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山路徹は石丸次郎とも仲が良かったよな

麻木久仁子との離婚やら不倫やらで騒ぎになった山路徹といえば、自分とこの記者がミャンマーで殺された一件が今でも記憶に新しいでしょう。山路本人もついこの間にミャンマーで拘束されてました。が、この人は不倫うんぬん以前に、ジャーナリストとしても報道機関の社長としてもかなり無茶な人で評判がよろしくはなかったようです。
 
AFP通信社の山路社長
 
「ジャーナリストは危険な職業」by 本多勝一(笑)というのは確かにそうであり、時にはそうした無茶な取材をしてでも世に伝えねばならない事があるのもまた確かです。が、そうした「無茶」な取材活動が必ずしも実を結ぶとは限りませんし、そうして伝えた報道内容が必ずしも社会正義につながるものであるとは限りません。AFP通信や山路徹のしている事を見ると特にそれを強く感じます。鈴木宗男の幇間になったりしてるのを見ていると、山路徹がミャンマーで拘束されたりしても現地情報をがんばって伝えようとしているのではなく、単なるスタンドプレイで格好つけているようにしか見えません。
結局、食い詰め者の記者である山路は麻木久仁子の「ヒモ」のような状態だった訳で、それを金づるにしてミャンマーへ行って「拘束スタンドプレイ」をしたり、鈴木宗男のチョーチン記事を垂れ流していたというオチという事になります(山路に活動資金や家賃などを提供していた事を、麻木久仁子は会見で述べている)。
これとそっくりなのがやはりアジアプレスで、ここもAFP同様にかなり貧乏な事で業界では有名だそうです。今年の9月にアフガニスタンで現地の軍閥(タリバンになりすまして金を取ろうとしていた、腐敗した集団らしい)に拘束されたシャミル常岡浩介氏というジャーナリストがいるのですが、常岡氏は元アジアプレスに所属していた事がありました。自身のブログで当時の顛末を記しています。
 
フリー・ジャーナリストの同盟と協力はぜひとも必要なものだと思う。現実には、フリーランスは互いに市場を潰し合っている。支え合って、市場を維持し、健全なジャーナリズムを生き残らせなければ。そういう意味で、アジアプレスという組織には存在意義があると思っていた。しかし、仮に今優秀な新人ジャーナリストが知り合いにいて、(実際にいるのだが)協力できる仲間を探していたとしても、私は今のアジアプレスを紹介できない。紹介したところで、彼或いは彼女にはなんの役にも立たないであろうからだ。
 
それに、MMさんが受けた仕打ちがある。彼女は大学を出て、他のメディアを捨てて、アジアプレスに正社員として就職したにも関わらず、4月分の半分だけの給料しか支払われないまま、一方的に首を切られたのだ。どこにも行くところのない彼女がそのままアジアプレスにいることを、野中氏は「本人が好きでいる」とまで言い切った。誰かを紹介したとしても、彼、または彼女が、同じような目に遭ったとしたら?
 
給料をロクに支払わないままクビって、そりゃまずいだろ。左派・市民派を自称するジャーナリズムが最終的に腐敗堕落する最大の原因は、結局の所思想や主義・主張の問題じゃないって事ですね。そんな高尚な話じゃない。ゼニカネという、いたって単純かつ人間臭いありふれた理由で駄目になるという事でしょう。
社長が人気女優のヒモになって活動費を捻出していたAFPといい、社員に給料をロクに払わずクビを切るアジアプレスといい、これじゃ駄目になるのも当たり前です。
おまけに長井健司殺害抗議会見には山路社長と並んで石丸次郎も出席していたのは記憶に新しいでしょう。
 
 
いや、実際に会見の出席メンバーを改めて見て見ると、石丸だけじゃなくて櫻井よし子だの高世仁だのといった反北朝鮮右翼に加えて週刊金曜日の北村肇がおり、前田日明までいるというロクでもない布陣です。これが今の日本でミャンマーの独裁体制を批判している主な面々という事ですか。もうちょっとまともなスタンスの記者はいないのか…。
日本では北朝鮮のみならず、ミャンマーの独裁も批判するのが難しいと言わざるを得ません。本当に現地国民の為に独裁体制を批判・追及する人間が(少なくとも著名人の中には)一人もおらず、みんな自分の事と日本の「国益」の為にしか同国の問題を取り上げようとしないからです。

