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金賛汀の脳味噌は1990年代でストップモーション

ちょっと古い話になりますが、2010年5月25日にこんな本が出てたんですね。
 
 
筆者が度々「元総連出身在日二世転向者の3馬鹿トリオ」と呼んで来た中の一人(他の二人は辺真一と朴斗鎮)であらせられる金先生の新刊でございます。
そういう著者の本なので、内容についてはそれこそお話にも何にもなってないトンデモ本でしかありません。特に結論がね。逆に言えば著者・金賛汀という転向者二世が何を言わんとしており、その主張の何が問題なのかがよく分かる本と言えるでしょう。加えて、かつて若い頃は朝鮮総連バリバリの活動家として在日朝鮮人運動の一線で戦っていた一人の人間が、今やここまで老いぼれ果てて、哀れで醜悪で無様な変節者・転向者としての姿をさらしているという事実です。読売新聞やセブンイレブンの会長もそうですが、本当にああだけはなりたくないものですね。
 
金賛汀という男は元総連の活動家だった在日朝鮮人二世であり、まあ総連組織が非民主的な組織に堕落していった過程で追われたり、あるいはそれに悲観して離れたという典型的な元活動家でした。その後組織を離れてフリーのジャーナリストとして活動し、良い著作もいくつか残してはいます。在日朝鮮人の歴史や世界各地の在外朝鮮民族の現状をレポートした本などは良い仕事をしたとまあ評価出来るでしょう。かつての「噂の真相」のような、左派系でもある程度良心的なメディア達は、在日朝鮮人問題を取り上げる時に金賛汀からコメントを取る事がかなり多くあり、そういう方面では良識的な在日の論者と見なされてきた訳です。実際に金賛汀は総連や北朝鮮本国の問題点を批判する事も少なくなかったのですが、氏のかつてのそれは飽くまで「総連や北朝鮮は民族・同胞の為に再生せよ」といった視点からのものであり、南北朝鮮の分断や軍事的緊張を高めたり在日への差別・偏見を煽る目的で総連・北朝鮮を攻撃する右翼のそれとは明確に一線を画していました。飽くまでもかつては、ね。
が、現在の金賛汀の言っている事にかつてのような「良心・良識」は見られなくなりました。それどころか日本の右翼が喜びそうな総連・北朝鮮批判本ばかりを最近は連発(主に新潮社から)しています。一番典型的なのは以前にも書いた通り、この男の書いた本が例の特定失踪者調査会の「信者」になった弁護士である川人博によって、朝鮮学校無償化除外について日弁連に噛み付いた時の要望書で参考資料にされた事でしょう。いわば日本人の右翼が在日朝鮮人を差別・抑圧する為の攻撃材料をわざわざ提供している訳で、金賛汀自身は川人の要望書に対する抗議も拒否反応も公的に示していないのですから、明らかに下劣な確信犯的利敵行為そのものです。自分の書いた本のせいで他の同胞達がどれだけ迷惑をこうむったか、朝鮮高校の生徒である同胞子弟達がどれだけ苦汁を飲まされたか、もうこの愚かな不良老人には全く理解出来ないのでしょうね。この男の頭の中は総連や北朝鮮に対する個人的な復讐心しか残っていないという事です。
 
今回の「韓国併合百年と『在日』」という本の内容のうち、大部分は植民地時代や戦後の在日朝鮮人史であり、それらは金賛汀の過去の著書で何度となく繰り返されてきた内容なので目新しい部分はありません。同じ著者の既刊を呼んだ事のある読者なら飛ばしてもほとんど差し支えないでしょう。問題はこの本の結論として、「韓国併合百年」の節目に何を言っているかという事です。
 
この本に対して突っ込みたい所はいくつもあるのですが、一つ一つ列挙していては長くなり過ぎるし、実際にそれほど執拗に相手してもしょうがないクズ本なので(とは言え全く座視する事も出来ないひどい内容の本なので)、ここでは同書が触れずにスルーした三つの重要事項を指摘するに留めておきましょう。この本では過去の在日朝鮮人史から近年の在日朝鮮人を取り巻く環境までを述べているのですが、ある三つの重要事項を完全に無視して一切言及していません。
同書が黙殺した重要事項の第一は2000年の南北首脳会談。
第二は在特会や現在の民主党政権に代表される日本社会の民族差別・排外主義的風潮の問題。
第三が朝鮮半島本国における南北対立の高まりと、それに伴う日本や韓国の軍拡化並びに周辺諸国も巻き込んだ軍事的緊張関係の激化が(在日に限らない)朝鮮民族社会にもたらす影響に他なりません。
 
