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喜納昌吉は「沖縄のアグネス・チャン」と陰口を叩かれていた

 
宜野湾市長の伊波洋一VS「沖縄のマルコス」こと仲井真弘多の一騎打ちで決まりと思っていた矢先に、よりにもよってこの男が横槍を入れてくるとは…。まあ、タチが本当に悪いと言うか、この男らしいと言うか。
「全ての武器を楽器に」というメッセージで有名な沖縄の歌手・喜納昌吉は今でも一部のハト派な人達の間で権威のある存在ですが、実際には結構ゼニカネにがめつくて、普通ならギャラを取らないような平和運動集会のライブなどでも高額のギャラを取って顰蹙を買う事が多く、結果反戦運動の世界では「沖縄のアグネス・チャン」と陰口を叩かれてきました。でも集客力があるので、大抵は我慢していたのです。
とは言え、先の鳩山政権時代には普天間基地問題でほとんど何も出来ず、前の県知事選挙(仲井真弘多が当選した時のやつね)でも当時民主党県連会長だったにも関わらず選挙運動の出足が鈍くて糸数候補の足を引っ張る一因を作りました。それが今また、普天間基地県内移設派の下地幹郎の口車に乗せられて知事選挙に色気を見せ、基地反対派の足を引っ張るのですから。国民新党の下地に誑かされたり、ギャラを取るべきでない集会で金を取る事からも分かる通り、この人は「ダーティなハト」どころか単に金に汚いだけの人です。言わば、金次第でどっちにも転ぶ人。
正直言ってこの人には政治のセンスゼロでしょう。政界からはさっさと引退して歌手業に専念した方が沖縄の為にも本人の為にも幸福だと思います。
 
それにしても、佐高信の賞賛した人達というのは、本人も含めて何でどいつもこいつも後年になって馬脚を表すのやら。喜納昌吉はもちろん、オリックスの宮内義彦、ワタミの渡辺美樹、辛淑玉、幸田真音、二宮清純(最近のこの人が書くスポーツ論は国家主義の臭い強過ぎ)、辻元清美、田中康夫…。まあ人を見る目がなかったと言えばそれまでですが、そんなこったから佐藤優辺りにあっさり騙されるのでしょうね。
 
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もっと早く死ぬべきだった

黄長燁が死んだとのニュースがありました。ウェブ上のニュースは以下のリンク先を御覧下さい。「韓国の産経新聞1号」(笑 ちなみに同2号は東亜日報で同3号は中央日報)こと朝鮮日報のサイトというのがまあ何ですが、どこも伝えている内容に大した違いはないのでとりあえず。
 
http://www.chosunonline.com/news/20101010000019
 
この男については前に批判した通り、南に亡命後はほとんど日米ネオコンの犬としか言いようのない言動を繰り返して、南北の和解・平和・統一を妨げる事ばかり熱心にやっていました。日本の北朝鮮関連報道では黄長燁を「北朝鮮の金正日政権に抵抗する闘士」であるかのように報じていましたが、当の韓国現地において彼の行動は「北朝鮮の民主化要求」などではなく単なる「反共活動家」として一般的に広く認識されていました。日本や米国の保守系とばかり付き合っていた事は、日本と違って韓国では当たり前の事実です。
それにしてもこの男はもっと早く死ぬべきでした。亡命後は北朝鮮の体制を批判するだけではなく、事もあろうに2000年の南北首脳会談に反対し、米国のアフガニスタン・イラク侵略をはじめとする一連の対テロ戦争をあたかも聖戦のごとく賛美して支持したのですから、いくら何でもこれは限度を越えているでしょう。和解や平和とは180度逆に、対立と戦争をひたすら煽り立ててきたのですから。たぶん黄長燁は偉大なるアメリカ帝国様に金正日政権を「征伐」していただきたかったのでしょう。で、その後は旧アフガニスタン王室の「亡命貴族」だったハミド・カルザイが大統領に抜擢されたように、米国の後ろ盾で自分を北朝鮮の「王様」にしてもらえるとばかり思っていたに違いありません。しかしながらそのような権力への野心と妄執は己の老齢と最近の北朝鮮権力委譲によって潰えた訳ですが。党大会と黄長燁の死がほぼ重なっていたのはまさにそれを象徴する出来事でしょう。
そんな黄長燁に韓国では勲章をやるとかいう動きがあるようですが、アホの限りです。以下リンク先記事は韓国語なので読める人だけ読んで下さい。馬鹿馬鹿しいので記事の翻訳はしません。
 
