忍者ブログ

Home > 記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【再掲翻訳記事】権赫泰インタビュー「韓国の独裁政権と日本政府は共犯関係」

以下は2012年末の日本の総選挙と韓国の大統領選挙直前に、今は閉鎖された旧ブログに載せた権赫泰教授(聖公会大学)のインタビュー記事翻訳である。
昨年末の選挙の結果、韓国では朴槿恵が大統領になり、日本では自民党が勝利して安倍晋三が再び総理の座に返り咲いた。朴正煕の娘と岸信介の孫が同時期に揃って韓日の国家元首となり、ここに戦後日韓癒着・共犯関係の総仕上げというか究極形態とも言うべき「日韓2013年体制」が確立した事になる。韓国と日本という国は戦後一貫して悪しき癒着関係(植民地支配清算の骨抜き、歴史歪曲、お互いの民主主義抑圧、北朝鮮や中国に対する「反共の防波堤」という名の韓米日軍事同盟と軍事政策、財閥や大企業の不公正な経済活動など)を続けて来た。金大中・盧武鉉政権のようなある程度例外的な時期はあったものの、その後の李明博政権によるニューライト政権への交代で再び時計の針が過去へ戻ってしまったようだ。朴槿恵政権の登場により、そうしたこれまでの悪しき日韓共犯体制が最も強化された時代に我々は生きている。韓国ではかつての軍事独裁政権を髣髴とさせる民衆運動や進歩勢力への弾圧が甦り、親日派や植民地近代化論の復権が相次いでいる。日本でも3.11以降は社会の右傾化に歯止めが掛からなくなり、反原発運動をはじめとする市民運動・社会運動も軒並み翼賛化して挙国一致報国会的なものへと変質してしまった。在日朝鮮人への差別と抑圧もさらにヒートアップしたと言ってよい。この両国が今やアメリカの下で一緒に仲良く対北朝鮮軍事訓練を大々的に行っている。憲法9条もへったくれもない。
こうした日韓癒着の背景はいかなるものであったのか。それに答えてくれたものが以下の権赫泰教授のインタビューである。韓国の旧軍事独裁政権がどれだけ日本に代わって日帝植民地被害者の声を圧殺してやったか、日本は韓国をはじめとするアジア諸国の犠牲とアメリカの核の傘という条件を利用してどれだけ自分だけ「平和国家」といういい思いをしてきたのか、その歴史を知らずに現状を知る事も未来を切り開く事も出来はしない。「日本と韓国の過去の関係には癒着もあったが、使命感の共有もあった」といってこうした悪しき歴史を美化・正当化する小此木政夫のような者の歴史観が、どれだけ韓国にとっても日本にとっても真の歴史清算と民主主義のガンになってきた事だろうか。
今回の権教授の発言についてはその後京都大学新聞が行ったインタビュー

http://www.kyoto-up.org/archives/1779
http://www.kyoto-up.org/archives/1811

とも内容的に重なる部分も多いが、こちらの方がより具体的に踏み込んだ部分もあるので、両方を照らし合わせて読んでいただければと思う。

余談だが、このインタビューが載ったのがプレシアンというのも今となっては隔世の感がある。ほんの1年前の話なのに…。同紙はその後、ハンギョレなど他の韓国進歩派マスコミと同様にさらなる保守化の一途をたどって、今ではほとんど読むに値する記事がなくなった。これは翻訳して日本に知らせたい、と思う記事がなくなったという事でもある。朝中東と一緒になって統合進歩党をバッシングしておきながら、今になって「民主主義の危機」とか慌てても遅いんだよ。

 

【訳者より】
日本と韓国両方で運命の分かれ道となる大きな選挙が目前に迫っています。投票を前にして投票権のあるなしに関わらず、日本に住む多くの人達に読んで欲しいという思いから以下の記事を翻訳してお届けする事にしました。おなじみ韓国のインターネット新聞プレシアンに昨日掲載された、権赫泰教授が現在の日本と韓日関係を大いに語ったインタビューです。長い前置きは不要。結構長いですが、まずは読んでいただきましょう。今回の衆院選における「酷過ぎる構図」の中でいかに考えるべきなのか、投票すべきなのかについて、一介の朝鮮人・韓国人の視点から見える日本の姿から多くの事を読み取って欲しいと思います。


「韓国の独裁政権と日本政府は共犯関係」
「東アジアとのインタビュー」【2】権赫泰(クォン・ヒョッテ)聖公会大学教授
記事入力 2012-12-13 午前11:15:12

