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伊勢崎賢治が最近スゲー事になっていた

自衛隊を丸腰で海外派兵すれば世界は平和になる、という何度考えてもさっぱり意味が理解出来ない珍妙な理論をあちこちで言いふらしている、東京外語大の伊勢崎賢治教授。
筆者は最近こんなしょーもない奴の事はすっかり忘れていたのだが、久しぶりにこの男のインタビューを目にして驚いてしまった。何と言うか、もう開き直って行き着くとこまで行っちゃったなと、この男がそれでも今まで目立たないようにしていた凶暴な「戦争屋」としての本性を隠す必要もなくなったんだなと、そんな事がよく理解出来る。まあ、以下の神奈川新聞の記事を読んでほしい。これははっきり言って、読めば即身成仏間違いなしの凄絶さである。「犠牲者を出す覚悟はあるか」って、ここまで来ちゃうと旧日本軍の特攻隊とどこが違うんだって話だろう。そんなに非武装で紛争地域に入って「国際貢献」の犠牲になりたいんなら、てめえが一人でいけ。身勝手な「国際貢献(その実態は日米の国益)」の為に、関係ない民衆に「犠牲」を押し付けるな。伊勢崎という男は大日本帝国の大本営並みに身勝手なクズであろう。

http://www.kanaloco.jp/article/69095/cms_id/73812
平和の創り方 伊勢崎賢治さん「犠牲者を出す覚悟はあるか」

このインタビューで目を引く「伊勢崎語録」を以下に抜粋。

「(武器輸出解禁について)実のところ、あまり気にしていません

「僕は9条そのものを信じてはいない。9条のおかげで平和だというが、そんなのうそ。9条を押しつけてきた米国が守ってくれているから平和だったにすぎない。その現実を直視したくないから、そう思い込もうとしている」

外交的に使えるから(9条を)守れと言ってるんです。これだけの経済大国で戦争をしないし、政府開発援助(ODA)も出す。そういうイメージをつくってきたから成功した。ただ、9条のことは海外ではあまり知られてない。誤解しちゃいけないのは、そのイメージは9条のおかげではないということです」

「日本を守ってくれていた米国は元気がなくなっている。それを認識すべきです。2001年から続くアフガン戦争は米国建国以来最長の戦争です。経済は疲弊し、米国は今年中にアフガンから撤退する意向です。平和を引き続き享受したいと思うなら、日米両国の利益になる9条を大切にしていかなければならない

「9条がつくりだした日本の体臭というものがある。9条の下で暮らしてきて好戦性というものがない。戦火に生きる人々はそれを敏感に感じ取るのです」

「そういう意味では、テロとの戦いにおいて日本も集団的自衛権を行使して参戦すべきだと思います」

要するに伊勢崎の主張というのは、とにかく何が何でも自衛隊を紛争地域に派兵しろという事、そして紛争地域の利権(地下資源や復興ビジネスなど)を食えという事、日本の武器輸出解禁なんて大した事ではないという事、伊勢崎は孫崎享並みの「押し付け憲法論者」であるという事、伊勢崎にとってはそんな米国押し付けの9条など実際に信じてもいない「その程度」の存在だという事、でも「その程度」の9条でも日本という国の「平和な体臭」を醸し出してくれる便利なツールだから徹底的に利用しつくせという事、そして何よりも「米国の利益」の為に9条を利用しろという事だ。
米国が勝手に戦争始めて、それで痛い目を見るのは自業自得だろう。むしろ米国はもっと痛い目にあった方が良いくらいだ。そんなアメリカの尻拭いの為に9条を大切にして活用しろだって? アメリカ様に御奉仕する為の憲法9条活用論かよ。日本の護憲派の腐敗堕落は確かにひどいものだが、それでも伊勢崎のようにここまで言い切った奴を見たのは初めてだわ! 本人曰く、最近の伊勢崎は護憲派の集会・講演などから声がかからなくなったらしいが、むしろ意外な感じがする。逆に伊勢崎は今後ますます日本の護憲派(マガジン9条、9条の会など)に重用されるようになるとばかり思っていたのだが。さすがに「9条そのものを信じてはいない」なんてあからさまに言う押し付け憲法論者にコケにされたのは我慢がならなかったのではないか。気付くのが遅過ぎるというか、日本の護憲派はこれまで一体何を見てきたのだと思う。もっとも今や伊勢崎だの佐藤優・孫崎享などの毒にすっかり染まりきった状態で、たかが伊勢崎一匹切った所で何の解決にもならないだろうし、全ては手遅れの感がある。
それでもまだ自分は護憲派として9条を守るんだ、日本の軍拡化に絶対反対するんだという意識があるなら、伊勢崎を徹底的に批判すべきだろう。過去に伊勢崎を礼賛したり持ち上げた事がある(これをやった者は左派や護憲派内に山ほどいる!)なら、それも十分に反省すべきである。伊勢崎賢治という戦争屋は、いっぱしの反戦平和主義者として自衛隊の海外派兵を断固許さない立場であるならば、完全否定してもなお余りある存在であると思う。もっともそれを今の護憲派に期待するのは、高嶺の花かもしれないが。

誤解のないように言っておくが、伊勢崎の主張とは
「とにかく何を差し置いても自衛隊海外派兵(どんなに平和的なPKOであっても文民は駄目。何でもいいからとにかく軍隊・軍人の派遣を!)」
「日本と日本人には平和国家という『美しい誤解』のイメージがある。これはオイシイから利用しない手はない(逆に言えば、戦後日本が朝鮮戦争やベトナム戦争その他の国際紛争へ積極的に加担して大きな経済的利益を得たり軍拡化に利用してきた歴史は、そうした「美しい誤解」をぶち壊すので黒歴史にするという事。実際に伊勢崎がこうした戦後日本の戦争加担事例について言及した試しは、筆者の知る限り見た事がない)」
「9条は道具だ(だって俺、9条なんて信じてないもん。その程度のもの)」
というもので、実は伊勢崎の考え方や目的・目標は今も昔も一貫して変わっていない。安倍晋三が「法も無視して力ずくでゴリ押し派兵」派なら、伊勢崎は「やるんなら法の抜け穴を利用してもっとうまく派兵せんかい」派という事だ。まともな反戦平和主義者なら激昂するか、その下劣なおぞましさに気分悪くなって逃げ出したくなるのが本当だろう。だが伊勢崎は、それでも大体2000年代頃までは露骨な表現を用いず、もっとソフトな語り口で護憲派や左派を自衛隊派兵容認へと誘導する手法をとっていた。今のように「9条そのものを信じてはいない。9条のおかげで平和だというが、そんなのうそ。9条を押しつけてきた米国が守ってくれているから平和だったにすぎない。その現実を直視したくないから、そう思い込もうとしている(この事自体は間違いではないが、海外派兵を追認・正当化する為に言うべき事ではない)」「日本も集団的自衛権を行使して参戦すべき」という極度に露骨な言い方は、表向き手控える傾向が強かったのである。それが変わったのは、やはり何と言っても2011年の3.11であろう。それまで戦後60年以上掛けて比較的ゆっくり進んで来た日本の右傾化と同等の事が、3.11以降はほんの1.2年で進行してしまったのだから。こういう情勢であれば、今までの糖衣に包むような慎重な言い方でまどろっこしく護憲派を海外派兵容認へと誘導する必要はない。あけすけに本音を語っても全然平気。むしろ、それでも海外派兵にアレルギーがあるような旧来の「護憲派」など切り捨てて全然OK、と思い至ったのではないか。それだけ最近の伊勢崎の発言は露骨であり、凄絶である。あまりのおぞましさに、人によっては正視に耐えないくらいだろう。
意外に指摘している者がいないのだが、3.11後の伊勢崎は原発問題でも酷過ぎる発言(本音)を繰り返している。まあ、見て欲しい。

