・「米軍基地本土引取り運動」が出て来た根源と高橋哲哉のスタンス
まず最初にはっきりさせておかねばならないのは、この「引き取り運動」が出て来た最大の理由についてだ。これは誰が見ても分かりきった事なのだが、一言で言って「妥協」だろう。前回にも書いたが、辺野古での激しい暴力的弾圧や一向に好転しない閉塞的な状況、それに安保条約への高い支持率といった悪条件が長年にわたって続いた結果、一部の人々の間に広がった絶望感がこうした要求の後退を招いた事は疑いの余地がない。基地の「完全撤去」は無理だが、要求を低めた「本土引取り」ならもう少し実現可能性が高いだろう、という方向に妥協した訳である。人間である以上、そうした弱気・弱音に陥る事は誰にでもある。それは当の「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動(略称=引き取る行動・大阪)」のメンバー達も暗に認める所だ。状況が好転せず悩んだからだ、と。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=123480
「大阪に米軍基地を引き取ろう」 市民団体、沖縄への思い
2015年7月9日 13:41
「沖縄に押し付けてきた米軍基地を引き取り、差別をやめたい-。そんな思いで大阪府民が市民団体「引き取る行動」を結成した。大阪で10年間、辺野古新基地建設に反対する運動を続けてきたが、国の作業が進む中で、長く悩み抜いた末に「本土は平等に基地を負担すべきだ、という沖縄の声に応えなくては」と決意した。今後、米軍基地がない大阪府内で在沖米軍基地の移設先を検討し、首長に引き取りを要請する予定だ。」
「当時は本土移設に賛同できなかった。反戦平和の理念に反すると思ったからだ。」
「しかし辺野古の状況は好転せず、次第に「本土の人々は問題を承知の上で基地を沖縄にとどめようとしているのでは」「これ以上同じ抗議の言葉を書き続けられない」と悩みを深めた。関西に住む県系人たちが催す講演会に足を運び、沖縄の過重な基地負担を植民地や差別の視点で捉えて本土移設を訴える県民の話を聞く中で「私も安全圏に住んで平和を享受しながら、沖縄に基地を押し付けて差別してきた一人」と考え発言するようになった。」
一方でこの人達の理論(?)的柱であるらしい高橋哲哉の発言にもそれを示唆する記述がある。だが、高橋はこの人達と違ってもっと露骨であり、どこまでも意気軒昂だ。
http://politas.jp/features/7/article/399
本土」の私たちは「県外移設」を受け入れるべきだ
高橋哲哉 (哲学者/東京大学大学院総合文化研究科教授)
2015年6月30日
「「安保反対」は戦後日本で社会党・共産党など革新勢力が唱えてきたスローガンであり、世論調査で3割前後の支持を得ていた時代もあったが、近年では1割前後の支持しか得られていない。」
「しかし、革新勢力が何十年と「安保廃棄」を唱えてきても、安保支持は減るどころか漸増を続けて今や8割に達している。反戦平和の立場であっても、直ちに「安保廃棄」が見通せない限り、「安保廃棄」が実現するまでは県外移設によって沖縄の基地負担を引き受けるしかないだろう。「沖縄にいらない基地は日本のどこにもいらない」というスローガンは、県外移設を求める沖縄の側から見れば、「本土」の側の県外移設拒否宣言に聞こえる。実際、反戦平和運動は、「沖縄にいらない」米軍基地は「日本のどこにもいらない」のだから、「本土」のどこにも移設すべきではないとして、県外移設に冷淡な立場をとってきた。その結果、「本土」には許容できる地域がないから県外移設はできないという政府の立場に近づいてしまうのだ。日米安保条約をいつまで続けていくのかは、いずれにせよ、「本土」の8000万有権者の意思にかかっている。日本の反戦平和運動は、「安保廃棄」を目ざすなら、県外移設を受け入れた上で、「本土」で自分たちの責任でそれを追求するのが筋だろう。」
高橋は「引き取る行動」の人々と違って「悩み」もせずにズケズケとものを言う。「反戦平和の立場であっても、直ちに「安保廃棄」が見通せない限り、「安保廃棄」が実現するまでは県外移設によって沖縄の基地負担を引き受けるしかない」というのはまさに高橋自身の考えそのものでもあり、要するに高橋は「ただちには安保廃棄はない」という、まるで原発事故直後の某政治家みたいな事を言っている訳だ。
安保反対なんて今さら少数派だ、賛成派が8割なんだ、「安保廃棄」なんて直ちには見通せない、だから「本土」が受け入れるべきだ、と。安保賛成が80%という状況では「無条件撤去」は無理だが、「県外移設」すなわち「本土受け入れ」なら実現性があるかのように高橋が主張しているのは明らかだ。
ここまで来ると「弱気」というよりは「強気」だろう。そう、高橋と「引き取る行動」の最大の違いがここにある。「引き取る行動」が「辺野古の状況が好転せず悩んだ」と言ってそれでも申し訳なさそうに告白していたのに対し、高橋は「安保支持は今や8割」という無残な日本社会の状況に悩みも嘆きも怒りもしない。それどころか、その8割の安保支持があるからこそ「引取り」に勝算があると言わんばかりだ。あるいは、この御仁は8割という日米安保への支持率を、高橋哲哉という自分個人への支持率と勘違いしているのかもしれない。
いずれにせよはっきりしているのは「本土引取り」というのが、
