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新ガイドライン・日米安保・翁長ドクトリン その2

・俺達グル! 二重の意味で!

屋良朝博という記者は今でも沖縄米軍基地問題では取材や発言を続け、この問題をそれなりに深く追及する者であれば一度は名前を聞いた事があるはずだ。実際に屋良は米政府や米軍の高官・関係者に幅広く取材して、中には貴重な証言もいくつか集めており、それらは重要な資料として運動や研究に活用出来ると思う。ただし、屋良自身の主張や見解に筆者は全く同意しない。屋良の立場とは飽くまでも「日米安保を容認した上で、沖縄の基地負担軽減」という典型的な「沖縄の保守」である。政治家で言えば翁長雄志や下地幹郎らのスタンスとほぼ同じと言って良い(もちろん佐藤優もこの「沖縄保守」の範疇に含まれる)。分かり易いのが以下の講演であろう。ここで屋良はこんな事を言っている。

http://www.peace-forum.com/mnforce/2009/03kaisetu/100402.htm
屋良朝博さん(沖縄タイムス論説兼編集委員)の講演
テーマ:沖縄海兵隊のグアム移転問題について

 最後に、「こうすれば海兵隊は日本を離れられるのではないか」という私の提案です。1つ目は輸送支援です。2つ目は日米共同の民生支援です。3つ目は、先の2つをもって同盟の深化と位置付けるのです。これらを、沖縄問題を考える際の、知的作業の一助にしていただきたいと思います。
また先ほど見ていただいたように、海兵隊は6か月のローテーションで沖縄に来ます。本国から沖縄・グアム・各地の訓練センターを回って6か月を終えて本国に帰ります。ですから、最初に沖縄に来なければいいのではないでしょうか。沖縄を除いてローテーションすればいいのです。もし日米共同訓練を行うのであれば、沖縄よりも広い演習場のある本土の各地に行ってもいいでしょう。そうした回し方もありだと思うのです。そこで輸送コストがかかるのであれば、高速輸送船を日本がチャーターしてもいいでしょう。そうした「WIN WIN」を考えないで、「海兵隊は出ていけ」というだけでは、交渉が成り立ちません。そうした戦略的な対話をすすめていただきたい、沖縄の基地問題を考えていただきたいと思います。
 海兵隊は米軍の中で一番小さい組織です。さらにその一部の普天間基地のために、一国の首相が首を賭けるかどうか、これは不思議なことです。

御覧の通り屋良は「輸送支援」「日米共同の民生支援」「これらによる同盟の深化」「日米共同訓練を行うのであれば、沖縄よりも広い演習場のある本土の各地に行ってもいいでしょう。そうした回し方もありだと思うのです。そこで輸送コストがかかるのであれば、高速輸送船を日本がチャーターしてもいい」「(日米)WIN WIN」「「海兵隊は出ていけ」というだけでは、交渉が成り立ちません」とまで言っており、飽くまでも日米安保そのものに何の疑問も抱かず全面的に肯定する立場なのである。
気がかりなのは、この講演が行われたのが2010年3月17日というまさに民社国連立政権の末期であるという事が一つ。二つ目は屋良が沖縄平和ネットワーク関西の会など、沖縄基地問題関連運動体にやたらと呼ばれて講演し続けてきたという点である。実際に屋良はこれよりも以前、民主党政権が成立する少し前からもこうした主張を活発に続けていた。そして沖縄平和ネットワークなど「フォーラム平和・人権・環境」と関わりのある団体が行う講演会の「常連弁士」だったという事。あの時期辺りからああした団体達がこういう人間を嬉々として呼ぶ…。まさに佐藤優現象が蔓延し始めた頃とぴったり符合しよう。「STOP!! 米軍・安保・自衛隊」を主張しているはずの人々が、「米軍の輸送支援」「同盟の深化」「日米WINWIN」「米軍の為に日本が高速輸送船をチャーター」「海兵隊は出て行けでは通じない」と主張する記者を安易に呼んで、批判的視点一切なしにその御高説を拝聴とは一体どういう事なのかと思う。屋良朝博を度々呼んで話をさせていたのはこうした市民運動体だけでなく、社民党もまた同様であった。「屋良朝博氏の講演内容は当団体の立場とは一部異なる部分があります」といった免責事項すらこれらには見当たらない。