https://twitter.com/isezakikenji/status/454195413881331712
ということで、国防の重要さを体感している人々、アメリカが始めて悲劇的な戦況になっているテロとの戦いを”闘う”人々と、9条の活用を語るために、柳澤協二さんたちと始めます。「自衛隊を活かす:21世紀の防衛と憲法を考える会
2:53 - 2014年4月10日

https://twitter.com/isezakikenji/status/454191678526459904
とにかく、9条を活用するために、「護憲派」を切り捨てよう。新護憲派の立ち上げだー(まだ、ハイが抜けない)
2:38 - 2014年4月10日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/doyou/CK2014021502000224.html
非武装日本に可能性 紛争に和解の種をまく 伊勢崎賢治さん(東京外語大教授)

アメリカ陣営の一員として緊張感を保ちつつ、中国が「ちゃんとした超大国」になる道をともに考えよう」

集団的自衛権の行使だ」

http://togetter.com/li/237610
伊勢崎賢治氏の原発事故関連ツイート抜粋

脱原発の議論って「武装解除」と似ている。つまり、武器が無くなることは良いに決まっているが、そのものが目的化して無闇にやると、パワーバランスを崩し逆に治安が悪化、多くの人が死ぬ。僕がやったアフガンは、そうなってしまった。どんな良い事にも、やる前に保障しなければならないことがある。
isezakikenji 2011-06-16 01:03:26

(え、伊勢崎って今までさんざん自分がアフガンの武装解除をしたって自慢してたくせに、実はそのせいで治安悪化して人がたくさん死んでたの? それって最悪の大失敗じぇねえか。そんなの自慢すんなよ。おまえは浅間山荘事件の手柄を誇張していつまでも自慢している佐々淳行か! 伊勢崎の言う「戦争を9条と非武装自衛隊で終わらせる」事などとても出来ないという事ですね! 少なくとも伊勢崎は自分の言ってる「戦争終結作業」がまるで実践出来てない事だけは確かだろう。あんた、何しにアフガンまで行った訳? 罪もない民間人の犠牲者ばっかり出しやがって。自分のやった紛争処理失敗を自分でゲロってりゃ世話はない。まあ「正直」な人間なんだろうが…)

脱原発がその実現のため保障しなければならないのは、まず化石燃料依存増大の回避。さもなくば、原油価格の高騰、国際レベルでの貧富の差は更に拡大。先進国の脱原発でアフリカ人が死ぬ。もう一つは「核の秩序」の崩壊の阻止。さもなくば、西側の脱原発が核保有破綻国家を更に孤立化、過激化させる。
isezakikenji 2011-06-16 01:04:33

(「先進国の脱原発でアフリカ人が死ぬ」って、原発推進派がよく言う「原発を止めたら弱者が死ぬ」と同じ言い草じゃないのか? はっきりしてるのは、伊勢崎はこういう屁理屈で原発を延命させようとしている隠れ原発推進派という事だろう)

子どもの安全を思う親の気持ち。無敵の正義である。でも、これが集団で増幅されると単なる狂気になる。
isezakikenji 2011-07-15 23:43:00

AERA記事、福島の子どもたちからの手紙:「ふつうの子供産めますか」。これが増幅すると優生思想になり、放射能より格段に多くの人を殺すことを、この時期に、どう子供達に伝えるか。
isezakikenji 2011-08-30 13:16:38       

原発是非住民(国民)投票は、脱原発を目的にやるんじゃない。原発由来電力を使う都市住民が、原発事故の責任を原発誘致地元民に押し付けるような無責任な状況の出現を許さないため。今井一氏。あっぱれ。異論なし。
isezakikenji 2011-10-01 18:09:31

(伊勢崎は今井一の原発国民投票を支持していた。でも「脱原発を目的にやるんじゃない」というのは正直と言えば正直だが、それじゃかえって今井の足を引っ張るんじゃないの? 今井達はそうした本音を隠し、「脱原発が目的」のような幻想を振りまいて投票を実現に持って行きたかった訳だから。「無能な味方は敵より恐い」という格言は正しかった(笑)。それ以前に「原発由来電力を使う都市住民が、原発事故の責任を原発誘致地元民に押し付けるような無責任な状況の出現を許さないため」っていう伊勢崎の(今井の?)主張は全く意味不明)

http://www.magazine9.jp/other/isezaki/index6.php
住民参加による「復興」を 伊勢崎賢治さん

 原発に近い地域については、援助を考えるよりも避難させるべきだという意見を持つ人もいるでしょう。僕自身もそこに住む人たちが、必ずしもとどまるほうがいい、とどまるべきだと思っているわけではありません。僕自身も住民だったら避難を考えるだろうし、放射能の影響が出やすい小さい子どもなどがいればなおさらです。ただ、そこで忘れたくないのは、危険性を十分に理解した上でも、そこに「とどまる」選択をする人は絶対にいるだろう、ということなのです。

 僕がこう考えるのは、紛争の現場における「難民」の問題をいくつも見てきたからだと思います。紛争や内戦が起こると、国内避難民も含めて必ず周辺の国や地域に大量の難民が発生します。しかし、すべての人が難民となって避難しているのかといえば、そんなことはない。どんなに戦火が激しくなっても、死と隣り合わせで、そこにとどまる選択をする人たちが必ず存在する。僕は職業柄、そっちの方の人々が気になるし、気にしたいんです。

 戦火の中に留まる選択をした人々の中には、安全を保障する政府が既に崩壊してしまっているので、自らを、そして家族を護る為に武器を持つという人も出てくるでしょう。それを考えると、もし福島で留まる選択をした人を支援するとしたら、個人個人が被爆線量をきめ細かく管理できる体制を整えることが、政府というより社会がやるべきことなのではないかと思います。具体的には、個人線量計の配布と、その使用の管理支援ということでしょうか。

 繰り返しますが、これは別に放射能の危険の中で生活することを奨励するということでも、放射能の危険を過小評価するということでもないのです。戦火の中に留まる選択をした人に銃を託すのと同じ「悲壮感」で、日本人が福島県民に線量計を託すということなのです。この「悲壮感」が共有されないのなら、止めた方がいい。とにかく、東京電力と政府の責任を追及し、最大限の補償を「放射能難民」のために引き出す支援だけに徹した方がいい。

(福島で現に動いている「エートス」とかいう、放射能汚染地帯の中で線量計を持たせて生活させる、人体実験まがいの運動を伊勢崎は先取りしていた。何と機を見るに敏であろうか!)


http://www.kenpou-media.jp/modules/interview/index.php/53.html
「直言53」東京外語大教授 伊勢崎賢治さん

「国威高揚」のための自衛隊の派兵はやめることだ。これまではいわば、タカ派の自己満足のため、自衛隊の派兵の実績を積み上げるために、軍事的ニーズもないのに派兵をしてきた。アメリカにも石油戦略などいろいろと事情はあるだろうが、国威高揚のために兵は出さない。それを日本は続けてきた。イメージ戦略を壊すものだし、実益がない。

