忍者ブログ

Home > > [PR] Home > 翻訳記事 > 【翻訳記事】朝日修交協議を通して見た日本の東アジア支配戦略(社会進歩連帯機関紙 季刊社会運動 2000.10.9号より)

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【翻訳記事】朝日修交協議を通して見た日本の東アジア支配戦略(社会進歩連帯機関紙 季刊社会運動 2000.10.9号より)

以前の記事で御紹介したハンギョレの韓承東(한승동 ハン・スンドン)記者が書いた記事を翻訳してお届けする。
特に余計な解説は不要であろう。実際に以下の記事をお読みいただきたい。朝日協議と拉致問題再調査や修交といった懸案が話題になっている今、この記事は多くの示唆を与えてくれるものと思う。驚くべきは、この記事が今から14年前の2000年に書かれたものであるという事だ。小泉第1次訪朝の2年前、金正日と金大中の南北首脳会談があった少し後の事だ。当時は南北首脳会談の流れで朝日関係も好転するだろうという見方が支配的だったが、日本人拉致を朝鮮側が認めた途端に日本は挙国一致総動員体制で「北朝鮮許すまじ」一色に染まって、修交どころでなくなったのは多くの人々が知る通り。続く2004年の第2次訪朝も同様であった。当時の報道など今見てみると、韓国の北朝鮮研究家の多くは2002年の9.17以降も「朝日関係は好転し、アジア情勢も平和に向かう」といったあまりに能天気過ぎる予測を垂れ流していた。2004年の時もそうだ。こいつら日本という国の事を知らないにも程があり過ぎる。日本がどれだけ右傾化しているかを知っていれば、そんな「新生・大日本帝国」が朝鮮のレジームチェンジを狙いこそすれ、それと修交を結ぶなどあり得ない事は自明の理であったのに。日本という国にとっては拉致問題さえケリがつけば、朝鮮民主主義人民共和国などという国に用はないのだ。もちろん日本は植民地支配の謝罪や賠償などするつもりはないし、ましてや朝鮮を戦勝国として認める事など絶対にない。そうした歴史を踏まえて考えれば、十分に予想出来た事態だろう。
当時と今とでは南北関係が破綻に近いほど悪化した事と、韓日関係が経済や文化面のみならず軍事・安保面でも著しく密接になったのが非常に大きな違いだ。だがそうした当時との違いを踏まえて読んでも、十分に今でも示唆する所は大きい。
結局日本(とアメリカ)が狙う所は何なのか、その汚れた野欲の本質を決して忘れてはならないだろう。

とりあえず筆者のお伝えしたい事はこれで区切りがついた。今回の資料を皆さんで活用していただける事を願う。


社会進歩連帯機関紙 季刊社会運動 2000.10.9号より

朝日修交協議を通して見た日本の東アジア支配戦略
韓承東 ハンギョレ新聞東京特派員

編集者注)
2000年8月23日付ハンギョレ新聞特派員リポートで韓承東記者は韓国の交戦国地位喪失(併せてこれを認定してしまった韓日国交正常化)による民族の悲哀が今も進行中であり、これは朝日修交過程でも現れていると指摘しました。
我々はこの記事を通じてアメリカの東アジア支配戦略とそれに基づく日本の支配戦略(あるいは地位)に対して具体的に討論すべき必要性を再び確認し、併せて朝日修交を取り巻いて惹起された日本の東アジア支配戦略が単純な問題ではない事を、読者達に生々しい話で伝達すべき必要があると見ました。そこで社会進歩連帯編集部はこの問題について韓承東記者に問い合わせました。
以下は韓承東東京特派員が送ってくれた答弁です。この文を通じてアメリカの東アジア支配戦略下で日本が目論むものが何であり、その結果は何なのか、多くの事を示唆される事でしょう。
お忙しい中にも何の私心なく原稿を送ってくれた韓承東記者にこの場を借りて、再びお礼申し上げます。


