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日本のシオニストと東アジア共同体

明治時代の美術評論家・岡倉天心を「日本のシオニスト」と称したのは鄭敬謨氏ですが、なぜ鄭氏は岡倉の事をそのように言ったのでしょうか。
「シオニズム」とはユダヤ国家イスラエルの建国運動ですが、その論拠を簡単に言うと古代パレスチナはユダヤ人の土地だった、だからその「約束の地」にユダヤ人国家を作るのだ、というものです。そしてこのシオニズムを主張・推進する者がシオニストと呼ばれます。
ですが、ちょっと考えれば分かる通り、そんな3500年も前の話を持ち出して「そこは自分の土地だ」などというのは荒唐無稽なトンデモ以外の何者でもありません。そんなカビが生えるどころか化石と化したようなおとぎ話を根拠にして他人の土地を奪い、抵抗する者を虐殺しているのがイスラエルという国であり、それを支持しているのがシオニストな訳です(さらに言うならそれを熱心に支持・正当化している日本人が鈴木宗男と佐藤優の親分子分コンビに他なりません)。
では岡倉天心はどうだったのでしょう。この男は1904年(明治37)11月に「日本の覚醒 The Awakening of Japan」という、今ではタイトルを見ただけでいかにも石原慎太郎か平沼赳夫的悪臭が漂ってきそうな題名の本をアメリカで出しているのですが、その中でこんな事を言っています。
「朝鮮半島は、有史以前を通じ日本の元来の植民地になっていたことが恐らく考えられる。朝鮮における考古学的遺跡は、わが国の原始的古墳類と正確に同じものである。朝鮮の言語は今日でもあらゆるアジア言語のうち、我々の言語にもっとも近い。わが国の最古の伝説は、わが天照大神の弟は朝鮮に定住したと伝えている。そして彼の国の初代国王檀君は、ある歴史家の考えによればその子息であったという」
さらに「東洋の理想」という本ではイスラム、儒教、インド哲学、日本的思考が同じ民族圏に該当し、「しかしながら、この複雑の中なる統一を特に明白に実現することは日本の偉大なる特権であった」としてその根拠は万世一系の皇室がおわすからだと言うのです。
これらを要約すると「古代朝鮮は日本の植民地だった」「朝鮮の文化は日本から伝わった」「朝鮮の建国者は日本の神の息子だった」「アジアを統一するのは万世一系の皇室がおわす日本の特権」…。どこに出しても恥ずかしくない立派な大東亜共栄圏・八紘一宇・皇国史観とはまさにこの事でしょう。
鄭敬謨氏が岡倉天心の事を「日本のシオニスト」と呼んだ訳がこれでお分かりでしょう。シオニストは「3500年前にパレスチナはユダヤ人の土地だった」と言い、岡倉天心は「古代朝鮮は日本の領土・植民地だった」と言ってどちらも残虐な侵略を正当化・推進しました。両者はまるっきり言ってる事が違いません。
岡倉天心のこれら著作は英語で書かれましたが、それは日本のアジア侵略正当化を欧米に広く認知させる為であったのです。
こうした嘘デタラメや根拠薄弱な戯言で他国・他民族への侵略を正当化するという点で、大日本帝国のアジア侵略思想とシオニズムの論拠は何とそっくりなのでしょうか。やはり歴史のトンデモ説の一つとして「日本・ユダヤ同祖論」というのがありますが、シオニズムと大日本帝国の類似性を見るとそれも案外正しいのではないかとさえ思えてきます。
 
