの手先 ▲道会・府会議員 ▲警防団など親日団体幹部 ▲日帝統治機関勤務者 ▲その他などを選んだ。主に意識的・職業的に親日行為を行った人間達が大部分だが、官僚出身の場合は高等官以上を対象にした。(北朝鮮臨時人民委員会は1946年3月7日付で「親日派・民族反逆者に対する規定」を制定した)

これらの内、特に独立運動家を弾圧した者は許されず、また供出・徴用・徴兵・創氏改名に率先した人間達も大きく処罰された。対象者達は罪状によっていくつかの等級に分けて処理されたが、大物親日派達が大挙越南したせいで、比較的「ザコ」に属する親日団体関係者達が大部分だった。これと関連して平安南道(平壌市含む)道検察機関で全114件を処理したという証言がある。

北朝鮮の親日派清算作業は、解放直後から怒った民心の爆発によって自然発生的になされ始めた。一例として1945年9月に江原道の高城(8.15解放直後は全地域が北朝鮮管轄下に、朝鮮戦争後は約3分の2が南に編入。これは当初の38度線と朝鮮戦争後の軍事境界線の線引きが異なる為。訳者注)では民族反逆者11人に対して人民裁判が開かれて死刑が言い渡され、またこれを執行しようとした。また、近くの襄陽(8.15解放直後は全地域が北朝鮮管轄下に、朝鮮戦争後は全地域が南に編入。理由は上記の高城と同じ。訳者注)でも民族反逆者3人を人民裁判に付して5年と3年の教化刑を下しもした。1945年8月-1946年2月の間に北朝鮮の所々でこのような人民裁判が開かれたが、裁判で有罪を受けた人間達は大概ソ連軍に引き渡されてシベリアに送られた。

一方、北朝鮮政権樹立後の1947年以後に法と裁判機関が設立されて以降の親日派粛清作業は、国家次元でなされた。ただ、南朝鮮の反民特委のような特別機構は設置せずに人民裁判所と人民検察所でこれを担当した。有罪判決を受けた者達は大概1-2年の懲役暮らしをしたり、さもなければ3-5年の強制労役刑に処された。だが時には死刑宣告が下され、また実際に刑が執行された場合もあった。満州で憲兵補助員を務めた平安道出身のソン・グァンイッ、平壌兵器廠に勤務した仁川出身の韓国人監督などをはじめとして、特高刑事、憲兵補助員出身者の中で処刑された者が何人かいた。日帝時代に特高刑事部長出身の崔鈴(この人物は親日人名辞典にも名があり、越南逃亡した。訳者注)という者は欠席裁判で死刑判決を受けてもいる。

ただ、北朝鮮の親日派清算も完璧たりえなかった。まず政権草創期の高級人材不足が理由で、親日前歴者をたまに起用したりもした。代表的なものとして臨時人民委員会司法部長を歴任した張憲根は日帝時代に警視・参与官・中枢院参議を務め、初代内閣の司法相を務めた李承燁は大和塾に加入した前歴がある。また文化宣伝省副相を務めた趙一明(本名・趙斗元)も社会主義運動をしながらも転向して親日団体である大和塾に加入し、軍部人士の中で初代空軍司令官を務めた李活は日本陸軍航空隊出身だった。

この他にも北朝鮮政権は日帝時代の司法官僚出身者のうち一部人士を再起用し、特に技術者・科学者・医師などは大多数が再起用された。例えば機械工業部第1副部長を務めた金ヨンヒョンは咸鏡北道富寧所在の冶金工場支社長出身であり、後に副相(長官)を務める金チュンサムは鴨緑江水豊発電所の電力技術者だった。ただし北朝鮮政権樹立後に1級親日派は大多数が越南した為、日帝時代の高官出身者や悪質分子が高位職に抜擢される事はほぼなかったと言える。

北朝鮮はまた政府樹立後は制度的に親日派清算を持続的に推進した。1948年9月5日に採択された朝鮮民主主義人民共和国憲法第1章(基本原則)第5条では「重要産業について日本国家と日本人または親日分子が一切所有してきたものは国家所有」と規定し、第2条(公民の基本的権利及び義務)では「親日分子は選挙権と被選挙権を持つ事が出来ない」を、第6章(裁判所及び検察所)では「日帝時代に判検事として勤務した者は判検事になる事が出来ない」と規定して親日派の社会再進出を法的に規制した。また1948年9月10日に金日成主席は「朝鮮民主主義人民共和国綱領」を通じて親日派処罰と植民地経済体制清算を再度指示した。結局、北朝鮮政権は親日派清算過程で樹立されたと言っても過言ではない。

参照:「証言・反民特委」(鄭雲鉉著 三人刊 1989)中から脱北者・申敬完氏の証言

訳:ZED

韓国語原文記事はこちら
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/297053

以前の旧ブログで「親日派は生きている 친일파는 살아있다」(著者 鄭雲鉉)という韓国の本の書評記事を書いた事があります(その書評記事はまた近いうちに再掲予定)。著者・鄭雲鉉氏は韓国のジャーナリスト・親日派問題研究家であり、同書の内容は氏のブログで公開されているので、今回の記事はその中の一編である8.15解放直後北朝鮮での親日派清算作業がどのように行われたかについて述べられた部分を訳しました。この「親日派は生きている」という本は日帝時代から今に至る親日派問題の入門書として最適な歴史読本であり、在日同胞は全員、それも朝鮮学校の生徒達は、とりわけ今のような情勢だからこそ読ませなければならない本と考えます。図書室に1冊必ず置くべきでしょう。無償化や補助金をエサにして日本の自治体が押し付けようとしている「新・皇民化教育(日韓併合は合法、竹島は日本領など)」など学ぶな! こういう本をこそ読んで学びましょう。

鄭雲鉉氏のブログ「宝林斎」
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/

その中で「親日派は生きている」のカテゴリー
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/category/17206

