「米9.11」とは言うまでもなく、2001年に起こった世界貿易センタービルへの旅客機突入テロ事件を指す。
「日3.11」とは言うまでもなく、2011年に起こった東日本大震災とそれによる東京電力福島原発事故を指す。
「韓4.16」とは言うまでもなく、2014年に起こった旅客船・世越号(セウォル号)の沈没事故を指す。
「仏1.7」とは言うまでもなく、先日起こったばかりの風刺週刊誌出版社シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)に対するテロ事件を指す。
これらはいずれも「テロ事件」「自然災害(+人災)」「海難事故(+人災)」とそれぞれの出来事の中身や被害規模程度は異なるものの、「それをきっかけに、その国家の社会と民衆が極度かつ急速に好戦的・右傾化・ファシズム化した」という共通点を持っている。フランスの場合は事件が発生して間もないので、現時点では米日韓ほど官民ぐるみで極端な状況にはまだ至っていないものの、事件が起こった根本的な原因を深く省察する事もなく「Je suis Charlie(私はシャルリーだ)」などと書かれたプラカードを手に市民が大行進する姿はとても不気味である。フランスも今後米日韓と同じような経過をたどる可能性が非常に大きい。
これらの事件・事故・災害後に各国がたどった経過というのは「反省のなさ」だった。事の原因や事態を悪化させた根本的原因、すなわち凶暴な海外軍事政策や無謀な原発の大量建設、新自由主義政策による安全コストの大幅なカットといった原因をロクに究明せず、責任者の処罰も行わず、反省が全くないまま「愛国主義」「絆」といったおためごかしの下に社会はむしろファシズムへと突き進んだ。9.11後のアメリカが「対テロ戦争」を掲げてアフガニスタンやイラクを皮切りにさらなる無謀な侵略戦争の泥沼に突き進み、3.11後の日本が世界最悪の原発事故を起こしたばかりにも関わらず直後の選挙で原発反対派が誰も当選出来ず、原発輸出・秘密保護法・武器輸出解禁などに突き進んだ姿を我々はよく知っている。韓国でも世越号の事故が起こってすぐに統一地方選挙があったのだが、救助作業をまともにやらず被害を拡大させたはずの与党セヌリ党が圧勝した。福島原発事故があったにも関わらず脱原発派候補が誰も勝てなかった日本と全く同じ事が起こっていたのだ。さらにその後の2014年後半の韓国では南北関係のさらなる悪化と、「従北狩り」の大旋風によって統合進歩党の強制解散や、訪朝記の著者である韓国系アメリカ人(この人は先日強制出国となった)への右翼のテロ、12月29日の韓米日軍事秘密情報共有覚書締結など、これまた凄まじい勢いで国と社会のファシズム化・軍拡化が進んでいる。
フランスのテロ事件について言うと、これは明らかにイスラムに対する宗教的・人種的な偏見や差別感情をモロ出しにした風刺漫画(と言うか、冒涜漫画)に原因があるのは明白だろう。「表現の自由」がどうのこうの言うが、シャルリー・エブド紙がやっていた風刺と言う名の冒涜漫画の類はそうした偏見や差別を煽るだけの低劣な内容でしかなく、これらは率直に言って「フランス版山野車輪(細野不二彦とか小林よしのりとかでも可)」そのものだ。にも関わらず今回のテロで殺された漫画家達の言動など見てみると、誰も彼も
「自分は反宗教主義、反資本主義、反軍事主義、反人種主義、反保守主義」
「自分の絵の目的は人を笑わせる事にある」
「表現の自由を積極的に擁護」
「右派のフィガロ紙とは関係を結ばない」
「無宗教者なので、全ての宗教に批難の矢を投げかける」
「報復を恐れない。屈服するなら死んだ方がまし」
「フランスではまだテロが起こっていないのか」
「資本主義を嫌悪」
といった事を主張してきた。要するに「左派」だの「反資本主義」「反宗教主義」の仮面を被ってイスラムへの偏見を扇動してきたのである。挙げ句には批判されると「自分の絵の目的は人を笑わせる事にある(つまり、ギャグなんだから目くじら立てるなという見苦しい自己弁護)」と言って開き直るかと思えば「まだテロが起こらないのか」と挑発するような漫画を堂々と掲載するのだから、これらはみな悪質な確信犯であり、殺されても自業自得であったと思う。ヨーロッパではイスラム圏の旧植民地から多くの移民労働者がやって来ているという社会状況にありながら、そうした社会的弱者への差別と偏見を扇動する最悪のネタを「表現の自由」「ギャグだよ、ギャグ」「自分は左派」「自分は全ての宗教を(公平に)批判してる」と言って見苦しく逃げ回って来た連中にはお似合いの末路だったのではないか。ましてや「報復を恐れない。屈服するなら死んだ方がまし」とまでうそぶいていたのだから、なおさらこれらに同情する義理もないと思う。
また、フランスも近年はアメリカに劣らずアフリカ地域の旧植民地諸国(リビアやコートジボワールなど)へ露骨な資源略奪の軍事介入を繰り返してきた事も忘れてはならない。シャルリー・エブドの風刺漫画がこうしたフランスの新植民地主義や軍事政策を正当化・側面支援する性質を持っていなかったのか、それも問われるべきだろう。テロを批判する前に、フランス人自身が行ってきた人種・宗教的偏見や軍事政策を自ら省察・反省する事が先決ではないのか。フランスの軍事介入で殺された国の民衆からすれば、フランスこそ最悪の「テロ国家」だろう。
しかしながら今のフランスで起こっているのは、自己省察や反省とは正反対の現象である。何でもおかしな「チェーンメール」が流行っているとか…。