・1951年サンフランシスコ講和条約-韓国の地位

サンフランシスコ条約に特に関心を持つ事になったのは、当初この条約では南北朝鮮を含む朝鮮半島が連合国の一員として戦勝国の地位を持つ事になっていたという点の為です。米日両国は日帝の敗北で終わった太平洋戦争を清算して以後、両国関係を新しく設定するこの条約を1951年末に締結して1952年から発効させました。当時すでに朝鮮戦争が進行中であった為に北朝鮮がその条約に参加する可能性はありませんでしたが、アメリカ支配下にあった南側だけでも戦勝国の地位を付与されていれば、以後の歴史はかなり変わっていた事でしょう。
そうであれば今進行中の朝日国交正常化交渉も交戦国同士の戦後処理及び講和条約締結形式になっていたはずです。当然日本は今彼らが主張する請求権や経済協力などという次元でなく、交戦国に対する戦争賠償をせねばならず、それを土台に両国関係を新しく確定する講和条約、または平和条約を結ぶ形式になったでしょう。もちろん以前の韓日国交正常化も姿が相当に変わった事でしょう。


・アメリカの戦後対日政策と韓国/在日同胞の地位

当初アメリカは明白に1949年12月に作成された草案に韓国を戦勝国として明記しておきながら(最近機密解除された米国立公文書館保管資料によれば、1953年のアイゼンハワー政権期に国務長官に抜擢されるジョン・フォスター・ダレス米条約草案担当特使-国務省顧問-(当時)がそのように明記)当時の吉田茂日本総理などの要求でそれを削除します。ダレスは1951年7月に当時の梁裕燦駐米韓国大使にその事実を通報しました。それに対して梁大使は強力に抗議しますが、すでに事はアメリカの一方的決定で終わった状況でした。日本側はその時韓国を戦勝国に含ませてはならない理由の一つとして在日同胞の地位問題を挙げました。在日同胞達が戦勝国国民になれば、日本は彼ら全員に莫大な賠償をせねばならないばかりか、彼らを統制出来ないだろうとアメリカを刺激したのです。吉田は在日同胞を全て左翼、すなわちアカだと断言しました。

吉田のような保守右派政客達の目には、在日同胞達が当時左翼に映ったのは当然だったでしょう。知っての通りアメリカは日本占領後、最初は日本をアメリカに二度と挑戦出来ない国家に改造しようとし、軍隊保有と集団的自衛権及び戦争遂行(交戦)権も認めない今のいわゆる「平和憲法」を作成して事実上強要したのにもそうした意図が含まれていたと見れるでしょう。日帝敗戦直後に在日同胞達は相対的に自由を謳歌し、日帝が強要した全ての抑圧体制を自ら除去しながら日本改造にも主体的に対応する、言うならば戦勝国国民の資格で行動しました。戦犯にして敗戦国である日本としては当時100万を超える彼らの組織的対応は簡単な問題ではなかったでしょう。

こうした状況が続いていたならばまた状況が違っていたかも知れませんが、1946年からすでに米ソ対決体制が輪郭を現して1947年のトルーマンドクトリン以後アメリカは対ソ対決体制へと確実に方向を定めます。その後アメリカが後押しした蒋介石が毛沢東に敗れて1949年の中国大陸共産化にいたるまで、アメリカの対日政策は変化します。その過程でダレスなど後にアメリカ政府の中枢となる国務省・国防省勢力達は日本を対ソ冷戦体制確立の為の橋頭堡として育成せねばならないと主張し、実際に日本に米国市場を完全に開放する反面で大規模経済支援にも乗り出します。