(戦後の日本は別に「国威発揚」などという曖昧な目的の為の派兵などしていない。南スーダンPKOなど石油目当てなのが露骨であるし、2003年イラク派兵の際にも川口順子・福田康夫・石破茂といった当時の閣僚らは「石油供給の安定」という「実益」の為とはっきり答弁している。日本は伊勢崎言う所の「実益」の為の派兵をとっくの昔に繰り返してきた。これまでの日本の派兵は「国威発揚」という下らない見栄張りの為だったが、これからの派兵は「国益」や「実益」になる良いものなんですよ、と伊勢崎は詭弁を弄したいのだろう。嘘を言うな!)

http://twitter.yfrog.com/z/kfc1kpaj
http://twitter.yfrog.com/z/ob3nnyej
「原発運動が『ファシズム』にならないうちに」。藤原書店 機 2012年4月号
初出〔学芸総合誌・季刊〕 環 vol.49 特集:3・11と私――東日本大震災で考えたこと
 


FUKUSHIMA後、放射能という新たな恐怖は、「平和を希求してきた」日本人社会に、新たなレジームを作りつつある。単純に、反原発か否かが、踏み絵になっている。それで人間の全人格が決まるような。かつて、九条護憲か否かがそうであったように。(略)
放射能への恐怖を源泉とする「排他性」は、「ならず者」への排他性と同質のものである。このことに気づいて欲しい。
反原発運動が「ファシズム」にならないうちに。


現実の3.11後の反原発運動は、放射能を恐れる側が排他的なファシズムになっているのではなく、全く逆に放射能の危険性を過小評価したり無視している側が政府の御用運動化して排他的ファシズムに走っている。がれき拡散問題を排除する反原連や、福島の人々に「現地で普通に暮らせ」と冷酷に言い放った原子力資料情報室が好例だろう。なのに、伊勢崎は放射能を恐がる側を「ファシズム」呼ばわりして非難する(そもそもここで言われている「ならず者(イランや北朝鮮)」に対する排他性と、放射能に対する恐怖心が同質だという伊勢崎の主張は何度読んでも意味不明)。前述のツイッター発言と続けて読めば分かり易いだろう。つまり子供の健康を心配する親のような当たり前の危機意識こそ「狂気」だ、「優生思想」だ、「ファシズム」だと。放射能を恐がる人々や原発事故の被害者で、国や電力会社に対して声を上げるような人々こそ、伊勢崎は排除したいだけなのである。「放射脳」という罵倒語を連発する反反原発派や放射能安全論者と、全く同じ位置に伊勢崎は立っているという事だ。
こういう人間が紛争地域に乗り込んで武装解除や和平工作をする? 戦火に虐げられてきた現地民衆が、伊勢崎にどれだけひどい仕打ちを受けるか容易に想像がつく。伊勢崎は、劣化ウラン弾に脅かされている人々に対しても「集団狂気」「優生思想」「ファシズム」と罵倒するのだろう。伊勢崎が紛争地域に赴任した場合、おそらく初代朝鮮総督・寺内正毅並みに人権意識が高くて、人道的で、平和主義的で、慈悲深い調停人であっただろう事は間違いないのではないか。総督に就任するやいなや「朝鮮人は日本統治に服従するか、死ぬか、どちらかを選ばねばならない」と言い放った寺内総督と互角な人権・平和意識の持ち主たる、ああ我らが伊勢崎教授(笑)! アフガンの武装解除と平和調停に大失敗して無辜の現地民衆を大量に死に追いやった伊勢崎教授に対し、敬意の念を込めて我々は次のような「尊称」を送ろうではありませんか!

・伊勢崎教授に捧げる尊称
「アフガンの寺内正毅」

冗談はともかく、こういう人間を重用してきた日本の護憲派とは重ね重ね何だったのかと思う。伊勢崎の発言を良く読めば誰でも気付きそうなものなのだが。
いずれにせよ伊勢崎賢治という男は、日本の軍拡化と海外派兵を推し進め、原発反対派や被爆を恐れる人々の排除の為に身を委ねている代表的人物という事だ。その為の手段として、自分が信じてもいなければ尊重もしていない憲法9条をふんだんに利用(悪用)だけはしろと解く。戦後も他国の戦争に積極的に加担して利益を得てきた日本の実態を隠す為に。最近話題になっている「憲法9条にノーベル平和賞を」とかいう気持ち悪すぎる運動は、伊勢崎にしてみればまさに我が意を得たりといった所ではないか。もしそんな事が実現したら、伊勢崎と安倍のどちらにとっても仕事が非常にやり易くなる事だけは間違いあるまい。オバマにノーベル賞をやるのと同じ事であり、戦争を抑止するどころか、ゴジラに放射能を与えるのと同じ大惨事になるだろう。

まだまだこの男の本性に気付かず警戒が足りない人々が多いようだが、はっきりと警告しておきたい。

伊勢崎賢治は日本の海外派兵・軍拡化を推し進め、それによる日本の「国益」をこそ狙っている。
伊勢崎賢治は日本の海外派兵と「平和国家という美しい誤解」を以って、アメリカの「国益」に奉仕する事をこそ狙っている。
伊勢崎賢治は反原発運動を潰し、放射能被爆を忌避する人々を貶めて社会的に排除する事をこそ狙っている。

のだと。

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要するに反原連とか旧しばき隊は山口組と同じ手口

非常に奇怪な団体で麻薬追放国土浄化同盟というのがある。知る人ぞ知る山口組のフロント団体で、最近はホームページまで作って公開した。

http://zenkokumayakubokumetsudoumei.com/
麻薬追放国土浄化同盟

ヤクザの山口組が麻薬撲滅? もちろんこれには裏がある。この団体は元々1963年頃に山口組が関東進出を狙っていた際、「麻薬撲滅」の表看板を掲げる事で錦政会(稲川会の前身)や松葉会といった関東のヤクザ組織を牽制する目的で作られたものだった。ただヤクザの山口組だけがそんな事をしても世間の信用を得られないので、右翼の黒幕・田中清玄(共産党転向者)を通じて立教大総長だった松下正寿(統一協会&韓国ロビー政治家)、市川房枝(戦争協力者)、山岡荘八、福田恆存だのといった右派文化人らをオルグして取り込み、いかにも社会正義のようなツラを装ったのである。
だが問題はこの団体の本体である山口組と麻薬の関係はどうなんだという事だ。好例として、当時山口組の傘下組織には菅谷組(77年に組長が山口組本家から絶縁され、81年に解散。組織員達は他の山口組系列組織に吸収される)という有力組織があり、ここは一時期1000人以上の構成員を持つ山口組内でも最大勢力の組だった。菅谷組は資金力の豊富な組としても知られ、当時の警察資料では明確に「麻薬暴力団」と指定されていたのである。当然菅谷組がシャブ売って稼いだ金からかなりの額が、上部団体である山口組本家に上納される…。
そういう事なのだ。麻薬で一番稼いでいる山口組が「麻薬撲滅」なんてお笑い種でしかなく、これがいかに実の伴わない口先だけのものか理解出来よう。要するに関東進出という自分らのシノギの為に、社会正義の仮面を被って偽装したに過ぎない。いかにもヤクザらしい手口ではないか。こんなのに協力した右派文化人どもの下劣な本性もよく分かるというもの。