「閉塞的な状況からの弱気」by引き取る行動
「日米安保支持8割という絶望的な情勢をむしろ積極的に受け入れて強気」by高橋哲哉
という、弱気であれ強気であれ、要求のハードルを下げた結果である事がお分かりいただけるだろう。
さて、上記沖縄タイムスの記事など見ていると「引き取る行動」はじめとする市民団体は高橋哲哉に相談に乗ってもらっているという。弱気になってやむなく「本土引取り」という妥協論に走ったが、それでもまだ後ろめたい所があって自信がなかったようだ。だが高橋を相談相手にしたのは最悪の選択と言わざるを得ない。この大学教授は彼らに熟考を進めるどころか「今や安保支持は日本の8割なんだから勝算あり。君たちは間違ってなんかないんだ」とばかりに強気論で背中を押す。さらにその教授は彼らの悩み・弱気・後ろめたさをごまかす為の入れ知恵まで付けてくれた。
「県外移設こそ沖縄の民意と考えなさい。翁長知事の主張だって県外移設だし、大田昌秀元知事だって県外移設だった。だから問題ありません。弱気だとか妥協したとか、そんな事は気にする必要ありませんよ。県外移設こそ唯一の解決策にして、沖縄の人々の民意なのです!(本当は県外国内移設の支持率は約21%に過ぎず、アメリカ本土移転や無条件閉鎖の方がずっと支持率高いのだが) それでも駄目なら『本土の反戦平和運動こそが沖縄に基地を押し付けた』と反論しなさい。要するに『融通の利かないオールド左翼(ヘサヨ・極左)が何もかも悪い』論法は今の日本ではどんな分野でも無敵です!」
…いずれにせよ、当初は後ろめたさからおっかなびっくりだったこの運動、高橋教授の入れ知恵(と言うかそそのかし)によって今後強気に転じる可能性が高いのではないか。実際に一部の引き取り論者はすでに他人の意見や問いかけに全く耳を貸さず、それこそ反原連やしばき隊やSEALDsらと見紛うばかりの強硬姿勢に走っているとも聞く。「支持率8割」をバックにすると、人はこうまで態度が変わるものなのか。だがその8割とは何なのだろう。日米安保とは日本の国家体制、すなわち「國體」そのものなり! 国家体制への帰属を鮮明にした人間が8割、その8割をバックボーンに「本土引取り」で沖縄米軍基地問題を解決する(つもりになる)…。米軍基地の撤去云々は、基地が「本土」に移転し終えてからやれば良い…。
「本土の反戦平和運動こそが沖縄に基地を押し付けた」だって? 沖縄に基地を建てて押し付けてきた主体・真犯人は飽くまでも日米両政府である。それを「反戦運動」のせいにするなど、どこまで酷い倒錯の極みなのか。ほんの少し前に衆議院特別委員会で安保法案が強行採決された。国会の周辺ではこれに反対する大きなデモが行われているが、ならば安保法案が強行採決されたのはこれら「反戦運動」のせいなのか? これら安保法案反対のデモ隊が強行採決を阻止出来なかったから、彼ら「反戦運動」が安保法案通過の犯人だとでも言うのか? このような言い方は抵抗運動に命懸けで戦い、それでも敗れた人々に対する甚大な冒涜であり、セカンドレイプとしか言いようがない乱暴かつ幼稚極まりない論法である。同時に運動に深刻な分断をもたらす許し難い策動だ。
高橋はこうも言っている。
「有権者・国民の支持さえあれば、それをバックに米国側と交渉することも可能」
「安保支持8割」の国でそれをバックに米国と何を交渉出来るというのだろう? 仮にその「8割の世論」で辺野古の建設予定地を大阪など「本土」に移転出来たとして、それを撤去交渉出来るとでも? 日本国民(臣民)の8割にものぼる「國體」への帰依者どもがどうして「沖縄から新しく写ってきた米軍基地」にわざわざ反対せねばならない?
高橋が主張しているのはどこまでも「多数派の論理」である。「8割」の安保支持をバックにとりあえず「本土引取り」さえ実現出来ればそれでいいという、刹那主義すら感じられよう。仮に移転したとしてその基地を本当に撤去出来るのか、日米安保がどうだとか、その基地から出撃した日米軍が、今後世界中でどれだけ凄惨な殺戮を繰り返すかなど、何も考えていないだろう。いや、「「安保廃棄」が見通せない」という本音が全てを語っている。
高橋が寄り添わんとしているのは「ヤマトの「犠牲のシステム」によって植民地支配されている沖縄」ではなく、「『國體』に帰依した8割もの日本臣民」の方だろう。8割の臣民とそれが支える体制(これこそ沖縄を植民地としている根源なのに)に抵抗を挑むのではなく、その支持率に頼って「基地完全閉鎖」のハードルを下げて「本土引取り」に妥協せよと言っているのだから。
高橋哲哉を見ていると、日帝植民地時代の朝鮮の小説家だった李光洙の姿がダブる。当初は日帝に抵抗して独立運動の側にいる振りをしていたが、その後どんどん妥協論を繰り返して、しまいには日本の侵略戦争を積極的に賛美するようになった。知識人の典型的な転落パターンだが、遠からず高橋にも同じ運命が待ち受けているのではないか。
高橋哲哉の「米軍基地本土引取り論」には元ネタ(と言うか明らかに影響を受けたもの)がある。沖縄タイムスの元論説委員(現在はフリーランス)だった屋良朝博の著書や主張をパクって、安保廃棄を事実上諦めた自分の立場に合うよう「つまみ食い」して再構成したのではなかろうか。
(続く)
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