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「金甲洙近現代史特別講座」より

韓国の作家・金甲洙氏が自身のフェイスブックで連載した記事「金甲洙近現代史特別講座」の内容を所々翻訳して以下に抜粋する。強調部分は訳者による。


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/370641403086810
「朝鮮が滅びた理由を捏造するべからず!」
「日本は西洋覇道の手先に過ぎず」
金甲洙近現代史特別講座(2)

我々の近現代史において最も大きく歪曲された歴史は、近現代史ではなく朝鮮(王朝)史という事を常々私は強調してきた。朝鮮が劣っていて滅びたなどという。やや訳知りに言うなら「朝鮮は矛盾によって滅びた」ともいう。でなければ「日本が優れていて朝鮮を食った」などという。もう少し訳知りに言って「日本は近代化に成功した為に朝鮮を征服出来た」という。断言するが、この中でどれ一つとして正確な歴史認識ではない。

朝鮮は東学と義兵戦争で50万人近い戦死者を出した。朝鮮の官吏・学者達の中に自決で抗日した人の数は数え切れないほど多い。朝鮮の最後の皇帝・高宗は日韓併合を告示した詔勅についに署名しなかった(日本人達は強奪した国璽を押しただけだ)。俗な言葉で言って、朝鮮は決して「与し易い国」ではなかった。

一例として、身分社会という理由で朝鮮を批判する人達がいる。だが皮肉な事に「身分 신분」という言葉自体が朝鮮にはなかった言葉だ。我々はこの言葉が日本から輸入された語彙だという点で、身分社会をという事を理由に朝鮮を批難する論理がどのように作られたか暗示を受ける事が出来る。世の中に身分社会でない国がどこにあるのか?

もう一つの例を挙げてみよう。朝鮮統監・伊藤博文は朝鮮に近代的法制度を移植する為に梅謙次郎を送り、民法などを制定する事前措置として旧慣調査を実施させた。その意図は、近代法である日本民法をそのまま朝鮮に適用したら様々な問題が発生するだろうと予想し、近代法に適合しない旧慣を調査した後に朝鮮独自の民法を作ろうとしたのだった。

だが実際に調査を進行してみるとこうした予想は外れ、近代的所有権と極めて類似した土地所有権がすでに朝鮮には存在していたという事が確認された(宮嶋博史論文、「日本史認識のパラダイム転換のために」)

以下は梅謙次郎が伊藤博文に送った報告書の一部だ。

「現在としては、一般的に土地所有権を人民に認定しているという事は疑いようがなく見え(中略)要するに所有権と言える権利が朝鮮の人民には少なくとも数百年前から認定されてきたという事は否定出来ません」

これはアメリカの東アジア専門家ブルース・カミングスが朝鮮を「農業官僚社会」と規定した事とも脈を同じくする。


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/371500416334242
「優れた朝鮮」は初めてという方々の為に
金甲洙近現代史特別講座(3)

今日の私の文は「優れた朝鮮とは初めて」という方々の為に急ぎ掲載するものだ。最近になって朝鮮を正当に評価する良い文章達が多く生産されているが、その中でも今日は三星経済研究所刊「韓国と日本方程式」に収録された韓永愚教授(한영우 ハン・ヨンウ ソウル大国史学科)の論文「法古創新と東道西器の道」を一部だけ抜粋して紹介する事にしたい。

「一流国家になろうという夢は今日の我々だけでなく昔の祖先達も同様に持っており、実際にあの時代の水準から一流国家を不断に生産してきた事が我々の歴史である。

中国人達が我が国を「君子之国」または「東方礼儀之国」と指して言い、我が国の使臣を周辺各国の使臣の中で最も上席に配置しながら手厚く優待したのは、国際社会で一流国家として認識されていた事を端的に証明するものだ。我が国の通信使が日本に行けば国力を傾く程に厚遇されたのも、我々が一流国家であったからだ。実に我々は20世紀100年を除けば常に一流国家として生きてきた。

朝鮮王朝は特に各王朝の中でも最も模範的な国家と言える。伝統文化の韓国的特性が最も洗練されて発現したのがこの時代であり、中国文化を情熱的に受容したのもこの時代であり、朝鮮後期には西洋の天主教と科学技術に対しても最初は比較的友好的に受け入れた。相手が我々の伝統文化を正面から破壊しようという侵略性を露にしない限り、常に心の扉を開いて外来文化を摂取してきたのが我が祖先達の基本姿勢であった。

我が国は儒教の為に科学技術が発展出来なかったという俗説は根拠のない話だ。むしろ日本人達が持てなかった人文的教養と全人的思考力は、これから我々が日本を凌駕する一流国家になれる潜在力であるとみなさねばならない。

朝鮮王朝が果たして日本の武力によって国恥を受けたといえども、侵略者を批難すべきであって祖先を責める事ではない。紳士が不良の輩に殴られたからといって、紳士を咎める事が出来ないのと同じ脈絡だ。我々は国恥以後100年間、朝鮮王朝を恨みながら生きてきたが、これからは朝鮮王朝の名誉回復の為に努力すべき時だ。それが歴史に対する虚無主義を克服して新文明を創造する活力素となる事だろう」


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/371545222996428
昨今の大韓民国、朝鮮末期よりもましなのか
金甲洙近現代史特別講座(4)

国が滅びるのには二つがある。一つは自ら滅びる「破亡」であり、もう一つは外部勢力の侵略によって滅びる「敗亡」だ。朝鮮は日本によって敗亡した王朝である。それならば、もし日本が侵略しなければ朝鮮はどうなったろうか?

朝鮮が末期に入って急速に衰退の道に入った事は否定出来ない史実だ。表現を変えるならば、朝鮮は19世紀に入って破亡の道を歩んでいたといえる。だが人類の歴史で滅びなかった国はない。ましてや朝鮮は518年という最長寿の王朝寿命を維持した国だ。

日本が朝鮮を侵略しなければ、朝鮮はどのようになったろうか? 自己内部の改革または革命で生まれ変わり、次の寿命をつないでいった事だろう。この過程で国号を変更する事になって、「朝鮮」という名は歴史の裏道に押し出された可能性もある。

我々には滅び行く朝鮮を再生させる事も出来た歴史がなかった訳ではない。私はそこで東学を挙げるのを躊躇しない。東学は実に偉大な「挙事」であった。そして東学は革命へと昇華させられるハードウェアとソフトウェアをあまねく備えていた。

東学軍は最低でも朝鮮半島の60%以上の地域で挙兵した。東学軍が掲げた「弊政改革案(日本では「秕政改革案」と記述される事が多いが、正しくは「弊政」である:訳注)」は非常に革新的であり、特に東学軍の対民指針は50年後にも興起する中国共産革命軍のものよりも優れていた。

最近になって、当時の東学軍指導者達がどれだけ優れた人格体であったかを証言する日本側の記録が大量に発見されている。その記録達は一様に東学軍指導者達を「見識ある者達だ」「朝鮮国民の中の先覚者だ」と語っている。(日本「香川新報」など)
だが東学軍は日本軍によって殲滅された。当時日本軍が打ち出したスローガンは「匪徒掃滅」というものだった。1890年に東学軍が殲滅された事によって朝鮮は再起の機会を喪失し、1910年代義兵の壊滅によって朝鮮はそのものが台無しになってしまった。

朝鮮に正規軍がなかった訳ではない。日露戦争と乙巳勒約を体験した1905年の時点においても3500名の官軍が残っていた。日本は朝鮮の官軍を解体させた。すると彼らは義兵に変身して抵抗したが、やはり日本軍によって制圧された。

重要なのは、もし日本軍がいなければ東学革命は間違いなく成功していただろうという点だ。文治を志向した朝鮮は伝統的に民乱に寛大であった為である。これは日本軍が入って来て、東学軍対処レベルを調整する為に調査した報告書にも表れている。反乱民軍に最も野蛮的に対処したのは、自分達が精一杯近代化だと自称していた明治維新以後の日本政府である事を知った日本人達は、当惑を隠す事が出来ない。


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/372006292950321
一体アメリカは何をしたのか
朝鮮は「滅びた」のではなく「してやられた」のだ
金甲洙近現代史特別講座(5)

日本が朝鮮を強奪するのにアメリカの果たした役割はどの程度であったか? これまでは黙認・幇助したというのが定説だった。我々は桂・タフト密約を知っている。ここで桂とは1905年当時の日本首相であり、タフトとはアメリカ陸軍長官で3年後にアメリカ第27代大統領になる人物だ。

最近になって、日本が朝鮮を強奪するのに(米国は)黙認・幇助する程度ではなく積極的に周旋して駆り立てたという主張があちこちで提起されている。日本の朝鮮独占が決定付けられたのは日露戦争だったが、まさにこの日露戦争に天文学的な戦費を支援したのがアメリカであった。

(中略)

ならばなぜ西欧帝国主義国家達は日本を支援したのであろうか? 中国大陸を征服したがっていた西欧帝国主義国家達は、中国と日本の連合戦線を未然に防止する必要があったのだ。ここに付和雷同してアジアに裏切りをうったのが日本であり、それが初めて結実した歴史的事件が明治維新というものであった。

このような状況で亡ばない国がどこにあろう? こうして見た時、朝鮮は「滅びた」のではなく「してやられた」のだった。なぜなら当時の朝鮮は騙されたあまりに日本を除く西欧列強の侵略下心を知る事が出来ず、特に開化知識人達の場合むやみに西欧を憧れて羨望する愚かさまで露出したからだ。

列強も列強だが、問題はまさに「銃」にあった。東学軍は竹槍と火縄銃を手にしていたが、日本軍は最新式ライフル小銃で武装した軍隊だった。数十万の東学軍と義兵を殲滅したのは、わずか4000人の日本軍が所持した現代式兵器だった。

ここにもう一つの疑問が提起され得ると思う。「いかに日本軍が新式兵器を持っていたとしても、数十万の兵力と1000万の人口があった朝鮮がやられたのは問題ではないか?」だがこれは旧式武器に対して「銃」が持つ恐るべき威力を知らない為に言う言葉だ。

(中略)

朝鮮が劣っていて滅びたのか? それならば次の論理に承服せねばならない。

一人の少女がいる。少女がどこにいようと関係ない。男が近寄ってナイフを突きつけ、スカートを脱げという。少女は拒否する。すると男はガス銃で少女を気絶させた。男が汚れた欲望を満たしている間、少し遠くでは警察達が見張りをしてやっていた。

この少女は劣っていてやられたのだろうか? 行いが悪くて、あるいは服装がけばけばしくてやられたのだろうか? そうでなければ、少女が男のようにナイフとガス銃を持っていなかった為にやられたのだというのか? このように答える人間は、朝鮮が劣っていて滅びたのだろうと言っても差し支えないだろう。ただその者は帝国主義的な人格を持っているか植民史観に染まった人間だ。


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/374435452707405
西欧崇拝日本を他山の石とせねば
「間抜けな奴」がうようよしている大韓民国
金甲洙近現代史特別講座(7)

21世紀に入って日本はアジアにおいて周辺国へと押し出されている。シンガポール・香港・台湾の国民所得は早々に日本を抜き去っており、韓国も日本の国民所得の90%ラインまで肉迫して入った。日本の国家競争力が中国に押されて久しく、遠からずインドにも遅れる事が確実視される。

日本は韓国との関係が円満ではなく、中国とは疎遠で、朝鮮共和国との関係はほぼ敵対的な水準だ。のみならず、日本は地震・台風・火山噴火など自然災害の恐怖から一時も自由になった事がない国だ。

(中略)

事実日本の後退は全くおかしな事ではない。歴史の目で見た時はなおさらそうだ。日本は明治維新以前である19世紀中頃までアジアの中心国家だった事がない。したがって周辺国家であった国が再び周辺国家に戻る事をおかしく思うなら、それこそまさにおかしな事ではないか?