何で急に岡倉天心の事を持ち出すかというと、例の「東アジア共同体」を推し進める人間達の中で岡倉を賞賛する動きがあるという事を最近知ったからでした。
m_debugger氏が新しい記事で「自衛隊を丸腰で紛争地域に派遣すれば世界平和になる」という珍妙な教義を布教して回っている伊勢崎教授(教祖?)の事を俎上に乗せていますが、そこにあった雑誌「環」のバックナンバーでは「東アジア共同体と岡倉天心」という特集が組まれています。これは2年前の記事ですが、調べてみると今でも岡倉天心を持ち上げて東アジア共同体推進の論拠にしようとしている者が散見されました。で、その手の天心賞賛論で決まって語られる(騙られる?)のが「岡倉天心の意思は歪めて伝えられた」「岡倉天心は利用されただけだ」「岡倉天心はアジアに共感を持ち続けた」「虐げられている一点において「アジアは一つ」であると言ったのであって、大東亜共栄圏思想とイコールではない」という擁護・賛美論です。さもなければ歯の浮くような根拠ゼロの賛辞でひたすらべた褒めする。例えばこことかこことかこことかこことか…。これらの中で岡倉の朝鮮に対する侮蔑や歴史の捏造・歪曲・皇国史観について触れているものはどれ一つとしてありません。まあ当然でしょう。そのような岡倉の本性を書いてしまったらさすがに擁護しようがなくなるのですから。岡倉天心賞賛論というのはこの男の朝鮮・アジア侵略思想を完全に無視する事でのみ成り立っています。ひょっとしたら岡倉天心賛美・擁護論者達が言っているのは現実の岡倉天心に非ず、彼らの妄想世界の中にのみ生息する「脳内岡倉天心」なのかもしれません。そんな得体の知れない代物が東アジア共同体の論拠の一つなのです。

東アジア共同体の何が問題なのかというと、これが一見すると平和的な友好近隣関係に見えて、実はアジア版NATOとも言うべき軍事同盟関係にあるという事です。これが成立すれば日本は今以上にアメリカの対テロ戦争への協力を強め、共同体に組み込まれるであろう他のアジア諸国もその泥沼に道連れにされる事だけは間違いないでしょう。

岡倉天心というどこに出しても恥ずかしくない立派なアジア侵略主義者を、アジア平和・友好論者であるかのように捏造・歪曲し、それを以って軍事同盟たる東アジア共同体を平和的な関係であるかのように歪曲する…。何もかも一から十まで全て嘘とデタラメで塗り固められているのが、岡倉天心を利用した東アジア共同体推進論に他ならないのです。
しかし彼らがいかにイカサマじみた事を言おうと、そんなものは内輪の日本人かそれに媚びて協力する「親日派」朝鮮人にしか通用しないでしょう。朝鮮半島本国の民衆の間では、今でも岡倉天心は新渡戸稲造、福沢諭吉、伊藤博文、西郷隆盛、原敬らと同様の侵略論者・侵略主義者として認知されているからです。
参考までに以下に二つの朝鮮語記事を紹介しておきましょう。鄭敬謨氏が岡倉天心&新渡戸稲造の朝鮮侵略思想について述べたもの
と、東アジア共同体をどう思うか述べた文章です。
記事のアドレスは上記の通りですが、元は以前にハンギョレ新聞へ掲載された記事のようです。以下に筆者が訳した日本語訳文を掲載しますが、朝鮮語の読める方はぜひリンク先の原文でも読んで欲しいと思います。無断での翻訳掲載となりますが、鄭敬謨氏は御自身のブログ更新が遅いので韓国で発表された文を勝手に訳して掲載させてもらう事にしました。まあ笑って許してくれるでしょう(笑)。
なお鄭敬謨氏の一連の連載記事を原文でお読みになりたい方は以下のリンク先を御参照下さい。
 
 
日本人達の「偶像」に米国大統領も熱狂
鄭敬謨―漢江も流れ、多摩川も流れて81
 
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「今日の日本人達が明治時代の先覚者として崇拝する人物である岡倉天心(左)と旧5000円札紙幣に描かれていた新渡戸稲造(右)の肖像。二人の英文書籍は西洋人達に日本民族の優秀性と韓国人に対する偏見を植え付けるのに巨大な影響を与えた」
 
日本人達が崇仰の対象としている明治時代の「先覚者」の中でも外せない人物が岡倉天心(1862~1913)だが、この人物は日本の伝統的美術のみならず、西洋とは違う日本的な東洋思想を流麗な英文で広く外国人達に紹介したという点で、特に尊敬と崇慕を受けている。岡倉が残した英文の著書の中でも「茶の本」「東洋の理想」「日本の覚醒」は言うなれば古典として、高校生にまでほぼ必読書として推薦されている本だが、この中で私が問題にしようとしているのは1904年露日戦争前夜に米国で出版された「日本の覚醒」だ。この本で著者は日本と朝鮮の関係を次のように説明している。
 