「このテロはとても認められません。12人の犠牲者を記念する為に、フランスで最も大きなチェーン網を形成しましょう。この文字メッセージをもらった人は1分間黙祷した後に、本人の名を記入して知人に送りましょう」
こんなメールを転送するのが大流行しておるそうな。いい加減にしろ、こんな気持ち悪い迷惑メールを寄越すなと言いたくなる。ただの不幸の手紙じゃねえか。
さらに凄絶なのは、当のシャルリー・エブド紙が次号部数を大幅に増やして出すという話だ。今まで高々6万部だったこの新聞が次号は何と100万部刷るのだという。「テロに屈服しない方法は発刊を続ける事」だと言って。こいつら実にいい営業してやがるではないか。それでまた性懲りもなく宗教的・人種的偏見を扇動するようなひどいネタをこれからも垂れ流し続けて商売するというのだから。自分らがどれだけ最低なネタをやってきたかに対する反省や自己省察はかけらもなし。言論の自由とやらを完全にはきちがえているのはシャルリー・エブドとフランス人達ではないのか。結局は商売・金儲けかよ。
こうしたフランスの出来事を筆者は韓国オーマイニュースの記事で知った。
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002071006
この記事には先述した風刺漫画家達の見苦しい言い訳や、気持ち悪いチェーンメール、厚顔無恥にも次号100万部刷ってここぞとばかりに儲けようとするシャルリー・エブドの醜悪な振る舞いが書かれている。ただしこれを書いた記者自身はシャルリー・エブド側を一方的に肩入れしているスタンスであり、西欧の社会主義ばかり羨望して社会的弱者や第3世界・自民族の分断体制の立場を全く考えないという、韓国進歩派知識人に腐るほどよくいるタイプの人間である点に注意が必要だ。韓国の進歩派にはこの手の社会主義者気取りな西洋かぶれが、最近嫌になるぐらい多い。ハンギョレとかプレシアンといった韓国進歩派メディアの論調が近年やけにおかしくなってるのも、こうした風潮と無関係ではなかろう。
今回の件で改めて思ったが、詩人と風刺漫画家の「作家生命」は本当に短いと思う。この手の作家達が素晴らしい作品を書いて輝きを放っていられる期間は本当に短い。詩人でそれを最も体現しているのは金芝河だろう。かつて韓国民主化の旗手のように言われた詩人が後にカルトにはまっておかしくなり、挙げ句が朴槿恵を支持するにまで至った。あるいは日帝植民地時代、当初は民族主義的で独立運動に加担しておきながら、後にあっさり親日詩人になった朱耀翰・金龍済・林和など枚挙にいとまがない。
風刺漫画の世界でも当初は鋭いネタで社会問題や権力者を突きながらも人々を笑わせた人間が、売れて注目されるようになるとすぐに弱い者いじめや差別ネタ、反人権ネタ、体制権力追従に走る例が非常に多い。やくみつるや業田良家が典型例であるし、高橋春男やいしいひさいちもそういう所がある。小林よしのりもゴーマニズムをやり始めてから急速におかしくなった。これらよりもレベルの低い同人誌の世界ではもっと酷く、社会風刺ネタをやってる同人作家というのは当初は左翼っぽい漫画を描いていても、5年もするとみんな山野車輪か細野不二彦みたいになる。筆者自身が見て来た中では、10年もった奴を見た事がない。コミケで風刺漫画サークルが並ぶ一角は本当に気持ち悪くて、どいつもこいつも「ミニ山野車輪」「ミニ小林よしのり」「ミニ弘兼憲史」ばかりだ。今回殺されたシャルリー・エブドの漫画家達はベテランぞろいで、中には70か80の老作家もいたと聞き、筆者は妙に「納得」してしまった。「ああ、こいつら若い頃は鋭い作品を書いてたかもしれんが、本当に漫画家として輝いていたのは若い頃の数年だけだったんだろうな。売れてからすぐに業田良家か小林よしのりか弘兼憲史みたいになって、弱い者いじめや差別ネタや宗教的偏見ばっかり垂れ流した期間の方が長かったんだろうな」と。
今回の件は我々に一つの教訓を与えてくれる。社会風刺漫画というのはそれだけ作家の寿命が短いジャンルであり、差別ネタや弱い者いじめや権力追従ネタに走るしか出来なくなった作家は潔く引退すべきという事だ。
いずれにせよ、フランスでは誰も彼もが「Je suis Charlie(私はシャルリーだ)」の大合唱で、星条旗や日の丸が乱舞する9.11後のアメリカや3.11後の日本とそっくりな様相を呈している。大震災後に日本で言われた「ジャパニーズ・ザ・絆」とおんなじで、これこそファシズム前夜以外でなくて何だと思う。今回の件でフランス国内ではむしろ「表現の自由」は今後圧殺される方向に進むだろう。愛国者法や特定秘密保護法や国家保安法みたいなのがフランスでも出て来るのではないか。それこそ「表現の自由を守る」という口実で。韓国で解放後に国家保安法を制定した時も李承晩らは言ったものだ。「韓国の自由を守る為にこの法律を制定したのだ」と。
星条旗や日の丸が米帝や日帝の被害者にとっては憎しみの対象でしかないように、シャルリー・エブドもトリコロールもフランス帝国主義の被害者にとっては憎しみの対象でしかない。「Je suis Charlie(私はシャルリーだ)」というのはフランス帝国主義のどうしようもない傲慢さの表出である。
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