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「延坪島紛争」で読んでおくべき韓国の報道その5

少し時間が過ぎてしまいましたが、引き続き韓国の見るべき報道記事を翻訳してお届けします。
今回の記事は「延坪島紛争」の直前に訪朝してウラン濃縮施設を視察したアメリカの専門家達の意見です。今回のプレシアンの記事では、スタンフォード大学のロバート・カーリン客員研究員とジョン・ルイス教授がワシントンポストに22日に寄稿したコラムがどのようなものかを述べていました。いずれも対話すべしという事と、北朝鮮を主権国家として認める事を米当局に促しています。実際に北朝鮮の核施設を目の当たりにした専門家達が朝米対話を訴えている事を日本のマスコミはどこも伝えません。それどころか彼らにインタビューしたニュース番組などでは、彼らがいかに「北朝鮮の脅威」述べているかのように仕立て上げている始末(あのインタビュー映像はかなり編集されているはず)。実際に彼らが何をアメリカ政府当局に訴えたか、その事実を知っていただきたく思います。
何せ日本には石丸次郎のような確信犯のペテン師はもちろん、事実を調べもせずに妄想に基いてものをしゃべる「超左翼」とかいう訳の分からない変な異常者もいるので、そうした嘘やデマに引っ掛からないよう気を付けるべきでしょう。
 
韓国語原文記事はこちら
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=40101123213400&section=05


「戦略的忍耐の破綻、米国は対朝政策を再考せよ」
 
訪朝した米専門家達、WPコラム通じて「北朝鮮の存在を認定してしてこそ」
 
先日9~13日、ジークフリート・ヘーカー博士と共に訪朝して北朝鮮の超現代式ウラン濃縮施設を確認して戻って来た、米スタンフォード大学のロバート・カーリン客員研究員とジョン・ルイス教授が「戦略的忍耐」に代表される米国の既存対朝政策を再検討せよと促した。
 
彼らは22日(現地時間)「ワシントンポスト」に寄稿したコラム「米国の対朝政策を再考せよ」で今まで米国は「戦略的忍耐」という名目の下で時間が北朝鮮核問題を解決してくれるのを待っていたが、その間に北朝鮮の核能力はむしろ向上しており、北朝鮮崩壊のような事態は起こらなかったとして、これからは北朝鮮の実体を認めて真面目な協商に出なければならないと指摘した。
 
 
【私が直接行って見ると…】
 
カーリン研究員とルイス教授は「時間と環境が北朝鮮を圧迫すれば、北朝鮮は自ら非核化するだろうというのが米国の希望であり、待っている間に北朝鮮は自分達独自の計画を実行した」とし「約2週間前に4日間訪朝している間、我々は北朝鮮が25~30メガワット級の軽水炉建設を始めたのを見た」と言う。
 
また「さらに重要なのは遠心分離機によるウラン濃縮施設」であったと強調し「この施設は2000個以上の遠心分離機を備えた良く出来た施設のように見えた」と伝えた。
 
彼らは「北朝鮮関係者は仔細な言及は避けたものの、遠心分離機がP1モデル(旧式パキスタンモデル)ではないと言った」とし「彼らはこの施設が最近完工し、今は作動中だと言ったが、我々のいる位置からは確認出来なかった」と言う。
 
北朝鮮関係者達は訪朝者達に施設の意味を「現在建設中の軽水炉発電所で核燃料として使う低濃縮ウランを生産する場所」と説明したとし「外国から軽水炉発電所を導入しようという努力に失敗した為、自ら建てる以外になかったと彼らは強調した」と伝えた。
 
 
【制裁を強化せよと? 馬鹿な事を!】
 
彼らは「北朝鮮のウラン濃縮プログラムは『協商は無駄で、国際的な制裁を広げる事でのみ成果を上げられる』という批判を呼び起こしたが、まさにそのような主張(制裁を強化せよと言う主張)達が米国をこのようなジレンマに追い込んだ」と指摘する。
 
二人は「米国の対朝政策と北朝鮮の核プログラムのどちらを非難の対象にすべきかという論争は重要ではない」と主張し「今すぐ我々に必要なのは、これまでの16年間に北朝鮮との接触を全体的に振り返って事実を分析し、可能な政策対案に対する正直な評価を下すという事」と強調した。
 
彼らは「問題は北朝鮮の核プログラムは時間が経つにつれて段々解き難い問題になるという事」として、問題の速やかな解決を促す。「戦略的忍耐」など現在の米国の対朝政策は、北朝鮮を圧迫して自ら非核化させようという動きを引き出すものだが「だが懐疑論的な視点からは、こうした制裁では北朝鮮を圧迫しようという中国の意志がなければならないと警告する」という事だ。彼らは「中国は北朝鮮を圧迫する代わりにこの数年間北朝鮮との関係を強化しており、最近の朝中関係はいつの時代よりも良好となった」という点を指摘した。
 
二人は特に「我々は何が米国と同盟国達の安保にとって最善であるかについて集中せねばならない。米国は韓国と日本の後を追わねばならないというのは良い方法ではない」として、米国が韓国など同盟国達に引っ張られるのではなく、独自的な対朝政策を取るよう注文した。「強力な同盟国ならば平壤に対する米国の創造的な接近を排除してはならず、むしろこれを支援せねばならない」というのだ。
 
 
【北朝鮮の存在をありのままに認定する事が重要だ】
 
結局重要な事は「北朝鮮が変化するのか、崩壊するのかに対する果てしない政策論争の最中においても、北朝鮮はソ連崩壊後20年もの間生き延びた」という点だと指摘した彼らは「北朝鮮という国はこれからも引き続き維持されるものと見る」と見越す。
 
彼らは「不幸にも、北朝鮮が世界に対して孤立するよりも、米国人達はそれ以上に北朝鮮に対して孤立した」として、米国の対朝政策変化を促した。また「北朝鮮に対する現実的な接近は、北朝鮮の体制や政策に対する道徳的判断や我々の価値や目標に基く何かを(北朝鮮に)強要する事を必要としない」とし「米国の政策決定者達は原点に戻る必要がある」と言う。
 
戻るべき「原点」は「とても簡単だ」と彼らは言い「北朝鮮が自身の利害関係を持った主権国家として存在するという事を、ありのままに認める事」をその支点として提示した。
(訳 ZED) 