知っての通り、南朝鮮では親日派清算がロクに出来ず今の韓国の「親日共和国」へと至り、また日本では天皇はじめとする戦犯が処罰されないまま戦後の「平和国家の仮面をかぶった大日本帝国シーズン2」として現在に至っています。南朝鮮地域(及び在日)の親日派と日本の戦犯はいずれもアメリカに買い取られる形で免罪された訳で、それらが戦後も引き続き両国の支配階級・既得権層を形成してきました。
では対する北朝鮮ではどうだったのか? それに答えるのが今回の記事です。北朝鮮での親日派清算の実態は「親日派は処罰した」という当局の宣伝だけで詳細な資料が公開されなかった為に、南ですら長らくまとまった研究が進まず、ましてや日本ではほとんど知られてきませんでした。南で北の親日派処断に関してまとまった研究成果が出て来たのは、ようやく1990年代後半になってからです。逆にインターネット時代になってからの日本はひどいもんで、日本語で検索してもロクな記事は出て来ません。韓国極右派のデマをそのまま機械翻訳してパクったようなネット右翼の文章ばかりです。池田信夫の知ったかぶりなんて典型例でしょう。親日派を清算するという事は日本の植民地支配を裁くという事でもあり、だからこそ日本の右派は親日派を擁護し、韓国での親日派財産没収や親日人名事典刊行などをまるで我が事のように声を荒げて攻撃してきた訳です。同時に連中が、南と違って親日派を清算した北の事を蛇蝎のごとく嫌っているのはそうした文脈で理解する事も出来るでしょう。韓国の親日派と日本の戦犯、ならびにその子孫は大の仲良しにして今でも内鮮一体・運命共同体。実は「仲良くしようぜ」は間違ってるんです。日韓の戦犯&親日派は、日本の朝鮮侵略が始まった19世紀末からずっと「仲良くし続けてるぜ」が正しいのです! 戦後はその上にアメリカが君臨して、両者が対米忠誠競争をしているという部分がちょっと違いますが。

さて、お読みなってお分かりの通り、1945年8.15解放後の北朝鮮では親日派処断が新国家建設の必須課題として認識され、それが実行に移されました。親日派の土地や財産は没収、親日派達は選挙権などの公民権を剥奪され、罪状に応じて罰せられ、罪の重さによっては死刑やソ連軍に引き渡されてシベリア送りという厳罰まで執行されたという詳しい実態がこれで明らかになったと言えます。今であれば死刑というのはすべきではないでしょうが、親日派・民族反逆者処断という行為自体は全くもって当然の処置でしょう。
このように北では共産党政権の樹立とそれによる厳しい親日派処罰・粛清方針が定められた事から、北朝鮮地域の大物親日派達は大部分が南へ逃亡する結果にもなっています。解放後に北から南へ行った越南者の数は1946年の1年間だけで18万5000人になりますが、これの大部分は親日派でした。そうした人間達が自らの行為を全く反省せずに北朝鮮政権を逆恨みして「西北青年会」などの極右ファシスト団体を結成し、李承晩や朴正熙といった独裁政権に忠誠を誓って反共テロ活動を公然と行ってきたのが、南朝鮮解放後史の暗部です。外国で、それら南朝鮮の親日勢力と最も親しく手を結んで利用してきたのがアメリカと日本だったという事は言うまでもないでしょう。南では盧武鉉政権下で親日派の土地が没収されたり親日人名事典が刊行されるようになるまで、解放から半世紀以上の時間がかかったのです。これがどれだけ長かった事か! さらに、それすらも日本は外から口を極めて罵り、邪魔をした。植民地支配の反省など、日本という国には欠片もない事がよく分かるでしょう。

ただし文中にもあるように、解放後の北朝鮮でも親日派の中で医者や科学者・技術者・芸術家などいわゆる「手に職持った」人間達に関しては、悪質でない者や罪の軽微な者、過去の行状を真面目に反省した者を選別的に助命・減刑して再起用する例が多くありました。これは解放直後の人材不足が原因で、北朝鮮政権がそうした類の人々に一種の「抱擁政策」を行った事は確かです。過去に親日前歴があるにも関わらず手に職を持っていたので解放後の北朝鮮で再起用された例としては、舞踊家の崔承姫が最も有名でしょう。それでもこれらは比較的罪が軽かった事と、過去の親日行為に対して改過遷善(かいかせんぜん 개과천선)すなわち反省の色を見せた事による「減免措置」という点で、南の親日派や日本の天皇を無罪放免したのとは意味合いが異なると言えます。解放直後の人材不足がどれだけ深刻だったかというと、例えば残留日本人遺骨問題関係者の証言によれば、解放直後の北朝鮮では残留日本人の中から工業技術者を一部再雇用して帰国までの間に働かせた例もあります。本来なら早々に追い出したい日本人であっても使わねばならないほど、当時は技術者が足りないので仕方のない措置でした。当時金日成はこうした日本人技術者に直接会って仕事と朝鮮人技術者への技術引継ぎを頼み、朝鮮人よりも高給を補償したそうです。もちろん解放されたのに日本人に頼らねばならない現状に金日成も内心でははらわたが煮えくり返っていたでしょうが、我慢して太っ腹な所を見せました。そうした日本人引揚者達は帰国後も金日成主席の温情と優遇には感謝していると証言しています。解放直後北朝鮮における親日派の「選別的再起用」は、人材不足で日本人すら一時的に使わねばならなかった社会的情勢も考慮せねばならないでしょう。
ただしこの「選別的再起用」というのは飽くまで一部の例外的措置に過ぎません。北朝鮮政権の親日派処罰で最も重きを置いたのは「独立運動を弾圧した者」の処罰で、こうした人間達への処遇は大変厳しいものでした。具体的に言えば特高警察や満州軍軍人とその密偵といった手合いが該当し、これは北朝鮮政権の首脳陣が民族解放運動出身者達で構成されていた事からも当然の流れでしょう。解放後は追う者と追われる者の立場が完全に逆転した訳です。今回の記事に証言者として名のある申敬完氏の別の本に載っていた証言によると、解放後北朝鮮で新たに人民軍を創設する際、日本軍に徴用された事のある人でも南方へ送られていた人達は再起用しましたが、満州軍や特高警察にいた人間は絶対に人民軍に起用しませんでした。独立運動を弾圧した者に対しては「手に職(軍隊経験・軍事技術)がある」者であっても起用せずにケジメをつけたと言えるでしょう。