もうお分かりだろう。これと同じ事を3.11後にやってるのが、野間易通だの木野某だのミサオレッドウルフだのの反原連とか旧しばき隊(現・C.R.A.C)だという事が。野間達は日頃から在日に対する差別発言をさんざん繰り返している、在特会と何一つ変わらない悪質な極右民族差別主義者のくせに、「レイシストカウンター」と称していかにも自分らは差別に反対しているかのように「社会正義」を装う。そこへ親日派や反北朝鮮派の朝鮮人・韓国人(辛淑玉、高英起、梁英姫、李信恵、金明秀など)を取り込む事で、活動がまともであるかのように見せかける訳だ。自分らの活動には在日からもこんなに支持されているんだ、自分らが在日どもを守ってやってるんだ、と。山口組が市川房枝らを取り込む事で、自分らの麻薬撲滅運動はこんなにまともなんだ、と世間の目をごまかそうとした手口と何一つ違わない。

麻薬で一番儲けてる山口組が、「麻薬撲滅運動」の表看板を掲げる。
一番の民族差別主義者である野間易通一派が、「反差別」の表看板を掲げる。

山口組はそれをごまかす為に、松下正寿、市川房枝、山岡荘八、福田恆存ら右派文化人を取り込む。
野間一派はそれをごまかす為に、辛淑玉、高英起、梁英姫、李信恵、金明秀ら在日の悪質分子を取り込む。

山口組の本当の狙いは、関東進出という自分らの利権。
野間一派の本当の狙いは、売名という自分らの利権。

もちろん山口組のそうした正体を大きな声で語れば、暴力による威圧が待っている。
野間一派の活動体も「男組」と称する、ナチス突撃隊か黒龍会まがいの下品な暴力派を抱えている。往来で白昼堂々と刺青を見せびらかしては、反対派に威圧を与えているのだから。

社会正義を装うペテン師というのはいつの時代にも存在する。この手の連中は自分の汚い目的を隠す為に、ありとあらゆる手口を動員してそれをごまかし、正義の味方か救世主のようなツラを装っているに過ぎない。とりわけ3.11後という今のような「乱世」こそ、こうした詐欺師にとって一番オイシイ時代であり、大衆は騙され易いだろう。騙されない為には連中の言動を良く見る事だ。金魚のフンのようにまとわりついて正当化のお墨付きを与えてる文化人や親日派朝鮮人の「迷彩」に惑わされる事なく

麻薬で一番儲けてるヤクザの「麻薬撲滅」
一番酷い民族差別主義者の「反差別」

という矛盾をこそ直視するべきだろう。そんな難しい事ではないのだ。

辛淑玉の本性~国旗国歌法を作った日本人とマブダチな韓国人の発言

辛淑玉については今まで何度も批判してきた通りだが、依然としてこの女にある種の幻想を抱いている者が少なくないようなので繰り返し述べておきたい。
ツイッターを見ていると、事もあろうに辛と金明秀の対談するイベントがあったそうだ。日本人に媚びまくり、総連や北朝鮮への攻撃に精を出し、在日同胞の日本への同化を先頭切って促進している両人の対談と聞いただけで胸糞が悪くなる。
そこで辛淑玉は質疑応答で以下のように答えたという。

https://twitter.com/ZAZAdesu/status/404514844243533824
大阪から人権を!:金明秀さんと辛淑玉さんのトークセッションを終えて、グループZAZAの一員がお二方に質問、同化主義が強くなっている大阪の教育に危機感をもって闘っている。闘いにヒントを!さぁ、お二方はどう答えてくれるのだろう。(続く)
2013年11月23日 - 23:40

https://twitter.com/ZAZAdesu/status/404519318106288128
(承前)辛さん、私はどの国の歌も歌いません。どの国の旗も振りません。歌は分断する装置です。みんなに知らせることが大事です。ただ、私は日の丸君が代か好きな人もそれはその人として認めます。金さん、排除が進む社会でどのような抵抗ができるのか難しいですが、できることから。共通の物語を。
2013年11月23日 - 23:58

石丸次郎のような最悪の民族差別主義者・デマゴーグにして日本の反北朝鮮勢力の筆頭格とベタベタな関係を続けている辛淑玉のような女には、何とも相応しい答弁だろう。 「私は日の丸君が代か好きな人もそれはその人として認めます」だってさ。石丸次郎・鈴木邦男・川人博・佐高信・野中広務など、辛と仲の良い日本人達はこれを聞いて涙が出るほど感激しちゃうのではないか。特に野中は国旗国歌法を自ら制定・推進した人間であり、共著を出すほど親しい辛淑玉がこういう事を言ってくれるというのは、自分へのありがたい「援護射撃」であろう。野中も国旗国歌法の制定で多少後ろめたい(?)所があるので、韓国人からこのような正当化の「お墨付き」をもらえるのは何よりもうれしいはずだ。つまり…

国旗国歌法を作った日本人と、日の丸・君が代が好きな人を認める韓国人は大の仲良し、刎頚の友、マブダチなのです! 辛と野中の関係こそまさに「韓国の独裁政権と日本政府は共犯関係」を個人レベルで体現している典型例なのです! 両人は「日韓未来志向」「仲良くしようぜ」とはいかにあるべきかを、日韓の国民に身を以って例示してくれているではありませんか! 

…冗談はともかく、ネット右翼達がこの女を「反日」だとして攻撃する理由が分からない。日の丸と君が代を認めている、これほど日本の体制に忠実な「模範的親日派韓国人」を攻撃する右翼はよほどの単純馬鹿なのだろう。(逆に言えば、辛を攻撃するどころか親しい関係を結んでいる右翼はよほど狡猾で注意が必要という事だ。その代表格が例の猪瀬と徳洲会の金銭授受問題絡みで名の挙がった一水会と木村三浩・鈴木邦男など…)
で、このツイッターを書いた者も相当なノータリンらしく、辛淑玉の答弁に次のような感想を書いている。

https://twitter.com/ZAZAdesu/status/404536585963573248
@JohnnyHikitez 実は、初めて辛淑玉さんの話を聞きましたが、すっかりファンになりました。あれだけはっきりものを言う人でありながら、そういう人にありがちな傲慢なところがなく、それどころか、人としての優しさを感じました。年下ながら頼り甲斐のあるすごオン二でした!
2013年11月24日 - 1:06

「オンニ(朝鮮語で一般的に女性からの「姉さん」という呼称)」という朝鮮語で呼んでいる事からこのツイッター発言者もおそらく在日ではないかと思われるが、それにしても色々な意味でひどいもんだと思う。こういう支持者がいる限り辛のシノギは安泰であろうし、同胞の同化にも歯止めが掛からないのではないか。