 
しかしながらこんな権力亡者の詐欺師でも、日本の好戦的反北朝鮮派には大いに利用価値があったので歓迎されました。死後も多分この男を「北朝鮮の金正日政権に抵抗する闘士」として悪用する連中がいると思います。たぶん石丸次郎あたりが(笑)。それには乗せられないよう注意しておきましょう。

 
そうそう、それと石丸次郎の批判記事ですが、もう少し間を置いて書き終える予定です。最近ちょっと忙しくて長文を書いている余裕があまりないのと、最近の石丸の発言にある種の変化が見られる為です。
というのもここ2.3週間ほど、北朝鮮の権力委譲が正式に内外へ公にされてきた期間に発表された石丸の記事はかなり狂気の度合いが強まってきているからに他なりません。
これまでの石丸次郎は以前の記事でも書いたように悪質で「狡猾な知能犯」でした。あの男が転向後に書いた記事というのは結局の所、北朝鮮と日本の関係悪化と在日朝鮮人への差別・排外主義助長しかもたらさない内容です。しかしながら石丸は、増本照明、荒木和博、石原慎太郎、在特会のような正々堂々たる(?)極右レイシスト達と違って「金正日政権打倒」「北朝鮮と戦争しろ」「朝鮮人は日本から出て行け」といったストレートすぎる戦争扇動・差別発言はしてきませんでした(少なくとも公の場では)。そうしたギリギリの一線を引く事で、辛淑玉のような一部の北朝鮮や総連組織に恨みを持つ在日の支持を取り付け(別の言い方をするなら、その手の在日を食い物にする事に成功して)、結果的に「良心的な北朝鮮批判者」の仮面を被る事に成功してきたのです。実際に過去の石丸の記事は北朝鮮を攻撃しつつも、どことなく冷笑的な感じが全体的に感じられました。
が、ここ2.3週間ほどのサンデー毎日の石丸の記事(朝鮮半島を読む)を見てみると、かなり感情的で非理性的な言い回しが目立ちます。金正恩に対して、これから独裁者になる道を選んだのだから同情するなどといった皮肉を書いたり、最新号にいたっては北朝鮮の世襲権力委譲を世界はなぜ圧力をかけて防げなかったなどとずいぶんと仰々しく大げさに書いていて、失笑を禁じ得ません。権力の世襲をどうこう言うなら日本の方がはるかにひどいでしょうに、石丸はよその国をあれこれ言う前に自国の心配をすべきでしょう。北朝鮮のようにちっぽけな独裁国内部の権力世襲などよりも、アメリカが世界各地で行っている戦争行為の方がはるかに深刻であり、筆者などはそちらを世界が止められなかった事がはるかに憂慮すべき事態だと思いますが。大体、現代の共和制国家で世襲などあり得ないなどと石丸は罵りますが、台湾の蒋介石だって自分の息子に跡を継がせましたし、ハイチの独裁者デュバリエだって息子に世襲させました。こうした第3世界の「独裁国家」よりも、アメリカや日本のような「民主主義国家」で権力の世襲が行われる方がはるかに問題で、国の内外に与える影響が大きいのは言うまでもありません。小泉純一郎以下、日本の歴代世襲権力者が何をしましたか? 何よりもアメリカの事実上の世襲大統領ジョージ・ブッシュは? でも石丸はそれを全部スルーですね。
これまでの石丸は金儲けや売名行為の為、モノホンのレイシストの域までは転落しないギリギリの線で、ある程度冷笑的に北朝鮮攻撃をしてきました。狡猾な知能犯の所以です。が、最近の石丸は病膏肓に入るの例え通りそうした自分の行動に自家中毒して、それまでの「金儲けの為の冷笑モード」から「マジになった狂気モード」へと変貌しつつあるのではないでしょうか。すなわち石丸次郎の佐藤勝巳化です。以前に石丸は「私はこれまで拉致事件解明に向けて努力されてきた人々に敬意を払うけれども、一部の人たちの排外主義・差別主義をあおるやり方には反対する。佐藤勝巳氏のように日本核武装論や軍隊慰安婦なかった論を主張する人たちとは一緒にはやれない」と言っていた(自分の記事だって十分過ぎるほど排外主義・差別主義を扇動する結果を生んできたのに、よくこんな事が言えると思いますが。さらに石丸は「北朝鮮人権大学」という得体の知れない反北朝鮮団体で幹部になっています。今も活動実態があるのか知りませんが)のですが、実際には自分自身が佐藤勝巳と同じストレートな感情的戦争扇動者の領域に入りつつある訳です。今はまだ荒木和博なみの戦争・差別扇動発言をしないだけの「理性」はあるようですが、タガが完全に外れるのはそう遠い日の事ではないでしょう。今回の北朝鮮権力委譲がそのきっかけになったかもしれません。そうした石丸の「変化」も考慮に入れて次回は述べると思います。
 
