忍者ブログ

Home > > [PR] Home > 国際関係 > 新ガイドライン・日米安保・翁長ドクトリン その4(完)

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

新ガイドライン・日米安保・翁長ドクトリン その4(完)

・翁長知事が目指すのは「沖縄の吉田茂」

このように戦争に突き進もうとしている日本(とアメリカ)。その中で沖縄の位置は? 翁長県政の狙いというのはこの日米安保・新ガイドライン体制という「日米両大国の庇護」の下、沖縄に偽りの「平和主義・平和の島」の仮面を被せて利益をせしめるという事だ。前回述べたように、冷戦時代の日本がアメリカの庇護を受けて偽りの「戦後70年の平和主義・平和国家」体制で経済発展を享受してきたポジションに、今度は沖縄がなる番だという訳である。

【吉田ドクトリン】
アメリカの庇護の下、日本は軽武装・経済重視。ただしその「経済発展」の手段には、朝鮮戦争やベトナム戦争といった他国の戦争にも積極的に関わって利益を得る事も含まれる。同時に裏でこっそり少しずつ日本の軍拡化も進める。

【翁長ドクトリン(構想)】
二つの大国「日米」の庇護の下、沖縄は軽武装(那覇基地や普天間基地の撤去並びにそれの本土移転)・経済重視(撤去した基地跡地の再開発やUSJの誘致、自衛隊新基地建設などの土建景気)。ただしその「経済発展」の手段には、今後日米が世界各地で起こすであろう軍事行動に(朝鮮戦争・ベトナム戦争時の日本のように)積極的に協力して利益を得る事も含まれる。同時に裏でこっそり少しずつ自衛隊の基地を沖縄に増やして、米軍に代わる「沖縄の安全保障」も進める。

吉田ドクトリン体制の下で日本が享受してきた「戦後70年の平和」とやらと同じ事を、今度は沖縄が享受する番だというのが翁長県政の目標、すなわち吉田ドクトリンの現代沖縄版「翁長ドクトリン(構想)」であろうと筆者はにらんでいる。翁長雄志という政治家の「日米安保LOVE」ぶりがよく現れているのが以下の記事だろう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00000011-mai-pol
<翁長知事>ワシントンで会見「計画断念求める」改めて主張
毎日新聞 6月1日(月)10時15分配信

 【ワシントン西田進一郎】訪米している沖縄県の翁長雄志知事は5月31日、首都ワシントンの同県事務所で記者会見した。「日米両国は『品格のある日米安全保障体制』でアジアや世界の安定と平和に力を合わせてほしい。そのために沖縄の基地問題を解決しなくてはならない」と語り、改めて米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設計画断念を米政府関係者らに求める考えを示した。

【翁長知事「自民出身だから安保の大切さはよく分かるが…」】

 翁長氏は、沖縄の基地負担について「過重で県民の自由、人権、民主主義を保障できない」と指摘。「日米安保体制は民主主義という共通の価値観を持つ国々との連帯で中国に対抗しようとしている。自国民にそれらを保障したうえで連帯の輪を作ることが品格のある日米安保体制だ」と主張した。

 普天間飛行場の固定化を避けるための代替案については「日本政府が第一義的に考えるべきだ」と語った。

 翁長氏は6月1日から3日まで、ワシントンで米政府関係者や上下両院議員、シンクタンク関係者らと意見交換する。3日には国務省のヤング日本部長、国防総省のアバクロンビー副次官補代行と面会し、その後に記者会見を開く予定だ。


