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【翻訳記事】北朝鮮の親日派清算実態について

〈親日派は生きている 86〉
北朝鮮の親日派清算実態「北朝鮮の親日派清算、我々(南)よりもよくやった」
2013.04.15 00:01鄭雲鉉

解放後、親日派清算問題は南北朝鮮全ての時代的課題だった。先に言及したように、南では米軍政が親日派清算作業を反対した事で、米軍政3年間は手も付けられなかった。続いて出帆した李承晩政権は親日勢力を背に負っていたせいで、反民法(反民族行為処罰法。解放後の南で、植民地時代の親日派を処罰する為に1948年8月に制定された。訳者注)制定段階からして反対し、結局は反民特委(反民族行為特別調査委員会。1948年10月に構成された、反民法に基づいて親日派を調査・処罰する為の特別機関。訳者注)まで瓦解させた。ならば、北朝鮮政権は親日派清算を十分に行ったのか? 結論から一言先に言うなら、北朝鮮はその時それなりの清算作業を終えており、それによって以後親日派問題で国民的対立が惹起された事がない。

解放直後、北朝鮮は親日派清算を当面の課題と規定したが、これは社会主義国家建設の必須課題と認識した為だ。さらに北朝鮮に進駐したソ連軍政は南朝鮮の米軍政とは違い、親日派排除の原則下に反日勢力が権力中枢となる事を希望し、またこれを支援した。北朝鮮の親日派清算方式は南朝鮮とは違う方式を採用した。すなわち反民法制定や機構を作らず、社会主義国家建設過程で処理した。これは人民裁判のような社会主義特有の制度の為だとも言える。

北朝鮮で親日派清算問題が公式的に取り上げられたのは1945年9月、朝鮮労働党平南地区拡大委員会で採択された「綱領」からだ。「綱領」には日本帝国主義と親日的朝鮮人及び反動資本家が所有していた工場・鉱山・運輸などは没収して国有とし、これらの土地も没収すると規定した。これは物的清算を通じて土地改革の為の基本原則として提示したものだが、人的清算も自ずと随伴した。特に北朝鮮は親日派の範囲を先祖の遺産を相続した子孫まで含ませたが、この為に大多数の大物親日派とその子孫達は北朝鮮政権樹立後に越南した。

北朝鮮で親日派粛清作業は、北朝鮮政権誕生と共に本格始動された。1945年10月労働党創建時、親日派処断と日帝残滓清算問題が革命の戦略的課業として決定された。以後親日派清算は2段階に亘って進行されたが、解放後から1946年2月北朝鮮政権樹立までを第1期、1946年2月-1947年2月までを第2期に分ける事が出来る。正式な国家機構がなかった第1期の時には、地方で住民達が人民裁判を開いて親日派達を検挙したり、あるいはソ連軍隊に引き渡したりした。この過程でリンチが加えられた事例もときおりあった。

第2期は1946年11月から1947年2月まで進行された北朝鮮の市・道人民委員会委員選挙過程でだった。北朝鮮は選挙法第1章第1条で親日派排除を規定し、親日分子の選挙権を剥奪した。親日派は投票出来ない事は言うまでもなく、選挙人名簿に登録する事すら禁止させた。その対象は▲中枢院参議・顧問全員 ▲道会・府会議員全員 ▲総督府及び道責任者全員 ▲警察・検事局・裁判所責任者全員 ▲軍需業者 ▲親日団体指導者などだった。これらは選挙人名簿作成過程で身元が確認されたり、また親日前歴が明るみにされたりした。その結果1946年11月3日の選挙で575人の親日派が選挙権を剥奪されたが、当時北朝鮮政権は選挙を通じて親日派を色分けしようとする目的も持っていた。

北朝鮮は親日派清算の為に特別法を制定する代わり、既存刑法と人民刑法、そして1946年2月の北朝鮮臨時人民委員会決定第2号を法的根拠に据える。人民委員会決定第2号の場合、処断対象者として▲売国奴 ▲中枢院参議 ▲特高刑事とそれらの手先 ▲道会・府会議員 ▲警防団など親日団体幹部 ▲日帝統治機関勤務者 ▲その他などを選んだ。主に意識的・職業的に親日行為を行った人間達が大部分だが、官僚出身の場合は高等官以上を対象にした。(北朝鮮臨時人民委員会は1946年3月7日付で「親日派・民族反逆者に対する規定」を制定した)

これらの内、特に独立運動家を弾圧した者は許されず、また供出・徴用・徴兵・創氏改名に率先した人間達も大きく処罰された。対象者達は罪状によっていくつかの等級に分けて処理されたが、大物親日派達が大挙越南したせいで、比較的「ザコ」に属する親日団体関係者達が大部分だった。これと関連して平安南道(平壌市含む)道検察機関で全114件を処理したという証言がある。

北朝鮮の親日派清算作業は、解放直後から怒った民心の爆発によって自然発生的になされ始めた。一例として1945年9月に江原道の高城(8.15解放直後は全地域が北朝鮮管轄下に、朝鮮戦争後は約3分の2が南に編入。これは当初の38度線と朝鮮戦争後の軍事境界線の線引きが異なる為。訳者注)では民族反逆者11人に対して人民裁判が開かれて死刑が言い渡され、またこれを執行しようとした。また、近くの襄陽(8.15解放直後は全地域が北朝鮮管轄下に、朝鮮戦争後は全地域が南に編入。理由は上記の高城と同じ。訳者注)でも民族反逆者3人を人民裁判に付して5年と3年の教化刑を下しもした。1945年8月-1946年2月の間に北朝鮮の所々でこのような人民裁判が開かれたが、裁判で有罪を受けた人間達は大概ソ連軍に引き渡されてシベリアに送られた。

一方、北朝鮮政権樹立後の1947年以後に法と裁判機関が設立されて以降の親日派粛清作業は、国家次元でなされた。ただ、南朝鮮の反民特委のような特別機構は設置せずに人民裁判所と人民検察所でこれを担当した。有罪判決を受けた者達は大概1-2年の懲役暮らしをしたり、さもなければ3-5年の強制労役刑に処された。だが時には死刑宣告が下され、また実際に刑が執行された場合もあった。満州で憲兵補助員を務めた平安道出身のソン・グァンイッ、平壌兵器廠に勤務した仁川出身の韓国人監督などをはじめとして、特高刑事、憲兵補助員出身者の中で処刑された者が何人かいた。日帝時代に特高刑事部長出身の崔鈴(この人物は親日人名辞典にも名があり、越南逃亡した。訳者注)という者は欠席裁判で死刑判決を受けてもいる。

ただ、北朝鮮の親日派清算も完璧たりえなかった。まず政権草創期の高級人材不足が理由で、親日前歴者をたまに起用したりもした。代表的なものとして臨時人民委員会司法部長を歴任した張憲根は日帝時代に警視・参与官・中枢院参議を務め、初代内閣の司法相を務めた李承燁は大和塾に加入した前歴がある。また文化宣伝省副相を務めた趙一明(本名・趙斗元)も社会主義運動をしながらも転向して親日団体である大和塾に加入し、軍部人士の中で初代空軍司令官を務めた李活は日本陸軍航空隊出身だった。

この他にも北朝鮮政権は日帝時代の司法官僚出身者のうち一部人士を再起用し、特に技術者・科学者・医師などは大多数が再起用された。例えば機械工業部第1副部長を務めた金ヨンヒョンは咸鏡北道富寧所在の冶金工場支社長出身であり、後に副相(長官)を務める金チュンサムは鴨緑江水豊発電所の電力技術者だった。ただし北朝鮮政権樹立後に1級親日派は大多数が越南した為、日帝時代の高官出身者や悪質分子が高位職に抜擢される事はほぼなかったと言える。

北朝鮮はまた政府樹立後は制度的に親日派清算を持続的に推進した。1948年9月5日に採択された朝鮮民主主義人民共和国憲法第1章(基本原則)第5条では「重要産業について日本国家と日本人または親日分子が一切所有してきたものは国家所有」と規定し、第2条(公民の基本的権利及び義務)では「親日分子は選挙権と被選挙権を持つ事が出来ない」を、第6章(裁判所及び検察所)では「日帝時代に判検事として勤務した者は判検事になる事が出来ない」と規定して親日派の社会再進出を法的に規制した。また1948年9月10日に金日成主席は「朝鮮民主主義人民共和国綱領」を通じて親日派処罰と植民地経済体制清算を再度指示した。結局、北朝鮮政権は親日派清算過程で樹立されたと言っても過言ではない。

参照:「証言・反民特委」(鄭雲鉉著 三人刊 1989)中から脱北者・申敬完氏の証言

訳:ZED

韓国語原文記事はこちら
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/297053

以前の旧ブログで「親日派は生きている 친일파는 살아있다」(著者 鄭雲鉉)という韓国の本の書評記事を書いた事があります(その書評記事はまた近いうちに再掲予定)。著者・鄭雲鉉氏は韓国のジャーナリスト・親日派問題研究家であり、同書の内容は氏のブログで公開されているので、今回の記事はその中の一編である8.15解放直後北朝鮮での親日派清算作業がどのように行われたかについて述べられた部分を訳しました。この「親日派は生きている」という本は日帝時代から今に至る親日派問題の入門書として最適な歴史読本であり、在日同胞は全員、それも朝鮮学校の生徒達は、とりわけ今のような情勢だからこそ読ませなければならない本と考えます。図書室に1冊必ず置くべきでしょう。無償化や補助金をエサにして日本の自治体が押し付けようとしている「新・皇民化教育(日韓併合は合法、竹島は日本領など)」など学ぶな! こういう本をこそ読んで学びましょう。

鄭雲鉉氏のブログ「宝林斎」
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/

その中で「親日派は生きている」のカテゴリー
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/category/17206

知っての通り、南朝鮮では親日派清算がロクに出来ず今の韓国の「親日共和国」へと至り、また日本では天皇はじめとする戦犯が処罰されないまま戦後の「平和国家の仮面をかぶった大日本帝国シーズン2」として現在に至っています。南朝鮮地域(及び在日)の親日派と日本の戦犯はいずれもアメリカに買い取られる形で免罪された訳で、それらが戦後も引き続き両国の支配階級・既得権層を形成してきました。
では対する北朝鮮ではどうだったのか? それに答えるのが今回の記事です。北朝鮮での親日派清算の実態は「親日派は処罰した」という当局の宣伝だけで詳細な資料が公開されなかった為に、南ですら長らくまとまった研究が進まず、ましてや日本ではほとんど知られてきませんでした。南で北の親日派処断に関してまとまった研究成果が出て来たのは、ようやく1990年代後半になってからです。逆にインターネット時代になってからの日本はひどいもんで、日本語で検索してもロクな記事は出て来ません。韓国極右派のデマをそのまま機械翻訳してパクったようなネット右翼の文章ばかりです。池田信夫の知ったかぶりなんて典型例でしょう。親日派を清算するという事は日本の植民地支配を裁くという事でもあり、だからこそ日本の右派は親日派を擁護し、韓国での親日派財産没収や親日人名事典刊行などをまるで我が事のように声を荒げて攻撃してきた訳です。同時に連中が、南と違って親日派を清算した北の事を蛇蝎のごとく嫌っているのはそうした文脈で理解する事も出来るでしょう。韓国の親日派と日本の戦犯、ならびにその子孫は大の仲良しにして今でも内鮮一体・運命共同体。実は「仲良くしようぜ」は間違ってるんです。日韓の戦犯&親日派は、日本の朝鮮侵略が始まった19世紀末からずっと「仲良くし続けてるぜ」が正しいのです! 戦後はその上にアメリカが君臨して、両者が対米忠誠競争をしているという部分がちょっと違いますが。