「ただ、現在の北朝鮮に賠償的性格の金を支払ったとしても独裁政権の延命に使われるのは明かで、北朝鮮の庶民が救われるわけではない」
日本人拉致被害者も北朝鮮の民衆も独裁政権の被害者なのだから、民衆には手を差し伸べるということがあってもいいと思う」 
「韓国海軍哨戒艦「天安(チョンアン)」沈没事件があったが、中国はどう動くか、米国はどんな態度をとるだろうかなどの論評はできる。ところが、「北朝鮮がなぜ、こうした行為に及んだのか」「国内事情はどうなっているのか」などは日本の研究者の多くは思考停止の状態で、的確なコメントをできる人が少ない」


北朝鮮が独裁国家だからという理由で植民地支配の賠償を否定する男・石丸次郎(これは日帝植民地支配を正当化する右翼がいつも言う屁理屈ですが、じゃあ65年の日韓協定は? 当時の韓国大統領・朴正煕も金正日に負けず劣らずおっかない独裁者であり、この時の借款などの「経済援助」が朴正煕独裁政権の延命に大いに役立ったはずですが)。

北朝鮮の独裁体制にだけ全ての責任を覆い被せて、その歴史的原因を作り続けて来たアメリカや日本の責任を一切不問にする男・石丸次郎。

哨戒艦沈没は韓国側の主張に今だに多くの疑惑が囁かれて「北朝鮮犯行説」が懐疑の目で見られているにも関わらず、ハナからそれを一顧だにせず問答無用で北朝鮮の仕業扱いする男・石丸次郎。

とは言え石丸が、困窮する北朝鮮国民に対して一片の愛情も憐れみの心も持たず、その写真を見世物にして自分のシノギのネタにしか扱わないという本質にはいささかの変化もありませんが。
 

