ジブリのアニメはこれまでも海外へ輸出されて人気を集めてきた。
だが、今度の新作はゼロ戦設計者の話である。神風特攻隊で多くの若者が自爆死を強いられた戦闘機、すなわちゼロ戦とは日の丸・君が代と並ぶ大日本帝国の象徴そのものなのだから。戦闘シーンがないからといって、そのような戦闘機の設計者を美化した映画が「日本軍国主義の礼賛映画」でないはずがあるまい。むしろ悪質なぐらいだ。当時の暗い世相や軍事ファシズム体制、神風特攻隊(朝鮮人もこれに動員されてずいぶんと犬死を強要された)などを一切描かずに「(日本は)負けただけじゃなかった」というのだから。戦争の悲惨さや天皇ファシズム体制の暗さを完全に脱色して戦前の日本を美しく描くなど、そこらの右翼・タカ派と違わない。安倍晋三や石破茂の大日本帝国観とほとんど同じだろう。宮崎駿が「風立ちぬ」でやった堀越二郎礼賛の手口は、右派の論客が倭王・裕仁 왜왕·히로히토(昭和天皇)を賛美する時のそれと酷似している。裕仁の戦争責任・侵略責任は一切無視してあたかも平和主義者であるかのように描き、「平和を愛する陛下の御心」とか何とかいったおためごかしを並べ立てる。そして「(天皇は)悪い人じゃなかった」と結論付けるおなじみのパターンだ。「風立ちぬ」はそれをそっくり堀越二郎に対して適用しただけではないか。
だが、そういう映画だからこそ右傾化の極みにある今の日本ではウケる(享にあらず)のだ。宮崎駿のように嗅覚の優れた敏腕監督がそれに気付かぬはずがない。元よりディープなミリタリーオタクでもあった宮崎にしてみれば、過去のように左翼が強かった(?)時代であればとても公開出来なかったような個人的趣味丸出しの映画を堂々と作って、しかも金儲けまで出来る時代になったのだから、誠に我が世の春が来たという喜びに打ち震えている事だろう。「風立ちぬ」はまさに今の日本では時宜を得た映画であり、これが公開されて興業的成功や賞賛をされる事はあっても、逆に色々な意味で失敗する事はあり得ない。
そう「日本では」だ。「日本では」ね。
だが日本では大衆の俗情と右傾化世相に見事マッチして成功が約束されたこの作品も、海外で公開されるとなったらどうだろう? 一見するとそれとは感じさせない作りになってはいるが、こんな日本軍国主義礼賛映画を輸出する? 果たしてどのような反応が待ち受けているだろうか?
とりわけ最大の問題が韓国であった。それというのも、他ならぬスタジオジブリ自身がすでに韓国でそうした問題で手痛い目にあった経験があるからだ。その問題になった作品は韓国で猛反発を受け、「世界のジブリ作品」にしてはただ一つ韓国市場で壊滅的な興業的失敗を喫したのである。ジブリの劇場アニメはこれまで一通り韓国でも公開されているが、この問題になった作品だけは唯一韓国で全国ロードショー出来なかった。「風立ちぬ」も何も考えずにそのまま公開だけしていたらその作品の二の舞になるのは明らかであろう。
その問題となった作品の題名は「火垂るの墓」といった。ジブリの関係者であれば誰しも、2005年の韓国における「火垂るの墓ショック」は忘れようにも忘れられない出来事であろう…。
(次回に続く)
スタジオジブリの広報誌である「熱風」最新号で「憲法改正」が特集され、そこで宮崎駿が「憲法を変えるなどもってのほか」「慰安婦問題で日本は謝罪して賠償すべきだ」と発言した事が話題になっている。そのせいか同誌はあっという間に品切れになり、ジブリ側も急遽ネット上でPDFファイルによる配布を行うにいたった。
この件が話題になるのは今の日本の右傾化という社会的背景もあるが、それ以上に宮崎の監督作品である例の「風立ちぬ」公開を目前に控えているからであろう。何しろこれはゼロ戦設計者である堀越二郎を主人公に据えたアニメであり、そんな映画を作っておきながらそれと真っ向から相反する「護憲」を語るのだから、疑問を持たない方がおかしい。事実「熱風」のインタビューはもちろん、同時期に他のメディアに載った宮崎の談話やインタビュー類も見苦しい言い訳のオンパレードとしか言いようがない。その最たるものが以下の朝日新聞でのインタビューではないか。