第一に、2000年の南北首脳会談は本国のみならず、在日社会にも多くの恩恵をもたらしました。朝鮮籍の在日がそのまま南へ行く事も可能になったのはその代表的な一つです。総連と民団の和解ももちろんそうですし、2000年の南北首脳会談から2002年の小泉訪朝による拉致フィーバーが荒れ狂うまでの約2年ほどの期間はまさに、つかの間の小春日和のごとき民族の和解と平和の時期でした。「在日版プラハの春」と言えるかもしれません。小泉訪朝以降は一転して「在日版プラハの冬」となり、それが現在に至るまで続いています。それでも2000年南北首脳会談に始まる平和が一時とはいえど在日社会に与えたものは大きく、いかに現状が一時的に悪化しようともその理想的精神を忘れてはなりません。ところが金賛汀はこの「在日版プラハの春」ともいうべき時期を完全に黙殺、いや抹殺と言っても良いかのように書こうとしませんでした。総連と民団の和解とその破局についても同書では一切語られていません。金賛汀にとって南北首脳会談というのは「黒歴史」にしなければならないほど都合が悪かったのか。だとしたらその理由は何なのでしょうか。
 
第二に、未読の方にこういう事を言ってもちょっと信じられないかもしれませんが、この本には日本の民主党政権による朝鮮高校無償化除外といった民族差別政策や、臨検特措法をはじめとする北朝鮮制裁強化といった問題が一切述べられていません。さらにここ最近各地で繰り広げられている在特会をはじめとする極右集団の暴力行為も全く触れられていません。在特会の「ざ」の字もこの本には一切登場しないのです。この本は2010年5月の刊行ですが、民主党政権(正確には民主・社民・国民新連立政権ですが)が朝鮮高校を無償化の対象から除外する動きを見せたのは2010年2月25日の衆議院本会議で中井洽拉致問題担当相(当時)が言い出したのが最初でした。
 
高校授業料無償化から朝鮮学校を除外「在日朝鮮人への差別だ」
 
在特会が京都朝鮮第一初中級学校を襲撃したのは同年3月25日の事です。さらに言うならば、在特会が蕨市のカルデロン一家を襲撃したのはさらに遡って2009年4月11日です。在特会による在日朝鮮人を含む日本在住の外国人達(ただし「日本最大の外国人犯罪組織」であるはずの在日米軍は全くの例外 笑)への暴力行為は、金賛汀がこの本を刊行する前からすでに目に余る様相を呈していました。ところがそうした問題を全く書いていないのです。刊行が5月だから締切的にぎりぎりとは言え、こうした件をせめてちょっと触れるくらいの事すら出来なかったのでしょうか。現在の日本における民族差別について語るならば、こうした事柄は絶対に外せないはずです。なのになぜ? 
それどころかこの本では「民族差別の希薄化」とまで書いており、挙げ句の果てには「共生社会に向けて」ですからお話になりません。しかも日本で「民族差別の希薄化」しているという論拠が、94年に民団青年会が行ったという古いカビの生えたようなアンケート結果というのがまた凄い(同書241頁)。さらに加えて金賛汀自身の体験談として自分の子供達が90年代に就職先や取引先からで差別された事がないとも(同書242頁)。一体いつの話をしているのですか。一応それでも「民族差別意識が完全に一掃されたということではない」と言ってはいますが、10数年も前の話をわざわざ持ち出して「民族差別の希薄化」の論拠にするとはどういう事でしょうか。
「韓国併合百年」にあたる2010年という今現在直近の状況において在日社会が直面しているのは「民族差別の希薄化」どころか、植民地時代や戦後間もない頃が再来したかのような民族差別・排外主義の横行です。政権を取ってから自民党と同等かそれ以上にひどい民族差別政策を実行している民主党政権です。在特会の働いている悪逆な乱暴狼藉です。
そうした直近の様々な問題を一切無視して、何が「民族差別の希薄化」ですか。「共生社会」ですか。
 