今回の辛淑玉の発言には以下のような問題がある。

まず在日朝鮮人にとって「日の丸君が代が好きな」日本人なんて、弾圧者・抑圧者にも等しいという事だ。一方で同じ朝鮮・韓国人の中にも「日の丸君が代が好きな」者もいるだろうが、このような連中は悪質な日本人の手先になって同胞の分断と同化を促進する裏切り者でしかない。振り込め詐欺まがい商法をやってる誰かさん(笑)のように。いずれにせよ、こうした「日の丸君が代が好きな」連中というのは、在日の民族的権利や人権とは全く相容れない存在であり、断じて「認め」てはいけない存在なのだ。それを辛は「認めます」という。辛の発言は、3.11以降の日本で脱原発運動をはじめとする市民運動や社会運動の現場に日の丸や右翼が大手を振って闊歩するようになったのと見事に通低する。前にも述べたが、辛淑玉は例の原子力資料情報室のビデオに司会で出て「福島の人間は(避難せずに)現地で普通に暮らせ」という伴英幸の発言を広めるのに手を貸した。辛は腐敗堕落した今の日本の市民運動に深く関与し、それを在日の立場から正当化するポジションにいるのである(それを真似て李信恵のような妹分が後釜を狙うと言うか、自分の売り出し手段として同じ事をしようとする。代を継いだ親日精神の継承…)。

そもそも「私はどの国の歌も歌いません。どの国の旗も振りません。歌は分断する装置です」と言っておきながら、その直後に「私は日の丸君が代か好きな人もそれはその人として認めます」と全く矛盾する事を平気で言っているのだから呆れ果てる。この発言が持つ意味は極めて重大だ。要するに日の丸・君が代だけは「分断する装置」の例外だと言っているに等しい。世の中に数多ある国旗と国歌、アメリカ合衆国の国旗・国歌もあれば、南北朝鮮の国旗・国歌、中国でもロシアでもイギリスでも国の数だけ国旗・国歌がある。こうしたあらゆる国の国旗・国歌を分け隔てなく「好きな人もそれはその人として認めます」というのであればまだ理解が出来なくもない。ところが辛淑玉は敢えて「日の丸君が代」とはっきり言っているのだから。辛の発言は「日の丸君が代は「分断する装置としての国旗国歌」の例外」としか思えない内容である。在日としてあらゆる国旗も振らず国歌も歌わないと言うならば、日の丸と君が代は他のいかなる国旗・国歌よりもまず第1に拒絶しなければならないし、それを好む者を認めてもいけない。なのにそれを認めるというのは、間接的に日の丸・君が代を褒めているのである。少なくとも他の国の国旗・国歌よりも優位に認識しているという事だ。
辛淑玉の過去の言動を見ても分かるように、この女は朝鮮民主主義人民共和国を個人的に激しく怨んで憎悪しており、それでアジアプレスやRENKはじめとする日本の反北朝鮮勢力と深い関係を結んでいる。この女がどのような国の国旗・国歌よりも日の丸・君が代を上と意識して今回のような事を言ったのか、賢明な読者には説明するまでもないだろう。
己の一番嫌いな「祖国」を貶める為なら、朝鮮侵略・アジア侵略の象徴である日の丸・君が代すら公然と認める女、辛淑玉。この女が「在日の代弁者」扱いされて、ある種の日本人に重宝されている。辛淑玉さえ起用しとけば、自分ら日本人の醜い差別精神や社会体制をごまかす「免罪符」に出来る上に、在日への同化を促す事も出来るのだから、まさに一石二鳥ではないか。

最後に、繰り返しになるが重要な事なので、過去に辛淑玉が筆者の前ではっきりと言った事を今一度ここに記しておく。
3年ほど前の事で、朝鮮学校への無償化排除をテーマにしたある学習会で辛淑玉と話す機会があった時の事だが、弁護士の川人博が無償化除外問題で日弁連会長に噛み付いた要望書をどう思うのかと、筆者は辛に尋ねた。

http://list.jca.apc.org/public/cml/2010-March/003491.html
[CML 003551] 朝鮮高校授業料問題に関する日弁連会長声明に、川人博弁護士が撤回要請

この要望書では参考資料として辛淑玉本人の本も使われており、少なくとも無償化を支持する立場ならこういう形で自著が悪用される事に腹が立たないのか、川人に抗議なりすべきではないのかという事を筆者は辛に尋ねたと思う。ところがこれに対する辛淑玉の態度は非常に煮え切らない歯切れの悪いもので「川人さんは今まで色々な人権活動をしてきた結果としてああなったのだから」とか何とか言って、お茶を濁しながらも川人の態度を擁護する始末で、抗議する姿勢は皆無だった。さらに、同じく川人の要望書で参考資料にされている金賛汀の朝鮮総連攻撃本については「金賛汀は立派な仕事をした」と力を込めて絶賛する有様だ。金賛汀の本が今やどれだけ日本の右翼に都合の良いネタ本として重宝され、同胞への差別や攻撃に悪用されているかは言うまでもないだろう。今の日本で吹き荒れている在日への差別と抑圧を完全無視して「共生の時代」を説き、北朝鮮と総連を猛攻撃する金賛汀ほど日本の体制に都合の良いものはない。それを辛淑玉は大絶賛した。
そして筆者と言い争いになった挙げ句ついに逆ギレしたのか、辛淑玉は筆者に対して以下のように言い放ったのである。この発言は辛淑玉が隠しておかねばならない己の本音を、逆ギレのあまりついうっかりゲロってしまったものであろう。

「私には民族とか同胞とかいう概念はありません!」

間違いなく辛淑玉は筆者の目の前ではっきりとこう言った。これは決定的だろう。これが辛淑玉の紛う事なき本性である。この女の頭に民族や同胞の事などカケラもありはしない。普段週刊金曜日などの左派・リベラル媒体で「在日の人権」をしたり顔で口にするが、それは全て本心にあらざる営業トークに過ぎず、この女の本性は日本人に媚びて自分個人の利益や邪な政治的目標(反北朝鮮・反総連・在日の日本への同化推進など)を達成する事しか知らないのである。

辛淑玉曰く
「私には民族とか同胞とかいう概念はありません!」

この発言は今後辛淑玉という女を語る際には、真っ先に考えねばならない事柄であろう。あの女の講演を聞いたりその言動を考える時には、上記発言を思い浮かべてその整合性を問う事を決して忘れないでいただきたい。

【再掲記事】金明秀という男について

以下の記事は某言論封殺魔の圧力で閉鎖された旧ブログに2012年1月10日に載せた、金明秀批判である。金明秀という男は一見在日同胞の人権などを擁護する振りしておきながら、結論として悪質な日本人(野間易通その他)に媚びるという、どこからどう見ても辛淑玉や梁英姫らと同じ系統の現代版親日派というのが明らかだ(なのに親日派扱いされると腹を立てるハンパなとこが笑える)。同胞を食い物にするのをシノギにしているどうしようもない奴で、最近の「東京大行進」のような在特会絡みの社会現象が目立つようになってからは、その傾向がますます酷くなっている。この男のツイッターなど見ていると信じ難い暴言や妄言が連発されており、それをいわゆる「反ヘイトスピーチ運動」界隈の人間達(日本人・在日問わず)が悪用している現状を考え、過去の消された批判記事を再掲する事にした。
この男は在日朝鮮人が歩んで来た苦難と闘争の歴史を軽んじて冒涜し、「反日的」な同胞を「共和国ナショナリズム」と切り捨てる。まさに日本の国家体制が朝鮮人に一貫して押し付けてきた同化圧力そのものだ。2002年の小泉訪朝以後、さらに北朝鮮の悪魔化と在日への差別・抑圧政策が悪化した日本で、抵抗する在日を「共和国ナショナリズム」と罵倒し、一方で「朝鮮学校は日本の役に立っている」として、日本という「お国」の役に立つ事がこれからの朝鮮人の生きる道であるかのように説く金明秀という男。この男の本質は日帝時代の親日派と何ら変わる所はない。独立運動を検挙する為にスパイとして送り込まれた密偵にこういう人間がたくさんいたものだ。くれぐれも騙されないように、という事は同胞の皆に警告しておきたい。一方で金明秀を支持したり応援したりしている連中をたどって行けば、同胞社会に害をなすロクデナシ(日本人・在日問わず)どもが芋づる式に色分け出来るので、そういう意味では「便利」な存在ではあろうが…。


