日本ではここ何年かウナギの記録的不漁と価格高騰が話題になっている。この間にメジャー所のマスコミでは相変わらず「ウナギを安く食卓に届ける為の商社の奮闘」「価格高騰は中国のせいだ」「ヨーロッパのウナギが禁輸になっても、まだアフリカやオーストラリアがある」といった倫理観のかけらもない報道が繰り返されてきた。一部の心ある研究者や専門家からは乱獲の問題が指摘されているものの、依然としてそれが大きく取り上げられたり、水産行政に採用されるに至ってはいないようだ。ウナギの他にもハタハタやイワシ・マグロ・サバ・鯨などもそうだし、今年は特にカツオの不漁が深刻で、これらは明らかに乱獲が原因だと当の漁師達の声も聞かれ始めている。
さらに近海のみならず、日本が遠く外国の海まで行ってそこの魚を一網打尽に乱獲したり、商社がそうした地元の魚介類を金にあかせて買い漁る行為はかなり昔から問題になってきた。
これらは先進国による第3世界への経済侵略の典型的パターンだが、実は韓国でも全く同じ事が進行している。近海の水産資源を乱獲し過ぎて獲れなくなり、外国の漁場を荒らしたり金にあかせて魚介類を買い漁るなど、まだ程度の差はあるが韓国も日本と全く同じ問題を経済成長と共に引き起こしてきた。そしてそのツケを今になって払わされているというオチもそっくりそのままである。以前、韓国の漁獲高に関する公式統計を検索して見た事があるのだが、年を経る毎に右肩下がりで、日本と同じパターンだった。おまけに韓国では李明博政権の時にやった4大河川工事という未曾有の有害無益な自然破壊事業が行われ、これの影響で朝鮮半島南半部の海が今後ますます「痩せて」魚介類が取れなくなる事は間違いない。
筆者が韓国のこの問題について最近考えさせられたのは、向こうの漁業関係者がその解決策として最近とんでもない事を言い出し始めている事がきっかけだ。すなわち、北の水産資源に目を付け始めたという事である。つまり「南で魚が獲れなくなったのは、中国の船が北の漁場で魚を獲ってるからだ」という見当はずれな批判を言い始めたのだ。「このままでは北の水産資源を全部中国に取られる」なんて事まで言い出してる訳で、これまた「中国脅威論」を持ち出して自分らの自然破壊や乱獲をなかった事にしようとしてる日本の姿勢とそっくりである。さらに凄いのは以下のセリフだろう。
「自分達(南)の船が北に入りさえすれば、(中国の船に対して)十分に競争力がある」
これは韓国の元農林水産食品部事務次官で今は韓半島水産フォーラム会長である朴徳培という人物の言葉だが、これはどう見ても北の海で中国の船と乱獲競争して勝ってやるという風にしか読めない…。水産資源を守ってやっていこうという考えはかけらもなし! ただひたすら乱獲して「競争」する事しか頭にない、こういう人間が韓国の農林水産食品部事務次官だったのだ。実に日本と良い勝負ではないか。ここでまたしても我々は次の嫌過ぎるお題目を思い浮かべてしまうのである。
「日韓仲良くしようぜ! 仲良くそっくり水産資源乱獲しようぜ!」
最近の韓国でやたらと「統一したら北の資源は全部韓国のものだ」という金の事しか頭にない強欲の極致である「統一大チャンス論」が扇動されている事を筆者もこれまで何度か指摘してきたが、南の漁業関係者が言ってるこうした主張も全く同じであろう。南の資源を自分らで勝手に乱獲して獲り尽しておいて、それで困ったら北のをよこせというのだから、どこまで身勝手で強欲なのか。それもこういう時だけ「同じ民族同士」「経済交流」「5.24措置解除」などと言い出すのは厚顔無恥の極みとしか言いようがない。ましてや南の連中は日頃から「北の連中は貧乏で飢えている」と馬鹿にしてきたくせに、その「飢えている北」に対して「魚をよこせ」と言うのだから。これは端的に言って、飢えている貧乏人の食い物を強奪しようとしているだけではないか。これでは「民族同士」もへったくれもない。
韓国の漁業と乱獲問題についてはいずれ改めてもっと詳しいデータに基づいたお話をしたいと思う。調べれば調べるほど何て日本とそっくりなんだろうと思い、本当に不愉快極まりない話だ。
韓国の漁業が本来進むべき道ははっきりしているはずだ。よその資源を貪欲に奪う事ではなく、今ある自分の漁場や資源を大事に保護する事ではないのか。南の海を乱獲や環境破壊で滅茶苦茶にしておいて、それで本当に将来統一をするつもりなのか? 今の韓国がやろうとしているのは、自分で南の環境や資源をすっかり荒廃させておいて、その解決策として北を無理矢理に吸収統一して、そのおいしい部分だけ「韓国の経済発展の為に」という美名の下にしゃぶり尽くそうというだけの話だ。これでは飢えたイナゴやネズミの群れと何の違いもない。本当に「飢えて」いるのは北なのか、それとも南なのか? 南は一体何に飢えているのか? 今の朴槿恵政権下韓国の統一方針、すなわち「統一大チャンス論」は次のように言い換えねばならないのだ。
「蝗害統一論」
と。
原発事故含む公害や環境問題などに対して次のような事を言う者がいたら、間違いなく何も知らない馬鹿か悪質な詐欺師・デマゴーグの類と考えて間違いない。その論者がまともな事を言ってるかどうかの、試金石みたいなものである。
「微量だから心配ない」
「ただちに影響はない」
「水俣でも水俣病にならなかった人もいる。福島に行っても鼻血がでない人もいる。だからこれは風評被害で福島差別だ」