宮嶋博史教授は論文「日本史認識のパラダイム転換のために」で、「現在日本は経済的にはどうだか分からないが(それも相当におかしくなっているが)政治的にも社会的にも周辺各国に遅れている」と語るが、こうした観点は日本の学者達の間でもはや広範囲に共有されている。

断言するが、私は日本が再びアジアの中心国家となる可能性はないと見る。


https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/375137185970565
先烈達の尊姓大名を呼ばわせよ
南満州の抗日烈士達
金甲洙近現代史特別講座(7)

李紅光(리홍광 リ・ホングァン)を知っているか? 1910年に京畿道龍仁で貧農の息子として生まれた彼は、1931年に南満州で初めて抗日武装闘争隊伍である赤衛隊を組織した人物だ。同時に彼は卓越した武装闘争の指導者であったばかりか、農民運動の指導者でもあった。

「李紅光は抗日武装闘争の輝ける指導者の中の一人にして革命軍首領であり、共産党員であった。強烈に日本に抵抗し、艱苦奮闘した彼の業績は誰もがよく知る所だ」(1938年 毛沢東)

「東北抗日連軍の参謀長であり、第1軍第1司長であった李紅光同志は抗日連軍の中でも一番高位の首領の一人だった」(1946年中国「解放日報」【南満州を揺るがした李紅光同志】)

李紅光烈士は1935年5月、華子区黒瞎子望近辺で26歳の若い歳で戦死した。

似た名前の李東光(리동광 リ・ドングァン)を知っているか? 1904年に咸鏡北道慶源郡で生まれた彼は、1936年東南満州省委員会組織部長を歴任した。彼は群集事業の卓越した指導者だった。彼は南満州で農民達から最も厚い信望を得た。祖国光復会南満州代表として猛烈に活動していた彼は、1937年に黄土江山突破戦で戦死した。彼は名前の似た李紅光と共に南満州抗日闘争史に赫々と記録された先烈である。

許亨植(허형식 ホ・ヒョンシッ)を知っているか? 1909年に慶尚北道亀尾で生まれた彼は、哈爾浜メーデーデモで投獄され、満州事変以後出獄した。1930年序盤から反日遊撃隊に加担した彼は、抗日第3路軍総参謀長などを歴任しながら柳樹河子村戦闘、拉拉屯戦闘、五道崗戦闘などで優れた軍事的能力と自己犠牲精神を見せてくれた。日本軍の大討伐によって小部隊遊撃戦に転換して以後も彼は現場を離れず最後まで闘争し、1942年8月壮烈に戦死した。当時の先烈の歳は33歳であった。

楊林(양림 ヤン・リム)を知っているか。楊林の名になじみがなければ彼の本名・金勛(김훈 キム・フン)を記憶しているか? 3.1抗争以後中国に入った彼は、モスクワ東方労力者大学に留学した後、1930年に遊撃闘争の指導者となった。以後中国共産党に抜擢され、江西ソビエト地域に転勤した彼は、紅軍大学教官職を遂行しながら大長征に参加、多くの武功を立てた。惜しい事に彼は大長征を終えた直後、毛沢東の直接率いる東征戦闘で38歳の若さで戦死してしまった。

友らよ 備えよ 手にした武器
帝国主義侵略者を打ちのめし
勇進勇進 進めや 勇敢に
億千万回死のうとも 敵を討とう
(遊撃隊行進曲)

李秋岳(리추악 リ・チュアッ)を知っているか? 彼女の本名は金錦珠(김금주 キム・グムジュ) 、1901年に平安南道の貧しい農民の家庭で生まれた彼女は、7歳の時に父を失って母と友に片や勉強、片や労働して育った。彼女の学習熱は大変なものだった。彼女は国内独立運動の渦中でも大変な読書をした。3.1抗争以後指名手配されて中国に渡った彼女は楊林と夫婦の縁を結ぶ。彼女は行く先々で抗日演説を敢行、朝中人民が連合して抗日武装隊を組織して帝国主義の侵略に反撃しようと訴えた。

1932年秋、李秋岳は中共珠河中心県委に派遣された。彼女は県委委員、婦女部長、鉄北区委書記などの職務を務めた。彼女はすでに反日遊撃区の著名な抗日女性英雄となっていた。1936年8月27日、彼女は敵達に逮捕されて酷い拷問を受けるが、最後まで屈服しなかった。日本軍は1936年9月3日通河城西門外で彼女を銃殺した。その時の烈士の歳は35歳だった。

東満州第2軍パルチザン女性大将・金确実(김확실 キム・ファッシル)を知っているか? 第6師団不死鳥裁縫隊長・崔姫淑(최희숙 チウェ・ヒスッ)を知っているか? ならば第4師団機関銃女性班長・許成淑(허성숙 ホ・ソンスッ)を知っているか? 彼女が間三峯戦闘で轟かせた威容を覚えているか?

「残酷な刑罰は革命戦士の筋肉と骨を削る事は出来るが、女性英雄の確固たる意思を屈服させる事は出来なかった。敵は何とかする事が出来なくなるや、許成淑同志に死刑判決を下した。許成淑は死を少しも恐れなかった。ただ戦友達と共に民族の解放を戦い取れなかった事が惜しまれるだけであった」(満州抗日烈士列伝)

許成淑は叫んだ。「私は朝鮮民族の娘です」瞬間、銃声が響き、烈士の歳は24歳であった。

名前のみ羅列するにも紙面が足りない抗日烈士達、ここへ無名の烈士達まで合わせて夜空の星ほどにも数多く、そして玲瓏と輝くべき先烈達の名を我々は覚える事が出来ない。いや、彼らの名を呼ぶ事すら禁句視されている現実で、我々はせいぜい梨花学堂出身の柳寛順(류관순 リュ・グァンスン)烈士の名について何だかんだと言い争うだけだ。我々に先烈達の尊姓大名をまともに呼べるようにしてくれ。


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「朝鮮革命が完成する前には、私にとって平和は苦痛なだけ」
三分法で見る朝鮮独立運動勢力
金甲洙近現代史特別講座(9)

我々の独立運動は大きく三つに分けて見る事が出来る。上海から重慶に至る臨時政府中心勢力、広東蜂起から大長征そして延安に至った中国人民革命参加勢力、最後に間島すなわち満州反日武装闘争勢力だ。

便宜上上海派・延安派・満州派と呼称するならば、まず上海派は光復軍、延安派は朝鮮義勇軍、満州派は朝鮮人民革命軍を組織したという点が最も重要だ。最近北朝鮮で言われる「白頭山血統」は満州派に属する。

ただこのように単純に三分法のみだと、早くからソウル都城で義兵を起こした旺山・許蔿(허위 ホ・ウィ)、沿海州へ行って闘争した安重根(안중근 アン・ジュングン)、北路軍政署総裁・徐一(서일 ソ・イル)、青山里の主役達である洪範図(홍범도 ホン・ボムド)金佐鎮(김좌진 キム・ジャジン)李範奭(리범석 リ・ボムソッ)などと、いわゆる北京派として無政府主義と関連する李会栄(리회영 リ・フェヨン)などを外してしまうかもしれない。


https://www.facebook.com/photo.php?fbid=375522402598710&set=a.126958834121736.27678.100004228604235&type=1
「歴史の神」を冒涜する朴槿恵政権
最善の独立運動勢力は「満州派」だった
金甲洙近現代史特別講座(10)

独立運動の第3列、3列とは言うがこれら満州派こそ最も純粋で熾烈で体系的で自主的に武装闘争を展開した勢力であった。李紅光、李東光、許亨植、崔庸健(최용건 チウェ・ヨンゴン)、金策(김책 キム・チェッ)、金日成(김일성 キム・イルソン)、崔賢(최현 チウェ・ヒョン)、姜健(강건 カン・ゴン)などが代表性を帯びる。これらのうち生き残った崔庸健、金策、金日成、崔賢、姜健らは朝鮮民主主義人民共和国の権力核心となった。

これらは東北抗日連軍という名で中国軍と合作して抗日闘争を展開した。だが朝鮮人達の資質が何分にも抜きんでいた為、別に朝鮮人民革命という呼称が付与されもした。抗日遊撃戦の中で普天堡戦闘と間三峯戦闘は特に有名だが、この二つの戦闘はみな金日成が指揮したものだ。金日成は論理的ながらも親和力とリーダーシップがあり、中国共産党とソ連共産党からいずれも認められた。


金甲洙氏のこの連載は全72回にわたって連載されたもので、近日書籍化の予定もあるという。今はとても全てを翻訳する余裕がないので、とりあえず必要な部分だけ翻訳抜粋して御紹介した。以前に御紹介した「徐仲錫の現代史の話」と並んで、ぜひ同胞はもちろん日本人にも一読を進めたい。もちろん徐仲錫教授の記事と同じで一部細かい部分で筆者とは歴史観や見解を異にする部分はあるが、朝鮮半島の近現代史を知る為の読み物・入門書としては優れた内容であろう。
とりわけ金甲洙氏は、日本の右翼や韓国のニューライト勢力が主張する「朝鮮王朝は何もかも劣っていた国だから植民地化された」という植民史観の誤りや、日本のアジア侵略の背後でアメリカが果たした極めて重要な歴史的役割などを度々強調する。これらは意外に見過ごされがちだが、極めて重要な歴史的視点である。特にアメリカが日本の朝鮮侵略において共犯・教唆犯であったという史実は、「日本の歴史家を支持する声明」を考える上でも重要なポイントだ。日帝の被害国である朝鮮半島や中国の研究者を排除し、加害国側であるアメリカと日本側が勝手に自分らの都合ででっち上げて一方的に押し付けてきた声明に正義はあるのか? 
「桂・タフト密約」と「日本の歴史家を支持する声明」にどれほどの違いがあるというのか?
帝国主義列強が裏で手を組んで植民地の分け前を話し合う。それは今も昔も本質的に変わらない。
金甲洙氏のこの記事に関する詳しい推薦と紹介はまた改めて後日書きたいと思う。

今回これら金甲洙氏の記事を翻訳して取り上げたのは、例の関川夏央の酷過ぎる民族差別主義と歴史修正主義へのちょっとした反証でもある。関川という作家の差別暴言や歴史歪曲・捏造について筆者は前々から問題と思っていたのだが、最近はそれに拍車が掛かっているようだ。しかもそれを岩波書店の編集者が幇助・教唆している。朝鮮侵略・攻撃の現場犯と幇助犯。これではまるで日帝と米帝の関係ではないか(笑)!

・関川夏央
「韓国がそれ(ナショナリズム)にすがるなら、北朝鮮の愚行と蛮行を恥じなくては平仄があいません。韓国がそのあたりをあえて無視しているのは、やはり「物語」だからだね。――というようなことを岩波書店の坂本政謙さんに話したところ、それをぜひまたやってください、といわれました。」

・日露戦争当時の日銀副総裁・高橋是清
「韓国がロシアにすがるなら、日本は愚行と蛮行を厭わず戦争しなくては領土拡大が出来ません。日本がロシアと戦争するのにそのあたりで障害になっているのは、やはり「戦争資金」が足りないからだね。――というようなことをアメリカはクーン・レーブ商会のジェイコブ・シフさんに話したところ、金貸すからそれをぜひやってください、といわれました。」

…冗談はともかく、関川の民族差別主義は桜井誠・野間易通・石丸次郎・橋下徹らの、歴史歪曲・捏造は八木秀次・藤岡信勝らのそれとほとんど同じレベルの酷さだろう。桜井・野間・石丸・橋下・八木・藤岡の特に酷い部分だけを一身に寄せ集めて出来上がった不細工なキメラが関川夏央の人間性という事だ。
そもそも「日本時代の韓国には、事実上独立運動はなかった。独立は日本の敗戦によって自動的に得られたもので、解放後も新政府樹立を名のり出るものはいなかった。」とか言ってる時点で、一般常識レベルの歴史すら知らないか嘘をついているのは明白だろう。それを積極的に駆り立てている岩波の坂本とかいう編集者も凄いが、そもそも関川の嘘など韓国の作家の記事をわざわざ翻訳引用するという面倒なことをせずとも、他ならぬ岩波自身が刊行した雑誌に載っている宮嶋博史の論文一つで完膚なきまでに粉砕されるレベルのものではないのか。坂本という編集者はこうした自社刊行物の中身すら十分に把握していないと見える。それとも宮嶋教授は「岩波書店の著者」ではないとでも言いたいのだろうか。
関川とそれを喜んで起用する編集者。これはまさに現在の岩波書店の惨状を象徴する事例に他ならない。
さらに言うと関川と坂本は、アジア各国に古くからある民族主義や、ナセル時代のエジプトやカダフィ時代のリビア、今ではキューバやベネズエラなど南米左派政権諸国の反帝民族主義というのを全く理解出来ていない。それらを欧米日帝国主義諸国の国家主義とごちゃ混ぜにするという重大な誤謬を犯している。アジアや第三世界の民族主義と帝国主義国家の国家主義は根本的に別のものだ。いや、関川らもこれらの区別がついていない訳ではないだろう。これらの差異にちゃんと気付いており、自分ら「日本鬼的軍国主義」の邪魔となるアジアや第三世界の民族主義を抹殺せねばならない必要性から、ああいう誹謗中傷を言っているに過ぎない。
こうした被侵略国や弱小民族の民族主義に対する先進国の攻撃性という観点もまた、「日本の歴史家を支持する声明」を考えるのに重要なポイントである。

関川にせよ坂本にせよ、安倍晋三と同じで呆れるほど帝国主義的人格と植民史観に染まった人間である。それこそ「レイプされた少女が悪い」と平然と言ってしまいそうなぐらい、骨の髄まで「日本鬼的軍国主義者」だ。


「笑壊人、日本鬼的軍国主義就是不死!」
(笑わせるぜ。ジャップの軍国主義は死なずって事か!)


「関川夏央・坂本政謙・安倍晋三都是面皮極厚、対嘲諷置若罔聞」
(関川夏央・坂本政謙・安倍晋三はいずれもツラの皮が分厚く、嘲笑われても聞き捨てている)

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【翻訳記事】金甲洙氏の「帝国の慰安婦」書評記事

韓国の作家・金甲洙(キム・ガプス 김갑수)氏が自身のフェイスブックで3月6日に、「帝国の慰安婦」の書評を発表した。要点を突いた分かり易い内容なので、日本の読者にも訳して御紹介したいと思う。


金甲洙氏フェイスブックより「帝国の慰安婦」書評

知的無能、歴史的無知、論理的誤謬で点綴された駄々と偏見
「帝国の慰安婦」とは朴裕河、まさにあなたの事だ

本来見向きもすまいとした。だが論争が意外にも大きく飛び火した上に、一部の友人達の要請もあって遅ればせながらも本を求めて読んだ。「帝国の慰安婦」は予想していたものよりもはるかに低級な本であった。

この本の持つ非歴史性と非人間性の他に、この本の低級な水準を即座に指摘する文章がほとんどないのはどういう理由か気掛かりだ。おそらく「慶応」と「早稲田」という著者の学歴、それに現職大学教授という外ヅラの為ではなかったろうか?