解放後の北朝鮮政権、後の朝鮮民主主義人民共和国が行った親日派清算方式をまとめると

・社会主義国家建設の必須課題として位置付けられていた。
・南朝鮮に進駐した米軍政と違い、ソ連軍政は北朝鮮での反日勢力執権と親日派処断を望み、これを支援した。
・初期は怒った民衆達が自発的に「親日派狩り」をやって人民裁判にかけた。
・司法機関が出来てからはそうした勝手な事は許されず、正式な裁判にかけて処罰した。大概1-2年の懲役か3-5年の強制労役刑に処されたが、重罪の者にはシベリア送りや死刑も執行された。親日派の財産や土地も全て没収され、そうした資産は後の土地改革で小作・貧農層に分配する原資となる。
・そうした処罰を恐れて、特に悪逆な行為をした者や大物の親日派は大部分が南へ逃げた。
・ただし新国家建設の人材不足という問題があった為、技術者や医師・科学者・芸術家など特別な技能を持った人々に対しては、罪の軽かった者や反省の色がある者を減免して選別的に再起用した。
・特高警察や満州軍将校など「独立運動を弾圧した者」に対しては最も厳しく処罰し、これらは解放後の警察や人民軍にも起用されなかった。
・朝鮮民主主義人民共和国成立後も憲法や国家綱領で親日派の社会再進出を法的に規制した。

という具合になるでしょう。
こうした親日派処断は北朝鮮だけではなく、中国の共産党と国民党も同様に戦後厳しく行いました。汪兆銘に代表される中国の親日派を「漢奸」と言いますが、こうした連中は共産党も(後に台湾に逃れる)国民党も戦後の短い期間に迅速に裁判を行って処罰しています。結局南と日本だけがこうした歴史清算作業をロクにやらず、いつまでも恥ずかしいザマをさらしていると言えるでしょう。その帰結が、日本が今やってる集団的自衛権行使や武器輸出解禁だという事です。
「彼ら(朝鮮・中国共産党・国民党)がうらやましく、我々(韓国・日本)は恥ずかしい」
このように歴史を考えられる韓国人と日本人こそがまともなのですが、そんな人はどれだけいるでしょうか。特に日本は!


【補論】申敬完という脱北者について
今回の記事には証言者として申敬完という人物の名が最後に登場します。この人は本名を朴炳燁(박병엽 パッ・ピョンヨプ)といい、他にも徐容奎という仮名を名乗った事もある朝鮮労働党の元高位幹部でした。この人はただの脱北者ではなく、労働党の祖国統一民主主義戦線中央委員会部長や対外情報調査部副部長などを歴任した大物で、日常的に金日成や金正日と直接会って報告を上げたり指示を受ける立場にいたのです。80年代初頭に第3国へ派遣されて、その後いかなる理由からか南へ亡命して、1998年に心筋梗塞で亡くなりました。この人は南に亡命後は自身の経歴が公表される事を極度に警戒して拒み、写真を撮る事はおろかインタビューする時も相手がまっすぐ正面に座る事すら避けたと言います。本名が公開されたのも亡くなった後でした。しかしながら、その証言内容は驚くほど正確かつ貴重な内容ばかりで、氏の遺した証言録の数々は朝鮮民主主義人民共和国を知るのに絶対外せない第1級の資料と言えるでしょう。今回の記事も著者・鄭雲鉉氏が解放直後の北における親日派処断の実態について朴氏から聞き取ったものであり、南ではあまり知られていなかった北の親日派処断について大変重要な証言となりました。日本においても「北朝鮮の親日派処断」についてある程度まとまった形で公開されるのはおそらくこの拙訳が初めてであり、今後は最低でもこの鄭雲鉉氏の記事を下敷きにしてこの歴史的テーマを語る必要があるでしょう。
ただし朴炳燁氏の証言集は日本で翻訳されていないものも多く、日本の共和国研究が遅れている一因にもなっています。中国朝鮮族の崔応九教授と同じで、日本で申敬完こと朴炳燁氏の名を知っているのはよほど本職の朝鮮半島研究者か、あるいはよほどのマニアしかいないでしょう。要するにまたしても「和田春樹なら知ってるが、石丸次郎ごときでは知らない(笑)」というレベルの要人という事です(誤解のないように言うならば、和田は国民基金の復活天皇訪韓を目論むなど非常に問題のある人物ですが、さすがに長い間研究活動を続けてきただけあって、知識に関してだけ言えば石丸次郎のごときチンピラデマゴーグは足下にも及ばないという事)。実際に和田は朴炳燁氏の証言録である「真実の金正日」日本語版に解説文を寄稿したほどですから。
朴炳燁氏にインタビューした事のある記者達によれば、その中には現時点ではまだ公表出来ない内容や話も多くあるそうで、今後の公開が待ち望まれましょう。