この本では参政権問題について書いた項で「自民党政権時代は民団の働きかけもほとんど功を奏さなかったが、2009年、政権交替がなされ、民主党政権の鳩山首相、小沢幹事長などが賛成していることもあり、運動に弾みが付いている」(260~261頁)と述べていますが、実際に民主党がやった事は何でしょう。首相や党幹事長が外国人参政権に賛成しているらしい党の政権下で、朝鮮高校の無償化除外という差別が堂々と行われ、在特会の暴力が野放しにされてきたのではありませんか。率直に言って確かに参政権自体は当然に認められるべき権利ですが、だからといってそれを認められる事が必ずしも民族差別の撤廃や民族的アイディンティを守ることになるとは限りません。むしろ、「党首=首相や幹事長が賛成しているほど外国人参政権に理解のある民主党」が民族教育に対しては一転して厳しい態度を取って差別し、潰そうとまでしているというのは、参政権は場合によっては日本政府が在日を同化して支配統制する為の便利なツールになりうるからというだけの理由に過ぎないのです。民族教育はそうじゃない。むしろ日本政府が在日を同化・支配統制するのにこれほど邪魔な存在はありません。だからこそ、日本の為政者にとって参政権はまだ許容範囲(?)だが、民族教育は許容範囲外なので差別・抑圧して潰せという事なのです。金賛汀という、かつて民族教育を守る為の闘争を見聞・体験してきた世代であるはずのこの在日二世は、そんな事すらも分からなくなっているのですから、老人ボケも限度を超しているのではありませんか。
参政権獲得運動も良いでしょう。ですが、それが在日の民族的主体性を喪失させて同化につながるようなものにならないよう、細心の注意も同時に払わねばならないのではありませんか。今の参政権運動にそのような視点はあるのでしょうか。
 
さらに同書では在日の「本名で活躍する著名人」を例に挙げて「彼らが本名で活躍したことで、在日の民族的自尊心の拠り所にもなった」(244頁)としています。確かにそうした本名活躍の在日が一定の功績を及ぼした事は確かであり、認められます。が、現在の彼らはどうなのでしょう。現在のこうした著名人達(金賛汀自身も含む)は在日同胞の民族的自尊心の拠り所になるどころか、むしろ他の同胞達を食い物にしているような有り様ではありませんか。後に韓国の右翼保守派と内通・結託した李恢成。2002年の「北朝鮮報道のありかたを考える会見」に協力して石丸次郎や石高建次のような差別主義者・対北朝鮮好戦論者を結果的に擁護・正当化する醜態を晒した金石範など…。こんな人間達をどうしたら誇りに出来るというのでしょう。今の「在日著名人」の多くは金賛汀自身も含めて、総連や北朝鮮を一方的に悪者に仕立て上げて日本人に媚び、自分だけええ格好して生き延びようとしているだけではありませんか。現在の総連の変質や堕落を批判するなら、こうした「在日著名人」達の腐敗した現状も同時に厳しく批判しなければ説得力がありません。金賛汀の言っている事はことごとく時代遅れでピントが大ボケなのです。確かに一人のスターの存在が在日朝鮮人達に誇りを与える事もあるのは否定しません。ですが力道山の時代と違って、単に一人の同胞芸能人が売れて活躍している、だけで通用する時代でも現状でもない事を知らねばなりません。問題は彼らが真に民族的覚醒を抱かせるに足るだけの振る舞いをしているかどうかでしょう。和田アキ子のように在日である事を公言する一方、プロスポーツの開会式で君が代を平然と歌うような人間をどうして誇れますか。今や在日の著名人というのは同胞の誇りというよりも、民族の恥でしかない人間があまりにも増えすぎました。それによる悪影響の方がはるかに問題です。
 
