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2014年8月に感じた事いろいろ その2

3)韓国知識人の見苦し過ぎる事大主義

最近韓国の「ある方面」でちょっと話題になった小説があったので、取り寄せて読んでみた。面白ければ書評でも書こうと思ったのである。しかしながらこれはまさにトンデモとしか言いようのない内容だったので、結局あきらめざるを得なかった。具体的な書名と著者名を記すのは可愛そうだから手控えるものの、この人は筆者も以前は翻訳記事などで好意的に取り上げた事のある記者で、とりわけ親日派の研究で多くの良書を書いた人である。と言えば、この著者が誰で何という本なのか推察出来た読者もいるかもしれない…。
ノンフィクションだけやってりゃいいものの、思いつきで畑違いなフィクションの小説に手を出すからこういう事になる。名記者必ずしも名小説家になれるとは限らない。むしろロクでもない作品を書いてしまう可能性の方がはるかに高いという事を身を以って示してくれたという事か。本当に何でこんな酷い作品が出版出来たのやら。韓国の出版業界も色々と酷い状況なのだろう。

この問題の怪作小説の中身については突っ込みどころが山ほどあるものの、中でも筆者が一番笑ってしまったのは「日本の良心的知識人」を虫唾が走るほど美化して描いている所だろう。この小説は朝鮮の核攻撃を受けて日本の自衛隊が壊滅するというストーリー(自衛隊すなわち日本の軍事力がこの世から消滅すべきという主張自体には筆者も大いに賛意を表するが)で、これだけでもかなりアレなのだが、その後の展開はもっと凄まじい。安倍内閣は責任を取って総辞職し、戦力のなくなった日本は永世中立を宣言して新たに生まれ変わる事を宣言する(が、なぜか天皇制は維持。それじゃ意味ないでしょ?)。この「新生日本」をリードするのが「良心派知識人」で構成されたグループなのだが、その構成員の多くが実名で登場するのだ。和田春樹、土井たか子、安斎育郎(この人だけなぜか姓名逆にした「育郎安斎」と表記)、柄谷行人、大江健三郎などなど…。そしてこれらを束ねる議長格の人物が「ハナブサ・ヨシミチ」なる朝日新聞論説委員という事になっている。このキャラだけ変名になっているが、これのモデルが誰なのかは簡単に想像がつくだろう。誰がどう見ても朝日の主筆だった船橋洋一そのものである。向こうの事情を知らない日本人には意外に思われる(呆れる)かもしれないが、韓国の知識人やジャーナリストの世界で船橋洋一だの柄谷行人だのは大人気の大モテなのだ! 連中は船橋や柄谷の本をほぼ必読書のようにむさぼり読むのが慣行と言っても良い。柄谷・船橋に限らず、「この小説」に登場するような和田・土井・安斎・大江といった日本人達を「日本を代表する良心的知識人」という事にして崇め奉るのが保守・進歩問わず韓国の知識人・報道界では「不磨の不文律(?)」になっており、そうした韓国知識人の歪な習性が実に良く表れていると言って良いだろう。まるで植民地時代の知識人ではないか! おまえらどんだけ事大主義なんだよ。ちなみにこの小説ではこの後、土井たか子が過渡政権の総理になり、ハナブサ・ヨシミチ(船橋洋一)がその下で官房長官に就任するという凄絶な展開が待っている。この著者は日頃自分が傾倒しているこうした「日本の良心派知識人」に、自分の妄想小説の中だけでも天下を取らせてあげたかったという事なのだろう。なるほど、こういうのが本書著者に代表される韓国進歩派知識人にとって「理想的な日本像」という訳だ。船橋洋一や柄谷行人が天下を取った日本が…。安倍や麻生が天下を取っている現実の日本とどっちがマシとかいう問題でなく、どっちも嫌としか言いようがない。柄谷行人が政権を動かすほどエラクなった日本って事は、それと仲の良い佐藤優にも当然いいポストか利権なんかが回ってくるって事だし…。自民党や民主党と妥協を繰り返した社民党の土井たか子が総理だし…。和田春樹もその中に入ってるって事は、またしても従軍慰安婦問題を「国民基金」で解決するって話にしかならない訳だし…。大体、船橋洋一は朝日主筆だった時にさんざんTPPや新自由主義政策を煽り立てた元凶だった訳だし…。先の民主党政権と何が違うんだろ? そういう日本を「理想像」として夢想(妄想)してる訳だ。凄すぎ。
さらにもう一つこの怪作小説の突っ込みをすると、物語のラスト近くで南北朝鮮と日本の3国首脳会談が行われて、金正恩と土井たか子と韓国の新大統領(朝鮮の日本核攻撃後、韓国では大統領選挙の不正がばれて朴槿恵は辞任したという展開)が顔を合わせる。そこでこういうセリフが出て来るのだ。「我々は一衣帯水の関係だから…」へ? 「一衣帯水」だって? 何それ? どうしてこの場面でその言葉が出て来る訳? 「一衣帯水」という言葉は戦後の日韓癒着関係を象徴するような言葉で、朴正熙がクーデターで政権掌握後に援助を求めて訪日した時に言ったし、白善燁(韓国軍創設に功績のある軍人だが、植民地時代に満州軍の特殊部隊に所属して独立運動を弾圧した悪質親日派)も2012年に軍事交流の為に訪韓した海上自衛隊員相手の講演で「日韓は一衣帯水」という事を強調していた。この二人はあまりに有名な親日軍人出身者なのでこうした言葉が平然と出て来る訳だが、それ以外にも韓国の保守政治家は日本の政治家や軍人を相手にすると決まって「一衣帯水」を口にする。戦後の韓国と日本の癒着・共犯関係を最も象徴する言葉を「日本の軍事力(自衛隊)壊滅によって朝鮮半島と日本の間に新時代が到来」をテーマにする小説で使うとかアホじゃねえのかという話だろう。しかもこの小説の著者は以前に、こうした「一衣帯水」という言葉が日本の侵略と戦後の日韓癒着の象徴であった事を批判していた事もあるのに。自分が当時言ってた事とも違うじゃねえか。ひょっとしてこの小説は本気でギャグだったんだろうか…。
どっちにせよ、韓国の知識人やジャーナリスト達がどれだけ日本という国の事が分かってないか、どれだけ「日本の良心的知識人」とやらに対してドリーム抱いてるか、そういう退廃ぶりが良く分かるだろう。朴槿恵がどんだけひどい暴政・苛政・悪政を行っても、政権が揺らぎもせずへーちゃらな理由が分かるような気がする。こんな腑抜けた知識人や記者に批判されたって痛くもかゆくもないだろうから。