北朝鮮の国民が困窮してるのを一番喜んでるのは石丸次郎自身ではないのか その04

この「あり方会見」は北朝鮮バッシングの風潮に異を唱えた会見であるかのように思われてきました。当時も今も。
ですが詳しく御覧いただいた通り、この会見で提言された内容というのはごまかしと矛盾に満ちた偽善そのものだという事がお分かりいただけたでしょう。そもそも、特に激しく北朝鮮攻撃報道を繰り返して危機感と偏見を煽動し、結果的に在日への「民族差別や排外意識を助長」してきた石丸次郎や石高健次のような人間が、何食わぬ顔をしてこのような会見を呼びかけるという時点ですでにおかしい訳です。他の呼びかけ人やこの会見を取材した者達もおかしいと思わなかったのでしょうか。2002年の「あり方会見」とは本質的に見て、北朝鮮バッシングやそれによる在日への差別・排外主義に異を唱える為のものでは断じてありません。しょせんは石高&石丸の二人が、自分達のやってきた「悪行」をごまかして「良識派」のような顔をする為に仕組んだ、偽善に満ちた猿芝居に過ぎなかったのです。いや、石高&石丸だけではないでしょう。他の呼びかけ人や参加者、それに同時開催された在日側会見の出席者も含めて、「良識派」を装う為にこの会見を利用したという点では同罪です。それが意識的な確信犯であったか、知らずに無意識的でやったかを問わず。
同胞達の苦境を自分達の宣伝に利用する事しか考えなかったという点では、在日側会見出席者の罪は石高&石丸に劣らず重いと言えます。辛淑玉や梁石日や朴慶南のような連中はいつもの事(笑)だからと大して驚きませんでしたが、金石範までもがその中に加わっていたのには本当に幻滅を感じました。
 
石丸は「あり方会見」の時に「自戒をこめて、まともな朝鮮半島報道をやろうというのが趣旨である」と言いました。ですがこの男は何を「自戒」したと言うのか? この男の言う「まともな朝鮮半島報道」とは一体何なのか? その後の行動を見れば明白ですが、石丸の中ではまだまだ北朝鮮攻撃の度合いが甘かった事を「自戒」しており、北朝鮮国民の貧しい姿をより一層さらにクローズアップしてあの国の日本におけるイメージをますます悪くさせるのが石丸にとっての「まともな朝鮮半島報道」なのでしょう。ただし自分はこうして「民族差別や排外意識を助長しないように」という事も言ってますからね、という言い訳をして差別主義者のレッテルが貼られないようにする涙ぐましい努力も忘れません(笑)。「自分には朝鮮・韓国人の友達がいるんだ。だから差別主義者じゃない」という言い草と全く本質的に同じですが、今では使い古されて陳腐すぎるこの弁明を石丸次郎も大好きなようです。ちなみにアメリカでは「自分には黒人の友達がいるんだ。だから差別主義者じゃない」という言い草は「言い訳にならない言い訳」の代名詞とされていますが。
 
そんな石丸次郎ですが、石高健次と同じで昔はこんなスタンスではありませんでした。むしろ北朝鮮や総連とは親密な関係で、そのツテで北朝鮮現地へ取材に行ったりもしましたし、在日朝鮮人社会の報道をした事もありました。若い頃は韓国の民主化運動に助力した事もありましたし、スパイとして南に入って捕われた非転向長期囚を北朝鮮に送還する運動にもそうしたルートを使って働きかけようとした事もあったほどです。ところが…。

石丸がそれまでの融和的・友好的なスタンスを180度変えて反朝鮮・韓国(現在の石丸は北や在日だけでなく、南に対してもほとんど因縁付けとしか思えないような記事を度々書いており、「反北朝鮮」などという生易しいものではなく、事実上朝鮮半島や朝鮮・韓国人そのものに対する民族ヘイトと見るべきでしょう。心の奥底にある本質においては在特会と変わりません。すでに述べた通り、在特会は単純な暴力犯で石丸は狡猾な知能犯というだけの違いです)へと転向するきっかけについては、他ならぬ非転向長期囚の送還運動を描いたドキュメンタリー映画「送還日記」の中で監督の金東元(キム・ドンウォン)自身が語ってくれていました。時は1995年、非転向長期囚を撮り始めて彼らを北に送還する運動を始めた金東元は、北側とのツテを求めて石丸次郎に訪北を以来したのです。その頃の石丸は北朝鮮や総連ともまだ良好な関係を保っていた時期でした。
(この項続く)

