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カンボジアPKOの時代に「事実上の有事法」を先取りしていた色川大吉

自衛隊よ待て」というムックが筆者の手元にある。92年のカンボジアPKOへ自衛隊派兵が行われた時、これに反対する市民運動グループ「アジア市民の会」が行った講演記録だ(発行は八月書館)。先日の記事で韓国のPKOについて少し言及したが、それとの絡みで当時の日本のカンボジア派兵に関する記録など改めて読み直していると、色々な意味で興味深い。自衛隊海外派兵の嚆矢となった、このカンボジアPKOに反対するのは良い。だが、この「自衛隊よ待て」に登場する講演者は色川大吉、ダグラス・ラミス、姜尚中、広瀬隆など、今見ると「うげっ、こいつらかよ」と言いたくなる顔ぶれで、後の都知事選で細川・小泉支持者とか、戦争になったら日本の為に戦うとか言ってる親日派韓国人とか、今にしてみると全くもってロクなメンツではない。しかしながら、当時のこの人達は日本の反原発運動や護憲平和運動などの世界でいっぱしの論者として知られ、学習会などでは引っ張りだこという、定番のメンツだったのだ。今考えるととても恐ろしい話で、現在ではこんな連中を呼ぶ反原発や護憲・反戦平和運動集会など時間と金の無駄以外の何者でもなかろう。若い人達には想像も出来ないだろうね…。そんな時代があったんです。

で、このムックを今再読してみると何かもう色々ひどいなと。何で当時はこういう重大な事を気にせずスルーしてたのかと、こんな講演や本を運動の論拠というかマニュアルみたいにしてたのかと、そういう後悔の念が湧き上がってくる。こういう発想で運動やってたら、そりゃ自衛隊を止める事などおぼつかないだろう。今や自衛隊は当たり前のようにバンバン海外派兵され、ジプチには自衛隊の海外基地まで作られる恐ろしい時代になった。それを許してしまう弱さというか甘さというのが、日本の護憲派や市民運動の中にはこの頃から存在しており、それは直るどころかますますひどくなっているというのが「自衛隊よ待て」を再読して強く感じられる。この重大な認識の間違いというのが、90年代以前から日本の護憲派や平和運動の中にはあったのだ。

この本には突っ込み所が山ほどあってネタ集としては事欠かないが、特にひどい一例としては色川大吉(2014都知事選では広瀬らと一緒に細川支持)が挙げられよう。この本で色川は自衛隊を解体して災害救助隊に改組しろと主張しており、それはまあいいだろうと思う。ところが自衛隊という軍隊をなくした後の自衛(色川はこの前に自分は戦争中の体験から「自衛」という言葉にアレルギーがあるとか言ってたくせに、その後もなぜか「自衛」という単語を平然と連発)をどうするかという点についてこんな事を言い出す。

自衛の方法は武力以外にもいくらでもあります。国際紛争を処理する道は軍事的に威圧を加えることだけじゃないんです。現に人類は新しい方法を考え出しています。国際的な経済封鎖というのもあたらしい方法です。
(同書22頁より)

同時に外国から武器を輸入し、権力を維持して紛争を続けようとする支配者があるならば、その国の抑圧された民衆に力を貸して、民衆の手でその専制者を退陣させることです。それが本当の国際支援ですね。
(同書22-23頁より)

「国際的な経済封鎖」(経済制裁)があるなどと言っているのだ。日本の自衛手段が経済制裁だって? これはつまり、どこぞの国が日本に攻めてきそう(脅威)だとみなした時はその国を経済制裁して国際的に封鎖し、それで戦争を防ぐという事だ。これを92年の自衛隊カンボジア派兵の切迫した情勢で、それも「護憲派」「日本の左派を代表する反天皇制論客」と言われた人間が堂々と主張していた事には、ある意味驚かされる。これって、21世紀の今ではそのまま実現しちゃってるじゃない。「外為法」とか「入港禁止法」とか、今の日本が朝鮮民主主義人民共和国に対してやってる経済制裁そのものだ。これらの法律が「事実上の有事法」である事を考えれば、色川大吉に代表される日本の護憲派や反戦平和運動はカンボジアPKOの時代からすでに、自衛隊を止めるどころか「事実上の有事法」を「国際紛争を処理する新しい方法」として提唱していた事になる。これでは自衛隊の海外派兵を止められず、後にほとんど容認するようになっても無理はないだろう。色川大吉が2014年の都知事選で細川護熙を支持するようになるのは何の不思議もない展開だった。

マリー・アントワネット
「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃなーい」
色川大吉
「自衛隊がなければ、経済制裁で国防すればいいじゃなーい」