「(公害を起こした問題の)企業が潰れたら賠償金が払えなくなる」
「今は犯人追及よりも(問題を起こしたその)企業と協力して事態の収拾が優先だ」
「だから告発型の社会運動や市民運動はもう意味がない、古い」
「放射能(昔はこれが有機水銀とかカドミウムとか非加熱製剤だった)は安全です」
「これからはがれきなど原発事故や公害の痛みを、日本にいるみんなで分かち合わねばならない」
・自分とこのアクセス数自慢が3度の飯より大好きな某政治ブロガー曰く
「低線量の放射線の影響は分かってない。放射能汚染問題の追及よりも、「小沢信者」への攻撃が何よりも大事」
・某在日朝鮮人ジャーナリスト曰く
「私は脱原発派です! でも大好きな朴槿恵がベトナムに原発輸出するのは大賛成です!」
・アフガニスタンの武装解除と平和調停に失敗して多数の犠牲者を出した日本の某大学教授曰く
「原発を止めたら社会的弱者や貧困国の人間が死ぬ」
「放射能忌避はファシズムだ。優生思想だ」
「○○問題(環境汚染やそれに伴う病気など)を解決する新しい技術が某大学と某企業の研究によって発表されました(ただしその「研究成果」がその後実用化される事は決してない)」
「水俣病の時などと違って、原発でも地球温暖化でもこうした今の環境問題は我々一人一人が犯人だ。だから責任論はもう無意味(いわゆる一億総懺悔論)」
上記のような詭弁の類を目にしたら要注意だ。
とりわけ、原発事故でも公害でも薬害・食品公害・環境汚染・自然破壊といったものは、いずれも特定の企業や行政当局を犯人として名指しする事が出来る。社会に住む「我々一人一人」などが犯人なのでは決してない。 「今の環境問題は我々一人一人が犯人」という詭弁は90年代初頭のいわゆる「地球にやさしい」ブームの頃から、行政や企業と癒着した一部のエセ環境団体が言い出し始めたデマだが、福島原発事故以降にまたしてもゾンビのごとく復活して、色々な所で言われ始めている。「脱原発」などと言いながら、実際には被爆問題を軽視・無視したがる御用運動化した連中の間では特に多い。逆に言えば、エセ脱原発・エセ環境運動を見分けるのに便利なお題目とも言えるだろうが…。
小泉が「原発ゼロ」などとなぜ急にあんな事を言い出したのか。その理由について、飽くまでも筆者の個人的な推測なのだが述べてみたい。
もちろん倅の進次郎の後押しの為に人気取りするという目的もあるだろうが、本筋はずばり小泉自身のノーベル賞狙いなのではなかろうか。要するにゴアやオバマに続いて3匹目のドジョウを狙っている、という事だと思う。ゴアは大統領選でブッシュに敗れてから政界引退し、その後は「不都合な真実」でノーベル賞を獲った。オバマも「核なき世界」とかいう実態と180度かけ離れた口先三寸だけでノーベル賞を獲った。
原子力産業の代理人だったゴアの語る「地球温暖化論」がどれだけ科学的に怪しい話だったか!
オバマのアメリカは依然として「核による支配」で第3世界の平和を脅かし、さらに昨年末には北朝鮮よりも先に臨界前核実験まで実施したではないか!
ゴアもオバマも言ってる事とやってる事があれだけ違っててノーベル賞をもらえるのだから俺だって…。と小泉が考えても不思議ではあるまい。今後の行動次第だが、十分に受賞はあり得る事だろう。福島原発事故という人類史上最悪の原発事故を起こした日本という国だからこそ、そこで元首相が「原発ゼロ」を時の首相にまで訴えるという行為がノーベル賞獲得にどれだけ大きなポイントとなる事か! それを人気取りと大衆迎合だけは天下一の小泉純一郎が気付かぬ訳がない。小泉の賞獲りはひょっとしたら村上春樹や黄晢暎よりは有望なのではなかろうか。
今後の小泉の歩みに注目していればその辺りははっきりする。デモ現場に度々出て来たり、脱原発に関する本(小泉版「不都合な真実」ってところか)なんかを出したりし始めたら、これはもう間違いないだろう。小泉が出てくればそれだけでデモの参加者は激増するだろうから、運動側も諸手を挙げて歓迎するはずだ。反原連やたんぽぽ舎なんかは特に。そうして「運動を盛んにさせた」という既成事実も作れば、小泉にとってさらに賞獲りの大きな点数稼ぎになる。仮に実現したら、佐藤栄作がノーベル賞を取った時と同じかそれ以上に反吐の出るような光景になるだろうが。
仮に小泉が「脱原発運動への貢献」でノーベル賞を獲れたとしても、そんなものに関係なく日本はますます原発の再稼動と増設・輸出に邁進する事に変わりはない。オバマがノーベル賞を獲ってもアメリカは全く核放棄しなかったように。後に残るのは、避難も許されずに福島原発の放射能でガンや白血病で殺される人々が死屍累々。まさに一将功なりて万骨枯るの典型例となるだろう。
日本の反核反原発運動の長い歴史は、3.11以後急速に腐敗・堕落・右傾化した挙げ句に、最後はそれでもわずかに残った「遺産」すら小泉の手柄の為に差し出して崩壊する。というのが最もあり得る、そして最も無残な結末なのではあるまいか。
鎌田慧や天木直人はじめとして小泉が脱原発の有望な味方になってくれると思って誉めそやしている愚劣極まりない連中は、そうした事の露払い役をしているのだという事も付け加えておく。原発に反対してるくせに怪しげな小泉の「原発ゼロ」を礼賛している者というのは、まさに「肉屋を支持する豚」そのものなのだ。
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