前にもちょっとだけ批判しましたが伊勢崎賢治という人がいます。今は東京外語大の教授だそうですが、かつては国連PKO職員をやって東ティモールなどの紛争地帯で武装解除を指揮した事もありました。
で、この人が何やら新しい本を出したそうですが題名は「アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる」というそうです。まだ直接本を読んだ訳ではないのですが大体の概要は他のブログに書かれていたのでそれを見た所、これは実に素晴らしい本だと思いました。ブラックジョークとして。
日本国憲法9条は陸海空軍その他の戦力の保持も交戦権も否定していて、自衛隊はあきらかにそれに矛盾した違憲組織のはずですが。自衛隊の存在そのものが憲法違反なのに、いかに非武装とはいえそれと憲法9条がセットっていくら何でもおかしくねえのかって話でしょう。自衛隊を改組して軍隊的性格を完全に排した全く別の災害救助専門組織か何かに変えた後ならともかく。
大体武装していないのならそもそも自衛隊である必要は全くない訳です。現実にアフガンには長年にわたって大活躍してきたペシャワール会という大先達がいる訳ですし。ペシャワール会やそれに類する医療活動や民間の生活支援をやって地元から信用のある団体が「アフガン戦争を終わらせる」というなら分かりますがなぜに自衛隊?
伊勢崎は、日本がアフガンでは国連やアメリカよりも信頼されていると言いますが、アメリカによる侵略戦争(あの時アメリカは9.11の報復戦争とまではっきり言っていた)の後方支援へ真っ先に名乗りを上げたのはどこの国でしょう? その事はすでに世界中に報道されて誰でも知っている事実のはずですが。その結果がついに2008年8月には最も恐るべき事態を招きました。他ならぬペシャワール会のスタッフがタリバンによって射殺されたという事件です。ペシャワール会は長年にわたる現地での実績でアフガン民衆からの信頼も厚く、殺害したタリバンでさえ「このNGOが住民の役に立っていたことは知っている」と声明で言っていたほどです。しかしそれでもタリバンはペシャワール会をも「住民に西洋文化を植え付けようとするスパイだ」「すべての外国人がアフガンを出るまで殺し続ける」「日本のように部隊を駐留していない国の援助団体でも、われわれは殺害する」というほどに敵愾心をむき出しにせざるを得ない状態でした。これはアメリカによる攻撃がいかに残虐で無慈悲・無差別なものかをよく表すものでしょう。ペシャワール会の犠牲者を出させた最大の責任者はアメリカ政府とその侵略行為に加担した者全てです。もちろん日本政府は米政府と並んで最筆頭の「A級戦犯」に他なりません。
そもそも日本政府がタリバンと現アフガン政府(=後ろ盾の米政府)の間を取り持って仲介するというならまずは政治家か外交官を送るのが筋というか順序というものでしょう(日本にそんな資質のある外交官がいるのかという問題はありますが。少なくとも鈴木ムネオや佐藤優は絶対送っちゃ駄目ですよ 笑。あ、あと天木直人もヤバイ。この人は一応「9条護憲」を唱えて日本の一般的な左翼業界にはウケが良いようですが、北朝鮮に対してはそこらの右翼と一緒でタカ派丸出しの「本音は軍権派」ですから)。それもろくにしないでなぜにいきなり自衛隊ですか。
伊勢崎賢治という男は「武力行使は駄目だが、平和維持軍(ブルーヘルメット)は肯定」という考えでとにかく紛争地帯にやたらと軍隊を送りたがる、強烈な自衛隊海外派兵賛成派の人間です。伊勢崎にしてみれば、ペシャワール会のスタッフまでもが殺されるほど危険なのだから軍隊である自衛隊を送った方が良いのだという理屈なのかもしれません。しかし、それほど外国に対する感情が悪化している国に(いかに非武装とは言え)わざわざ軍隊を送るなど、まさに火に油を注ぐ行為以外の何者でもないでしょう。非武装であろうとなかろうと自衛隊を送ってアフガン戦争が終わる事は絶対にありません。それとも伊勢崎は非武装自衛隊をタリバンに殺させて本格的な武力行使の口実でも作りたいのでしょうか。今は自民党の国会議員になった自衛隊の「ヒゲの隊長」のように。