時間を節約する為に簡単に核心のみ指摘しようと思う。一々分析せずに、この文章に込められた核心的主張達をそのまま提示しても読者が簡単に理解出来るだろうからだ。

この本は「慰安婦問題が解決しないのは解決を要求する側に誤りがあるという事を語ってくれる詭弁」(序文)で始まる。

― 慰安婦は日本だけの特殊な問題だ。だが軍国主義やファシズムの為ではなく、早くからあった遊郭という公娼制度を持っていた所に求めねばならない。

― 慰安婦募集は強制ではなく騙されたものであり、募集者は日本軍警ではなく売春業者であり、朝鮮人面長(村長)が帯同した事から見て、我々内部の協力者もいた。

― 挺身隊であれ慰安婦であれ、彼女達がそのように動員された過程に朝鮮人が深く介入していた事実を黙過した事が「慰安婦問題」を混乱に陥れた原因でもある。

― 日本大使館前の少女像は歪曲・創作されたものだ。実際の慰安婦は大部分が20歳以上の年齢だった。

― 小説「春婦伝」を見ると慰安婦達が希望地へと移動する場面が出て来る。これは日本軍の深い関与・管理の事実と共に、慰安婦の「自由」も見せてくれるものだ。

― 軍人達と慰安婦達が連れ合って馬や自動車に乗っては「大人が子供のように」遊んだ体験を、このお婆さんは楽しく幸福な追憶のように記憶する。(だが遺憾な事に)こうした類の記憶達もやはり公的記憶になる日はない。

― 彼女達が仮にある程度余裕を持った生活を出来たとしても、彼女達は依然として日本軍慰安婦であり、そうである限り彼女達を作ったのが植民地支配構造だという事は明らかだからだ。

― 実際に朝鮮女性の賃金は日本女性に次ぎ、中国女性はその次だった。

― 植民地朝鮮の貧困と人身売買組織の活性化の為に朝鮮人慰安婦が多かった。

― 慰安婦が20万人おり、そのうち80%が朝鮮人であったとするなら2012年現在まで登録された234人という数字はあまりに少ない数字と言わざるを得ない。

― 私(著者)は日本軍と分け合った切ない愛の話を聞かせてくれるお婆さんに会った事がある。

― 日本人・朝鮮人・台湾人慰安婦の場合、奴隷的ではあっても基本的には軍人と同志的な関係を結んでいた。

― 慰安婦は性奴隷ではなかった。むしろ彼女達の微笑は売春婦としての微笑ではなく、兵士を慰安する役割を付与された愛国乙女としての微笑と見なければならない。

― 2011年12月14日に水曜集会1000回を記念してソウルの日本大使館前に慰安婦を象徴する少女像が建てられたのは、日本の否定派達の反発を一層加速化させた。

― だが成功する可能性の希薄な運動を20年間も続けながら、病気になって歳をとった慰安婦達に韓国の自尊心を代表させたのは果たして当事者の意思を尊重した事だったろうか? これは民族の抑圧だ。

― 慰安婦募集は「罪」ではあっても「犯罪」ではない。

― バルガス・リョサの小説「パンタレオン大尉と女たち」(原題「Pantaleón y las visitadoras」韓国では「판탈레온과 특별봉사대 パンタレオンと特別奉仕隊」という題で出版:訳者注)を読むとペルーにも軍人慰安所があった。

― 宗主国(日本)に対する協力と従順の記憶は我々自身の顔として認めまいとした。「自発的に行った売春婦」というイメージを我々が否定してきた事も、やはりそのような欲望の記憶と無関係ではない。

このようにこの本は自己撞着、論点逸脱、相身互い、性急な一般化など全て取り上げる事が難しいほど多くの誤謬一色だ。論理的誤謬を行使するのには二つの理由がある。誤謬である事を知りながら駆使すれば欺瞞をする為であり、誤謬である事を知らずに駆使すれば無知の為だ。朴裕河は後者に属するものと見られる。

一つだけ例を挙げるなら、朴裕河は「だが実際は日本は戦争自体により深く介入した。米軍の要請による通訳や運転などの軍属業務にとどまらず、直接参戦して命を失う人間までいた」(259頁)だとして日本の朝鮮戦争介入を主張しては、いくらもしないうちに「アメリカと韓国は徴兵制を維持して他国に軍隊を送りもしたが、日本はそのような事がなかった。もちろん日本が平和憲法を守ってきたからだ」(300頁)だとして日本の朝鮮戦争介入を否定する。

こうした矛盾現象は自分の声だけで紙面を全て埋めるのが難しい、知的能力の欠如した筆者にこそ表れるものだ。実際にこの本は3分の1以上が日本右翼執筆者達の著書をそのまま取って来て移した引用文で埋められている。

もう一つ驚くべきは、大学教授だという著者が韓国憲法が優越するのか日韓協定が優越するのかも知らずにいるという点だ。そこで「慰安婦賠償問題を韓国政府が解決しようと努力しないのは違憲」という2011年憲法裁判所の判決も誤ったものと強弁する。

呆れた事に朴裕河は水増し式「従北狩り」まで試みる。

「軍国主義を批判するならば北から批判すべきではないか? だが慰安婦問題に積極的な韓国の進歩派が北の軍事主義を大声で批難する事はない」(300頁)

朴裕河は、お婆さん達は強制募集された軍隊慰安婦ではなく「自発的売春婦」だったという挑発的な発言をためらわない。これに対しては朴裕河の知人と見られる日本の和田春樹教授(「金日成と満州抗日戦争」著者)も「一部に人格冒涜的な酷い表現がある」と指摘した。こうした点でこの本が慰安婦のお婆さん達の名誉を毀損したという韓国裁判所の判決は正当である。

この本に対して最も正確な評価をした人は日本・明治学院大学の鄭栄桓助教授のようだ。彼は「(帝国の慰安婦は)検討の対象が曖昧なうえ、用いられる概念が理解可能なかたちで定義されていない」本だと評価した。彼の言う通りこの本は曖昧なだけでなく、互いに相矛盾する主張達がいたる所に散在している。だが一つだけを以って問題を提起すれば、別の一つを以っていくらでも逆攻撃を加えられるように出来ている。

朴裕河がこの本で言わんとした核心は、「日本は慰安婦問題に道義的責任はあるが、法的責任はない」という日本政府の立場を代弁する為のものと見られる。だが能力もない著者がいざ本を書いてみると、所々で駄々ゴネに等しい発言達が露出したのではないかと思う。この本に込められているのは「プロクルステスの寝台(Procrustean bed)」のように、一般的な基準に他の人間達の考えを無理矢理合わせようとする我執と偏見だけだ。

例を挙げると朴裕河は、「朝鮮の慰安婦達は明らかに被害者だったが、それでいて日本帝国内で第2の日本人的地位を享受する事が出来た」だと駄々をこねた。前にはお婆さん達が自発的売春婦だったと言っておいて、不意に日本人に次ぐ2等国民の地位を享受したと語る。これは要するにお婆さん達が「帝国の慰安婦」達だったという言葉と類似する発言だ。真に帝国を慰安する人は誰なのか? 朴裕河、まさにあなた自身ではないのか?

訳:ZED

韓国語原文記事はこちら
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=450177308466552&set=a.126958834121736.27678.100004228604235&type=1


御覧になった通りである。多言は必要あるまい。「帝国の慰安婦」とはまさに、自発的売文行為で日帝を慰安する朴裕河自身の事に他ならなかった!
金甲洙氏も今回の書評を書くにあたって鄭栄桓氏の記事を参考にしたようである。鄭栄桓氏の一連の記事は朝鮮語に訳された事もあって、向こうの人々にも良き影響を与えた(と思う)。訳した方がどのような方かは存じないが、その方の労苦には敬意を表したい。

もう一つ、朴裕河は「慰安婦問題が解決しないのは解決を要求する側に誤りがある」「ソウルの日本大使館前に慰安婦を象徴する少女像が建てられたのは、日本の否定派達の反発を一層加速化させた」という事をしきりに言い、問題が解決しないのは韓国の方、とりわけ「韓国側の過激行為」こそ元凶のように言っているが、このような詭弁と言うか無茶苦茶な論法は今の韓国で流行っているのだろうか? 他の運動でもこういう事を言う奴は珍しくない。そう、またしても例の「日本平和憲法9条ノーベル平和賞推薦韓国委員会(以下、9条ノーベル賞運動韓国側と称す)」である。同運動の推薦人となっている「韓国社会元老」の一人に李富栄(イ・ブヨン 이부영)という元民主党国会議員がいるのだが、この男はこの運動について最も熱心に色々なメディアに出てはしゃべりまくっているスポークスマン的立場と言って良く、この男の発言が事実上9条ノーベル賞運動韓国側の公式的立場とみなして問題はないであろう。李富栄は先日こんな事を言っていた。

http://www.nobelpeace9.kr/%EC%9D%B4%EB%B6%80%EC%98%81-%EC%9D%BC%EB%B3%B8-%ED%8F%89%ED%99%94%ED%97%8C%EB%B2%95%EC%97%90-%EB%85%B8%EB%B2%A8%ED%8F%89%ED%99%94%EC%83%81%EC%9D%84/
元議員に聞く。李富栄「日本平和憲法にノーベル平和賞を」

安倍を糾弾して日本大使館前に行って日章旗を燃やしたりする過激な抗議行動が、むしろ安倍と日本の政権を助けてやる結果をもたらすというのを大いに知る事になりました。

こいつ朴裕河とおんなじ事言っとる! 韓国側の「過激な抗議行動」が安倍と日本の政府を助けたんだと。慰安婦少女像のような「過激行為」のせいで日本が反発し、従軍慰安婦問題が解決しないという朴裕河の屁理屈そっくりそのままの詭弁ではないか。朴裕河の言ってる事というのは日本の極右、すなわち日本の戦争犯罪や植民地支配責任を認めようとしない連中の代弁なのだから、それと同じ事を平然と言っている9条ノーベル賞運動の正体も明らかなのではないか。どいつもこいつも…。
ちなみに李富栄はかつて金大中の側近だった事がある。またかよ…。何で金大中や盧武鉉の元側近衆てのはどいつこいつもこういう豚や猿以下の連中しかいないんだ? 親分だった金・盧大統領が死んだ後、みんな揃って汚い本性を表わすか変節している。

朴裕河と9条ノーベル賞運動のもう一つの共通点は、「日本の良心勢力(笑)」とやらと密接な関係を持っているという事だろう。知っての通り朴裕河は和田春樹とベタベタな関係(国民基金つながり)であるし、韓国の9条ノーベル賞運動は大江健三郎や9条の会と密接な関わりを持っている。いずれも日本側の「権威」をバックにしてでかいツラをしている訳だ。歴史の歪曲、日本を見習うべき偉大なる先駆者と崇め奉る事大主義、それによって韓国民衆を誤った方向へミスリード。朴裕河と9条ノーベル賞運動の向かう先がそんな地獄でしかない事は明らかだろう。
朴裕河と9条ノーベル賞運動韓国の両者はいずれも典型的な「21世紀の金玉均」であると筆者は思う。日本を見習うべき偉大な先駆者的国家だと惚れ込んでそれに取り入り、福沢諭吉ら日本の実力者の力を借りて(利用されて)政権を握ろうとした。己の個人的野心の為に外勢を引き入れて国を売り飛ばし、自国民衆を苦しめる。当時の朝鮮人の多くは、いかにも「開化派」ぶって時代の最も先頭を走っているかのようなポーズをしている金玉均の詐欺師的本性に気付かなかった。同様に、いかにも「日韓和解」「手本とすべき偉大なる国家・日本の良心勢力がマブダチ」というポーズで気取っている朴裕河と9条ノーベル賞運動の正体に、もっと多くの人々が気付かねばならないと思う。両者とも「韓国民衆による日本への反発・抵抗」を骨抜きにする宣撫工作の役割を担っているのだから。

【翻訳記事】朝日修交協議を通して見た日本の東アジア支配戦略(社会進歩連帯機関紙 季刊社会運動 2000.10.9号より)

以前の記事で御紹介したハンギョレの韓承東(한승동 ハン・スンドン)記者が書いた記事を翻訳してお届けする。
特に余計な解説は不要であろう。実際に以下の記事をお読みいただきたい。朝日協議と拉致問題再調査や修交といった懸案が話題になっている今、この記事は多くの示唆を与えてくれるものと思う。驚くべきは、この記事が今から14年前の2000年に書かれたものであるという事だ。小泉第1次訪朝の2年前、金正日と金大中の南北首脳会談があった少し後の事だ。当時は南北首脳会談の流れで朝日関係も好転するだろうという見方が支配的だったが、日本人拉致を朝鮮側が認めた途端に日本は挙国一致総動員体制で「北朝鮮許すまじ」一色に染まって、修交どころでなくなったのは多くの人々が知る通り。続く2004年の第2次訪朝も同様であった。当時の報道など今見てみると、韓国の北朝鮮研究家の多くは2002年の9.17以降も「朝日関係は好転し、アジア情勢も平和に向かう」といったあまりに能天気過ぎる予測を垂れ流していた。2004年の時もそうだ。こいつら日本という国の事を知らないにも程があり過ぎる。日本がどれだけ右傾化しているかを知っていれば、そんな「新生・大日本帝国」が朝鮮のレジームチェンジを狙いこそすれ、それと修交を結ぶなどあり得ない事は自明の理であったのに。日本という国にとっては拉致問題さえケリがつけば、朝鮮民主主義人民共和国などという国に用はないのだ。もちろん日本は植民地支配の謝罪や賠償などするつもりはないし、ましてや朝鮮を戦勝国として認める事など絶対にない。そうした歴史を踏まえて考えれば、十分に予想出来た事態だろう。
当時と今とでは南北関係が破綻に近いほど悪化した事と、韓日関係が経済や文化面のみならず軍事・安保面でも著しく密接になったのが非常に大きな違いだ。だがそうした当時との違いを踏まえて読んでも、十分に今でも示唆する所は大きい。
結局日本(とアメリカ)が狙う所は何なのか、その汚れた野欲の本質を決して忘れてはならないだろう。

