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北朝鮮の国民が困窮してるのを一番喜んでるのは石丸次郎自身ではないのか その03

では彼らはこの「あり方会見」で何を訴えたのでしょうか。彼らの提言は以下の通りです。
(強調部分は引用者による)
 
北朝鮮報道をめぐる「メディアへの提言」

(1)日朝首脳会談が開かれ拉致被害者5人が帰国したいま、朝鮮半島への関心はかつてないほど高まっています。これは日本と朝鮮半島の過去、現在、未来を考える絶好の機会です。
メディアは、もっと多様な見方、複眼的な見方を提示すべきである。また、日本と朝鮮半島の関係への歴史的視点を踏まえた報道や解説を流すことも必要です。

(2)北朝鮮報道における論調はもちろん自由でなければなりません。北朝鮮に対しても、そのほかのどんな対象に対しても、報道は基本的に自由でなければなりません。
しかし、メディアは、報道が日本社会に住むおよそ百万人の在日韓・朝鮮人(註:原文ママ)に対する民族差別や排外意識を助長しないように充分に配慮すべきです。また、在日韓・朝鮮人への嫌がらせや暴力被害の実態を報道し、防止を訴えるべきです。

(3)
北朝鮮は入国が困難で、自由な取材が許されない情報鎖国の体制下にあり、さまざまな事実の確認は容易ではありません。
メディアは読者や視聴者に対して、報道する内容が確認された事実なのか、当局の発表なのか、報道する側の推測なのかを明示すべきです。コメントを発する識者や関係者に対しても、発言の根拠を確認すべきです。資料映像については、出所や撮影時期を明示すべきです。

(4)
現地取材をはじめ、北朝鮮当局に許可を求める報道は、その政治宣伝に利用される恐れがあります。
北朝鮮のコントロール下で取材が行われる場合、メディアは報道が実現するまでの経緯、映像や質問に関する制限の有無などを、読者や視聴者に明らかにすべきです。

(5)最近の報道には、帰国した拉致被害者五人の日々の動向を興味本位に報じてよしとするものが目立ちます。また、拉致被害者やその家族の問題だけをクローズアップするあまり、内容が画一的になっていたり、いたずらに感情的な側面ばかりを強調する表現が目立ちます。
メディアは、被害者やその家族の人権やプライバシーに十分配慮しなければなりません。真摯な姿勢で拉致問題の望ましい解決を目指す報道をするべきです。また、感情に流されない冷静で正確な報道を心がけるべきです。

(6)最近の報道には、記者や制作者・出演者の朝鮮半島問題への知識や理解の浅さを感じさせるものがあります。
メディアは、朝鮮半島問題への理解を一層深める必要があります。とくにテレビは、朝鮮語のできる専門職を配置するべきです。

(7)日本における北朝鮮報道と国際社会における北朝鮮報道は、かなり様相が異なっています。両者が異なることは当然ですが、北朝鮮も日本もアジアの中、そして国際社会の中で生きる存在であり、その将来は国際社会の論調や世論に大きく影響されます。
メディアは、北朝鮮問題に対する国際社会の見方も、国内の見方と同様にバランスよく報道すべきです。
 
この「提言」で肝とも言うべき特に重要なポイントは(3)と(4)であり、他の項目は事実上おまけのようなものと言って差支えがないと思います。
「北朝鮮は入国が困難で、自由な取材が許されない情報鎖国の体制下にあり、さまざまな事実の確認は容易ではありません」
「現地取材をはじめ、北朝鮮当局に許可を求める報道は、その政治宣伝に利用される恐れがあります」
という言い方は要するに「北朝鮮の言う事は信用出来ない、もしくは信用するな」と言ってるに等しいでしょう。この時の2002年にはすでに「拉致問題フィーバー」によって北朝鮮本国はもちろん、総連組織や在日朝鮮人社会に対するバッシングが特にひどかった時期です。朝鮮学校に通う生徒達への暴力行為があったのは周知の通り。何よりもこの時期に「北朝鮮は信用出来ない」という事を率先して言いふらしていたのは拉致問題関係者やマスコミに加えて、日本政府そのものだったではありませんか。それらと同じ事をこの会見では言っていた訳です。そしてこれは明らかに(2)の「北朝鮮報道における論調はもちろん自由でなければなりません。北朝鮮に対しても、そのほかのどんな対象に対しても、報道は基本的に自由でなければなりません」というメッセージと矛盾します。北朝鮮バッシング報道に異を唱えるはずの会見で、なぜ従来のバッシング報道と同じようなスタンスの事を繰り返したのか。本当に「北朝鮮報道における論調」が「基本的に自由でなければな」らないのなら、北朝鮮側の言い分にも耳を傾ける必要があるでしょう。むしろ日本での常軌を逸したバッシング報道を考えれば、北朝鮮を擁護したり、北朝鮮当局の言い分(それこそあからさまな「政治宣伝」と思われる発表であっても)を偏見なくそのまま伝えてどうにかバランスが取れるくらいです。そうした北朝鮮擁護の論陣が張られて本来なら当然ですし、そうした報道や論調も「自由でなければなりません」。ところがこの「提言」の(3)と(4)では北朝鮮を「情報鎖国」で「政治宣伝に利用される恐れがあ」るから信用出来ないとばっさり切り捨てて、相手の話を聞く意思ゼロではありませんか。それでどうして「自由」な北朝鮮報道が出来るのでしょう。
朝日間の外交交渉の場だけに限定して考えても、本当に北朝鮮側だけが一方的に悪かったのでしょうか。日本側に非は全くない無謬だとでも言うのでしょうか? 拉致被害者は当初一時帰国の約束だったのに、それを日本側の安倍晋三や中山恭子、川口順子らが一方的に破ったという事はずっと言われて来た訳です。そうした事は北朝鮮側の言い分にも耳を傾けなければ調査報道の入口にすら立てません。ところがこの提言では北朝鮮の言う事は信用出来ないと言うのですから。この連中は北朝鮮の「政治宣伝に利用」されるなと言っておきながら、自分達は日本側の「政治宣伝に利用」されている(あるいは確信犯で積極的に加担)ではありませんか。
どんな国でも当局発表というのは自国政府に有利な何らかのバイアスが掛けられていて当然です。アメリカがイラクやアフガニスタンでの民間人無差別虐殺行為を当局発表で認めるはずがないのと同じ事です。これだって立派な情報統制であり、「政治宣伝」でしょう。しかし日本の多くの報道機関はそれを10年近くに渡ってそのまま垂れ流し続けてきました。なのになぜ北朝鮮だけは? 北朝鮮の当局発表はバイアスが掛かっていて信用出来ないが、日本やアメリカの当局発表は一点の嘘偽りもない公正な真実だとでも言いたいのでしょうか。
 