最近数ヶ月間、日本と関係のあるニュースがあふれ出た。上半期には韓日軍事情報協定のショックがマスコミの紙面を飾ったとするならば、下半期には独島(竹島)と慰安婦問題がその座に代わった。乱れるほどに韓日関係のシーソーゲームが激しかった2012年であったという事だ。また、中国と日本の間で尖閣=釣魚島領土紛争が激化しながら「これでは戦争になるのではないか」という憂慮も渦巻いた。日本の右傾化と軍事大国化を憂慮する声も大きくなった。

日本はなぜこうなのか? 日本がおかしいのか、日本を眺める我々の視角に問題があるのだろうか? この気掛かりを解くべく聖公会大学日本語日本学科の権赫泰(クォン・ヒョッテ)教授に会った。権教授は日本の一橋大学で日本経済史研究で経済学博士学位を取得した。主要論文としては「在日朝鮮人と韓国社会」「教科書問題を通じて見る日本社会の内面読み」「日本の憲法改正と韓日関係の非対称性」などがあり、代表的著書としては「日本の不安を読む」、訳書に「裕仁とマッカーサー」がある。論文と著書・訳書の題名を見ても、彼の幅広くも深く延びている日本への関心を知る事が出来る。

インタビューは11月15日午後にソウル麻浦区(マポグ)合井洞(ハプチョンドン)のとあるカフェで、平和ネットワークのイ・ジェヨン幹事、キム・ユスンインターンが進行した。2時間を越える間に権赫泰教授は情熱的に日本と韓日関係、そして韓国政府の対日政策に対する問題点を項目毎に指摘した。最大の関心事である日本の右傾化に対する話から切り出してみた。


・多くの人達が日本の右傾化を憂慮している。日本の右傾化現象とは、適切な診断だろうか?


▲権赫泰 聖公会大学教授

右傾化に対してこういう表現を聞いた事がある。「日本政府が取っている政策が世界的水準と比べて必ずしも右側にあるとは見なせない為、日本の政治意識の断面図を表現するのに右傾化とは適切な用語ではないという事」だというのだ。この言葉を聞いた当時は2000年代初頭だったが、韓国政府が執っている国内政策や外交安保政策と日本の政策を比較してみた時、日本が右側にいると見なし難いという趣旨だった。だが右傾化というのはストック(stock)ではなくフロー(flow)、すなわちある流れと方向を表すものであって、特定政策の理念的性格を断面図で診断する言葉ではない。つまり過去に比べて右側へ流れて行くという言葉だ。

日本の最近60年の歴史を見た時、自民党長期執権を含めてどの政府であれ左旋回もあったし右旋回もあった。だが全体的な流れで見ると右傾化が持続的に成し遂げられて来たのは事実だ。特に1990年代後半以降では、右傾化の流れを制御出来る政党と市民勢力が弱まる状態になった。1990年代に社会党が倒れたところが大きい。また、自民党と民主党の政治理念の間に有意味な差異が存在すると見るのは難しい。


・2009年に民主党が政権交代に成功した時には雰囲気が違っていたのではないか?

2009年に民主党が執権した時にこういう事があった。当時韓国のメディアではおおむね、日本に民主党政権が出来たのだから韓日関係がうまく回復するだろうし、東北アジア情勢にも良い日が来るだろうという楽観的な評価をした。当時私はこう言った。「民主党と自民党の間には有意味な差異がなく、民主党の勝利を選択した有権者の心理は小泉純一郎の自民党政権を支えたそれとさほど差異がない。だから民主党に過度の期待はしないように」と注文した。

今の状況を見ると私の憂慮通りに流れて来た。右傾化に対する制御装置が消えた1999年を普通は右傾化元年と言うのだが、この後その流れが今まで持続してきている。橋本龍太郎も2000年代に入って、小泉時代に日本政府が執っている右傾化政策を見ると大変心配だ、という表現をした事がある。また、日本で「どこを見ても右傾化一色」という表現も登場する。韓国でのみ使われる表現ではない。右傾化とは流れを指して言うものだ。


・日本で右傾化とは、果たして何を意味するのか気になる。ナショナリズム(nationalism)を言うものなのか?