とりあえず筆者のお伝えしたい事はこれで区切りがついた。今回の資料を皆さんで活用していただける事を願う。


社会進歩連帯機関紙 季刊社会運動 2000.10.9号より

朝日修交協議を通して見た日本の東アジア支配戦略
韓承東 ハンギョレ新聞東京特派員

編集者注)
2000年8月23日付ハンギョレ新聞特派員リポートで韓承東記者は韓国の交戦国地位喪失(併せてこれを認定してしまった韓日国交正常化)による民族の悲哀が今も進行中であり、これは朝日修交過程でも現れていると指摘しました。
我々はこの記事を通じてアメリカの東アジア支配戦略とそれに基づく日本の支配戦略(あるいは地位)に対して具体的に討論すべき必要性を再び確認し、併せて朝日修交を取り巻いて惹起された日本の東アジア支配戦略が単純な問題ではない事を、読者達に生々しい話で伝達すべき必要があると見ました。そこで社会進歩連帯編集部はこの問題について韓承東記者に問い合わせました。
以下は韓承東東京特派員が送ってくれた答弁です。この文を通じてアメリカの東アジア支配戦略下で日本が目論むものが何であり、その結果は何なのか、多くの事を示唆される事でしょう。
お忙しい中にも何の私心なく原稿を送ってくれた韓承東記者にこの場を借りて、再びお礼申し上げます。


・1951年サンフランシスコ講和条約-韓国の地位

サンフランシスコ条約に特に関心を持つ事になったのは、当初この条約では南北朝鮮を含む朝鮮半島が連合国の一員として戦勝国の地位を持つ事になっていたという点の為です。米日両国は日帝の敗北で終わった太平洋戦争を清算して以後、両国関係を新しく設定するこの条約を1951年末に締結して1952年から発効させました。当時すでに朝鮮戦争が進行中であった為に北朝鮮がその条約に参加する可能性はありませんでしたが、アメリカ支配下にあった南側だけでも戦勝国の地位を付与されていれば、以後の歴史はかなり変わっていた事でしょう。
そうであれば今進行中の朝日国交正常化交渉も交戦国同士の戦後処理及び講和条約締結形式になっていたはずです。当然日本は今彼らが主張する請求権や経済協力などという次元でなく、交戦国に対する戦争賠償をせねばならず、それを土台に両国関係を新しく確定する講和条約、または平和条約を結ぶ形式になったでしょう。もちろん以前の韓日国交正常化も姿が相当に変わった事でしょう。


・アメリカの戦後対日政策と韓国/在日同胞の地位

当初アメリカは明白に1949年12月に作成された草案に韓国を戦勝国として明記しておきながら(最近機密解除された米国立公文書館保管資料によれば、1953年のアイゼンハワー政権期に国務長官に抜擢されるジョン・フォスター・ダレス米条約草案担当特使-国務省顧問-(当時)がそのように明記)当時の吉田茂日本総理などの要求でそれを削除します。ダレスは1951年7月に当時の梁裕燦駐米韓国大使にその事実を通報しました。それに対して梁大使は強力に抗議しますが、すでに事はアメリカの一方的決定で終わった状況でした。日本側はその時韓国を戦勝国に含ませてはならない理由の一つとして在日同胞の地位問題を挙げました。在日同胞達が戦勝国国民になれば、日本は彼ら全員に莫大な賠償をせねばならないばかりか、彼らを統制出来ないだろうとアメリカを刺激したのです。吉田は在日同胞を全て左翼、すなわちアカだと断言しました。

吉田のような保守右派政客達の目には、在日同胞達が当時左翼に映ったのは当然だったでしょう。知っての通りアメリカは日本占領後、最初は日本をアメリカに二度と挑戦出来ない国家に改造しようとし、軍隊保有と集団的自衛権及び戦争遂行(交戦)権も認めない今のいわゆる「平和憲法」を作成して事実上強要したのにもそうした意図が含まれていたと見れるでしょう。日帝敗戦直後に在日同胞達は相対的に自由を謳歌し、日帝が強要した全ての抑圧体制を自ら除去しながら日本改造にも主体的に対応する、言うならば戦勝国国民の資格で行動しました。戦犯にして敗戦国である日本としては当時100万を超える彼らの組織的対応は簡単な問題ではなかったでしょう。

こうした状況が続いていたならばまた状況が違っていたかも知れませんが、1946年からすでに米ソ対決体制が輪郭を現して1947年のトルーマンドクトリン以後アメリカは対ソ対決体制へと確実に方向を定めます。その後アメリカが後押しした蒋介石が毛沢東に敗れて1949年の中国大陸共産化にいたるまで、アメリカの対日政策は変化します。その過程でダレスなど後にアメリカ政府の中枢となる国務省・国防省勢力達は日本を対ソ冷戦体制確立の為の橋頭堡として育成せねばならないと主張し、実際に日本に米国市場を完全に開放する反面で大規模経済支援にも乗り出します。

それはソ連の対ヨーロッパ膨張阻止の為に西ヨーロッパへ大規模に実施したマーシャルプランと同じ性格でした。こうした変化する状況で在日同胞達は日本にはもちろんの事、アメリカにも非常に煩わしい存在になりました。すでにアメリカは当時から在日同胞達が建てた民族学校などの教育施設をはじめとし、同胞社会の独自な施設や組織達に対する大々的な弾圧に入って、その過程で衝突が起こって死傷者まで発生します。
彼らは共産党・社民党など日本の左派政治勢力と労組などの主要支持者にして構成員でもありました。米占領軍はこうした在日同胞の武装解除ないし解体を推進したのに他なりません。在日同胞達があの時、以前から対日抵抗及び民族解放の方法として1917年ボリシェビキ革命以後に被抑圧民族達の心を捕らえた社会主義思想に傾倒していったのは、あるいは自然な事だったでしょう。同胞達が以前の抑圧者達や彼らの直系子孫達に反感を持つ事になったのは当然だったでしょう。

こうした事情とアメリカの弾圧は、後に90%以上が南出身である在日同胞が総連という組織を結成して北朝鮮に同調する事になる過程へと連結する事とも関係があります。


・朝鮮戦争、冷戦対立構図以後の日本の地位

1950年に朝鮮戦争が勃発して状況は極端に至ります。すでに韓国内でも同様な時期に米占領軍はアメリカが支配する南朝鮮単独政権を、日本というアメリカのアジア冷戦橋頭堡を防御する為の軍事的拠点として育成しようという戦略下に、広範囲な左翼及び民族主義勢力弾圧に入りました。金九や呂運亨などが除去された事もそうした状況を背景にしています。済州4.3事件や大邱10.1抗争も同じ脈絡で察する事が出来る事でしょう。やはり韓国内でも戦争は全てのものを極端に追いやりました。補導連盟などを通じた良民大虐殺は、植民地時代と解放空間を通じて広範囲に拡散していた(当時各地方毎に結成されていた人民委員会などを想起してみれば事情を推測出来る事でしょう)外部勢力排撃・単独政府拒否・親日派除去・即時独立と統一政府樹立を志向していた左派性向の民族主義勢力の組織的除去政策とも無関係ではないでしょう。今振り返ってみると、当時の犠牲者達多数を左派または左翼と呼べるかどうかすら曖昧です。左翼というよりは米占領軍(形式上は1948年の南朝鮮単独政府樹立後に米軍政は終わりましたが)と彼らが支援した右派勢力に対する反対勢力だと見るのがより正確でしょう。
朝鮮戦争を契機に全世界にわたるアメリカの対ソ冷戦対決構図は完成します。当時そのような状況で在日同胞を左翼不純分子に追いやりながら韓国に交戦国の地位を付与してはならないという日本側要求は、アメリカとしても拒否する理由はなかったのです。

アメリカにとっては日本がはるかに投資価値があり、日本の戦争犯罪というのはその段階ではすでに何の意味もありませんでした。アメリカは朝鮮戦争が起こる前に公職から追放された日帝犯罪者達(彼らこそ現代日本保守右派支配グループの源流達)をほぼ全ての公職に復帰させます。戦犯達の公職復帰は1952年初頭にサンフランシスコ条約が発効される中で完了します。

アメリカにとっては、冷戦橋頭堡としての日本の地位を受け取りながら自身達の戦略を効果的に実行していくのに、彼らは大変な価値を持った存在でした。彼らは自身達の弱点の為にもアメリカの政策に積極同調するしかありませんでした。あたかも韓国内で親日派達がアメリカ式民主主義や反共を押し立てて一朝のうちに徹底した親米主義者に変貌したかのようにです。


・悲劇の始まり-交戦国地位の喪失と分断固定化

韓国の悲劇はアメリカよりも長らく日帝に抵抗してきた被植民国が、日帝敗戦後に戦犯国日本よりもさらに凄惨な戦犯国扱いを受けた事にあります。その明らかな象徴こそ分断です。アメリカはソ連の東北アジア掌握を防ぐ為にあわてて38度線を引いて、ソ連軍の朝鮮半島完全占領を防ぐ事にのみ汲々としました。その後の歴史はよくご存知の通り、朝鮮半島は再び第2次大戦よりもはるかに過酷で長い冷戦と対決時代の最前線防御壁として機能します。同じ被害者である同族を相手にしてです。朝鮮戦争に限っても日帝が第2次大戦時に受けた全ての人命被害とほぼ同じ程の人々が殺傷され、分断など想像すら出来なかった朝鮮民族は半永久的に分かれて敵対的な対決を半世紀以上持続しています。

再び本来の話に戻って、もし占領軍アメリカが韓国だけにでも戦勝国地位を付与していたなら、もちろんだからといってアメリカの対日及び対韓政策や戦略が根本的に変わりはしなかったでしょうが、1965年の韓日国交正常化は過程自体が根本的に違っていたでしょう。韓国は当然交戦国としての戦争賠償を堂々と、そしてはるかに有利な条件の上で受け取る事が出来た事でしょう。そうなっていればおそらく独島問題もいまのように残ってはいなかったはずです。


・朝日修交過程で露になった争点達

朝日国交正常化と関連して朝鮮が韓日国交正常化過程を繰り返さないようにする問題を、南北対決観点から眺めてはならない理由もここにあります。北側も中国八路軍またはロシア側、あるいは単独で東北地方、そして咸鏡・平安道地方など国内外で日帝敗亡まで抵抗を続けて来た歴史を正当に評価されて交戦国としての地位を認められる事は、将来の統一朝鮮半島の為にも重要な歴史的手続きだと思います。
日本は補償額規模などの問題とはまた違う次元で、そうした事実とその事実が持つ重大性をよく知っているので、朝日国交正常化を韓日正常化交渉に準じてしなければならないという自らの原則を決して放棄しようとはしないでしょう。挑戦もまたその事実をよく知っていますが、朝鮮は現在弱者としての不利さを甘受するしかない立場です。去る(2000年)8月に開かれた朝日国交正常化第10次本会談ですでに朝鮮は日本の食糧支援と経済支援を強力に要求しながら、日本人拉致疑惑などそれこそ疑惑だらけの日本側の主張に正面から反駁出来ませんでした。朝鮮は今、日本に対して自分達が主張して来た一部原則を放棄してでも、彼らから必要な早期支援を引き出さねばならない立場に置かれています。日本が最近大規模対朝米支援に乗り出すとしたのも、朝鮮のそうした弱点に突っ込んだ戦略の一環だと言えます。

あたかも5.16クーデター直後に政権の正当性確保を、経済開発早期達成に求めようとした朴正熙・金鍾泌が、急いで日本の有無償経済支援(総5億ドル)に屈服するしかなかったようにです。日本は当時ロクな植民地支配の謝罪すらもしませんでした。請求権という概念で見るならば、双方が得失を勘定して互いにやる物をやってもらう物はもらうという事です。言うなれば、日本は朝鮮半島支配の正統性・合法性を依然として放棄せず、したがって日本が建ててやった工場・鉄道などの施設と教育などを自分達が計算して受け取るべき資産とみなしていました。現在自民党を中心とする日本右派支配グループ達が持っている対朝鮮半島観はその延長線上にあり、しばしば沸き起こるいわゆる「妄言」というのも、その土台によって可能なものです。彼らの思考方式では当然「妄言」ではなく「真実」を言っているのでしょう。今の歴史教科書改悪の動きも同じ線上にあります。

アメリカはもちろん韓日国交正常化過程にも深々と関与しました。その事実も機密解除された文書の中に明記されています。韓日国交正常化は対ソ冷戦対決体制を安定化させようとしたアメリカが慫慂したものだと言えます。その結果は当然日本にとってはるかに有利に回ったでしょう。そこからアメリカが支配する日本、その日本が支配する韓国(安保・経済など全ての側面でそうです)という序列体系が作られました。もちろん安保・軍事面でアメリカは日本・韓国を同時に統括しており、日本が一時アメリカに挑戦する程の経済成長を成し遂げはしましたが、2次大戦直後に設定された基本構造は冷戦体制が終わってから10余年が過ぎた今も根本的に違う所はありません。それを破壊する道は南北接近・南北連合・南北統一を通じた朝鮮半島の主体的対応しかない事でしょう。


