大地震で夥しい災害に見舞われた元凶は欧米の植民地支配とその傀儡政権による独裁体制が尾を引いた事を忘れてはなりません。
この国では1986年までデュバリエ一族による独裁政権が続きましたが、これはアメリカによる「反共の砦」として支援された典型的な傀儡政権でした。韓国の朴正熙やフィリピンのマルコス政権と全く性質を同じくしていたと言って良いでしょう。独裁体制崩壊後にスイスの銀行に不正蓄財を行っていた事も明らかになっています(朴正熙は最終的にアメリカから独立しようとして切り捨てられましたが。アメリカの犬となってきた独裁者の末路はどこでも哀れなものです。なお一部では韓国の朴正熙が「クリーンな独裁者」のように言われていますが、彼もスイス銀行の秘密口座に不正な蓄財を行っており、その財産が後継者の全斗煥に横領されたという疑惑は韓国現代史でも特に大きなミステリーの一つとして忘れるべきではないでしょう。この為に朴正熙の娘で次期大統領候補と目される朴槿恵と全斗煥の仲は最悪だったと言われています。日本で言えば鈴木ムネオと中川昭一の関係といった所でしょうか。ちなみに筆者は朴槿恵という「ニューライト」を自称する馬鹿女が独裁者だった親父共々大嫌いです)。独裁体制が崩壊したのもフィリピンと同じ1986年でしたが、日本では当時あまり報道されませんでした。これはフィリピンと違って日本の政府や大手商社が同国にODAや企業進出などの大した利権を持っていなかったせいでしょうか。
この国を恐怖体制で支配したフランソワ・デュバリエは「パパドック(ドクター)」と呼ばれましたがこれは彼がヴードゥー教の呪術医だった事によります。独裁政権時代にトントンマクートという秘密警察が国民を恐怖に落とし入れましたが、この組織はその残虐行為から「ゾンビの集団」と恐れられていました。つまりこの秘密警察は呪術師である大統領デュバリエによって作られた感情のないゾンビであり、だからこそ国民を平然と残虐な拷問で弾圧出来たと言われた訳です。「パパドック」デュバリエは1971年に死にましたが、息子の「ベビードック」ことジャン=クロード・デュバリエが大統領職を世襲して恐怖体制を続けました。彼はまさに「ハイチの安倍晋三」と言うべきでしょうか(ジョージ・ブッシュでも可)。結局86年に革命が起こって国外逃亡という哀れな末路をたどりましたが、参院選挙に負けながらも辞任せずにいながら結局お腹を壊して辞めた挙句に慶応病院で自殺未遂までした安倍晋三と何とそっくりなヘタレぶりでしょう。国民の生活に何の関心もない所が両者のそっくりぶりを際立たせています。
2代に渡るデュバリエ政権崩壊後も秘密警察トントンマクートの破壊工作は続いて国内を大混乱に陥れ、同国を政情不安にしていました。90年代からずっと国連が監視していましたが、それは親米派の旧デュバリエ派秘密警察が暴れまくったせいです。日本の外務官僚達もこうした現地の歴史を全く知らず当時から「ハイチは国連のおかげで何とか治まっている」というたわ言を吐いていた事が広瀬隆氏の小説で揶揄された事がありましたが(その腐敗した低脳な外務官僚を象徴する人物が鈴木ムネオの子分にしてイスラエルによるパレスチナ人虐殺の支持者である佐藤優である事は覚えておくべきでしょう。彼らは外交官としての知恵や能力や見識は全くありませんが、自分個人の利益を追求する事だけに関しては実に天才的です)。
デュバリエ政権崩壊後にジャン=ベルトラン・アリスティドという人物が2度に渡って同国の大統領職に就いていますが、彼はデュバリエ政権時代から抵抗を続けてきた神父であり、その為に国民から多くの信を得て大統領になりながらもアメリカの軍事的圧力によって政権が打倒されたのです。彼は2004年のクーデターで国外に亡命しましたが、これは米軍によって無理矢理飛行機に押し込められてのものでした。後にホンジュラスでセラヤ大統領が無理矢理銃口を突きつけられるような形で亡命させられたのと同じパターンです。
今回の地震で現地入りした米軍が救援活動をしている事がやたらとクローズアップされていますが、これは1万人という単なる救援活動の枠を超えた大量派兵で、ハイチを再占領する為の火事場泥棒としか思えません。実際に米州ボリバル機構(中南米左派諸国の地域機構)はこれを非難しています。
今までさんざんハイチを荒らし回ってきた米国が突然今回の大地震で慈悲深く人道の為だけに活動する? 想像も出来ないおとぎ話です。そして日本も自衛隊がPKOでハイチへ向かいました。地震の災害救助になぜわざわざ軍隊? 90年代のカンボジアPKOで自衛隊はカンボジアを再占領しようとするフランスの実質的な下働きをさせられましたが、今度はハイチを再占領しようとする米国(皮肉な事に米国の前はフランスの植民地だった)の下働きをする為に出掛けるようです。
90年代のカンボジアPKOの時はまだそれでもある程度の反対運動がありましたが、今の日本ではPKOに反対する左翼や左派は死に絶えてしまいました…。
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