右傾化とは何かと聞かれればいくつかの説明がし得る。ナショナリズムは国家主義、国民主義、民族主義などに訳されるが、敢えて言うなら国家主義的な性格が強い。そしてアメリカとの関係を除外すれば、孤立主義的な外交路線が目に付く。過去とは変わったが、基本的に外交安保軍事上の存在感(presence)をアジアで育てていく事が日本で強く支持を受けている。それは1990年代くらいまで約50年間守って来たとする「平和主義」という名分すらも否定するものだ。もちろん現実にはすでに以前から多くが進行していたのだが、という話だ。


・社会党など右傾化を制御出来る政治勢力の消滅は、日本右傾化の「条件」ではないか? より直接的な「原因」と「背景」には何があるのか?

これは長い答弁になるだろう。敢えて遡ると1945年に戦争を終わらせる方式、処理する方式にすでに今の状況が込められていた。「平和主義」の内容とは何であり、なぜそれが1990年代以降否定されたのかを見なければならない。日本の「平和主義」を構成する要素は平和・民主主義・経済成長だ。これを支えた最も大きな条件のうち一つは保守-革新のバランスだ。1980年代末、正確に言うなら1993年度まではそれが作動した。

自民党は憲法改正を政綱政策に込めている政党だ。1955年以降から自民党は連立を含めて議会で常に過半数を占めて来たが、3分の2以上を占めた事はない。内閣責任制でこの事実は重要だ。3分の2以上を占めれば憲法改正が可能であるからだ。自衛隊廃止と日米安保条約廃棄を掲げた第1野党社会党はただの一度も過半数を超えた事はなかったが、常に3分の1以上は占めた。こうして憲法改正も不可能だが、だからといって社会党政権になって自衛隊を廃止して日米安保条約を廃棄する事も出来なかった。

憲法改正の最も重要な争点は憲法9条だ。大韓民国は憲法1条で民主共和国だという政治体制を規定しているが、日本国憲法にはそれに相応するものがない。国号を見れば大韓民国はROK(Republic of Korea)であり、北朝鮮すなわち朝鮮民主主義人民共和国はDPRK(Democratic Prople's Republic of Korea)だが、日本はそのままJAPANだ。それは政治体制を規定する事が出来なかったからだ。立憲君主制なのか共和制なのか中途半端な状態で戦後体制が出帆した。9条は基本的に武装を禁止している。

憲法を改正するという事は「平和主義」の基礎を否定して自主国防をするという事だ。日本社会の一方では社会党を中心に平和憲法を守ろうとし、一方では改正しようとする様相が続いて来た。もちろん自民党は憲法を改正して軍隊を持つ事がさほど有利ではないと判断をしていた。国防費も掛かるし、周辺地域に軍事的緊張をもたらして軍備競争の悪循環に陥る可能性があるからだ。したがって日本政府は駐日米軍に外交安保を任せ、自衛隊戦力で補助的役割をさせる事にしたのだ。それが日米同盟体制である。その構図が長らく続いて来た。だがアメリカは1946年に日本に憲法を作らせておきながら、すぐに後悔する。日本が一定の軍事的役割をしてくれる事を望んだのに、そう出来なかった為だ。しかし冷戦解体後にこの構図が破れたのである。


・平和憲法制定当時には日本国民達が反発しなかったのか?

憲法制定は日本国民の選択ではない。アメリカが強要した憲法だ。だが改正する道を選ぶ事はしなかった。戦争の記憶と体験があった為である。経済成長でちゃんと食っていい暮らしをする事を選択した。だがだからといって、憲法条項通りに完全なる非武装を支持したのではなかった。自衛隊と日米安保条約は支持した。それで日本の平和憲法を平和主義と読み取るのには無理があるものの、とりあえず限定的な意味で「平和主義」という用語を使うならば、その平和主義が作動した条件を理解せねばならない。

だが日本社会は平和主義が特殊な条件下で作動したものだという事実を知らなかったり、あるいは認めずに、平和主義の果実だけをもいで食った側面がある。日本人達は、自衛隊は軍隊ではないと言う。だがそれは事実ではない。日米安保条約が日本を守ってくれたからである。軍事力を否定する憲法9条を米軍という巨大な軍事力が支えてくれたのだ。また日本には非核3原則がある。核を作ってはならず、保有してもならず、持ち込んでもならないという三つの原則だが、これはどれだけ素晴らしい内容であろう。

しかしながらそれがどのように機能したのか。日本社会の平和に対する意思が強くてそうだと言えるだろうか? それは虚構に過ぎない。アメリカの核の傘の下に作動したのが、まさに非核3原則である。もし非核3原則と平和主義が日本社会の内面的哲学だというならば非同盟外交をしたりすべきで、日米同盟体制に入っていてはならなかった。それなのにアメリカの軍隊も入って来ており、アメリカの核の傘の中にいながら非核3原則と平和憲法を押し立てる。その構図の中で平和、民主主義、経済成長の果実を1980年代末まで享受してきた。それを支える国内条件が保守と革新の絶妙な同居だった。


・自衛隊は軍隊ではないのか? すでに平和憲法は有名無実化したのではないか?