・日本の過去史に対する基本的立場

日本の支配グループは先述の通り日帝の戦犯達、言うなれば大東亜共栄圏を夢見て大陸侵略を敢行した者達の直系子孫達で、根っこは1868年明治維新前後の日本開国論者達にまで遡ります。西郷隆盛・吉田松陰・伊藤博文など現代日本の建国英雄達があの頃から唱えた征韓論を想起して下さい。彼らは阿片戦争(1840-42年)で中国が張子の虎に過ぎなかったという事実を知って、自分達の生きる道を西欧列強の追従・模倣に求めます。以後西欧列強の一員になる事に全力をつくし、中国の崩壊で意外にも簡単にその列に加わります。無主空山と化した朝鮮は列強達の領地分割密約(アメリカが日本の朝鮮支配を認めてやる代わりに、フィリピン支配を認められる桂タフト条約など)によって日本の手に落ちます。アメリカ・イギリスの一方的な応援と支援の中で日本が日露戦争に勝利した事により、唯一の妨害勢力であった帝政ロシアまで除去されます。

西欧列強達は中国略奪の為に日本を利用してロシアを除去すると思い通りの目的を達成しましたが、日本にも朝鮮と中国東北地方を与えてやりながら、日本が成長を繰り返しつつ中国全体に対する独占・支配的地位を狙うようになるとそれにブレーキを掛けます。これに反発した日本が東南アジアとビルマに至る、いわゆる南方侵略を敢行して資源を確保しながらハワイ真珠湾のアメリカ太平洋海軍基地を急襲した後、時間を稼ぎながら汎アジア日本ブロック(大東亜共栄圏)を安定化させようとしたのがまさに太平洋戦争でした。元はと言えば、アメリカが日帝敗亡後に東京軍事裁判で日帝を戦犯として追い込んだのも喜劇的な事でした。彼らもやはり略奪者という点では同様だったのですから。

今の日本保守右翼達がまさにその点に食らい付いて離さず、自分達の戦争挑発がアジア民族解放戦争だったと強弁する理由もここにあります。彼らが見るにはおまえも俺も同様という事でしょう。
日本保守右翼達が悪いのはそうした自分達の正当化の為に、朝鮮をはじめとする当時の被害者達に対する反省と謝罪はおろか、日帝が彼らを支配したのは純理であると強弁する所にあります。被害者達がみな無能力であったり支配される以外にない運命または条件を生まれついた時から持っていたと言うのです。日本保守右翼達はそうした主張を裏付ける為に、日本の歴史をとんでもなく誇張して美化しながら新しい文明圏論まで登場させています。この間ポール・ケネディという人が「大国の興亡」という本で、日本を独自的な文明の一つとみなした時、これら保守右翼達は歓呼雀躍しました。

ポール・ケネディはアメリカに挑戦するほどの経済大国である日本が中国のものでもなく西洋のものでもないという意味でそのように言ったのであり、彼の頭の中には韓国または朝鮮という存在はありません。ケネディは冷戦以後にアメリカが主導してきた西洋文明が今後主に中国とイスラム圏の強力な挑戦に直面するだろうと予測しつつ、基本的にはどうしたら現在の西欧優位を引き続き維持出来るかに関心を持った人と思えます。ケネディのみならず、近代以後日本という眼鏡を通じて眺めたほぼ全ての西洋人達は同様の認識水準を持っていると言えます。

彼らが見るに韓国または朝鮮は中国の一部であったり、日本の一部です。日本保守右翼達はそうした西洋の東洋観をはるかに積極的に活用しています。例えば独島が元より自分達の地ではないという事実を、日本はよく知っています。それなのに彼らはそのように主張して事実上ほぼ自分の土地のように作り上げました。それは国際舞台であらゆるものが韓国式ではなく日本式で通じるようになっている現実を、そのまま反映しています。あたかも全ての西洋地図で東海が日本海に変身したように、世の中は日本を通じてアジアを眺めるようになります。こうした状況では韓国のどの歴代政権も独島問題を解決出来ません。


・冷戦後アメリカと日本の東アジア支配戦略-ナイ・イニシアティブと変数

冷戦が終わるやアメリカは東アジアに対するアメリカの地位を維持する為に新たな戦略を作り出します。1995年に出たジョセフ・ナイ(現在ハーバード国際関係大学院であったかはっきりとは覚えていませんが、いずれにせよそこの学長ですが)当時国防長官でしたか? いずれにせよ彼が中心となって作成した東アジア戦略報告書(よくナイ・イニシアティブと言いますが、正式名称ではありません)が発表されます。ここには中国が21世紀中盤までにアメリカと競うほどの超大国に成長するものと想定して、アメリカがこれに対してどのように対応するべきかが主内容になっています。主敵ソ連がいなくなったその場所に、中国を潜在敵国あるいは競争国として座らせたのです。1980年代にアメリカを脅かした日本経済のバブルがはじけて冷戦橋頭堡としての役割すら揺らいだ日本は、1990年代初頭にアメリカの寵愛が消えるのに対する不安感が増幅しました。1991年に湾岸戦争が起こった時、日本は100億ドル以上の金を出しながらアメリカの要求通りに軍隊を派遣しなかったという理由で、馬鹿な国扱いを受けもしました。

クリントン政権登場以降アメリカは、1980年代の屈辱を挽回する為に組織的に日本を叩く政策を執ります。日本の市場を開かせて規制緩和措置を要求するなど、アメリカ的市場秩序を強要します。それが今日のいわゆるグローバリズム旋風とも無関係ではありません。グローバリズムはアメリカニズムの別名でしょう。
日本の危機感は、数年前にクリントンが中国を10日も訪問しながら同盟国を自称する日本には寄りもしなかった時、いわゆる日本通過・日本無視・中国との直取引論で日本をひとしきり揺さぶった不安感の中にもそのまま反映されています。しかしそうした冷戦崩壊後の慌しい雰囲気は、まさにナイ・イニシアティブが登場する1990年代中盤に中国警戒論と共に日本重視論が再び登場して向きを変えるようになります。1996年クリントン・橋本の日米共同宣言(安保条約再解釈)と1997年日米防衛協力指針(ガイドライン)改定、1999年ガイドライン関連法制定、日本国旗国家法制定などはそうした背景の中でなされたものです。

この過程で日米安保同盟再強化論者達が待っていたかのように100%活用したのが、1998年8月31日に朝鮮が発射したテポドンミサイルです。その真相はさておき、日米両国はその事件を契機に北朝鮮脅威論を言いふらしながら自国内世論をそちらに追い込んで行きます。駐韓・駐日米軍存続とNMD・TMD構想を本格的に推進し始めたのもその時からです。東アジアにおいて日本という存在は、アメリカにとってのヨーロッパ北大西洋条約機構(NATO)と同じ存在であり、駐日米軍・駐韓米軍はまさにアメリカがリードするNATO軍と同じ存在だと言えます。
日本の支配グループは過去に西洋列強の一員に仲間入りした時の日英同盟と同様に日米同盟も、特定時期に世界を左右した最強大国と同盟関係を結んだ時に日本は強盛大国として存続した、という観点で眺めるのです。

今左右を問わず多くの日本の識者や為政者達が一様に、21世紀の日本国家戦略に日米同盟を根幹として据えている理由もそこにあります。石原慎太郎東京都知事のような極右に近い右翼達の一部がアメリカを攻撃しているように見えますが、それは一種のエディプスコンプレックスのようなものと見る人達もいます。いわばアメリカを攻撃するのは、アメリカから対等な者と認められる為に振りまくおねだりや駄々のようなものであって、決して反米ではないという事です。右派であれ極右であれ彼らが望むのは最強大国アメリカが認めるアジアの覇者、覇権国家としての日本または日本ブロックであり、それをアメリカも認めて対等に繁栄を満喫しようという事です。太平洋戦争の時にハワイ真珠湾を攻撃してアメリカに楯突いた結果がどうであったかを良く知る彼らとしては、十分に取り得る二重的態度だといえます。

これは徹底して既得権者の論理です。すでに既成の強者である彼らが組み上げた秩序を、21世紀にもそのまま延長して維持しようという戦略です。
こうした構図は不幸な事に朝鮮半島にはいつも不利に作用しました。西欧がアジアを侵略して戦略的パートナーと想定した唯一のアジア国家。日本の成功はまさに西欧のアジア侵略形態を同一次元で繰り返した事に始まり、それはすなわち他のアジア諸国の悲劇に直結するしかありません。一言で言って彼らはアジアの犠牲を前提に立ち上がったのです。日本右翼達は常に自分達に成功をもたらしてくれたその構図に深い郷愁を秘めているのです。

日本の支配グループ達が現在最も不安視しているのは、中国の超大国化と統一朝鮮の登場です。これら隣国達が持つ共通の特徴の一つは、いずれも日本に徹底してやられた経験を持っているという事です。そしてこれらは、日本が自らの過去の過ちを認めず、したがって本心から反省してもいないという事実をあまりにも良く知っています。アメリカなど海外観察者達でさえ、21世紀東アジア最大の不安または重要な変数がまさに日本の過去清算失敗、中国の超大国化と統一朝鮮登場と見ています。そうした不安の為に日本はアメリカの安保保護が不確実になった場合、核武装まで含めた軍事大国(すでに軍事大国ですが)の道へへ駆け上がる事に救いを求めるでしょう。日本左派の一部と市民団体などは日本の出口を過去清算を通じたアジア共生に求めていますが、彼らでさえ巨大中国の登場に対しては不安視しています。

これは言い換えると、巨大中国が日本には決して好意的でないだろうという考え、またはそれとは関係なく巨大中国が日本の利害と一致しなかったり、日本の覇権的地位を容認しないだろうという事に由来します。右翼または極右達はこの問題について非常に神経質です。彼らはそうであるほどなおさら日本国家主義を刺激して内部結束を過去の栄光に求めるようになり、それは結果的に排外主義的趨勢の強化として発現されます。これは見方によっては、一時可能性を見せた世界国家としての日本という地位獲得が不可能になった事から来る挫折感とも関連があり、右翼達は結局その出口を自分達同士で固く群れ集まる事に求める形勢だと言えます。


もし日米同盟が中国を潜在敵とみなしながら韓米同盟を土台に韓国を日米同盟の従属体制に縛り付けようとした場合、朝鮮半島には再び悲劇的歴史が再演される可能性があります。もし南北朝鮮がどのような形態であれ接近して共同対応体制を確保出来ない中でそのような状況が固まったら、朝鮮は朝鮮なりに生存戦略を中国・ロシア側に求める事になるでしょう。
韓米日陣営と朝中露陣営の対決構図、まさに新たな東アジア冷戦対決構図です。そのようになるとは誰も断言出来ませんが、そうならないという保障もまたどこにもありません。辛く悲惨であった近代100年の歴史によってやつれた被害妄想に過ぎなければ、私も良いと思います。南北朝鮮の和解と接近、早期統一は朝鮮民族死活の問題である事をこれを通じても感知する事が出来ます。


・朝鮮半島を取り巻く日本・アメリカの戦略

日本右翼達が特に親密感を感じる国は台湾です。そして韓国の保守右派達です。シンガポールやマレーシアも好きですが、戦略的価値において韓国や台湾に及びません。日本右翼達が日本中心のアジアブロック(大東亜共栄圏の変形形態)を想定する時、韓国と台湾が一時的対象になります。マレーシア・シンガポール・タイ・インドネシアも対象に含まれますが、韓国と台湾は日本がそれらを取り込む為にも必須的な同盟勢力にせねばなりません。日本右派達は台湾をほぼ沖縄と連結された自国ブロック圏(こうした概念が許されるのであれば)内とみなす傾向があります。日本の伝統的な韓国観も似た点があります。韓国に対する最近の日本の好感は、1998年に金大中大統領が日本を訪問してこれ以上政府次元で過去史問題を取り上げないとした時から急接近しました。

もちろん金大統領としてもそれなりの戦略があるでしょうが、日本右翼達は金大統領のその宣言的約束にそれこそ歓呼しました。それ以降は両国間の訪問者数が急増して、今両国は投資自由化をほぼ実現する段階まで進捗させ、一般関税をなくす自由貿易協定協議まで行っています。関税障壁をなくす自由貿易協定とは、結局アメリカ・メキシコ・カナダ(NAFTA)のような一種の経済ブロックを形成する事で日本中心のアジア的経済分業体制が完成する事を意味します。そうした観点から見ると、最近における南北朝鮮の関係改善は決して日本右翼達にとって望ましくない変化でありましょう。日本ブロック下の分断された南北朝鮮ですら次善にはなるのに、南北の接近はその可能性すら脅かし得るからです。

のみならず、統一した南北朝鮮は日本よりも中国側に傾く可能性すらあります。もし統一朝鮮が中国へと傾斜して日本に敵対的になった場合、それは日本が想像し得る最悪の状況である事でしょう。日本はそういう点で南側だけでも確実に日本の経済的・文化的磁場の中へ確実に取り込んでおく事が、国家戦略上の死活問題たり得ます。我々の南北統一戦略もこうした点を十分に勘案せねばならないものと考えます。下手をすれば再びやられますが、上手くやれば南北朝鮮は各自朝鮮半島と関連して強弱点を持つ日本・中国全てを動かしてもいけるという事を意味するからです。

これと関連し、アメリカが最近駐韓米軍問題に大変な執着を見せているのも興味深くあります。駐韓米軍はそれ自体でアメリカの東アジアでの存在感、言い換えれば支配力維持に重要な要素ですが、沖縄を根幹とする駐日米軍維持の為にも存続させねばなりません。駐韓米軍が撤収する状況とはすなわち駐日米軍の配置根拠も喪失されるという事を意味するからです。駐日・駐韓米軍配置が弱まったり、元より米軍基地が撤収する場合、アメリカの西太平洋(アメリカを基準に見た時は西側)戦略は根拠地を喪失する事になります。駐日・駐韓米軍の維持は安保軍事上観点のみならず、21世紀全世界最大の生産基地となる東アジアの経済への関与の為にも大変重要です。それこそ死活的な問題だとアメリカ自らも明らかにしています。

しかしながらもう一つ、アメリカが東北アジアに対する統制力を喪失する場合は日本の再武装可能性が高まるという点も気がかりです。極端な場合、数千年間東アジア史のパターン通りに結局日本は中国の磁場の中に吸い込まれるものと見る視点も西欧には少なくありません。アメリカが韓国を喪失すれば日本も喪失する可能性が高まります。極端な場合は韓中日・東南アジアの巨大ブロックが、米・西欧ブロックに対抗する体制再編を想定して御覧なさい。アメリカとしてはそれこそ「肝」とも言うべきアジアを丸ごと喪失するのです。その時ロシアとインドはどちら側に付くでしょう?