 
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洪茶丘の小型亡霊 その1

外国から侵略された事がない、あるいはその国の支配民族から差別を受けた事のない人々、とりわけこれに該当する一般的日本人の多くにはなかなか実感してもらえない事として「民族反逆者」という概念があります。在日朝鮮・韓国人の社会で「民族反逆者」と言えば、おおむね日本人それも右翼的であったり民族差別主義者に媚びへつらって、同じ在日同胞とその社会を売る裏切り者を指します。いわゆる「親日派」に他なりません。
現代の在日朝鮮人社会にも「ネオ親日派」と言うべき、自分の利益しか考えず、その為に他の在日同胞達にどれだけ迷惑や危害が及ぼうとも知ったこっちゃないという裏切り者が何人もいます。それも最近の日本社会の右傾化に伴って急増した感が否めません。例えば北朝鮮攻撃にうつつを抜かし、ある時など安倍晋三にまで媚びへつらったRENKの李英和という異常者がいます。根拠薄弱な情報を元にテレビでデタラメな北朝鮮情報やコメントを垂れ流すという点では石丸次郎と龍虎相打つ双璧的存在ですが、この男が昔は北朝鮮に留学に行った事もあり、在日朝鮮人の人権活動も行っていたという左翼的な活動家だった姿とはあまりにかけ離れた転向後の姿でしょう。
以前に批判した辺真一という男も元は朝鮮新報の記者という、バリバリの朝鮮総連の活動家でした。現在の辺真一は何かというとすぐに自分はどこぞの警察・検察・海保・政治家などのお偉いさん相手に講演をしたという事を天狗になって自慢します(この男のブログでは毎日のようにその手の自慢話を書き連ねている)が、これら辺真一の講演の「お得意さん」はどいつもこいつも在日同胞を弾圧・抑圧している組織・人間ばかりではありませんか。そんなのが自慢か。いい加減にしろ、と言いたくなるのですが、かつて総連の組織でバリバリの活動家だった人間がここまで堕落するのですから、人間というのは悪い方向へ変わるのは本当にあっという間です。
他にも総連組織の一員でありながら転向した老害2世としては金賛汀や朴斗鎮といった連中がいます。
優秀な父と妹へのコンプレックスの余り「親日派」になった(らしい。少なくともその事で在日社会では後ろ指を指されて笑い者になっている)鄭大均とかいうみじめな人間も忘れてはいけません。
姜尚中の変節ぶりについてはこちらで詳しく述べてくれていますので、そちらを御覧下さい。
辛淑玉にいたっては、以前述べたカタリバ大学の講演会で筆者と言い合いになった時「自分には民族とか同胞とかいう概念はない」とはっきり言いました。筆者の目の前ではっきりとね。こんな人間が普段マスコミで「在日朝鮮人の人権」がどうのこうの言うのですから二枚舌もいいとこでしょう。こんなメンタリティだからこそ、平気で石丸次郎と一緒に仲良くシンポジウムをやれるのでしょうね。カタリバ大学での彼女のこの発言は、まさにキレた彼女が本音をポロっと出してしまった瞬間だと思います。
また、在日の著名な歴史学者として姜在彦という済州島出身の一世がいます。この男はこれまでに日帝による朝鮮侵略や戦後在日朝鮮人運動の歴史に関する著作を多く著しており、自らも在日朝鮮人運動で積極的に活動したインテリでした。で、この男が後にどうなったかというと…
いくら何でもこれは凄すぎ。1998年という10年以上前の話とはいえ、守る会のような極右民族差別主義団体の講演をやるほどにまで変節したのですからお話になりません。(ちなみに上記守る会関西支部のリンク先では韓国の詩人・金芝河の講演もやっていましたが、これを以って同会が良心的な組織であるかのように思う必要はありません。金芝河は昔の民主化闘争時代は輝ける存在だったかもしれませんが、やはり厳しい拷問を伴う獄中生活が祟ってか現在はかなり精神的に病んでしまいました。後にどこぞの得体の知れないカルト宗教に入信してしまい、今や過去の支持者達からも見放された存在です。いわば守る会はそんな金芝河の「過去の名声」を悪用したとも言えるでしょう)
姜在彦の著作は筆者も昔は読んでかなり参考にしたものでした。その著作では戦前の日本共産党の事について、日本人幹部が獄中で次々に転向しながらも朝鮮人党員はがんばって戦い抜いたという事を書いていたのですが、姜在彦本人はそうした昔の朝鮮人共産党員ほどにはがんばり切れなかったようです。昔の共産党員転向者と言うのは特高警察につかまって激しい肉体的・精神的拷問を受けてやむなく転向したものですが、姜在彦は別に拷問を受けた訳でもないのに変節して日本右翼のアプチャビ(朝鮮語で手先・走狗の意)成り下がっているのですからお話になりません。すげーがっかりです。まあ、姜在彦自身は生前の司馬遼太郎(坂の上の雲)と親しかったそうですから、そうなる要素はふんだんにあった訳ですが…。
 
日本の右翼と一緒になって総連攻撃と朝鮮高校無償化反対にうつつを抜かす民団もまた目に余る存在でしょう。この組織の内部には21世紀になった今でも、「かつての軍事政権時代の韓国こそが地上の楽園にして地上天国。親愛なる韓民族の指導者・朴正煕大統領閣下万歳」(笑)という脳味噌化石人間が沢山いて、その手の連中が何年か前にクーデターを起こして総連との和解をぶち壊した訳です。まるで石丸次郎の生霊でも憑依しているのか、この連中は。
元々民団という組織自体が植民地時代からの右派親日派達の不良集団であり、在日同胞の人権や生活に対してロクな貢献をしてこなかったばかりか、旧韓国軍事政権に従属してそれを阻害するような事ばかり繰り返し、今だにそうした体質が改まっていない訳です。
(この項続く)
 

ペニウェイの In This Film 翻訳連載第1回「ドラゴンボールエボリューション篇」

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時にはこんな映画があります。作品性は言わずと知れているようですが、どこかそそられる映画。見なくてもビデオだけれど、それでも見たくなる映画。いざ見てみると、私は何でこれを見たんだとウルウルしながら、それでもそそられる映画達があります。いわゆる人々の好奇心を刺激する作品達です。率直に言うならばこのような作品の99%は時間がもったいなくなる作品達でしょう。