 
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アホの石丸じろう 言ってる事が全部ブーメラン

 アホ全開の石丸次郎ツイッターより。
 
橋下知事が「大阪都」構想掲げて姦しく吠えているが、僕はこの男のことをまったく信用していない。いうことがころころ変わる。受け狙いで思いつきで話す。「光市害事件」の弁護団に対し、懲戒請求を読売テレビ番組で呼びかけ、訴えられて民事で負けた。そのとき「すいません」と殊勝顔で謝罪したくせに
 
言ってる事が全部自分に跳ね返ってる事に気付かない所が笑えます。「いうことがころころ変わる。受け狙いで思いつきで話す」って全部自分の事じゃないですか。昔は左翼学生だったくせに今は隠れ民族差別主義者にして戦争扇動者と言うバリバリの極右で、その時と言ってる事やってる事が全然違う。おまけに日本国内の反北朝鮮感情におもねってロクに取材もせずしゃべってるくせに。韓国国内の南北対話や反戦平和を訴える声を徹底的に黙殺したあげく、北朝鮮内部の声として「とっとと戦争になれ」なんて言ってる奴がよくこんな事を言えるものです。
橋下が「「すいません」と殊勝顔で謝罪した」? この件に限ってだけ言うなら、形ばかりとは言え謝罪するだけ橋下の方が石丸よりもナンボかましです。石丸が自分のいい加減な飛ばし記事を謝罪した事がありますか? 石丸は金正日の後継者予測でデタラメを言った事をまずは謝罪・訂正しなさい。
 
アホの橋下とおる? 自分は「アホの石丸じろう」でしょうに。
厚顔無恥&無知ぶり、それに言ってる事が信用出来ないという点では石丸次郎と橋下徹は実にいい勝負ではありませんか。ひょっとして近親憎悪?(笑)
 

「延坪島紛争」で読んでおくべき韓国の報道その4

(前回の続き)

プ:2002年に北朝鮮のUEP関連情報を公開したのは、米国ネオコン達が南北関係及び朝日関係の進展を防ぐ為の動きだったという事か?
 
林:そういう面がある。以後米国内でも北朝鮮のウラン濃縮に関する情報の正確性と関連して論議が多かったと記憶する。例えば2007年にも米国「ニューヨークタイムス」にこの論議を扱った記事が出た。
 
プ:盧武鉉政権の時には北朝鮮のUEPと関連した疑惑が提起された事はないのか?
 
林:そのような事はなかったと認識している。なぜならその時の問題はプルトニウムであったからだ。2005年の9.19宣言で合意したものや北朝鮮が核実験をしたのは全てプルトニウムと関係した事だ。もちろん六ヶ国協議を始める時にはUEPにかこつけて始まったが、論議過程ではプルトニウム関連の話だけが出て、ウランプログラムを論じるのは伏せられた。
 
当時北朝鮮のUEP関連情報の信頼度が高くないという証言も出た。「中間程度」の正確さの情報では信頼度が下方修正されねばならないという事だ。ジョセフ・テトラーニ前米国六ヶ国協議大使がそう言った事がある。
 
また、オバマ政権になってヒラリー・クリントン国務長官も2009年2月に韓中日3カ国歴訪当時に日本・東京で記者会見し、北朝鮮UEP情報に対して「疑問を持っており、これについて米情報機構内でも論争が多い」と言った。また、クリントン長官はブッシュ政権が対朝政策をうまくやれず(北朝鮮核開発という)にこの事態を招いたという要旨の発言もしている。
 
「太陽政策の為だと? そんなの話にならない。ははは…」
 
プ:北朝鮮UEPも延坪島事件も、全ての事は太陽政策の結果という主張もある。
 
林:そんなの話にならない(虚脱したような笑い)。全ての過ちを太陽政策に押し付けて、自分達の過ちは考えないとはお話にならないお話だ。3年という長い時間に、今の政権は何をしたのか。なぜ良くない事は全て過去のせいにするのか。
 
プ:一方では太陽政策も失敗したという声もある。北朝鮮が絶えず挑発をしており、韓国の安保体制は脆弱になったという事だ。現政府式の強攻策でもなく、太陽政策でもない何か新しいものが必要という主張もあるが。
 
林:良い意見ではあるが、ならば実際に一度編み出してみろと言いたい(笑)。太陽政策をしなかった為にむしろこのような事態が起こったのではないか。太陽政策を通じて和解協力を追及したかつての10年間には、挑発がどれだけ減少した事か。
 
もちろん金大中政権当時の2002年には衝突(西海交戦)があった。一度に突然なくなるはずもない。だが緊張が緩和されて信頼も少しずつ育てていく事で、このような現象が実際に進行した。政府だけの努力のみではいけないが、市民参加の空間を広く設けて接触と交流が活性化するような過程を通じて、双方の国民達の間に意識変化が起こったおかげでこれが可能となったのだ。特に北朝鮮国民達の(南に対する意識は)とてつもなく変わった。
 
ドイツの統一過程を見れば、西ドイツが東ドイツに20~30年間に多くの支援をした。和解を通じた変化とも言え、接触を通じた変化とも言えるこうした政策を通じて、支援し、交流し、民族共同体意識を作った。「確かに今は分かれているが一つの民族という事を忘れずに生きよう」として東西ドイツ国民間の統合意識作ろうとしたし、こうして東ドイツの人々の人心を得た。これが統一の基盤になる事だろう。我々もそうせねばならないのではないか。
 
プ:ならば李明博政府が「非核開放3000」など、以前の政府の政策をひっくり返して強硬な態度を見せた為にこうした一連の事態が起こったと見るべきか。
 
林:そうだ。圧迫と制裁を通じては北朝鮮核問題を解決する事は出来ない。ブッシュ前政権が、世界唯一の超大国という米国の屈強な力を持って8年間北朝鮮を屈服させようと努力したが、成功せずにむしろ逆効果ばかり招いた。むしろ「ブッシュの核爆弾」という言葉の通りブッシュ前大統領の強攻策が北朝鮮をして核兵器を作らせたのだ。その前にクリントン元大統領の時は北朝鮮の核活動凍結と、米国が北朝鮮に安保上の驚異を加えずに、朝米関係を正常化して平和体制を樹立する措置を取り交わす政策を繰り広げた。
 
電力生産の為に核開発をしたという北朝鮮の主張に対しても「ならば(核開発を中止する事で招かれる)電力損失を補償する為に経済エネルギー支援をしよう」とやり取りするやり方で接近した。
 