ヤクザの世界ではそうした戦争の口実の為に特攻する要員を「鉄砲玉」と言うのですが、今回の伊勢崎の著書に書いている事はかつて「ヒゲの隊長」がイラクであたかも盧溝橋事件のような「巻き込まれ戦闘」をやろうとした事と非常に通低するものがあります。両者ともに自衛隊員を「鉄砲玉」としか見なしておらず「軍隊を紛争地域に送り込む、軍隊で紛争を解決する」という事しか考えていない点では双子以上にそっくりです。
今はすっかり腐りきってしまいましたが、現・週刊金曜日社長の佐高信が今よりもまだ多少マシな所があった頃に故・水沢渓との対談本「誰が日本をダメにしているか・緊急対談・日本の現状」(三一書房1995年)で次のような事を言った事があります。現在手元に本を引っ張り出せないので大体の要旨ですが。「ペルーの日本大使公邸占拠事件で政府軍とゲリラの一触即発な中をトランク一つの徒手空拳で往来した赤十字の聖職者(だったかな?)の姿こそが憲法9条の姿である」と。本当に憲法9条の理念通りに紛争解決を目指すならばまさにペシャワール会や同書で指摘されていた赤十字の人こそがそうでしょう(憲法9条が出来た敗戦後の日本も朝鮮半島をはじめとする周辺アジア諸国の戦乱や軍事的緊張を食い物にしてきた偽善的平和主義な側面が大きいのですが、ここでは便宜上とりあえずそれを除外して論じます)。
伊勢崎という男はとにかく軍隊を送り込む事しか頭にないのか? これが「9条護憲派」とは笑わせます。ペシャワール会がアフガン現地から一時撤退せざるをえなくなったドサクサにまぎれてこういう自衛隊派兵バンザイ論をぶち上げているとしか思えません。海外派兵論者にとってはペシャワール会がアフガンを留守にしている現在はまさに千載一遇のチャンスなのでしょう。もっともそういうのを世間一般では火事場泥棒と言うのですが。大地震にかこつけてその国を占領しようとするどこかのお国と似ています。
伊勢崎賢治などという男は90年代半ばの佐高信以下の下らないロクデナシでしかありません。繰り返しますが、現地アフガン人達から絶大な信頼を得ているペシャワール会までもが犠牲者を出す事になった最大の「A級戦犯」は日米政府です。そのアフガンにそれでも軍隊を送るよう必死こいて説いて回っている伊勢崎賢治という男もまたその「A級戦犯」のれっきとした眷属であり、走狗に他なりません。
この話が出た瞬間からおよそ似つかわしくないカップリング(笑)だと思いましたが案の定破談になりました。ボーイズラブ同人誌の世界でもカップリングの攻受が逆になるだけでファンや同人サークルの間でつかみ合いの喧嘩になるのですから、いわんや企業間の経営統合ともなればなおさらです。
三菱系の株式公開企業でアサヒにトップを奪われるまでは「ビール業界のガリバー」と呼ばれた事もあるキリンに対して、創業家が今でもオーナーとして支配している非上場企業のサントリーが統合するという時点でそりゃ無茶ってもんでしょう。相反する資本形態の一方でこの両者は変な部分で似た所があり、かつて酒屋の業界ではキッコーマン・キリン・寿屋(サントリーの旧名)の「3K」が醤油・ビール・ウイスキーの3分野を圧倒的なシェアで支配する暴君企業と揶揄されてきたように、どちらも自分が頂点と言わんばかりのお山の大将だった点では実にそっくりです。「資本形態は正反対。でも鼻っ柱の高さは瓜二つ」という両社をくっつけるなど下手な化学合成物質の製造より困難である事は言うまでもありません。
今回の統合破談ではサントリー創業家の持ち株比率が新会社の3分の1を超える(経営方針を引っくり返せる比率)かどうかが最大の焦点となったようですが、これは企業オーナーにとってはまさに生命線であり、サントリー創業・オーナー家の鳥井・佐治家にとっては絶対にゆずれない一線です。