古龍武侠中期作品中的傑作「大人物」その9

「秦歌のように勇敢で多情な人はこの世に二人といない事でしょう」
急に田思思は立ち上がって田心の手をつかむ。「だから私は彼に嫁ぐのよ」
彼女の顔が赤く染まる。固く決心したように、興奮したその表情は実に美しかった。だが田心は「フハハ」と笑いをこぼした。
「今度は秦歌に嫁ぐのですか? 一体何人の所へお嫁に行かれるおつもりですか?」
彼女は指折り数えて言う。「最初は岳環山の所へ行くと言いましたし、次は柳風骨、そして今度は秦歌とは、一体誰のお嫁に行かれるおつもりですか?」
「一番いい人の所へ行くつもりよ」
田思思は瞳をキョロキョロさせて顔を赤らめた。「おまえの考えではその三人のうち一番いいと思う?」
田心は笑いながら答える。「私にも分かりません。全員偉大な大人物ですけれど、まだ一度も会った事がありませんから」
彼女はしばらく考えてから、やはり顔を赤らめて軽く言い放つ。「秦歌は確かに多情で勇敢ですが、柳風骨は天下で最も知恵のある人物です。どのような困難にあっても解決する方法を知っているので、誰もが心から彼に感服しています。あの方に嫁げれば決して無駄な人生にはならないと言えるでしょう」
「岳環山はどう? あの方は大した事ないの?」
田心は唇をじわじわと噛みながら言う。「あの方はいけません。あの方は年齢が旦那様と同じくらいだと聞きましたよ」
田思思もやはり唇を噛んで答えた。「歳がどうだというの? 人さえ良ければ七〇の老人であっても彼に嫁ぐわ」
田心は笑いを堪えて言う。「すでに妻がいましたら?」
「妻がいても関係ないわ。喜んで後妻になるわ」
田心はついに笑い出す。「三人とも等しく良い人物だったらどうします? 一度に三人へ嫁ぐ事は出来ないでしょう?」
田思思はまるでその言葉が聞こえなかったかのようにしばらく呆然と立っていたが、突然田心をつかんで囁く。「こっそり出て行って、男の服を何着か買って来てくれない?」
田心が動揺して尋ねる。「何と、お嬢様。男の服を何に使うのです?」
田思思は再び魂が抜けたように立っていたが、ようやく答えた。「梁山泊と祝英台の話、おまえも知ってるわね?」
「その本も私が持って来てお見せしたものじゃありませんか。当然知っています」田心が笑って答える。
「女が家を出る時は、男に化ければ他人から無視されないと聞いたわ」
田心は目を大きく見開く。「家を出るですって?」
田思思は頷いて唇を噛み締めた。「直接出向いてあの三人がどれほどのものか確かめてみるわ」
(この項続く)

北朝鮮の国民が困窮してるのを一番喜んでるのは石丸次郎自身ではないのか その03

では彼らはこの「あり方会見」で何を訴えたのでしょうか。彼らの提言は以下の通りです。
(強調部分は引用者による)
 
北朝鮮報道をめぐる「メディアへの提言」

(1)日朝首脳会談が開かれ拉致被害者5人が帰国したいま、朝鮮半島への関心はかつてないほど高まっています。これは日本と朝鮮半島の過去、現在、未来を考える絶好の機会です。
メディアは、もっと多様な見方、複眼的な見方を提示すべきである。また、日本と朝鮮半島の関係への歴史的視点を踏まえた報道や解説を流すことも必要です。