それは憲法解釈の問題と連結している。アメリカは日本に軍隊を作れと言った。そして日本も軍事主義への欲望があった。けれども憲法上軍隊を作ってはならない。ならば自衛隊とは何か。アジアの一般的な水準で見れば、自衛隊はとてつもない軍事力だ。だが日本社会は軍隊がないと言いながら、自衛隊が実際に軍事力として機能しているという事実を認めない。憲法と自衛隊が両立出来ない為に憲法解釈を変える。規定を変えるのは大変だから、解釈を変える解釈改憲をする。日米安保条約に規定された駐日米軍が憲法の禁ずる武装に該当するかも論争であった。だが「外国軍隊は該当しない」「自衛隊は専守防衛をする」「集団的自衛権は認めない」という解釈で1990年代までもたせてきたのだ。


・「平和主義」を維持させる国際的な状況はなかったのか?

もちろんある。アジアでは韓国と台湾が重要だ。韓国の徴兵制は冷戦構造の中で見れば、世界資本主義の戦闘部隊として背後にある日本とアメリカを守る役割もする。もし韓国の徴兵制がなかったり、南北朝鮮が統一して日本に敵対的な、あるいは非同盟的な政府が立ち上がったら、日本の平和憲法が存立可能ではなかっただろう。自分が軍隊に行かざるを得ない韓国の現実と、軍隊に行かなくても良い日本の若者との現実の間には非常に緊密な相関関係がある。だが日本の「平和主義」の観点ではそのように見ない。韓国は軍事独裁の国で、日本は民主主義と平和の国だと考え、両者間の相関関係を見逃した。1960-1970年代にはみなそうだった。それに対する自覚が出たのは後日の事である。


・なら逆に言って、韓国の民主化が日本の右傾化に影響を与えたという意味か?

韓国には徴兵制があって、日本には徴兵制がない。日本の「平和主義」は韓国の徴兵制と日米安保条約、アメリカの核の傘によって支えられたという逆説的な構造に置かれている。それがなければ作動しないのに、日本社会はその相関関係に対する自覚が弱かった。そこで、こうした構造を支える韓国の軍事独裁政権と日本政府は一種の共犯関係と言う事が出来る。

植民地被害者達の声が公開的に噴出したのはいつ頃からだろう? 1990年代以後からだ。韓国の過去史関連団体達の大部分が1990年代以後に結成されたものだ。なぜ日帝支配が終わってすぐにはほとんどなかったのに、1990年代以後にあふれ出たのか。日本帝国主義の被害者達が下から声を上げるのを、韓国の独裁政権が日本政府に代わって防いでやったからだ。

1990年代以後に民主化で政治的空間が開かれながら、矛盾の中に置かれていた人々が声を上げた。日本列島を守ってやった韓国が変化する可能性が大きくなったのだ。日本で一部の人達は平和、民主主義、経済成長の果実が真に自分の物ではなく、特定の時空間で支えられた結果物に過ぎないという事実を悟ったし、彼らが慰安婦賠償問題などに飛び込んだのだ。他の一部では、韓国での過去史問題の噴出をナショナリズム一般の問題として批判し始めた。特に脱国家主義の傾向を見せた1980年代の知識人達は韓国と日本の間のナショナリズムの衝突を指摘しながら、ナショナリズムを自制しようと言った。

また、太陽政策を通じて南と北が「仲良く」務めようという動きが現れた。日本の安全保障において新しい変化要因であった。それを管理するのはアメリカだったが、金大中・盧武鉉政権が反米とまでは行かないにしても、明らかにアメリカの操り人形政権ではなかった。過去の軍事独裁政権のように、韓日関係の為に被害者団体の反発を物理的に防ぐ事もなくなった。そして韓国が北朝鮮と対立しながら、日本列島の軍事的緩衝の役割をしてやらねばならなかったのに、それもしなかった。日本の中で外交安保に対する不安感が大きくなり、中国脅威論と北朝鮮脅威論が台頭した。