「朝鮮の始祖・壇君は、日本の始祖・天照の弟スサノオの息子であるばかりか、朝鮮は日本の第14代天皇仲哀の皇后・神功が征伐軍を派遣して三韓の地を征服した3世紀以後8世紀に至る500年間、日本の支配下にある固有の属州(original province)であった。従って日本が露日戦争で勝利して朝鮮を植民地に再支配したとしても、それは侵略ではなく歴史的現状復帰に過ぎない」
 
歴史に対するこのような「該博」な知識に基づいて、美術の大家でもある岡倉は次のような事も言っている。
 
「朝鮮の古墳から出る出土品達が日本古墳の出土品と双子のように似ている事だけを見ても、日本が太古からすでに朝鮮を支配していたという事は明白な事実ではないか」
 
これは偽史にすら非ざる、根拠のない言葉遊びに過ぎないようだが、日本が朝鮮を支配するのが歴史の必然という思考を大統領以下米国政府の首脳部の頭の中へ植え付けるのには、十分な論理であったのだ
 
もう一人、明治時代の先覚者として今日まで崇仰を受ける偶像が新渡戸稲造だが、この人物もやはり流暢な英文で書かれた「武士道」(Bushido)という本を1905年に米国で出版し、洛陽ならぬ華城(ワシントン)の紙価を高めた日本の知識人である。新渡戸の本は、日本人がどれだけ高邁で勇敢な武士道(侍)精神を受け継いだ優秀な民族かを説得力ある文章で叙述した本であり、その時まさに露日戦争に突入した日本に対して好意的な世論を喚起するのに決定的な寄与をしたという点において、今日を生きる我ら歴史家達にも一読を勧めたい文献である。この本には朝鮮民族に対して侮蔑的に言及した部分はない。だが新渡戸は、その後ろ盾の一人が伊藤博文であり、統監府の嘱託として朝鮮各地を踏査した後に次のような報告書を提出した。
 
「朝鮮人はその風貌から見ても生活状態から見ても到底20世紀の人種とは見えぬ程原始的であり、民族としての生存期限は終わったようだ。今朝鮮半島に垂れ下がるのは死の影である」(雑誌「三千里」334号)
 
当時の米国大統領セオドア・ルーズベルトは新渡戸の著書に魅惑された余り数十冊もその本を購入して閣僚はもちろん政府各部署の官僚達に読むよう配布したという事実も記録に残っているが、いかに大統領ルーズベルトの頭の中に「驚くべきマーシャルスピリッツ(武士道精神)で武装した優秀な日本民族」という概念と、「己の防衛の為に指一つ動かせぬアホウドリのような朝鮮民族」という概念が同時進行的に浸透していくのに岡倉と新渡戸の影響力がどれだけ大きかったか、この二人の影響が国家利益にどれだけ至大なる貢献を果たしたかは想像に余りあり、何故今日まで日本人がこの二人を偶像のように崇拝しているかも理解出来る事ではあるまいか。
 
米国の積極的な支援の下に日本がロシアを破って勝利を得た渦中で、1905年9月ポーツマス条約締結を数日後に控えたある日、ルーズベルト大統領は日本代表団の一員である金子賢太郎を白亜館(ホワイトハウス)に招いて昼食を共にする場で次のような言質を与えたのだった。
 
「カリブ海沿岸地域であるキューバを米国が支配するように、黄海沿岸地域である朝鮮を日本が支配するのは当然であると米国は認定する」
 
 
 
西洋国家の振りをしてきた日本の「政体混乱」
鄭敬謨―漢江も流れ、多摩川も流れて138
 
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「日本の代表的批判思想家・子安宣邦大阪大名誉教授(右)は2006年5月、韓国学中央研究員招請「碩学招請講座」で福沢諭吉(左)を筆頭とする日本ナショナリズムの帝国主義的属性を批判した。明治時代の啓蒙思想家である福沢は「脱亜入欧論」を主張して帝国主義化を扇動した「論乱の人物」である」
 