同じ「燁」の字を名前に持つ朝鮮労働党高位幹部でありながら、黄長燁とは証言内容の資料性・重要性・貴重性に天と地ほども違いがあります。黄長燁は朝鮮民主主義人民共和国に関する歴史的に重要な話はほとんど語らず、ただひたすら自分を冷遇した金正日への恨み言と反共宣伝ばかりを喚き散らし、その講演活動で稼いだ金を元手にソウル高級住宅街の不動産を買い漁り、その築いた巨富を若い愛人とその間に出来た子供に相続させて死にました。最晩年の黄長燁は南北首脳会談に反対したばかりか、アメリカのイラク戦争すら「正義の戦争」と大絶賛しています。一方の朴炳燁氏は北に関するこれ以上ないほど詳細で貴重な歴史的証言を多く残しながらも、南では貧乏な生活を送り、とりわけIMF事態によって韓国社会の経済と民衆生活が悪化する中、ほとんど無一文に近い状態で病死しました。氏のアパートにはわずかな家財と、今後北に帰る事が出来たら母親に贈ろうと買っておいた服が一着あっただけといいます。私利私欲に走っていい加減なデマ話ばかり垂れ流した者が金持ちになって一生を終え、あまり金にならない歴史的に真に貴重な証言ばかり残した者が赤貧の中に死んで行く。同じ元朝鮮労働党高位幹部の亡命者でありながら、この違いは何なのでしょうか。これは我々朝鮮民族が置かれている立場をそのまま投影した有様ではないのか。黄長燁のような金と権力の亡者を「北朝鮮の改革者」「金正日に諫言した硬骨漢」のように描写してきた人間達こそ恥を知るべきでしょう。

朴炳燁氏の証言集のうち日本で翻訳されていない本などについては、いずれ改めて書評の形で御紹介していく予定です。

【翻訳記事】「金正日の旧友」崔應九教授インタビュー

金正日の旧友「朝鮮は核実験を強行するだろう、中国も防げない」朝鮮の外交戦術は卓越、独自生存能力備え、中国の影響力にも限界
チョ・ヨンソン記者 登録:2014.05.01 12:28 修正:2014.05.01 01:57


崔應九(応九)所長


「朝鮮(民主主義人民共和国)は核実験を強行するだろう」崔應九北京大学朝鮮文化研究所名誉所長(77)は一部のためらいもなくこのように断言した。崔所長は朝鮮族として40年以上北朝鮮問題を研究してきた中国でも代表的な碩学だ。金日成大学に留学し、北京大学朝鮮語課教授として在職していた。彼は金正日元委員長の旧友としても有名である。


1日に北京で会った崔所長は「朝鮮の核兵器保有能力は中国でも日本でもなく、アメリカを狙っている」として「朝鮮の最終目標は核兵器でアメリカを打撃出来る能力を備える事」だと強調した。その為に南北対話だけでは朝鮮の非核化問題を解けないと付け加えた。


朝鮮の核兵器開発は弾頭軽量化と大陸間弾道ミサイル研究など大きく二つで構成される。崔應九名誉所長は「アメリカや日本の学者・官僚に会ってみると弾道ミサイル技術は相当な水準に到達しているという点で意見が一致するが、弾頭軽量化技術に対しては意見が分かれる」とし「朝鮮はアメリカに核弾頭軽量化技術が完成している事を証明して見せようとするだろう」と説明した。

◆中国の対朝抑止力限界あらわに

核実験を阻止する為の中国の圧迫も効果がないだろうというのが崔所長の展望だ。彼は「中国は朝鮮の非核化を支持するだけに、明確に朝鮮の核実験を阻止すべき努力を傾けるだろう」としながらも「だからといって朝鮮は中国の勧告を受け入れないだろう」と予想した。

中国が朝鮮の核実験を防げないだろうという彼の主張の根拠は大きく二通りだ。第1は、朝鮮はどの国家にも頼らない「主体の道」を歩んでいるという事だ。このテーマについて崔所長は1961年に金正日元委員長と交わした対話を思い浮かべた。当時金日成大学に留学中だった崔所長は、金日成大学経済学科の学生だった金正日元委員長と度々会話して近い関係を維持してきた。

金正日元委員長は当時彼に「首領(金日成主席)は常にソ連も中国も信じてはならないとし、信じるものは我々自らの力量しかないというお言葉をよくされる」と言ったという。崔所長がその間研究してきた朝鮮の外交や政治もやはり他国に頼るよりも、自身に依存する「主体的な」傾向が大きいという。

第2の根拠は、朝鮮は国際情勢をあまりにもよく知り、これをうまく利用してきたという点。崔所長は「朝鮮はかつて中ソ紛争の間であまりにもうまく自身達の利益を貫徹してきた経験があり、この経験は余すところなく蓄積されて今まで伝わっている」として「現在も朝鮮はアメリカと中国が繰り広げる東アジア勢力競争の核心を見通している」と評価した。

◆「朝鮮は東北アジア情勢の核心を見通している」

彼の説明はこうだ。アメリカが中国に、朝鮮に対する圧力をかけて核開発を挫折させろと注文しているが、朝鮮は中国の圧迫で苦難に遭うなら、むしろ朝鮮は転向的にアメリカ側へと寝返る選択をする可能性が大きい。朝鮮を自分側に引き入れられたら、アメリカとしては大きな政治的成果だ。中国に背を向けた朝鮮がアメリカと友好関係を結ぶ事は、中国としてはこの上ない悪夢だ。朝鮮を圧迫すればするほど朝鮮が中国と遠ざかるので、中国の圧迫には限界があるしかないという事。

彼はさらにアメリカの東北アジア戦略に対する分析も見せた。「現在アメリカが最も恐れるのは朝鮮の核問題ではなく、韓国の中国との密着」だとして「韓中関係の急進展を防ぐ為にアメリカは両国関係のアキレス腱である朝鮮核問題を利用する」という説明だ。

例えば韓米両国が朝鮮上陸と平壌侵攻を前提とした軍事訓練を行えば朝鮮が激烈に反応せざるを得ず、これは南北関係をより急冷化させる。南北関係急冷化は韓国をして、同盟国であるアメリカに対する依存度を高め、北に対して友好的な中国に対する親密度を弱化させる。南北関係急冷化はまた、朝鮮の内部引き締めに好材料として作用する。