なぜアメリカが朝鮮半島統一問題と直結する北朝鮮問題にあれほど執着して、駐韓米軍問題に神経を使っているのか? それはまさに朝鮮半島の変化がそうした爆発的な連鎖反応の起爆点になり得ると見ているからでしょう。
我々が顔を寄せ合わせて共に悩むべき理由がここにあるという事です。

訳 ZED
韓国語原文記事はこちら
http://www.pssp.org/bbs/view.php?board=journal&category1=10&nid=348

【翻訳記事】あなたの中に文昌克はいないのか

金甲洙(キム・ガプス 김갑수)氏のフェイスブックより

あなた達の中に「文昌克」はいないのか(1)
日帝の啓蒙主義者達と今日の「擬似進歩」は同じ穴の狢

多くの人達が文昌克(ムン・チャングッ 문창극)の発言に興奮、怒りを表明している。それもそうで、文昌克は日本の植民地支配も、分断と朝鮮戦争も全て神の意思だとしたからだ。もし彼が韓国の民主化や経済発展が神の意思だと言ったなら、どのような反応を見せただろうか? おそらく何事も起こらなかっただろう。人々はただ文昌克をキリスト教信仰を持った純真な人となり程度で心に刻んだ所だ。

だが文昌克は後者のような話はしなかったし、するはずもなかった。それならばなぜ彼は「神の意思」を煽り立てたのだろうか? 端的に言って彼は我々の歴史を貶める為に神を利用して食い物にしたに過ぎない。したがって、彼は決して篤実な信仰人だとも言えないようだ。

私が見るに本当の問題は文昌克の言葉にすっかり興奮、怒りながらもなぜ彼の言葉が不当なのかを明確に論証出来ない所にあるのではないかと思う。多くの知識人達が誰も彼も簡単に「親日史観」と「植民史観」だと言う。それならばなぜ親日史観で、どうして植民史観なのかと問い返す事も出来る。これに対して「文昌克は日本帝国主義の『植民地近代化論』を信奉している為だ」と答弁する事だろう。

私が見るにはここまでだ。日本が退いてすでに70年なのに、なぜ文昌克の類の人間達が依然として勢力を持ち、どうして文昌克式の発言が忘れられては浮上するのか、深く考えてみる必要があるのではないか?

私はこの場で、文昌克を庇護するいわゆる「守旧馬鹿達」を論議しようというのではない。私は、文昌克を非難しながらも論理を備えられない知識人達と進歩主義者達を問題にしようとしている。

「おまえ達は李朝500年に無為な歳月を送った民族だ」
「李朝末期に、我が民族達の血にはただで遊んで食うのが全くそのまま身に刻まれていました」

上の二つの発言は文昌克のものだ。あなたはとりあえずここから「李朝」という用語を問題にする能力はある。だがその次の言葉について考えてみよ。我々は朝鮮500年を無為な歳月であり、朝鮮末期に我が民族は非常に怠惰であった主張に対してあなたはどのように考えてきたのか? 今までこれと等しい考えを持ってはいなかったかという事だ。もし一抹でもそうであるなら、あなたもまた植民史観に知らず知らずのうちに感染していたという嫌疑をおく必要がある。


あなた達の中に「文昌克」はいないのか(2)

「一時は独立協会、万民共同会、新民会活動などで愛国啓蒙運動の中心的役割をした事もあった彼の『転向』または『変節』の下には朝鮮が未開だという日帝の認識がそのまま下敷きになっていた…だがあの時について言えば彼はまだ積極的『親日派』ではなかった。彼が『親日派』に『転向』したのは、国が亡んだ翌年である1911年に寺内総督暗殺未遂事件を口実として日帝が朝鮮民衆運動指導者達を大挙捕まえた『105人事件』で3年の懲役暮らしをしてからだった」(ハンギョレ記事「文昌克候補が引用した尹致昊(ユン・チホ 윤치호)はどんな人?」中から)
http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/642255.html
(ただしこの記事は日本語版では翻訳掲載されていない 訳者注)

上記は「ハンギョレ」記者の中でも比較的無難な歴史観を持っていると評価される韓承東(ハン・スンドン 한승동)記者のものだ。だが私が見るにこの文には明白な歴史認識の誤謬と限界が表れている。とりあえず韓記者は、尹致昊が最初は悪くない人間だったのに1911年以降に「転向」したという風に語っている。「転向」とは? 朝鮮知識人が親日派に堕落した事にも「転向」という言葉を使えるのか?

次に尹致昊は1911年以降に転向したのではなく、「最初から親日派だった」事を韓記者は知らないか歪曲して把握している。これは皮肉な事に、韓記者が提示しておいた尹致昊の日記にもよく表れている。

1)「朝鮮が今の野蛮的状態に留まるより、敢えて文明国の植民地になるのがましだ」(1890年5月18日尹致昊日記)

2)「もし私が好きなように自分の故国を選択出来るならば、私は日本を選択する事だろう。おお、祝福された日本よ! 東方の楽園よ!」(1893年11月1日尹致昊日記)

このように尹致昊はすでに1890年代から親日派だった。彼は独立協会幹部を務めながら開催した万民共同会でも親日派だった。彼は福沢諭吉と伊藤博文を本心から尊敬した。特に尹致昊は、ソウルを訪問してから帰る伊藤博文の為に料亭・菊翠楼で歓送会を開いてやった。伊藤はその日尹致昊からもらった贈り物に大変満足し、答礼として自身の写真を尹致昊へ与える。伊藤が尹致昊からもらった贈り物は大型の銀茶碗だったが、そこには新しく建てた独立門が浮き彫りにされていた。

実像がこうなのに、なぜ韓承東記者は尹致昊が「一時は独立協会、万民共同会、新民会活動などで愛国啓蒙運動の中心的役割」をしたと肯定的に認識したのだろうか? これは果たして韓承東記者だけの問題ではない。これは今日大多数の韓国知識人達の問題でもある。

韓国の進歩的知識人達は啓蒙運動と独立協会を肯定的に認識する誤った歴史認識を持っているが、事実これこそ日本が普及させた「最悪性植民史観」によるものだ。


あなた達の中に「文昌克」はいないのか(3)

韓国進歩知識人達はいくつかの共通点を持っている。まず彼らは一様に社会進化論を受容する。「西遊見聞」を書いた兪吉濬(ユ・ギルチュン 유길준)は、この世には未開化な国と半開化な国と開化した国があると主張し、韓国は半開化、西洋は開化した国だと断定した事がある。それによればアフリカは未開化な国である事は間違いない。

もちろん私はこのような3分法に同意しない。社会とは発展もするし、退歩する事もあるものだ。社会が無条件に発展だけするなら、歴史的には無数に確認出来る文明の滅亡史をどのように説明出来るのか。そして西洋は無条件開化したという説明も正しくない。軍事的・経済的優越が開化の全てではないからだ。

次に韓国の進歩知識人達は根拠のないエリート意識に染まっている。彼らは人民大衆の属性をよく知らない。彼らは東学抗争と義兵抗争、そして東北満州の反日武装闘争などに対してよく知らなかったりわざと無視する。そうしてみると韓国の進歩知識人達が重視するのは、いわゆる愛国啓蒙運動であるというだけだ。したがって彼らは独立協会と独立新聞が歴史的には大変肯定的な団体だったものと考える。

厳正に言って、独立協会というところは甲申政変の後を継ぐ事大親日団体だったというだけだ。まず独立協会の幹部だった人間達の面貌を確かめてみよう。独立協会は顧問に徐載弼(ソ・ジェピル 서재필)、会長に安駉壽(アン・ギョンス 안경수)、副会長に尹致昊(後に会長)、委員長に李完用(リ・ワニョン 리완용)らで出発した。

会長団の中でも李完用と尹致昊については、もうすでに語る必要がないので省略する。安駉壽は、日本で金玉均(キム・オッキュン 김옥균)が伊藤に少女・裵貞子(ペ・ジョンジャ 배정자)を上納するようにした人間だ。彼は早くも1898年、日本にけしかけられて高宗譲位の陰謀を目論みもした。

独立協会委員としては、高利貸をしながら親日団体・政友会総裁を務めた金宗漢(キム・ジョンハン 김종한)、アメリカ留学出身で総督府男爵兼中枢院参議を務めた閔商鎬(ミン・サンホ 민상호)、乙巳五賊・李根澤(リ・グンテッ 리근택)の弟にして総督府男爵である李根澔(リ・グンホ 리근호)などがいる。結局、独立協会幹部と委員の中で、生き残ったのは李商在(リ・サンジェ 리상재)と周時經(チュ・シギョン 주시경)しかいない。

1898年独立新聞の論説には「伊藤博文氏は当今世界の有名な政治家にして、また我が独立事業に大功ある人であろう。此度遊覧に来る際、政府と人民は格別に厚くもてなさん事を願う」となっている。彼らの言う独立とは大韓の自主独立ではなかった。彼らは日本の支援を受けて清国の宗主権をなくす陰謀を、独立と包装して言ったに過ぎない。そこで清国使臣を迎えた迎恩門を壊し、その場に独立門を建てたのだった。

この他にも露骨な親日論調を披瀝した独立新聞の社説は無数に多い。徐載弼が反民族的な親日・親米利権屋に過ぎない人となりであった事は、すでに知っている人はみな知っている。

それにも関わらずなぜ韓国の知識人達は近代的な愛国啓蒙運動を高く買うのだろうか? いくつかの要因を挙げられるが、その中でも核心的なのは彼らが朝鮮時代の歴史に無知な為だ。朝鮮に対する不当な歪曲・卑下こそ植民史観の核心だ。

518年間悠久に続いた世界最長寿王朝、最小限300年以上文治と治世を具現した朝鮮、東アジアの1等先進国家だった朝鮮を彼らは知らない。彼らは朝鮮易姓革命の精神と民本政治を知らず、朝鮮王朝実録と経国大典、それに大同法などを知らない。

先に確認したように、文昌克の植民史観は朝鮮に対する歪曲・卑下的認識にはじまるものだ。朝鮮を歪曲して卑下したのだから、朝鮮を取って食う勢力が免罪符を得るのであり、王政を無視するのだから西欧的近代化が無条件礼賛されるのだ。今日の進歩的知識人達の脳裏にも数多くの文昌克が巣食っている。

訳:ZED

韓国語原文記事はこちら
https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/321080624709555
https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/321080734709544
https://www.facebook.com/kimcapsu/posts/321080811376203

韓国の新総理候補に指名された例の文昌克について書かれた文章を今回はお届けした。前に筆者がこの「韓国のナベツネ(籾井か百田でも可)」について書いた直後、「植民地支配は神の意思」発言が発覚して大騒ぎになったのはあまりに予想通り過ぎる展開であったろう。文について日本の右翼メディア(産経など)は当然大絶賛している。が、事態が大きくなり過ぎたせいか、今日17日になって文昌克が日和った発言をブツブツつぶやき始めたのは笑わせるだろう。

http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20140617_0012987380&cID=10301&pID=10300
文昌克「日本は『慰安婦』強制動員謝罪せねば」(韓国語記事)
[2014-06-17 09:16:14]
文昌克国務総理候補は17日「日本の『慰安婦』強制動員は明らかに反人倫的犯罪行為だという事に気付き、必ず謝罪されなければならない」と語った。

おいおい、ずいぶん弱気じゃねえか。数日前までのでかい態度とへらず口はどうしたんだ? おまえ少し前まではこんな事を主張してたんじゃねえのか?

