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【書評】「地球のゆくえ 広瀬隆 著」 水俣病で「立場が変わった」細川護熙、都知事選で「立場が変わった」広瀬隆 その1

田原総一郎を批判したり揶揄する時に決まって言われるセリフがある。たぶんこれは佐高信が最初に言い出した事だと思うが「田原は自分の書いた『原子力戦争』を今どう思っているのか」と。当時はどうだったか知らないが、今では「1日に10人の人に会えば、10回意見が変わる」と評されるほど自分の意見というものがなくなった「電波芸者」田原総一郎について、まさに核心を突いた評であると思う。もっとも、それを言い出した佐高も今はどうなんだという話になるのだが…。佐高は90年代まで「小沢一郎こそ最大の敵」と言ってたくせに、今は…。ミイラ取りがミイラになったと言うべきか、かつては大なり小なりまともだった言論人がこのように堕落していく醜態を見るのは耐え難いものがある。
同じような例としては、かつて天皇嫌いで知られた大宅壮一が晩年に転向した事を、本多勝一が厳しく批判した件が思い出されよう。だが、大宅の転向を批判して、自らも「天皇こそ日本最大のニセモノ」とまで言っていたはずの本多もまた、晩年は「今の天皇や皇太子には戦争責任はない」などと世迷い事を言い出しては、天皇制擁護やその権威にすがるような言動を繰り返すようになり、大宅と全く同じ老醜をさらすようになる。
これらの例は日本の報道・言論界における、代を継いだ「腐食の連鎖」現象とでも言うべきであろうか。そう、これこそまさに「腐食の連鎖」そのものだ。「腐食の連鎖」、それは言論・報道界に限らず、日本社会そのものを蝕む巨悪の象徴的現象であり、かつてその事例を緻密な調査によって世に知らしめた人物がいたのである。その者に名を尋ねれば、広瀬隆と答えた…。

作家としての広瀬隆を文学論の俎上に載せる際、何を語るべきか? 何といっても「危険な話」「東京に原発を」のような反原発運動の定本とも言うべきノンフィクション著書は欠かせまい。一方で、当人にとって今では黒歴史の感がある「ゴルバチョフの処刑台」も個人的には欠くべからざる作品とは思うが(笑)。
冗談は抜きにして、「広瀬文学」の最大の成果というか、最も着目すべきものは何よりも「系図」であると筆者は思う。広瀬は反原発運動を進めていく過程で、原子力発電や核兵器というものがいかにして生み出されたのか、その原子力産業を生み出して動かしてきた者達はいかなる存在であるのかという事を歴史的に追求する必要性に至った。その初期における代表的成果が「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」「億万長者はハリウッドを殺す」といった著作群である。前者はネバダ州における核実験と、それによる放射能汚染地域でロケを行ったジョン・ウェインはじめとするハリウッドスター達の多くが癌で死ぬ事になった経過を追及した。後者はそれからさらに調査の幅を広げ、モルガン財閥とロックフェラー財閥というアメリカの2大財閥の歴史を主軸にした米国の実業史を調査し、第2次世界大戦から冷戦時代にかけてアメリカが行ってきた戦争や核兵器・原子力発電開発、それを正当化する広報手段としてのマスコミ支配や映画界支配の企業史、その中で抵抗してきた気骨ある映画人達の姿を描く。アメリカの大富豪達が自らスポンサーとなってハリウッドを育て上げ、意のままに操り、そこから利益を得てきたにも関わらず、映画人の中にはそれに盲従せず反旗を翻した気骨ある勇士も少なからずいた。マッカーシーの赤狩りにも屈せず立ち向かった、ハリウッドテンのような人々がいた。だが、アメリカの産業の多くを操る「億万長者」はそれを許さない。億万長者は自ら育てた虎の子にも関わらず、反旗を翻したハリウッドを殺していく…。