そうすると自分の手で守ったりアメリカに期待するしかないという言説が現れる。自分の手で守ろうというのは自主国防論であり、後者は日米同盟強化論だ。この二つの路線が合わさりながら1990年代以降の右傾化を導く。湾岸戦争が起こった時、アメリカが派兵要求をしたが日本は憲法上自衛隊を送れないという理由を挙げて、最初は金銭支援で代行した。国際社会で非難世論が沸きかえった。「日本も金だけでなく、人を送れ」「平和は血で戦い取るものだ」「日本も国際社会で軍事的役割をすべきだ」という意見が噴出した。そうするには憲法を変えねばならないが、明文改憲は難しいから解釈改憲を拡大し始めたのだ。


・アメリカが1990年代以降に日本の軍備増加を要求したという事か?

アメリカが要求したのは大変古くからだ。ただ要求する方式を少し変えた。最初は駐日米軍駐屯費を負担したり、東北アジアで一定部分の役割をせねばならないというものだった。そのうちアメリカは世界軍事戦略の一環として自衛隊を位置付けし始める。そして日本社会が持っていた内部の欲望、50年間自主的な軍隊を持てなかったという不満が1990年代のアメリカの要求、周辺国の民主化による危機感と噛みあって噴出したのだ。

周辺地域との非対称性は昨日今日の話ではなく、19世紀以降持続して来たものだ。非対称的構造を解決しなければ、どんな問題も解決し難い。こちらの平和があちらの平和を支える構造でなければならないのに、こちらの平和があちらの非平和に連結する構造だ。そこで私は東アジアの連帯がどれだけ難しいかを語る。連帯が作動する構造ではないからだ。1990年代以降社会党は、憲法改正に反対して自衛隊撤廃と日米安保条約廃棄を主張していた既存の自分の立場を変えた。現実化政策を執ったのだ。自衛隊を認めて日米安保条約廃止を要求しなくなるや、自民党との差別性が減ってしまった。これは政権を握る意思を明らかにした側面もあるが、結局は社会党の「平和主義」が温室の中で作動していたに過ぎないという事実を内外に自己告白した事例でもある。

アメリカの立場から見れば政権交代は構わないが、自民党に代わる政府が社会党になって日米安保条約を廃棄したらどうするのかという憂慮があった。アメリカが望むのはアメリカ式共和党-民主党のような保守-リベラル(liberal)2党体制だ。小沢一郎という人間がそれを構想してきたし、結局はそれが実現されたのだ。現在、外交安保政策において民主党と自民党の間に有意味な差異はないか、あるいはあったとしても「右」と「極右」の差異に過ぎない。


・平和憲法改正が焦眉の関心事だ。その可能性についてはどう見るか?

もちろん憲法改正は容易い事ではない。国民投票法は安倍晋三内閣の時に作られたが9条だけでなく、1条、人権概念などなどであれこれ差異があって、一つの案で妥協案を作り出すのが極めて難しい。特に1990年代以降政党体制が流動化しながら、特定政党が圧倒的な多数党になるのが難しい構造が続いている。そこで憲法改正を公約に掲げておきながら、実際には一つの憲法案を掲げて国会で3分の2の賛成を得る形態の明文改憲は極めて難しい。おそらく解釈改憲を拡大する方向へ行ったり、代替立法をする可能性が大きい。

だがはっきりしているのは1980年代まで作動していた自衛隊廃止論、自衛隊違憲論のように「平和主義」の中で作動していたもの達が、今再び争点になる事はなくなったという点だ。さらに言えば、過去には自衛隊廃止か維持かが争点だったとすると、1990年代以降は自衛隊維持か自衛隊の軍隊化かが争点になった訳である。だからといって平和憲法の存在意義がなくなったのではない。すでにボロボロになってはいるが、平和憲法という形式と名分がより多くの右傾化を防いでくれている最後の砦の役割をするからだ。


・平和憲法が東アジアで役割を果たせるという事に否定的なのか?