・金明秀という男について(初出2012.01.10 筆者の旧ブログ記事)

関西学院大学教授の金明秀という男は在日の参政権問題や民族差別問題で色々と発言を行い、宮台真司の歴史的無知を曝け出した妄言を批判したりしたのは、まあ良いと思う。が、金明秀のこれまでの発言には今一つ民族としての緊迫感というか切迫感というものがあまり感じられず、どれも机上の空論的という印象を筆者は拭い切れなかった。在日でありながら、日本社会が自分達に加えている民族差別や抑圧政策といったものを自分の体で感じていないよそよそしさというか、脳天気さというか…。とにかく訳分んない奴だと、筆者はこれまで思って来た。
大した著書がある訳でもない有象無象の小物学者なので問題にする必要もなかったのだが、さすがに人権協会の発行物にこのような発言が載った事は見過ごせない。

http://han.org/blog/2011/07/post-154.html
リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題

この記事の問題点については「日朝国交「正常化」と植民地支配責任」のブログが重要な点をおおむね批判しておられるので、筆者が付け加える事はあまりない。ただ、この発言とその問題点のおかげで、金明秀について筆者がこれまで抱いていた曖昧な印象が晴れた気がした。要するに金明秀という男は「卑屈な人間」という事である。朝鮮学校の無償化を勝ち取るにあたって「「平等」や「人権」といった近代の市民的規範によって抵抗することはもはやむずかし」いから「あなたたちの役に立っているのでいじめないでください」と日本社会に「哀願」せよというのだから。金明秀の言わんとする事はまさに、同胞達にアンクル・トムになれと呼びかけているに等しい。日本人にペコペコする朝鮮人・韓国人になれと、どう考えてもそのようにしか解釈出来ないではないか。逆だろう。日帝時代の清算もしていない日本こそこちらに頭下げろや、と主張すべきなのである。
そもそも、在日は「日本社会の役に立つ」事を目的に「生かされて」いるのではない。日帝植民地時代に強制連行や生活苦の為にやむなく日本に来た我々がどうして「日本社会の役に立つ」事を目的に生きねばならないのか。「日本社会の役に立つ」事などというのは、在日が生活していくうちにいわば「副産物」としてもたらされるものに過ぎず、それを我々の「基本的人権」と引き換えにするなどとんでもない話だ。

金明秀はよくネット右翼から攻撃されているし、自身も片山さつきのような極右政治家を度々批判している。だが金明秀の言い草では、ネット右翼や片山さつきのような完全に頭の狂った差別主義者(狂い過ぎているので実際にはその影響力にも限度がある)は一応批判出来ても、より巧妙で悪質な差別主義者や抑圧者に対する反撃・反論にはとてもならないだろう。「日本社会の役に立つ」「理想的な隣人」論というのは、外国人を安い使い捨ての労働者として扱いたがっている経団連のような組織にとってはむしろ望む所だからだ。例えば坂中英徳(脱北者帰国運動)のような男はそうした経団連的移民論の宣伝役みたいな人間だが、金明秀の言い草はこれと極めてナイスマッチで親和性が高いのである。坂中と金明秀のいずれも「反日」としてネット右翼から叩かれている点が共通している事に注目されたい。ネット右翼に攻撃されているからといって、必ずしもその人物とその言動が在日の基本的人権や利益に合致するとは限らない好例である。

それに「自営業のノウハウと知識と人脈を持ち、ベンチャー起業のリスクを果敢にとりにいける人材を、朝鮮学校は大量供給しているともいえる。国家の庇護に頼らない自由で不羈の企業人を朝鮮学校は輩出してきたとも表現しうる」という「在日は大企業に就職出来なかったから自分で事業を起こして優れた企業人を輩出した論」は辺真一の言う「強者としての在日」そのものだ。そうした歪んだ民族的優越感が在特会に言質を与えたという事に全く気付いてない。こうした点から分るのは、金明秀は辺真一の劣化コピーでもあったという事だ。

朝鮮学校無償化を適用させたければ日本人にペコペコしろという言い草、似たようなセリフは日帝時代の親日派どもも当時しきりに言ったものである。「内鮮一体、朝鮮人は天皇陛下の恩義に報いるべく忠良なる皇国臣民としてその命を帝国に捧げるべし」という民族の裏切り者達の扇動でどれだけ多くの朝鮮人が抑圧され、戦争に駆り出されて侵略戦争に加担させられた事か。金明秀の「朝鮮学校は日本の国益につながっている」という発言を見た時、筆者はかつての親日派が朝鮮人の若者を学徒動員する為にやった扇動を連想して寒気がした。今はまさに、日本が自衛隊PKO海外派兵を乱発し、韓国・アメリカと共に対北朝鮮戦共同軍事訓練という軍事挑発行動(延坪島事件の原因になったやつね。どう見ても憲法9条違反ではないのか)を堂々と行い、武器輸出3原則を事実上無原則化した現状においてである。これら日本の軍事行動もまた俗に「日本の国益」の為と言われるではないか。朝鮮学校にこうした「日本の国益」に奉仕せよと? 金明秀は自分が何を言っているのかも、かつての親日派の言い草と自分のそれがほとんどダブっている事も分かっていないのではないか。日頃在日の人権や日本社会における民族差別問題をしたり顔で語っているくせに、こういう重い歴史を何一つ知らない。筆者がこの男に抱いていた、差別や人権抑圧を自分の体(はおろか、実際には頭・知識でも)で分かっていないという印象はやはり正しかったようだ。いや、実際にはもっとひどかった訳だが…。

最後に日帝植民地時代の親日派が行った典型的な親日扇動発言を実例として挙げておくので、金明秀の現在の発言と比較されたい。当時日帝の手先になって植民地統治や日本の侵略戦争に協力した連中はこういう事を言っていたのである。これは盧基南(로기남 1902-1984)という韓国天主教会(カトリック)大司教の発言だ(ただし韓国では日本と違ってこの宗教的役職をカトリック・プロテスタントのいずれも「主教」と呼ぶ。ここでは日本式に分かり易く「司教」とする)。盧基南は韓国カトリックの大物神父として布教や教勢拡大に大きな貢献を果たし「盧基南なしには韓国のカトリックはあり得ない」とまで言われたほどである。が、しかし…盧基南は当時日帝の植民地統治に多大な協力をした親日派としても知られ、創氏改名・神社参拝・皇民化教育・学徒動員・戦費募金活動・軍需用金属拠出運動・戦闘機献納運動などに天主教会を挙げて協力させた。また、大戦末期には朝鮮戦時宗教報国会という朝鮮総督府の御用団体に代表委員として就任してもいる。2008年に韓国の民族問題研究所が発表した親日人名事典収録者名簿には、カトリック界の親日派代表7人の筆頭格として記載された。盧基南は当時の創氏改名では「岡本鐵治(おかもと・かねはる)」という日本名を名乗っている。
この盧基南大司教(当時京城教区長)が教団機関紙に書いた文章は以下の通り。筆者は盧基南はじめとする当時の朝鮮宗教界の親日アジビラを読んだり翻訳すると血圧が上がるのを禁じ得ないが、読者達もこれを読んで絶対に興奮は禁物である(笑)。