筆者は同書を読んでいて、佐高信との共通性を何となく感じました。佐高信は今でも「ソニーやホンダやヤマト運輸は良い会社。パナソニックやトヨタや佐川急便は悪い会社」などという時代遅れな昔話をあたかも日本社会の現状であるかのように説いていますが、金賛汀もまたそれと同じくらい時代遅れなピンボケ昔話を「現状」であるかのように説いているのです。思考停止にもほどがある。この男の脳味噌は90年代で本当にストップモーションしているようです。
 
話を元に戻して、第三に朝鮮半島本国の軍事的緊張の高まりと、それに伴う日本の軍拡化の問題です。哨戒艦沈没や延坪島砲撃事件は同書刊行後の出来事なので触れられなかったのは仕方がありませんが、この本が出た頃にはすでに李明博政権下による太陽政策の転覆で南北対立が激化していました。日本など、太陽政策の時代に南北朝鮮双方が軍事衝突を避けようと懸命の努力と会談・共同事業などをしている最中に、わざわざテロ対策特措法(2001年10月)だの有事法制関連三法案(2003年5月)だのといった危険で攻撃的な軍事法案を成立させ、ジョン・ボルトンのようなアメリカのネオコン議員らの口車に乗って北朝鮮脅威論を煽り立て、朝鮮半島の平和と和解を破壊しようと骨折ってきたのは周知の通りです。その延長線上に度重なる北朝鮮制裁の延長(これまた「党首=首相や幹事長が賛成しているほど外国人参政権に理解のある民主党」政権下で社民党や共産党まで巻き込んで全会一致で成立した!)があり、本当に北朝鮮との戦争を引き起こしかねない臨検特措法がありました。南北が戦争回避の為に必死に努力している最中に、植民地支配の賠償すらせず在日への差別的政策を続けて来た日本が、前述のように南北の和解を破壊するような行動を取るなど最も同義に反する腹立たしい出来事です。日本と北朝鮮の関係が悪化すればするほど在日の立場も厳しくなるのは自明の理であり、ここ最近の日本における排外主義の高まりと合わさって現在の差別政策が強化されてきたと言えるでしょう。
ところが同書ではこうした話は一切登場しません。同書は基本的に朝鮮半島をめぐる国際情勢の変化というものを徹底無視しており、せいぜい拉致事件で総連が日本社会に対して答えに窮した程度の記述くらいしか見当たらないのです。南北朝鮮でまた戦争が起こったら…北朝鮮とアメリカの間で戦争が起こったら…北朝鮮と日本の間で戦争が起こったら…。こうした危機が高まって、その結果日本での在日抑圧政策が強化されてきたというのに! そうした軍事的緊張をなくす為に在日はいかにあるべきか、日本政府の差別・抑圧にいかに立ち向かうべきかというのが求められている事でしょう。そうした諸問題に一切触れない事でこの本は成り立っているのです。それどころかまたしてもどこかで聞いたようなフレーズがこの本にも登場しました。
「また近年になって提唱されはじめた、北東アジア共同体構想では日本、中国、韓国がその中心的役割を担うであろうことは確かであり、(中略)そのような目標が明確になれば、在日は日本社会との共生だけではなく、北東アジアの共同体建設に向けて、行動できる環境を持っていることになる。それは『共生社会』実現に向けての在日の新しい生き方といえよう」(同書266頁)
結局こういうオチなのね。北東アジア共同体構想…。
 