正直言えばそうだ。2005年度の安倍晋三内閣の時に憲法改正問題が現実化された際、ピースボート(Peace Boat 世界の平和と人権増進、地球環境の保護などを目的に1983年に設立された日本の国際的市民団体)を中心に憲法改正に反対する連帯組織体を作ったし、私も協力した。うまく行けば良い事だろう。

平和憲法のアイデアは極めて優れている。だが、そのアイデアは特定の条件下で作動するものであり、特に日本にのみ利益がある制度だった。日本の平和憲法を守る事が重要なのは、それが東北アジアに新しい平和秩序をもたらし得る新しい最善のビジョンを持つからではなく、日本のよりさらなる右傾化という最悪を形式と名分において最小限に防いでくれる役割が出来るからだ。東北アジアの平和問題は日本の問題でもある。平和憲法下においても日本は世界的な軍事大国になった。万一この制御装置がなくなったら、日本の右傾化はどうしようも出来なくなる。したがって日本が憲法改正を出来ないよう助けるのは意味がある。


・福島事故以来原発反対集会に多くの人達が集まったのは励みになる。これをどう見るか?

原発反対運動に助けになるという理由だけで日本の状況を誇張してはならない。福島以降日本で原発反対運動が強くなったといっても、それが既存の政治の地形とどのような関係を結ぶのかが重要になる。右派の中にも脱原発を主張する者がいる。最近の原発集会を見ると日の丸(日章旗)を掲げて参加する場合が多くなった。過去には想像も出来ない事だ。韓国で太極旗が持っている意味と、日本で日章旗が持っている意味は違う。日本で反政府運動をする左派にとって日章旗は禁句にも等しい。原発反対集会を主導する人にこれについてどう考えるかを聞いてみた。返って来た答は「今は左右を問う時ではなく原発廃棄が重要な事なので、政策的連帯はいくらでも可能だ」というものだった。

それはそうだろう。だが本当にこれで大丈夫なのか疑問が浮かぶ。これは新しい形のナショナリズムだ。広島と長崎の被爆を経験した「日本」という主体を引っ張り出して、先祖代々受け継いだ土地に西洋が作った原発が相応しいのかという風に、生態主義がおかしな方向に変わって行く可能性もある。実際に原発を廃棄すべきかどうかに関係なく、そうした流れを既存の進歩的談論や平和主義とは違う脈絡で見なければならないのではないかと思う。国家の再構成の次元で見れる事だ。

「廃墟から復興へ」というスローガンが見せてくれるように「日本人は一つ」という宣伝が社会の隅々に広がっている。これは今まで50年間に見る事の出来なかった姿だ。1923年の関東大震災と1945年の敗戦当時と似ているが、廃墟を通じて「日本」というアイデンティティを再び復活させる流れが大きくなり始め、その流れが下手をしたらおかしな生態主義と天皇主義が結合しながら思いもよらない方向へと行く可能性が大きい。これを良い方向へと進行させるには労組や政党が流れを制御する側面がなければならないのだが、それが作動しないのでとても心配だ。3.11以降約1年半の間の流れを見ると、「よりさらに右側へ!」というのが現実だ。


・ならば福島事故が政治社会の地形変動にはさしたる影響を与えなかったという意味か?

広島と長崎で2度も被爆を体験した日本は、自らの政治体制を反核国家としてきた。それなのに原発を54機も稼動させてきた。福島以降に起こり得る事は二つのうち一つでなければならなかった。民衆反乱が起こるか、政権交代が起こるべきだった。しかし何もなかった。菅直人から野田佳彦に首相が替わったが、それも事故が起こってかなり経ってからの事だ。

替わる過程も必ずしもこれと関係があるとは言えず、別の理由がより大きかった。3.11という災難にも関わらず、政治上の進歩的変化は全くなかった。10万人が原発反対集会に集まれば何をするか。原発に反対する候補達が地方選挙でただの一人も当選せず、原発支持候補達が圧倒的に当選した。福島においても東京電力の候補が当選した。

3.11以降既存の秩序が変化すべきという考えは増えたが、集会に10万人集まろうがなかろうがその間に具体的な政治行為として現れた痕跡は見つける事が出来ない。この流れが左側に行かず反対側に進んでおり、その上に覆い被さっているのは国難克服の物語(narrative)だ。続いて思い出されるのが1945年の敗戦状況だ。ナショナリズムの物語が再構成されている。

もちろん幸いなのは眠っていた人々がデモをするという事実だ。柄谷行人は日本がデモをする社会に変わらねばならないと言い、デモをして何が変わるかよりもデモそのものが重要だと言った。私もそこまでは認める。だがその流れが既存の政治的右傾化の流れを変えられるかに対しては否定的だ。


▲昨年5月 日本・東京の東京電力本社前で行なわれた原発反対デモ


・周辺国が日本に対して持っている誤解は何なのか? 我々が日本に対して間違った期待をしている部分もあるのか?