モルガンとロックフェラーという2大財閥の企業史を調査する事で、これまで誰も書かなかったアメリカ史を書き果せた広瀬が捉えた次の標的はヨーロッパであった。超大国アメリカと言えどもその歴史は浅く、その起源はヨーロッパの移民にある。アメリカの根源たるヨーロッパの歴史を調べねば、今の地球を覆う戦乱と核危機の歴史的・根源的原因を突き詰める事は出来まい。
だが、その調査過程で広瀬は大きな壁にぶつかる事になる。それはアメリカの時には全くなかったもので、「貴族」という存在であった。イギリスでもフランスでも、欧州の主要な国々では今でも貴族制度が現存していたり、制度としてはなくなっていてもその爵位や家門を誇る気風は強く残っており、その国の社会で貴族の権威や威信が通用するという現実があったからだ。やむなく欧州貴族の歴史と制度を調べはじめたものの、その瞬間に新たな光明が射した。ヨーロッパの歴史がこうした貴族や政治家・富豪同士の政略結婚によって結ばれた系図によって解明されるという一大原則に気付いたのである。富める者はより富と権力を求め、同じように富める家門と血縁関係を結ぶ。これは同時に自分達の富と権力を他の「持たざる者」へ流出させない意味も持つ。その膨大な調査結果の結晶体が「赤い楯」(1991年 集英社)だったのである。ヨーロッパ最大の財閥であるロスチャイルド家を中心に、欧州各国の貴族や富豪や政治家が積み上げてきた政略結婚の産物である驚異的な閨閥と、その人間関係がヨーロッパの大きな歴史的事件や戦乱の原因となってきた。それを具体的な家系図を実際に描く事で、広瀬は証明してみせたのである。
歴代インド総督34人全員が実はそうした政略結婚によって姻戚関係を持つ一族であった事、インドシナ半島を侵略したフランスの植民地利権者の多くや、南アフリカの白人支配者もまたそれぞれ関係者同士が様々な姻戚関係を結んで巨大な閨閥を作っていた事、「悲劇のプリンセス」として世界中の同情を集めるダイアナ妃の先祖が父方・母方いずれも南アフリカを侵略して富と権力を握った成金貴族だったという恐るべき事実に至るまで、本書は余す事なく調査して報告している。イギリスの上流階級で、先祖がインドや南アの侵略に加担しなかった人間を見つけるのは極めて難しい。今の日本の上流階級の先祖で朝鮮や中国などのアジア侵略に加担しなかった者を見つけるのが難しいのと同じように。
こうしたヨーロッパの上流階級(という名の実態は山賊・海賊・略奪者ども)による経済支配のカラクリを知ったからには、当然こうした構図が他の国にも当てはまり、それによって歴史上の多くの事件の原因や真相が解明出来るのではないかと思うのは当然であろう。アメリカとヨーロッパのそうした支配者達の血族関係と歴史を系図によって証明し、次に狙う標的は何か? 著者・広瀬隆が日本人である以上は避けて通れないその対象とは、まさに大日本帝国の解剖であった…。

広瀬隆の描く系図はまさに芸術的である。日本においても古い旧華族や政治家の系図を描いたノンフィクションはいくつも出版されてきた。それらの多くが出版された目的は「権勢の誇示」にあり、どこそこの勢力ある家が、またどこぞの金や権力のある家と姻戚関係で結ばれた、という事例を無難な表現で「庶民」に見せ付けるという、極めて差別的かつ悪趣味な意図で書かれた物が大半である。だが、広瀬の描く系図はそのようなものではなかった。勢力家同士が姻戚関係を結ぶという事実を描く事は同じだが、それがいかに日本の社会で大きな問題を生み出してきたか、富の独占が行われて不平等な社会を作り出す元凶となってきたかという「原因」としてそれを描いてみせる。例えば従来のありふれた政治家や財界人・旧華族などの家系を礼賛する目的で出された本の系図では、タブーとされて描かれなかった姻戚関係を余す事なく広瀬は調べてつなぎ合わせ、日本の特権階級が「誇るべき我が血筋」としてきた系図を、「腐敗国家の元凶」として衆人の前にさらす。従来の家系図では単純に親子夫婦関係だけを並べ立てて「良家」を装った系図に、問題ある他家との姻戚関係を調べて書き加え、隠されたダーティな権力と利権の分配構造を暴いてみせるのだ。イギリスの歴代インド総督が植民地利権の為に同類で群れ集まって巨大な姻戚関係を形成したように、日本におけるアジア侵略者やその後裔たる今の支配者達も全く同じ構図の中、同じ手法で自らの権力と財力を戦後も維持してきたのである。
歴史の因果関係を、そうした欲に満ちた政略結婚による閨閥に求め、それを実に明確に描いてみせる広瀬隆の系図の描き方は、それ自体が一つの完成された芸術的手法の境地に達していよう。これこそが「広瀬文学」の精髄であると筆者は考える。
広瀬隆はヨーロッパのそうした上流階級の歴史を暴いた「赤い楯」のあとがきで、次は「大日本帝国の解剖である」と述べ、続く著書の事を予告した。同時に「調査の作業は半ばまで進み、しかしながらその先に長い歳月を要する」とも。実際にこの時の予告の通り、広瀬の「大日本帝国の解剖」は91年の「赤い楯」が出てから、21世紀に至る長い歳月に亘って行われた。その広瀬隆による「大日本帝国の解剖」の序章とも言うべき位置付けであるのが、今回書評として取り上げる「地球のゆくえ」(1994年 集英社)である。前置きがずいぶんと長くなってしまったが。