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201307190544.html
「僕自身を含め、日本のある時期に育った少年たちが、先の戦争に対して持つ複雑なコンプレックスの集合体。そのシンボルが零戦です。日本は愚かな思い上がりで戦争を起こし、東アジア全域に迷惑をかけ、焦土となった。実際の戦いでも、ミッドウェー海戦など作戦能力が低かったとしか思えないような歴史しか持っていない。そんな中で『負けただけじゃなかった』と言える数少ない存在が零戦です。開戦時に322機あった零戦と、歴戦のパイロットたちは、すさまじい力を持っていた」
この『負けただけじゃなかった』という発言こそ戦後延々と続いて来た「ゼロ戦神話」のまさに最大限動力と言って良いだろう。実際にはアメリカの航空機に全く太刀打ち出来なかった時代遅れのクズ飛行機に過ぎなかったゼロ戦を事実とは全くかけ離れた「スーパー兵器」に描いて、日本の戦争は決して悪い事ばかりではなかった、という日本人の負け惜しみ俗情に訴えた漫画や映画などが戦後大量に制作された。漫画で言えば辻なおきや貝塚ひろし辺りがその手の代表的作家だったろう。しかしそんな1960年代までの遺物に過ぎなかったゼロ戦ネタを、よもや21世紀に見る事になろうとは。2010年代の日本とは、1960年代よりも社会が右に寄っている事を「風立ちぬ」という映画は見せ付けている。「日本を代表するアニメ巨匠」とされて、ともすれば左がかっているまで言われる事もある宮崎駿のオツムは、実際のところ1960年代からほとんど進化していない保守オヤジの化石頭に過ぎない。おまえ、辻なおきや貝塚ひろしと何が違うんだという話だろう。
…いや、そうではない。宮崎と辻・貝塚らとの違いこそが重要であり、両者の明暗を分けているのだ。
宮崎駿はなぜこの時期に自社の広報誌やマスコミのインタビューで「護憲」「従軍慰安婦への賠償」を謳ったのか? ジブリ側の説明によれば以下のようなものであったという。
http://www.j-cast.com/2013/07/19179774.html?p=2
ただ、今回なぜ「憲法改正」特集にしたのかについては、東京新聞の2013年7月19日付記事にあった通りだとした。記事によると、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さん(64)が、21日投開票の参院選を前に旗色を鮮明にしようと発案した。実際、鈴木さんも、「9条 世界に伝えよう」という談話を寄せている。記事では、ジブリ出版部が「参院選の投票日前に読んでほしい」と呼びかけていた。
鈴木さんは談話で、「風立ちぬ」は戦争に関わる映画ではあるものの、「戦闘シーンは出て来ません」と強調している。これに対し、映画が20日に公開されることから、ネット上では、「熱風」の特集は話題作りではないのかとの憶測も出ていた。
もし、映画に合わせた政治的メッセージなら引かれてしまうことにならないのか。
この点について、ジブリの広報担当者は、「映画とは関係なく特集を組んでおり、結びつくものではありません」と説明した。映画公開が参院選前日であることについては、「数年前から計画しており、参院選に合わせたものではありません。それは、まったくの偶然です」と言っている。
鈴木敏夫の「参院選を前に旗色を鮮明に」「9条 世界に伝えよう」という説明も理由の一つではあるだろう。映画の話題づくりももちろん狙っての事だ。だがこれらは本筋、つまり最大の理由ではない。では最大の理由とは何なのか。
