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枝野幸男は果たして本当に「日本最高の理性」か?

枝野幸男という政治家が児童ポルノ禁止法はじめとする表現規制に反対してくれた事は広く知られています。同人誌などのオタク業界関係者の陳情にも積極的に耳を傾けてくれましたし、それに応えてよく動いてくれました。前の前の総理だった自民党の麻生太郎は漫画好きである事を公言し、秋葉原でよく演説して「オタクの味方」であるかのような幻想を振りまきましたが、実際に麻生がした事は例の「国営漫画喫茶」くらいで、漫画・アニメ・ゲームなどのオタク媒体が直面している真に重要な問題には何ら手を付けていません。それどころか麻生は様々な表現規制に対して賛成の立場を取る議員であり、実際にはどこをどう見ても「オタクの味方」などではあり得ない存在でした。麻生太郎が「オタクの味方」などというのは口先だけの幻想に過ぎません。これに比べたら枝野幸男ははるかに実効性のある行動を取ってくれた訳で、氏ならば確かに「オタクの味方」と読んで差し支えはないと思います。が、しかし…。
オタク達の声にも耳をよく傾けて表現規制に反対してくれましたし、他にもサラ金のグレーゾーン金利問題やキャノンの偽装請負問題の追及(この件は漫画の「ミナミの帝王」でもネタにされた)などで大いに活躍してそれらは大いに評価出来るのですが、だからといって枝野が政治家として全てにおいて正しいかというともちろんそんな事はありません。前に枝野は日本の朝鮮侵略を「歴史の必然」と言って後に謝罪した事があるように歴史認識の点では決して褒められたものではないでしょう。2009年の臓器移植法改正ではC案(臓器移植の場合のみ「脳死」を人の死と認める。脳死判定基準を厳格化して検証機関を設置。15歳未満からの臓器提供は出来ないという年齢制限は変えないなど)を提案したものの枝野自身は臓器移植そのものについては積極推進派であり、臓器提供可否を生前に半強制的に確認して住基ネットで管理するなどとずいぶん物騒な事も言っています。そこには「脳死者」からの臓器移植がなぜ問題なのかという根源的な問いかけを考える姿勢が全くうかがえません。そもそも「脳死」をなぜ人の「死」と決め付けてしまうのか? 人体の一部器官でしかない脳が機能停止しただけでなぜその人が「死」んだと言えるのか? 「脳死者」が治療を受けて回復した例だってたくさんあるのに、そのまだ生きている人から臓器を摘出して殺すつもりなのか? そして何よりも「脳死者」からの臓器移植では、助かるのは常に金のある者で、臓器を取られて死ぬのは貧乏人という構図でしょう。弱者・貧者を生贄にして強者・富者を助けるのが果たして医の道に適う事なのかどうかを臓器移植という医療の問題が問い掛けている訳です。臓器移植法でA案を推進した連中に比べれば枝野は幾分マシかもしれませんが、それでも彼個人の臓器移植観は決して褒められたものではありません。他にも枝野の問題点としては議員定数削減と消費税増税を打ち出している事も忘れてはいけないでしょう。テレビの討論番組で「国家公務員の労働組合が支持しているのは、大部分が共産党だ」などと言って共産党攻撃するなど、変に反共主義的な所も見え隠れしますし。韓国の李明博政権に媚を売る姜尚中じゃあるまいし、今時こんな古臭い反共主義を丸出しにするなんてねえ。
鎌やんさんは枝野の事を「日本最高の理性」とまで言い切っていますが、これはいくら何でも過大評価に過ぎるのではないでしょうか。90年代から児童ポルノ法の表現規制に反対してくれたのは確かに偉い事ですし評価すべき事ですが、それは枝野が理性的だからではなく単に変わり者だったからに過ぎないのではないか。しかしその枝野の変わり者ぶりが、表現規制問題では良い方向に作用してくれました。でも他の問題では? 政治家である以上、その政策を総合的に見て評価を下さねばならないのは当たり前の事です。そうした総合評価でも枝野を「日本最高の理性」などと言えるでしょうか。
評価出来る部分とそうでない部分を分けて考えるべきでしょう。児童ポルノ禁止法や各種表現規制に反対していく上でも、特定の政治家を盲目的に支持したり礼賛するのではなく、その方が正しいあり方ではないかと思います。
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