さて、お読みなってお分かりの通り、1945年8.15解放後の北朝鮮では親日派処断が新国家建設の必須課題として認識され、それが実行に移されました。親日派の土地や財産は没収、親日派達は選挙権などの公民権を剥奪され、罪状に応じて罰せられ、罪の重さによっては死刑やソ連軍に引き渡されてシベリア送りという厳罰まで執行されたという詳しい実態がこれで明らかになったと言えます。今であれば死刑というのはすべきではないでしょうが、親日派・民族反逆者処断という行為自体は全くもって当然の処置でしょう。
このように北では共産党政権の樹立とそれによる厳しい親日派処罰・粛清方針が定められた事から、北朝鮮地域の大物親日派達は大部分が南へ逃亡する結果にもなっています。解放後に北から南へ行った越南者の数は1946年の1年間だけで18万5000人になりますが、これの大部分は親日派でした。そうした人間達が自らの行為を全く反省せずに北朝鮮政権を逆恨みして「西北青年会」などの極右ファシスト団体を結成し、李承晩や朴正熙といった独裁政権に忠誠を誓って反共テロ活動を公然と行ってきたのが、南朝鮮解放後史の暗部です。外国で、それら南朝鮮の親日勢力と最も親しく手を結んで利用してきたのがアメリカと日本だったという事は言うまでもないでしょう。南では盧武鉉政権下で親日派の土地が没収されたり親日人名事典が刊行されるようになるまで、解放から半世紀以上の時間がかかったのです。これがどれだけ長かった事か! さらに、それすらも日本は外から口を極めて罵り、邪魔をした。植民地支配の反省など、日本という国には欠片もない事がよく分かるでしょう。

ただし文中にもあるように、解放後の北朝鮮でも親日派の中で医者や科学者・技術者・芸術家などいわゆる「手に職持った」人間達に関しては、悪質でない者や罪の軽微な者、過去の行状を真面目に反省した者を選別的に助命・減刑して再起用する例が多くありました。これは解放直後の人材不足が原因で、北朝鮮政権がそうした類の人々に一種の「抱擁政策」を行った事は確かです。過去に親日前歴があるにも関わらず手に職を持っていたので解放後の北朝鮮で再起用された例としては、舞踊家の崔承姫が最も有名でしょう。それでもこれらは比較的罪が軽かった事と、過去の親日行為に対して改過遷善(かいかせんぜん 개과천선)すなわち反省の色を見せた事による「減免措置」という点で、南の親日派や日本の天皇を無罪放免したのとは意味合いが異なると言えます。解放直後の人材不足がどれだけ深刻だったかというと、例えば残留日本人遺骨問題関係者の証言によれば、解放直後の北朝鮮では残留日本人の中から工業技術者を一部再雇用して帰国までの間に働かせた例もあります。本来なら早々に追い出したい日本人であっても使わねばならないほど、当時は技術者が足りないので仕方のない措置でした。当時金日成はこうした日本人技術者に直接会って仕事と朝鮮人技術者への技術引継ぎを頼み、朝鮮人よりも高給を補償したそうです。もちろん解放されたのに日本人に頼らねばならない現状に金日成も内心でははらわたが煮えくり返っていたでしょうが、我慢して太っ腹な所を見せました。そうした日本人引揚者達は帰国後も金日成主席の温情と優遇には感謝していると証言しています。解放直後北朝鮮における親日派の「選別的再起用」は、人材不足で日本人すら一時的に使わねばならなかった社会的情勢も考慮せねばならないでしょう。
ただしこの「選別的再起用」というのは飽くまで一部の例外的措置に過ぎません。北朝鮮政権の親日派処罰で最も重きを置いたのは「独立運動を弾圧した者」の処罰で、こうした人間達への処遇は大変厳しいものでした。具体的に言えば特高警察や満州軍軍人とその密偵といった手合いが該当し、これは北朝鮮政権の首脳陣が民族解放運動出身者達で構成されていた事からも当然の流れでしょう。解放後は追う者と追われる者の立場が完全に逆転した訳です。今回の記事に証言者として名のある申敬完氏の別の本に載っていた証言によると、解放後北朝鮮で新たに人民軍を創設する際、日本軍に徴用された事のある人でも南方へ送られていた人達は再起用しましたが、満州軍や特高警察にいた人間は絶対に人民軍に起用しませんでした。独立運動を弾圧した者に対しては「手に職(軍隊経験・軍事技術)がある」者であっても起用せずにケジメをつけたと言えるでしょう。

解放後の北朝鮮政権、後の朝鮮民主主義人民共和国が行った親日派清算方式をまとめると

・社会主義国家建設の必須課題として位置付けられていた。
・南朝鮮に進駐した米軍政と違い、ソ連軍政は北朝鮮での反日勢力執権と親日派処断を望み、これを支援した。
・初期は怒った民衆達が自発的に「親日派狩り」をやって人民裁判にかけた。
・司法機関が出来てからはそうした勝手な事は許されず、正式な裁判にかけて処罰した。大概1-2年の懲役か3-5年の強制労役刑に処されたが、重罪の者にはシベリア送りや死刑も執行された。親日派の財産や土地も全て没収され、そうした資産は後の土地改革で小作・貧農層に分配する原資となる。
・そうした処罰を恐れて、特に悪逆な行為をした者や大物の親日派は大部分が南へ逃げた。
・ただし新国家建設の人材不足という問題があった為、技術者や医師・科学者・芸術家など特別な技能を持った人々に対しては、罪の軽かった者や反省の色がある者を減免して選別的に再起用した。
・特高警察や満州軍将校など「独立運動を弾圧した者」に対しては最も厳しく処罰し、これらは解放後の警察や人民軍にも起用されなかった。
・朝鮮民主主義人民共和国成立後も憲法や国家綱領で親日派の社会再進出を法的に規制した。

という具合になるでしょう。
こうした親日派処断は北朝鮮だけではなく、中国の共産党と国民党も同様に戦後厳しく行いました。汪兆銘に代表される中国の親日派を「漢奸」と言いますが、こうした連中は共産党も(後に台湾に逃れる)国民党も戦後の短い期間に迅速に裁判を行って処罰しています。結局南と日本だけがこうした歴史清算作業をロクにやらず、いつまでも恥ずかしいザマをさらしていると言えるでしょう。その帰結が、日本が今やってる集団的自衛権行使や武器輸出解禁だという事です。
「彼ら(朝鮮・中国共産党・国民党)がうらやましく、我々(韓国・日本)は恥ずかしい」
このように歴史を考えられる韓国人と日本人こそがまともなのですが、そんな人はどれだけいるでしょうか。特に日本は!


【補論】申敬完という脱北者について
今回の記事には証言者として申敬完という人物の名が最後に登場します。この人は本名を朴炳燁(박병엽 パッ・ピョンヨプ)といい、他にも徐容奎という仮名を名乗った事もある朝鮮労働党の元高位幹部でした。この人はただの脱北者ではなく、労働党の祖国統一民主主義戦線中央委員会部長や対外情報調査部副部長などを歴任した大物で、日常的に金日成や金正日と直接会って報告を上げたり指示を受ける立場にいたのです。80年代初頭に第3国へ派遣されて、その後いかなる理由からか南へ亡命して、1998年に心筋梗塞で亡くなりました。この人は南に亡命後は自身の経歴が公表される事を極度に警戒して拒み、写真を撮る事はおろかインタビューする時も相手がまっすぐ正面に座る事すら避けたと言います。本名が公開されたのも亡くなった後でした。しかしながら、その証言内容は驚くほど正確かつ貴重な内容ばかりで、氏の遺した証言録の数々は朝鮮民主主義人民共和国を知るのに絶対外せない第1級の資料と言えるでしょう。今回の記事も著者・鄭雲鉉氏が解放直後の北における親日派処断の実態について朴氏から聞き取ったものであり、南ではあまり知られていなかった北の親日派処断について大変重要な証言となりました。日本においても「北朝鮮の親日派処断」についてある程度まとまった形で公開されるのはおそらくこの拙訳が初めてであり、今後は最低でもこの鄭雲鉉氏の記事を下敷きにしてこの歴史的テーマを語る必要があるでしょう。
ただし朴炳燁氏の証言集は日本で翻訳されていないものも多く、日本の共和国研究が遅れている一因にもなっています。中国朝鮮族の崔応九教授と同じで、日本で申敬完こと朴炳燁氏の名を知っているのはよほど本職の朝鮮半島研究者か、あるいはよほどのマニアしかいないでしょう。要するにまたしても「和田春樹なら知ってるが、石丸次郎ごときでは知らない(笑)」というレベルの要人という事です(誤解のないように言うならば、和田は国民基金の復活天皇訪韓を目論むなど非常に問題のある人物ですが、さすがに長い間研究活動を続けてきただけあって、知識に関してだけ言えば石丸次郎のごときチンピラデマゴーグは足下にも及ばないという事)。実際に和田は朴炳燁氏の証言録である「真実の金正日」日本語版に解説文を寄稿したほどですから。
朴炳燁氏にインタビューした事のある記者達によれば、その中には現時点ではまだ公表出来ない内容や話も多くあるそうで、今後の公開が待ち望まれましょう。

同じ「燁」の字を名前に持つ朝鮮労働党高位幹部でありながら、黄長燁とは証言内容の資料性・重要性・貴重性に天と地ほども違いがあります。黄長燁は朝鮮民主主義人民共和国に関する歴史的に重要な話はほとんど語らず、ただひたすら自分を冷遇した金正日への恨み言と反共宣伝ばかりを喚き散らし、その講演活動で稼いだ金を元手にソウル高級住宅街の不動産を買い漁り、その築いた巨富を若い愛人とその間に出来た子供に相続させて死にました。最晩年の黄長燁は南北首脳会談に反対したばかりか、アメリカのイラク戦争すら「正義の戦争」と大絶賛しています。一方の朴炳燁氏は北に関するこれ以上ないほど詳細で貴重な歴史的証言を多く残しながらも、南では貧乏な生活を送り、とりわけIMF事態によって韓国社会の経済と民衆生活が悪化する中、ほとんど無一文に近い状態で病死しました。氏のアパートにはわずかな家財と、今後北に帰る事が出来たら母親に贈ろうと買っておいた服が一着あっただけといいます。私利私欲に走っていい加減なデマ話ばかり垂れ流した者が金持ちになって一生を終え、あまり金にならない歴史的に真に貴重な証言ばかり残した者が赤貧の中に死んで行く。同じ元朝鮮労働党高位幹部の亡命者でありながら、この違いは何なのでしょうか。これは我々朝鮮民族が置かれている立場をそのまま投影した有様ではないのか。黄長燁のような金と権力の亡者を「北朝鮮の改革者」「金正日に諫言した硬骨漢」のように描写してきた人間達こそ恥を知るべきでしょう。

朴炳燁氏の証言集のうち日本で翻訳されていない本などについては、いずれ改めて書評の形で御紹介していく予定です。

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【翻訳記事】「金正日の旧友」崔應九教授インタビュー

金正日の旧友「朝鮮は核実験を強行するだろう、中国も防げない」朝鮮の外交戦術は卓越、独自生存能力備え、中国の影響力にも限界
チョ・ヨンソン記者 登録:2014.05.01 12:28 修正:2014.05.01 01:57


崔應九(応九)所長


「朝鮮(民主主義人民共和国)は核実験を強行するだろう」崔應九北京大学朝鮮文化研究所名誉所長(77)は一部のためらいもなくこのように断言した。崔所長は朝鮮族として40年以上北朝鮮問題を研究してきた中国でも代表的な碩学だ。金日成大学に留学し、北京大学朝鮮語課教授として在職していた。彼は金正日元委員長の旧友としても有名である。


1日に北京で会った崔所長は「朝鮮の核兵器保有能力は中国でも日本でもなく、アメリカを狙っている」として「朝鮮の最終目標は核兵器でアメリカを打撃出来る能力を備える事」だと強調した。その為に南北対話だけでは朝鮮の非核化問題を解けないと付け加えた。


朝鮮の核兵器開発は弾頭軽量化と大陸間弾道ミサイル研究など大きく二つで構成される。崔應九名誉所長は「アメリカや日本の学者・官僚に会ってみると弾道ミサイル技術は相当な水準に到達しているという点で意見が一致するが、弾頭軽量化技術に対しては意見が分かれる」とし「朝鮮はアメリカに核弾頭軽量化技術が完成している事を証明して見せようとするだろう」と説明した。