(2)北朝鮮報道における論調はもちろん自由でなければなりません。北朝鮮に対しても、そのほかのどんな対象に対しても、報道は基本的に自由でなければなりません。
しかし、メディアは、報道が日本社会に住むおよそ百万人の在日韓・朝鮮人(註:原文ママ)に対する民族差別や排外意識を助長しないように充分に配慮すべきです。また、在日韓・朝鮮人への嫌がらせや暴力被害の実態を報道し、防止を訴えるべきです。

(3)
北朝鮮は入国が困難で、自由な取材が許されない情報鎖国の体制下にあり、さまざまな事実の確認は容易ではありません。
メディアは読者や視聴者に対して、報道する内容が確認された事実なのか、当局の発表なのか、報道する側の推測なのかを明示すべきです。コメントを発する識者や関係者に対しても、発言の根拠を確認すべきです。資料映像については、出所や撮影時期を明示すべきです。

(4)
現地取材をはじめ、北朝鮮当局に許可を求める報道は、その政治宣伝に利用される恐れがあります。
北朝鮮のコントロール下で取材が行われる場合、メディアは報道が実現するまでの経緯、映像や質問に関する制限の有無などを、読者や視聴者に明らかにすべきです。

(5)最近の報道には、帰国した拉致被害者五人の日々の動向を興味本位に報じてよしとするものが目立ちます。また、拉致被害者やその家族の問題だけをクローズアップするあまり、内容が画一的になっていたり、いたずらに感情的な側面ばかりを強調する表現が目立ちます。
メディアは、被害者やその家族の人権やプライバシーに十分配慮しなければなりません。真摯な姿勢で拉致問題の望ましい解決を目指す報道をするべきです。また、感情に流されない冷静で正確な報道を心がけるべきです。

(6)最近の報道には、記者や制作者・出演者の朝鮮半島問題への知識や理解の浅さを感じさせるものがあります。
メディアは、朝鮮半島問題への理解を一層深める必要があります。とくにテレビは、朝鮮語のできる専門職を配置するべきです。

(7)日本における北朝鮮報道と国際社会における北朝鮮報道は、かなり様相が異なっています。両者が異なることは当然ですが、北朝鮮も日本もアジアの中、そして国際社会の中で生きる存在であり、その将来は国際社会の論調や世論に大きく影響されます。
メディアは、北朝鮮問題に対する国際社会の見方も、国内の見方と同様にバランスよく報道すべきです。
 