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140612/kor14061216170003-n1.htm
2014.6.12 16:17
韓国「神の意思」発言の首相候補、慰安婦問題でも「謝罪を受ける必要はない

たった5日で「ギバ~~ッ! ギバ~~ッ! byマイク・クイン」(のふり)かよ。どうやら文昌克はそこまでして総理になりたいらしい。どっちにせよロクなものではないし、この男が本心から悔い改めた訳では決してないだろう。
事態と反発が大きくなり過ぎてついに文は「日本の謝罪は必要」と180度違う事を言い出した訳だが、そんな「主張の使い分け」は佐藤優や原子力資料情報室の伴英幸のような輩だって当たり前のようにしている事だ。文昌克のような権力亡者にとって、総理の座が掛かっていればその程度の二枚舌は平然と使い分けるものだろう。

それはともかく、文昌克の根底にあるものこそまさに植民史観というものである。これは文昌克一人だけの問題ではなく、今回の記事で金甲洙氏が述べている通り文を擁護する韓国の保守派はもとより、それに対立するはずの進歩派の中にも深く根を下ろしている所が問題だ。だからいつまでもこうした親日問題を解決出来ない。上記記事で引用されている韓承東という記者はあれでもハンギョレの論説委員であるし、これではやはり同紙論説委員で「日本は戦後真面目に謝罪してきた」というホラ話を必死に言いふらしてきた日本特派員の鄭南求と一緒だろう。ハンギョレの歴史認識というのはそもそもがこの程度であり、日本で言えば朝日新聞や東京新聞と同じような水準&立ち位置という事だ。筆者はこれまで何度も繰り返してきたが、ハンギョレが「韓国の代表的革新系メディア」というのはもはや過去の話に過ぎないのである。はっきり言って、今のハンギョレはすっげえ保守的です! 少なくとも創刊当初の頃からは考えられないくらい右寄りになった。ハンギョレは歴史問題だけでなく、韓国の原発輸出にも賛成しているメディアだという事を忘れてはならない。
こうした傾向はハンギョレだけの話ではなく、他の代表的進歩派メディアである京郷・オーマイニュース・プレシアン(ここは日本の小泉・細川を支持したばかりか、なんと核融合発電にも好意的論調!)らも全く同じであり、また「韓国版岩波知識人」とも言うべき白楽晴の創作と批評、いわゆる「創批文化人」にも全く共通しているだろう。白楽晴や韓勝憲・丁世鉉といった「創批文化人」達が統合進歩党への弾圧事件や、非正規職・整理解雇などの労働問題、平和統一問題などで最近信じられないくらい愚劣・醜悪・無様な反動的言説を振りまいているのも、根っこは同じであると思う。ハンギョレや「創批文化人」などの韓国進歩知識人達もまた植民地史観に毒されているという点で、文昌克と根本的な部分を同じくしている。

もちろんこうした植民地史観に毒されているという問題は在日社会にも存在しよう。朝鮮学校への無償化除外にお墨付きをわざわざ与えている民団はもちろんそうだし、最近では他にも在特会に対する「カウンター」行動に関わっている在日、早く言えばしばき隊・野間易通一派に連なる在日達にそれは顕著である。野間一派の在日の中には日の丸大好き天皇大好きと公言する輩がいるし、自分こそ日頃からイヌのような真似ばかりして悪質なレイシスト日本人に「一死御奉公」しているくせに、他の日本国籍の在日に対して「おまえ日本人だろう」という最低な罵声を浴びせる輩もいる。まさに今の在日社会にも小型文昌克がずいぶんと目立つようになってしまった。
韓国知識人達、あるいは在日の親日不良分子に見られるこうした醜態は、まさに自民族に対する歪曲と卑下、すなわち植民地史観の産物そのものである。


今回取り上げた記事の執筆者である金甲洙氏という人物は韓国の小説家・評論家だ。日本ではほとんど知られていないが、今の韓国では屈指の硬骨な文筆家で、筆者が最近注目している人物の一人である。2012年の総選挙直後に起こった統合進歩党への社会的リンチとも言うべきバッシングに対して、早くから異議を唱えてきた稀有な人物の一人だった。その他、歴史問題の見識はもちろん、今回のような韓国進歩派の抱える問題点や日本批判なども非常に鋭く、在日同胞にももっと氏の事が知られ、その記事が読まれてしかるべきだと思う。その手始めとしてとりあえず今回の記事を選んで翻訳紹介した次第である。氏のその他の記事などは以下を参照していただきたい。もちろん全て韓国語記事である点はお断りしておく。

金甲洙氏のフェイスブック(記事を読むにはフェイスブックのアカウントが必要)
https://ko-kr.facebook.com/kimcapsu

ニュースサイト「真実の道」金甲洙氏記事一覧
http://www.poweroftruth.net/column/mainList.php?kcat=2024&PHPSESSID=c88201ca31bc711e1a3d6056ac1c5316

なお注意点として、金甲洙(キム・ガプス 김갑수)という名は朝鮮・韓国人の名前としては非常にありふれた多い名であり、同姓同名の文筆家や芸能人などが何人もいるので検索などする時は気を付けていただきたい。今後とも氏の著作や記事は折を見て書評や翻訳して御紹介していきたいと思う。

【翻訳記事】北朝鮮の親日派清算実態について

〈親日派は生きている 86〉
北朝鮮の親日派清算実態「北朝鮮の親日派清算、我々(南)よりもよくやった」
2013.04.15 00:01鄭雲鉉

解放後、親日派清算問題は南北朝鮮全ての時代的課題だった。先に言及したように、南では米軍政が親日派清算作業を反対した事で、米軍政3年間は手も付けられなかった。続いて出帆した李承晩政権は親日勢力を背に負っていたせいで、反民法(反民族行為処罰法。解放後の南で、植民地時代の親日派を処罰する為に1948年8月に制定された。訳者注)制定段階からして反対し、結局は反民特委(反民族行為特別調査委員会。1948年10月に構成された、反民法に基づいて親日派を調査・処罰する為の特別機関。訳者注)まで瓦解させた。ならば、北朝鮮政権は親日派清算を十分に行ったのか? 結論から一言先に言うなら、北朝鮮はその時それなりの清算作業を終えており、それによって以後親日派問題で国民的対立が惹起された事がない。

解放直後、北朝鮮は親日派清算を当面の課題と規定したが、これは社会主義国家建設の必須課題と認識した為だ。さらに北朝鮮に進駐したソ連軍政は南朝鮮の米軍政とは違い、親日派排除の原則下に反日勢力が権力中枢となる事を希望し、またこれを支援した。北朝鮮の親日派清算方式は南朝鮮とは違う方式を採用した。すなわち反民法制定や機構を作らず、社会主義国家建設過程で処理した。これは人民裁判のような社会主義特有の制度の為だとも言える。

北朝鮮で親日派清算問題が公式的に取り上げられたのは1945年9月、朝鮮労働党平南地区拡大委員会で採択された「綱領」からだ。「綱領」には日本帝国主義と親日的朝鮮人及び反動資本家が所有していた工場・鉱山・運輸などは没収して国有とし、これらの土地も没収すると規定した。これは物的清算を通じて土地改革の為の基本原則として提示したものだが、人的清算も自ずと随伴した。特に北朝鮮は親日派の範囲を先祖の遺産を相続した子孫まで含ませたが、この為に大多数の大物親日派とその子孫達は北朝鮮政権樹立後に越南した。

北朝鮮で親日派粛清作業は、北朝鮮政権誕生と共に本格始動された。1945年10月労働党創建時、親日派処断と日帝残滓清算問題が革命の戦略的課業として決定された。以後親日派清算は2段階に亘って進行されたが、解放後から1946年2月北朝鮮政権樹立までを第1期、1946年2月-1947年2月までを第2期に分ける事が出来る。正式な国家機構がなかった第1期の時には、地方で住民達が人民裁判を開いて親日派達を検挙したり、あるいはソ連軍隊に引き渡したりした。この過程でリンチが加えられた事例もときおりあった。

第2期は1946年11月から1947年2月まで進行された北朝鮮の市・道人民委員会委員選挙過程でだった。北朝鮮は選挙法第1章第1条で親日派排除を規定し、親日分子の選挙権を剥奪した。親日派は投票出来ない事は言うまでもなく、選挙人名簿に登録する事すら禁止させた。その対象は▲中枢院参議・顧問全員 ▲道会・府会議員全員 ▲総督府及び道責任者全員 ▲警察・検事局・裁判所責任者全員 ▲軍需業者 ▲親日団体指導者などだった。これらは選挙人名簿作成過程で身元が確認されたり、また親日前歴が明るみにされたりした。その結果1946年11月3日の選挙で575人の親日派が選挙権を剥奪されたが、当時北朝鮮政権は選挙を通じて親日派を色分けしようとする目的も持っていた。

北朝鮮は親日派清算の為に特別法を制定する代わり、既存刑法と人民刑法、そして1946年2月の北朝鮮臨時人民委員会決定第2号を法的根拠に据える。人民委員会決定第2号の場合、処断対象者として▲売国奴 ▲中枢院参議 ▲特高刑事とそれらの手先 ▲道会・府会議員 ▲警防団など親日団体幹部 ▲日帝統治機関勤務者 ▲その他などを選んだ。主に意識的・職業的に親日行為を行った人間達が大部分だが、官僚出身の場合は高等官以上を対象にした。(北朝鮮臨時人民委員会は1946年3月7日付で「親日派・民族反逆者に対する規定」を制定した)

これらの内、特に独立運動家を弾圧した者は許されず、また供出・徴用・徴兵・創氏改名に率先した人間達も大きく処罰された。対象者達は罪状によっていくつかの等級に分けて処理されたが、大物親日派達が大挙越南したせいで、比較的「ザコ」に属する親日団体関係者達が大部分だった。これと関連して平安南道(平壌市含む)道検察機関で全114件を処理したという証言がある。

北朝鮮の親日派清算作業は、解放直後から怒った民心の爆発によって自然発生的になされ始めた。一例として1945年9月に江原道の高城(8.15解放直後は全地域が北朝鮮管轄下に、朝鮮戦争後は約3分の2が南に編入。これは当初の38度線と朝鮮戦争後の軍事境界線の線引きが異なる為。訳者注)では民族反逆者11人に対して人民裁判が開かれて死刑が言い渡され、またこれを執行しようとした。また、近くの襄陽(8.15解放直後は全地域が北朝鮮管轄下に、朝鮮戦争後は全地域が南に編入。理由は上記の高城と同じ。訳者注)でも民族反逆者3人を人民裁判に付して5年と3年の教化刑を下しもした。1945年8月-1946年2月の間に北朝鮮の所々でこのような人民裁判が開かれたが、裁判で有罪を受けた人間達は大概ソ連軍に引き渡されてシベリアに送られた。

一方、北朝鮮政権樹立後の1947年以後に法と裁判機関が設立されて以降の親日派粛清作業は、国家次元でなされた。ただ、南朝鮮の反民特委のような特別機構は設置せずに人民裁判所と人民検察所でこれを担当した。有罪判決を受けた者達は大概1-2年の懲役暮らしをしたり、さもなければ3-5年の強制労役刑に処された。だが時には死刑宣告が下され、また実際に刑が執行された場合もあった。満州で憲兵補助員を務めた平安道出身のソン・グァンイッ、平壌兵器廠に勤務した仁川出身の韓国人監督などをはじめとして、特高刑事、憲兵補助員出身者の中で処刑された者が何人かいた。日帝時代に特高刑事部長出身の崔鈴(この人物は親日人名辞典にも名があり、越南逃亡した。訳者注)という者は欠席裁判で死刑判決を受けてもいる。

ただ、北朝鮮の親日派清算も完璧たりえなかった。まず政権草創期の高級人材不足が理由で、親日前歴者をたまに起用したりもした。代表的なものとして臨時人民委員会司法部長を歴任した張憲根は日帝時代に警視・参与官・中枢院参議を務め、初代内閣の司法相を務めた李承燁は大和塾に加入した前歴がある。また文化宣伝省副相を務めた趙一明(本名・趙斗元)も社会主義運動をしながらも転向して親日団体である大和塾に加入し、軍部人士の中で初代空軍司令官を務めた李活は日本陸軍航空隊出身だった。

この他にも北朝鮮政権は日帝時代の司法官僚出身者のうち一部人士を再起用し、特に技術者・科学者・医師などは大多数が再起用された。例えば機械工業部第1副部長を務めた金ヨンヒョンは咸鏡北道富寧所在の冶金工場支社長出身であり、後に副相(長官)を務める金チュンサムは鴨緑江水豊発電所の電力技術者だった。ただし北朝鮮政権樹立後に1級親日派は大多数が越南した為、日帝時代の高官出身者や悪質分子が高位職に抜擢される事はほぼなかったと言える。

北朝鮮はまた政府樹立後は制度的に親日派清算を持続的に推進した。1948年9月5日に採択された朝鮮民主主義人民共和国憲法第1章(基本原則)第5条では「重要産業について日本国家と日本人または親日分子が一切所有してきたものは国家所有」と規定し、第2条(公民の基本的権利及び義務)では「親日分子は選挙権と被選挙権を持つ事が出来ない」を、第6章(裁判所及び検察所)では「日帝時代に判検事として勤務した者は判検事になる事が出来ない」と規定して親日派の社会再進出を法的に規制した。また1948年9月10日に金日成主席は「朝鮮民主主義人民共和国綱領」を通じて親日派処罰と植民地経済体制清算を再度指示した。結局、北朝鮮政権は親日派清算過程で樹立されたと言っても過言ではない。

参照:「証言・反民特委」(鄭雲鉉著 三人刊 1989)中から脱北者・申敬完氏の証言

訳:ZED

韓国語原文記事はこちら
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/297053

以前の旧ブログで「親日派は生きている 친일파는 살아있다」(著者 鄭雲鉉)という韓国の本の書評記事を書いた事があります(その書評記事はまた近いうちに再掲予定)。著者・鄭雲鉉氏は韓国のジャーナリスト・親日派問題研究家であり、同書の内容は氏のブログで公開されているので、今回の記事はその中の一編である8.15解放直後北朝鮮での親日派清算作業がどのように行われたかについて述べられた部分を訳しました。この「親日派は生きている」という本は日帝時代から今に至る親日派問題の入門書として最適な歴史読本であり、在日同胞は全員、それも朝鮮学校の生徒達は、とりわけ今のような情勢だからこそ読ませなければならない本と考えます。図書室に1冊必ず置くべきでしょう。無償化や補助金をエサにして日本の自治体が押し付けようとしている「新・皇民化教育(日韓併合は合法、竹島は日本領など)」など学ぶな! こういう本をこそ読んで学びましょう。