この「あり方会見」の他の項目でいかに
「もっと多様な見方、複眼的な見方を提示すべきである。また、日本と朝鮮半島の関係への歴史的視点を踏まえた報道や解説を流すことも必要です」
「報道が日本社会に住むおよそ百万人の在日韓・朝鮮人に対する民族差別や排外意識を助長しないように充分に配慮すべきです。また、在日韓・朝鮮人への嫌がらせや暴力被害の実態を報道し、防止を訴えるべきです」
「真摯な姿勢で拉致問題の望ましい解決を目指す報道をするべきです。また、感情に流されない冷静で正確な報道を心がけるべきです」
「メディアは、朝鮮半島問題への理解を一層深める必要があります」
「メディアは、北朝鮮問題に対する国際社会の見方も、国内の見方と同様にバランスよく報道すべきです」
などという美辞麗句を並べ立てた所で、同時に(3)と(4)では肝心の相手である北朝鮮を全く信用出来ない、信用するなと強調しているのですから、これによって他の項目にある耳障りの良い提言が全て何の意味もない空証文と化してしまうのは明白でしょう。相手の言い分をまともに聞く必要はないと言っているのですから。(3)と(4)の二つが入る事で他の提言内容の全てが台無しになるよう仕組まれている。完全にイカサマそのものとしか言いようがありません。
そして「あり方会見」の参加者の中で最も北朝鮮を信用していない、はっきり言えば敵視しているのが石高&石丸の「ダブル石コンビ」である事は明白でしょう。この提言の文面というのは石高&石丸の意思が最も強く反映されたものである事に疑いの余地はありません(実際彼らは上記の提言内容を何一つ実践していない。(3)(4)の「情報鎖国」だの「政治宣伝に利用される」なという理屈以外は)。
他の「善意」(?)の参加者達(同時開催された在日側の会見出席者も含む)はこの二人に好いように利用されて、こんな茶番劇の片棒を担がされたのです。あるいは分かっていながら加担した確信犯であったかもしれません。この提言の隠された本質がどうであれ、「北朝鮮報道のあり方を考える」だの「民族差別や排外意識を助長しないように」などというキレイ言を表看板に掲げた会見に参加しさえすれば「自分は在日の事を考えており、他の報道機関や差別主義者とは違う」という自尊心を満足させられるし、「良識派」の仮面を被っていられるのですから。何しろ特に激しく北朝鮮バッシング報道を実践してきた石高&石丸の二人がこうした会見を行う事自体があまりにも想像を絶した話でしょう。彼らが北朝鮮を攻撃する事で右翼・レイシストを調子付かせ、在日朝鮮人への差別的暴力的攻撃材料を与えてきました。誰よりも率先して「民族差別や排外意識を助長」あるいはそれを補助・幇助してきたのは他ならぬ石高&石丸でしょう。彼らは今でも拉致問題関係の極右団体と親しく交際して協力し、その集会などにも積極的に講師として出ているのですから、「あり方会見」で自分達が言った提言が空証文であった事を後に自ら証明してみせてもいる訳です。まさにこの二人にとって2002年の「あり方会見」とは、自分達がその他のレイシストと同一視されない為に言い訳・弁明して「良識派」を偽装する為の機会でしかなかったのです。これを「マッチポンプ」「往復ビンタ商法」「総会屋流」と言わずして何と呼ぶのでしょう。
今でも石丸次郎を「北朝鮮現地を何度も取材している、その道の第一人者」(実際には北朝鮮から出入禁止にされているので自分では現地取材など全く出来ず、朝中国境地帯をストーキングするくらいで、脱北者にゼニを渡して適当な写真を取り寄せているだけ)扱いして起用するメディアが少なくありません。左派・リベラル系雑誌などでは北朝鮮批判論者でも極右レイシズム・排外主義丸出しな在特会レベルの人間はさすがに使い難いですが、石丸なら「民族差別や排外意識を助長しないように」という事も言っている良心的な北朝鮮批判者(?)なので起用し易い、という事なのでしょう。週刊金曜日の2002.09.17号では石丸次郎が例によって「困窮している北朝鮮現地人の写真」を引き合いに出して10年前と一向に進歩のない北朝鮮非難の記事を載せていましたが、あの記事が載ったのもそうした経緯があったのだと思います(サンデー毎日も多分同様)。石丸は北朝鮮の金正日政権は変化がないと度々文句をつけますが、変わってないのはあんたでしょ。この男の北朝鮮批判の言い草は10年前と何ら変化がありません。その間に北朝鮮という国の内外情勢がどれだけ激変したか筆者のような素人でさえ日本に居ながらにして知っているのに、国境地帯にまで行って取材し、大金を握らせたエージェントを潜入させておいてそれに気付かないなら、さっさとジャーナリストの看板を外した方が良いと思います。
一応「護憲派」だからという事で佐藤優を起用するのと同じような構図でしょう。しかしながら「あり方会見」の提言内容を見ても分かる通り、石丸は自分の本音や日頃の「悪行」をうまくカムフラージュして「良識派」ヅラする事にある程度成功している悪質な知能犯であり、そういう意味では知性の欠片も無い単純馬鹿の集団である在特会以上に危険かつ犯罪度が高い輩です。
左派・リベラル系の媒体は、ちょっと在日朝鮮人擁護をしたから、「護憲派」だから、弱者に優しい(?)からという理由だけで石丸次郎や佐藤優や鈴木宗男のような類の人間を軽々しく起用していますが、それがどれだけ社会に悪影響を及ぼすかをまるで考えていません。それ以前にあの手の人間達の「政治宣伝」に簡単に利用されるお人好しのアホウぶりに自ら気付かない所が滑稽過ぎます。
(この項続く)
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北朝鮮の国民が困窮してるのを一番喜んでるのは石丸次郎自身ではないのか その02

大体、2002年の「北朝鮮報道のあり方」を考える記者会見(以下「あり方会見」と略。リンク先は呼びかけ人の一人である坂本衛のサイトで、そこに詳しい当日の概要あり)にしても、そこで言われた事を良く読んでみるとひどいものです。この時の内容を詳しく検証した文章などを筆者は今まで読んだ事がありません(発表から8年にもなるのに何で誰も言及しない?)が、今改めて読んでみると見過ごせない重要なポイント、つまり石丸次郎の本音というか本性である、当人はとりたてて在日朝鮮人の人権や朝鮮半島の平和・統一の事など大して気にもしていない、という事が良く分かります。そして何よりも石丸次郎にとって、朝鮮半島情勢の緊張に伴って日本が米軍の手先としての軍拡化を一層強める事(普天間をはじめとする沖縄の米軍基地問題、自衛隊海外派兵、国連安保理常任理事国入りなど)への危険性など「アウトオブ眼中」でしかないでしょう。石丸自身が「北朝鮮危機」を必死に煽り立てて日本を危険な方向へ誘導する役割を果たしている一員なのですから、むしろ日本の軍拡化は望む所のはずです。
 