◆中国の対朝抑止力限界あらわに

核実験を阻止する為の中国の圧迫も効果がないだろうというのが崔所長の展望だ。彼は「中国は朝鮮の非核化を支持するだけに、明確に朝鮮の核実験を阻止すべき努力を傾けるだろう」としながらも「だからといって朝鮮は中国の勧告を受け入れないだろう」と予想した。

中国が朝鮮の核実験を防げないだろうという彼の主張の根拠は大きく二通りだ。第1は、朝鮮はどの国家にも頼らない「主体の道」を歩んでいるという事だ。このテーマについて崔所長は1961年に金正日元委員長と交わした対話を思い浮かべた。当時金日成大学に留学中だった崔所長は、金日成大学経済学科の学生だった金正日元委員長と度々会話して近い関係を維持してきた。

金正日元委員長は当時彼に「首領(金日成主席)は常にソ連も中国も信じてはならないとし、信じるものは我々自らの力量しかないというお言葉をよくされる」と言ったという。崔所長がその間研究してきた朝鮮の外交や政治もやはり他国に頼るよりも、自身に依存する「主体的な」傾向が大きいという。

第2の根拠は、朝鮮は国際情勢をあまりにもよく知り、これをうまく利用してきたという点。崔所長は「朝鮮はかつて中ソ紛争の間であまりにもうまく自身達の利益を貫徹してきた経験があり、この経験は余すところなく蓄積されて今まで伝わっている」として「現在も朝鮮はアメリカと中国が繰り広げる東アジア勢力競争の核心を見通している」と評価した。

◆「朝鮮は東北アジア情勢の核心を見通している」

彼の説明はこうだ。アメリカが中国に、朝鮮に対する圧力をかけて核開発を挫折させろと注文しているが、朝鮮は中国の圧迫で苦難に遭うなら、むしろ朝鮮は転向的にアメリカ側へと寝返る選択をする可能性が大きい。朝鮮を自分側に引き入れられたら、アメリカとしては大きな政治的成果だ。中国に背を向けた朝鮮がアメリカと友好関係を結ぶ事は、中国としてはこの上ない悪夢だ。朝鮮を圧迫すればするほど朝鮮が中国と遠ざかるので、中国の圧迫には限界があるしかないという事。

彼はさらにアメリカの東北アジア戦略に対する分析も見せた。「現在アメリカが最も恐れるのは朝鮮の核問題ではなく、韓国の中国との密着」だとして「韓中関係の急進展を防ぐ為にアメリカは両国関係のアキレス腱である朝鮮核問題を利用する」という説明だ。

例えば韓米両国が朝鮮上陸と平壌侵攻を前提とした軍事訓練を行えば朝鮮が激烈に反応せざるを得ず、これは南北関係をより急冷化させる。南北関係急冷化は韓国をして、同盟国であるアメリカに対する依存度を高め、北に対して友好的な中国に対する親密度を弱化させる。南北関係急冷化はまた、朝鮮の内部引き締めに好材料として作用する。

崔所長は「朝鮮はこうした東北アジア情勢をあまりによく知っている為、中国が自身に対して一定水準以上の強い圧迫が出来ないだろうと仮定している」とし「その為に中国の朝鮮核実験阻止能力にも限界があるしかない」という見解を表した。

◆朝鮮は核実験時期を調整するだろう

ただ彼は朝鮮がいつ核実験をするかについては「現在としては可能性が大きくない」と語る。彼はその理由としてアメリカがこれ以上朝鮮を脅かす大規模軍事訓練をしないだろうという点を挙げた。崔所長は「アメリカの圧迫が極度に強まった時にこそ朝鮮としては核実験を強行する必要が生じるが、最近オバマ大統領の訪韓を契機に韓米関係がより強化されただけに、アメリカとしては強烈な軍事訓練の必要がなくなった状況」だと分析した。

第2の理由としては、現在朝鮮が進めている日本・ロシアとの協議に冷水を浴びせない為だ。朝鮮の核実験は周辺国家達の反発を呼び起こす事が自明だ。
最後に第3の理由は、現在朝鮮の経済状況が好転しているだけに、核実験で経済回復の勢いを折る必要がないという事。

この部分について崔所長は「金正恩政権は予想外に早く安定化している」と評価した。彼は自分が接触している朝鮮の官僚達から「最近20年で、現在の朝鮮経済が一番良い」という言葉を度々聞くと伝えた。食糧事情も良くなり、住宅供給が増え、自動車運転台数も増加し、新しく開業する食堂も目に見えて増えたというのが、崔所長の有する人的諜報の反応だ。

特に昨年から始まった請負生産制が効果を見せており、朝鮮は東南アジアから米を輸入し、イラン・ロシアなどから石油を輸入するなど、明らかに経済の活力が増したという事。彼は「最近の朝鮮はアメリカが手を差し伸べればなお良く、そうでなくとも己の手で安保と経済の二つを全て解決出来るという自信を持ったようだ」と見解を表した。

◆金正恩の年内訪中は難しいよう

金正恩国防委員会第1委員長の訪中時期について尋ねると、崔所長から「今年内には難しいのではないか」という答が返ってきた。続いて彼は「金正恩第1委員長の訪中議題は経済問題ではなく、核問題しかあり得ない」とし「6カ国協議が再開されない時点で朝中指導者間で協議すべき事項が多くない」と語った。

6カ国協議を再開するならアメリカの参加が必須だが、オバマ大統領が「戦略的忍耐」を続けている限りアメリカの参加は期待し難いだろうというのが彼の分析だ。また彼は「朝鮮は主体という事を押し立てているので、中国との首脳会談を急いで推進する需要がないように見える」として「今年中に金正恩第1委員長の訪中は難しいのではないか」と反問した。

◆「金正日、疎通に長けた指導者だった」

彼が金日成大学朝鮮語課修士課程に入学したのは1961年だ。その年のある日、何者かが寄宿舎のドアを開け放って「中国から同胞が来たという便りを聞いて」というのだ。彼こそ金正日元委員長だった。その時から崔所長の金正日との縁が始まる。

彼は当時を回顧し「金正日元委員長は洒脱で快活で魅力的な男性だった」とし「相手を気楽にさせてくれて、人の意見を傾聴した」と語った。さらに「金正日は歳で言えば私よりも5歳下だったが、国際関係問題だとか文化に対する識見は私よりも優れ、私が多く教えられた」と紹介した。

崔元教授は金委員長が経済学を専攻に選んだのも父親の意を汲んでの事だったと伝えた。彼は「なぜ政治経済学を勉強するのかとの聞くと『首領がソ連の経済学が私の助けにならないから、おまえが言って勉強をしっかりしろとおっしゃった』と答えたんだ」とし「当時から言えばソ連の経済学は社会主義圏で『バイブル』として通じた時期だっただけに、その話を聞いて仰天した」と回想した。

訳 ZED(強調部分も訳者による)
韓国語原文記事はこちら
http://www.ajunews.com/view/20140501112735162

今回は韓国の経済紙・亜州経済の記事を翻訳して御紹介した。
最近の北朝鮮情勢について興味深い分析が多く、日本でも知られるべき内容と思えたので訳した次第である。要するに、アジアプレスやデイリーNKやコリア国際研究所のようなクソどもはもううんざり、という人々の要求に応える為の情報とでも言おうか(笑)。
今回登場した崔應九氏は中国朝鮮族の学者で、朝鮮半島の政治的問題から朝鮮語・朝鮮文化の専門家として中国では名高い。韓国のメディアにも2000年の南北首脳会談以降は度々登場しているが、日本ではよほど本職の朝鮮半島研究者でない限り知られていないだろう。つまり和田春樹ならこの人の事を当然知っているが、石丸次郎ごときでは名前すら知らないだろうという事だ(笑)。もちろん崔氏の意見や分析が100%全て正しい訳ではないが注目すべき部分は非常に多く、今後日本でも朝鮮半島情勢を読む際にはこの人の意見に注目すべきだろう。

それはともかく、この間日本のメディアでは北朝鮮の核実験が迫っているぞ、オバマ訪韓の際に仕出かすぞとさんざん煽り立てていたが、結果は御覧の通り。南では旅客船の沈没事故で社会全体が悲痛に沈んだ状況であり、北がそのような「オウンゴール」をする必要はどこにもなかった。先日西海で行われた朝鮮の砲撃訓練も小規模であり、NLLを越えるような射撃はせずに控えめにやっていた事からも、北側が南の情勢をかなり良く読んで行動していた事は明白だった。
ただし、アメリカの圧迫が強まれば朝鮮民主主義人民共和国はいつでも核実験を行う事になるだろう。崔氏の指摘をよく肝に銘じておく必要がある。

崔氏の話でもう一つ注目すべきは現在の朝鮮の経済事情だろう。「最近20年で、現在の朝鮮経済が一番良い」という現地官僚達の声はどういう意味を持っているのか。今から20年前とは金日成が死んだ1994年であり、その翌年から自然災害による大飢饉、いわゆる「苦難の行軍」時代が90年代後半の朝鮮を襲った。その後2000年の南北首脳会談の年から飢餓状態すなわち「苦難の行軍」を脱して経済が少しずつ上向き、今に至っている。つまり「苦難の行軍」以来では、経済状態がベストにまでなったという自負が込められていよう。それ以前、80年代の水準にはまだ回復していないが、ここまで右肩上がりの成長を少しずつ維持した事は驚くべき事だろう。

翻って日本はどうなのか。2000年代以降、とりわけ小泉政権以降の日本で民衆の生活が少しでも良くなっただろうか。この約14年で仕事は低賃金・長時間労働の非正規職ばかりになり、社会保障や福祉は削られ、消費税は上がった。人類史上最悪の原発事故と放射能流出まで起こした。本来なら大きな反政府暴動の一つや二つ起こっても不思議でない状況なのだが、不思議な事にそうした事は一切起こらず、それどころか大手の労組や脱原発運動は揃いも揃って「産業報告会」「脱原発報国会」と化している有様である。そんな日本のマスコミでは次のようなニュースが流れない日はない。
「どん底経済の北朝鮮」「北朝鮮では飢饉で人肉を食っている」
こうしたニュースを見た日本人達は次のように考えるのである。
「ああ、北朝鮮はあんなに酷いんだ。俺ら日本は世界第2の経済大国で民主主義国家、北朝鮮よりずっといい生活してるんだ。俺らって中流かな」
「飢饉で人肉を食っている北朝鮮」という幻想を信じている限り、低賃金・長時間で働き、アメリカ人も食わない古くて狂牛病やホルモン剤の危険が高い牛肉や遺伝子組み換え食品を食って奴隷みたいに暮らす日本人は、自分の境遇にいささかの不満も疑問も感じず幸せに暮らしていけるのだろう…。

正確には2000年以降、
朝鮮民主主義人民共和国では経済や食糧事情が上向き、民衆の生活は少しずつだが着実に良くなった。
日本国では経済や労働環境・社会保障・自然環境が悪化し、民衆の生活は急激に悪くなった。
というのが現実だろう。