大詔奉戴と教区長就任に際して

国家非常時局にあたって上より恐れ多くも大詔まで奉じる事となったこの時、無功無徳なる不肖の身が敢えて京城教区長兼平壤・春川両教区管理者に就任する事を恐縮してやまぬが、計り知れぬ天主の深奥なる按配にただ服従して我が一身を犠牲にすると同時に、あらゆる聖職者達と教兄姉妹達が一致協力して我を助けてくれる事を信じて疑わぬ。
熱心なる信者が忠良なる国民であるという事は本職がすでに以前より深く感じてきた所であり、今や国家が大東亜戦局に突入し、恐れ多くも大詔を奉じてわずか一月余りのうちに天主より本教区の牧杖(司教杖)をパリ外邦伝教会より不詳の手に移された事を考えれば、現今国家と教会の時局において天主の神々しき意は何であり、本職に付与された責任が何かは自ずと明らかとなる所だ。そしてその責任はあらゆる聖職者達に分担され、またあらゆる教兄姉妹達にも分担されるであろう事は言うまでもない。
我らは国難を突破せねばならない。我らは今や我が手で我が教会を維持し、維持するばかりか発展させねばならない。この為に我らは何よりも熱心なるカトリック者となり、忠良なる皇国臣民とならねばならない。多くの熱心なる信者と忠良なる国民は自己の責任遂行に心血を注ぎ、その責任が重大なものであれば己の生命までも惜しむ事なく犠牲にする。現今国家の時局はそのような国民を要求し、現今国家の情勢はこのような信者を要求する。我ら全員が熱心なるカトリック者として、国家に対する責任にこのような態度で挑めば、これよりさらに良き宗教報国はあり得ぬ。我ら全員が誠に教会維持と発展に臨めば克服出来ぬ困難はあろうはずもない。
上に述べた二つの大いなる責任を実行するにおいて、本職はとりたてて新たな実践事項を指示する事はない。ただ無言服従と一致協力、この二つを極力勧奨するのみにて、これは実に悠久なる皇国2600余年の歴史が歩み、カトリック約2000年の年輪を統一させる偉大なる原理だ。国家の時局を突破すべく行政当局より指示する所は絶対に信頼し、無言服従せよ。誰よりも当局が、前後情勢とそれに対して国民が歩むべき道を最も良く知るが故に、例え若干難しく不便であろうとも、公然たる批判や恨嘆をせず一致協力して無言服従せよ。そうしてあらゆる信者は模範国民となり、あらゆる教友村達は模範部落たれ。教会の維持と発展に対しても教会長上を信頼し、その指示する所に無言服従・一致協力すべきであり、教会長上を使徒・聖ピエトロと看做して服従し、互いに一つの心・意志にて堅固に結合して行く事はキリストの真の弟子となる確実な表号である。
最後にパリ外邦伝教会と特に元司教(元亨根 ウォン・ヒョングン 当時朝鮮に布教に来ていたフランス人司教ラリボ(Larribeau)の朝鮮名 訳注)より賜った恩恵に感謝してやまず、再び目を上げて天に向かい、我が半島天主教会の守護(主保)たる無原罪懐胎(無染始胎)聖母マリアと我が福者達と殉教した先祖達の加護を祈ってやまない。

昭和17年 天主降誕1942年1月18日 京城教区教区長
平壤春川教区管理者 パウロ岡本鐵治

訳 ZED
「京郷雑誌」943号 1942年2月号より

読んでお分かりの通り、盧基南は信徒達に「忠良なる皇国臣民」として国家に「無言服従」で「宗教報国」せよ、とアジっているのである。金明秀の「日本社会の役に立つ」「朝鮮学校は日本の国益につながっている」発言と何と見事に一致する事か!

韓国において「高木正雄(朴正熙の創氏改名時の名前)」は後に大統領となり、「岡本鐵治」は後に大司教となった。金明秀は後に何になるつもりなのか。

なお、韓国の民族問題研究所と親日人名事典編纂委員会は「親日派」の概念を「日本帝国主義の国権侵奪・植民地統治・侵略戦争に積極加担する事で、我が民族または他民族に身体的・物理的・精神的被害を与えた者」としている。「我が民族」だけではなく「他民族」にも害を与えた者としている点がポイントだ。日本の侵略戦争に加担して他国に危害を加えた者も「親日派」と規定している。これが後の韓国ベトナム戦争参戦や、国連事務総長・潘基文の下でPKO派兵が繰り返されている現状に対して問い掛ける部分は大きいだろう。
日本の右翼や軍事優先主義者達がこぞって親日人名事典を攻撃して来たのは、これが韓国内の民族反逆者を裁くだけでなく、まさに自分達日本の犯罪と恥部を明らかにする行為でもあったからだ。

やなせたかしの「正義」とは功成り名遂げた金持ちの正義

やなせたかしが94歳で死んだそうだ。これは長生きし過ぎたと言って良いだろう。実際、筆者の目にやなせたかしはひどい老害作家にしか思えなかった。西原理恵子などのゴマすり取り巻きを相手に偉そうな「訓示」を垂れている姿ほど醜いものはなかったろう。この老人がエロ漫画を度々攻撃して漫画の表現規制に利するような事をしていたのは、生前の「罪」としてはっきり記憶しておかねばならない。やなせの言動には「国民的童話作家である俺様はエライ」という臭みが常に漂っており、そうした意識が「低俗なエロ漫画」への卑下や攻撃につながっていたのだと思う。

やなせのエラソーな態度がにじみ出た典型例が以下のインタビュー記事だ。

http://www.news-postseven.com/archives/20110503_18844.html
やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと

「つまり、正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない。今で喩えると、原発事故に防護服を着て立ち向かっている人々がいます。自分たちが被爆する恐れがあるのに、事故をなんとかしなくてはという想いで放射能が満ちた施設に向かっていく。あれをもって、「正義」というのです」

この記事には他にいくつも突込み所があるが、一々指摘してたらキリがないので上記発言にしぼって論じる。現実問題として今の福島原発事故処理作業員というのは、大部分が仕事がなくてやむを得ずヤクザの手配師に連れてこられたような人々だ。そこにあるのは困窮した社会の最底辺で苦労する人々が、国や電力会社やヤクザに追い打ち掛けられるように搾取されて使い捨てにされている光景だけである。あそこの作業員達が被爆しているのは食っていく為に嫌々そうせざるを得ないからで、「事故をなんとかしなくてはという想いの『正義』」などではない。食って生きるのに十分な人間が、どうしてあんなこの世の地獄へ行くものか! やなせたかしの作品世界(「世界観」にあらず)に当てはめて言うならば、福島原発でヤクザにピンハネされて低賃金で働く被爆作業員達というのは、アンパンマンに助けてもらわねばならない弱者の立場である。それを「ヒーロー」にすり替える辺りに、やなせたかしのどうしようもない思い上がりというか強者の醜悪な優越感がにじみ出ていると思う。インタビューでやなせは次のようにはっきり言っているではないか。