この時の会見は「北朝鮮政権による拉致犯罪を糾弾し、真相究明を求め、在日への嫌がらせ・暴力・脅迫行為に抗議する」と称した在日朝鮮人著名人による会見とセットで行われました。こちらの会見内容もかなりひどく、具体的批判をすると長くなるので後日別項にて述べたいと思いますが、簡単に言えば「悪いのは北朝鮮だから「在日」には嫌がらせをしないで下さい、と平身低頭、日本社会に媚びへつらってお慈悲を願う」というチキンそのものでした。かつての日帝植民地支配に対する責任や、その後の日本社会もまた在日朝鮮人を差別してきた重い歴史にはほとんど触れずじまいです(これらこそが拉致事件が起こる事になる最も重大な歴史的背景であるにも関わらず)。在日への差別や暴力を止める為の具体的な行動を何もしようとしない(それどころかそれを助長させていた)日本政府に対する批判は全くなく、ただひたすら「悪いのは北朝鮮」という事を訴えていました。これなら確かに右から左まで日本人は「安心」してこの会見を受容出来た事でしょう。日本人にとって最も耳に痛い事を全然言わなかったのですから。

さて、そんな在日側の会見とセットで行われた「北朝鮮報道のあり方」を考える記者会見ですが、出席者は以下のような顔触れでした。
 
石高健次(朝日放送報道情報局プロデューサー 参加者)
石丸次郎(ジャーナリスト/アジアプレス 呼びかけ人)
魚住昭(ジャーナリスト 呼びかけ人)
太田昌国(ラテンアメリカ研究家 参加者)
小田桐誠(ジャーナリスト 呼びかけ人)
蟹瀬誠一(ジャーナリスト 呼びかけ人)
坂本衛(ジャーナリスト/「GALAC」編集長 呼びかけ人)
下村健一(市民メディア・トレーナー 呼びかけ人)
神保哲生(ジャーナリスト/ビデオニュース 呼びかけ人)
野村進(ノンフィクションライター 呼びかけ人)
森達也(ドキュメンタリー映画監督 呼びかけ人)
 
この顔ぶれを見た時点で気付く人は気付くでしょう。「駄目だ、こりゃ」と。特に真っ先に問題になるのが一番上に名前のある石高健次という男ですが、これはある意味で石丸次郎以上に凶悪な履歴の持ち主です。現在は朝日放送東京支局報道部のプロデューサーだそうですが、その筋、つまり「拉致問題業界」ではその名を広く轟かせている「大物」です。今でもこの男が度々自慢しているように横田めぐみの拉致疑惑報道をかなり初期(一番最初であったかどうかまでは知りませんが)に手掛けたテレビマンでした。それがきっかけで拉致被害者家族会の設立メンバーにもなったという、その方面ではまさに金筋(キンスジ)入りの男です。ただしこの男も昔、80年代辺りまではこんなスタンスではありませんでした。81年には在日朝鮮人に対する差別を告発したという「ある手紙の問いかけ」でJCJ奨励賞も取ったほどです。しかしながら石高は後に現代コリア研究所の佐藤勝巳と関係が深くなって拉致問題に関わるようになり、スタンスが急激に反北朝鮮・在日朝鮮人排斥へと右旋回していきました。現在では日本における極右の巣窟とも言うべき家族会・救う会や日本再生フォーラムなどの集会に頻繁に出入りして講演をしている状態です。この「あり方会見」に出ている石高・石丸の「ダブル石」は事実上一体であったと見るべきでしょう。「北朝鮮報道のあり方を考える」などと言っておきながら、驚いた事に一番報道スタンスに問題のある人間が臆面もなく堂々と二人も出ていた訳です。
他の出席者について言えば、魚住昭のように後に佐藤優現象にイカれる人間や、大田昌国のように最近では日本財団との関係を深めているタチの悪い転向者が散見されますが、それでも石高&石丸のような分からず屋の「最過激派」に比べれば、やや「在日問題に理解のある穏健派」(?)の左派・リベラル系ジャーナリストで構成されていたと言えるでしょう。が、しかし…。
(この項続く)
 

北朝鮮の国民が困窮してるのを一番喜んでるのは石丸次郎自身ではないのか その01

どうした事か、この男をまともに批判した文というのを見た事がないので、ちょっと一言書いておきたいと思います。
脱北者をゼニカネで買収し(要するに札束で頬をひっぱたいて)、北朝鮮にリターンさせて内部の情報を調べさせる。そんな色々な意味で問題のありすぎるヤバイ事をして売っている自称「ジャーナリスト」がアジアプレスの石丸次郎という男ですが、この男がアジアプレスやサンデー毎日、週刊金曜日などで度々書いている北朝鮮関連記事ほど悪趣味なものはないでしょう。それらは基本的に北朝鮮の現政治体制を批判するものなのですが、書いている内容が10年位前からあまり変わっていません。それらを要約すると、上記の「情報提供者」から送られた北朝鮮国民の貧しい姿を写した写真を引き合いに出して「北朝鮮は国民が飢えている」「国民達は金正日体制に不満を抱いて爆発寸前」「金正日体制は全く変化がない」「北朝鮮は中国に(鉱山などの)国家財産を身売りしている」「戦争ゲームの危険な瀬戸際外交」「拉致問題で北朝鮮の不誠実な対応は許せない」といった数パターンの記事を、もう10年くらい延々と定期的にループさせて連載している訳です。サンデー毎日の連載「朝鮮半島を読む」を見てるとこれは特に分かり易いでしょう。
これらを見ていると石丸は典型的な反北朝鮮スタンスのクソ右翼記者なのですが、一方でこの男は「北朝鮮とは対話を」「植民地支配の清算」といった、一見するとまともに思える発言も稀にします。また、2002年11月22日には「北朝鮮報道のあり方」を考える記者会見というのも行っていました。
(上記リンク先の「かけはし」を出している新左翼党派はRENKの李英和とベッタリなので、個人的には非常に気に食わないのですが)
一方では反北朝鮮報道を繰り返しておきながら、もう一方では朝日関係についてたまに少しはまともな事も言う…。なんだ要するに「総会屋」じゃないか。こういうのを世間ではマッチポンプとか往復ビンタ商法とか言うのですが、まさに総会屋のシノギの手口そのものです。総会屋というのは企業を強請って裏から金を取るのですが、彼らも表向きは株主総会などで一応まともな事を言う訳です。汚い事やコワイ手口をメインにしておきながら、一方ではたまにキレイ事も言う。これぞまさに総会屋お決まりのパターンなのはお分かりいただけるでしょう。
メインは北朝鮮攻撃ですが、それだけだとあたかも在特会や嫌韓流や増本照明(笑)といったレイシストのようにイメージが悪くなるから、それを誤魔化す為に少しはまともな事も発言して「良識派」を装う。石丸次郎の手口というのはまさにこうした「総会屋流」な訳です。たぶん石丸次郎本人は「自分は在特会などとは違う」と思い込んで自分に酔っているのでしょう。
しかも総会屋というのは自分達の出した高額な「情報誌」を標的の企業に売り付けるという形で金を取る手口をかつてはよくやっていました(現在は知りませんが)が、石丸も「リムジンガン」という高額な「情報誌」を売っているという点がそっくりでしょう。2980円? あんたそりゃぼったくり過ぎだよ。
だいたい北朝鮮を非難しまくって、朝日間に平和どころか軍事的緊張を招きかねないような事ばかり書いている人間が、自分の雑誌に「リムジンガン」などという名前を付けること自体が極めておこがましい、天をも恐れぬ所業です。臨津江(リムジンガン)というのは朝鮮半島の軍事境界線をまたいで流れる川であり、国が分断されて往来出来ぬ中でも川はそれを越えて流れる有り様から、南北統一を願う人々のシンボル的存在とされて有名な「臨津江」(作詞 朴世永 作曲 高宗漢)という歌も作られました。ところが石丸次郎はそれを、北朝鮮を攻撃して、結果的に南北朝鮮の分断と緊張を助長させるような雑誌の誌名にしている。どこまでふざけた男なのでしょうか。
(この項続く)