それは韓国・中国を筆頭にした諸外国対策、それこそ宮崎がわざわざ「護憲」という言い訳を謳った最大の理由である。
(後編に続く)
色々検索していたらちょっと面白い韓国の風刺漫画を見つけたので、翻訳して御紹介します。タイトルは「挑発という言葉の新しい定義」。自分らは相手よりもはるかに強大な武装をして派手な軍事演習までこれ見よがしにしてるくせに、相手が少しばかり身を守る為に武器を持つと、それを「挑発だ」などと自分を棚に上げて騒ぎ立てる国が…。
訳 ZED
韓国語原文記事はこちら
http://cafe.daum.net/sisa-1/ozCH/28
登場人物のうち朝鮮の民族衣装を着たのが3人、ガンマン風のが1人、それぞれ銃を所持するのが挑発かどうかと争っている内容で、これが何を扱ったネタなのかは御覧になれば大体分かると思います。が、日本の読者にはちょっと分かり難い部分もあるのでそれについて少し解説を。
まず2コマ目でガンマン風の男が「生後30ヶ月以上の牛」というのは狂牛病の問題です。狂牛病の病原体である異常プリオンは高齢の牛ほど蓄積し易く狂牛病も発症し易いので、そうした年取った牛の輸入を多くの国が禁じてきました。それを李明博政権時代の韓国政府は30ヶ月以上の米国産牛肉の輸入制限を解除すると発表して、大規模なデモが発生した事は記憶に新しいでしょう。日本も輸入規制を生後20ヶ月以下から30ヶ月以下に緩和すると今年の1月に決定しましたね。ちなみにこの時の政府審議会の決定については全国消費者団体連絡会の事務局長までもが「理解」を示していました。こういう事を平気で言っちゃう市民運動団体というのは原子力資料情報室だけではなかったという事です。
また、ガンマンの後ろで「ちょっと奴隷っぽいけど腹は空かないじゃないか」といってピースサインを出している男女は明らかに現韓国大統領・朴槿恵と、そのスポークスマンでありながら訪米中にセクハラスキャンダルで更迭されるという恥ずかしい事件を起こした尹昶重(ユン・チャンジュン 윤창중)に見えます。
4コマ目で尹昶重ぽい男が「手帳に書くよう伝えておきます」というのは、朴槿恵が韓国では「手帳姫」とあだ名されていた事に由来します。朴槿恵は父親が大統領だった頃から一緒に行事などに同行して、何かあるとそれをこまめに手帳に記録する習慣があり、そこからそのようなあだ名が付きました。
宮崎駿のスタジオジブリ最新作はよりにもよってゼロ戦設計者の堀越二郎の話だという。今さら驚くには値すまい。宮崎は元よりロリ趣味のミリタリーオタクに過ぎない男なのだから、こういう映画を作って当たり前ではあろう。ニコニコ超会議の米軍や日本軍(自衛隊)のブースに嬉々として押し掛けた連中(現総理大臣も含む!)と本質的に大差のないジジイだ。現総理大臣も含むその他大勢のミリタリーオタクと宮崎が違うのは、アニメ監督としての腕があったかどうかという点と、ある種の感性があったかどうかという違いに過ぎない。
佐藤秀峰・青山剛昌・桑田圭祐・宮崎駿。この4者最大の共通点とは、どうすればお上に褒めてもらえる(に加えて、批判を受ける事なく世間の愚劣な俗情に無難に応えてヒット出来る)作品を作れるか、それを本能的に感知する直感の鋭さであろう。海上保安庁と特攻隊のヨイショ漫画で名を上げ、その上で東京都の漫画表現規制にも賛意を表した佐藤秀峰(この男を漫画界の風雲児のように扱う一部マスコミも相当イカレている)。日頃から警察や外務省などお上のポスターを喜び勇んで描き、ついに名探偵コナンの最新映画ではあからさまに北朝鮮を敵役に設定した青山剛昌。くだらない特攻隊映画の主題歌を担当し、ついには日本のアジア侵略・植民地支配の歴史を無視した「日韓未来志向」を礼賛する新曲を発表するに至ったサザンオールスターズの桑田圭祐。そしてこの度、日頃のミリタリーオタクとしての個人的趣味を満足させるゼロ戦のアニメを、それも戦後の右傾化の極みにある今この時期に発表して、「趣味と実益」を最大限に充足させるのを早くも確定的にした宮崎駿。この4人は「体制権力と資本に取り入って名を上げる芸術家」のこれ以上ないサンプルケースと言えるだろう。いつの時代・どこの国にもこういう連中はいるものだが、とりわけ腐敗と外道の極みに達した今の日本ではこの4人が最も象徴的事例ではないか。もはやこの4人をそういう分野での四天王とか四大護法と称するのが相応しいと思う。