それに正義って、普通の人が行うものなんです。政治家みたいな偉い人や強い人だけが行うものではない。普通の人が目の前で溺れる子どもを見て思わず助けるために河に飛び込んでしまうような行為をいうのです。ただし普通の人なので、助けに行って自分が代わりに溺れ死んでしまうかも知れない。それでも助けざるを得ない。

これまた実にありがたいやなせたかし先生の「ヒーロー理論」だ。これを福島原発事故現場に当てはめると以下のようになるだろう。

政治家みたいな偉い人や強い人が行くものではない。普通の人が目の前で事故を起こしている原発を見て思わず作業現場に飛び込んでしまうような行為をいうのです。ただし普通の人なので、助けに行って自分が放射能で死んでしまうかも知れない。それでも行かざるを得ない。

やなせはあたかも「普通の人」達にあの危険な現場へ行って働けと言っているようにしか聞こえない。それでも「普通の人」達は「正義」の為に福島事故現場で働かざるを得ない、と。この理屈は1945年以前の日本人が嫌というほど叩き込まれた話だという事を我々はよく知っている。若者を神風特攻隊へ送り込む時の理屈に何とそっくりなのかと思う。戦前の日本も「政治家みたいな偉い人や強い人」とその子弟達は戦争に行かなくて良かったが、「普通の人」達は「おまえ達はお国の為に戦う英雄(英霊)になるんだ」と言われて戦場に駆り立てられて犬死した。現在でも福島原発事故に責任のある「政治家みたいな偉い人や強い人」の子弟は誰一人現場作業員として働いていないが…。
噂だが、福島原発の現場はあまりに過酷で、最近は働きたがる者も減ってきていると聞く。あまり想像したくはないが、このまま行けば将来福島の現場で働く者を強制的に狩り出す制度が出来てもおかしくはない。もちろんそうなれば、真っ先に狙われるのは社会的弱者である。やなせたかしが生前言った事は、そうした事を正当化する為に最大限利用されるだろう。「現代版カミカゼ」を正当化・奨励する為に。
原発作業員とは本来ならばヒーローに助けてもらわねばならないような弱い立場なのだ。だが、彼らを救いに来るヒーローなど現実には決して存在しない。

やなせたかしの人を見下した「功成り名遂げた金持ちの正義」は、結局のところ自身の戦争体験に起源があるのだろう。やなせも若い頃に徴兵されて中国へ行った事は広く知られている。しかし問題は、戦後に大日本帝国とあの戦争をどう受け止めたかである。上記記事ではあの戦争に対するやなせの感想を次のように書いていた。

やなせ:「アンパンマン」を創作する際の僕の強い動機が、「正義とはなにか」ということです。正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大きなことを企てる必要はありません。アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある。つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。

やなせ氏は第二次世界大戦では砲兵として中国に駐留していた。大東亜共栄圏の美名のもと「正義の闘い」だと信じていたものが、戦後、侵略戦争だと知った。「天皇陛下万歳」と叫んでいた者たちが「民主主義」に走り去っていく姿も見た。全ての正義が相対化されていくなかで、絶対的な正義とは何か考えていって、突き当たったのが飢えに苦しんだ兵隊時代の記憶だった。そこから「自分を食べさせて人を救う」ヒーローが生まれた。


後段部分はインタビュアーである記者の叙述であり、そこでやなせは日本の戦争が侵略であった事を戦後に知ったとなっている。なるほど、やなせもあの戦争が侵略戦争であった事自体は一応認めている訳だ。だがやなせたかしという男の「正義」に対する考えとは一貫して「相対化」だった。「アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある」ならば大日本帝国と天皇にも“正義”がある、という話にしかならないではないか。あれだけひどい侵略戦争と植民地支配を行なった日帝と天皇もまた「正義」で片付けるやなせたかしの言い草こそ、日帝の犠牲者に対する酷い冒涜であり、筆者のような在日朝鮮人すなわち日帝被害者の末裔には絶対に許し難い。「でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです」というならば、よその国を侵略して植民地にしたり、その為に自国の社会的底辺の人々をも兵隊に狩り出して犬死・特攻させる事はどうなのか。それこそ「立場が変わっても国が違っても「悪いこと」には変わりません。絶対的な悪」ではないのか。だが、やなせたかしはそれを決して「絶対的な悪」とは言わずに、「正義の相対化」で逃げた。歴史を直視出来ない臆病者だったのである。やなせは典型的な「戦後社会の日本人」という言い方も出来るかもしれない。

やなせたかしと一番良い比較対象は俳優の天本英世だろう。天本もまた若い頃戦争に取られた身だったが、そこで体験して感じた事はやなせとは全く正反対だった。

http://www.mammo.tv/interview/archives/no007.html
なんのために生きているのか?とたずねられたら、なんと答えますか?

自分が生まれ、一生の間にしたいことをする。それだけだ。だからスペインに住みたいとは思っています。とにかく日本人には哲学がないんだ。なんのために生きるか。生きているとは何か。教師も何を教えていいかわからない。
文部省も僕らが小さい頃と同じだ。ばかばかしいことの再生産で、「君が代」を歌えなんて言っている。僕は日本のすべての俳優を引き連れて「君が代」反対のデモをやりたいくらいだ。「君が代」なんてバカの骨頂で、僕は全然天皇制なんて認めない。昭和天皇は戦争責任者の最たる者だった。
こういうことはテレビでしゃべっても全部カットされるんだ。そうしたことがあるかぎり、日本人はいつまでたっても精神的に自立できない。天皇や天皇制について議論さえしないんだよ、日本人は。


兵隊に取られて軍隊で酷い目に遭った天本は、戦後徹底して君が代や天皇を嫌うようになった。「昭和天皇は戦争責任者の最たる者」として日帝の悪をはっきりと認識したのである。間違っても天本は「“正義”は立場によって変わる」などと寝ぼけた事は言わなかった。

日帝と天皇を「絶対的な悪」と認識した天本英世と、「アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある。“正義”は立場によって変わる」などと言って日帝と天皇の戦争犯罪を明確な悪とみなそうとしなかったやなせたかしの差は大きい。

今日本は急激な右傾化・軍拡化が進んでおり、それに対する国民の警戒心を薄れさせる大衆娯楽作品が巷にあふれている。「ガルパン」だの「艦これ」だの「名探偵コナン」だのは典型例で、これらの中には実際に自衛隊が全面協力しているものも少なくない。もちろん「ガルパン」や「艦これ」は非常に問題だが、これらよりもはるかに大きな害毒を放ち続けたのは実はやなせたかしではないかと筆者は考える。どこまでもオタク層向けに過ぎないこんな作品達よりも、アンパンマンのやなせたかしの方が比較にならない影響力を誇るのは言うまでもなかろう。

やなせたかしが94歳で死に、世間ではこれの冥福を祈る声があふれている。だが筆者はこんな男の死に間違っても冥福など祈らない。やなせたかしという「水に落ちた犬」の偽善は今こそ徹底してぶっ叩くべきなのだ。このような男があたかも「子供達に夢と希望を与え、平和を祈り、大震災の被災者に勇気を与えた」という偽善の本質を撃つべきと思う。それをありがたがってきた者も深い自己省察が必要だ。

君が代を「裏声で歌へ」というのが相応しいならば、アンパンマンのマーチは「逆再生で歌へ」というのが死後のやなせたかしには相応しいと考える。


裏声で歌へ君が代。
逆再生で歌へアンパンマンのマーチ(笑)。

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