すると北朝鮮は実際に建てていた200MW原子炉と50MW原子炉を閉鎖するなど8年間核活動を中断した。こうしてやり取りする、包容する、手法で接近せねばならない。「悪の枢軸だ、除かねばならない」として圧迫と制裁を繰り広げる政策を用いれば、北朝鮮は反発してさらに多くの核兵器を作り出す。
 
すなわち最近まで(の歴史を見ると)北朝鮮の核に対する2種類の接近方法があったが、両者は良い比較対象だ。圧迫と制裁よりも、包容と協商がより効果的だということだ。
 
「10.4宣言だけでも履行されていれば延坪島事件はなかった」
 
プ:今回ヘーカー博士と共に訪朝した米スタンフォード大学のロバート・カーリン研究員とジョン・ルイス教授らが米国政府に対して「創造的接近」を注文した。米国が韓国の対北強行策を追従するのではなく、米国自ら事態解決の為に独自的接近を試みよという注文だった。すぐには難しくとも平和体制に進む為の努力を始めねばならないという主張も多い。文ジョンイン延世大学教授は、今日の朝のMBCラジオ「孫ソッキの視線集中」で南北間秘密接触でもしなければならないと言った。だがもし北が第3次核実験やその他の挑発を強行すれば、事態が収拾出来なくなるのではないかと心配だ。
 
林:(韓国政府は)危機管理をしっかりやらねばならず、いつかは局面を転換せねばならない。出発点は南北対話だ。対話をしながら転換していくしかない。南北首脳会談をして「トップダウン方式」(top-down 上から下に向かって問題を解決していく方式)で解決しようという声もあるが、今の状況でそれが出来るか。もちろん出来れば良いが、相当な過程を経てこそ可能だと思う。今の不信と憤怒の状態では難しい。南北対話をして危機管理を互いに良くやっていきながら、緊張を解かねばならないと思う。韓国政府に意思さえあれば出来るのに、問題はそのような意思があるかだ。
 
最も重要な問題は朝鮮半島の平和を実現する為に努力せねばならないという事だ。その1段階目は緊張と衝突の西海を平和の海にする事だ。これが第一歩だが、北方限界線(NLL)の為にいつも問題が起こる。
 
だがNLL解決方法も(2007年南北首脳会談の結果物である)10.4宣言を通じて合意した。「西海平和協力特別地帯」を設置するという構想は、線の概念を面の概念に変える事にしたものだ。地上にも休戦「ライン」だけがあるのではなく、幅4キロの非武装地帯(DMZ)があるように、海にも相当な部分でこのように作り上げるのだ。この水域に軍艦は入れず、平和的漁業作業を保障しながら、漁業指導船だけが入れるようにするといったやり方がその内容だ。
 
こうすればNLL問題を解決出来る。これよりもさらに良い合意もあり得る。過去の政府で研究して用意しようとしたものだ。正直私は2007年首脳会談でこの問題が合意されようとは予想もしなかった。だが10.4宣言を通じて偉大な合意を見たのだ。今の政府が(その成果を)受けて具体的に実践すれば良いのに、していない。すでにこの海で何度目かの衝突が起こったか、何十人が死んだのか分からない。盧武鉉政権の時には西海上の南北軍艦艇の間でも通信を維持した。その期間には一件の事故もなく一人も死ななかったのに、わずか3年にもならぬ間にテチョン海戦、天安艦事件、延坪島事件が次々に起こった。人がどれだけたくさん死んだ事か。
 
プ:10.4宣言で合意した「西海平和協力特別地帯」構想が実現していれば今度の事態も起こらなかったというのか?
 
林:もちろんだ。(その構想は)数十年間南北が知恵を集めた出発点だ。もう出発を始めて停戦体制を平和体制に変えるべく進まねばならない。関連当事国の中にも米国、中国が先頭に立つはずがないのだから、南北が先頭に立って率いていかねばならない。以前の政権の時にはそのような努力が多かったのに、今の政府は関心すらない。だからといって代わりにしてくれる人間もいない。多く努力してもすぐには成功し難いのに、それすらしていないではないか。早くせねばならない。
 
プ:協商の意思があるならNLLから解くのが糸口にし易いと考えるのか。
 
林:そうだ。線の概念では難しいので、面の概念で行こうというのは奇抜なアイデアだ。緊張を緩和しながら危機管理を良くやり、南北関係改善を図らねばならない。今最も急がれるのは西海を平和の海にする為の協商をする事だ。その一方で六ヶ国協議を通じて、米国と北朝鮮の敵対関係を解消し、非核化を実現するという過程も同時に実現せねばならない。
 
「重要なのは米国の役割…MB(李明博の韓国での略称 訳注)が乗り出さねばならないが、期待しにくい」
 
プ:ヘーカー博士も訪朝報告書を通じて協商以外に問題解決の方法はないと主張した。だが、北が南の無辜の民間人に向かって無差別砲撃を加えた延坪島事件が発生し、協商の雰囲気は事実上流れてしまったかのようだ。今の雰囲気では南であれ米国であれ、どうやって北と対話をしようとするだろう。青瓦台は今「拡戦自制」という当初大統領の指示を否定してまでも国内対北強硬派の顔色ばかりうかがっているようだ。南の民心も北に対する敵対感に傾いている。冷静さを取り戻そうという人達は協商以外に方法はないと言うが大部分は憤怒に満ちており、一部では北朝鮮を武力で懲らしめろとまで主張している。このような状況で果たして何が出来るだろうか。
 
林:難しい問題だ。事の多くがねじれているが、北の核問題との関連ではヘーカー博士など専門家達が提示する方案が正しいと思う。対話と協商を通じて問題を解決すべきであり、北朝鮮の不安意識を取り除いて安定を図りながら、関係改善を通じて接近せねばならない。朝鮮半島平和体制を作りながら核問題を解決しなければならないという事だ。これは新しい主張でもなく、9.19共同宣言ですでに出ている事だ。この為には米国と北朝鮮の役割が重要だ。
 
中国も同じ考えだ。中国は昨年7月に対北政策基調を定めたように思えるが、(その内容は)朝鮮半島非核化原則を固守するという事と、北朝鮮核問題は朝米敵対関係の産物である為に米国が主導的に解決すべきという事などだ。中国は米国を助けてこの問題を解決する為に努力するという程度の立場だ。また中国は北朝鮮との伝統的な関係をこれからもさらに強化して発展させる事が彼らの国益と安保にも助けになると見ているのも同じ脈絡によるものだ。
 