宮崎駿の作品について言うならば、公開前という事もあって事前のストーリー紹介を見た限りでの評価になるが、本当にゼロ戦は自慢するほどの戦闘機だったのかという事と、なぜこの時期にゼロ戦の開発者のアニメなのかという点に尽きる。
「ゼロ戦は旧日本軍が開発した当時高性能の戦闘機」という話が今でもまことしやかに伝えられ、日本ではそれを右翼軍国主義者ばかりか、左翼や反戦主義者でさえ事実と認定しているようだ。あの水木しげるでさえ「コミック昭和史」でゼロ戦が高性能な戦闘機であったと言っていた(水木しげるは評価すべき漫画家だが、この辺りに彼の限界を見る事も出来る)程だから、日本人の「ゼロ戦信仰」はほぼ天皇崇拝にも等しいほど抜き難いものなのだろう。だが実際のゼロ戦の性能は大した事がなく、当時の敵国だったアメリカやイギリスはおろか、同盟国だったドイツのものと比べても極めて劣っていたという。要するに日本がアメリカと戦争して負けたのは当たり前だったという事であり、「ゼロ戦神話」は事実を無視した見苦しい負け惜しみに過ぎない。それが右翼どころか、世間的には左寄りとされてきた水木しげるや宮崎駿までもが事実と認定してきたのだから。
余談だが三菱グループが「ゼロ戦を作った」事を戦後も延々と時代錯誤な自画自賛し続けてきた事は周知の事実だろう。だが実際に当時ゼロ戦と交戦した事のある米軍パイロット達は後に「何で日本の戦闘機はああも簡単に撃墜されるのか」と疑問を呈したそうだ。ゼロ戦は装甲が薄くてちょっと弾を食らっただけで撃墜される事で有名であり、安全性に著しく欠ける飛行機だったのである。それから60年以上が過ぎ、「ゼロ戦を作った」同じ三菱グループの自動車がリコール隠しをして、2002年にはその欠陥車による死亡事故まで起きた事は記憶に新しい。戦闘機でも自動車でも、安全性を配慮しない乗り物を作るというのは三菱グループの輝かしい伝統のようだ。
さらに筆者が腹立ちを感じるのは、その堀越二郎の設計したゼロ戦でどれだけの人間が特攻隊として犬死させられたかという事だろう。特攻を強要されたのは日本人だけではない。当時植民地だった朝鮮から徴兵されて「天皇陛下の為に」死ぬ事を強要された朝鮮人もたくさんいた。そうした話は宮崎のアニメで語られているのか。まだ映画を見ていない段階だが、それだけは100%あり得ないだろう。だってそんな生々しくてエグイ、まるではだしのゲンみたいな話をやっちゃったらアニメがヒットしなくなっちゃうじゃないですか! 右翼(それこそ鈴木邦夫を含む)から攻撃されちゃうじゃないですか! 海外に真っ先に輸出して稼がなきゃいけない大事な「ジャパニメーション」たるジブリアニメでそんな「ヤバイ」話出来る訳ないじゃないですか! 韓国にもたくさんいる宮崎アニメのファン達の為にも、何よりも李明博・朴槿恵と政権2代に亘って続く「日韓未来志向」をぶち壊すような作品を、それも「虚匠 巨匠」宮崎駿監督が作る訳にいかないじゃないですか! この作品「風立ちぬ」は飽くまでもそんなエグイ軍国主義・帝国主義日本とは別物でなければならないのです! ゼロ戦なんて日帝そのものを象徴する戦闘機であり、それを作った時代背景も暗い事この上ないものでしたが、そんな事実はなかった事にしなければならないのです! 南京大虐殺や従軍慰安婦や強制連行や731部隊の人体実験が全て「まぼろし」であったのと同じ意味で!