これまた実に恐ろしい言葉のオンパレードで、「日米両国は『品格のある日米安全保障体制』でアジアや世界の安定と平和に力を合わせて」「そのために沖縄の基地問題を解決」「安保の大切さはよく分かる」「日米安保体制は民主主義という共通の価値観を持つ国々との連帯で中国に対抗しようとしている。自国民にそれらを保障したうえで連帯の輪を作ることが品格のある日米安保体制だ」といった発言はまさに日米安保はおろか、新ガイドライン体制そのものだ。日本がアメリカという強大なケツ持ちをバックにして、これから中国や朝鮮、中東、アフリカなどでバンバン軍事行動を起こす事を全面肯定した上で、「沖縄の基地負担軽減」「普天間基地県内移設断念(基地用地返還)」を求めているのだから。「平和国家」の仮面を被りながら実際にはアメリカの戦争に積極協力して経済的恩恵を享受した戦後日本と完全にダブる姿であり、沖縄を日米の戦争体制の部品の一つに組み込ませる事で経済的恩恵を得る「小日本」にしたいという狙いが透けて見えよう。
翁長県政の下で、今やこれだけ騒がれている辺野古の基地建設はひょっとしたら止められるかもしれない。だがより大きな問題はその後にやってくるのではないか。と言うのも、米軍の代わりに今度は日本軍(自衛隊)がやって来たというオチに終わる可能性がかなり高いからだ。翁長や下地幹郎らに代表される「沖縄の保守派にして指導層」(日帝植民地下の朝鮮における親日派に該当)は二言目には「基地負担の軽減」を口にするが、それと同時に推進されているのが沖縄の自衛隊配備ではないか。しかも与那国宮古島、石垣島(教科書問題も…)のような尖閣に近い過疎の地域から当然のごとく狙いすまして入り込もうとしているお決まりのパターンだ。つまり、さすがにもう沖縄で米軍基地をこれ以上目立った場所(那覇や普天間など)で増やすのは難しいから、今後は尖閣に近い過疎の島に自衛隊基地を建ててその代役にしていくという事だろう。しかも翁長知事は明らかにこれを黙認しているではないか。これなら一見「基地負担の軽減」をしたようにも見えるから、公約を守ったようにごまかしが利く。しかしながら、これでは仮に辺野古の基地建設がストップ出来ても、沖縄が「平和の島」になる事はない。
「米軍基地の島・沖縄」
「米軍が世界各国の紛争地帯へ出撃する基地としての沖縄」

「中国との戦争に備えた自衛隊の前哨基地島・沖縄」
「自衛隊が世界各国の紛争地帯へ出撃する基地としての沖縄」
へと衣替えするだけにしかならないだろう。その後の沖縄が経済発展を享受するということは、すなわちそうした日米の戦争体制へより積極的に加担・協力する事で成し遂げられる事である。戦後日本の朝鮮特需・ベトナム特需のように。宮古島などの自衛隊基地建設には翁長雄志や下地幹郎や高橋哲哉らのバックになっている土建屋達がさぞかし儲ける事だろう。那覇基地や普天間基地の跡地再開発も連中には大きな目玉だ。USJ誘致というのはこうした再開発利権と決して切り離せない。他にももっと大規模な軍需事業体を沖縄に誘致するという事が起こっても不思議ではないだろう。偽りの「平和の島」の仮面を被って裏では戦争特需で経済発展という、戦後日本の行動パターンをそのまま沖縄に当てはめる「翁長ドクトリン」は、連中(沖縄の保守指導層)なりに日米新ガイドライン体制に順応しようとした選択ではあるだろう。だがそれをあたかも「9条護憲」や「沖縄からあらゆる基地の撤去」であるかのように誤解する事ほど危険な事はない。

今の安倍政権が戦後70年間積み上げてきた再軍備や軍事大国化や解釈改憲の総仕上げだとするならば、翁長県政とは1872年の琉球処分以来(正確にはそれ以前から酷い侵略と収奪を受けて来たが)行われてきた沖縄の植民地統治(日本帝国への編入)・民族抹殺政策・皇民化の総仕上げではないかとすら思える。皮肉な事に「オール沖縄」で基地反対の為に選んだはずの知事が、だ。
沖縄人が「祖国は日本。アジアや世界の安定と平和の為に、品格ある日米の安全保障は大事」などと言うのは、日帝時代朝鮮の親日派が「祖国は大日本帝国。大東亜と世界平和の為に、朝鮮の若者は聖戦に出征せよ」と叫んだのと全く同じで、悲劇を通り越した喜劇でしかない。被侵略国の人間が侵略国の戦争に積極加担して、それを「世界平和」などという。翁長のような「沖縄の指導層」のこうした振る舞いは、沖縄の皇民化と民族精神・文化の破壊がいかに深刻かをよく物語っている。今のままでは沖縄の行き着く先はアメリカにおけるハワイでしかないだろう。

この「翁長ドクトリン」が「米軍基地本土引取り運動」と結果的には軌を一にするものだという事もお分かりいただけるだろう。飽くまでも沖縄が「ふたつの大国【日米】 by 山内徳信」に隷属する事が大前提である「翁長ドクトリン」において、米軍基地の完全な廃止など論外であるからだ。だからこそ普天間基地などを「本土移転」させて、日米の軍事体制に支障をきたさないようにしつつ、それを以って形ばかりの「基地負担軽減」を取り繕うに過ぎない。それを「沖縄に対する植民地支配への清算」などと誤認するのは間抜けにも程がある。仮にそのような本土移転が実現したとしても、ベトナム戦争の時と同じでその米軍基地から世界中に米軍の飛行機や船が出撃する事に違いはなく、その銃口は依然として朝鮮民主主義人民共和国にも向けられているのだ。一部の在日までもが「本土引き取り運動」に賛同してたわけた事を言っているのは、末期症状としか言いようがない。それも民団やデイリーNKのような在日の不良分子や反北朝鮮勢力ならまだしも、普段から朝鮮共和国への制裁や軍事的圧迫に反対しているはずの者がだ。だからこそ少しは頭を冷やせ、引き返すなら今のうちだ、というのである。