一刻も早く死んで欲しい駄目2世のクソ野郎

日本人の全共闘世代というのは、若い頃は世界でも珍しいほど過激な学生運動を展開しておきながら、卒業後はあっさりと考えを変えて日本資本主義カイシャ社会に取り込まれたり、それまでとは180度逆の右翼反動的な考えに転向する例が珍しくありませんでした。その為に「全共闘世代」といえば社会に害悪を垂れ流す駄目な世代の代名詞のように言われる事が多くあります。評論家の西部邁やそのお友達である週刊金曜日社長の佐高信、共産党転向者の宮崎学と有田芳生、あるいは「美味しんぼ」(画・花咲アキラ)で有名な漫画原作者・雁屋哲などはその典型的な一例でしょう。
雁屋哲に関して言うならば、過去の漫画原作作品に左翼革命的な内容のものが多く、日本の戦争犯罪をレポートした「日本人の誇り」(1995年 今では信じられませんが何と飛鳥新社からの出版です! 現在の同社はネット右翼を主な客層にしているとしか思えない右翼本ばかりを出しているのですが)などの著書もある事から「反日漫画原作者」としてネット右翼から叩かれる事が多いようです。が、雁屋哲という漫画原作者が右翼から「反日」と呼ばれるほどの、つまり左翼からしてみれば本当に賞賛に値する業績を残したのは80年代後半、贔屓目に見ても90年代中盤くらいまでが限度でしょう。漫画で言えば「美味しんぼ」の初期辺りまでという事になります。それ以降の氏の作品や思想はかなりお話になりません。
が、雁屋については、これはこれで批判をしようと思うと1章を要する長さになるので、後日項を改めて徹底批判したいと思います。今回批判しておきたいのは別の人物です。
 
さて、かようなまでに日本人の全共闘世代は駄目だと言われるのですが、在日朝鮮人社会にも似たような害悪を同胞社会へ垂れ流す者達が、似たような世代に一定数存在します。大体1940年代に生まれた在日2世で、若い頃に総連の組織に入って在日朝鮮人運動を熱心にやった人達は少なくありません。かつて総連が在日朝鮮人の権利獲得の為に輝かしい業績をいくつも打ち立てましたが、彼らはそれを下支えした人達です。しかしながら後に総連組織の腐敗や北朝鮮本国への従属化が激しくなって、自発的・多発的に組織を離れた人もまた多くいました。こうした人達の無念さというのは理解出来なくもないのですが、その中からは総連組織や北朝鮮本国への個人的な恨みさえ晴らせれば、他の在日同胞とその社会に迷惑をかけようが知った事じゃないという悪質な人間も出て来る事になります。
彼らは日本人の腐った全共闘世代転向者に相当する、在日2世の悪質な総連転向者というべきでしょう。この手の連中がしばしば在日・北朝鮮問題のコメンテーターとしてマスコミに出て来る事がよくありますが、彼らの言ってる事は何一つとしてまともなものがなく、的中した事もなければ、在日同胞に益をもたらす事などもありません。むしろ他の同胞達にとっては迷惑そのものです。はっきり言えば右翼的な日本人が喜びそうな事をくっちゃべって彼らはメシを食っている訳で、実に気楽なものです。何しろ金正日の悪口を言うだけで食っていけるのですから、何とボロいシノギなのでしょう。彼らは北朝鮮や総連の悪口を言う事で、倭奴(ウェノム)どもが放ってくれた投げ銭を拾ってメシを食う。その結果日本人とその社会の在日朝鮮人に対する差別や偏見がますます助長され、多くの同胞が困る事になります。そんないわば「ネオ親日派」とも言うべき最低の浅ましい連中に対して、在日朝鮮人の側から批判・筆誅を加えておかねばなりません。
以前ちょっと書きましたが、金賛汀と朴斗鎮という在日2世でその手の悪質な総連転向者がいます。金賛汀は最近になって日本人の右翼が喜びそうな内容の総連・北朝鮮批判本を連発し、朴斗鎮は朝鮮高校の無償化除外問題であたかも川人博のような屁理屈を並べて事実上無償化除外の肩を持つような発言をしました。いずれも自分の総連・北朝鮮に対する個人的な憂さ晴らしと金儲け、売名行為しか頭にない許し難い行動ですが、この金・朴にコリア・レポート代表の辺真一を加えた3人を筆者は「在日2世の総連転向者3馬鹿トリオ」と呼んでいます(世代は違いますが、これにRENKの李英和を加えると「自分の売名しか頭にないネオ親日派4馬鹿カルテット」になります。さらに鄭大均を加えれば「救いがないネオ親日派5馬鹿クインテット」に)。
この辺真一という男は朝鮮新報の記者出身で、組織を離れてフリーになった後に「コリア・レポート」を始める訳です。が、この男のソンジル(性質 朝鮮語では人間の性格や本性という意味でもよく使われる。忍者ブログはハングル非対応なので、以下朝鮮語はやむを得ずカタカナで表記します)を簡潔に言うとハッタリ野郎の一言が最も相応しいでしょう。ハッタリ野郎とかホラ吹きの事を朝鮮語では「ホプンジェンイ」と言いますが、辺真一はまさに「ホプンジェンイ」そのものの人間です。しかも媒体によって言う事がコロコロ変わる。
分かり易い最近の例を挙げると、大韓航空機爆破事件の実行犯とされる金賢姫が日本に招かれた時に氏が書いた記事があります。これによると日本政府がああまで金賢姫を厚遇して招請するのはおかしいと言い、挙句の果てには「今回の日本の対応を、テロと戦っている国々、国際社会はどう受け止めるのだろうか」と、まるでアメリカの愛国者のような殊勝な言葉で締めくくっていました。
 
 
この記事を読む限りでは、辺真一は金賢姫の日本訪問を良く思っていない、評価していないと読めるでしょう。ところが…。別の所のコメントで氏はこんな事を言っていました。
「コリア・レポート編集長の辺真一氏は「安否不明者に関する新情報が期待できる。ただ、今後の日朝協議で北朝鮮側が猛反発し、拉致問題の交渉が遠のく可能性もある。まさに『諸刃の剣』だ」と話している」
 
 
 
