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思い起こせば同人誌の世界では10年以上も前に「佐藤優現象」が起こっていた

最近の日本のジャーナリズムや「論壇」で左派・リベラルとされてきた人間達がそれまでの主張を引っ込めて次々と改憲(解釈改憲含む)、排外主義、民族差別主義、北朝鮮への将来的な武力行使容認論、アメリカの対テロ戦争への賛同などになびいて総転向していく過程を金光翔氏は「佐藤優現象」と名付けました。この過程で左右双方のメディアに多く登場して左派・リベラル側の総転向現象を引き起こす触媒のごとき役割を果たした佐藤優という休職中の外務官僚にちなんでの命名ですが、この男はかの新党大地代表・鈴木宗男の子分であり、ムネオが自民党時代に「影の外務大臣」と呼ばれて権勢を誇っていた頃はその手先となって省内で偉そうにしていた事が今やすっかり忘れ去られてしまったかのようです。そんな大昔の話でもないのに。
筆者は同人誌の世界を主な活動の場としていますが、記憶をたどるとこの世界でも今から10年以上も前に実は「佐藤優現象」じみた事が起こっていたのを思い出しました。今や同人誌、というと他所の世界の人達にはエロばかりというイメージがあるかもしれません。それも決して間違いではなく、現実にとらのあなやメロンブックスといった業界大手の同人ショップの主力商品はその手のものです。しかし、日本に何十万という規模で存在する同人サークル全てが男性向けエロパロディや女性向けホモポルノばかりを出している訳ではありません。そうでないジャンルの本を出すサークルも多いのです。むしろ大手同人ショップに委託販売出来るようなサークルこそ斯界では少数派である事を知って欲しいと思います。
それで同人誌にも作品内容・傾向に様々な「ジャンル」があり、中には社会・政治風刺漫画を扱うサークル達も一定数存在します。ただしこの手のサークル達はエロ系のようにいつどこでも売れる性質の物ではないので、同人ショップで委託販売される事はまずありません(ショップ側もこの手の本は自分の所ではさほど売れないと分かっているのであまり歓迎しないし、サークル側もそれを分かっているので自ら委託を願う事はあまりない)し、参加するイベントもコミケやコミティアのように必ずしもエロ系サークルが主流ではない所が多いと言えるでしょう。ところが、同人誌の世界におけるこうした社会・政治風刺ネタサークル達というのは本当にひどい最低のジャンルと断言せざるを得ません。それというのも作品の質が良くない(絵が下手であったりネタがつまらない)事に加えて、差別ネタや人権侵害ネタが横行している事にあります。とにかくコミケやコミティアなどでこの手のサークル達が配置されたシマへ行くとひどいもので、2ちゃんねるのネット右翼の書き込みや在特会の主張とあまり変わらないような内容の「風刺ネタ本」が山のように並べられてて気分が悪くなります。
しかしながら同人誌の世界における社会・政治風刺系ジャンルというのはかつてはこれほどひどくありませんでした。個人的な見聞ではありますが1990年代前半辺りまでのこのジャンルでは部分的に差別表現があるサークルが若干はいましたが全体的に反骨・反権力的な気風が強く、天皇制批判や当時の自民党政府批判、日帝のアジア侵略批判とそれに対する補償を求める内容、薬害事件や金融不祥事などの社会悪に対する批判ネタが多くありました。一言で言えば、一昔前の日本左翼の思想のようなものがこうしたサークル達のバックボーンになっていたと言って良いでしょう。
ところがこうした社会・政治風刺系同人の傾向がある時期から変わり始めました。最初の第一歩は97年の神戸連続児童殺傷事件、いわゆる酒鬼薔薇事件辺りだったと思います。この事件では逮捕されたのが中学生の少年であった事から、当時やたらと少年法の改正や厳罰化、匿名報道撤廃などを保守・右翼系のジャーナリストや評論家が騒ぎ立て、酒鬼薔薇の弁護士を「被害者よりも加害者の人権ばかり主張する人権バカ」などと非難しました。今は亡き写真雑誌「フォーカス」が法も人権も無視して酒鬼薔薇の顔写真を掲載して大問題になったのを覚えておられる方も多いでしょう。この手の評論家や保守メディアがこの事件を少年法の改正に悪用し、現在の量刑厳罰化や時効廃止へと舵を切らせるきっかけにしたとも言えます。では、この事件の頃に社会・政治風刺系の同人ジャンルはどうだったのでしょう? それまでの傾向からすれば事件の残虐性の問題とは別に、それを人権侵害に悪用しようとする傾向には異を唱えてしかるべきと思われるはずです。