上記の小説だけではない。韓国知識人・報道人達の事大主義が最も大きく現れたのは、何と言ってもローマ法王(教皇)の訪問だろう。「ローマ法王がセウォル号事故遺族をいたわってくれた。それに引き換え朴槿恵は…」といった論調が8月の韓国のマスコミでは嫌というほど垂れ流されたものである。
筆者はローマ法王が訪韓して行った行事を見て「ああ、これは日本で倭王(왜왕 天皇)が被災地なんかに行ってやってる事と同じだ」と思った。倭王が福島辺りへ行って被災者に「お言葉」をかけて慰労する。それで被災者は感激しちゃって社会的怒りも何も忘れてしまうし、政府も被災者の為の具体的な救済策など何もしない。それと一体何が違うというのか。日本では天皇、韓国では教皇がそれぞれ民衆の怒りを鎮火する役割を果たしたに過ぎない。
今回含めてこれまでローマ法王は3回韓国を訪問している。そしてこの3度の訪問は、いずれも韓国が非民主的極まりない独裁政権の時代(1984全斗煥、1989盧泰愚、2014朴槿恵)だったというのが最大の共通点だろう。なぜローマ法王は韓国が酷い独裁政権の時ばかり選り好みして訪問したがるのか、その理由がさっぱり理解出来ない。バチカンは日帝植民地時代に朝鮮の天主教会へ「皇民化教育や神社参拝を受け入れろ」と下達していたし、安重根を単なる凶悪な殺人者として扱っていた。韓国天主教会もそれに従い、解放後も長らく安重根を単なる「殺人者・テロ犯・教会に対する反逆者」として扱い続けたのである。韓国天主教会が世論に勝てず、とうとう安重根を「民族英雄」として評価を逆転させたのは伊藤博文暗殺から100年後だった。さらに言えば安重根のいとこである安明根もまた寺内正毅総督暗殺を計画したが、それを朝鮮総督府にチクッたのも天主教会だった。常に帝国主義・植民地宗主国の側に立ち、被植民地民衆がそれに逆らう事を許さなかったのがバチカン・カトリックの一貫した姿勢である。
韓国の民衆はもっと冷静かつ冷徹に考えねばならない。ローマ法王が韓国に来てセウォル号被害者遺族に寄り添ってくれたからといって、だから何?と。法王があれだけ遺族達を勇気付けたなどと言われているが、その後も朴槿恵は断食で抗議する遺族をそのまま死ねとばかりに平然と無視し続けたではないか。ローマ法王が韓国に来てやったパフォーマンスなど、朴槿恵には何の影響も与えはしない(そもそも韓国のキリスト教はプロテスタントの勢力が圧倒的に強い)。あの時、韓国のメディアは右から左まで連日法王の動静をトップで報じ続けて気持ち悪い事この上なかった。「ローマ法王がこれだけ慈悲深い行動を見せているのに朴槿恵は…」式の論調が山ほど言われたが、そんな腑抜けた批判など今の韓国を現実に強権支配する独裁者にとっては屁でもないだろう。ローマ法王に過剰な意味付けをしたがるのもまた、現代韓国の嘆かわしい事大主義だ。

さらにもう一つ、韓国のマスコミが朴槿恵を批判する時に比較対象としてよく取り上げるのがドイツのメルケル首相だ。実際にメルケルと朴槿恵は個人的にも親しいという。「ドイツのメルケル首相は反対を押し切って野党と妥協した度量のある素晴らしい政治家。朴槿恵もこの友人を見習え」みたいな論評をこの間多く見かけた。だがメルケルという女の実態は何だろう。今のメルケル政権下ドイツでは反原発運動や反戦運動のデモに対する取り締まりや暴力的鎮圧が激しくなっているという。「原発からの脱却を決定した」と世間一般では思われている(実際には10数年後に撤退という気の遠くなるような話であり、その間にいくらでも逆転し得る。ドイツは事実上何も原発から脱却していない)ドイツでさえそうなのだ。さらにメルケルは「デモに行く人々というのは、世の中の暮らしをよくするために何の貢献もしていない」などというとんでもない暴言も吐いたそうだ。これのどこが素晴らしい政治家なのか? 朴槿恵と何が違うのか? こんな「ドイツの朴槿恵」でしかない女を素晴らしい政治家のように持ち上げて、それと対照的に朴槿恵を批判するとか、どんだけ倒錯の極みなんだよという話だろう。メルケルと朴槿恵の関係とはまさに「類友」そのものだ。

「日本の良心的知識人」「ローマ法王」「メルケル」これらがあたかも素晴らしい存在であるかのように持ち上げて、そこに深い意味を付け加えたがる。そしてそれらと朴槿恵を比較・対照する事で朴槿恵を批判したつもりになる。韓国の報道人や知識人の救い難い事大主義はこの2014年8月に極まったと思う。
(続く)

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