また上記講演でもう一つ目を引く部分がある。

 海兵隊は50年前にも大きな移転を経験しています。一般的には「沖縄には戦後ずっと海兵隊の基地がある」と、思われているかもしれません。しかし海兵隊の基地は、岐阜県と山梨県にあったのです。1950年に朝鮮戦争が勃発し、53年に岐阜県と山梨県に海兵隊が配備されました。日本に配備されていた米軍は、朝鮮戦争の勃発と同時に韓国に行きました。そのあとに海兵隊がやってきました。その役割は、韓国に配備された米軍のバック・アップ、戦略的後方支援です。それが56年には、朝鮮半島からは遠く、しかも船による輸送手段のないまま沖縄に移ってきたのです。
 なぜそうなったのか。その理由は全くわかりません。米軍基地を担当して10数年間、資料を探していますが見つかりません。合理的な理由が見当たらないのです。ただ一つ、当時の政治状況から推測できることがあります。
(中略)
 沖縄の米国総領事が、海兵隊の沖縄移転計画に反対してワシントンに中止を求める秘密公文を出していたことが判明しました。中身は、海兵隊を沖縄に持ってくるべきではない、陸軍と空軍の基地で沖縄本島の3割が基地になっている、海兵隊がくれば沖縄の半分が基地になってしまう、さらに1200世帯の家屋を強制退去させて土地を確保しなければならない、そうしたことは行うべきではないというものです。最初に総領事は、米軍基地は1か所に集中させたほうが有効であると考えていたようです。しかしそれは間違いであることに気付いたと書いています。総領事は、陸軍次官が米国から沖縄に視察に来た時に、陸軍次官が海兵隊の沖縄移転に反対していることを聞かされました。司令部が1か所に集まると、司令部機能が混乱するというのです。また海兵隊も沖縄に行きたがっていないことを、海兵隊の将校たちから聞かされます。沖縄に海兵隊が来れば、沖縄の問題は解決不可能になってしまうと、総領事は手紙に書いています。あるときの手紙には、「沖縄移転を説明できるのはウィルソン国防長官しかいない」とも書いてありました。ウィルソンの政治判断だったのです。ですから50年前も現在も、やはり政治が決めたのです。軍事的な合理性ではありませんでした。政治家が基地の配備を決めているのです。
 当時は朝鮮戦争の勃発後で、日本国内では米軍基地を拡張するために土地の収用が行われ、それに反対する運動も大きく巻き起こりました。有名なところでは立川飛行場の拡張計画と砂川闘争です。当時の日本政府は、米国から求められる基地の拡張と、再軍備のサンドウィッチ状態だったのではないでしょうか。そこから出てきた答えが、「地上軍を沖縄に移転する」ということです。
 1955年に日米安保条約を締結した後、岸信介総理とアイゼンハワー大統領は共同文書を発表しました。日米は対等な関係になったのです。それが地上軍の撤退につながりました。なぜなら地上軍の駐留は、占領軍の印象を持つからです。占領状態を一掃するために、地上兵力を引き上げることにしたのです。そこで当時は日本でなかった沖縄に、海兵隊が移ってきたのではないでしょうか。


「本土」の海兵隊基地が沖縄に移転する事になった経過と原因について考察した部分だが、支離滅裂な文章という感が否めない。だが屋良は、他の著書では海兵隊沖縄移転の理由をもっと明確に断言して述べている。例えば上記講演とほぼ同時期である2009年7月発行の「砂上の同盟」という本では

http://hyogo-hoshiokyuuen.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-9541.html
「砂上の同盟」 米軍再編が明かすウソ
「海兵隊の最初の駐留地が岐阜(各務原)と山梨(北富士演習場)だったのは、朝鮮戦争で韓国に配備された米軍部隊をバックアップするためだ」(同書 84ページ)のだが、1956年沖縄にその第3師団1万61千人が移駐しました。09124 その理由は、1950年代初めに各地で起こった内灘闘争、浅間山の演習場反対闘争、妙義山接収計画反対闘争、砂川基地闘争、そして何より北富士演習阻止の忍草農民の闘いなどがあって追い出されたというのが事実ではないかと屋良さんは指摘されています。


また、2012年12月発行の「誤解だらけの沖縄・米軍基地」という本も、アマゾンのさるレビューによればこうある。

http://www.amazon.co.jp/review/RIMNJME6IID02/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4845112884&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books
・「実はまだ詳細は不明」
としているのに、本土から沖縄に海兵隊が移動してきた理由を、
朝鮮半島を警戒していた海兵隊は岐阜や山梨では住民の反対が強く、訓練もろくにできない状況だったため、当時は日本の外に置かれ、米軍統治下にあった沖縄に海兵隊を移してしまったということでしょう
と書いてしまったり