したがってオバマ政権が決断を下すべきであり、米国が朝鮮半島問題解決にもっと主導的な役割をせねばならない。非核化のみならず、平和体制を築く時にも米国の役割が重要だ。
 
プ:しかし米国の歩みは中国とは大きく違うようだ。中国は南北双方に対して冷静さと節制を要求したが、米国は今回の韓米連合訓練に航空母艦ジョージ・ワシントン号を送るという挙に出た。一方ではこれと関連して憂慮を提起もした。米国側では「中国が北朝鮮を自制させなかったのだから責任を取れ」という態度のようだが、英国日刊紙「インディペンデンス」では「オバマの決定が朝鮮半島危機をさらに悪化させている」というコラムが載りもした。実際に米国の歩みを見れば、韓国の強硬対応に便乗して域内で軍事的影響力を強めようとしているのではないかという考えも浮かぶ。オバマ政権になってから朝米関係を独自に変えようとするよりは、李明博大統領の対北政策を追認して付いて来ているのではないかと思う。
 
林:全く同感だ。その点は私も非常に心配している。
 
プ:そうした面でオバマ政権が対北政策を変えなければ、韓国政府だけでも変えねばならないが、可能性はあるだろうか?
 
林:期待するのは難しい。李明博政府が今からでも局面転換をすれば良いが、現在ではそのような気配が見えない。心配である。
 
ブッシュ前大統領も北朝鮮の核実験以後である2007年に態度が180度変わって「勇断」を下したことがある。ブッシュ前大統領は「北朝鮮とは対話しない。悪の行動には補償はあり得ない」といつも言っていたが(2007年には)朝米間直接対話を始めて、北朝鮮があれほど望んでいたテロ支援国解除措置もしてやった。それは実に勇断であった。2008年には北朝鮮を敵性国交易法適用対象からも解除した。
 
そのような措置をしながら北朝鮮各施設不能可などの進展を見たではないか。ヘーカー博士の報告書を見るとこの不能可措置、すなわちプルトニウム生産中断措置は今も維持されていると出ている。もちろん前に生産された核物質は保有しているが。このような方式で接近すべきで、今の方式では困難ではないかと思う。オバマ大統領も当選する前の選挙過程では(金正日委員長との首脳会談を推進するなど)包容政策を強調したのに、今は態度が大きく変わった。
 
 
延坪島事件、解決法は何か
 
プ:天安艦事件以降にも政府は北朝鮮を孤立させようとして強硬な姿勢を見せてきた。だが6月地方選挙を通じてこの流れが形成されるのを国民の力で霧散させたが、今度のような場合は明白に大韓民国領土と民間人に向かって大砲を打って高貴な人名を犠牲にした。すぐに事態悪化を防いだり葛藤を和らげられる契機がないというのが気掛かりだ。
 
林:そのような契機が用意されなければならないが、時間がもう少し必要だ。契機があれば国民達の考えはまた変わりうる。「敵対関係を維持すればこのような事態がまた起こるのだ、またこのような事が起こって良いのか」という考えをするようになるだろうし、「その為に政府が少し前進せよ。このままでどうやって暮らしていくのか。政府が対話して敵対関係を和らげよ」という意見が出るだろう。
 
もちろんすぐには期待出来ない。今回北朝鮮が大韓民国領土に砲撃をしたのはあり得ない事であり、許せない事だ。それは当然の事だ。私も今回の事態は正直予想出来なかった。北朝鮮がそのような意図でやったにせよ、誤りだ。だからといって我が政府が屈服するはずもなく、むしろ国民達から敵愾心と憤怒ばかりを沸き上がらせた。
 
プ:当初青瓦台では拡戦を自制せよという指示があったという話が出た。今は否定しているが、事実ならこれは正確な判断ではないか。
 
林:当然だ。どの大統領であれそのように指示するのが正しい。他にどのような方法があるだろう。憂慮されるのは今回の事態によって我が対北政策を振り返らねばならないのに、むしろ今まで良くやってきたかのように判断しているようだ。南北共に「見せしめにしてやる」という方向に出るのではないかというのが心配だ。
 
プ:前長官として、現在の統一部が赤十字会談無期限延期、人道的支援中断などの措置を取っている事に対して忠告するとしたら?
 
林:現政府としてはそうする以外にないだろう。助言する事もない。根本的問題は統一に対する基本哲学なのに、これが直されない限りどうしようもない。
 
プ:北朝鮮で挑発水位をさらに高めてくる可能性もあるのか。
 
林:そうだ。さらに上げてくるだろう。我が国民達が心配しているが、北朝鮮の第3次核実験は間違いなくあると見ている。時がいつかは分からないが、やる事はやるだろう。やる以外にない。北朝鮮が開発しようという核兵器がまだ完成していない為だ。パキスタンとインドの場合は7~8回の核実験の果てに核兵器開発に成功した。まだ北朝鮮は完璧に核開発をしたのではない。1.2次核実験は成功したとは言い難いのが西側専門家の判断である。まだ核兵器はもちろん、核爆弾の段階にも達していない。
 
だが失敗は成功の母である。また、失敗しても実験過程を通じて多くの事を学ぶ為に、引き続き実験をするのだ。そこでヘーカー博士のような人は、北朝鮮の2度の核実験は確かに失敗したが、成功に至る飛び石だという点では成功と見れるという評価を下しもした。もし北朝鮮が優れた技術を持っていて、3~4回の核実験で核兵器開発に成功するかどうかは分かりようもないが、インドとパキスタンの場合を見ても2度の核実験だけでは駄目だった。そこで北朝鮮は核兵器開発が完成するまで引き続き核実験を試みるだろう。
 