ところがそうではなかった。この年に多くの風刺サークルが酒鬼薔薇事件をネタにしたのですが、それらのほとんどは大手マスコミの報道と変わらず「少年法改正もやむなし」「くたばれ人権バカ」「犯人の少年は死んで詫びろ」といった本ばかりだったのです。当時は今のようにインターネットがまだ普及してない頃でしたが、今で言えば2ちゃんねる辺りで書き散らされる暴言の類を彼らはそのまま同人誌にして即売会で売っていたのです。以前まではそうした傾向に異を唱えて人権にも擁護的なネタを扱っていた連中が、この事件をきっかけに180度考えを変えてしまったかのようでした。それ以降同人誌の世界での社会・政治風刺ジャンルでは差別ネタや人権侵害ネタがあたかも「解禁」されたかのように横行する事になります。
第2波は北朝鮮問題です。酒鬼薔薇事件と同じ97年辺りから北朝鮮では自然災害で食糧危機が発生した事と、アメリカとの軍事的緊張が高まってミサイル実験を行った事から、日本でもそれまでさほど大きく取り上げられる事のなかった北朝鮮との関係が「北朝鮮問題」としてやたら針小棒大に騒がれるようになりました。同時に北朝鮮の国情についても虚実問わず無駄な情報ばかりが報道され、ロクな調査・取材もせずに「餓死者がそこら中に転がっている軍事国家」というイメージばかりが垂れ流されるようになります。あれから10数年が過ぎた今でも多分自民党の議員はもちろん民主党の閣僚の多くも北朝鮮をそういう国としか思っていないでしょう。「北朝鮮は国民を洗脳している」と言いながら自分達が一昔前のマスコミの報道に洗脳されたまま現状がどうなのかを全く考えずに思考停止していれば世話ありません。で、90年代後半の北朝鮮問題をきっかけに同人誌の政治・風刺ジャンルでもそうしたネタが「解禁」されて北朝鮮ネタの同人誌が多く出されるようになります。ところがその手の同人誌の内容がどういうものであったかというと、まず金正日を滑稽な独裁者と揶揄するネタです。それはまあ分からなくもありません(もっともこの手の同人サークル達は北朝鮮の金正日は批判しても、なぜか他の国の独裁者をほとんど批判しない、あるいは書いてもここまでひどい書き方をしないのが不思議な所です)。問題なのは当時飢饉に苦しんだ北朝鮮国民をも軽蔑と差別に満ちた視線でバカにしたネタを書き散らしていたという事です。中には以下のようなものもありました。
 
「クイズ:北朝鮮の国民が今後腹いっぱい食べられるようになるのは何?
1)米 2)肉(何の肉かは聞かない方がいい)」
 
要するに「北朝鮮の国民は飢饉で人肉を腹一杯食べられるようになった」という事を暗喩してバカにしている訳です。同人誌と関わりのない「カタギ」の方には信じられないかもしれませんが、これはこのジャンルでは最も売れていて有名な「カダフィ企画」というサークルが本当にやったネタの一つです。このカダフィ企画というサークルは酒鬼薔薇事件の時にもこの手の人権侵害ネタを連発し、挙句の果てには「フォーカス」に掲載された酒鬼薔薇本人の顔写真を入手しに国会図書館や大宅壮一文庫まで行ってコピーしようとしました。が、該当する号の「フォーカス」は当時国会図書館では閲覧禁止になっており、大宅文庫では顔写真を削除して記事のコピーをしていたのです。法的にも人権的な観点から見ても、また当時におけるマスコミの限度を越えた過熱報道ぶりを考えてもそれは当然の処置だったでしょう。ところがカダフィ企画はこれらを「検閲だ、言論弾圧だ」と騒ぎ立てる始末でした。国会図書館や大宅文庫がそうした処置をとったのはまさにこうしたタチの悪い出歯亀対策から行った常識的な行動ですが、いみじくもカダフィ企画の愚かな行動がそれを身を以って証明してくれたと言えます。他にもこのサークルはエイズ患者の事を偏見丸出しで差別嘲笑する替え歌の本を出したり(後に薬害エイズが大きく騒がれるようになってから謝罪文を載せた)、何か殺人事件があると「容疑者」の段階にも関わらずその人物を犯人扱いして猛攻撃する本を出す(ネタにされた事件には仙台の筋弛緩剤点滴事件など冤罪の疑いが濃い事件も多い)など一般の商業マスコミよりひどいネタを連発する札付きの所です。このサークルには驚いた事にホームページもあって検索すればすぐに見つかりますが、まあ見ない方が精神衛生上よろしいでしょう。上記のような差別・人権侵害ネタをネット上でも繰り広げているので、仮に覗く場合はその事を知った上で見るべきです。