だからといって見ずに判断する事は出来ないではありませんか? そこで私はそうした皆さんの気掛かりを解消する為に、いわゆる「怪作」として知られる作品達、その中でも入手し難い作品達を主に、この一身を捧げて「殺身成仁」の心構えで鑑賞をし終えてレビューをしようと思います。それが「怪作列伝」のモットーです。

この「怪作列伝」テーマレビューは状況によってアップデートが非常に遅くなる事もあります。国内では入手し難い伝説的な(?)作品を入手するのに掛かる時間とレビュー作成の脱稿過程が、他の作品に比べて長く掛かるからに他なりません。ですが、私が野心を燃やして準備した企画だけに、感心を持って見守っていただけるようお願いします。保障は出来ませんが、もしレビューして欲しい作品がありましたらコメントで私にお知らせ下さい。最大限レビューするよう努力してみます。ただ、猥褻さの濃い作品、過度に残忍であったり、猟奇的な映画に対する以前もしておらずこれからも絶対にしませんので御了承下さい。


ドラゴンボールエヴォリューション―ヤンキーセンスが生んだ原作破壊の結果物
怪作列伝2009年3月25日
ペニウェイ

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怪作列伝No.77

時は今から20年前の1989年12月14日木曜日。未来の韓国出版漫画市場を焼き尽くすほどの第一歩を与える一篇の漫画が「アイキュージャンプ」の付録形式で提供されました。その名は「ドラゴンボール」。何と「世界名作超大特選」というタイトルで紹介されたこの作品は、無差別に韓国上陸を企てる日本漫画界の爆撃を許した最初の作品となりました。
李賢世の「アルマゲドン」、イ・サンムの「第4地帯」、許英万の「鎚」、ペ・グムテッの「14歳ヨンシミ」など最高の人気を謳歌した漫画家達の作品が連載された「アイキュージャンプ」にこのような日本漫画が登場したのは、筆者のような青少年読者にとって相当に新鮮な衝撃でした。

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もちろん当時からして日本漫画が国内に輸入されなかった訳ではありません。「孔雀王」や「シティーハンター」のような作品達はすでに闇の世界を通じてこっそりと流通しており、また「鉄拳チンミ」のような作品達は「カンフー少年・龍少爺」などと題名を変えてソンウンという幽霊作家をでっち上げて堂々と正式出版されもしました(もちろんこのような事実を知る読者はさほど多くなかったでしょう)。
ですが、まだ日本文化に対する反感があったあの時代の韓国漫画市場で、「ドラゴンボール」に一定の地位を引き渡したというのには少なからぬ意味がありました。もちろん作品自体が優れていた事は言うまでもないでしょう。きめ細かく繊細な作画、緻密なストーリー、何よりも青少年漫画でありながら19禁コードをそっと挟み込んでギリギリの危険水域を行き来する果敢さを見せたのも、「ドラゴンボール」の人気に一役買いました。

 

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事ここにいたって闇の市場を掌握していた知られざる出版社達は、連載をかなり先行していた日本のドラゴンボール原書を人知れず取り寄せて翻訳をした後、500ウォンのポケットサイズ海賊版として先を争って量産し、正式に版権を得ていたソウル文化社の連載を一息に飛び越すという、泣くに泣けない怪現象を招きもしました。
おそらく私のような世代の読者層には事実上、この海賊版ドラゴンボールを通じてこの作品を読んだと言っても過言ではありませんし、実際私にとってもネポ(訳注 ナッパの韓国語表記)やフリード(訳注 同じくフリーザの韓国語表記)といった名前よりも、ネトゥバ(訳注 海賊版でのナッパの表記)やフリージャ(訳注 同じく海賊版でのフリーザの表記。韓国・朝鮮語では日本語の「ザ」の発音がない為)、孫悟突(訳注 海賊版で悟空の息子の名は悟飯ではなくこの名になっていた)といった名前の方にずっと親しみがあります。

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数多くの海賊版「ドラゴンボール」の一つである「ドラゴンの秘密」

「ドラゴンの秘密」「七星珠を探せ」など数々の題名で発刊された数多くの海賊版の中で、当然抜群のクオリティを誇ったのはミョンジ企画の「ドラゴンボール」ポケット版でした。特にミョンジ企画の場合は発売2週で15億ウォンの収入を上げて、この記録は今でも破られていないという話が聞こえるほどです。

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発売2週で15億の収益を記録したミョンジ企画の海賊版「ドラゴンボール」

「ドラゴンボール」輸入の副作用は、単に同作の海賊版が大量に量産されただけではなく、まだ審議もろくに終わっていないその他無数の日本漫画達が無差別に海賊版として発売され始めた事です。「北斗の拳」「らんま1/2」など、正式ライセンスなしに出刊された海賊版は日を追う毎にその数が増加し、1993年には何と300余種の日本海族版漫画が闇の世界を掌握していたのですから、その威力は想像に余りあります。
韓国漫画界の暗鬱な歴史についてはいずれ述べる機会があるでしょうからこのくらいで整理し、とにかく「ドラゴンボール」一編の輸入が及ぼした波がこれほど大きかったという事です。これから再び原点に戻って「ドラゴンボール」が韓国に上陸した1989年、パチ物根性で武装した一人の台湾映画人が一編の映画を送り出しました。その名も「新七龍珠」。はい、何と「ドラゴンボール」初の実写映画となります。