・真犯人をすり替える歴史修正主義

「本土引き取り運動」が明らかにおかしいもう一つの理由は、責める(攻める)べき相手を完全に間違えているという点にあろう。こうした軍事基地や迷惑施設・公害などの問題で「責任者が迷惑施設や有害物質など引き取って同じ目に遭ってみろ」と追求するのはよくある闘争手段だ。例えば水俣病の時には患者達がチッソの幹部を問い詰めて「だったらおまえが工場廃水を飲んでみろ」と突きつけた事があり、実際にその幹部はその排水を飲めなかった。犯人の責任とそれを負おうとしない醜態を満天下に晒してみせる、最もストレートな運動だと言える。だが「本土引取り運動」は? 連中は漠然と「本土で引き取りましょう。大阪がいいでしょう」と言っているだけで、沖縄に米軍基地を押し付けた真犯人を全く責め(攻め)ようとしない。いや、それどころか連中は「沖縄に米軍基地を押し付けたのは、本土の反戦平和運動(by 屋良朝博&高橋哲哉)」などというとんでもない歴史修正主義的詭弁を弄しているではないか。沖縄に米軍基地を押し付けた真犯人は言うまでもなくアメリカ政府そのものであり、明らかに戦後の日本政府であり、自分の保身の為にアメリカへ「沖縄をずっと占領していてくれ」と惨めかつ卑屈な姿勢で差し出した昭和天皇・裕仁であるのは明白だ。これら真犯人の事を完全に無視して「本土の反戦運動が悪い」などというのは、もはや新しい歴史教科書をつくる会並みの歴史修正主義である。沖縄から米軍基地(自衛隊基地もね)は永遠に撤去・廃絶されるべきであり、「ヤンキー(ジャップ)ゴーホーム」以外に道はない。「引き取り」を口にするなら「米本土」だろう。実際の沖縄の世論調査でも「無条件閉鎖・撤去」の方が「沖縄県以外の国内に移設(日本本土移転)」よりも多かったではないか。高橋哲哉はこの事実をも無視してあたかも「(日本)本土引取り」が「沖縄の声」とまで言っており、またしてもとんでもない大嘘を言っている。歴史修正どころか現在修正主義ではないか。この者の邪悪さは限度を超している。

もし仮に「米軍基地を「本土」で引き取れ」というならば、皇居や皇室御料地といった天皇家の土地に引き取らせるのがスジではないか。明仁に「親父の責任を取れ」と! あるいは皇室と姻戚関係があって現に日米戦争体制を進めている日本のエスタブリッシュメント達に突きつけるのも手だ。安倍晋三や麻生太郎らに「おまえらが持ってる土地に米軍基地を引き取れ」というのも十分にありである。とりわけ麻生家は東京に大邸宅を構え、それのツアーという示威行動をした運動家が酷い弾圧を受けている事を考えれば、それへの連帯と協力という観点からも理に適っている。もちろん安倍も軽井沢はじめとする各地に別荘をいくつも持っており、これまで内外の賓客をそこへ招いて歓待してきたのだから、安倍家が米軍基地の一つや二つ引き取れるだけの不動産を十分に持っていても不思議はない。
米軍基地を仮に「本土」で引き取れと言うならば
「天皇や安倍や麻生が責任取って引き取れ! おまえらの土地で米軍基地を受け入れろ!」
と声を上げるべきであろう。チッソの幹部が工場廃水を飲めただろうか。電力会社の社長が自宅の隣に原発を建てるだろうか。東京電力が自分の本社敷地に汚染瓦礫を引き取ろうとしただろうか。明仁が今まで一言でも「皇室の土地に米軍基地を引き取る」と表明した事があっただろうか(明仁が自分の保身しか頭にない偽善者というのは、この事だけでよく分かるだろう)。そんな事は今まで一度もなく、これこそ強者が弱者を踏みにじって犠牲にする社会構造そのものではないか。だからこそそこを突き、連中の汚れた本性と邪悪さを徹底して暴かねばならない。戦いはまずそれからだろう。
しかしながら「本土引取り運動」の中には狂信者も何人かおり、疑問を呈した者に「俺らの運動に反対するのは植民地主義が分かってない。本土引取りだけが沖縄差別と植民地支配を清算する方法だ」とばかりに何の論理的説明もせず頭ごなしにどやしつける者がいる。そういう罵声は天皇や安倍や麻生に言え。なぜ天皇らにそういうセリフを言わず、本来味方であるはずの運動家や同胞達に罵声を浴びせるのか。そんなに天皇や安倍が恐いのか。それとも米軍基地問題の直接の犯人でない一般人の住む大阪のどこかに基地を引き取らせるのはまだ「実現性」があるが、天皇や安倍や麻生といった基地問題の真犯人・責任者にして権力者の私有地に引き取りを要求するのは「実現性」がないからだとでもいうのか。それこそ「本土引取り運動」の側が金科玉条として追求してきたはずの「犠牲のシステム」とやらそのものではないのか。