あのー、言ってる事が矛盾してませんか? 金賢姫訪日を「法治国家としては解せない話だ」とまで言っておきながら、片方では「新情報が期待できる」って…。どっちなんだよ?
記事の日付を見てみると、「意義あり」としている前者の記事は7月22日付けで、「新情報が期待できる」という後者の記事は7月21日となっているので、多分翌日になって肝心の「新情報が期待でき」ない事が明白になり、あわてて「厚遇に意義あり」とスタンスを変えたのが真相ではないでしょうか。だったら、「新情報が期待できる」とした前言をちゃんと訂正・謝罪した上でそういう事を言うべきでしょう。それがジャーナリストの責任ってもんじゃありませんかね? ところが辺真一はその後「成果があったのかどうか、その成果がどういう形で現れるのか、ここしばらくは注視したい」

とまるで他人事のようです。「新情報が期待できる」つまり何らかの「成果」があるって予想を公にしゃべってたのはあんたでしょ? 「ここしばらくは注視したい」なんて他人事みたいな顔せずに当事者意識持って積極的にそれを検証しなきゃいけない立場じゃないんですか、あなたは? はっきりと「新情報が期待できる」って公言した以上、責任を取らなきゃ駄目でしょ? しかしその後、辺真一は相変わらず他人事みたいな顔して「機会があれば、韓国に行って、インタビューを申請し、直接聞いてみようと思う。インタビュー料をどれぐらい要求されるのかも、興味がある」などと言ってすっとぼけてるのですから呑気なもんです。

インタビュー料が心配? そんなゼニカネに心配しなきゃいけないような御身分じゃないでしょうに。日頃から海上保安庁のアドバイザーになったり参議院の朝鮮問題委員会に参考人として出入しているほどの御身分なんだから、海保や参議院から出してもらえばいいじゃないですか(笑)。海保や日本の政治家相手に食い込んで北朝鮮や総連の悪口を言いまくってきた日頃の「成果」を今こそ発揮して、金賢姫インタビューの経費を出してもらうべきでしょう。その場合、どっちにしても金賢姫へのギャラは日本の税金で支払われる事になる訳ですが。
 
辺真一という男の「ホプンジェンイ」ぶりは金賢姫訪日の一件で嫌になるくらいお分かりいただけたと思いますが、この男にはもっと重要な問題点、言うならば犯罪的ともいうべきとんでもない事を言っている事を指摘しておかねばなりません。それは他ならぬ沖縄の普天間基地問題です。
辺真一という男は米軍、それも韓国や沖縄に駐留しているそれを決して否定的には見ていません。それどころか
 
「琉球新報とのインタビューでは、日米安保と沖縄駐留米軍を韓国がどう見ているのかを中心に聞かれた。
韓国では、政府も国民も、沖縄駐留米軍だけでなく、在日米軍を朝鮮半島有事の際の「助っ人」とみなしており、従って、撤収とか、国外移転には反対していると。今、焦点となっている普天間飛行場がグアムなど国外に移設されれば、「韓国の安全に深刻な影響が出る」と不安に思っていると、韓国の見解を代弁した」
「尹教授が言うように韓国も沖縄基地問題では当事者ならば、沖縄県民だけにリスクとコストを負わさず、韓国もそれなりの負担を負うべきなのでは。グアムは遠すぎるので反対と言うなら、例えばの話だが、済州島に引き取ってもらうのも一つの手だ。何も沖縄が、韓国のためにいつまでも犠牲を払う必要はないのではないか」
「調べてみたら、グッドタイミングにも済州島では現在、海軍が基地を建設中だ。基地完成後は、独島(竹島)級揚陸艦と建設中の最新鋭潜水艦を集中配備するそうだ。どうやら機動艦隊用前進基地にする計画のようだ。ならば、もってこいではないか」
 
とまで言っており、回りくどい言い方をしてはいるものの、要するにゴリゴリの韓米日軍事同盟論者であるという事です。韓国の政府や国民の「見解を代弁した」そうですが、いつからこの男は韓国の「国民」を代表して代弁出来るほど偉くなったのでしょうか。米軍基地に反対したり北との和解を求める人達は、どうやら辺真一博士の高度な理論によると韓国の国民ではないようです。後に彼はこの事について「私個人の意見ではない」と逃げを打っていますが、だったらそれが本当に韓国での国民大多数の意見なのかどうか証拠を示すべきです。世論調査でもしたのですか? 証拠が示せなければ自分の意見の勝手な押し付けと判断せざるを得ません。
いずれにせよ、この男の見解は「米軍基地を撤去させて沖縄や韓国の現地に安全な暮らしを取り戻し、朝鮮半島に平和・統一・民族和解をもたらす」という平和主義・民族自決の理想とは180度違います。しかも普天間基地の移転先を済州島にしろとまで言っているのですから。確かに済州島では新しく海軍基地建設の動きがありますが(下記リンク先参照)、それは辺野古同様どれだけ深刻な自然破壊をもたらす事でしょうか。そればかりではありません。韓国軍は今だ米軍の指揮下にあり、韓国軍基地イコール米軍基地であるという事は常識でしょう。韓国で光州事件があった時、韓国軍は米軍の指揮の下で一緒になって市民を虐殺したという事実は、朝鮮・韓国人であれば決して忘れてはならない重要な歴史です。もっとも辺真一のようにアメリカと日本に魂を売り飛ばしたケェセッキ(朝鮮語で犬野郎の意)は、そんな事とうの昔に忘れているでしょうが。つまり済州島に基地が出来ればそれはすなわち、事実上米軍の基地が新たにまた一つ増えたという事に他なりません。普天間基地を移転させるまでもないという事です。
そして済州島現地では基地建設に反対して地元の村長がハンガーストライキをするなど反対運動が起こっている事を、辺真一は全く知らないのでしょう。あるいは知ってても無視するか。それとも済州島で基地建設に反対している人達に対して「沖縄が、韓国のためにいつまでも犠牲を払う必要はない」から無駄な抵抗は止めろ、米国と日本との同盟の為におまえら喜んで人柱になれ、とでも教え諭すつもりなのでしょうか。
 
 
これほどまでに米軍基地の犠牲になってきた人々を愚弄するものはありません。沖縄と韓国の人々の事を考えれば普天間基地など撤去・閉鎖以外にありませんし、済州島の基地も建設させない事が最善です。ところが辺真一はそうした事は一切眼中になく、「リスクを負え」。沖縄や済州島の人達はアメリカの戦争や軍事行動の為に生きているのではありません。ましてや辺真一の下らない「リスクを負え」などという説教に従って生きる義務はなおの事ありません。
そして新しい記事によると、辺真一は自分の「普天間基地済州島移転案」が李明博大統領の腹案と一致してたらしいという事でみっともないくらい浮かれて大はしゃぎです。
 