かつて牛次郎という漫画原作者がいました。今は引退して静岡県にお寺を開いてお坊さんになっちゃいましたが、氏の代表作としては少年チャンピオンに連載された「プラレス3四郎」や、料理漫画の傑作として後に大きな影響を与えた「包丁人味平」、パチンコ漫画の「釘誌サブやん」などが有名所でしょう。しかしながら氏の作品論を語る上で最も注目すべき真髄とは経済・企業物漫画であり、それらは城山三郎や高杉良らの経済小説にも決して見劣りするものではありません。中でも白眉というべき「鯨魂~金権怪物・銭貫一二三伝」(劇画・川本コオ)という代表作では主人公の風俗産業王である銭貫一二三(ぜにつら・ひふみ)が「良い企業の条件」とは何か?という事について部下に次のように言う場面があります。
「トップが私物化できる会社ですよ」
そして銭貫は続いてこうも言います。
「だから株式は絶対公開しちゃだめなんだから」
まさに銭貫一二三の理念とはサントリー初代・鳥井信治郎以降連綿と受け継がれてきた鳥井・佐治家(佐治というのは信治郎の次男で2代目社長である敬三が親戚の佐治家に養子に行った為。当初後継者と目された信治郎の長男・吉太郎は33歳で夭逝)の理念そのものであり、その為にサントリーは石油の出光興産や薬の大塚製薬などと並んで上場しない日本の大企業の一つと称されてきた訳です。それが「近年のグローバリズムの中で生き残るにはM&Aで大規模化」という安易なお決まりのパターンを選んだ訳ですが、それとオーナー家の企業私物化を両立させるにはやはり多少無理があり、ある程度妥協せざるを得ないでしょう。それが嫌なら経営統合など最初から考えない事です。
筆者は「本業」のゲーム業界で嫌になるほど見てきましたが、「グローバリズムの中で生き残るにはM&Aで大規模化」というのはもう沢山だと思います。規模を追い求めればそうなるのでしょうが、それ以外に本当に活路はないのか? 個々の企業が長年培ってきたノウハウなどがそれのおかげで全て画一化されてつまらない商品があふれたり、その企業の比較的良心的だった部分が失われるのはもう勘弁してほしい所です。
酒の世界ではニッカがアサヒビールの傘下ですが、同社は創業者とその子息2代(竹鶴政孝・威親子。政孝は寿屋時代のサントリーで日本初のウイスキー製造を始めた技師でもありました。後に酒造理念の違いから鳥井信治郎の下を離れます)が健在であった頃はアサヒ傘下でも創業期の理念を保って良いウイスキーを作っていましたけれど、竹鶴威氏が亡くなってから同社は完全にアサヒグループの一洋酒製造部門としてしか機能していません。水割りウイスキーなど創業者竹鶴政孝が最も嫌ったウイスキーの飲み方であり、氏が生きていたらそんな物を絶対に製品化などしなかったでしょう。
ゲーム業界のタイトーはスクウェア・エニックス(スクエニ)に買収されましたが、そのおかげでタイトー製品の版権管理が急激に厳しく(旧タイトーは比較的おおらかだったが、スクエニは旧エニックスの影響で厳しい)なり、ワンフェスのような同人イベントでタイトーゲーム関連の一日版権が認められなくなるなどの弊害もあるのは典型でしょう。
ニッカやタイトーの例を見ても分かる通り、下手な規模だけを追い求めるM&Aは消費者にも多大な損害をもたらすという視点をこれからは考慮すべきです。その会社が合併・統合して消費者にどんなメリットがあるのか? 業界内のシェアがこれでどれだけ大きくなったなどという話はもう沢山です。
もっともサントリーは昔から添加物だらけの酒で有名であり、質は大した事がない(最近の一部商品には違うものもあるようですが)のでキリンと統合した所で我々としては大して困りませんが。有名な青いバラ(笑 どう見ても紫にしか見えない)を作る為に遺伝子組み換え技術を安易に使うなど食品に関する安全性の思想がゼロなので、そういう点では同じく大手のキリンとはお似合いの「カップリング」と言えなくもありませんね。
昔沖縄でハブを駆除する為にマングースを輸入したが結局役に立たず、かえって他の生き物がやられてしまいました。それが今や鹿児島にまで上陸してしまったそうで、これは本当に深刻です。このニュースを聞いて思い出したのが漫画家の矢口高雄。
氏は日本の自然を上手に描いた釣り漫画が有名ですが、近年はブラックバスの放流を擁護するなどひどい言動や作品が多く、まさに老害漫画家の最右翼と言って良いでしょう。ブラックバスを擁護する一方で長良川河口堰や川辺川ダムや諫早湾干拓のギロチン水門などの深刻な自然破壊問題には何の批判も苦言も呈そうとしませんでした。漫画原作者の雁屋哲(美味しんぼ)や鍋島雅治(築地魚河岸三代目)が自分の作品でこれらの問題を取り上げたのとはまるで対照的です。