公平に見ても堀越二郎はそうした兵器の開発者であり、戦争犯罪人でしかない。多くの人間が自分の作った戦闘機で特攻し、しかもその中には植民地朝鮮から徴用された者もいた。それを堀越は気も狂わずに見ていられた上に、戦後も80年代まで生き延びて「ゼロ戦設計者」としての栄誉に与っていたのだから、これは昭和天皇の冷酷さにも匹敵する。殺人兵器の設計者としての後ろめたさは微塵も感じられない。後世の人間が語るべきはそうした理不尽さと冷酷さへの批判であり、それを美化する事では決してないだろう。その美化を、それも3.11以降の日本でアニメでやったのが宮崎駿だった。3.11以降の日本とはいかなる時代か。それまでの右傾化がさらに加速度を付け、以前は反権力・反体制運動の筆頭格だった反原発運動までもが国家体制に取り込まれるという時代である。その最中にゼロ戦開発者を日帝の暗黒統治やアジア侵略と完全分離して美化した物語が、それも「日本一のアニメ巨匠」が作ったのだ。戦後右傾化の極みを邁進する今の日本においてこれほど時宜にかなった映画はない。それを宮崎は最も良く理解していた。この映画の原型である漫画は2009年から2010年、つまり3.11以前に描かれたそうだが、それから大震災を経て3年が過ぎ、まさに絶好のタイミングをつかんだという事である。
佐藤・青山・桑田・宮崎ら「四大護法」の最大の才覚が発揮されるのを相次いで目撃する事になった。この件が我々に与えてくれる教訓とは、クリエイターが出世するのに最も要求される才能とは「処世術」に尽きるという事であろう。いかに権力や資本に取り入るか、いかに世間の俗情に媚びるか、そしてそうした事をしながらも世間の批判や反発を極力買わないようなポジションを保つにはどうしたら良いかを総合的に判断して実行する能力だ。「総合処世術」とでも名付けるべきであろうか。上記4者はこの方面の才能にかけては他者の追随を許さぬものを持っている。
「ジブリと宮崎監督までもがこんな作品を作った」ではない。「ジブリと宮崎監督だからやった」のだ。宮崎は機を見るに極めて敏な監督であり、もし日本がこれほど右傾化していなければ商売にならないと判断してこんな劇場アニメは作らなかっただろう。逆に言えばこのようなアニメが十分商売になるほど日本社会が右傾化したから、宮崎は安心して趣味と実益を同時に満たせる今回の映画を作ったに他ならない。
この映画のポスターには「いざ生きめやも」というキャッチフレーズが付けられている。この意味は
http://matome.naver.jp/odai/2136240387624734801
ポスターに描かれた「いざ生きめやも」というメッセージの意味
「いざ生きめやも」の「め・やも」は、未来推量・意志の助動詞の「む」の已然形「め」と、反語の「やも」を繋げた「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれている。
だという。後に堀越の設計したゼロ戦で多くの人間が特攻して犬死した史実はどこへ行ったのか。呑気なものだ。
まあ民団のやる事だから、と言ってしまえばそれまでかもしれないが、それにしても在特会とそのカウンター団体による右翼内ゲバ抗争が最悪の形で新大久保に悪影響をもたらしたと思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130708-00000010-yonh-kr
東京五輪招致支持の催し開催=在日飲食店経営者ら
聯合ニュース 7月8日(月)10時24分配信
【東京聯合ニュース】東京・新大久保で飲食店を営む韓国人たちが、2020年の東京オリンピック招致を支持するイベントを開催する。
日本国内の約400店の韓国料理店経営者らでつくる「民団韓食ネット協議会」は、来月9~11日に韓国料理店が多く集まる新大久保の通称「職安通り」で、東日本大震災被災者支援および東京オリンピック招致支持の催しを開く。同協議会が7日に明らかにした。