「どん底経済の北朝鮮」という流言蜚語が日本の民衆の不満を逸らす大きなネタとしてこれまで悪用されてきたという事実に、いい加減気付けよという話だ。筆者個人の体験として言うなら、これまで右翼だけでなく、「北朝鮮の人権問題」「金正日打倒」を堂々と叫ぶ左翼や労働運動家の日本人を何人も見た事がある。この手の日本人達の民族差別意識ももちろん酷過ぎるのだが、「どん底経済の北朝鮮」「北朝鮮では飢饉で人肉を食っている」という類の政治宣伝を信じきっている、その左翼や労働運動としての戦略の駄目っぷりも限度を超していると思った。「北朝鮮は独裁国家で、経済危機で、飢えて人肉を食ってる」という流言蜚語を日本の労働者民衆が信じて叫んでいたらどうなるのか。為政者や資本家から
「そうだ、君達は北朝鮮よりもずっとマシな待遇を受けているんだ。何を贅沢言ってるんだね。君達が打倒すべき相手は我々日本の為政者や資本家ではなく、北朝鮮の金正恩だろう」
と言われて要求を全てはねのけられるのがオチだろう。そんな事も分からない人間が日本の左翼や労働運動の世界にも山ほどいる。純粋に運動の戦略的観点から言っても「北朝鮮は民衆の生活が年々良くなってる」という事実を前提にした方が有利なのにだ。要するにこの手の連中は差別主義者の上に馬鹿という事である。
朝鮮人に対する差別・蔑視感情や悪魔化された北朝鮮のイメージは、日本人の社会的不満を逸らせて現実逃避させる材料として大いに悪用されてきた。特に2002年の小泉訪朝以降はそれが極度に強くなった。2002年、それは「小泉改革」という新自由主義政策によって、まさにこれから日本の民衆生活が破壊され始める時期でもあり、それと並行して官民挙げての極度な北朝鮮バッシングと在日朝鮮人への抑圧がエスカレートして今に至っている。
日本人は自分の生活が悪化している現実に目を向けず、「仮想敵国・北朝鮮」への蔑視感情と敵愾心を扇動されてこれからもみじめに生きていくのではないか。実際には自分らの生活が悪化の一途をたどっている間に、朝鮮では着々と経済が回復して生活水準も上がっているというのに。現実を何も知らないまま白日夢に酔い痴れて生きてきた日本人が、ある日に本当の事を知って仰天する、しかしその時は全てが手遅れ。そんな未来が来るのが実に楽しみだ。

【翻訳記事】挺対協「村山招請、諸手を挙げて歓迎出来ない」

挺対協「村山招請、諸手を挙げて歓迎出来ない」
チョ・ジョンフン記者
2014.02.11 20:58:58

正義党が日本の村山富一元首相を招請した事に対し、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協 常任代表 尹美香)は「諸手を挙げて歓迎出来ない」と11日に指摘した。

挺対協はこの日論評を発表、「村山元総理の歩みと彼を韓国に招請して訪韓日程を進行している政党、マスコミ報道に少なからぬ表せざるを得ない」とし「村山元総理がどのような人物かを再考してみる必要がある」と批判した。

すなわち、村山元総理が発表した「村山談話」は日本の過誤をより前向きに認定したが、「女性の為のアジア平和国民基金(国民基金)」発足に対する責任を問わねばならないという事だ。

実際に村山元総理は談話発表後、日本軍「慰安婦」被害者の為という名目で国民基金を発足、慰労金形式で支援しようとしたが、これは戦争犯罪の国家賠償に背くものとして韓国政府の抗議を受けた事がある。

挺対協は「(国民基金は)戦後貧しい暮らしを続けるしかなかった被害者達を相手に日本軍『慰安婦』という重大な人権犯罪を金の問題に転落させた非常に悪い例とねってしまったもの」とし「国民基金を強行した彼の歩みもまた日本軍『慰安婦』問題を後退させた責任から自由足り得ない」と批判した。

また「いかに韓日関係回復が急がれようとも、過誤を覆い隠したまま進む事は出来ない」とし「厳密に言って、国家が行った過去の誤りを反省して謝罪する事が村山元総理によって明確になされた事はない」と指摘した。

続けて「村山談話の歴史認識は少なくとも、それが国民基金という誤った道へ進む礎石になった限り、決して我々がこの時点で新しく確認せねばならない正しい歴史認識の枠でもない」と強調した。

今回の招請を主導した正義党に対しても挺対協は「その間これといった積極的な努力を見せられなかった正義党をはじめとする政党達が村山元総理を手放しで招請する前に、問題解決の為の政界の努力を先行し、何が正しい選択なのかを謙虚に悩むべき」と指摘した。

それでいて「何分にも政府であれ政党であれ、日本軍『慰安婦』問題を韓日関係の改善の為の手段や一過性ジェスチャーとして扱わず、日本軍『慰安婦』犯罪が持つ不法性と日本政府の国家的責任所在に対する明確な認識の上で、正しい問題解決と真正な韓日過去史清算の為に進まれる事」を求めた。

訳 ZED

韓国語原文記事はこちら
http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=106014

原文記事には挺対協の声明全文も載っているのですが、時間の関係でそちらはまだ訳していません。後で余裕があれば追加するかも。
まあ予想通りと言うか、いまさら村山が、それも正義党の招きで向こう行ってどうすんだよという話でした。結局朴槿恵との面会もドタキャンされてしまって、面会相手は1ランク下の鄭烘原総理にたらい回しですからねえ。本音では日本との癒着・同盟関係強化しか考えていない親日大統領がすんなり村山と面会する訳がない。村山は恥をさらして帰ってきただけの結果になるでしょう。
村山を呼んだ正義党も呆れたもんで、今回の件を日韓関係改善の為とか言ってるんだから始末に負えない。従軍慰安婦被害者を「日韓関係改善」の手駒に政治利用している訳ですから、これほど酷い話はないでしょう。挺対協が今回の村山訪韓に激怒してるのは当然の話です。
今回の件を仕組んだ正義党の沈相奵は本当、韓国進歩政治の癌そのものでしょう。村山と仲良く写真なんか撮ってんじゃねえよと言いたくなります。正義党の招請による村山訪韓を「《転び社会党》同士の連帯」というのは実に正鵠を射た例えでしょう。正義党ってのはまさに「韓国の転び社会党」だから。ちなみに沈相奵は旧民主労働党時代に、国家保安法で逮捕された党員を冷酷非常にも切り捨てようとした、そんな札付きの権力亡者ですからねえ。


↑ 従軍慰安婦被害者を踏みにじって成立する「日韓和解」と「21世紀版 内鮮一体」

挺対協の尹美香代表は「民衆の声」にも今回の件を厳しく批判した寄稿をしているので、読める方はぜひ御覧になって下さい。

http://www.vop.co.kr/A00000725597.html
村山元総理の歓迎熱気が痛い(韓国語記事)

なお韓国のメディアをざっと見ると、どこも「村山元総理が慰安婦のおばあさんの手を握った」という美談じみた書き方をしてました。保守派の朝中東(朝鮮日報、東亜日報、中央日報)から進歩派のハン京オプ(ハンギョレ、京郷新聞、オーマイニュース、プレシアン)までどこもかしこも。否定的に取り上げてたのは上記統一ニュースと民衆の声ぐらい…。まあ朝中東とハン京オプは「2010年日韓知識人共同声明」に仲良く名を連ね、過去をナアナアで済ませて「日韓和解」を進めるという点で妥協・野合してる訳だから無理もないですが。
韓国も主流メディアは腐り切ってるという事を見せ付けてくれた一件でした。

【翻訳記事】「第2の乙巳勒約」韓日軍事協定を防がねばならない “제2의 을사륵약” 한일군사협정을 막아야 한다 その1

「日韓仲良く共犯・癒着しようぜ」
戦後一貫して続いてきたこの悪しき日韓共犯関係が最高潮に達した今の時代を、筆者は「日韓2013年体制」と呼んできた。前回述べたように、朴槿恵政権の韓国で「第2の日韓協定」が結ばれそうな状況が急速度で進んでいる。特に南スーダンのPKOで自衛隊から韓国軍に銃弾が支援された件は露骨であろう。今回はその締結される危険の高い新たな日韓協定に関する記事をいささか訳して御紹介したいと思う。

一つは聯合ニュースに載った記事で、日本語版でも読む事が出来る。以下参照。

聯合ニュース日本語版
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2013/12/24/0400000000AJP20131224000200882.HTML
韓国政府 日本との歴史問題と安保協力に別途対応か

韓米日軍事同盟を推進していく上で、最大の障害になるのが歴史認識問題だ。それを棚上げするような動きが韓国でも日本でも顕著である。ここに来て韓国側もアメリカに「口説かれ」て、歴史問題と安保問題は分けるという方向へ急速に舵を切りつつあり、極めて危険な様相を呈していよう。原文記事ではワシントンがソウルに対する忍耐をなくしている、つまりアメリカから韓国に対して「俺の辛抱にも限界があるぞ。だから日本と仲良くしろ」という説得(という名の圧力)があった事を露骨に示している。
が、しかし…この日本語版記事は大変内容を省略されたもので、韓国語原文にあった他の重要な記述がいくつも抜け落ちていた。誰がどこへ行ってどんな会話を交わし、どんな圧力があったのか、韓米日がどこで危険な共同軍事訓練を行っていたのかなどが、日本語版の記事では載っていない。聯合ニュース日本語版の記事にはこういう例がかなり多く、そんなに日本の読者の目に触れるのが嫌なのかは知らないが、記事の核心部分を大幅に削って配信するのは大いに問題であろう。
事態の深刻さを警告する意味も込めて、この記事の韓国語原文記事を全訳して以下にお届けする。強調部分は訳者による。


政府、韓日問題で過去史・安保協力に分離対応の動き

海賊退治・共同訓練に日本から「実弾」支援受け

米専門家「ワシントン、ソウルに忍耐をなくして」

(ワシントン=聯合ニュース)盧孝東特派員
我が政府が日本との過去史問題と韓米日安保協力を分離対応する方向に糸口をつかむという事が分かった。

これは最近中国の防空識別区域宣布事態と張成沢処刑以後、北朝鮮状況に対処する家庭で韓米日3国間協調が緊要になるにつれ、対応基調に変化が生じたものと解釈される。

複数のワシントン外交消息通は23日(現地時間)「過去史問題は日本と必ず解かねばならない事案」だとして「だが最近朝鮮半島状況が不安定になり、韓米日間の相互協力がいつよりも緊要になる中で韓国政府内にも別個にアプローチする必要があるとの状況認識が増えている」と語った。

アメリカ国防総省のある関係者も「過去史と関連する対立とは別途に、現在韓国と日本・アメリカが参加する軍事訓練と相互協力強化される趨勢」と語った。この関係者は特に去る11日(現地時間)に韓米日3国がアデン湾海域で対海賊作戦遂行の為の連合訓練を実施した点に注目せねばならないと強調した。

これと関連して南スーダン内戦と関わる現地支援任務を遂行中であるハンビッ(한빛 「韓国の光」の意:訳者注)部隊は22日に米軍に続いて、23日に日本陸上自衛隊から実弾1万発を緊急支援された。韓国軍が日本自衛隊から弾薬を供給されたのは創軍以来初めてだ。

政府はその間に過去史問題と安保協力問題を直接連結させなかったが、挑発的言動で過去史対立を起こした日本側の「原因提供」で両国または3国間軍事協力に困難が起こっていると見て、日本政府が周辺諸国との根本的関係改善の為の努力を執る事を求めた。

これに対してアメリカ側は日本に対して転向的態度を見せる事を注文しながらも、我が政府に対しても過去史と安保協力を分離対応せねばならないという認識を見せ、3国間協力を強化すべきという立場を見せてきた。

これと関連して保守派シンクタンクであるヘリテージ財団のブルース・クリンナー研究員は去る週末にマスコミへ寄稿した文章で「ワシントンがソウルに対して忍耐心をなくしている」とし「韓国は恐れているようだ。韓国は非常に実質的な北朝鮮の脅威よりも、日本軍国主義の復活がより不安なのか」と問いかけた。

彼は「(集団的自衛権推進をはじめとする)日本の安保体制再編が日本軍国主義の復活を代表するという韓国政府の主張は、ワシントンにうまく受け入れられていない」とし「朴槿恵大統領が去る9月にチャック・ヘーゲル米国防長官に「日本が過去史を真面目に反省するようアメリカが圧力を行使してくれ」と叱ったのも同様」と指摘して、過去史問題と安保協力を分離対応する事を求めた。

彼のこのような主張は日本の肩を持つような論調だが、ワシントン官民の大体の空気を反映しているという点で注目する必要があるというのが消息通達の説明だ。

去る10月玄仁沢(ヒョン・インテッ 현인택)元統一部長官と千英宇(チョン・ヨンウ 천영우)元青瓦台外交安保首席などがワシントンDCを訪問してアメリカ外交協会(CFT)及び戦略国際問題研究所(CSIS)と非公開セミナーをもった場でも、アメリカ側参加者達は韓国政府に対して歴史問題と安保協力問題を分離して対応せよと注文した事がある。