崔所長は「朝鮮はこうした東北アジア情勢をあまりによく知っている為、中国が自身に対して一定水準以上の強い圧迫が出来ないだろうと仮定している」とし「その為に中国の朝鮮核実験阻止能力にも限界があるしかない」という見解を表した。

◆朝鮮は核実験時期を調整するだろう

ただ彼は朝鮮がいつ核実験をするかについては「現在としては可能性が大きくない」と語る。彼はその理由としてアメリカがこれ以上朝鮮を脅かす大規模軍事訓練をしないだろうという点を挙げた。崔所長は「アメリカの圧迫が極度に強まった時にこそ朝鮮としては核実験を強行する必要が生じるが、最近オバマ大統領の訪韓を契機に韓米関係がより強化されただけに、アメリカとしては強烈な軍事訓練の必要がなくなった状況」だと分析した。

第2の理由としては、現在朝鮮が進めている日本・ロシアとの協議に冷水を浴びせない為だ。朝鮮の核実験は周辺国家達の反発を呼び起こす事が自明だ。
最後に第3の理由は、現在朝鮮の経済状況が好転しているだけに、核実験で経済回復の勢いを折る必要がないという事。

この部分について崔所長は「金正恩政権は予想外に早く安定化している」と評価した。彼は自分が接触している朝鮮の官僚達から「最近20年で、現在の朝鮮経済が一番良い」という言葉を度々聞くと伝えた。食糧事情も良くなり、住宅供給が増え、自動車運転台数も増加し、新しく開業する食堂も目に見えて増えたというのが、崔所長の有する人的諜報の反応だ。

特に昨年から始まった請負生産制が効果を見せており、朝鮮は東南アジアから米を輸入し、イラン・ロシアなどから石油を輸入するなど、明らかに経済の活力が増したという事。彼は「最近の朝鮮はアメリカが手を差し伸べればなお良く、そうでなくとも己の手で安保と経済の二つを全て解決出来るという自信を持ったようだ」と見解を表した。

◆金正恩の年内訪中は難しいよう

金正恩国防委員会第1委員長の訪中時期について尋ねると、崔所長から「今年内には難しいのではないか」という答が返ってきた。続いて彼は「金正恩第1委員長の訪中議題は経済問題ではなく、核問題しかあり得ない」とし「6カ国協議が再開されない時点で朝中指導者間で協議すべき事項が多くない」と語った。

6カ国協議を再開するならアメリカの参加が必須だが、オバマ大統領が「戦略的忍耐」を続けている限りアメリカの参加は期待し難いだろうというのが彼の分析だ。また彼は「朝鮮は主体という事を押し立てているので、中国との首脳会談を急いで推進する需要がないように見える」として「今年中に金正恩第1委員長の訪中は難しいのではないか」と反問した。

◆「金正日、疎通に長けた指導者だった」

彼が金日成大学朝鮮語課修士課程に入学したのは1961年だ。その年のある日、何者かが寄宿舎のドアを開け放って「中国から同胞が来たという便りを聞いて」というのだ。彼こそ金正日元委員長だった。その時から崔所長の金正日との縁が始まる。

彼は当時を回顧し「金正日元委員長は洒脱で快活で魅力的な男性だった」とし「相手を気楽にさせてくれて、人の意見を傾聴した」と語った。さらに「金正日は歳で言えば私よりも5歳下だったが、国際関係問題だとか文化に対する識見は私よりも優れ、私が多く教えられた」と紹介した。

崔元教授は金委員長が経済学を専攻に選んだのも父親の意を汲んでの事だったと伝えた。彼は「なぜ政治経済学を勉強するのかとの聞くと『首領がソ連の経済学が私の助けにならないから、おまえが言って勉強をしっかりしろとおっしゃった』と答えたんだ」とし「当時から言えばソ連の経済学は社会主義圏で『バイブル』として通じた時期だっただけに、その話を聞いて仰天した」と回想した。

訳 ZED(強調部分も訳者による)
韓国語原文記事はこちら
http://www.ajunews.com/view/20140501112735162

今回は韓国の経済紙・亜州経済の記事を翻訳して御紹介した。
最近の北朝鮮情勢について興味深い分析が多く、日本でも知られるべき内容と思えたので訳した次第である。要するに、アジアプレスやデイリーNKやコリア国際研究所のようなクソどもはもううんざり、という人々の要求に応える為の情報とでも言おうか(笑)。
今回登場した崔應九氏は中国朝鮮族の学者で、朝鮮半島の政治的問題から朝鮮語・朝鮮文化の専門家として中国では名高い。韓国のメディアにも2000年の南北首脳会談以降は度々登場しているが、日本ではよほど本職の朝鮮半島研究者でない限り知られていないだろう。つまり和田春樹ならこの人の事を当然知っているが、石丸次郎ごときでは名前すら知らないだろうという事だ(笑)。もちろん崔氏の意見や分析が100%全て正しい訳ではないが注目すべき部分は非常に多く、今後日本でも朝鮮半島情勢を読む際にはこの人の意見に注目すべきだろう。

それはともかく、この間日本のメディアでは北朝鮮の核実験が迫っているぞ、オバマ訪韓の際に仕出かすぞとさんざん煽り立てていたが、結果は御覧の通り。南では旅客船の沈没事故で社会全体が悲痛に沈んだ状況であり、北がそのような「オウンゴール」をする必要はどこにもなかった。先日西海で行われた朝鮮の砲撃訓練も小規模であり、NLLを越えるような射撃はせずに控えめにやっていた事からも、北側が南の情勢をかなり良く読んで行動していた事は明白だった。
ただし、アメリカの圧迫が強まれば朝鮮民主主義人民共和国はいつでも核実験を行う事になるだろう。崔氏の指摘をよく肝に銘じておく必要がある。