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世界最初の実写版ドラゴンボール「新七龍珠」

何やらゴムボールのようなドラゴンボールを巡る、孫悟空の冒険を描いたこの作品の完成度はあえて言うまでもありませんが、翌年に出たある作品よりはいくらか見れるという衆評がありました。では、1990年にはどんな作品が出たのか?
「ドラゴンボール」が国内に輸入されてちょうど1年後に、国内怪作映画の巨匠・王龍(ワン・リョン 日本でも一部でカルト的な人気のある実写版「北斗の拳」の監督でもある。この韓国実写版「北斗の拳」については同じく「怪作列伝」の別の回で取り上げられているので、後日翻訳したい。 訳注)監督の実写版「ドラゴンボール」がお目見えとなりました。「新七龍珠」と龍虎相打つ実写映画ではありますが、韓国が生んだ屈指の人気俳優・沈炯來(シム・ヒョンレ 韓国では屈指のコメディアンで、後に監督へ転身して2007年にヒットしながらも様々な論争の的となった「D-WARS ディー・ウォーズ」も監督した。訳注)が武天老師(韓国語版では亀仙人の正式名称は「武天導師」となっていてこの記事の韓国語原文でもそう表記されているが、ここでは日本語原書に準拠。訳注)役にキャスティングされ、内容面ではむしろ「新七龍珠」よりは原作により忠実な作品として、今日まで数多くのマニア達の愛情を一身に受けている作品でもあります。

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国内屈指の怪作、王龍監督の「ドラゴンボール」


この通り「ドラゴンボール」の実写版は2作とも惨憺たる結果物を見せてくれましたが、幸いにもこれ以上この作品を実写化しようという人はいませんでした。

しかし山河も変わるという10余年の歳月が流れた後、遠く米国の地で再び勇者が現れました。2002年。20世紀フォックス社では「ドラゴンボールZ」の映画化版権を日本側から取得する事になり、うやむやになるとばかり思われた「ドラゴンボール」映画化企画は驚いた事に順調に進行して、2004年には「ビッグ・ヒット」の脚本家であるベン・ラムジーが50万ドルで「ドラゴンボールZ」の映画化脚色を始める事になります。
2007年には「デスティネイション」で米国ホラー映画界に新しい波を巻き起こしたジェームズ・ウォン監督が、香港のチャウ・シンチー(周星馳)共にこのプロジェクトの責任者としてフォックス社と契約を結びました。題名を「ドラゴンボール」に修正したこの作品の為に、普段から「ドラゴンボール」のファンだったジェームズ・ウォンは自身が直接脚本に手を入れて書くという熱意を見せて制作を開始します。

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「ドラゴンボールエボリューション」」のジェームズ・ウォン監督

しかしながら制作過程はそれほど順調ではありませんでした。1990年代に制作された2本の実写版「ドラゴンボール」を見ただけで、この作品の制作自体を憂慮するファン達が多かった上に、何よりも公開日の延期はそれでなくても疑惑の視線で見ている世間の否定的な目をさらに焚き付ける結果になりました。当初2008年8月の予定だった公開日を2009年4月に延期すると発表した時、これは最も熾烈な夏休みシーズンを戦う自信がないという事を制作者達自らが間接的に認める有様になってしまったのです。
良からぬ噂も侮れません。その中でも代表的なのが2008年8月にFilmjunkを通じて出た噂であり、撮影に1億ドル以上の予算が投資された「ドラゴンボール」は3部作に予定されており、映画会社がこれ以上の損害を出さない為に残ったフィルム全てを廃棄するだろうという消息が伝えられたのです。この消息が伝わるや、制作会社側はAir Force Timeを通じてそのような噂を一蹴し、フォックス社上層部も撮影分を見て満足したという反論をしもしました。

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Filmjunkに載った「ドラゴンボール」廃棄関連記事


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Filmjunkの記事に反論するAir Force Timeの記事

ですが公開されたスチールは一つとして期待感はおろか、失望感だけを与えるものであり、これを意識した制作陣は挙げ句の果てに公開をわずか数ヶ月残した時期に題名を「ドラゴンボールエボリューション」へと変更するにいたるのです。原作との距離を置く事で溢れかえるファン達の怨嗟の声を少しでもなだめようというつもりだったのでしょう。
 

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こんなスチール写真が公開されて期待出来るものか…(このスチールは特殊効果処理前の姿で、実際の映画上では登場しない)


もちろん元々原作が有名なだけにこの作品を密かに期待するいくらかのファン達もおり、またそれなりに華麗なキャスティングのおかげで「エミー・ロッサムだけに期待しよう」など特定俳優の出演にのみ焦点を合わせようという動きも見えました。様々な話題となった「ドラゴンボールエボリューション」その結果はどうだったでしょう? まずはその結果物を確認しようと映画館へ行きました。次は観覧前の映画館の風景です。

 

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冗談や設定写真ではありません。本当に上映10秒前の状況です。前方に「ドラゴンボール」マニアらしき行儀の良い女性観客一人と私の貸し切り状態で見ました。ああ、涙を拭きつつ…。

ではまず、簡単なストーリーを最初に確かめてみましょう。
2000年前、地球を壊滅させたピッコロは魔封波によって封印され、彼の腹心であるキングコングもどき「大猿」が突然姿を消して以来、地球には平和が続きました。孫悟空は祖父の孫悟飯と共に暮らす18歳の少年ですが、学校ではいじめられっ子でした。チチという少女が好いてはいるものの、もじもじして言葉もろくにかけられないみじめな青春です。
ところがどうした事かピッコロが再び解き放たれ、一人の美人を部下にして世界中のドラゴンボールを集めて回ります。ピッコロとドラゴンボールの秘密を知る孫悟飯は、ある日ピッコロの襲撃を受けて息を引き取る直前に孫悟空へこの全ての事実を知らせ、悟空に武天老師を訪ねて世界を救えという荒唐無稽な遺言を遺して目を閉じました。