それはソ連の対ヨーロッパ膨張阻止の為に西ヨーロッパへ大規模に実施したマーシャルプランと同じ性格でした。こうした変化する状況で在日同胞達は日本にはもちろんの事、アメリカにも非常に煩わしい存在になりました。すでにアメリカは当時から在日同胞達が建てた民族学校などの教育施設をはじめとし、同胞社会の独自な施設や組織達に対する大々的な弾圧に入って、その過程で衝突が起こって死傷者まで発生します。
彼らは共産党・社民党など日本の左派政治勢力と労組などの主要支持者にして構成員でもありました。米占領軍はこうした在日同胞の武装解除ないし解体を推進したのに他なりません。在日同胞達があの時、以前から対日抵抗及び民族解放の方法として1917年ボリシェビキ革命以後に被抑圧民族達の心を捕らえた社会主義思想に傾倒していったのは、あるいは自然な事だったでしょう。同胞達が以前の抑圧者達や彼らの直系子孫達に反感を持つ事になったのは当然だったでしょう。

こうした事情とアメリカの弾圧は、後に90%以上が南出身である在日同胞が総連という組織を結成して北朝鮮に同調する事になる過程へと連結する事とも関係があります。


・朝鮮戦争、冷戦対立構図以後の日本の地位

1950年に朝鮮戦争が勃発して状況は極端に至ります。すでに韓国内でも同様な時期に米占領軍はアメリカが支配する南朝鮮単独政権を、日本というアメリカのアジア冷戦橋頭堡を防御する為の軍事的拠点として育成しようという戦略下に、広範囲な左翼及び民族主義勢力弾圧に入りました。金九や呂運亨などが除去された事もそうした状況を背景にしています。済州4.3事件や大邱10.1抗争も同じ脈絡で察する事が出来る事でしょう。やはり韓国内でも戦争は全てのものを極端に追いやりました。補導連盟などを通じた良民大虐殺は、植民地時代と解放空間を通じて広範囲に拡散していた(当時各地方毎に結成されていた人民委員会などを想起してみれば事情を推測出来る事でしょう)外部勢力排撃・単独政府拒否・親日派除去・即時独立と統一政府樹立を志向していた左派性向の民族主義勢力の組織的除去政策とも無関係ではないでしょう。今振り返ってみると、当時の犠牲者達多数を左派または左翼と呼べるかどうかすら曖昧です。左翼というよりは米占領軍(形式上は1948年の南朝鮮単独政府樹立後に米軍政は終わりましたが)と彼らが支援した右派勢力に対する反対勢力だと見るのがより正確でしょう。
朝鮮戦争を契機に全世界にわたるアメリカの対ソ冷戦対決構図は完成します。当時そのような状況で在日同胞を左翼不純分子に追いやりながら韓国に交戦国の地位を付与してはならないという日本側要求は、アメリカとしても拒否する理由はなかったのです。

アメリカにとっては日本がはるかに投資価値があり、日本の戦争犯罪というのはその段階ではすでに何の意味もありませんでした。アメリカは朝鮮戦争が起こる前に公職から追放された日帝犯罪者達(彼らこそ現代日本保守右派支配グループの源流達)をほぼ全ての公職に復帰させます。戦犯達の公職復帰は1952年初頭にサンフランシスコ条約が発効される中で完了します。

アメリカにとっては、冷戦橋頭堡としての日本の地位を受け取りながら自身達の戦略を効果的に実行していくのに、彼らは大変な価値を持った存在でした。彼らは自身達の弱点の為にもアメリカの政策に積極同調するしかありませんでした。あたかも韓国内で親日派達がアメリカ式民主主義や反共を押し立てて一朝のうちに徹底した親米主義者に変貌したかのようにです。


・悲劇の始まり-交戦国地位の喪失と分断固定化

韓国の悲劇はアメリカよりも長らく日帝に抵抗してきた被植民国が、日帝敗戦後に戦犯国日本よりもさらに凄惨な戦犯国扱いを受けた事にあります。その明らかな象徴こそ分断です。アメリカはソ連の東北アジア掌握を防ぐ為にあわてて38度線を引いて、ソ連軍の朝鮮半島完全占領を防ぐ事にのみ汲々としました。その後の歴史はよくご存知の通り、朝鮮半島は再び第2次大戦よりもはるかに過酷で長い冷戦と対決時代の最前線防御壁として機能します。同じ被害者である同族を相手にしてです。朝鮮戦争に限っても日帝が第2次大戦時に受けた全ての人命被害とほぼ同じ程の人々が殺傷され、分断など想像すら出来なかった朝鮮民族は半永久的に分かれて敵対的な対決を半世紀以上持続しています。