この「提言」で肝とも言うべき特に重要なポイントは(3)と(4)であり、他の項目は事実上おまけのようなものと言って差支えがないと思います。
「北朝鮮は入国が困難で、自由な取材が許されない情報鎖国の体制下にあり、さまざまな事実の確認は容易ではありません」
「現地取材をはじめ、北朝鮮当局に許可を求める報道は、その政治宣伝に利用される恐れがあります」
という言い方は要するに「北朝鮮の言う事は信用出来ない、もしくは信用するな」と言ってるに等しいでしょう。この時の2002年にはすでに「拉致問題フィーバー」によって北朝鮮本国はもちろん、総連組織や在日朝鮮人社会に対するバッシングが特にひどかった時期です。朝鮮学校に通う生徒達への暴力行為があったのは周知の通り。何よりもこの時期に「北朝鮮は信用出来ない」という事を率先して言いふらしていたのは拉致問題関係者やマスコミに加えて、日本政府そのものだったではありませんか。それらと同じ事をこの会見では言っていた訳です。そしてこれは明らかに(2)の「北朝鮮報道における論調はもちろん自由でなければなりません。北朝鮮に対しても、そのほかのどんな対象に対しても、報道は基本的に自由でなければなりません」というメッセージと矛盾します。北朝鮮バッシング報道に異を唱えるはずの会見で、なぜ従来のバッシング報道と同じようなスタンスの事を繰り返したのか。本当に「北朝鮮報道における論調」が「基本的に自由でなければな」らないのなら、北朝鮮側の言い分にも耳を傾ける必要があるでしょう。むしろ日本での常軌を逸したバッシング報道を考えれば、北朝鮮を擁護したり、北朝鮮当局の言い分(それこそあからさまな「政治宣伝」と思われる発表であっても)を偏見なくそのまま伝えてどうにかバランスが取れるくらいです。そうした北朝鮮擁護の論陣が張られて本来なら当然ですし、そうした報道や論調も「自由でなければなりません」。ところがこの「提言」の(3)と(4)では北朝鮮を「情報鎖国」で「政治宣伝に利用される恐れがあ」るから信用出来ないとばっさり切り捨てて、相手の話を聞く意思ゼロではありませんか。それでどうして「自由」な北朝鮮報道が出来るのでしょう。
朝日間の外交交渉の場だけに限定して考えても、本当に北朝鮮側だけが一方的に悪かったのでしょうか。日本側に非は全くない無謬だとでも言うのでしょうか? 拉致被害者は当初一時帰国の約束だったのに、それを日本側の安倍晋三や中山恭子、川口順子らが一方的に破ったという事はずっと言われて来た訳です。そうした事は北朝鮮側の言い分にも耳を傾けなければ調査報道の入口にすら立てません。ところがこの提言では北朝鮮の言う事は信用出来ないと言うのですから。この連中は北朝鮮の「政治宣伝に利用」されるなと言っておきながら、自分達は日本側の「政治宣伝に利用」されている(あるいは確信犯で積極的に加担)ではありませんか。
どんな国でも当局発表というのは自国政府に有利な何らかのバイアスが掛けられていて当然です。アメリカがイラクやアフガニスタンでの民間人無差別虐殺行為を当局発表で認めるはずがないのと同じ事です。これだって立派な情報統制であり、「政治宣伝」でしょう。しかし日本の多くの報道機関はそれを10年近くに渡ってそのまま垂れ流し続けてきました。なのになぜ北朝鮮だけは? 北朝鮮の当局発表はバイアスが掛かっていて信用出来ないが、日本やアメリカの当局発表は一点の嘘偽りもない公正な真実だとでも言いたいのでしょうか。
 