韓米両国は17日(現地時間)次官級戦略対話を通じて、過去史を取り巻く韓日対立と安保協力問題について深みのある意見調律をしたものと明らかになった。

当時、金奎顕(キム・ギュヒョン 김규현)外交部第1次官は韓国政府がソウルで韓日戦略対話を開催するという立場を説明し、これに対してアメリカは韓国側の努力を評価して非常に歓迎するとの立場を表明した。ただ、韓日戦略対話は当初計画された今月末でなく、来年1月中に開催される可能性が大きいものと判明した。

2013/12/24 05:47

訳 ZED

http://www.yonhapnews.co.kr/international/2013/12/24/0602000000AKR20131224006200071.HTML
韓国語原文記事はこちら。

歴史問題の棚上げ、もしくは「一致を求めない点で一致」「パラレル・ヒストリー(笑)」という動きがアメリカという大きなバックを得て急ピッチで進む動きをこそ警戒し、打破せねばならない。韓日戦略対話が来年1月になりそうだという重要な情報もまた日本語版記事では削除されていたが、この事も肝に銘じておくべきであろう。
こうした状況で韓日両国の知識人達の進める「和解」の為の行動は、むしろ危険な軍事協定締結を手助けする結果にしかならない。根本的に彼らは「和解」すべき相手も、差し迫った日韓協定の危険な本質も体感的に分かっていないのではないかと思う。これでは「次の100年」とやらは本当に心配である。

朴槿恵政権と安倍晋三政権によって結ばれる危険の高い「第2の日韓協定」の本質とは、南スーダンPKOのように日本と韓国がアメリカの下で仲良く侵略戦争を推進していくようになるのと同時に、もう一つ重大な危険性も指摘しておかねばならない。それは南北朝鮮の統一問題の視点から見た場合、「第2の乙巳勒約(乙巳保護条約)」となりうる可能性を大いに持っているという事だ。これについては次回に詳しい記事を訳してお届けしたいと思う。
(続く)

【再掲翻訳記事】権赫泰インタビュー「韓国の独裁政権と日本政府は共犯関係」

以下は2012年末の日本の総選挙と韓国の大統領選挙直前に、今は閉鎖された旧ブログに載せた権赫泰教授(聖公会大学)のインタビュー記事翻訳である。
昨年末の選挙の結果、韓国では朴槿恵が大統領になり、日本では自民党が勝利して安倍晋三が再び総理の座に返り咲いた。朴正煕の娘と岸信介の孫が同時期に揃って韓日の国家元首となり、ここに戦後日韓癒着・共犯関係の総仕上げというか究極形態とも言うべき「日韓2013年体制」が確立した事になる。韓国と日本という国は戦後一貫して悪しき癒着関係(植民地支配清算の骨抜き、歴史歪曲、お互いの民主主義抑圧、北朝鮮や中国に対する「反共の防波堤」という名の韓米日軍事同盟と軍事政策、財閥や大企業の不公正な経済活動など)を続けて来た。金大中・盧武鉉政権のようなある程度例外的な時期はあったものの、その後の李明博政権によるニューライト政権への交代で再び時計の針が過去へ戻ってしまったようだ。朴槿恵政権の登場により、そうしたこれまでの悪しき日韓共犯体制が最も強化された時代に我々は生きている。韓国ではかつての軍事独裁政権を髣髴とさせる民衆運動や進歩勢力への弾圧が甦り、親日派や植民地近代化論の復権が相次いでいる。日本でも3.11以降は社会の右傾化に歯止めが掛からなくなり、反原発運動をはじめとする市民運動・社会運動も軒並み翼賛化して挙国一致報国会的なものへと変質してしまった。在日朝鮮人への差別と抑圧もさらにヒートアップしたと言ってよい。この両国が今やアメリカの下で一緒に仲良く対北朝鮮軍事訓練を大々的に行っている。憲法9条もへったくれもない。
こうした日韓癒着の背景はいかなるものであったのか。それに答えてくれたものが以下の権赫泰教授のインタビューである。韓国の旧軍事独裁政権がどれだけ日本に代わって日帝植民地被害者の声を圧殺してやったか、日本は韓国をはじめとするアジア諸国の犠牲とアメリカの核の傘という条件を利用してどれだけ自分だけ「平和国家」といういい思いをしてきたのか、その歴史を知らずに現状を知る事も未来を切り開く事も出来はしない。「日本と韓国の過去の関係には癒着もあったが、使命感の共有もあった」といってこうした悪しき歴史を美化・正当化する小此木政夫のような者の歴史観が、どれだけ韓国にとっても日本にとっても真の歴史清算と民主主義のガンになってきた事だろうか。
今回の権教授の発言についてはその後京都大学新聞が行ったインタビュー

http://www.kyoto-up.org/archives/1779
http://www.kyoto-up.org/archives/1811

とも内容的に重なる部分も多いが、こちらの方がより具体的に踏み込んだ部分もあるので、両方を照らし合わせて読んでいただければと思う。

余談だが、このインタビューが載ったのがプレシアンというのも今となっては隔世の感がある。ほんの1年前の話なのに…。同紙はその後、ハンギョレなど他の韓国進歩派マスコミと同様にさらなる保守化の一途をたどって、今ではほとんど読むに値する記事がなくなった。これは翻訳して日本に知らせたい、と思う記事がなくなったという事でもある。朝中東と一緒になって統合進歩党をバッシングしておきながら、今になって「民主主義の危機」とか慌てても遅いんだよ。

 

【訳者より】
日本と韓国両方で運命の分かれ道となる大きな選挙が目前に迫っています。投票を前にして投票権のあるなしに関わらず、日本に住む多くの人達に読んで欲しいという思いから以下の記事を翻訳してお届けする事にしました。おなじみ韓国のインターネット新聞プレシアンに昨日掲載された、権赫泰教授が現在の日本と韓日関係を大いに語ったインタビューです。長い前置きは不要。結構長いですが、まずは読んでいただきましょう。今回の衆院選における「酷過ぎる構図」の中でいかに考えるべきなのか、投票すべきなのかについて、一介の朝鮮人・韓国人の視点から見える日本の姿から多くの事を読み取って欲しいと思います。


「韓国の独裁政権と日本政府は共犯関係」
「東アジアとのインタビュー」【2】権赫泰(クォン・ヒョッテ)聖公会大学教授
記事入力 2012-12-13 午前11:15:12

最近数ヶ月間、日本と関係のあるニュースがあふれ出た。上半期には韓日軍事情報協定のショックがマスコミの紙面を飾ったとするならば、下半期には独島(竹島)と慰安婦問題がその座に代わった。乱れるほどに韓日関係のシーソーゲームが激しかった2012年であったという事だ。また、中国と日本の間で尖閣=釣魚島領土紛争が激化しながら「これでは戦争になるのではないか」という憂慮も渦巻いた。日本の右傾化と軍事大国化を憂慮する声も大きくなった。

日本はなぜこうなのか? 日本がおかしいのか、日本を眺める我々の視角に問題があるのだろうか? この気掛かりを解くべく聖公会大学日本語日本学科の権赫泰(クォン・ヒョッテ)教授に会った。権教授は日本の一橋大学で日本経済史研究で経済学博士学位を取得した。主要論文としては「在日朝鮮人と韓国社会」「教科書問題を通じて見る日本社会の内面読み」「日本の憲法改正と韓日関係の非対称性」などがあり、代表的著書としては「日本の不安を読む」、訳書に「裕仁とマッカーサー」がある。論文と著書・訳書の題名を見ても、彼の幅広くも深く延びている日本への関心を知る事が出来る。

インタビューは11月15日午後にソウル麻浦区(マポグ)合井洞(ハプチョンドン)のとあるカフェで、平和ネットワークのイ・ジェヨン幹事、キム・ユスンインターンが進行した。2時間を越える間に権赫泰教授は情熱的に日本と韓日関係、そして韓国政府の対日政策に対する問題点を項目毎に指摘した。最大の関心事である日本の右傾化に対する話から切り出してみた。


・多くの人達が日本の右傾化を憂慮している。日本の右傾化現象とは、適切な診断だろうか?


▲権赫泰 聖公会大学教授

右傾化に対してこういう表現を聞いた事がある。「日本政府が取っている政策が世界的水準と比べて必ずしも右側にあるとは見なせない為、日本の政治意識の断面図を表現するのに右傾化とは適切な用語ではないという事」だというのだ。この言葉を聞いた当時は2000年代初頭だったが、韓国政府が執っている国内政策や外交安保政策と日本の政策を比較してみた時、日本が右側にいると見なし難いという趣旨だった。だが右傾化というのはストック(stock)ではなくフロー(flow)、すなわちある流れと方向を表すものであって、特定政策の理念的性格を断面図で診断する言葉ではない。つまり過去に比べて右側へ流れて行くという言葉だ。

日本の最近60年の歴史を見た時、自民党長期執権を含めてどの政府であれ左旋回もあったし右旋回もあった。だが全体的な流れで見ると右傾化が持続的に成し遂げられて来たのは事実だ。特に1990年代後半以降では、右傾化の流れを制御出来る政党と市民勢力が弱まる状態になった。1990年代に社会党が倒れたところが大きい。また、自民党と民主党の政治理念の間に有意味な差異が存在すると見るのは難しい。


・2009年に民主党が政権交代に成功した時には雰囲気が違っていたのではないか?

2009年に民主党が執権した時にこういう事があった。当時韓国のメディアではおおむね、日本に民主党政権が出来たのだから韓日関係がうまく回復するだろうし、東北アジア情勢にも良い日が来るだろうという楽観的な評価をした。当時私はこう言った。「民主党と自民党の間には有意味な差異がなく、民主党の勝利を選択した有権者の心理は小泉純一郎の自民党政権を支えたそれとさほど差異がない。だから民主党に過度の期待はしないように」と注文した。

今の状況を見ると私の憂慮通りに流れて来た。右傾化に対する制御装置が消えた1999年を普通は右傾化元年と言うのだが、この後その流れが今まで持続してきている。橋本龍太郎も2000年代に入って、小泉時代に日本政府が執っている右傾化政策を見ると大変心配だ、という表現をした事がある。また、日本で「どこを見ても右傾化一色」という表現も登場する。韓国でのみ使われる表現ではない。右傾化とは流れを指して言うものだ。


・日本で右傾化とは、果たして何を意味するのか気になる。ナショナリズム(nationalism)を言うものなのか?

右傾化とは何かと聞かれればいくつかの説明がし得る。ナショナリズムは国家主義、国民主義、民族主義などに訳されるが、敢えて言うなら国家主義的な性格が強い。そしてアメリカとの関係を除外すれば、孤立主義的な外交路線が目に付く。過去とは変わったが、基本的に外交安保軍事上の存在感(presence)をアジアで育てていく事が日本で強く支持を受けている。それは1990年代くらいまで約50年間守って来たとする「平和主義」という名分すらも否定するものだ。もちろん現実にはすでに以前から多くが進行していたのだが、という話だ。


・社会党など右傾化を制御出来る政治勢力の消滅は、日本右傾化の「条件」ではないか? より直接的な「原因」と「背景」には何があるのか?