 
辺真一という男はどこまで米軍基地に苦しめられてきた人々を愚弄すれば気が済むのか。どこまで底なしの恥知らずなのか。普天間基地問題でひどい事を言う人間は数多くいますが、辺真一ほど犯罪的な人間は珍しいでしょう。「沖縄県民にコストを負わせない」という一見沖縄の事を考えているかのような事を言った矢先に、「済州島へ移転させろ。韓国もリスクを負え」と言って在韓米軍を増強させて朝鮮半島の軍事的緊張を高める危険な方向へと誘導しようとする。そもそも沖縄の海兵隊が「抑止力」になると考えている時点でアホとしか言いようがありませんし、根本的に間違った状況認識で間違った案を提示しているのですからどうしようもありません。しかしその結果は明らかでしょう。辺真一が普天間基地問題をダシにして済州島の海軍基地建設を事実上推し進めれば、「祖国」であるはずの朝鮮半島の軍事的緊張は高まる一方です。それによって得する者は誰なのか? 少なくとも本国や日本に住む朝鮮・韓国人の一般大衆でない事だけは確かでしょう。それを考えれば辺真一が自分の個人的な売名や金儲け以外に、何(誰)の為にあのような事をしゃべりまくっているか想像がつくのではないでしょうか。
 
そしてこれは辛淑玉や梁石日らの場合とも通底する事ですが、「在日朝鮮人がこういう事を言っている」という事自体がある種の日本人(右派やタカ派のみならず一部の左派的な日本人も含めて)達に悪用され易いという事です。辺真一の場合、「韓国では米軍を安全保障の為に重要視しており、済州島では新しく基地が出来るからそこに普天間の部隊を移転したら良い」というセリフが在日朝鮮人の口から、それも沖縄の新聞に載ること自体が極めて重大な問題を孕んでいる、平たく言えば犯罪的だという事です。沖縄でも韓国でも米軍基地を閉鎖撤去させるという事に対して、これほど冷水を浴びせるような真似はないでしょう。そこらの一見してすぐにそれと分かる従米タカ派日本人ではなく、在日朝鮮人の口からそれが出る事で、普天間基地が完全に撤去・廃止されない理由を正当化されたり、問題の重要性を軽視させられる危険がはるかに高くなる。特に辺真一は今回の普天間問題のような重要な件では朝鮮半島の軍事的緊張を高める極めて犯罪的な事を言う一方で、哨戒艦事件などの小さな小競り合いでは「困ったものだ」などと言う一見距離を置いた言い方をするので、騙され易い読者も多いのではないでしょうか。そういう点ではこの男の手口は佐藤優とも非常に近い。そっくりでしょう。あるいは辺真一の手口を後から佐藤が真似たという事もひょっとしたらあるかもしれません。
未だに一部では辺真一の事を「朝鮮半島問題について冷静な優れた分析が出来るエキスパート」と思い込んでいる日本人報道関係者も多いようですから(噂の真相でさえそのように評した事があった)。しかしながらこの男の正体は在日はもちろん本国の同胞の事さえ一顧だにしない、私利私欲ばかり考える亡者にして、単なる民族の裏切り者でしかありません。
独島の件でもこの男は「「竹島」をめぐる領土問題は、双方とも古文書や地図を引っ張りだして「我が国固有の領土」と主張しているので話し合いによる外交的解決はまず無理だ」と述べるに留まり、日本が朝鮮半島侵略の手始めに独島を無理矢理編入した事や、解放後に李承晩政権が独島を奪い返したのは植民地支配下で奪われた財産を奪回したに過ぎないと言う歴史的事実を故意に無視して語っています。李承晩はどうしようもない独裁者でしたが、独島を取り返したこと自体は正当な行動でした。エジプトのナセルがスエズ運河を国有化したのと同じです。そういう歴史の持つ深い意味を決して語らない、これもまた辺真一の詐術の一つと言って良いでしょう。下記のリンク先記事はこれ以外にも突っ込み所が満載なので、誰か手の空いてる方に批判ネタはお任せします(笑)。
 
 
とにかく辺真一という男の言説、前述した「3馬鹿トリオ」の中でも犯罪度では際立って群を抜いていると言えるでしょう。このような男が在日の北朝鮮専門家としてマスコミに登場しているばかりか、本人が天狗になって自慢しているように海上保安庁や参議院の調査会にまで食い込んでいる所から、現実の政治に対する悪影響でも3馬鹿の他の2人とは比較になりません。彼は北朝鮮問題が膠着している事についてあれこれ言う事がありますが、辺真一は実際に参議院の調査会や海上保安庁にまで影響を与えてきたのですから、現在の朝日外交のこじれは当然彼にも責任の一端があるはずです。なのに当事者意識がまるでありません。一方で媒体によって言う事をコロコロ変える無節操さと併せて、無責任極まりない。
在日同胞のみならず、日本人社会に対してもこの男の垂れ流す害悪は甚だしいものがあります。筆者としては「一刻も早く死んでくれ、クソ野郎」としか言いようがありません。
 

日本のシオニストと東アジア共同体

明治時代の美術評論家・岡倉天心を「日本のシオニスト」と称したのは鄭敬謨氏ですが、なぜ鄭氏は岡倉の事をそのように言ったのでしょうか。
「シオニズム」とはユダヤ国家イスラエルの建国運動ですが、その論拠を簡単に言うと古代パレスチナはユダヤ人の土地だった、だからその「約束の地」にユダヤ人国家を作るのだ、というものです。そしてこのシオニズムを主張・推進する者がシオニストと呼ばれます。
ですが、ちょっと考えれば分かる通り、そんな3500年も前の話を持ち出して「そこは自分の土地だ」などというのは荒唐無稽なトンデモ以外の何者でもありません。そんなカビが生えるどころか化石と化したようなおとぎ話を根拠にして他人の土地を奪い、抵抗する者を虐殺しているのがイスラエルという国であり、それを支持しているのがシオニストな訳です(さらに言うならそれを熱心に支持・正当化している日本人が鈴木宗男と佐藤優の親分子分コンビに他なりません)。
では岡倉天心はどうだったのでしょう。この男は1904年(明治37)11月に「日本の覚醒 The Awakening of Japan」という、今ではタイトルを見ただけでいかにも石原慎太郎か平沼赳夫的悪臭が漂ってきそうな題名の本をアメリカで出しているのですが、その中でこんな事を言っています。
「朝鮮半島は、有史以前を通じ日本の元来の植民地になっていたことが恐らく考えられる。朝鮮における考古学的遺跡は、わが国の原始的古墳類と正確に同じものである。朝鮮の言語は今日でもあらゆるアジア言語のうち、我々の言語にもっとも近い。わが国の最古の伝説は、わが天照大神の弟は朝鮮に定住したと伝えている。そして彼の国の初代国王檀君は、ある歴史家の考えによればその子息であったという」
さらに「東洋の理想」という本ではイスラム、儒教、インド哲学、日本的思考が同じ民族圏に該当し、「しかしながら、この複雑の中なる統一を特に明白に実現することは日本の偉大なる特権であった」としてその根拠は万世一系の皇室がおわすからだと言うのです。
これらを要約すると「古代朝鮮は日本の植民地だった」「朝鮮の文化は日本から伝わった」「朝鮮の建国者は日本の神の息子だった」「アジアを統一するのは万世一系の皇室がおわす日本の特権」…。どこに出しても恥ずかしくない立派な大東亜共栄圏・八紘一宇・皇国史観とはまさにこの事でしょう。
鄭敬謨氏が岡倉天心の事を「日本のシオニスト」と呼んだ訳がこれでお分かりでしょう。シオニストは「3500年前にパレスチナはユダヤ人の土地だった」と言い、岡倉天心は「古代朝鮮は日本の領土・植民地だった」と言ってどちらも残虐な侵略を正当化・推進しました。両者はまるっきり言ってる事が違いません。
岡倉天心のこれら著作は英語で書かれましたが、それは日本のアジア侵略正当化を欧米に広く認知させる為であったのです。
こうした嘘デタラメや根拠薄弱な戯言で他国・他民族への侵略を正当化するという点で、大日本帝国のアジア侵略思想とシオニズムの論拠は何とそっくりなのでしょうか。やはり歴史のトンデモ説の一つとして「日本・ユダヤ同祖論」というのがありますが、シオニズムと大日本帝国の類似性を見るとそれも案外正しいのではないかとさえ思えてきます。
 