昔「本土」にあった海兵隊基地は住民の反対運動に遭って沖縄に移ってきた(実はまだ詳細は不明なはずなのに)、つまり「沖縄に米軍基地を押し付けたのは本土の反戦平和運動説」を最も積極的に広めて来たのが屋良朝博という記者であった。少なくとも同説の代表的論者の一人である事は間違いない。
もうお分かりだろう。最近の高橋哲哉が言ってる事は屋良朝博の主張をさらに過激にしたものであるという事が。今や「基地本土受け入れ運動」の間で高橋哲哉は教祖とも言うべき尊師的存在、すなわち「グル高橋」という仇名がぴったりになっており、少しでも尊師の事が批判されると逆上して攻撃してくる狂信者すら見かける。彼らが他人の批判や意見に対して論理的に反論してくる姿など見た事がない。ひたすら「おまえは植民地主義が分かっていない」の一点張りである。だがそんなグル高橋の「教義」も蓋を開けてみれば何の事はない。他人の安っぽい引き写しに過ぎなかったのだ。グルにはさらにグルがいた。俺達(二重の意味で)グル! 日米両政府もグル! それで「植民地主義」とやらを語る事が根本的に間違っている。日米安保こそ沖縄とその民族を抹殺し、日米という二つの大国の「植民地」とし続けている最大の元凶ではないのか。「日米WIN WIN 日米同盟深化(by 屋良)」「安保廃棄は見通せない(by グル高橋)」という観点で、米軍基地を本土に移転さえすれば全て解決という飛躍した思考こそ考え直すべきだろう。自分達のグルが言っている事を要約すると以下のようなものでしかないのだから。

米軍基地を沖縄に押し付けたのは「本土」の反戦運動。それが定説です!
日米安保の支持率が今や8割。安保廃棄なんか出来っこありません。それが定説です!
「本土による基地引取り」こそが唯一の沖縄基地問題解決方策。それが定説です!

「日米安保を容認した上で、沖縄の基地負担軽減」こそ翁長・下地・屋良らに代表される典型的な「沖縄の保守」の立場であり、だからこそこの手の連中は「(飽くまでも希望的観測として)出来れば基地はない方が良いが、それなりの見返り(経済振興)さえもらえればヤマト政府やアメリカとも妥協出来る」という事でもある。この立場では基地の「完全廃止」など重要ではない。いや、日米安保体制に寄生する「沖縄の保守」からすれば、「負担」は減るのが望ましいが、基地が完全になくなるのはむしろ困るだろう。それこそこれは今まで何十年も繰り返されてきた事ではないか。それに回帰、いや今後とも継続させてどうするのか? 「お師匠様」である屋良の説をほぼそのまま取り入れた高橋のスタンスも今や完全な「沖縄の保守」の立場であり、その代弁者である。高橋が沖縄の有力土建屋の一つである照正組の照屋義実と最近密接な関係であるのもそうした脈絡で理解が出来よう。翁長や下地といった沖縄の有力保守政治家達のバックに地元の有力土建屋がついているように。グル高橋という男、哲学者という表のふれこみとは違って、腹の内は相当なやり手の俗物ではあるまいか。

前回でも取り上げた高橋の発言「「本土」の私たちは「県外移設」を受け入れるべきだ」でも述べられているが、

安倍政権のあまりに強硬なやり方に眉をひそめた「本土」のメディアも市民も、「辺野古断固反対」の翁長新知事の誕生を喜んだように見えたが、その翁長知事の近年の持論が県外移設であり、県政基本方針でも「辺野古反対」だけでなく「県外移設」が掲げられていることを報じるメディアはほとんどない。翁長氏は知事選挙では県外移設を前面に出さなかったが、これは革新政党との連携のための妥協であって、翁長氏の圧勝という選挙結果の背景には間違いなく、氏の県外移設要求に共鳴する広範な民意があったと私は考えている。

というのが確かに間違いなく翁長知事・県政の代弁である事だけは間違いない。「沖縄の保守」を最も代表する翁長県政下における「県外移設(イコール本土引取りという事にしたい)」の行き着く果てとは何なのだろう。これを筆者は「翁長ドクトリン」と密かに呼んでいる。沖縄を「ある時期のある国」のように持って行きたいという方針に他ならない。グル高橋に代表される「基地本土引取り運動」のような怪しげな動きはこの流れに沿ったものとしか思えないからだ…。
(続く)

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