崔氏の話でもう一つ注目すべきは現在の朝鮮の経済事情だろう。「最近20年で、現在の朝鮮経済が一番良い」という現地官僚達の声はどういう意味を持っているのか。今から20年前とは金日成が死んだ1994年であり、その翌年から自然災害による大飢饉、いわゆる「苦難の行軍」時代が90年代後半の朝鮮を襲った。その後2000年の南北首脳会談の年から飢餓状態すなわち「苦難の行軍」を脱して経済が少しずつ上向き、今に至っている。つまり「苦難の行軍」以来では、経済状態がベストにまでなったという自負が込められていよう。それ以前、80年代の水準にはまだ回復していないが、ここまで右肩上がりの成長を少しずつ維持した事は驚くべき事だろう。

翻って日本はどうなのか。2000年代以降、とりわけ小泉政権以降の日本で民衆の生活が少しでも良くなっただろうか。この約14年で仕事は低賃金・長時間労働の非正規職ばかりになり、社会保障や福祉は削られ、消費税は上がった。人類史上最悪の原発事故と放射能流出まで起こした。本来なら大きな反政府暴動の一つや二つ起こっても不思議でない状況なのだが、不思議な事にそうした事は一切起こらず、それどころか大手の労組や脱原発運動は揃いも揃って「産業報告会」「脱原発報国会」と化している有様である。そんな日本のマスコミでは次のようなニュースが流れない日はない。
「どん底経済の北朝鮮」「北朝鮮では飢饉で人肉を食っている」
こうしたニュースを見た日本人達は次のように考えるのである。
「ああ、北朝鮮はあんなに酷いんだ。俺ら日本は世界第2の経済大国で民主主義国家、北朝鮮よりずっといい生活してるんだ。俺らって中流かな」
「飢饉で人肉を食っている北朝鮮」という幻想を信じている限り、低賃金・長時間で働き、アメリカ人も食わない古くて狂牛病やホルモン剤の危険が高い牛肉や遺伝子組み換え食品を食って奴隷みたいに暮らす日本人は、自分の境遇にいささかの不満も疑問も感じず幸せに暮らしていけるのだろう…。

正確には2000年以降、
朝鮮民主主義人民共和国では経済や食糧事情が上向き、民衆の生活は少しずつだが着実に良くなった。
日本国では経済や労働環境・社会保障・自然環境が悪化し、民衆の生活は急激に悪くなった。
というのが現実だろう。

「どん底経済の北朝鮮」という流言蜚語が日本の民衆の不満を逸らす大きなネタとしてこれまで悪用されてきたという事実に、いい加減気付けよという話だ。筆者個人の体験として言うなら、これまで右翼だけでなく、「北朝鮮の人権問題」「金正日打倒」を堂々と叫ぶ左翼や労働運動家の日本人を何人も見た事がある。この手の日本人達の民族差別意識ももちろん酷過ぎるのだが、「どん底経済の北朝鮮」「北朝鮮では飢饉で人肉を食っている」という類の政治宣伝を信じきっている、その左翼や労働運動としての戦略の駄目っぷりも限度を超していると思った。「北朝鮮は独裁国家で、経済危機で、飢えて人肉を食ってる」という流言蜚語を日本の労働者民衆が信じて叫んでいたらどうなるのか。為政者や資本家から
「そうだ、君達は北朝鮮よりもずっとマシな待遇を受けているんだ。何を贅沢言ってるんだね。君達が打倒すべき相手は我々日本の為政者や資本家ではなく、北朝鮮の金正恩だろう」
と言われて要求を全てはねのけられるのがオチだろう。そんな事も分からない人間が日本の左翼や労働運動の世界にも山ほどいる。純粋に運動の戦略的観点から言っても「北朝鮮は民衆の生活が年々良くなってる」という事実を前提にした方が有利なのにだ。要するにこの手の連中は差別主義者の上に馬鹿という事である。
朝鮮人に対する差別・蔑視感情や悪魔化された北朝鮮のイメージは、日本人の社会的不満を逸らせて現実逃避させる材料として大いに悪用されてきた。特に2002年の小泉訪朝以降はそれが極度に強くなった。2002年、それは「小泉改革」という新自由主義政策によって、まさにこれから日本の民衆生活が破壊され始める時期でもあり、それと並行して官民挙げての極度な北朝鮮バッシングと在日朝鮮人への抑圧がエスカレートして今に至っている。
日本人は自分の生活が悪化している現実に目を向けず、「仮想敵国・北朝鮮」への蔑視感情と敵愾心を扇動されてこれからもみじめに生きていくのではないか。実際には自分らの生活が悪化の一途をたどっている間に、朝鮮では着々と経済が回復して生活水準も上がっているというのに。現実を何も知らないまま白日夢に酔い痴れて生きてきた日本人が、ある日に本当の事を知って仰天する、しかしその時は全てが手遅れ。そんな未来が来るのが実に楽しみだ。

【翻訳記事】挺対協「村山招請、諸手を挙げて歓迎出来ない」

挺対協「村山招請、諸手を挙げて歓迎出来ない」
チョ・ジョンフン記者
2014.02.11 20:58:58

正義党が日本の村山富一元首相を招請した事に対し、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協 常任代表 尹美香)は「諸手を挙げて歓迎出来ない」と11日に指摘した。

挺対協はこの日論評を発表、「村山元総理の歩みと彼を韓国に招請して訪韓日程を進行している政党、マスコミ報道に少なからぬ表せざるを得ない」とし「村山元総理がどのような人物かを再考してみる必要がある」と批判した。

すなわち、村山元総理が発表した「村山談話」は日本の過誤をより前向きに認定したが、「女性の為のアジア平和国民基金(国民基金)」発足に対する責任を問わねばならないという事だ。

実際に村山元総理は談話発表後、日本軍「慰安婦」被害者の為という名目で国民基金を発足、慰労金形式で支援しようとしたが、これは戦争犯罪の国家賠償に背くものとして韓国政府の抗議を受けた事がある。