再び本来の話に戻って、もし占領軍アメリカが韓国だけにでも戦勝国地位を付与していたなら、もちろんだからといってアメリカの対日及び対韓政策や戦略が根本的に変わりはしなかったでしょうが、1965年の韓日国交正常化は過程自体が根本的に違っていたでしょう。韓国は当然交戦国としての戦争賠償を堂々と、そしてはるかに有利な条件の上で受け取る事が出来た事でしょう。そうなっていればおそらく独島問題もいまのように残ってはいなかったはずです。


・朝日修交過程で露になった争点達

朝日国交正常化と関連して朝鮮が韓日国交正常化過程を繰り返さないようにする問題を、南北対決観点から眺めてはならない理由もここにあります。北側も中国八路軍またはロシア側、あるいは単独で東北地方、そして咸鏡・平安道地方など国内外で日帝敗亡まで抵抗を続けて来た歴史を正当に評価されて交戦国としての地位を認められる事は、将来の統一朝鮮半島の為にも重要な歴史的手続きだと思います。
日本は補償額規模などの問題とはまた違う次元で、そうした事実とその事実が持つ重大性をよく知っているので、朝日国交正常化を韓日正常化交渉に準じてしなければならないという自らの原則を決して放棄しようとはしないでしょう。挑戦もまたその事実をよく知っていますが、朝鮮は現在弱者としての不利さを甘受するしかない立場です。去る(2000年)8月に開かれた朝日国交正常化第10次本会談ですでに朝鮮は日本の食糧支援と経済支援を強力に要求しながら、日本人拉致疑惑などそれこそ疑惑だらけの日本側の主張に正面から反駁出来ませんでした。朝鮮は今、日本に対して自分達が主張して来た一部原則を放棄してでも、彼らから必要な早期支援を引き出さねばならない立場に置かれています。日本が最近大規模対朝米支援に乗り出すとしたのも、朝鮮のそうした弱点に突っ込んだ戦略の一環だと言えます。

あたかも5.16クーデター直後に政権の正当性確保を、経済開発早期達成に求めようとした朴正熙・金鍾泌が、急いで日本の有無償経済支援(総5億ドル)に屈服するしかなかったようにです。日本は当時ロクな植民地支配の謝罪すらもしませんでした。請求権という概念で見るならば、双方が得失を勘定して互いにやる物をやってもらう物はもらうという事です。言うなれば、日本は朝鮮半島支配の正統性・合法性を依然として放棄せず、したがって日本が建ててやった工場・鉄道などの施設と教育などを自分達が計算して受け取るべき資産とみなしていました。現在自民党を中心とする日本右派支配グループ達が持っている対朝鮮半島観はその延長線上にあり、しばしば沸き起こるいわゆる「妄言」というのも、その土台によって可能なものです。彼らの思考方式では当然「妄言」ではなく「真実」を言っているのでしょう。今の歴史教科書改悪の動きも同じ線上にあります。

アメリカはもちろん韓日国交正常化過程にも深々と関与しました。その事実も機密解除された文書の中に明記されています。韓日国交正常化は対ソ冷戦対決体制を安定化させようとしたアメリカが慫慂したものだと言えます。その結果は当然日本にとってはるかに有利に回ったでしょう。そこからアメリカが支配する日本、その日本が支配する韓国(安保・経済など全ての側面でそうです)という序列体系が作られました。もちろん安保・軍事面でアメリカは日本・韓国を同時に統括しており、日本が一時アメリカに挑戦する程の経済成長を成し遂げはしましたが、2次大戦直後に設定された基本構造は冷戦体制が終わってから10余年が過ぎた今も根本的に違う所はありません。それを破壊する道は南北接近・南北連合・南北統一を通じた朝鮮半島の主体的対応しかない事でしょう。