鄭雲鉉氏のブログ「宝林斎」
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/

その中で「親日派は生きている」のカテゴリー
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/category/17206

知っての通り、南朝鮮では親日派清算がロクに出来ず今の韓国の「親日共和国」へと至り、また日本では天皇はじめとする戦犯が処罰されないまま戦後の「平和国家の仮面をかぶった大日本帝国シーズン2」として現在に至っています。南朝鮮地域(及び在日)の親日派と日本の戦犯はいずれもアメリカに買い取られる形で免罪された訳で、それらが戦後も引き続き両国の支配階級・既得権層を形成してきました。
では対する北朝鮮ではどうだったのか? それに答えるのが今回の記事です。北朝鮮での親日派清算の実態は「親日派は処罰した」という当局の宣伝だけで詳細な資料が公開されなかった為に、南ですら長らくまとまった研究が進まず、ましてや日本ではほとんど知られてきませんでした。南で北の親日派処断に関してまとまった研究成果が出て来たのは、ようやく1990年代後半になってからです。逆にインターネット時代になってからの日本はひどいもんで、日本語で検索してもロクな記事は出て来ません。韓国極右派のデマをそのまま機械翻訳してパクったようなネット右翼の文章ばかりです。池田信夫の知ったかぶりなんて典型例でしょう。親日派を清算するという事は日本の植民地支配を裁くという事でもあり、だからこそ日本の右派は親日派を擁護し、韓国での親日派財産没収や親日人名事典刊行などをまるで我が事のように声を荒げて攻撃してきた訳です。同時に連中が、南と違って親日派を清算した北の事を蛇蝎のごとく嫌っているのはそうした文脈で理解する事も出来るでしょう。韓国の親日派と日本の戦犯、ならびにその子孫は大の仲良しにして今でも内鮮一体・運命共同体。実は「仲良くしようぜ」は間違ってるんです。日韓の戦犯&親日派は、日本の朝鮮侵略が始まった19世紀末からずっと「仲良くし続けてるぜ」が正しいのです! 戦後はその上にアメリカが君臨して、両者が対米忠誠競争をしているという部分がちょっと違いますが。

さて、お読みなってお分かりの通り、1945年8.15解放後の北朝鮮では親日派処断が新国家建設の必須課題として認識され、それが実行に移されました。親日派の土地や財産は没収、親日派達は選挙権などの公民権を剥奪され、罪状に応じて罰せられ、罪の重さによっては死刑やソ連軍に引き渡されてシベリア送りという厳罰まで執行されたという詳しい実態がこれで明らかになったと言えます。今であれば死刑というのはすべきではないでしょうが、親日派・民族反逆者処断という行為自体は全くもって当然の処置でしょう。
このように北では共産党政権の樹立とそれによる厳しい親日派処罰・粛清方針が定められた事から、北朝鮮地域の大物親日派達は大部分が南へ逃亡する結果にもなっています。解放後に北から南へ行った越南者の数は1946年の1年間だけで18万5000人になりますが、これの大部分は親日派でした。そうした人間達が自らの行為を全く反省せずに北朝鮮政権を逆恨みして「西北青年会」などの極右ファシスト団体を結成し、李承晩や朴正熙といった独裁政権に忠誠を誓って反共テロ活動を公然と行ってきたのが、南朝鮮解放後史の暗部です。外国で、それら南朝鮮の親日勢力と最も親しく手を結んで利用してきたのがアメリカと日本だったという事は言うまでもないでしょう。南では盧武鉉政権下で親日派の土地が没収されたり親日人名事典が刊行されるようになるまで、解放から半世紀以上の時間がかかったのです。これがどれだけ長かった事か! さらに、それすらも日本は外から口を極めて罵り、邪魔をした。植民地支配の反省など、日本という国には欠片もない事がよく分かるでしょう。

ただし文中にもあるように、解放後の北朝鮮でも親日派の中で医者や科学者・技術者・芸術家などいわゆる「手に職持った」人間達に関しては、悪質でない者や罪の軽微な者、過去の行状を真面目に反省した者を選別的に助命・減刑して再起用する例が多くありました。これは解放直後の人材不足が原因で、北朝鮮政権がそうした類の人々に一種の「抱擁政策」を行った事は確かです。過去に親日前歴があるにも関わらず手に職を持っていたので解放後の北朝鮮で再起用された例としては、舞踊家の崔承姫が最も有名でしょう。それでもこれらは比較的罪が軽かった事と、過去の親日行為に対して改過遷善(かいかせんぜん 개과천선)すなわち反省の色を見せた事による「減免措置」という点で、南の親日派や日本の天皇を無罪放免したのとは意味合いが異なると言えます。解放直後の人材不足がどれだけ深刻だったかというと、例えば残留日本人遺骨問題関係者の証言によれば、解放直後の北朝鮮では残留日本人の中から工業技術者を一部再雇用して帰国までの間に働かせた例もあります。本来なら早々に追い出したい日本人であっても使わねばならないほど、当時は技術者が足りないので仕方のない措置でした。当時金日成はこうした日本人技術者に直接会って仕事と朝鮮人技術者への技術引継ぎを頼み、朝鮮人よりも高給を補償したそうです。もちろん解放されたのに日本人に頼らねばならない現状に金日成も内心でははらわたが煮えくり返っていたでしょうが、我慢して太っ腹な所を見せました。そうした日本人引揚者達は帰国後も金日成主席の温情と優遇には感謝していると証言しています。解放直後北朝鮮における親日派の「選別的再起用」は、人材不足で日本人すら一時的に使わねばならなかった社会的情勢も考慮せねばならないでしょう。
ただしこの「選別的再起用」というのは飽くまで一部の例外的措置に過ぎません。北朝鮮政権の親日派処罰で最も重きを置いたのは「独立運動を弾圧した者」の処罰で、こうした人間達への処遇は大変厳しいものでした。具体的に言えば特高警察や満州軍軍人とその密偵といった手合いが該当し、これは北朝鮮政権の首脳陣が民族解放運動出身者達で構成されていた事からも当然の流れでしょう。解放後は追う者と追われる者の立場が完全に逆転した訳です。今回の記事に証言者として名のある申敬完氏の別の本に載っていた証言によると、解放後北朝鮮で新たに人民軍を創設する際、日本軍に徴用された事のある人でも南方へ送られていた人達は再起用しましたが、満州軍や特高警察にいた人間は絶対に人民軍に起用しませんでした。独立運動を弾圧した者に対しては「手に職(軍隊経験・軍事技術)がある」者であっても起用せずにケジメをつけたと言えるでしょう。

解放後の北朝鮮政権、後の朝鮮民主主義人民共和国が行った親日派清算方式をまとめると

・社会主義国家建設の必須課題として位置付けられていた。
・南朝鮮に進駐した米軍政と違い、ソ連軍政は北朝鮮での反日勢力執権と親日派処断を望み、これを支援した。
・初期は怒った民衆達が自発的に「親日派狩り」をやって人民裁判にかけた。
・司法機関が出来てからはそうした勝手な事は許されず、正式な裁判にかけて処罰した。大概1-2年の懲役か3-5年の強制労役刑に処されたが、重罪の者にはシベリア送りや死刑も執行された。親日派の財産や土地も全て没収され、そうした資産は後の土地改革で小作・貧農層に分配する原資となる。
・そうした処罰を恐れて、特に悪逆な行為をした者や大物の親日派は大部分が南へ逃げた。
・ただし新国家建設の人材不足という問題があった為、技術者や医師・科学者・芸術家など特別な技能を持った人々に対しては、罪の軽かった者や反省の色がある者を減免して選別的に再起用した。
・特高警察や満州軍将校など「独立運動を弾圧した者」に対しては最も厳しく処罰し、これらは解放後の警察や人民軍にも起用されなかった。
・朝鮮民主主義人民共和国成立後も憲法や国家綱領で親日派の社会再進出を法的に規制した。

という具合になるでしょう。
こうした親日派処断は北朝鮮だけではなく、中国の共産党と国民党も同様に戦後厳しく行いました。汪兆銘に代表される中国の親日派を「漢奸」と言いますが、こうした連中は共産党も(後に台湾に逃れる)国民党も戦後の短い期間に迅速に裁判を行って処罰しています。結局南と日本だけがこうした歴史清算作業をロクにやらず、いつまでも恥ずかしいザマをさらしていると言えるでしょう。その帰結が、日本が今やってる集団的自衛権行使や武器輸出解禁だという事です。
「彼ら(朝鮮・中国共産党・国民党)がうらやましく、我々(韓国・日本)は恥ずかしい」
このように歴史を考えられる韓国人と日本人こそがまともなのですが、そんな人はどれだけいるでしょうか。特に日本は!


【補論】申敬完という脱北者について
今回の記事には証言者として申敬完という人物の名が最後に登場します。この人は本名を朴炳燁(박병엽 パッ・ピョンヨプ)といい、他にも徐容奎という仮名を名乗った事もある朝鮮労働党の元高位幹部でした。この人はただの脱北者ではなく、労働党の祖国統一民主主義戦線中央委員会部長や対外情報調査部副部長などを歴任した大物で、日常的に金日成や金正日と直接会って報告を上げたり指示を受ける立場にいたのです。80年代初頭に第3国へ派遣されて、その後いかなる理由からか南へ亡命して、1998年に心筋梗塞で亡くなりました。この人は南に亡命後は自身の経歴が公表される事を極度に警戒して拒み、写真を撮る事はおろかインタビューする時も相手がまっすぐ正面に座る事すら避けたと言います。本名が公開されたのも亡くなった後でした。しかしながら、その証言内容は驚くほど正確かつ貴重な内容ばかりで、氏の遺した証言録の数々は朝鮮民主主義人民共和国を知るのに絶対外せない第1級の資料と言えるでしょう。今回の記事も著者・鄭雲鉉氏が解放直後の北における親日派処断の実態について朴氏から聞き取ったものであり、南ではあまり知られていなかった北の親日派処断について大変重要な証言となりました。日本においても「北朝鮮の親日派処断」についてある程度まとまった形で公開されるのはおそらくこの拙訳が初めてであり、今後は最低でもこの鄭雲鉉氏の記事を下敷きにしてこの歴史的テーマを語る必要があるでしょう。
ただし朴炳燁氏の証言集は日本で翻訳されていないものも多く、日本の共和国研究が遅れている一因にもなっています。中国朝鮮族の崔応九教授と同じで、日本で申敬完こと朴炳燁氏の名を知っているのはよほど本職の朝鮮半島研究者か、あるいはよほどのマニアしかいないでしょう。要するにまたしても「和田春樹なら知ってるが、石丸次郎ごときでは知らない(笑)」というレベルの要人という事です(誤解のないように言うならば、和田は国民基金の復活天皇訪韓を目論むなど非常に問題のある人物ですが、さすがに長い間研究活動を続けてきただけあって、知識に関してだけ言えば石丸次郎のごときチンピラデマゴーグは足下にも及ばないという事)。実際に和田は朴炳燁氏の証言録である「真実の金正日」日本語版に解説文を寄稿したほどですから。
朴炳燁氏にインタビューした事のある記者達によれば、その中には現時点ではまだ公表出来ない内容や話も多くあるそうで、今後の公開が待ち望まれましょう。

同じ「燁」の字を名前に持つ朝鮮労働党高位幹部でありながら、黄長燁とは証言内容の資料性・重要性・貴重性に天と地ほども違いがあります。黄長燁は朝鮮民主主義人民共和国に関する歴史的に重要な話はほとんど語らず、ただひたすら自分を冷遇した金正日への恨み言と反共宣伝ばかりを喚き散らし、その講演活動で稼いだ金を元手にソウル高級住宅街の不動産を買い漁り、その築いた巨富を若い愛人とその間に出来た子供に相続させて死にました。最晩年の黄長燁は南北首脳会談に反対したばかりか、アメリカのイラク戦争すら「正義の戦争」と大絶賛しています。一方の朴炳燁氏は北に関するこれ以上ないほど詳細で貴重な歴史的証言を多く残しながらも、南では貧乏な生活を送り、とりわけIMF事態によって韓国社会の経済と民衆生活が悪化する中、ほとんど無一文に近い状態で病死しました。氏のアパートにはわずかな家財と、今後北に帰る事が出来たら母親に贈ろうと買っておいた服が一着あっただけといいます。私利私欲に走っていい加減なデマ話ばかり垂れ流した者が金持ちになって一生を終え、あまり金にならない歴史的に真に貴重な証言ばかり残した者が赤貧の中に死んで行く。同じ元朝鮮労働党高位幹部の亡命者でありながら、この違いは何なのでしょうか。これは我々朝鮮民族が置かれている立場をそのまま投影した有様ではないのか。黄長燁のような金と権力の亡者を「北朝鮮の改革者」「金正日に諫言した硬骨漢」のように描写してきた人間達こそ恥を知るべきでしょう。

朴炳燁氏の証言集のうち日本で翻訳されていない本などについては、いずれ改めて書評の形で御紹介していく予定です。

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