プ:驚くべき事だ。非常に気掛かりである。かつて2回の核実験だけでも韓国をはじめとする西側は大きな衝撃を受けたのに。
 
林:あまり驚くべき事ではないが、いずれにせよ我々の立場としては北朝鮮が核実験をしなくなるよう早く措置を講じねばならない。核兵器開発の段階は普通5段階に分けられる。1段階目は核物質を生産する為の施設を作る事であり、2段階目はその施設を通じて核物質を生産する事だ。使用済み核燃料棒からプルトニウムを再処理するのが1.2段階目に該当する。3段階目はこの核物質を使って爆弾を作る事であり、4段階目は核爆弾を小型化・軽量化してミサイルに搭載する事だ。この時にようやく核爆弾は兵器としての機能を持つようになる。核爆弾をミサイルに搭載してこそ敵に打撃を与えられるからだ。3段階目で核爆弾(nuclear bomb)となり、4段階目でやっと敵に対して使用出来る核兵器(nuclear weapon)となる。この核兵器をいくつも作って実戦配置するのが最後の5段階目だ。
 
こうして見ると、クリントン元大統領は北朝鮮核開発を1段階目で防いで留まらせた。ブッシュ前大統領は3段階目まで進ませた。北朝鮮が4段階目へと入る前に防がねばならない。北朝鮮の立場としては核兵器は作る以外にない。後で廃棄するにしても、交渉力を強化するという意味があるからだ。
 
プ:一方で北朝鮮を理解しよう、包容して対話しようと言うが、今回の延坪島砲撃でこうした対北対話意志が消えてしまわないか心配されるようだ。
 
林:それでもまた良くなるのが過去の歴史だ。時間がどれだけ掛かるかは分からない。指導者がどんな政策意志を持ってこの問題に対するかが要である。
 
私は南北関係の将来に対してこれまで悲観はしてこなかったが、今回の事態に接してもう楽観してばかりはいられない状況という感じがした。段々事態が悪化している。それでも転換の機会は来ると思うし、また作らねばならない。失望してはならない。国民達が正しく理解して考えを共有するという事が重要だ。「プレシアン」読者の皆さんにもこの点をしっかりとお願いしたい。
 
(訳 ZED)
韓国語原文記事はこちら。
 
林東源氏インタビューはこれにて終了です。
テレビを見ていると先日訪朝したヘーカー(ヘッカー)博士にインタビューしていたものの、北朝鮮の核開発が大昔から進められたもので、その脅威ばかりを扇動するような内容になってました。当ブログの翻訳記事を御覧になればお分かりの通り、ヘーカー博士はこの施設が2009年4月(つまり韓国の李明博政権になって南北対立が深まってから)以降に建てられたと報告書に書いていたのですがね…。相当に意図的な編集が施されたニュース映像としか思えませんでした。さらに重要なのはヘーカー博士らがこの報告書で、オバマ政権に北朝鮮と対話すべしと進言している事です。「戦略的忍耐」という名の無為無策では駄目だという事ですが、こうした報告書の重要なポイントがやはり日本では全くと言って良いほど報道されていません。日本人の多くは「北朝鮮(に限らずアジア諸国の多く)には報道の自由がない」などと言って馬鹿にしますが、「報道の自由」があるくせに情報操作としか思えないひどい記事を垂れ流すのはいいんですか? 特にアジアプレスの言う「アジア諸国には報道の自由がない」という言い草が、いかにエラソーな上から目線であるかが分かるというものではありませんか。
 

「延坪島紛争」で読んでおくべき韓国の報道その3

前回に引き続き林東源インタビューの翻訳です。これを読めば日本で報道されている朝米間の核問題が、いかに嘘だらけかがよく分かるでしょう。別名「石丸次郎が教えない朝米間の歴史」(笑)。
原文URLはこちら
(訳 ZED)


「米国が教えてくれたと? 証拠もなかった」
 
プ:発表文を見ると北朝鮮のウラン濃縮プログラムは1997年から米国マスコミに報道され、ジェームス・ケリー米国務省次官補が2002年訪韓時に関連情報を教えてくれたとされているが、それは確かなものではなかったとされている。
 
林:事実、その当時には南北関係が活気に溢れていて2002年8月30日には小泉純一郎日本首相も朝日首脳会談の為に9月17日に平壌を訪問すると言う計画まで発表された。しかしその直前に米国務省内対朝強硬派であるジョン・ボルトン国際安保担当次官が韓国を訪問した場で、国防部長官らに「北朝鮮が1997年から推進してきた高濃縮ウラン(HEU)生産計画が憂慮すべき水準に達した」とし「これは北朝鮮との関係改善において障害要因になりうる」と言った。
 
これは小泉総理の訪朝日程が知らされてから、それを阻止する目的があったものと思われる。その頃韓国政府が南北鉄道を連結する為に、非武装地帯の地雷を撤去しようとした時も(ボルトン次官らは)否定的な態度を見せた。
 
当時、我が政府は米国側のそのような態度に対してまともではないと考えた。両国の情報機関同士でまずは協調し、我が情報機関が(米国側から得た情報を)我が政府に報告するのがまともな情報共有の過程なのに、政治家であるボルトン次官がソウルに来て韓国国防部長官と外交通商部次官補に言うのは少し異例だ。おまけに訪韓目的は「講演」だったのだ。
 
北朝鮮のHEU生産疑惑は1997年「ワシントンタイムス」が二日間一面でトップ記事にするなど大々的に報道する事で全世界に知られ、その時から韓米双方の情報機関がたゆまず追跡してきた。両国情報機関は定期的に情報交流及び評価会議をするなど協力を強化してきた。2002年6月頃までは進展した情報を確保出来なかったというのが、6月当時韓米情報機関同士の会議内容だ。
 
しかしボルトン次官がおかしな発言をするので我が情報機関が確認してみると、情報機関の間ではそのような情報交流はないという事だ。米国側から情報を公式に通報してもくれなかったのだ。
 
同年10月3~5日に予定された訪朝を前にして、ケリー次官補がソウルに入った。ブッシュ大統領が金大中大統領に電話して「大胆な接近」をしに特使を送るとしたので「これでようやく朝米間の緊張関係を解消する為に特使を送るのだな」と思った。
 
事実その前までは韓国政府が、北朝鮮と対話して協商せよと言っても駄目だと言うのがブッシュ行政府の立場であり、それに北朝鮮は「悪の枢軸」であって先制的軍事攻撃で除かねばならない政権だというのが「ブッシュドクトリン」の立場ではなかったか。ボルトン次官は「イラクの次には北朝鮮だ」とまで言った。そこで我が政府はケリー次官補の訪朝を(朝米関係改善の為の融和的ジェスチャーと見て)内心歓迎した。
 