 この本は当時(1993-94年)の世界情勢を全般的に扱ったものであり、日本だけを集中的に扱ったものではない。冷戦崩壊とソ連崩壊後のロシアに台頭した極端な新自由主義と、それと軸を一にするジリノフスキー(後年の佐藤優に大きな影響を与えたのは間違いないと思われる)らロシア極右政党の台頭。日本経済崩壊とそれを演出した国際金融マフィア。国連PKOによって統治されるカンボジアと、そこに再侵略の野欲を燃やすフランス帝国主義(これはそのまま今のアフリカ旧植民地侵略へとつながっている)。ヘブロン虐殺事件などで混迷を深めるパレスチナ問題と、その歴史的起源。当時の日本を襲った冷害と細川政権によって進められた米輸入解禁、それに便乗してくるであろう穀物メジャーの正体。ユーゴ内戦やカンボジア情勢をチャンスとばかりに、一体となって活発な動きを見せた国連PKO推進者と軍需産業。そして、当時の日本の執権者である細川内閣…。

本書で日本の事を集中的に扱ったのは「第三章 細川政権誕生の謎」だけである。だがこの章には、20年後の今こそ注目すべき重要な記述と、他ならぬ細川護熙当人に関する系図が載っていた。その後総理職を投げ出して政界を去ったはずの細川が、2014年の今になって東京都知事選候補として政治の表舞台にまたも登場し、「脱原発」を掲げて当選が有力視されている今こそ、それも「細川を脱原発の為に支持している」という者達こそ読んでおかねばならない事実がである。それほどまでに、現在の東京都知事選候補としての細川護熙を語るにあたって本書は外す事が出来ない。細川が今回の都知事選で20年ぶりに一躍「時の人」となった今、広瀬隆の「地球のゆくえ」は改めて読み直す必要があり、そこに書かれた細川護熙の「正体」を見ておく必要があるだろう。今の情勢を考える限り、絶版(ハードカバー、文庫共に)となっているこの本を急遽限定部数でも良いから再刊して出すべきと思う。「有力都知事選候補・細川護熙の真実」などと大書して本屋の店頭に並ばせれば売れるはずだ。都知事選が終わるまでの「短期決戦」になると思うが、それでも商売としてそれなりにいけると思うので、広瀬も集英社も本書の再刊をかけるべきではないか。今の情勢に合った出版物としても、また単純に出版社と著者の商売としても理に適っているのではないか。が、しかし…。

おそらくこの本が、少なくとも今回の都知事選の期間に再刊される可能性はまずないだろう。それも当の著者である広瀬が首を縦に振るまい。
今の田原総一郎にとっての「原子力戦争」のように、いや、それ以上に今の広瀬にとって自著「地球のゆくえ」は都合の悪い「黒歴史」と言っても良い本になってしまったからである…。
(この項続く…? 時間があればですが)

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