これは長い答弁になるだろう。敢えて遡ると1945年に戦争を終わらせる方式、処理する方式にすでに今の状況が込められていた。「平和主義」の内容とは何であり、なぜそれが1990年代以降否定されたのかを見なければならない。日本の「平和主義」を構成する要素は平和・民主主義・経済成長だ。これを支えた最も大きな条件のうち一つは保守-革新のバランスだ。1980年代末、正確に言うなら1993年度まではそれが作動した。

自民党は憲法改正を政綱政策に込めている政党だ。1955年以降から自民党は連立を含めて議会で常に過半数を占めて来たが、3分の2以上を占めた事はない。内閣責任制でこの事実は重要だ。3分の2以上を占めれば憲法改正が可能であるからだ。自衛隊廃止と日米安保条約廃棄を掲げた第1野党社会党はただの一度も過半数を超えた事はなかったが、常に3分の1以上は占めた。こうして憲法改正も不可能だが、だからといって社会党政権になって自衛隊を廃止して日米安保条約を廃棄する事も出来なかった。

憲法改正の最も重要な争点は憲法9条だ。大韓民国は憲法1条で民主共和国だという政治体制を規定しているが、日本国憲法にはそれに相応するものがない。国号を見れば大韓民国はROK(Republic of Korea)であり、北朝鮮すなわち朝鮮民主主義人民共和国はDPRK(Democratic Prople's Republic of Korea)だが、日本はそのままJAPANだ。それは政治体制を規定する事が出来なかったからだ。立憲君主制なのか共和制なのか中途半端な状態で戦後体制が出帆した。9条は基本的に武装を禁止している。

憲法を改正するという事は「平和主義」の基礎を否定して自主国防をするという事だ。日本社会の一方では社会党を中心に平和憲法を守ろうとし、一方では改正しようとする様相が続いて来た。もちろん自民党は憲法を改正して軍隊を持つ事がさほど有利ではないと判断をしていた。国防費も掛かるし、周辺地域に軍事的緊張をもたらして軍備競争の悪循環に陥る可能性があるからだ。したがって日本政府は駐日米軍に外交安保を任せ、自衛隊戦力で補助的役割をさせる事にしたのだ。それが日米同盟体制である。その構図が長らく続いて来た。だがアメリカは1946年に日本に憲法を作らせておきながら、すぐに後悔する。日本が一定の軍事的役割をしてくれる事を望んだのに、そう出来なかった為だ。しかし冷戦解体後にこの構図が破れたのである。


・平和憲法制定当時には日本国民達が反発しなかったのか?

憲法制定は日本国民の選択ではない。アメリカが強要した憲法だ。だが改正する道を選ぶ事はしなかった。戦争の記憶と体験があった為である。経済成長でちゃんと食っていい暮らしをする事を選択した。だがだからといって、憲法条項通りに完全なる非武装を支持したのではなかった。自衛隊と日米安保条約は支持した。それで日本の平和憲法を平和主義と読み取るのには無理があるものの、とりあえず限定的な意味で「平和主義」という用語を使うならば、その平和主義が作動した条件を理解せねばならない。

だが日本社会は平和主義が特殊な条件下で作動したものだという事実を知らなかったり、あるいは認めずに、平和主義の果実だけをもいで食った側面がある。日本人達は、自衛隊は軍隊ではないと言う。だがそれは事実ではない。日米安保条約が日本を守ってくれたからである。軍事力を否定する憲法9条を米軍という巨大な軍事力が支えてくれたのだ。また日本には非核3原則がある。核を作ってはならず、保有してもならず、持ち込んでもならないという三つの原則だが、これはどれだけ素晴らしい内容であろう。

しかしながらそれがどのように機能したのか。日本社会の平和に対する意思が強くてそうだと言えるだろうか? それは虚構に過ぎない。アメリカの核の傘の下に作動したのが、まさに非核3原則である。もし非核3原則と平和主義が日本社会の内面的哲学だというならば非同盟外交をしたりすべきで、日米同盟体制に入っていてはならなかった。それなのにアメリカの軍隊も入って来ており、アメリカの核の傘の中にいながら非核3原則と平和憲法を押し立てる。その構図の中で平和、民主主義、経済成長の果実を1980年代末まで享受してきた。それを支える国内条件が保守と革新の絶妙な同居だった。


・自衛隊は軍隊ではないのか? すでに平和憲法は有名無実化したのではないか?

それは憲法解釈の問題と連結している。アメリカは日本に軍隊を作れと言った。そして日本も軍事主義への欲望があった。けれども憲法上軍隊を作ってはならない。ならば自衛隊とは何か。アジアの一般的な水準で見れば、自衛隊はとてつもない軍事力だ。だが日本社会は軍隊がないと言いながら、自衛隊が実際に軍事力として機能しているという事実を認めない。憲法と自衛隊が両立出来ない為に憲法解釈を変える。規定を変えるのは大変だから、解釈を変える解釈改憲をする。日米安保条約に規定された駐日米軍が憲法の禁ずる武装に該当するかも論争であった。だが「外国軍隊は該当しない」「自衛隊は専守防衛をする」「集団的自衛権は認めない」という解釈で1990年代までもたせてきたのだ。


・「平和主義」を維持させる国際的な状況はなかったのか?

もちろんある。アジアでは韓国と台湾が重要だ。韓国の徴兵制は冷戦構造の中で見れば、世界資本主義の戦闘部隊として背後にある日本とアメリカを守る役割もする。もし韓国の徴兵制がなかったり、南北朝鮮が統一して日本に敵対的な、あるいは非同盟的な政府が立ち上がったら、日本の平和憲法が存立可能ではなかっただろう。自分が軍隊に行かざるを得ない韓国の現実と、軍隊に行かなくても良い日本の若者との現実の間には非常に緊密な相関関係がある。だが日本の「平和主義」の観点ではそのように見ない。韓国は軍事独裁の国で、日本は民主主義と平和の国だと考え、両者間の相関関係を見逃した。1960-1970年代にはみなそうだった。それに対する自覚が出たのは後日の事である。


・なら逆に言って、韓国の民主化が日本の右傾化に影響を与えたという意味か?

韓国には徴兵制があって、日本には徴兵制がない。日本の「平和主義」は韓国の徴兵制と日米安保条約、アメリカの核の傘によって支えられたという逆説的な構造に置かれている。それがなければ作動しないのに、日本社会はその相関関係に対する自覚が弱かった。そこで、こうした構造を支える韓国の軍事独裁政権と日本政府は一種の共犯関係と言う事が出来る。

植民地被害者達の声が公開的に噴出したのはいつ頃からだろう? 1990年代以後からだ。韓国の過去史関連団体達の大部分が1990年代以後に結成されたものだ。なぜ日帝支配が終わってすぐにはほとんどなかったのに、1990年代以後にあふれ出たのか。日本帝国主義の被害者達が下から声を上げるのを、韓国の独裁政権が日本政府に代わって防いでやったからだ。

1990年代以後に民主化で政治的空間が開かれながら、矛盾の中に置かれていた人々が声を上げた。日本列島を守ってやった韓国が変化する可能性が大きくなったのだ。日本で一部の人達は平和、民主主義、経済成長の果実が真に自分の物ではなく、特定の時空間で支えられた結果物に過ぎないという事実を悟ったし、彼らが慰安婦賠償問題などに飛び込んだのだ。他の一部では、韓国での過去史問題の噴出をナショナリズム一般の問題として批判し始めた。特に脱国家主義の傾向を見せた1980年代の知識人達は韓国と日本の間のナショナリズムの衝突を指摘しながら、ナショナリズムを自制しようと言った。

また、太陽政策を通じて南と北が「仲良く」務めようという動きが現れた。日本の安全保障において新しい変化要因であった。それを管理するのはアメリカだったが、金大中・盧武鉉政権が反米とまでは行かないにしても、明らかにアメリカの操り人形政権ではなかった。過去の軍事独裁政権のように、韓日関係の為に被害者団体の反発を物理的に防ぐ事もなくなった。そして韓国が北朝鮮と対立しながら、日本列島の軍事的緩衝の役割をしてやらねばならなかったのに、それもしなかった。日本の中で外交安保に対する不安感が大きくなり、中国脅威論と北朝鮮脅威論が台頭した。

そうすると自分の手で守ったりアメリカに期待するしかないという言説が現れる。自分の手で守ろうというのは自主国防論であり、後者は日米同盟強化論だ。この二つの路線が合わさりながら1990年代以降の右傾化を導く。湾岸戦争が起こった時、アメリカが派兵要求をしたが日本は憲法上自衛隊を送れないという理由を挙げて、最初は金銭支援で代行した。国際社会で非難世論が沸きかえった。「日本も金だけでなく、人を送れ」「平和は血で戦い取るものだ」「日本も国際社会で軍事的役割をすべきだ」という意見が噴出した。そうするには憲法を変えねばならないが、明文改憲は難しいから解釈改憲を拡大し始めたのだ。


・アメリカが1990年代以降に日本の軍備増加を要求したという事か?

アメリカが要求したのは大変古くからだ。ただ要求する方式を少し変えた。最初は駐日米軍駐屯費を負担したり、東北アジアで一定部分の役割をせねばならないというものだった。そのうちアメリカは世界軍事戦略の一環として自衛隊を位置付けし始める。そして日本社会が持っていた内部の欲望、50年間自主的な軍隊を持てなかったという不満が1990年代のアメリカの要求、周辺国の民主化による危機感と噛みあって噴出したのだ。

周辺地域との非対称性は昨日今日の話ではなく、19世紀以降持続して来たものだ。非対称的構造を解決しなければ、どんな問題も解決し難い。こちらの平和があちらの平和を支える構造でなければならないのに、こちらの平和があちらの非平和に連結する構造だ。そこで私は東アジアの連帯がどれだけ難しいかを語る。連帯が作動する構造ではないからだ。1990年代以降社会党は、憲法改正に反対して自衛隊撤廃と日米安保条約廃棄を主張していた既存の自分の立場を変えた。現実化政策を執ったのだ。自衛隊を認めて日米安保条約廃止を要求しなくなるや、自民党との差別性が減ってしまった。これは政権を握る意思を明らかにした側面もあるが、結局は社会党の「平和主義」が温室の中で作動していたに過ぎないという事実を内外に自己告白した事例でもある。

アメリカの立場から見れば政権交代は構わないが、自民党に代わる政府が社会党になって日米安保条約を廃棄したらどうするのかという憂慮があった。アメリカが望むのはアメリカ式共和党-民主党のような保守-リベラル(liberal)2党体制だ。小沢一郎という人間がそれを構想してきたし、結局はそれが実現されたのだ。現在、外交安保政策において民主党と自民党の間に有意味な差異はないか、あるいはあったとしても「右」と「極右」の差異に過ぎない。


・平和憲法改正が焦眉の関心事だ。その可能性についてはどう見るか?

もちろん憲法改正は容易い事ではない。国民投票法は安倍晋三内閣の時に作られたが9条だけでなく、1条、人権概念などなどであれこれ差異があって、一つの案で妥協案を作り出すのが極めて難しい。特に1990年代以降政党体制が流動化しながら、特定政党が圧倒的な多数党になるのが難しい構造が続いている。そこで憲法改正を公約に掲げておきながら、実際には一つの憲法案を掲げて国会で3分の2の賛成を得る形態の明文改憲は極めて難しい。おそらく解釈改憲を拡大する方向へ行ったり、代替立法をする可能性が大きい。

だがはっきりしているのは1980年代まで作動していた自衛隊廃止論、自衛隊違憲論のように「平和主義」の中で作動していたもの達が、今再び争点になる事はなくなったという点だ。さらに言えば、過去には自衛隊廃止か維持かが争点だったとすると、1990年代以降は自衛隊維持か自衛隊の軍隊化かが争点になった訳である。だからといって平和憲法の存在意義がなくなったのではない。すでにボロボロになってはいるが、平和憲法という形式と名分がより多くの右傾化を防いでくれている最後の砦の役割をするからだ。


・平和憲法が東アジアで役割を果たせるという事に否定的なのか?