何で急に岡倉天心の事を持ち出すかというと、例の「東アジア共同体」を推し進める人間達の中で岡倉を賞賛する動きがあるという事を最近知ったからでした。
m_debugger氏が新しい記事で「自衛隊を丸腰で紛争地域に派遣すれば世界平和になる」という珍妙な教義を布教して回っている伊勢崎教授(教祖?)の事を俎上に乗せていますが、そこにあった雑誌「環」のバックナンバーでは「東アジア共同体と岡倉天心」という特集が組まれています。これは2年前の記事ですが、調べてみると今でも岡倉天心を持ち上げて東アジア共同体推進の論拠にしようとしている者が散見されました。で、その手の天心賞賛論で決まって語られる(騙られる?)のが「岡倉天心の意思は歪めて伝えられた」「岡倉天心は利用されただけだ」「岡倉天心はアジアに共感を持ち続けた」「虐げられている一点において「アジアは一つ」であると言ったのであって、大東亜共栄圏思想とイコールではない」という擁護・賛美論です。さもなければ歯の浮くような根拠ゼロの賛辞でひたすらべた褒めする。例えばこことかこことかこことかこことか…。これらの中で岡倉の朝鮮に対する侮蔑や歴史の捏造・歪曲・皇国史観について触れているものはどれ一つとしてありません。まあ当然でしょう。そのような岡倉の本性を書いてしまったらさすがに擁護しようがなくなるのですから。岡倉天心賞賛論というのはこの男の朝鮮・アジア侵略思想を完全に無視する事でのみ成り立っています。ひょっとしたら岡倉天心賛美・擁護論者達が言っているのは現実の岡倉天心に非ず、彼らの妄想世界の中にのみ生息する「脳内岡倉天心」なのかもしれません。そんな得体の知れない代物が東アジア共同体の論拠の一つなのです。

東アジア共同体の何が問題なのかというと、これが一見すると平和的な友好近隣関係に見えて、実はアジア版NATOとも言うべき軍事同盟関係にあるという事です。これが成立すれば日本は今以上にアメリカの対テロ戦争への協力を強め、共同体に組み込まれるであろう他のアジア諸国もその泥沼に道連れにされる事だけは間違いないでしょう。

岡倉天心というどこに出しても恥ずかしくない立派なアジア侵略主義者を、アジア平和・友好論者であるかのように捏造・歪曲し、それを以って軍事同盟たる東アジア共同体を平和的な関係であるかのように歪曲する…。何もかも一から十まで全て嘘とデタラメで塗り固められているのが、岡倉天心を利用した東アジア共同体推進論に他ならないのです。
しかし彼らがいかにイカサマじみた事を言おうと、そんなものは内輪の日本人かそれに媚びて協力する「親日派」朝鮮人にしか通用しないでしょう。朝鮮半島本国の民衆の間では、今でも岡倉天心は新渡戸稲造、福沢諭吉、伊藤博文、西郷隆盛、原敬らと同様の侵略論者・侵略主義者として認知されているからです。
参考までに以下に二つの朝鮮語記事を紹介しておきましょう。鄭敬謨氏が岡倉天心&新渡戸稲造の朝鮮侵略思想について述べたもの
と、東アジア共同体をどう思うか述べた文章です。
記事のアドレスは上記の通りですが、元は以前にハンギョレ新聞へ掲載された記事のようです。以下に筆者が訳した日本語訳文を掲載しますが、朝鮮語の読める方はぜひリンク先の原文でも読んで欲しいと思います。無断での翻訳掲載となりますが、鄭敬謨氏は御自身のブログ更新が遅いので韓国で発表された文を勝手に訳して掲載させてもらう事にしました。まあ笑って許してくれるでしょう(笑)。
なお鄭敬謨氏の一連の連載記事を原文でお読みになりたい方は以下のリンク先を御参照下さい。
 
 
日本人達の「偶像」に米国大統領も熱狂
鄭敬謨―漢江も流れ、多摩川も流れて81
 
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「今日の日本人達が明治時代の先覚者として崇拝する人物である岡倉天心(左)と旧5000円札紙幣に描かれていた新渡戸稲造(右)の肖像。二人の英文書籍は西洋人達に日本民族の優秀性と韓国人に対する偏見を植え付けるのに巨大な影響を与えた」
 
日本人達が崇仰の対象としている明治時代の「先覚者」の中でも外せない人物が岡倉天心(1862~1913)だが、この人物は日本の伝統的美術のみならず、西洋とは違う日本的な東洋思想を流麗な英文で広く外国人達に紹介したという点で、特に尊敬と崇慕を受けている。岡倉が残した英文の著書の中でも「茶の本」「東洋の理想」「日本の覚醒」は言うなれば古典として、高校生にまでほぼ必読書として推薦されている本だが、この中で私が問題にしようとしているのは1904年露日戦争前夜に米国で出版された「日本の覚醒」だ。この本で著者は日本と朝鮮の関係を次のように説明している。
 
「朝鮮の始祖・壇君は、日本の始祖・天照の弟スサノオの息子であるばかりか、朝鮮は日本の第14代天皇仲哀の皇后・神功が征伐軍を派遣して三韓の地を征服した3世紀以後8世紀に至る500年間、日本の支配下にある固有の属州(original province)であった。従って日本が露日戦争で勝利して朝鮮を植民地に再支配したとしても、それは侵略ではなく歴史的現状復帰に過ぎない」
 
歴史に対するこのような「該博」な知識に基づいて、美術の大家でもある岡倉は次のような事も言っている。
 
「朝鮮の古墳から出る出土品達が日本古墳の出土品と双子のように似ている事だけを見ても、日本が太古からすでに朝鮮を支配していたという事は明白な事実ではないか」
 
これは偽史にすら非ざる、根拠のない言葉遊びに過ぎないようだが、日本が朝鮮を支配するのが歴史の必然という思考を大統領以下米国政府の首脳部の頭の中へ植え付けるのには、十分な論理であったのだ
 