ところが実際にケリー次官補と会ってみると、そのようなものでは全くなかった。「北朝鮮がウラン濃縮プログラム(UEP)を推進しているという事を米国は知っており、これを廃棄せねば対話はない」と通報しに行くのだという。
 
そこで「もし北朝鮮がUEPを推進するというのが事実ならば、なぜ情報機関同士の情報交換がないのか、韓国政府に正式に情報を提供せねばならないのではないか」と聞くと、結局ケリー特使の訪朝以後である10月7日に米中央情報局(CIA)チームがソウルに来て我が政府当局者にブリーフィングをした。
 
その最初のブリーフィングを私も一緒に聞いた。(林前長官は当時、青瓦台統一外交安保特別補佐役として在任中だった)ブリーフィングの内容は「北朝鮮が地下にHEU生産施設を建設している最中であり、遠心分離機も充分に確保している」というものだった。またCIAは北朝鮮が2005年からは1年に核爆弾を2個ずつ作れる高濃縮ウラン(HEU)を生産するだろうとの情報判断を伝えて来た。
 
そこで「これは並みの深刻さではないが、証拠はあるのか」と聞くと、確証はないという。それで「私は国家情報院院長までやった人間だが、不確実な諜報水準のものを政治的に解析して情報と言えるのか、参考にはするがこのような水準の情報を根拠に対北政策を変える事は出来ない」と釘を刺した。
 
米国が提起した不確実な諜報である「金倉里(クムチャンリ)地下核施設疑惑」の為に1998年にも戦争が起こる所だった。それは当時からわずか4年前の事だ。米国で食料60万トンを北朝鮮に提供してやり、その代価として現場へ行って調査してみると、違うという事が判明したのだ。このような失敗を繰り返してはならず、朝米間緊張関係は望ましくないとい思った。もちろん北朝鮮の核開発を認める事は出来ない。だが確証のある情報を持って対処せねばならないではないか。今から緊密に情報協力を維持して、確証をまずは確保した後で対策を論議するのが正しいと思う。
 
当時このような私の考えを米国側に伝えた。しかしどうして、米国が私の言う事を聞くものか(笑)。そのまま米国ネオコン達が最初に計画した通りに引っ張られて米国の対朝政策は定められた。
 
当時我が政府が心配したのは朝米間の「ジュネーブ合意」が決裂する事だった。ジュネーブ合意の骨子は、北朝鮮がプルトニウム生産活動などを中断する代わりに韓米などの西側が軽水炉を建設してやるというものだが、もしこの合意が決裂したら北朝鮮は(1994年以後)8年間中断していたプルトニウム核活動を再開するものと見られた。当時の状況からプルトニウムプログラム再開にはさほど長い時間は掛からないであろう反面、UEPはまだ疑惑提起水準であった為に時間が多く掛かるだろうと見られた。
 
そこで急がれるのは北朝鮮のプルトニウムプログラムを防ぐ事だという判断の下、ジュネーブ合意に致命的な影響を与える事を憂慮して慎重に対応しようとしたのに、米国は軽水炉提供プログラムを中止して重油供給も中断するなど「暴走」した。結局2003年1月に北朝鮮は核拡散禁止条約(NPT)脱退宣言をして核開発を再開し、2006年10月に第1次核実験をしたではないか。そこで米国では北朝鮮の核爆弾を「ブッシュの核爆弾」とも呼ぶ。ブッシュ行政府の無策な対朝強攻策が北朝鮮の核開発を助けてやったという意味だ。
この項続く)

「延坪島紛争」で読んでおくべき韓国の報道その2

今回は前回に引き続きプレシアンに掲載された記事の中から、林東源(イム・ドンウォンまたはリム・ドンウォン)インタビューの翻訳をお伝えします。
林東源氏は金大中政権時代の統一部長官であり、いわば南北首脳会談と太陽政策の立役者とも言うべき人物である事は多くの方が御存知でしょう。経歴もユニークで、北の平安北道出身で朝鮮戦争の際に南へ来た、いわゆる「失郷民」と言われる北出身者でした。その後朴正煕が政権を握ってからは陸軍士官学校で主に反共対策や対ゲリラ戦の専門家として活躍するという、典型的な軍事政権下の軍人であり、当時はおよそ朝鮮半島の平和や統一とは縁遠い存在だったのです。実際に軍人としてはかなり有能だったようで、80年の退官の際には当時大統領だった全斗煥(こいつも軍人上がりでした)が大いに惜しんだというエピソードも伝わっています。
若き日の林東源氏が軍事政権下で反共軍人として立身出世する道を選んだのは、北出身者という自身の生まれに起因するものでしょう。当時の韓国では北の出身者は敵性国民として監視下におかれ、同時に反共を国是とする政治体制下で様々な差別を受ける立場にありました。北朝鮮では南出身者がやはり要注意人物と見なされて社会的な監視・差別を受けますが、そうした構図は南北どちらにもある悲劇だったのです。そうした中で韓国の北出身者の一部には極端な反共主義と韓国軍事政権への忠誠を誓って過激なテロ活動を行う極右組織(西北青年会、白骨団など)を作って活動する者もいました。こうした極右テロ組織構成員達の多くは北の共産主義体制化で財産を没収されて南に逃れて来た元ブルジョア層という事もあって、北の体制に対する憎悪から南の李承晩や朴正煕政府の忠実な手先となったのです。今回の事件で日本のテレビは、金正日親子の写真を燃やすなどの過激なパフォーマンスを行う韓国の右翼団体の行動ばかりを意図的かつ集中的に取り上げていますが、そうした団体はこうした古臭い極右団体の流れを受け継ぐ存在であり、本来ならばまともに取り上げる対象ではありません。実際に600万人とも言われる大部分の北出身者や離散家族は日帝植民地解放後や朝鮮戦争の混乱期にやむなく故郷から引き離された身であり、そうした一部過激派の極右暴力組織が南の「失郷民」を代表する存在などという事は断じてないのです。
 