矢口高雄という漫画家は自分の作品中で自画像を極端に美化して描いたり(実際の矢口はもっと小汚い容貌をしたオヤジ)水木しげるとの過去の交流を自分に都合良く改竄して漫画にするなど人間的に結構「痛い」部分も多い人でしたが、社会的な言動も晩年になってからは本当に目に余ります。藤子不二夫Aや松本零士、里中満智子、やなせたかしらと同じく一刻も早くこの世から消えて欲しい老害漫画家の一人でしょう。
「わな 5倍の400個へ 鹿児島市 喜入地区 マングース駆除強化」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100205-00000006-nnp-l46
古龍作品ではよく変装が登場します。主人公側の人物であれ悪役であれ、いずれも変装して他者の目を欺くという描写が少なくありません。古龍作品は別名「推理武侠」と評される事が多いのですが、変装シーンの多さもそう言われる要素の一つでしょう。中国語の原典では「変装」の事を「易容術」と表記しており、日本版「楚留香」や「陸小鳳」「マーベラスツインズ」などの文中で「変装」とされている訳文も原典では「易容」または「易容術」となっています。日本語で「変装」と言うとカツラやメイクなどで化ける、推理小説などによくある手口を連想しますが、古龍作品原典の「易容術」という言葉は単なる変装という意味だけではなく「顔を変える術全般」を指す意味合いがあります。つまり…。
今で言う所の「整形手術」も「易容術」という言葉の意味には含まれるのです。そして整形手術の方の「易容術」を物語の大きな柱に据えた作品、それが「名剣風流」でした。時代設定がはっきりしないとは言えどう見ても中世が舞台のはずの武侠作品で整形手術をして顔を変えるというのはかなりやる事が無茶苦茶なのですが、それもまた古龍作品の破天荒な作風にして魅力と言えるでしょう。ではこの作品では整形手術の「易容術」がどのような役割を果たしているのでしょうか。
「名剣風流」では主人公の仇敵となる悪の組織がいるのですが、これは武林の各名門流派の掌門(総帥)達を人知れず暗殺してはそれそっくりに(顔だけでなくそれ以外の体の特徴や傷なども)整形した偽者を送り込んでその流派を乗っ取るのを繰り返し、それで江湖を支配しようという陰謀を企んでいる訳です。武侠小説というよりはどこかのスパイ小説かSF小説のようでもありましょう。
本作の主人公は兪佩玉という青年で、武林でも名門流派の誉れ高い先天無極派の跡取り息子です。彼は父にして一門の掌門である兪放鶴の元で修行に励んでいました。兪放鶴はすでに江湖の第一線からは退いていましたが、優れた武芸と高潔な人格で名高い名士です。ところがある日、正体不明の刺客団に急襲されて兪親子は応戦しましたが、悪辣な罠にかかって兪放鶴は殺されてしまいます。力及ばず父を失って悲嘆に暮れていた兪佩玉の所へ婚約者の林黛羽が訪ねて来たのですが、彼女によると自分の父・林痩鵑を含めてすでに何人もの武林大家達が正体不明の敵によって次々に殺害されているとの事でした。ところがそうした会話をしている矢先に突然兪家の屋敷にまた客が現れました。それは殺されたはずの林黛羽の父をはじめとする武林の大家達だったのです。兪佩玉が不審に思いながらも彼らに父・放鶴が死んだ事を告げると彼らは「放鶴殿は死んでいない」と言い、調べてみると屋敷から兪放鶴の遺体がいつの間にか消えてしまっていました。「おまえは疲れているからこの薬を飲んで休め」と彼らに言われて薬を飲まされそうになった兪佩玉は身の危険を感じ、全力をつくして生まれ育った屋敷から逃げ出すのでした。行く先は黄池大会。武林盟主の座を新たに決めるべく天下の英雄豪傑達が一同に会する場で事態を訴える事に一縷の望みをかけたのです。
(この項続く)
プロフィール
最新記事
カテゴリー
ブログ内検索
カレンダー
フリーエリア