日本に対しては相反する二つの誤解があるようだ。一つは日本が民主主義国家・平和主義国家・先進国だという誤解であり、もう一方では日本は国家主義的で軍国主義的だという誤解だ。相反する誤解が場合によっては一人の人間の頭の中に同居する場合もある。日本に対しては韓国人4000万人が専門家だ。年間100万人が日本を訪問し、日本関連学科が全国で100を超える。ここ(インタビューが行なわれたソウル合井洞)だけを見回っても一軒おきに日本食堂だ。若い層が巨大な軍事的・政治的事案と関係なく日本の大衆文化に心酔してるからといって、どうこう言う必要はない。簡単な日本語を出来る人も多く、全般的に日本に対する常識というのが形成されている。

その常識の実態をのぞいてみると二つの事が共存している。一つは軍国主義の姿だ。日本料理を好んで食べる人々も、政治の話が出たら軍国主義・民族主義の話をする。だが、国民性・民族性という言葉は人文社会科学的分析を放棄した言葉だ。文化とは変わるものであり、その中でも多様な人間が存在する。反面、韓国社会では幅広い日本ファンが存在する。若い層に日本の大衆文化は人気がある。若い層だけではない。私が日本に1980年代中盤に初めて行って感じたのは、1960年代中盤に私が韓国で読んだ漫画が全て日本から来たという事だ。アトムや黄金バットが全てリアルタイムでやって来た。

だが、また違う日本を見なければならない。日本にも体制に反対する人が長らく存在してきたし、犠牲になった人が少なくないと言う事をよく見なければならない。日本が歩む主流的な流れに対抗する人が多く、彼らが残した痕跡も大きい。だが我々は支配秩序の感覚でのみ把握してきた為に、その底流にいる人々についてよく知らない。

もし韓国で日本の近代史を書く事になれば二つの側面で扱う事が出来る。第一は抵抗する流れを通じて日本近現代史を再構成する事、第二は沖縄・アイヌのように主流の歴史から排除された人々で再構成する事。こうした事は日本が出来なければ韓国がやる事も出来る。日本が進む道を韓国が行く事も出来るが、必ずしも行かねばならないのではない。


・日本にとって東アジアとは何か? 例えば「脱亜入欧」という言葉もあるが。

私は韓日問題や中国問題を東アジアという範疇でアプローチする事にさほど友好的ではない。未来志向的に東アジアで何かしようというのは分かるが、まるで東アジアというのが存在したかのように語るのには同意しない。ヨーロッパと違ってアジアには文化的・歴史的共同体としては存在しないのだ。「脱亜入欧」は時間差をおいてアジアの全ての国家で発見される。韓国も中国も同様だ。19世紀日本が歩んだ道を第三世界国家達が歩んでいる。みな西洋に向かって前進し、競争する構図だ。

だが19世紀に日本が歩んだ先駆的位置から何かがおかしくなり始めた。悪い前例を残した。日本がそうしたように、韓国も自分をアジアと考えようとしない。考えたとしても非常に機能的にのみ考える。本来アジアという言葉自体が西洋から見た範疇だ。他者から強制された呼び方である。オリエンタリズムの典型的な構図だ。ただそれを抵抗の構図に変えられないかと苦悩した人はいる。

再び日本の話に戻るなら、19世紀日本のアジア主義者達は侵略主義と結合した。19世紀日本のアジア主義者達は朝鮮侵略の尖兵となる。日本のアジア主義というのは反西洋の価値を持っていながらも、アジアにおいて日本を盟主とする位階秩序を意味するものであり、19世紀末で一時的に失敗しながら後に大東亜共栄圏へと吸収された。やはり韓国の主流的流れも「脱亜入欧」である。低開発・貧困・野蛮と刻印付けられたアジアに対するオリエンタリズムを、日本を通して吸収した訳だ。抵抗の流れとしてアジアを再構築するのは日本だけの問題ではない。


・日本では「アジア」がそのように否定的なニュアンスでのみ存在するのか?