筆者のような在日朝鮮人が最も腹立たしく思うのは、こうした朝鮮半島近現代史の深い闇を知りもしないくせに、何か事件が起こると「北朝鮮許すまじ」と軽々しく発言する日本人の存在です。当人が歴史に無知な上に、日本という国の歴代政権は植民地支配の清算もろくにせず南北分断を固定化するような外交政策を戦後一貫して続け、しかも今回の事件では韓米と共に日本軍=自衛隊が軍事演習に合同参加して北朝鮮を挑発した当事者だったという厳然たる事実を無視して、どうしてそんな口が叩けるのでしょうか。しかもその当人が普段は左翼ぶって日本やアメリカの政策に苦言を呈し、朝鮮高校の無償化除外にも反対しておきながら、そういう事を言うのであれば支離滅裂の極致です。日本人の中でもそういう者は信用出来ません。こういう連中は普段は平和だの9条護憲だのと綺麗言を言っておきながら、いざ本当に戦争が始まったら「北朝鮮だけは9条の例外。これは独裁政権を倒す為の文明と野蛮の聖戦」などと福沢諭吉並みの妄言を吐いて戦争に賛成しそうな気がします。共産党や社民党はもちろん、週刊金曜日とかアジアプレスとか、具体的な名指しはしませんがいくつかの「左派人気ブロガー」とか…。
 
それはともかく、若き日の林東源氏もまさにそうした思考で南の軍事政権に忠誠を誓った、歪んだ心根の北出身者であった事に疑いの余地はないでしょう。しかしそれが後に大きく考えを変えて南北対話論者となり、2000年の南北首脳会談と太陽政策の功労者となるのです。
軍を離れた氏はその後外交官に転身してナイジェリア・オーストラリア大使を歴任、90年代からの冷戦終結後はそれまでとは逆に南北対話へと路線を大きく転換して、91年の南北基本合意書締結に大きな役割を果たし、その後94年に北朝鮮の金日成主席が急死する直前まで韓国の金泳三大統領と首脳会談の予行演習も行いました。同年に金大中氏と出会った事が転換点と言われますが、実際にはそれ以前のナイジェリア大使就任が氏の人生にとって最も大きな転換点になったのではないかと筆者は思います。
 
氏が大使に就任した80年当時のナイジェリアはアパルトヘイト時代の南アフリカから激しい武力攻撃を受けていました。当時アフリカではヨーロッパ諸国から多くの国が独立を果たしましたが、南アフリカはそうした黒人政権の独立に驚異を感じて直接・間接的に侵略行為を繰り広げ、それを西欧の旧宗主国が影から支援するという構図があったのです。南アの侵略は正規軍による直接的な攻撃に加えて傭兵を別働隊として大量に送り込み、様々な破壊工作作戦を仕掛けるというものでした。正規の軍には交戦規定やらジュネーブ条約やらややこしい規則・法規によってまだ行動が制限されますが、傭兵の場合はそうした縛りに束縛されず正規軍の表立って出来ないような残虐行為をやりたい放題という状態だったのです。これが南アの侵略をうけた国で大惨事をもたらす結果となりました。これに対してナイジェリアが採った大きな行動が79年12月5日に国連総会へ提出した「傭兵の活動に対する国際条約の起草」と題する議題の上程です。南アの行動を国際テロとし、その傭兵の活動を国際社会に訴えたのでした。国連での傭兵に関する議論はその後も長きに亘って継続し、89年に傭兵条約が採択、01年10月20日という9.11以降にようやく発効されて傭兵が国際社会では違法とみなされたのです。あまりにも遅きに失した感はありますが。現在のイラクやアフガニスタンなどでその手の組織が「傭兵 mercenary」ではなく「警備会社」「民間軍事会社」と称しているのはその為です。
ナイジェリアは非同盟諸国でも有力な国家の一つとして知られますが、それにはこうした南アとの対決と傭兵の問題を国連で訴えた歴史が背景の一つとしてあります。そしてこうした南アに抵抗したアフリカの新興独立国を北朝鮮が支援してきたというのも厳然たる歴史的事実なのです。北朝鮮のこうした非同盟諸国・第三世界での活動は、国内での鉄拳統治とはまた違った評価がなされねばならないでしょう。少なくともこうした国際外交の舞台に関して言えば、イラク戦争前夜に安保理で自らの宗主国に同調するよう経済的に貧しい国々を恫喝して回ったアジアの某島国の「小国」(笑)よりはるかに賞賛されるべき出来事ではありませんか。
そして当時の林東源氏は赴任先のナイジェリアでそうした出来事を直に目撃した事でしょう。南アの侵略による惨状、それに脅かされながらも非同盟諸国の一員として国連をも巻き込んで抵抗し続けたナイジェリアの姿、さらにそれを支援する北朝鮮の姿を。それが北出身ゆえに反共軍人の道を歩んだ林東源氏の人生観に大きな衝撃を与え、南北対話への道を歩ませるきっかけになった事は十分に考えられるのです。
 
第一に非同盟諸国の有力国家であるナイジェリアの大使として赴任し、それを通じた他の非同盟諸国との対話の有効性を思い知らされた事。
第二にそうした軍事・外交上の経験によって冷戦の終結にうまく対応出来た事。
第三に金大中氏との出会い。
こうした経歴によって根っからの反共軍人だった林東源氏は南北対話へとスタンスを大きく変えました。その太陽政策の立役者が今回の事件についてどのように語ったのかを見て行きましょう。長いので分割して掲載します。
 
特にこのインタビューでは石丸次郎の嘘がまた一つ暴かれる結果になっているのも見所でしょう(北朝鮮のウラン濃縮開始時期について)。石丸は自身のツイッターでこんな事を言っているのですが…。
 
北朝鮮が「数年前からウラン濃縮始めていた」との報。とするとノムヒョン政権時代の可能性。
 
要するに石丸次郎は盧武鉉政権の太陽政策が北朝鮮の核開発を助けた、だから北朝鮮と対話したり支援したりするのは論外、太陽政策・南北対話は誤りだと言外に言いたい訳です。しかしながら先日訪朝してウラン濃縮施設を視察した米スタンフォード大学のジークフリート・へーカー国際安保協力センター所長の報告書によれば、この施設の建設が始まったのは2009年4月以降、つまり韓国では大統領選挙が終わってとっくに北との対決路線を打ち出す李明博政権となった後であり、盧武鉉政権時代ではありません。またしても石丸は根拠不明のデタラメを述べている訳です。実際には太陽政策ではなく、対決政策や制裁が北朝鮮の核開発・ウラン濃縮を促進させた…。
 