・日本の過去史に対する基本的立場

日本の支配グループは先述の通り日帝の戦犯達、言うなれば大東亜共栄圏を夢見て大陸侵略を敢行した者達の直系子孫達で、根っこは1868年明治維新前後の日本開国論者達にまで遡ります。西郷隆盛・吉田松陰・伊藤博文など現代日本の建国英雄達があの頃から唱えた征韓論を想起して下さい。彼らは阿片戦争(1840-42年)で中国が張子の虎に過ぎなかったという事実を知って、自分達の生きる道を西欧列強の追従・模倣に求めます。以後西欧列強の一員になる事に全力をつくし、中国の崩壊で意外にも簡単にその列に加わります。無主空山と化した朝鮮は列強達の領地分割密約(アメリカが日本の朝鮮支配を認めてやる代わりに、フィリピン支配を認められる桂タフト条約など)によって日本の手に落ちます。アメリカ・イギリスの一方的な応援と支援の中で日本が日露戦争に勝利した事により、唯一の妨害勢力であった帝政ロシアまで除去されます。

西欧列強達は中国略奪の為に日本を利用してロシアを除去すると思い通りの目的を達成しましたが、日本にも朝鮮と中国東北地方を与えてやりながら、日本が成長を繰り返しつつ中国全体に対する独占・支配的地位を狙うようになるとそれにブレーキを掛けます。これに反発した日本が東南アジアとビルマに至る、いわゆる南方侵略を敢行して資源を確保しながらハワイ真珠湾のアメリカ太平洋海軍基地を急襲した後、時間を稼ぎながら汎アジア日本ブロック(大東亜共栄圏)を安定化させようとしたのがまさに太平洋戦争でした。元はと言えば、アメリカが日帝敗亡後に東京軍事裁判で日帝を戦犯として追い込んだのも喜劇的な事でした。彼らもやはり略奪者という点では同様だったのですから。

今の日本保守右翼達がまさにその点に食らい付いて離さず、自分達の戦争挑発がアジア民族解放戦争だったと強弁する理由もここにあります。彼らが見るにはおまえも俺も同様という事でしょう。
日本保守右翼達が悪いのはそうした自分達の正当化の為に、朝鮮をはじめとする当時の被害者達に対する反省と謝罪はおろか、日帝が彼らを支配したのは純理であると強弁する所にあります。被害者達がみな無能力であったり支配される以外にない運命または条件を生まれついた時から持っていたと言うのです。日本保守右翼達はそうした主張を裏付ける為に、日本の歴史をとんでもなく誇張して美化しながら新しい文明圏論まで登場させています。この間ポール・ケネディという人が「大国の興亡」という本で、日本を独自的な文明の一つとみなした時、これら保守右翼達は歓呼雀躍しました。

ポール・ケネディはアメリカに挑戦するほどの経済大国である日本が中国のものでもなく西洋のものでもないという意味でそのように言ったのであり、彼の頭の中には韓国または朝鮮という存在はありません。ケネディは冷戦以後にアメリカが主導してきた西洋文明が今後主に中国とイスラム圏の強力な挑戦に直面するだろうと予測しつつ、基本的にはどうしたら現在の西欧優位を引き続き維持出来るかに関心を持った人と思えます。ケネディのみならず、近代以後日本という眼鏡を通じて眺めたほぼ全ての西洋人達は同様の認識水準を持っていると言えます。

彼らが見るに韓国または朝鮮は中国の一部であったり、日本の一部です。日本保守右翼達はそうした西洋の東洋観をはるかに積極的に活用しています。例えば独島が元より自分達の地ではないという事実を、日本はよく知っています。それなのに彼らはそのように主張して事実上ほぼ自分の土地のように作り上げました。それは国際舞台であらゆるものが韓国式ではなく日本式で通じるようになっている現実を、そのまま反映しています。あたかも全ての西洋地図で東海が日本海に変身したように、世の中は日本を通じてアジアを眺めるようになります。こうした状況では韓国のどの歴代政権も独島問題を解決出来ません。