挺対協は「(国民基金は)戦後貧しい暮らしを続けるしかなかった被害者達を相手に日本軍『慰安婦』という重大な人権犯罪を金の問題に転落させた非常に悪い例とねってしまったもの」とし「国民基金を強行した彼の歩みもまた日本軍『慰安婦』問題を後退させた責任から自由足り得ない」と批判した。

また「いかに韓日関係回復が急がれようとも、過誤を覆い隠したまま進む事は出来ない」とし「厳密に言って、国家が行った過去の誤りを反省して謝罪する事が村山元総理によって明確になされた事はない」と指摘した。

続けて「村山談話の歴史認識は少なくとも、それが国民基金という誤った道へ進む礎石になった限り、決して我々がこの時点で新しく確認せねばならない正しい歴史認識の枠でもない」と強調した。

今回の招請を主導した正義党に対しても挺対協は「その間これといった積極的な努力を見せられなかった正義党をはじめとする政党達が村山元総理を手放しで招請する前に、問題解決の為の政界の努力を先行し、何が正しい選択なのかを謙虚に悩むべき」と指摘した。

それでいて「何分にも政府であれ政党であれ、日本軍『慰安婦』問題を韓日関係の改善の為の手段や一過性ジェスチャーとして扱わず、日本軍『慰安婦』犯罪が持つ不法性と日本政府の国家的責任所在に対する明確な認識の上で、正しい問題解決と真正な韓日過去史清算の為に進まれる事」を求めた。

訳 ZED

韓国語原文記事はこちら
http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=106014

原文記事には挺対協の声明全文も載っているのですが、時間の関係でそちらはまだ訳していません。後で余裕があれば追加するかも。
まあ予想通りと言うか、いまさら村山が、それも正義党の招きで向こう行ってどうすんだよという話でした。結局朴槿恵との面会もドタキャンされてしまって、面会相手は1ランク下の鄭烘原総理にたらい回しですからねえ。本音では日本との癒着・同盟関係強化しか考えていない親日大統領がすんなり村山と面会する訳がない。村山は恥をさらして帰ってきただけの結果になるでしょう。
村山を呼んだ正義党も呆れたもんで、今回の件を日韓関係改善の為とか言ってるんだから始末に負えない。従軍慰安婦被害者を「日韓関係改善」の手駒に政治利用している訳ですから、これほど酷い話はないでしょう。挺対協が今回の村山訪韓に激怒してるのは当然の話です。
今回の件を仕組んだ正義党の沈相奵は本当、韓国進歩政治の癌そのものでしょう。村山と仲良く写真なんか撮ってんじゃねえよと言いたくなります。正義党の招請による村山訪韓を「《転び社会党》同士の連帯」というのは実に正鵠を射た例えでしょう。正義党ってのはまさに「韓国の転び社会党」だから。ちなみに沈相奵は旧民主労働党時代に、国家保安法で逮捕された党員を冷酷非常にも切り捨てようとした、そんな札付きの権力亡者ですからねえ。


↑ 従軍慰安婦被害者を踏みにじって成立する「日韓和解」と「21世紀版 内鮮一体」

挺対協の尹美香代表は「民衆の声」にも今回の件を厳しく批判した寄稿をしているので、読める方はぜひ御覧になって下さい。

http://www.vop.co.kr/A00000725597.html
村山元総理の歓迎熱気が痛い(韓国語記事)

なお韓国のメディアをざっと見ると、どこも「村山元総理が慰安婦のおばあさんの手を握った」という美談じみた書き方をしてました。保守派の朝中東(朝鮮日報、東亜日報、中央日報)から進歩派のハン京オプ(ハンギョレ、京郷新聞、オーマイニュース、プレシアン)までどこもかしこも。否定的に取り上げてたのは上記統一ニュースと民衆の声ぐらい…。まあ朝中東とハン京オプは「2010年日韓知識人共同声明」に仲良く名を連ね、過去をナアナアで済ませて「日韓和解」を進めるという点で妥協・野合してる訳だから無理もないですが。
韓国も主流メディアは腐り切ってるという事を見せ付けてくれた一件でした。

【翻訳記事】「第2の乙巳勒約」韓日軍事協定を防がねばならない “제2의 을사륵약” 한일군사협정을 막아야 한다 その1

「日韓仲良く共犯・癒着しようぜ」
戦後一貫して続いてきたこの悪しき日韓共犯関係が最高潮に達した今の時代を、筆者は「日韓2013年体制」と呼んできた。前回述べたように、朴槿恵政権の韓国で「第2の日韓協定」が結ばれそうな状況が急速度で進んでいる。特に南スーダンのPKOで自衛隊から韓国軍に銃弾が支援された件は露骨であろう。今回はその締結される危険の高い新たな日韓協定に関する記事をいささか訳して御紹介したいと思う。

一つは聯合ニュースに載った記事で、日本語版でも読む事が出来る。以下参照。

聯合ニュース日本語版
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2013/12/24/0400000000AJP20131224000200882.HTML
韓国政府 日本との歴史問題と安保協力に別途対応か

韓米日軍事同盟を推進していく上で、最大の障害になるのが歴史認識問題だ。それを棚上げするような動きが韓国でも日本でも顕著である。ここに来て韓国側もアメリカに「口説かれ」て、歴史問題と安保問題は分けるという方向へ急速に舵を切りつつあり、極めて危険な様相を呈していよう。原文記事ではワシントンがソウルに対する忍耐をなくしている、つまりアメリカから韓国に対して「俺の辛抱にも限界があるぞ。だから日本と仲良くしろ」という説得(という名の圧力)があった事を露骨に示している。
が、しかし…この日本語版記事は大変内容を省略されたもので、韓国語原文にあった他の重要な記述がいくつも抜け落ちていた。誰がどこへ行ってどんな会話を交わし、どんな圧力があったのか、韓米日がどこで危険な共同軍事訓練を行っていたのかなどが、日本語版の記事では載っていない。聯合ニュース日本語版の記事にはこういう例がかなり多く、そんなに日本の読者の目に触れるのが嫌なのかは知らないが、記事の核心部分を大幅に削って配信するのは大いに問題であろう。
事態の深刻さを警告する意味も込めて、この記事の韓国語原文記事を全訳して以下にお届けする。強調部分は訳者による。