 

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翌日、悟空の家に不意にやって来て銃口を向けるブルマは悟空の四星球を自分の五星球と「誤解」していたとしてそのまま行こうとします(何それ…)。しかし悟空は残りのドラゴンボールを探す為に手を結ぼうと提案をし、喜んでその提案を受け入れたブルマと共に武天老師を訪ねに行く事になりました。
こうしてまた武天老師に出会い、ヤムチャに出会い、チチとまた出会い…ピッコロにも出会い…神龍にも出会い…出会い…出会い…そうして終わります。

 

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訳「これは何だ…」

「ドラゴンボールエボリューション」のストーリーは原作とは相当にずれた状態で出発します。まず内容上、元祖ピッコロと出会う前の設定であるならば、悟空の年は当然10代初中盤の子供でなければならないのに、無理に青年級のスペックを当てはめたおかげでティーンエイジャーの反抗児のような孫悟空になってしまいました。おまけに青い目をした米国人が孫悟空という名前を持つと言う事自体がすでに、概念などナメック星ともども消えうせてしまった証拠でしょう。

その上、悟空の祖父である孫悟飯もまた原作とは大きく違います。ドラゴンボールの正体や孫悟空が何者であり、大魔王とどんな関係があるかなど全ての事を知りつくしている映画とは違い、原作での孫悟飯はドラゴンボールが何かすらも知らないものとして出ていたではありませんか。
 

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訳「わー! そうだったのか…。そんな代物とは全く知らなんだ!」

それに本来、孫悟飯はピッコロではなく「孫悟空に」踏まれて死んだのではないのですか?
 

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訳「嘘じゃねえ! オラのじっちゃんはその怪物に踏み潰されて死んだんだ」

まあこの程度の原作破壊は容易いものです。妙にムフフなチチは、度を越して頑張り屋であるブルマ役のエミー・ロッサムの代わりに肉感的な魅力を誇っており、武天老師はことごとく縁起でもない言動をした挙げ句に一瞬で謹厳になったかと思えば、また軽挙妄動するという深刻なほどに情緒不安定な姿を見せます。問題はこの役を他でもないチョウ・ユンファ(周潤發)がやったという事ではありませんか?
 

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悲しきチョウ・ユンファ(上)…。なにゆえに武天老師として出演したのか。屈辱的ではあるものの、むしろ沈炯來(下)の方が原作とのシンクロ率は高かったのではないか。
 


さらに映画へ現実性を付与しようとの意図なのか、非人間キャラは全て外されました。これは原作において必ず必要だったコンビネーションを台無しにする結果を招いた上に、例えば次のような副作用を生みました。

1 プーアルとヤムチャ
プーアルはおらずヤムチャだけが登場し、ヤムチャの存在自体が非常に無意味だという点。序盤ではギャグキャラクターかと思いましたがそうでもなく、突然ブルマと恋人モードに急変するアストラル的荒唐無稽さ…(godの朴俊炯(パッ・ジュンヒョン)…守ってあげられなくてごめん。それでも英語のセリフは自然ぽい)。

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プーアルとヤムチャは切っても切れない関係という事(右のスチールは王龍監督の「ドラゴンボール」)


2 ピラフ一党
ピラフと狼(?)の部下はおらず女だけが残った上に、一体この女の正体は何で(名前は「マイ」というが映画上では一度も言及されず)、なぜピッコロの子分として情熱と誠意を捧げるのか全く分からないという点。セリフはいくつかの日本語…。

 

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訳注:ピラフと狼部下を指して「出演機会なし」と書かれている。


それ以外にも原作破壊の設定はさらにあります。映画中盤を見ると、チチに姿を変えたマイの攻撃を受けてグダグダになり、死ぬ直前の悟空に武天老師が何と「エネルギー波(かめはめ波の事。原文記事ではエネルギー波と表記していた。訳注)」使って生き返らせます。何だって? はい、もう一度申し上げます。死ぬ直前の悟空に武天老師が「エネルギー波(かめはめ波)」を使って生き返らせます。いや、いつからかめはめ波が攻撃の技でなく、人を助ける応急処置術になったのですか? ひえ~。
 

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訳「ちょっとだけ待ってろ。スチームパック(ネットゲームのスタークラフトに登場する回復薬)…じゃない、エネルギー波を一発入れてやるから!」


また原作では純真無垢この上なかった悟空が、祖父に女を誘う方法を教えてくれというだけでは飽き足らず、かめはめ波修行中に失敗続きだった悟空に対してチチが五歩離れた場所に立ち、かめはめ波でロウソク一つ消す度に一歩近付いてあげると言うと、何とロウソク3本を一発で打ち消す怪力を発揮するという、色魔の根性を見せ付けてくれました。ハア…。
 

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一貫性無き設定の乱用も問題です。何の意味もない天下一武道会を真似たり、制作費節減の為にたった一度だけお粗末にお目見えするホイポイカプセル、おまけに「ディー・ウォーズ」の半分にも及ばない神龍(シェンロン)の登場シーンはどれも無駄な場面ばかりです。悟空の武器である如意棒は映画ではずっとただの棒でしかないし…。
いや、実際に原作をそのままなぞるのが必ずしも良いという訳ではないでしょう。考えてみれば王龍監督の「ドラゴンボール」はどれだけ原作に忠実だった事か。ある程度の脚色は必要であり、時には果敢な脚色を通じて完成度を高める方法がはるかに良いのですが、「ドラゴンボールエボリューション」の場合は本当にどっちつかずな「原作破壊+ヤンキーセンス」という最悪の調合を見せてしまいました。

 

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ネイバー映画観客評点4.01!!