・冷戦後アメリカと日本の東アジア支配戦略-ナイ・イニシアティブと変数

冷戦が終わるやアメリカは東アジアに対するアメリカの地位を維持する為に新たな戦略を作り出します。1995年に出たジョセフ・ナイ(現在ハーバード国際関係大学院であったかはっきりとは覚えていませんが、いずれにせよそこの学長ですが)当時国防長官でしたか? いずれにせよ彼が中心となって作成した東アジア戦略報告書(よくナイ・イニシアティブと言いますが、正式名称ではありません)が発表されます。ここには中国が21世紀中盤までにアメリカと競うほどの超大国に成長するものと想定して、アメリカがこれに対してどのように対応するべきかが主内容になっています。主敵ソ連がいなくなったその場所に、中国を潜在敵国あるいは競争国として座らせたのです。1980年代にアメリカを脅かした日本経済のバブルがはじけて冷戦橋頭堡としての役割すら揺らいだ日本は、1990年代初頭にアメリカの寵愛が消えるのに対する不安感が増幅しました。1991年に湾岸戦争が起こった時、日本は100億ドル以上の金を出しながらアメリカの要求通りに軍隊を派遣しなかったという理由で、馬鹿な国扱いを受けもしました。

クリントン政権登場以降アメリカは、1980年代の屈辱を挽回する為に組織的に日本を叩く政策を執ります。日本の市場を開かせて規制緩和措置を要求するなど、アメリカ的市場秩序を強要します。それが今日のいわゆるグローバリズム旋風とも無関係ではありません。グローバリズムはアメリカニズムの別名でしょう。
日本の危機感は、数年前にクリントンが中国を10日も訪問しながら同盟国を自称する日本には寄りもしなかった時、いわゆる日本通過・日本無視・中国との直取引論で日本をひとしきり揺さぶった不安感の中にもそのまま反映されています。しかしそうした冷戦崩壊後の慌しい雰囲気は、まさにナイ・イニシアティブが登場する1990年代中盤に中国警戒論と共に日本重視論が再び登場して向きを変えるようになります。1996年クリントン・橋本の日米共同宣言(安保条約再解釈)と1997年日米防衛協力指針(ガイドライン)改定、1999年ガイドライン関連法制定、日本国旗国家法制定などはそうした背景の中でなされたものです。

この過程で日米安保同盟再強化論者達が待っていたかのように100%活用したのが、1998年8月31日に朝鮮が発射したテポドンミサイルです。その真相はさておき、日米両国はその事件を契機に北朝鮮脅威論を言いふらしながら自国内世論をそちらに追い込んで行きます。駐韓・駐日米軍存続とNMD・TMD構想を本格的に推進し始めたのもその時からです。東アジアにおいて日本という存在は、アメリカにとってのヨーロッパ北大西洋条約機構(NATO)と同じ存在であり、駐日米軍・駐韓米軍はまさにアメリカがリードするNATO軍と同じ存在だと言えます。
日本の支配グループは過去に西洋列強の一員に仲間入りした時の日英同盟と同様に日米同盟も、特定時期に世界を左右した最強大国と同盟関係を結んだ時に日本は強盛大国として存続した、という観点で眺めるのです。

今左右を問わず多くの日本の識者や為政者達が一様に、21世紀の日本国家戦略に日米同盟を根幹として据えている理由もそこにあります。石原慎太郎東京都知事のような極右に近い右翼達の一部がアメリカを攻撃しているように見えますが、それは一種のエディプスコンプレックスのようなものと見る人達もいます。いわばアメリカを攻撃するのは、アメリカから対等な者と認められる為に振りまくおねだりや駄々のようなものであって、決して反米ではないという事です。右派であれ極右であれ彼らが望むのは最強大国アメリカが認めるアジアの覇者、覇権国家としての日本または日本ブロックであり、それをアメリカも認めて対等に繁栄を満喫しようという事です。太平洋戦争の時にハワイ真珠湾を攻撃してアメリカに楯突いた結果がどうであったかを良く知る彼らとしては、十分に取り得る二重的態度だといえます。