政府、韓日問題で過去史・安保協力に分離対応の動き

海賊退治・共同訓練に日本から「実弾」支援受け

米専門家「ワシントン、ソウルに忍耐をなくして」

(ワシントン=聯合ニュース)盧孝東特派員
我が政府が日本との過去史問題と韓米日安保協力を分離対応する方向に糸口をつかむという事が分かった。

これは最近中国の防空識別区域宣布事態と張成沢処刑以後、北朝鮮状況に対処する家庭で韓米日3国間協調が緊要になるにつれ、対応基調に変化が生じたものと解釈される。

複数のワシントン外交消息通は23日(現地時間)「過去史問題は日本と必ず解かねばならない事案」だとして「だが最近朝鮮半島状況が不安定になり、韓米日間の相互協力がいつよりも緊要になる中で韓国政府内にも別個にアプローチする必要があるとの状況認識が増えている」と語った。

アメリカ国防総省のある関係者も「過去史と関連する対立とは別途に、現在韓国と日本・アメリカが参加する軍事訓練と相互協力強化される趨勢」と語った。この関係者は特に去る11日(現地時間)に韓米日3国がアデン湾海域で対海賊作戦遂行の為の連合訓練を実施した点に注目せねばならないと強調した。

これと関連して南スーダン内戦と関わる現地支援任務を遂行中であるハンビッ(한빛 「韓国の光」の意:訳者注)部隊は22日に米軍に続いて、23日に日本陸上自衛隊から実弾1万発を緊急支援された。韓国軍が日本自衛隊から弾薬を供給されたのは創軍以来初めてだ。

政府はその間に過去史問題と安保協力問題を直接連結させなかったが、挑発的言動で過去史対立を起こした日本側の「原因提供」で両国または3国間軍事協力に困難が起こっていると見て、日本政府が周辺諸国との根本的関係改善の為の努力を執る事を求めた。

これに対してアメリカ側は日本に対して転向的態度を見せる事を注文しながらも、我が政府に対しても過去史と安保協力を分離対応せねばならないという認識を見せ、3国間協力を強化すべきという立場を見せてきた。

これと関連して保守派シンクタンクであるヘリテージ財団のブルース・クリンナー研究員は去る週末にマスコミへ寄稿した文章で「ワシントンがソウルに対して忍耐心をなくしている」とし「韓国は恐れているようだ。韓国は非常に実質的な北朝鮮の脅威よりも、日本軍国主義の復活がより不安なのか」と問いかけた。

彼は「(集団的自衛権推進をはじめとする)日本の安保体制再編が日本軍国主義の復活を代表するという韓国政府の主張は、ワシントンにうまく受け入れられていない」とし「朴槿恵大統領が去る9月にチャック・ヘーゲル米国防長官に「日本が過去史を真面目に反省するようアメリカが圧力を行使してくれ」と叱ったのも同様」と指摘して、過去史問題と安保協力を分離対応する事を求めた。

彼のこのような主張は日本の肩を持つような論調だが、ワシントン官民の大体の空気を反映しているという点で注目する必要があるというのが消息通達の説明だ。

去る10月玄仁沢(ヒョン・インテッ 현인택)元統一部長官と千英宇(チョン・ヨンウ 천영우)元青瓦台外交安保首席などがワシントンDCを訪問してアメリカ外交協会(CFT)及び戦略国際問題研究所(CSIS)と非公開セミナーをもった場でも、アメリカ側参加者達は韓国政府に対して歴史問題と安保協力問題を分離して対応せよと注文した事がある。

韓米両国は17日(現地時間)次官級戦略対話を通じて、過去史を取り巻く韓日対立と安保協力問題について深みのある意見調律をしたものと明らかになった。

当時、金奎顕(キム・ギュヒョン 김규현)外交部第1次官は韓国政府がソウルで韓日戦略対話を開催するという立場を説明し、これに対してアメリカは韓国側の努力を評価して非常に歓迎するとの立場を表明した。ただ、韓日戦略対話は当初計画された今月末でなく、来年1月中に開催される可能性が大きいものと判明した。

2013/12/24 05:47

訳 ZED

http://www.yonhapnews.co.kr/international/2013/12/24/0602000000AKR20131224006200071.HTML
韓国語原文記事はこちら。

歴史問題の棚上げ、もしくは「一致を求めない点で一致」「パラレル・ヒストリー(笑)」という動きがアメリカという大きなバックを得て急ピッチで進む動きをこそ警戒し、打破せねばならない。韓日戦略対話が来年1月になりそうだという重要な情報もまた日本語版記事では削除されていたが、この事も肝に銘じておくべきであろう。
こうした状況で韓日両国の知識人達の進める「和解」の為の行動は、むしろ危険な軍事協定締結を手助けする結果にしかならない。根本的に彼らは「和解」すべき相手も、差し迫った日韓協定の危険な本質も体感的に分かっていないのではないかと思う。これでは「次の100年」とやらは本当に心配である。

朴槿恵政権と安倍晋三政権によって結ばれる危険の高い「第2の日韓協定」の本質とは、南スーダンPKOのように日本と韓国がアメリカの下で仲良く侵略戦争を推進していくようになるのと同時に、もう一つ重大な危険性も指摘しておかねばならない。それは南北朝鮮の統一問題の視点から見た場合、「第2の乙巳勒約(乙巳保護条約)」となりうる可能性を大いに持っているという事だ。これについては次回に詳しい記事を訳してお届けしたいと思う。
(続く)

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