金賛汀は同書で結局何を言いたかったのでしょう。同書において金賛汀は、在日朝鮮人の置かれている現状について重要なポイントを三つ、
1 南北首脳会談(民族の和解と一時的な平和の時代)
2 現在における日本社会の民族差別・排外主義(民主党政権の問題、在特会問題)
3 朝鮮半島とその周辺の軍事的緊張(南北対立激化、日本の軍拡化)
わざと黙殺してきました。そして文中の随所で「北朝鮮の凋落」「韓国の躍進」(245頁)「(民団の)反共反民主主義的体質は徐々に影を潜めている」(247頁)「さしずめ総連の会員は、まさにカルト宗教信者のようなもの」(249頁)といった総連・北朝鮮への誹謗中傷と韓国・民団美化を書き連ねています。金賛汀の本を読んでいると、現在の李明博政権で横行しているひどい反民主的・抑圧的な政策や、民団の「反共反民主主義的体質」が改められるどころか今やむしろ悪化して、日本の右翼と一緒になって総連攻撃や朝鮮高校無償化除外支持デモまでやっているという現実はどこへ行ったのかと首をかしげたくなります。総連の事を悪し様に罵ってきた著者にとって、まさに南北朝鮮本国の和解、総連と民団の和解などもっての外という事になるのでしょう。本国の南北が、あるいは総連と民団が和解して平和な関係を築く。これは在日に限らず民族同胞全体にとって良き事であり、一般的に拒否する理由のない歓迎すべき事柄です。しかし、それを望まない者も一部にはいます。総連や北朝鮮に対して憎悪し、同胞全体の利益よりも自分自身の意趣返ししか頭にないような人間であったり、朝鮮半島の分断と対立によって得をする外国勢力に身を委ねる者であれば。まさに金賛汀はそういう人間に他なりません。
 
こうした深刻な差別・排外主義の問題や国際間の軍事的緊張を一切無視して、同書で結論として述べているのが「共生社会」と「北東アジア共同体」でした。そう、全てはこの二つを正当化する為の屁理屈に過ぎなかったのです。実態の怪しげな「共生社会」とやらを正当化する為には、現状の日本における排外主義や民族差別は都合が悪いので、そうした問題を同書ではスルーしたに他なりません。差別や排外主義がひどすぎる状態では「共生」などという甘っちょろい事を言っている余裕など当然なく、まずは人権と生活権獲得の為に戦わねばならないからです。はっきり言って日本の社会はあまりにも外国人との「共生」にはほど遠いと言わざるを得ません。まだまだ「夜明け前」にして、社会的弱者にとっては戦って権利を獲得せねばなりませんし、社会的強者の側の意識改革がそもそも全く進んでいないのですから。在日にとってはこんな情勢での「共生」など単なる「同化」にしかならないでしょう。「同化」されぬ民族的主体性を確立した上での「共生」です。金賛汀(に限らず日本で「共生社会」を語りたがりう在日の多く)の言う「共生社会」というのは明らかに順序が間違っているでしょう。
 
「北東アジア共同体」にしても同様で、現状ではこんなものが出来てもアメリカの対テロ戦争の下請け部隊にしかならないでしょう。EU加盟国がNATOの軍隊派遣を半ば強制されるのと同じ事です。ましてや北朝鮮と韓米日の緊張関係が激化したままの国際情勢でそんなものが出来るとすれば、まさに金賛汀の言う「北東アジア共同体」とは北朝鮮を相手にした対テロ戦争同盟以外の何者にもなり得ません。そうした事を隠す為に金賛汀は朝鮮半島をめぐる軍事的緊張の問題を無視したのではありませんか。「北東アジア共同体」が危険な軍事同盟となりうる事をごまかす為に。
 
この本は冒頭で親日派の代表格であった李完用が李朝(大韓帝国)末期に日韓併合を調印させる場面からスタートしていますが、親日派は別に日帝による侵略期・植民地支配時代にのみ存在したのではありません。現在の在日朝鮮人社会にも「ネオ(新)親日派」ともいうべき存在はいるのです。同胞の人権や生活の事など眼中になく、それどころかそれらを食い物にして己の欲望のみを満たそうとする者。日本という国の差別・排外主義・軍拡化を批判するどころか、それらに媚を売ったり迎合する事で己の栄達をものにしようとする者。そうした日本社会の現状を歪めて伝え、同胞社会に仇をなす曲学阿世の輩。まさに金賛汀自身が「ネオ親日派」そのものと言えます。
 
金賛汀は同書で、1970年代に親戚が集まった席で、政治問題の議論が激しくなった時に帰化した者が意見を言うと、座にいた一世達から「黙れ! 新日本人。君にこの問題を論ずる資格はない」と一喝された事があったと述べています(255頁)。「在日二世の私から見て、酷にすぎる罵声のように感じた」と言っていますが、確かに筆者もそうだと思います。しかしながらこのような罵声は今の金賛汀にこそ投げ付けなければならないでしょう。
「黙れ! 新親日派。君にこの問題を論ずる資格はない」

 
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