正直言えばそうだ。2005年度の安倍晋三内閣の時に憲法改正問題が現実化された際、ピースボート(Peace Boat 世界の平和と人権増進、地球環境の保護などを目的に1983年に設立された日本の国際的市民団体)を中心に憲法改正に反対する連帯組織体を作ったし、私も協力した。うまく行けば良い事だろう。

平和憲法のアイデアは極めて優れている。だが、そのアイデアは特定の条件下で作動するものであり、特に日本にのみ利益がある制度だった。日本の平和憲法を守る事が重要なのは、それが東北アジアに新しい平和秩序をもたらし得る新しい最善のビジョンを持つからではなく、日本のよりさらなる右傾化という最悪を形式と名分において最小限に防いでくれる役割が出来るからだ。東北アジアの平和問題は日本の問題でもある。平和憲法下においても日本は世界的な軍事大国になった。万一この制御装置がなくなったら、日本の右傾化はどうしようも出来なくなる。したがって日本が憲法改正を出来ないよう助けるのは意味がある。


・福島事故以来原発反対集会に多くの人達が集まったのは励みになる。これをどう見るか?

原発反対運動に助けになるという理由だけで日本の状況を誇張してはならない。福島以降日本で原発反対運動が強くなったといっても、それが既存の政治の地形とどのような関係を結ぶのかが重要になる。右派の中にも脱原発を主張する者がいる。最近の原発集会を見ると日の丸(日章旗)を掲げて参加する場合が多くなった。過去には想像も出来ない事だ。韓国で太極旗が持っている意味と、日本で日章旗が持っている意味は違う。日本で反政府運動をする左派にとって日章旗は禁句にも等しい。原発反対集会を主導する人にこれについてどう考えるかを聞いてみた。返って来た答は「今は左右を問う時ではなく原発廃棄が重要な事なので、政策的連帯はいくらでも可能だ」というものだった。

それはそうだろう。だが本当にこれで大丈夫なのか疑問が浮かぶ。これは新しい形のナショナリズムだ。広島と長崎の被爆を経験した「日本」という主体を引っ張り出して、先祖代々受け継いだ土地に西洋が作った原発が相応しいのかという風に、生態主義がおかしな方向に変わって行く可能性もある。実際に原発を廃棄すべきかどうかに関係なく、そうした流れを既存の進歩的談論や平和主義とは違う脈絡で見なければならないのではないかと思う。国家の再構成の次元で見れる事だ。

「廃墟から復興へ」というスローガンが見せてくれるように「日本人は一つ」という宣伝が社会の隅々に広がっている。これは今まで50年間に見る事の出来なかった姿だ。1923年の関東大震災と1945年の敗戦当時と似ているが、廃墟を通じて「日本」というアイデンティティを再び復活させる流れが大きくなり始め、その流れが下手をしたらおかしな生態主義と天皇主義が結合しながら思いもよらない方向へと行く可能性が大きい。これを良い方向へと進行させるには労組や政党が流れを制御する側面がなければならないのだが、それが作動しないのでとても心配だ。3.11以降約1年半の間の流れを見ると、「よりさらに右側へ!」というのが現実だ。


・ならば福島事故が政治社会の地形変動にはさしたる影響を与えなかったという意味か?

広島と長崎で2度も被爆を体験した日本は、自らの政治体制を反核国家としてきた。それなのに原発を54機も稼動させてきた。福島以降に起こり得る事は二つのうち一つでなければならなかった。民衆反乱が起こるか、政権交代が起こるべきだった。しかし何もなかった。菅直人から野田佳彦に首相が替わったが、それも事故が起こってかなり経ってからの事だ。

替わる過程も必ずしもこれと関係があるとは言えず、別の理由がより大きかった。3.11という災難にも関わらず、政治上の進歩的変化は全くなかった。10万人が原発反対集会に集まれば何をするか。原発に反対する候補達が地方選挙でただの一人も当選せず、原発支持候補達が圧倒的に当選した。福島においても東京電力の候補が当選した。

3.11以降既存の秩序が変化すべきという考えは増えたが、集会に10万人集まろうがなかろうがその間に具体的な政治行為として現れた痕跡は見つける事が出来ない。この流れが左側に行かず反対側に進んでおり、その上に覆い被さっているのは国難克服の物語(narrative)だ。続いて思い出されるのが1945年の敗戦状況だ。ナショナリズムの物語が再構成されている。

もちろん幸いなのは眠っていた人々がデモをするという事実だ。柄谷行人は日本がデモをする社会に変わらねばならないと言い、デモをして何が変わるかよりもデモそのものが重要だと言った。私もそこまでは認める。だがその流れが既存の政治的右傾化の流れを変えられるかに対しては否定的だ。


▲昨年5月 日本・東京の東京電力本社前で行なわれた原発反対デモ


・周辺国が日本に対して持っている誤解は何なのか? 我々が日本に対して間違った期待をしている部分もあるのか?

日本に対しては相反する二つの誤解があるようだ。一つは日本が民主主義国家・平和主義国家・先進国だという誤解であり、もう一方では日本は国家主義的で軍国主義的だという誤解だ。相反する誤解が場合によっては一人の人間の頭の中に同居する場合もある。日本に対しては韓国人4000万人が専門家だ。年間100万人が日本を訪問し、日本関連学科が全国で100を超える。ここ(インタビューが行なわれたソウル合井洞)だけを見回っても一軒おきに日本食堂だ。若い層が巨大な軍事的・政治的事案と関係なく日本の大衆文化に心酔してるからといって、どうこう言う必要はない。簡単な日本語を出来る人も多く、全般的に日本に対する常識というのが形成されている。

その常識の実態をのぞいてみると二つの事が共存している。一つは軍国主義の姿だ。日本料理を好んで食べる人々も、政治の話が出たら軍国主義・民族主義の話をする。だが、国民性・民族性という言葉は人文社会科学的分析を放棄した言葉だ。文化とは変わるものであり、その中でも多様な人間が存在する。反面、韓国社会では幅広い日本ファンが存在する。若い層に日本の大衆文化は人気がある。若い層だけではない。私が日本に1980年代中盤に初めて行って感じたのは、1960年代中盤に私が韓国で読んだ漫画が全て日本から来たという事だ。アトムや黄金バットが全てリアルタイムでやって来た。

だが、また違う日本を見なければならない。日本にも体制に反対する人が長らく存在してきたし、犠牲になった人が少なくないと言う事をよく見なければならない。日本が歩む主流的な流れに対抗する人が多く、彼らが残した痕跡も大きい。だが我々は支配秩序の感覚でのみ把握してきた為に、その底流にいる人々についてよく知らない。

もし韓国で日本の近代史を書く事になれば二つの側面で扱う事が出来る。第一は抵抗する流れを通じて日本近現代史を再構成する事、第二は沖縄・アイヌのように主流の歴史から排除された人々で再構成する事。こうした事は日本が出来なければ韓国がやる事も出来る。日本が進む道を韓国が行く事も出来るが、必ずしも行かねばならないのではない。


・日本にとって東アジアとは何か? 例えば「脱亜入欧」という言葉もあるが。

私は韓日問題や中国問題を東アジアという範疇でアプローチする事にさほど友好的ではない。未来志向的に東アジアで何かしようというのは分かるが、まるで東アジアというのが存在したかのように語るのには同意しない。ヨーロッパと違ってアジアには文化的・歴史的共同体としては存在しないのだ。「脱亜入欧」は時間差をおいてアジアの全ての国家で発見される。韓国も中国も同様だ。19世紀日本が歩んだ道を第三世界国家達が歩んでいる。みな西洋に向かって前進し、競争する構図だ。

だが19世紀に日本が歩んだ先駆的位置から何かがおかしくなり始めた。悪い前例を残した。日本がそうしたように、韓国も自分をアジアと考えようとしない。考えたとしても非常に機能的にのみ考える。本来アジアという言葉自体が西洋から見た範疇だ。他者から強制された呼び方である。オリエンタリズムの典型的な構図だ。ただそれを抵抗の構図に変えられないかと苦悩した人はいる。

再び日本の話に戻るなら、19世紀日本のアジア主義者達は侵略主義と結合した。19世紀日本のアジア主義者達は朝鮮侵略の尖兵となる。日本のアジア主義というのは反西洋の価値を持っていながらも、アジアにおいて日本を盟主とする位階秩序を意味するものであり、19世紀末で一時的に失敗しながら後に大東亜共栄圏へと吸収された。やはり韓国の主流的流れも「脱亜入欧」である。低開発・貧困・野蛮と刻印付けられたアジアに対するオリエンタリズムを、日本を通して吸収した訳だ。抵抗の流れとしてアジアを再構築するのは日本だけの問題ではない。


・日本では「アジア」がそのように否定的なニュアンスでのみ存在するのか?

他の次元のアジアを構想する人々もいた。1970年代以降に韓日連帯運動、金大中誘拐事件、徐勝・徐俊植政治犯救援運動、韓国民主化支援運動の流れが登場したのは事実だ。1990年代以降に慰安婦を支援するグループも出て来た。対米一辺倒の軍事同盟や外交秩序に対する代案としてアジア共同体構想がある事はある。だが未来の規範的姿としてアジアを理解するという事はあり得るが、現在問題の代案として取り上げるのには同意しない。日本政府の立場から出る東アジア共同体や経済共同体はまた別の脈絡だ。


・過去史問題、特に日本の植民地支配と戦争責任が今日でもこの地域の和解を妨げていると見られるが、日本は過去史問題を解決する意思があるのか?

ないと思う。もちろん解決ではなく妥協や縫合の試みはあった。アジアとの関係の中で新しい流れを作ろうとしたのは、1970年代以降に生じた。1995年に国民基金が作られようとした時に一部知識人達がその流れから離脱した。国民基金は極めて良からぬ妥協、あるいは縫合の事例を残した。慰安婦を引っ張って行ったのは日本政府なのに、国民基金というのは国家責任を認めないものである。当時社会党連立政権下で作られたものなのだが、今ではそれすらも否定するのが主流的な流れだ。

2000年代に入ってからは河野談話、村山談話のような基礎すらも否定されている。私は日本政府の謝罪というのが、法的責任を回避出来る最も費用の掛からない方法だと批判した事がある。歴史問題が謝罪の文句として凝縮し、その水位を取り巻いて論議が進行するのが腹立たしい。被害者が広範囲にいるのだから法的責任を認定して賠償せねばならず、これを継続して要求しなければならない。


・普通は戦犯国として日本とドイツをよく比較する。違いが多いようだが。

日本のリベラル陣営でもそのように語るし、韓国でも日本とドイツをよく比較する。簡単な構図で比較したいのは理解出来るが、両国の条件が違い過ぎて意味があるのか分からない。理由は二つある。まずドイツの戦後処理過程を見よう。ドイツの場合は、ドイツが被害を与えた国とドイツを占領した国が一致する。ドイツは連合国と戦争をし、その連合国達が戦争後に占領した。日本はアジア国家に被害を与えたが、占領はアメリカが行った。被害を受けた国々が占領したドイツの戦後処理方式と、被害を受けた国々に全く発言権がなかった日本の戦後処理方式には途轍もない違いがある。戦争を終結する方式が謝罪の可否や、戦争に対する責任意識を持つかどうかを決定するのだ。

第二は戦争責任と植民地支配の違いだ。韓国の立場としては決定的違いなのだが、韓国は日本から植民地支配の被害を受けた。東京裁判は植民地支配に関するものではなく、1928年から1945年までの中国を含む侵略行為に対して処罰したものだ。韓国などの植民地支配責任の話は一言も出なかった。

国際社会で植民地支配を受けた国家が植民地支配国家から賠償を受けた事例はない。そこで韓国の賠償要求は世界史的意味を持つ。靖国問題を提起する時も中国と韓国は同じ立場に見えるが、決定的にはスタンスの違いがあるべきだ。中国ではA級戦犯合祀さえ問題にすれば済む。中国は戦争被害者であるからだ。韓国の立場としてはA級戦犯合祀問題を含めて、約2万余人の朝鮮人合祀問題などが重要だ。なぜなら韓国は植民地支配被害国であるからだ。


・ドイツも植民地を保有していた点では日本と同様ではないか?