私が思索し、行動してきた場が日本であったからこそ、絶対に一言だけ日本に対して言っておかねばならない事を言ってこの長々とした連載を終えようと思うが、それは最近日本で飽きもせず話題となっている「東アジア共同体」に関する私の見解である。
 
この連載の一番最初の部分で、1951年の米日講和条約を推進した米国大統領特使ダレスが言ったという言葉を引用した事があったではないか。「米国は、日本人が中国人や朝鮮人に対して抱いている民族的優越感を十分利用する必要がある」
 
この言葉は決してダレス個人の妄言ではなく、米国が行って来た極東政策の根幹を成す基本的発想であったのだ。私の旧友であるガボン・マコーマック教授の言葉を借りれば「戦後から米国は日本の特異性と、他アジア諸国とは根本的に違うという点を強調し、日本をしてその他アジア国家との関係を疎遠にさせる事で、米国により依存させるようにするという事を基本目標にしてきた」という事である(「従属国家日本」)
 
これに呼応するごとく「日本はその他アジア国家とは格が違い、東洋というよりはむしろ西洋に近い国だという事」を主張する論文も出て、日本人の優越感を正当化しようとした例もあるのだ。
 
「日本はヨーロッパと歴史発展の様相が共通的であり、フランク王国カロリング朝廷にあった武士道の正統を発展させたという点で、日本は西洋文化圏に属する国だ。近代化だけをとって見ても日本だからこそ可能であり、日本以外のアジアの国では不可能な事ではあるまいか」
 
これは京都学派の梅棹忠夫教授の主張だが(「文明の生態史観」)、日本はこのような「名誉白人国家」になりすます事で矜持と国家政体を維持してきたのだ。もちろんこのような風潮は明治時代に遡るものであり、これを強調するのに先陣を切ったのは慶応大学創設者たる福沢諭吉であり、彼の「脱亜入欧論」は日本がアジアから抜け出してヨーロッパに入り、彼らと肩を並べねばならないという主張である。清日・露日戦争で勝利を得たという点で、この主張は当時としては有効なものであった。だが最近、急速度で米国の力が衰退する過程において、経済的・軍事的に米国一辺倒の依存に疑懼(ぎく)の念を抱くようになった日本人達が、如才なく逆に「脱欧入亜」へと方向転換せねばならぬという悩みを抱きつつ「東アジア共同体論」が再三浮かび上がったのだ。
 
だが万一、日本が真にアジア復帰を試図するのならば最も大きな障害は、我が朝鮮民族に対する彼らの歪んだ歴史認識であると私は確信している。日本の歴史学者・子安宣邦教授(大阪大)の持論通りであるならば「日本は朝鮮半島と関連する歴史を隠蔽する事で、独自の起源を持った国という歴史認識を形成してきており、その結果朝鮮に対する支配権を手にする目的で日清・日露戦争を行った」という事だ。(「日本ナショナリズムの解読」)
 
子安教授の見解は私が前文で紹介した皇国史観、即ち日本は歴史的縁故権がある為に朝鮮半島に対する支配権を行使せねばならないという主張(117号)を別の言葉で表現したものだが、子安教授といえども「日本が隠蔽している朝鮮半島との歴史」が具体的に何かは指摘していない。それは言うまでもなく沸流百済の子孫が西暦396年に朝鮮の地から日本に渡って応神天皇になった事で、日本の皇室と国家自体の起源を成したという簡単な歴史なのだが(116号)、これを指摘する日本の学者はまだ現れてはいないのだ。
 
現在日本人達は自分達が西洋人なのかといえばそれは違い、まただからといって完全な東洋人でもなく日和見しながらも、潜在意識というか自国皇室が朝鮮の地を捨てて海を渡った百済人であったという古代史のおぼろげな記憶の為に、縁故権意識に対する執着を捨てられずにいる「政体危機」の中で苦悶している国民と言えるが、これは「精神分裂症(スキゾフレニック)」と言っても過言ではない一種の疾患であり、むしろ日本人達の為にも我が韓国人達が出でて精神科医の役をせねばならないのではと思わない事もない。日本がこの精神的疾患から抜け出せない限り、アジア復帰も難しいばかりか、「東アジア共同体」のようなものも容易ではないというのが私の判断である。
 
鄭敬謨 在日統一運動家

訳 ZED
 
 
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