一つ感じたのは映画のランニングタイムがあまりにも短いという事で(もちろんこれすら見ながらに暇を持て余しておかしくなりそうな方もいらっしゃるでしょうが)、おそらく撮影しておきながら完成度に支障を来たしそうな場面達を根こそぎ削除したのではないかと思われます。実際に編集も非常にでこぼこで、一編の映画として見るには説明不足な場面があまりにも多く、進行も急激に行われます。当初どうしてピッコロが魔封波から解き放たれたのかも知らされないばかりか、ブルマはどうしてチチを知っていたのかなどなど、基礎的な説明が全て省略されていました。おそらくこれは、後にディレクターズカット版DVDが出る確率もあるのではないかと見ています。
おそらく「ドラゴンボールエボリューション」を1グラムでも期待していたファン達は、映画を見た後でこのような気分になるのではありませんか?

 

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「魔、貫、光、殺」「砲!」
そう、映画を貫光してしまいたいぜ!


言いたい事は多いのですが、あまり詳しく暴露すると好奇心でこの作品に接する方達の迷惑になるのではないかと思われますので、やめておこうと思います。最後に「ドラゴンボールエボリューション」が私を本当に恐ろしくさせたのは…エンディングクレジットが終わった後に出てくるクッキー画面を御覧になれば分かるでしょう。

 

何と! 続編をおおっぴらに暗示しているとは!
 

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「知らん…何だ、それは…恐ろしい…」


P.S:もしやと思って確かめてみると、怪作Vシネマ専門会社アサイラム(The asylum)はこの機会を逃さずに、また一本のパクリ映画を送り出しました。その名は「ドラゴンクエスト」。おまけに主演は何とその昔に「V ビジター」で爬虫類型人間掃討にこの上なく大きな公言をしたマーク・シンガーです。ハア…。ややこしい。

 




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本レビューは2009年3月25日にDaumのブログニュース人気エッセイ及びメイン記事に選ばれました…が、これは喜ぶべき事なのでしょうか?
(訳 ZED)


韓国語原文記事はこちら
http://pennyway.net/1068


ようやく「怪作列伝」を御紹介する事が出来ました。韓国語の読める方はやはり原文記事でも御覧になっていただきたいと思います。ただ、この記事を書かれたペニウェイ氏は今時の韓国ネットユーザーらしく、文中で流行りの韓国語ネットスラングなどを随所に使用しており、プレシアンの報道記事を訳した時と違って結構戸惑わされました。そうしたスラングの類は直訳しようがないので、筆者の訳文では日本語で分かり易い同義の言葉に置き換えている事を御了承下さい。
ペニウェイ氏の文章の面白さを伝える事が出来れば訳者としては幸いです。
久しぶりにエンターテイメントの記事を書けた気がします。本当は政治や社会の問題なんて扱いたくないのですが、世の中にはあまりにもひどい連中が多過ぎるのでどうしても書かざるを得ない時があります。本当に民族差別や戦争を扇動する連中は糞ッ垂れと思います。その手の連中がこの世から消えてくれれば、社会はもっと楽しくなるのですが。筆者もエンターテイメント関連の活動に集中出来ます。

次回は来年の1月上旬頃にお届けする予定です。



 

アジアプレス=小型産経新聞の生んだ太陽政策&朝鮮半島平和破壊の結果物

石丸次郎を擁するアジアプレスが報道機関として腐り切っている事は熟知しているつもりの筆者でしたが、さすがにこれは呆れ果てました。
 
「今回の延坪島への「攻撃」の第一義的な、そしてほとんど全的な責任は北朝鮮にある、という点だ」
「本文で「介入」という言葉を筆者は幾度か使うことになるが、これは文字通り、北朝鮮社会が、そしてそこに住む人々の生活がより人間らしくなるために、外部社会が取り得るあらゆる非暴力的な行動を指す」
 
この記事を書いたのは石丸ではなく韓国人の李鎮洙とかいう記者らしいですが、まさに韓国人の記者にこういう記事を書かせて北朝鮮への非難を行ったり内政干渉を煽り、正当化するのがアジアプレスクオリティという事でしょうか。内容的には石丸が書いたと言っても全く区別が出来ないくらい同じような事を書いているので、今回の砲撃事件に対するアジアプレスの「事実上の公式見解または社論」とみなして良いでしょう。
今回のアジアプレスの記事は突っ込み所があまりに多すぎて何から指摘すれば良いのか分からなくなったほどなので、代表的な問題点を2点だけ列挙します。
 