しかしながら差別・人権侵害ネタをやりだしたのはカダフィ企画だけではありません。同じジャンルの他のサークル達も一斉にそうしたネタを90年代後半から平然とやるようになり、まさに同人誌界の社会・政治風刺ジャンルの総転向が酒鬼薔薇事件や北朝鮮問題を契機にしてこの時期に起こった訳です。それ以前は日帝植民地支配に対する謝罪や補償の実行を求めるネタを書いていたサークルが、その頃から急にそうした主張を引っ込めて北朝鮮攻撃や朝鮮・韓国人に対する差別ネタを書き散らすようになる。それこそ今で言うところの嫌韓流や在特会のような主張を90年代後半から言い立て始めた訳で、こうしたサークル達はまさに嫌韓流や在特会の走りというか下地だったのです。筆者は当時こうしたサークル達の豹変ぶりが本当に信じられませんでしたが、今にして思うとあれは「佐藤優現象」の同人誌版のようなものだったのかもしれません。
ところがこうしたサークルに対する批判というのは同人誌の世界ではなされた事がありません。それどころかカダフィ企画をはじめとするこの手のサークル達というのは「同人界でも有数の鋭い風刺をする反骨のサークル」というのが同人誌の世界での共通認識となってしまっているのです。確かにこれらサークルは90年代前半まではそうしたネタを多く書いていましたし(ただしカダフィ企画に関しては90年代前半以前から差別・人権侵害ネタを散々やっていた)、現在でも時々ですが権力や社会悪を批判するネタを行う事もあります。しかしそれらはあくまで過去の業績か現在では一時の気まぐれに過ぎません。現在の彼らがメインに取り扱っているのはほとんどが差別・人権侵害ネタばかりです。彼らがたまに思い出したかのように反権力を気取ったからといってそれがそういったサークルの本質などという事はあり得ないでしょう。まさに「週刊金曜日」や「世界」を良心的な左派メディアと思い込んでしまっている読者と何の違いもありません。
現在の社会・政治風刺ジャンルをメインに扱う同人サークルでまともな所はほとんどないと言って良いでしょう。このジャンルは今や同人誌の世界でも最低の吹き溜まりと化した感があります。
 
同人誌で作品を発表する動機というのは人それぞれでしょう。が、多くの同人サークルで最大公約数的に最も大きな理由となるのは「商業媒体で出来ない事をやる」という事につきると思います。商業メディアでは様々な理由や制約からやれない事をやる。世間一般に知られていない情報を知らしめたりタブーに挑むという事もそれに該当します。実際にそうした活動を地道に続けて貴重な作品や資料を残したサークルは多く、そうした同人誌を商業出版社が内部で実はこっそりと参考資料にしていたり、そうした本の制作者や漫画家を商業誌が三顧の礼で迎え入れて執筆を依頼するような事も珍しくありません。特に特撮や時代劇の作品研究を行っているサークルにはそうした優れた研究本が多数存在しますし、ビデオゲームの業界ではゲームメーカーにタブーが多くそれら大手企業が商業ゲーム雑誌の報道・発表を厳しく統制して来た為、在野の同人達による調査研究なしには過去の歴史が何も現在まで伝わらなかったと言っても良い程です。それらこそがまさに同人活動の真髄というものでありましょう。
ですが一方で「商業でやれない事をやる」という事の意味を完全に取り違えている者も少なくありません。上述した社会・政治風刺系同人サークル達というのはまさにその典型で、差別・人権侵害ネタを何のためらいもなくやる事を彼らは「商業ではやれない事」「タブーへの挑戦」と思い込んでしまっているのでしょう。そんなものは「タブーへの挑戦」でも何でもない。ただの常識知らずによる弱いものいじめです。言って良い事と悪い事の区別という当たり前の社会的常識すらわきまえないアホが、ほんの時々社会悪を批判して反骨を気取っているに過ぎません。
社会を風刺するという事はすなわち社会の姿を鏡に映し出してみせる事です。そこには社会の邪悪な部分や醜い部分も映るでしょう。それを懲らしめ、社会が正しい方向へ向く一助とする事が古来から変わらぬ風刺作品の真髄です。しかし日本の同人誌の世界における社会・政治風刺というのは今や完全にそれから逸脱した歪で醜悪な代物でしかありません。彼らは社会や政治の姿を映し出す前に、己の醜い顔を鏡で見て出直してくるべきなのです。
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