これは徹底して既得権者の論理です。すでに既成の強者である彼らが組み上げた秩序を、21世紀にもそのまま延長して維持しようという戦略です。
こうした構図は不幸な事に朝鮮半島にはいつも不利に作用しました。西欧がアジアを侵略して戦略的パートナーと想定した唯一のアジア国家。日本の成功はまさに西欧のアジア侵略形態を同一次元で繰り返した事に始まり、それはすなわち他のアジア諸国の悲劇に直結するしかありません。一言で言って彼らはアジアの犠牲を前提に立ち上がったのです。日本右翼達は常に自分達に成功をもたらしてくれたその構図に深い郷愁を秘めているのです。

日本の支配グループ達が現在最も不安視しているのは、中国の超大国化と統一朝鮮の登場です。これら隣国達が持つ共通の特徴の一つは、いずれも日本に徹底してやられた経験を持っているという事です。そしてこれらは、日本が自らの過去の過ちを認めず、したがって本心から反省してもいないという事実をあまりにも良く知っています。アメリカなど海外観察者達でさえ、21世紀東アジア最大の不安または重要な変数がまさに日本の過去清算失敗、中国の超大国化と統一朝鮮登場と見ています。そうした不安の為に日本はアメリカの安保保護が不確実になった場合、核武装まで含めた軍事大国(すでに軍事大国ですが)の道へへ駆け上がる事に救いを求めるでしょう。日本左派の一部と市民団体などは日本の出口を過去清算を通じたアジア共生に求めていますが、彼らでさえ巨大中国の登場に対しては不安視しています。

これは言い換えると、巨大中国が日本には決して好意的でないだろうという考え、またはそれとは関係なく巨大中国が日本の利害と一致しなかったり、日本の覇権的地位を容認しないだろうという事に由来します。右翼または極右達はこの問題について非常に神経質です。彼らはそうであるほどなおさら日本国家主義を刺激して内部結束を過去の栄光に求めるようになり、それは結果的に排外主義的趨勢の強化として発現されます。これは見方によっては、一時可能性を見せた世界国家としての日本という地位獲得が不可能になった事から来る挫折感とも関連があり、右翼達は結局その出口を自分達同士で固く群れ集まる事に求める形勢だと言えます。


もし日米同盟が中国を潜在敵とみなしながら韓米同盟を土台に韓国を日米同盟の従属体制に縛り付けようとした場合、朝鮮半島には再び悲劇的歴史が再演される可能性があります。もし南北朝鮮がどのような形態であれ接近して共同対応体制を確保出来ない中でそのような状況が固まったら、朝鮮は朝鮮なりに生存戦略を中国・ロシア側に求める事になるでしょう。
韓米日陣営と朝中露陣営の対決構図、まさに新たな東アジア冷戦対決構図です。そのようになるとは誰も断言出来ませんが、そうならないという保障もまたどこにもありません。辛く悲惨であった近代100年の歴史によってやつれた被害妄想に過ぎなければ、私も良いと思います。南北朝鮮の和解と接近、早期統一は朝鮮民族死活の問題である事をこれを通じても感知する事が出来ます。


・朝鮮半島を取り巻く日本・アメリカの戦略

日本右翼達が特に親密感を感じる国は台湾です。そして韓国の保守右派達です。シンガポールやマレーシアも好きですが、戦略的価値において韓国や台湾に及びません。日本右翼達が日本中心のアジアブロック(大東亜共栄圏の変形形態)を想定する時、韓国と台湾が一時的対象になります。マレーシア・シンガポール・タイ・インドネシアも対象に含まれますが、韓国と台湾は日本がそれらを取り込む為にも必須的な同盟勢力にせねばなりません。日本右派達は台湾をほぼ沖縄と連結された自国ブロック圏(こうした概念が許されるのであれば)内とみなす傾向があります。日本の伝統的な韓国観も似た点があります。韓国に対する最近の日本の好感は、1998年に金大中大統領が日本を訪問してこれ以上政府次元で過去史問題を取り上げないとした時から急接近しました。