1 日本絶対無謬
 
アメリカと南、そして何よりも日本には今回の軍事挑発について一切責任はなかったというのですから恐れ入ります。日本軍=自衛隊がこの訓練に参加していた事について、日本のマスコミはおろか「反戦派」「護憲派」「左派」を称する連中がことごとく口をつぐんでいる状況を考えれば、大部分の日本人にとってこの韓国人記者が書いたアジアプレスの記事ほど安心して気持ち良く読める記事はないでしょう。朝鮮半島でどれだけ軍事的緊張が高まり、それに対して日本が直接・間接的に関わっていたとしても、日本は一切悪くないし責任もない。悪いのは何もかも北朝鮮だけ、というのがアジアプレスの立場であり報道スタンスだという事です。「アジア各国では今だ民主主義が根付かず報道の自由もない上に、紛争が続いている。しかし平和憲法9条を擁する我が日本では戦後一度も戦争をせず(? 超疑問)、民主主義があって(?)発言の自由がある(?)。この軍隊を持たぬ(?)『平和国家日本』(?)がアジアの平和と民主主義に果たす役割は大きい」という「日本左派的戦後自慰史観」を体現しているのがまさにアジアプレスだと言って良いでしょう。まるで「左派版・新しい歴史教科書をつくる会」ではありませんか。
さらに今回の件では韓国軍・日本軍共にシビリアンコントロールがロクに及んでいないという恐ろしい現実も白日の下に晒されました。
「河信基の深読み」より
まさに盧溝橋事件一歩手前だった事が分かります。こんな状態で菅直人首相は「北朝鮮に何かあった時は拉致被害者救出の為に自衛隊を…」などと言っているのですから狂気の沙汰でしょう。これは日帝植民地解放以後に日本軍を再び朝鮮半島に上陸させるという事であり、北はもちろん南の国民にとっても絶対に許す事の出来ない妄言である事は言うまでもありません。かつて日本の政治家がかつてのアジア侵略を正当化する妄言(日韓併合は合法、南京大虐殺はなかったなど)を吐いた事が何度もありましたが、今回の菅直人の発言もそれと同格です。自衛隊が再び朝鮮半島の地を踏むなど、日本による朝鮮半島への再侵略にも等しいものではありませんか。それに対する朝鮮半島民衆の反発と怒りを黙殺して何も報道しないばかりか、「外部勢力」の「介入」を招き入れるような事を他ならぬ韓国人記者を使って言わせる。どこまでアジアプレスと言う報道機関は腐り切っているのでしょうか。
 
2 太陽政策に対して何も分かってない
 
この記者は太陽政策について
 
「確かに多くの専門家、そして昨今、韓国でその存在が注目されている「インテリ脱北者」(北朝鮮にいた当時、社会の実情に幅広く触れることのできた人たち。大学教授、博士号所持者、企業所幹部、労働党幹部など)が主張する通り、金正日政権の核政策が変化しなかったという観点では、太陽政策は失敗だったといえる。だからといって、経済交流や支援に代表される、過去の太陽政策が北朝鮮と構築した関係のすべてを切り捨ててしまってもよいのだろうか。もう少し丁寧に北朝鮮内部に起きた変化を追ったあと、太陽政策の是非を問う必要があるのではないか」

と言ってますが、「金正日政権の核政策が変化しなかったという観点では、太陽政策は失敗だったといえる」というのは林東源氏のインタビューを御覧になれば分かる通り完全な誤認であり、李明博政権の苦しい弁明を繰り返しているに過ぎません。太陽政策は実際に北朝鮮の核開発をその間ストップさせましたし、その後も継続する事でアメリカとの関係が好転すれば核放棄もあり得ました。太陽政策の期間中に開城工業団地建設・鉄道連結・金剛山観光・離散家族面会などの共同事業を行って、南北双方が軍事的衝突を避けるべく懸命の努力を続けていた時に「北朝鮮は核開発をしている」と根拠のない情報を元に高圧的な態度で威圧したのはアメリカでした。当時日本がもちろん何も考えずに「宗主国」アメリカの尻馬に乗った事は言うまでもありません。石丸次郎がこうした南北共同事業と戦争回避に向けた努力を「金正日政権を潤すだけ」という下劣かつ低レベルな視点・思考で誹謗中傷し続けてきたのも周知の通りです。平和的に核放棄へ至ろうという途中で全ての可能性を潰したのは政権交代後に対決姿勢へ転じた現政権の責ではありませんか。「金正日政権の核政策が変化しなかったという観点では、太陽政策は失敗だった」のではなく、李明博政権が途中でそれをパーにしただけの話です。この記事で言ってる事は問題のすり替え以外の何者でもありません。
 
一方でこの記事では「もう少し丁寧に北朝鮮内部に起きた変化を追ったあと、太陽政策の是非を問う必要があるのではないか」として太陽政策を全否定はしていないかのような素振りも見せています。が、太陽政策の真髄とは単に南北の対話と協商だけではありません。太陽政策がもたらした大きな成果の一つが2度に亘って行われた南北首脳会談ですが、その1回目の6.15共同宣言では何が謳われたでしょう。
 
「1、 北と南は、国の統一問題を、その主人であるわが民族同士が、互いに力を合わせて自主的に解決することにした」
 
とあるように南北の統一問題は自分達で決める、つまり「民族自決」の精神そのものです。これにはいかなる「外部勢力」の「介入」も許されません。他者の介入を招き入れようという時点でこれはもう6.15共同宣言、ひいては太陽政策の否定にしかならないのです。この記者やアジアプレスが太陽政策の事を何も分かっていない、あるいは知ってても無視して妄言を吐いているのが良く分かる内容でしょう。
もはや太陽政策の真髄すら忘れたか。
 