もう一人、明治時代の先覚者として今日まで崇仰を受ける偶像が新渡戸稲造だが、この人物もやはり流暢な英文で書かれた「武士道」(Bushido)という本を1905年に米国で出版し、洛陽ならぬ華城(ワシントン)の紙価を高めた日本の知識人である。新渡戸の本は、日本人がどれだけ高邁で勇敢な武士道(侍)精神を受け継いだ優秀な民族かを説得力ある文章で叙述した本であり、その時まさに露日戦争に突入した日本に対して好意的な世論を喚起するのに決定的な寄与をしたという点において、今日を生きる我ら歴史家達にも一読を勧めたい文献である。この本には朝鮮民族に対して侮蔑的に言及した部分はない。だが新渡戸は、その後ろ盾の一人が伊藤博文であり、統監府の嘱託として朝鮮各地を踏査した後に次のような報告書を提出した。
 
「朝鮮人はその風貌から見ても生活状態から見ても到底20世紀の人種とは見えぬ程原始的であり、民族としての生存期限は終わったようだ。今朝鮮半島に垂れ下がるのは死の影である」(雑誌「三千里」334号)
 
当時の米国大統領セオドア・ルーズベルトは新渡戸の著書に魅惑された余り数十冊もその本を購入して閣僚はもちろん政府各部署の官僚達に読むよう配布したという事実も記録に残っているが、いかに大統領ルーズベルトの頭の中に「驚くべきマーシャルスピリッツ(武士道精神)で武装した優秀な日本民族」という概念と、「己の防衛の為に指一つ動かせぬアホウドリのような朝鮮民族」という概念が同時進行的に浸透していくのに岡倉と新渡戸の影響力がどれだけ大きかったか、この二人の影響が国家利益にどれだけ至大なる貢献を果たしたかは想像に余りあり、何故今日まで日本人がこの二人を偶像のように崇拝しているかも理解出来る事ではあるまいか。
 
米国の積極的な支援の下に日本がロシアを破って勝利を得た渦中で、1905年9月ポーツマス条約締結を数日後に控えたある日、ルーズベルト大統領は日本代表団の一員である金子賢太郎を白亜館(ホワイトハウス)に招いて昼食を共にする場で次のような言質を与えたのだった。
 
「カリブ海沿岸地域であるキューバを米国が支配するように、黄海沿岸地域である朝鮮を日本が支配するのは当然であると米国は認定する」
 
 
 
西洋国家の振りをしてきた日本の「政体混乱」
鄭敬謨―漢江も流れ、多摩川も流れて138
 
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「日本の代表的批判思想家・子安宣邦大阪大名誉教授(右)は2006年5月、韓国学中央研究員招請「碩学招請講座」で福沢諭吉(左)を筆頭とする日本ナショナリズムの帝国主義的属性を批判した。明治時代の啓蒙思想家である福沢は「脱亜入欧論」を主張して帝国主義化を扇動した「論乱の人物」である」
 
私が思索し、行動してきた場が日本であったからこそ、絶対に一言だけ日本に対して言っておかねばならない事を言ってこの長々とした連載を終えようと思うが、それは最近日本で飽きもせず話題となっている「東アジア共同体」に関する私の見解である。
 
この連載の一番最初の部分で、1951年の米日講和条約を推進した米国大統領特使ダレスが言ったという言葉を引用した事があったではないか。「米国は、日本人が中国人や朝鮮人に対して抱いている民族的優越感を十分利用する必要がある」
 
この言葉は決してダレス個人の妄言ではなく、米国が行って来た極東政策の根幹を成す基本的発想であったのだ。私の旧友であるガボン・マコーマック教授の言葉を借りれば「戦後から米国は日本の特異性と、他アジア諸国とは根本的に違うという点を強調し、日本をしてその他アジア国家との関係を疎遠にさせる事で、米国により依存させるようにするという事を基本目標にしてきた」という事である(「従属国家日本」)
 
これに呼応するごとく「日本はその他アジア国家とは格が違い、東洋というよりはむしろ西洋に近い国だという事」を主張する論文も出て、日本人の優越感を正当化しようとした例もあるのだ。
 
「日本はヨーロッパと歴史発展の様相が共通的であり、フランク王国カロリング朝廷にあった武士道の正統を発展させたという点で、日本は西洋文化圏に属する国だ。近代化だけをとって見ても日本だからこそ可能であり、日本以外のアジアの国では不可能な事ではあるまいか」
 
これは京都学派の梅棹忠夫教授の主張だが(「文明の生態史観」)、日本はこのような「名誉白人国家」になりすます事で矜持と国家政体を維持してきたのだ。もちろんこのような風潮は明治時代に遡るものであり、これを強調するのに先陣を切ったのは慶応大学創設者たる福沢諭吉であり、彼の「脱亜入欧論」は日本がアジアから抜け出してヨーロッパに入り、彼らと肩を並べねばならないという主張である。清日・露日戦争で勝利を得たという点で、この主張は当時としては有効なものであった。だが最近、急速度で米国の力が衰退する過程において、経済的・軍事的に米国一辺倒の依存に疑懼(ぎく)の念を抱くようになった日本人達が、如才なく逆に「脱欧入亜」へと方向転換せねばならぬという悩みを抱きつつ「東アジア共同体論」が再三浮かび上がったのだ。
 
だが万一、日本が真にアジア復帰を試図するのならば最も大きな障害は、我が朝鮮民族に対する彼らの歪んだ歴史認識であると私は確信している。日本の歴史学者・子安宣邦教授(大阪大)の持論通りであるならば「日本は朝鮮半島と関連する歴史を隠蔽する事で、独自の起源を持った国という歴史認識を形成してきており、その結果朝鮮に対する支配権を手にする目的で日清・日露戦争を行った」という事だ。(「日本ナショナリズムの解読」)
 
子安教授の見解は私が前文で紹介した皇国史観、即ち日本は歴史的縁故権がある為に朝鮮半島に対する支配権を行使せねばならないという主張(117号)を別の言葉で表現したものだが、子安教授といえども「日本が隠蔽している朝鮮半島との歴史」が具体的に何かは指摘していない。それは言うまでもなく沸流百済の子孫が西暦396年に朝鮮の地から日本に渡って応神天皇になった事で、日本の皇室と国家自体の起源を成したという簡単な歴史なのだが(116号)、これを指摘する日本の学者はまだ現れてはいないのだ。
 
現在日本人達は自分達が西洋人なのかといえばそれは違い、まただからといって完全な東洋人でもなく日和見しながらも、潜在意識というか自国皇室が朝鮮の地を捨てて海を渡った百済人であったという古代史のおぼろげな記憶の為に、縁故権意識に対する執着を捨てられずにいる「政体危機」の中で苦悶している国民と言えるが、これは「精神分裂症(スキゾフレニック)」と言っても過言ではない一種の疾患であり、むしろ日本人達の為にも我が韓国人達が出でて精神科医の役をせねばならないのではと思わない事もない。日本がこの精神的疾患から抜け出せない限り、アジア復帰も難しいばかりか、「東アジア共同体」のようなものも容易ではないというのが私の判断である。
 
鄭敬謨 在日統一運動家

訳 ZED
 
 

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