新大久保地域の通りに五輪招致を支持するプラカードを掲げたり、新聞に紙面広告を出すことを検討している。中国人など、同地域のほかの国の経営者たちにも参加を呼び掛ける計画だ。
今回の五輪招致支持の動きは最近日本で相次いでいる反韓デモ対策を議論する過程で生まれた。日本の一部の若者らが狭小なナショナリズムを露骨に主張する反韓デモに正面から対応するより、民族と人種の違いを超え平和を望む五輪精神を強調する必要があるという意見が出た。
2020年の夏季五輪開催地は、9月7日にアルゼンチンで開かれる国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京とスペイン・マドリード、トルコ・イスタンブールの三つの候補地から決定する。
これははっきり言えば「反韓デモを追っ払ってくれた『良識ある日本人様』に感謝して、ぜひとも我ら民団韓食ネット協議会は五輪招致で祖国(もちろんこの場合日本である!)の御恩に報いたく思います」という宣言である。つまりは「21世紀版内鮮一体」そのものに他ならない。民団の恥知らず・親日ぶりには限界というものがないようで、まさに底なしのブラックホール並みだ。このニュースを見て今頃安田浩一や石丸次郎・萩原遼、さらにはそのイヌである高英起・李信恵・朴斗鎮・梁英姫らは万歳三唱しているのではないか。1945年8月15日以前にワープしたかのような印象だ。
かつて「日本内地」のみならず、日帝植民地時代の朝鮮にも「ナントカ報国会」といった感じの様々な御用団体がたくさんあった。「皇国臣民」として偉大なる天皇陛下と大日本帝国に報いる、という主旨のもので、朝鮮文人報国会だとか、国民総力朝鮮連盟だとか、朝鮮戦時宗教報国会だとか、満州保民会だとか、とにかく色々あった。今回の在日の飲食経営者がやるという五輪招致イベントはまさにそれの現代版であり、「在日韓国人五輪招致報国会」とでも銘打った方が相応しいだろう。ついでに民団は「在日保民会」とでも改名したらいい。かつて満州にあった満州保民会という親日団体は、満州地域の抗日運動に関する情報収集や朝鮮人社会の統制を行なっていた。今の民団はまさに現代日本版の満州保民会そのものである。元より民団は結成当時から親日派残党の巣窟であり、その体質が60年以上過ぎても何一つ変わっていない事が今回の件でもよく分かるだろう。
このような愚劣な話が連合ニュースによって韓国にも「美談」として伝えられるのだろう。サザンの歌のような恐ろしい未来が一歩ずつ近付いている。韓国の民族主義者もこういう時こそ強烈な反発を示さねばならない。
韓国の民族問題研究所はかつて「日帝協力団体事典 일제협력단체사전」という本を出した事がある。現在は絶版なのが惜しまれるが、もし今後改訂再刊される事があるなら現代日本篇として「在日保民会」こと民団や、「在日韓国人五輪招致報国会」こと民団韓食ネット協議会もその中に含めるべきだと冗談抜きで思う。
それにしても腹立たしいのは新大久保で騒ぎを起こしてきた在特会とカウンター団体だ。両者が騒ぎを繰り返し、結局後に残ったのは民団韓食ネット協議会のような新大久保の韓国人の「皇国臣民化」である。日本政府の民族・人種差別政策は以前と何一つ変わっていない。朝鮮高校は依然として無償化から排除されたままであり、入管の施設は何も代わらず地獄の収容所のままで強制送還も当たり前だ。
在特会カウンターなるものがやった事は結局日本の民族差別政策をより激化させ、それが嫌ならより忠良な日本のイヌ(それこそ朴斗鎮や高英起・李信恵・梁英姫のような)になれという同化圧力を強化させたに過ぎない。
五輪招致に協力する在日とは、日帝時代に自分の子供を日本軍の兵隊に取られながら何も知らずに「テンノーヘーカバンザイ」を喜んで叫んでいた類の朝鮮人と同じなのである。
親日派は生きている。依然として韓国にも日本にも。
独立運動家・金九の墓に供えられた、刊行されたばかりの「親日人名事典」
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