 
日本は何も悪くなくて、悪いのは何もかも北朝鮮。さら太陽政策が北朝鮮に核放棄させるのを失敗したかのようなデマを言い、朝鮮半島の民族自決を否定して外部の「介入」を招き入れようと主張する。これこそアジアプレスの本音そのものに他なりません。しかもそれを韓国人記者の手によって書かせているのですから悪質この上ない。もはやアジアプレスは「小型産経新聞」以外の何者でもないでしょう。朝鮮半島の平和破壊と在日への差別扇動においてアジアプレスと産経新聞は龍虎相打つ双璧的存在です。
今回の記事はそれこそ「小型産経新聞の生んだ太陽政策&朝鮮半島平和破壊の結果物」と呼ぶに相応しいものでしょう。

ペニウェイのIn This Film 翻訳連載開始します

筆者が最近注目している韓国の映画評論サイトがあります。「ペニウェイのIn This Film」というのがそれですが、そこのレビュー記事が大変面白い。
 

一つの映画評論として大変優れているので、ぜひ韓国語の読めない方にも読んで欲しいと思い、このサイトの名物コーナーである「怪作列伝」「続編列伝」「古典列伝」の中からいくつかを選んで翻訳連載を開始する事にしました。
日本で、特にインターネット上で韓国のエンターテイメント作品を論じる場合、どうしても嫌韓という民族差別的偏見が先立って作品を公正に見ようとしない論が多くあります。特に昔の韓国映画・アニメに日本の剽窃が多かった事を槍玉に上げて、そうしたひどい差別的言辞を繰り返す者が後を絶ちません。しかし韓国の映画やアニメにそうした作品が多かったのにはもちろんそれだけの歴史的・社会的理由があり、そうした事情を踏まえねば語る事は出来ないのです。
例えば昔の韓国アニメに日本アニメのパクリが多かったのは、日本のアニメ会社が韓国のアニメ会社に多くの下請け作業を発注していた事が最大の原因であり、日本の作品を実際に手掛けた韓国側アニメーターがそうした作品を真似たりして自作品に利用する事は当然過ぎる展開でした。手塚治虫だって当初はディズニーに憧れて、ディズニー作品の模倣をずいぶんしていたのとあまり事情は変わりません。そして日本側もそうした業務上の理由から韓国側を不必要に刺激したくなかった為に、よほどの場合でない限りそうしたパクリを訴える事はまずありませんでした。韓国のアニメに日本アニメの剽窃が多かったのは事実ですが、当時の日本アニメ業界は韓国はじめとする海外への下請けがなければ成り立たない状況であったのも厳然たる事実だったのです。一昔前の日本のオタクの世界ではそうした韓国や台湾などのパクリ物を笑って楽しむ度量があったものですが、いつしかそうした大らかな風潮が薄れてしまい、笑ってすませる事例を強引に民族差別の理由付けにする例が増えてしまいました。
また、かつての韓国は長きに渡る軍事独裁体制下で言論・表現の自由が厳しく制限されており、とりわけ映画産業に対する検閲は凄まじいものがありました。韓国が厳しい反共国家として、現在の北朝鮮やミャンマーにも劣らぬ言論・思想統制を敷いていたのはそんなに大昔の話ではありません。まさか韓国が建国当初から自由と民主主義に満ち溢れた国だったなんて思っちゃいないでしょうね? 今の若い人はそう思ってそうで恐いんですが…。半ば国策プロパガンダ産業としての枷をはめられた韓国映画人が厳しい国家検閲はもちろん、技術や資金の不足という困難の中でいかに作品作りに打ち込み、また抵抗していったかを見ずに韓国の映画とその歴史を語る事は出来ません。韓国にも日本アカデミー大賞のような国内映画賞があるのですが、そこでは1986年まで「反共映画大賞」というのが存在していたのです。昔の韓国の小学校における「道徳」の授業の中身は「反共教育」が大部分でしたし、子供向けロボットアニメの中には敵が北朝鮮や共産主義者という反共アニメも多く制作・放送されました。さらにそうした韓国の子供向け反共アニメには、日本のアニメ制作者が何人か招かれて制作協力したという歴史もあります。こうした韓国反共アニメへの制作協力は、下請け発注の話と並ぶ日本アニメ界の黒歴史と言っても良いでしょう。韓国アニメ界の黒歴史はすなわち日本アニメ界の黒歴史とも表裏一体なのです。
 
嫌韓的な偏見から脱して韓国のエンターテイメントを見る一助として、この翻訳連載を開始したいと思います。黒歴史や怪作レビューだけでなく、正当な映画評論としても優れており、日本人とは違った視点からの切り口や、知られざる情報にも目を見開かされる事でしょう。
例えば「猿の惑星 Planet of the Apes」は韓国でも当時一代ムーブメントを引き起こした映画ですが、韓国ではこれに原題ともストーリーとも大きくかけ離れたとんでもない訳題が付けられていた事など、このサイトで初めて知りました。「猿の惑星 Planet of the Apes」という題名をそのまま直訳しても韓国では全く通じないでしょう。なぜならこの映画の韓国版題名は…。
 
連載のペースは遅いですが、気長にお楽しみいただければ幸いです。第1弾は日本の一大人気漫画を、ハリウッドが一大怪作映画にしてしまった「怪作列伝 第77回 ドラゴンボールエヴォリューション篇」から始めましょう。来週中頃に掲載の予定です。御期待下さい!
 

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