老婆心ながら忠告すると、石丸はもうツイッターを止めた方が良いのでは。これ以上ボロを出したら、せっかく築いて来た「北朝鮮報道の第一人者」という仮面が壊れてシノギに支障を来たすだけですよ。いや、筆者自身にとってはネタになるので、これからも続けてどんどん批判材料を提供して自爆して下さいと思ってますが(笑)。でも石丸自身にとってはマイナスにしかならないから止めるべきなんですけどね。それすら気付かないとしたら、この男はぱぎやん以上の馬鹿としか言いようがありません。
 
韓国語原文記事はこちら。

(訳 ZED 強調部分は訳者による)

「今のままでは北朝鮮は、3度目の核実験を必ずする」
林東源インタビュー「10.4宣言だけでも履行していれば延坪島事件はなかった」
2010.11.29午前8:21:32
 
林東源前統一部長官が、北朝鮮のウラン濃縮に続く「延坪島事件」など急冷却した南北関係と朝鮮半島の緊張の高まりに対して重い心情を打ち明けた。林前長官は26日「プレシアン」とのインタビューで「その間に事態を悲観的に見ていなかったが、最近はむしろ楽観出来ない状況」とし「だんだん事態が悪化するようだ」と暗い表情を浮かべる。「最近憂鬱で死にそうだ」という言葉でインタビューを始めた彼はインタビューの所々で「憂鬱さ」をあらわにした。ある質問には虚脱したように笑いもした。
 
彼は「今回北朝鮮が大韓民国領土に砲撃したのはあり得ない事であり、認められない事」とし「北朝鮮がどのような意図でやったものだろうと誤りである。そうだからと我が政府が屈服するはずもなく、むしろ国民達から敵愾心と怒りばかりを呼び起こした」として憤怒と共にもどかしい心情をあらわにする。
 
林前長官はしかし、これまで北朝鮮との関係で制裁と圧迫だけでは核開発や南北関係改善において良い結果を得られないとし、軍事力増強による問題解決ではなく、時間が過ぎて契機が整えば協商と対話を通じて問題解決の糸口を探さねばならないと強調した。
  
彼は特に朝鮮半島平和体制の構築の為の第1段階として「葛藤の西海」を「平和協力の西海」に変える事が重要だと指摘する。万一李明博政府が、かつての第2次首脳会談で合意された「西海平和協力特別地帯」構想を実践に移していれば、今回の延坪島事件は起こらなかったかもしれないというのだ。
 
「朝鮮半島平和体制を作らねばならないが、その1段階目は西海を平和の海にする事です。緊張と衝突の海を平和の海にせねばならない。それが第一歩です。問題はこの政府にそのような意思があるのかという事です」
 
一方で林前長官は北朝鮮の追加核実験に対する警戒も怠らなかった。現在のような南北または朝米対決状態が持続されれば、北朝鮮の第3次核実験は「時間の問題というだけで、必ずやるだろう」という警告だ。インド、パキスタンなどの非公式核保有国達が7.8回の核実験の果てに核兵器を手中にした事を考慮すれば、そして今までのように北朝鮮の核開発を放置したまま実効性のない圧迫と制裁だけに固執すれば、北朝鮮は核兵器を確保するまでこれからも引き続き核実験に乗り出すだろうというのだ。
 
林東源前長官はクリントン元大統領が94年ジュネーブ合意で北朝鮮の核開発を第1段階で8年間踏みとどまらせた反面、ブッシュ前大統領は2002年にウラン濃縮を元凶とする対朝強攻策でジュネーブ合意破綻に導いて、北朝鮮の核開発が2006年に3段階目まで(核実験)発展するように助けてやった(?)として、現在のようないわば「戦略的忍耐」では北朝鮮の核開発を決して防げないと警告した。
 
「だんだん事態が悪化しています。それでも転換の機会はあると思いますし、また作らねばなりません」
 
これが現在の事態を眺める林東源前長官の本心がこもった、懇切な忠告である。
 
以下は26日に朴仁奎(パッ・インギュ)プレシアン代表が進行したインタビュー全文である。
 
  
「青瓦台『ウラン濃縮隠蔽』疑惑提起は何もロクに知らず言っている事」
 
プレシアン(以下、プ):少し前に青瓦台政務首席が、金大中・盧武鉉政権が北朝鮮のウラン濃縮の事実を知りながら隠蔽したという疑惑を提起したので、26日に反論を発表された。一部ではウラン濃縮だけではなく、今回の延坪島事件も太陽政策のせいで、しばしば全ての責任を以前までの政府に押し付けようとしているが。
 
林東源(以下、林):この政府が執権してすでに3年になるというのに、いつも全ての事を前政府に覆い被せるやり方で非常に厄介だ。3年間で何も出来ないのか。議院内閣制である欧州国家達を見れば1年ほどで政権が変わる事もあり、それでも政策を立案してすべき事をちゃんとする。3年は十分な時間だ。
 
(この政府は)出発した時から以前の政府を否定して始まった。否定するのは良いが、ならば3年間に何か肯定的な事をしなければならないのではないか。失敗したら過去の落ち度のせい、では困る。ウラン濃縮隠蔽疑惑提起のような事は何もロクに知らず話しているようだ。
 
プ:ジークフリート・へーカースタンフォード大学国際安保協力センター所長の訪朝報告書を見ると、北朝鮮の官僚達が現在のウラン濃縮施設を2009年4月から建設し始めたという。これが事実なら国連で(北朝鮮の「光明星2号」発射と関連して)安保理議長声明を採択して、北朝鮮に対する経済制裁をした時ではないか
 
林:そうだ。実際にその時から建てたものと思われる。今回へーカー博士が訪朝するほんの数日前に完工したが、ならば(北朝鮮の施設着工時点が南の政権交代以降である為)以前の政府には隠すものもない。何も知らずに言っている事だ。
 
ただ認めるのは、以前の政権の時にも北朝鮮がUEP(ウラン濃縮計画)を推進しようという「意図」はあったという事だ。ただプログラムを推進する能力はなく、備える最中だったと思われる。そうしてここ2年の間にプログラムを推進したのだ。
 
ヘーカー博士の報告書を見ると北朝鮮の技術では遠心分離機を作れなかっただろうというニュアンスが漂ってくるが、ならばこの遠心分離機はどこから出て来たのか。どこか外国から持って来たようだが、ならば国連の貿易制裁措置をどうやって通り抜けたのかがまた謎だ。真相を知る術はないが、状況から見れば国連制裁も無力ではないかと思う。
(この項続く)
 

 

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