自衛隊という軍隊の代わりに経済制裁を「国防」の手段とする、などまるでマリー・アントワネットみたい(?)な言い回しだが、奇しくもカンボジアPKOの92年の時点で、22年後の2004年に作られる改定外為法・入港禁止法の事を「予言」していた事になる。しかし「予言」と言っても、色川は「経済制裁による国防」を否定的なものではなく、「国際紛争を処理する為の、人類が考え出した新しい方法」として肯定的に、当然憲法9条とも矛盾しない理想的なやり方のように主張しているのだから。もちろん当時の朝日関係は今のような「準戦時状態」ではなく、この時点での色川も朝鮮の事を念頭にして「経済封鎖で紛争処理を」などと言っていたのではないだろう。だが、日本のような国が他国に経済制裁を行えば、それが戦争を防止するどころか軍事的緊張を高める結果になるのは当然ではないか。アメリカの核の傘に入って平和を謳歌している以上、日本が軍隊を持っていようといまいと経済制裁という手段はアメリカの戦争政策を補完する行為にしかならない。経済制裁という「平和的手段」が軍備の代わりになる、憲法9条の理念にも矛盾しない、というどうしようもない認識がこの頃から護憲派の頭をすでに占めていたという証左であろう。今現在、対朝制裁への反対が護憲派の中からも聞こえて来ず、むしろ積極的に支持しているというのは、少なくともカンボジアPKOの時代から日本の護憲派はそういう思考パターンだったと解すべきではないか。むしろ色川大吉こそ今の朝鮮への経済制裁の原型とも言うべきイメージとプランを、この頃から主張・提言していた。護憲派こそ20年以上も前から「戦時法」を先取りしていたのだ、と。
現実に色川の言うような「国際的な経済封鎖」が戦争を防止する役に立っただろうか? 
役に立ってない!
それどころかそのような経済封鎖は、大国が気に入らない小国をいたぶって兵糧攻めする手段にしかなっておらず、制裁された国の民衆を困窮させるだけだった。そうして弱りきった所へ適当な言いがかりをつけて戦争、というパターンばかりではないか。イラクもリビアもシリアも全部そうだったろう。「国際的な経済封鎖」など大国の身勝手な侵略戦争をサポートする手段にしかなっていないのだ。そんなのをいかにも素晴らしい戦争抑止策のごとく主張する色川大吉は、この時すでにボケていたのではないかとさえ思える。
例外としては周辺の黒人政権国家に侵略を繰り返したアパルトヘイト時代の南アフリカがあろう。だが、南アへの経済制裁に世界で最も強く反対した「アジアの名誉白人国家」はどこの誰? 石原慎太郎などは当時の国会答弁で「その国にはその国の事情があるから」みたいな言い訳をして南アへの制裁に反対し続けたが、そんな石原は後に朝鮮への制裁に諸手を挙げて大賛成する。仮に経済制裁が色川の言うような「良い手段」だったとしても、それをまともに使うどころか、「国益」の為に一番悪用してきた国の一つが日本だったという事実を考える必要がある。アパルトヘイト時代の南アのようにある程度正当性のある経済制裁には決して賛成せず、朝鮮のように国際的な正当性も怪しく、戦時法としての危険な性格を有して憲法違反としか思えない制裁は強力推進という日本…。そうした現実すら頭になかったのが色川大吉の言う「経済封鎖で紛争処理論」だった。

「その国の抑圧された民衆に力を貸して、民衆の手でその専制者を退陣させることです。それが本当の国際支援ですね」という発言もすごい。これまた経済制裁と同じで、欧米先進国が世界中の第3世界で気に入らない政権を転覆する常套手段ではないか。すでに専守防衛ですらないという。イラク・リビア・シリア…。直近ではまさにウクライナがそうだったろう。同国では凶悪なネオナチ団体までもがアメリカの強力な支援を受けて、ああいう騒ぎを起こした。

これが紛争を平和的に処理する、人類が作り出した新しい手段なのだそうです! 憲法9条の精神にも合致しているのだそうです! 本当の国際支援なんだそうです! 「自衛」という言葉にアレルギーがある割には、その言葉を何の抵抗もなく連発する色川先生の掲げる「自衛理論」なんだそうです! 安倍晋三万歳を叫ぶ土井香苗のヒューマンライツウォッチなどが暗躍するのに先駆けること20数年、そんなに早い時期から「人権NGOによる第3世界諸国の政権転覆工作」を先取りしていた色川先生! これで日本の「自衛」は安泰だ!

…冗談はともかく、「護憲派」を称する連中ほど、憲法9条と憲法前文(われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する)との整合性をまるで考えてこなかった事は明白であろう。軍隊持ちません、戦争しません、でも戦争という手段でさえなければ他国の人々を恐怖と欠乏に陥れて生存権を害しても知ったこっちゃない、と。9条と前文が互いに連関し合ってその法の精神を形作るというものではなく、9条を守るという「表向きだけの平和国家」としての体面さえ繕えれば前文は無視しても構わないという御都合主義だろう。こりゃあ自衛隊が海外派兵しまくるようになるのは当たり前だし、どう見ても戦時法である対朝制裁に護憲派の誰一人として反対しないのは当たり前ではないか。

朝鮮への経済制裁に日本の護憲派が誰一人として反対しない。この下地はすでに90年代初頭、それもカンボジアPKOという切迫した情勢の頃からすでに存在していた。翼賛体制はすでにこの以前から続いて来たものであり、それがますます酷くなって今に至った。当時の資料を読み返して、そんな事を強く感じた次第である。

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