ドイツの植民地は第1次世界大戦でほぼ消滅した。それで第2次大戦が終わって今に至るまで植民地問題が重要な争点にならない。もちろん第1次大戦以前にドイツの支配を受けたナミビアがドイツに謝罪要求をしたし、ドイツは賠償金ではなく慰撫金を支給した事例があるにはある。そこがドイツと日本は違う。ただ、帝国主義国家達は植民地支配に対して絶対に法的責任を認めないという事実を念頭におく必要がある。それは先進国クラブの共通事項だ。

2002年度に南アフリカ共和国でイランを中心にして、奴隷貿易と植民地支配に対する法的補償を決議しようとしたのだが、色々な国々の反発があって文案が婉曲にされた。それすらもアメリカなどの帝国主義国家達が棄権した。そこで韓国社会で日本に賠償を要求するのは、19世紀以来の帝国主義の責任を問う国際主義的性格を持つ。世界史的に意味があることだ。植民地支配を受けた国が帝国主義国家の法的責任を問い、帝国主義国家から賠償を獲得する事になれば、第三世界国家の中において重要なモデルになる。それで韓国の被植民地体験を他の第三世界国家のそれと共有して、韓国の経験を普遍化する事が重要だ。


・東アジアで領土問題が頻発する理由は何なのか? 独島問題に対する意見も聞いてみたい。

大変慎重を要する主題だ。独島問題に対して韓国にも日本にも冷笑的な視線がある。韓国であれ日本であれ「領土というのは線引きじゃないか」という視線がある。国家というのは自然共同体な性格がない訳ではないが、基本的に近代的概念だ。ベネディクト・アンダーソンが言った「想像の共同体」まで持ち出さなくても、日本という国家はいくら遡った所で明治維新から始まったと言う事が出来る。独島が誰の土地かと聞かれれば、近代以降にどのような過程を経て誰の土地になったかが最も重要だ。

領土というのは支配に基づくものである。アフリカや中東を見ると国境が定規を当てて引いたように一直線だ。それは自然共同体でなく帝国主義国家達が引いたものだからだ。その前提が大変に重要だ。国家に自然共同体的性格がない訳ではないが、領土というのは近代以降に帝国主義国家達の秩序構築過程で一方的に線引きした結果だ。国際秩序を作る時に日本が発言権を持っていたから、海に日本海と名付けたのだ。前近代時代に朝鮮海・東海という名称もあり、日本海という名称もあるのは国際秩序が存在しない状況でそれぞれが自国の名前を付けた結果である。今に来て東海とするのは一方ではナショナリズムの性格が強いものの、別の一方では植民地支配賠償要求と同様に19世紀帝国主義国家達が作った秩序に対する異議提起の側面がある。植民地支配に対する反対の意味だ。

だが日本では植民地の問題と分離して領土問題と見る傾向が強い。ここで視角の違いが発生する。日本は独島編入が1910年「日韓併合」以前に行われたのだから当然国際法上「日韓併合」と無関係であるばかりか、領土に対する権利の放棄を規定した1952年サンフランシスコ講和条約にも該当しないとみなす。だが日本が領土と主張している場所は全て19世紀以来日本列島に限定されていた領土が徐々に増えていく過程で生じたものだ。北海道が日本に編入されたのは1869年である。沖縄が日本に編入されたのは1872年だ。そして1895年の日清戦争以降に台湾を呑み込んだ。中国と紛争を繰り広げる尖閣列島問題もそこから発生した。日本は台湾を併合する時に澎湖諸島も一緒に持って行った。だがサンフランシスコ条約で台湾と澎湖諸島の領有権を放棄すると言った時に、日本はそこに尖閣が含まれないと主張した。日露戦争の時にも旅順半島、サハリン、朝鮮半島までかっさらい、その次が満州だった。このように日本の領土問題は日本帝国主義の対外膨張と分離出来ない問題である。東アジアの領土紛争は基本的に日本問題であり、日本帝国主義の問題だ。


・領土問題の多様な国内政治・国際政治的性格も念頭に置かねばならないようだが、どう見るか?

サンフランシスコ条約の時に整理をしながら一部の島と列島で日本の領土が縮小確定した。だが尖閣を含めて一部の島に対してはアメリカがわざと明文化させなかった。日本の反対もあったと言うが、最近ではアメリカがわざと領土紛争の種を残したという陰謀論的解釈も登場する。周辺国と紛争をしてこそ、日本がアメリカに依存するからだ。独島は韓国が現在実効支配しているという事実が重要だ。日本では独島がどこにあるのかも良く知らず無関心だった。忘れそうになると日本当局者や外交官が一言言うような形だった。先程言った1990年代以降に右傾化の流れが形成されながら独島問題が浮上した。領土紛争が国民国家を再構成するのにおいて、ナショナリズムを高揚させる最も良い方法の一つだからだ。国境を越える市民社会の国際連帯の枠を破る最も効果的な方法でもある。

最近日本の知識人達が独島は韓国の土地だという声明を出したが、ほんの少し前だけでも韓国市民団体と日本市民団体が連帯する時に核問題、平和憲法問題、歴史認識問題においては意見の一致を見ても、独島は取り上げるのが難しかった。日本の市民団体には負担の大きい問題であったからだ。日本政府が独島の話をするのはバラバラに散っている人々を、領土を媒介に再結集させるのに効果的な争点であるからであり、今もその構図は変わっていない。だから李明博大統領の独島訪問はこのフレームに利用された側面がある。


・歴代韓国政権の中で韓日関係を最も良く処理したと評価出来る政権があるならば?

基本的にないと見ているが、相対的には金大中・盧武鉉政権が良くやった。100点満点で仮定するなら、李承晩・朴正熙・全斗煥政権はマイナスの点数を付けられる。それでも低い点数とはいえ付けられるのは金大中・盧武鉉政権だ。


・先程南北関係の改善が日本にとって負担になったと言ったが、このような改善は金大中・盧武鉉政権で成し遂げられたものだ。それでいて同時に韓日関係もうまく処理する事が可能なのか?

南北関係の改善は国際秩序の変化を前提にするだけでなく、新しい秩序の創造を意味する。したがって南北関係の改善が日本にとって新しい変化要因として作用するのは事実だが、これは日本の問題だ。南北関係の改善で日本が外交安保上に負担を感じるからといって、韓国が日本に負担を与えない方向で外交政策を繰り広げる事は出来ない。既存の構図を維持する為に南北朝鮮が対立して、これに対する負担を朝鮮半島に居住する人々が全て背負う事など出来ないではないか? 解放後50年間はそうしてきた。南北関係の改善はそうした意味で画期的だった。

南北関係を改善しながら日本にも負担にならないようにする外交的努力は確かに存在した。金大中政権がそうしていた。そこで慰安婦問題や過去史問題において金大中政権や盧武鉉政権は強力な問題提起を控えた。歴史問題と外交安保問題を分離しようとしたのだった。金大中政権はこれから過去史に対して言及しないと語り、盧武鉉政権は早期には静かなる外交を行った。だが効果を挙げたようには見えなかった。なぜなら日本社会に対して、あるいは日本の市民社会に対して過度に楽観的な評価を下していたからだ。


・それでも先程言ったように、民主化を起点に対日政策が変わった事があったではないか。金大中・盧武鉉政権に以前よりももう少しましな面があるなら、その点について説明して欲しい。

金大中・盧武鉉政権で過去史問題に対する各種委員会が国内に作られたのだが、これが重要だ。関東大震災の時に朝鮮人5000-1万人が死んだというが、その数字を明らかにしたのは在日朝鮮人達だ。国家が国家である為には何人が死んだのか、誰がなぜどのように死んだのかは知らねばならないのではないか。日帝時代に連れて行かれたというが、この人達は誰で、どこで暮らし、金はちゃんともらっていたのかを知るべきではないのか。

大韓民国が50年間放置してきた事を金泳三政権から少しずつスタートし始め、金大中・盧武鉉政権で各種委員会が作られた。民主化がもたらしてくれた大きな成果だった。日本の右派新聞が過去史関連委員会を反日委員会だと非難した事があるが、反日かどうかを離れて、国家が国家である為にすべき基礎的な作業を解放されてから50年以上が過ぎてやっとやるようになったのだ。反共軍事独裁政権が出来なくさせた事を民主化以降にようやく始めたのだ。


・では最近の韓日関係に焦点を移そう。李明博政権の韓日関係を評価してみると?

李明博政権に対してはよく分からない。温水と冷水を行ったり来たりして哲学もビジョンも原則もない外交であった為に、果たして何をやったのかと思う。不意に韓日軍事情報協定の話が出て大変憂慮した。もちろん軍事交流は金大中政権の時からやっていた。当時にも問題はあったが、李明博政権では具体的な形態に発展して中身も明らかにならない状態で推進しようとした。おそらくアメリカの意向が強く反映したものと思われる。

さらに理解出来ないのは6月に軍事協定締結を断念して担当秘書官を更迭させたのに、8月に大統領が独島を訪問して天皇の謝罪を要求した事だ。その間に何が起こったのか知り様がない。事実関係すらも分からず、どういうつもりでやったのかも分からない。どれだけ過ぎれば秘密が明らかになるのか分からないが、なぜ急に180度転換する事になったのか分からない。李明博政権の対日政策がどうだったのかを問うなら、評価するだけの材料すらないと思う。けれども重要なのは李明博政権になってから、民主化以降に作られた過去史関連各種委員会達が解体されたり方向性が曲げられて、制度的成果達が否定されたり歪曲されているという点だ。こうした事例を見ると問題は非常に深刻な水準に来ている。


・最後に次期韓国政府の対日政策に対して語って欲しい。

相手がいるから対日政策は簡単な事ではない。一旦新政府が立ち上がったら、これまで民主政府の時にあった委員会達を温存させた形態で復活させ、真相調査もして補償体系も作らねばならない。依然として被害者がおり、その子孫達がいるではないか。また日本に対して要求するのも重要だが、国内的な政策は対日関係に関係なく持続的に行わねばならない。

併せてもう一つ肝に銘じておかねばならないのは、朝鮮半島が世界でも稀に見るディアスポラ(離散)の国だという事だ。世界で移民研究をするならインドや中国を対象にする場合が多いのだが、人口比例で見ると朝鮮半島ほど人口海外流出の多い国はない。ほぼ20%だ。家族辺り1人程度は離散の歴史を経験した。離散は日本帝国主義の支配と分断の為だ。

適切ではないかもしれないがイスラエルを例にしてみよう。ヨーロッパ帝国主義国家達の庇護の下にパレスチナ人の土地に人口国家を作ったではないか。その時帰化法というものを作った。海外にいるイスラエル民族が帰って来るのに必要な行政的手続きをワンストップで提供したのだ。だが今我々は手続きがあまりに複雑だ。在外同胞に限ってでも、帰って来るというなら帰って来れるように助けて定着出来るように機構や施設も整えてやらねばならない。帰って来るかどうかはその方々の決定に任せて、制度的な準備は整えねばならない。

そして日本に対して要求する過去史問題はもちろん外交的な問題ではあるものの、外交戦術によって変える事の出来ないある原則に立脚すべきだ。実現可能性可否を尺度にしてはならない。なぜなら、この原則は朝鮮半島統一国家の基本的な理念となる重大なものであるからだ。朝鮮半島は植民地支配と戦争を経験した。反帝国主義と反戦国家になれる歴史的土壌を備えているのだ。だが結果的には極めて矮小な反日・反北(反共)国家になってしまった。

反帝国主義と反戦が我々の歴史的アイデンティティである。これが原則であり、朝鮮半島の基本理念にならねばならない。日本に要求すべき事は引き続き要求せねばならないが、同時にベトナム戦争に対して韓国政府が積極的な態度を執らねばならない。この問題達は複合的に絡まっているが、植民地と戦争を経験した社会が平和主義を内面化するのが極めて重要だという認識を持たねばならない。

・日本と韓日関係を理解するのに大きな助けを頂き感謝申し上げる。

私にとっても有益な時間だった。良い企画をしてくれて感謝申し上げる。


市民団体である平和ネットワークは皆さんの後援で運営されています。
平和ネットワーク
http://www.peacekorea.org/

訳 ZED

韓国語原文記事はこちら。
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=30121211153150&section=05


訳者あとがきはまた後で述べたいと思います。選挙が終わった後になっちゃいそうですが…。

 

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