「米軍基地本土引き取り運動」とはすなわち
・それまでの主張と原則(米軍基地の完全撤去と日米安保廃棄)を曲げて、妥協した運動である。
・「日米安保8割」という世論がある事と、それに迎合しておもねる事を前提とした運動である。
・沖縄米軍基地問題における最大の真犯人(米軍及び天皇に代表される日本の支配層)を追及しない。
・平気でとんでもない嘘をつく(沖縄に米軍基地を押し付けたのは「本土」の反戦平和運動、本土引き取りこそが「沖縄の声」であるなど)。
・日米安保体制下で沖縄の「軽武装・経済重視」という「翁長ドクトリン(構想)」に合致した路線である。

といった事柄が際立った特徴として挙げられる。
「本土引き取り運動」というのは一見「沖縄差別の解消」を唱えて弱者である沖縄を助けるかのように振舞っているが、実際には犠牲を別の弱者にたらい回しして、真犯人(米軍とそれの同盟者である天皇はじめとする日本のエスタブリッシュメント)を全く追求しようとしない、日本の社会運動の中でも恐ろしいほど誤った方向へと邁進している運動の一つである。誤った運動? いや、3.11以降の日本ではこんなものは別段珍しくもない。むしろ今の日本では間違ってない社会運動を探す方が難しいだろう。

反原連のように右翼や日の丸を認めて労働運動の旗を排除し、瓦礫の拡散に手を貸すような「脱原発運動」。
在特会と寸分違わぬ差別暴言を撒き散らすゴロツキどもが、あたかも自分達を正義の味方のように装う「反差別運動」CRAC。
都知事選で細川護熙&小泉純一郎組を「脱原発の最後の戦い」のごとく言い立てて応援した広瀬隆や鎌田慧らの集団。
「自民党に頭を下げて自分達オタクの表現の自由を守ってもらいましょう」と主張する、赤松健らの「表現規制反対運動」。
「警察のみなさんに感謝しましょう」と言い、「日本がアジアの主導権を握る」事を目指すという覇権主義丸出しな「若者の反安保法案運動」SEALDs。

3.11以降の日本の社会運動は一事が万事で、これらのように底なしの腐敗堕落ぶりを露呈してきた。「米軍基地本土引き取り運動」もまたそれらと同じ道を歩む誤った運動に過ぎない。上記のような運動に反発してきたはずの一部の人々までもが「本土引き取り運動」に賛同してしまうのは、まさに悲劇を通り越した喜劇そのものである。誤った運動に加担してしまうという危険性は誰にでもあるという事、それを絶えず意識する事を決して忘れてはならない。

言い出したのは古賀茂明だったか、反安保法案デモに際して「30万分の1になれ。頭数になれ」というスローガンが一部で言われた。これほど人間の個を抹殺する機械的で冷酷な言葉はないと思うが、同時にこれは誤った運動へと大衆を扇動する為の「名文句」でもあると思う(逆に言えばまっとうな運動を目指す者が絶対に言ってはならない言葉である)。日本野鳥の会でも反原連でもそうだが、インチキ社会運動の人的構成とは、頭の足りない99%のアホと狡賢い1%の確信犯的詐欺師によって成り立っている。主導権を握るのはもちろん後者だ。3.11後の日本の社会運動はどれもこうした色彩が恐ろしいほど濃い(ついでに言うと、上記の集団達と対立している(という事になっている)在特会もそうである)。一言で言えば烏合の衆の全体主義カルトだ。これこそ日本という国の縮図そのものである。
「頭を使うな、おまえはただの「頭数」だ。反論は一切許さない。おまえがそういう事を言うのは、俺達の運動を理解していないからだ」
野間易通や古賀茂明が自分とこのデモ参加者に見せる強権的なカルト教祖じみた姿と、「本土引き取り運動」の狂信的賛同者達の振る舞いにいかほどの違いがあるだろうか?

(完)
PR
コメント

コメントを受けつけておりません。

プロフィール

性別:
非公開

ブログ内検索

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

フリーエリア