もちろん金大統領としてもそれなりの戦略があるでしょうが、日本右翼達は金大統領のその宣言的約束にそれこそ歓呼しました。それ以降は両国間の訪問者数が急増して、今両国は投資自由化をほぼ実現する段階まで進捗させ、一般関税をなくす自由貿易協定協議まで行っています。関税障壁をなくす自由貿易協定とは、結局アメリカ・メキシコ・カナダ(NAFTA)のような一種の経済ブロックを形成する事で日本中心のアジア的経済分業体制が完成する事を意味します。そうした観点から見ると、最近における南北朝鮮の関係改善は決して日本右翼達にとって望ましくない変化でありましょう。日本ブロック下の分断された南北朝鮮ですら次善にはなるのに、南北の接近はその可能性すら脅かし得るからです。

のみならず、統一した南北朝鮮は日本よりも中国側に傾く可能性すらあります。もし統一朝鮮が中国へと傾斜して日本に敵対的になった場合、それは日本が想像し得る最悪の状況である事でしょう。日本はそういう点で南側だけでも確実に日本の経済的・文化的磁場の中へ確実に取り込んでおく事が、国家戦略上の死活問題たり得ます。我々の南北統一戦略もこうした点を十分に勘案せねばならないものと考えます。下手をすれば再びやられますが、上手くやれば南北朝鮮は各自朝鮮半島と関連して強弱点を持つ日本・中国全てを動かしてもいけるという事を意味するからです。

これと関連し、アメリカが最近駐韓米軍問題に大変な執着を見せているのも興味深くあります。駐韓米軍はそれ自体でアメリカの東アジアでの存在感、言い換えれば支配力維持に重要な要素ですが、沖縄を根幹とする駐日米軍維持の為にも存続させねばなりません。駐韓米軍が撤収する状況とはすなわち駐日米軍の配置根拠も喪失されるという事を意味するからです。駐日・駐韓米軍配置が弱まったり、元より米軍基地が撤収する場合、アメリカの西太平洋(アメリカを基準に見た時は西側)戦略は根拠地を喪失する事になります。駐日・駐韓米軍の維持は安保軍事上観点のみならず、21世紀全世界最大の生産基地となる東アジアの経済への関与の為にも大変重要です。それこそ死活的な問題だとアメリカ自らも明らかにしています。

しかしながらもう一つ、アメリカが東北アジアに対する統制力を喪失する場合は日本の再武装可能性が高まるという点も気がかりです。極端な場合、数千年間東アジア史のパターン通りに結局日本は中国の磁場の中に吸い込まれるものと見る視点も西欧には少なくありません。アメリカが韓国を喪失すれば日本も喪失する可能性が高まります。極端な場合は韓中日・東南アジアの巨大ブロックが、米・西欧ブロックに対抗する体制再編を想定して御覧なさい。アメリカとしてはそれこそ「肝」とも言うべきアジアを丸ごと喪失するのです。その時ロシアとインドはどちら側に付くでしょう?

なぜアメリカが朝鮮半島統一問題と直結する北朝鮮問題にあれほど執着して、駐韓米軍問題に神経を使っているのか? それはまさに朝鮮半島の変化がそうした爆発的な連鎖反応の起爆点になり得ると見ているからでしょう。
我々が顔を寄せ合わせて共に悩むべき理由がここにあるという事です。

訳 ZED
韓国語原文記事はこちら
http://www.pssp.org/bbs/view.php?board=journal&category1=10&nid=348

PR
コメント

コメントを受けつけておりません。

プロフィール

性別:
非公開

ブログ内検索

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

フリーエリア