この「あり方会見」の他の項目でいかに
「もっと多様な見方、複眼的な見方を提示すべきである。また、日本と朝鮮半島の関係への歴史的視点を踏まえた報道や解説を流すことも必要です」
「報道が日本社会に住むおよそ百万人の在日韓・朝鮮人に対する民族差別や排外意識を助長しないように充分に配慮すべきです。また、在日韓・朝鮮人への嫌がらせや暴力被害の実態を報道し、防止を訴えるべきです」
「真摯な姿勢で拉致問題の望ましい解決を目指す報道をするべきです。また、感情に流されない冷静で正確な報道を心がけるべきです」
「メディアは、朝鮮半島問題への理解を一層深める必要があります」
「メディアは、北朝鮮問題に対する国際社会の見方も、国内の見方と同様にバランスよく報道すべきです」
などという美辞麗句を並べ立てた所で、同時に(3)と(4)では肝心の相手である北朝鮮を全く信用出来ない、信用するなと強調しているのですから、これによって他の項目にある耳障りの良い提言が全て何の意味もない空証文と化してしまうのは明白でしょう。相手の言い分をまともに聞く必要はないと言っているのですから。(3)と(4)の二つが入る事で他の提言内容の全てが台無しになるよう仕組まれている。完全にイカサマそのものとしか言いようがありません。
そして「あり方会見」の参加者の中で最も北朝鮮を信用していない、はっきり言えば敵視しているのが石高&石丸の「ダブル石コンビ」である事は明白でしょう。この提言の文面というのは石高&石丸の意思が最も強く反映されたものである事に疑いの余地はありません(実際彼らは上記の提言内容を何一つ実践していない。(3)(4)の「情報鎖国」だの「政治宣伝に利用される」なという理屈以外は)。
他の「善意」(?)の参加者達(同時開催された在日側の会見出席者も含む)はこの二人に好いように利用されて、こんな茶番劇の片棒を担がされたのです。あるいは分かっていながら加担した確信犯であったかもしれません。この提言の隠された本質がどうであれ、「北朝鮮報道のあり方を考える」だの「民族差別や排外意識を助長しないように」などというキレイ言を表看板に掲げた会見に参加しさえすれば「自分は在日の事を考えており、他の報道機関や差別主義者とは違う」という自尊心を満足させられるし、「良識派」の仮面を被っていられるのですから。何しろ特に激しく北朝鮮バッシング報道を実践してきた石高&石丸の二人がこうした会見を行う事自体があまりにも想像を絶した話でしょう。彼らが北朝鮮を攻撃する事で右翼・レイシストを調子付かせ、在日朝鮮人への差別的暴力的攻撃材料を与えてきました。誰よりも率先して「民族差別や排外意識を助長」あるいはそれを補助・幇助してきたのは他ならぬ石高&石丸でしょう。彼らは今でも拉致問題関係の極右団体と親しく交際して協力し、その集会などにも積極的に講師として出ているのですから、「あり方会見」で自分達が言った提言が空証文であった事を後に自ら証明してみせてもいる訳です。まさにこの二人にとって2002年の「あり方会見」とは、自分達がその他のレイシストと同一視されない為に言い訳・弁明して「良識派」を偽装する為の機会でしかなかったのです。これを「マッチポンプ」「往復ビンタ商法」「総会屋流」と言わずして何と呼ぶのでしょう。
今でも石丸次郎を「北朝鮮現地を何度も取材している、その道の第一人者」(実際には北朝鮮から出入禁止にされているので自分では現地取材など全く出来ず、朝中国境地帯をストーキングするくらいで、脱北者にゼニを渡して適当な写真を取り寄せているだけ)扱いして起用するメディアが少なくありません。左派・リベラル系雑誌などでは北朝鮮批判論者でも極右レイシズム・排外主義丸出しな在特会レベルの人間はさすがに使い難いですが、石丸なら「民族差別や排外意識を助長しないように」という事も言っている良心的な北朝鮮批判者(?)なので起用し易い、という事なのでしょう。週刊金曜日の2002.09.17号では石丸次郎が例によって「困窮している北朝鮮現地人の写真」を引き合いに出して10年前と一向に進歩のない北朝鮮非難の記事を載せていましたが、あの記事が載ったのもそうした経緯があったのだと思います(サンデー毎日も多分同様)。石丸は北朝鮮の金正日政権は変化がないと度々文句をつけますが、変わってないのはあんたでしょ。この男の北朝鮮批判の言い草は10年前と何ら変化がありません。その間に北朝鮮という国の内外情勢がどれだけ激変したか筆者のような素人でさえ日本に居ながらにして知っているのに、国境地帯にまで行って取材し、大金を握らせたエージェントを潜入させておいてそれに気付かないなら、さっさとジャーナリストの看板を外した方が良いと思います。
一応「護憲派」だからという事で佐藤優を起用するのと同じような構図でしょう。しかしながら「あり方会見」の提言内容を見ても分かる通り、石丸は自分の本音や日頃の「悪行」をうまくカムフラージュして「良識派」ヅラする事にある程度成功している悪質な知能犯であり、そういう意味では知性の欠片も無い単純馬鹿の集団である在特会以上に危険かつ犯罪度が高い輩です。
左派・リベラル系の媒体は、ちょっと在日朝鮮人擁護をしたから、「護憲派」だから、弱者に優しい(?)からという理由だけで石丸次郎や佐藤優や鈴木宗男のような類の人間を軽々しく起用していますが、それがどれだけ社会に悪影響を及ぼすかをまるで考えていません。それ以前にあの手の人間達の「政治宣伝」に簡単に利用されるお人好しのアホウぶりに自ら気付かない所が滑稽過ぎます。
(この項続く)

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