他の次元のアジアを構想する人々もいた。1970年代以降に韓日連帯運動、金大中誘拐事件、徐勝・徐俊植政治犯救援運動、韓国民主化支援運動の流れが登場したのは事実だ。1990年代以降に慰安婦を支援するグループも出て来た。対米一辺倒の軍事同盟や外交秩序に対する代案としてアジア共同体構想がある事はある。だが未来の規範的姿としてアジアを理解するという事はあり得るが、現在問題の代案として取り上げるのには同意しない。日本政府の立場から出る東アジア共同体や経済共同体はまた別の脈絡だ。


・過去史問題、特に日本の植民地支配と戦争責任が今日でもこの地域の和解を妨げていると見られるが、日本は過去史問題を解決する意思があるのか?

ないと思う。もちろん解決ではなく妥協や縫合の試みはあった。アジアとの関係の中で新しい流れを作ろうとしたのは、1970年代以降に生じた。1995年に国民基金が作られようとした時に一部知識人達がその流れから離脱した。国民基金は極めて良からぬ妥協、あるいは縫合の事例を残した。慰安婦を引っ張って行ったのは日本政府なのに、国民基金というのは国家責任を認めないものである。当時社会党連立政権下で作られたものなのだが、今ではそれすらも否定するのが主流的な流れだ。

2000年代に入ってからは河野談話、村山談話のような基礎すらも否定されている。私は日本政府の謝罪というのが、法的責任を回避出来る最も費用の掛からない方法だと批判した事がある。歴史問題が謝罪の文句として凝縮し、その水位を取り巻いて論議が進行するのが腹立たしい。被害者が広範囲にいるのだから法的責任を認定して賠償せねばならず、これを継続して要求しなければならない。


・普通は戦犯国として日本とドイツをよく比較する。違いが多いようだが。

日本のリベラル陣営でもそのように語るし、韓国でも日本とドイツをよく比較する。簡単な構図で比較したいのは理解出来るが、両国の条件が違い過ぎて意味があるのか分からない。理由は二つある。まずドイツの戦後処理過程を見よう。ドイツの場合は、ドイツが被害を与えた国とドイツを占領した国が一致する。ドイツは連合国と戦争をし、その連合国達が戦争後に占領した。日本はアジア国家に被害を与えたが、占領はアメリカが行った。被害を受けた国々が占領したドイツの戦後処理方式と、被害を受けた国々に全く発言権がなかった日本の戦後処理方式には途轍もない違いがある。戦争を終結する方式が謝罪の可否や、戦争に対する責任意識を持つかどうかを決定するのだ。

第二は戦争責任と植民地支配の違いだ。韓国の立場としては決定的違いなのだが、韓国は日本から植民地支配の被害を受けた。東京裁判は植民地支配に関するものではなく、1928年から1945年までの中国を含む侵略行為に対して処罰したものだ。韓国などの植民地支配責任の話は一言も出なかった。

国際社会で植民地支配を受けた国家が植民地支配国家から賠償を受けた事例はない。そこで韓国の賠償要求は世界史的意味を持つ。靖国問題を提起する時も中国と韓国は同じ立場に見えるが、決定的にはスタンスの違いがあるべきだ。中国ではA級戦犯合祀さえ問題にすれば済む。中国は戦争被害者であるからだ。韓国の立場としてはA級戦犯合祀問題を含めて、約2万余人の朝鮮人合祀問題などが重要だ。なぜなら韓国は植民地支配被害国であるからだ。


・ドイツも植民地を保有していた点では日本と同様ではないか?

ドイツの植民地は第1次世界大戦でほぼ消滅した。それで第2次大戦が終わって今に至るまで植民地問題が重要な争点にならない。もちろん第1次大戦以前にドイツの支配を受けたナミビアがドイツに謝罪要求をしたし、ドイツは賠償金ではなく慰撫金を支給した事例があるにはある。そこがドイツと日本は違う。ただ、帝国主義国家達は植民地支配に対して絶対に法的責任を認めないという事実を念頭におく必要がある。それは先進国クラブの共通事項だ。

2002年度に南アフリカ共和国でイランを中心にして、奴隷貿易と植民地支配に対する法的補償を決議しようとしたのだが、色々な国々の反発があって文案が婉曲にされた。それすらもアメリカなどの帝国主義国家達が棄権した。そこで韓国社会で日本に賠償を要求するのは、19世紀以来の帝国主義の責任を問う国際主義的性格を持つ。世界史的に意味があることだ。植民地支配を受けた国が帝国主義国家の法的責任を問い、帝国主義国家から賠償を獲得する事になれば、第三世界国家の中において重要なモデルになる。それで韓国の被植民地体験を他の第三世界国家のそれと共有して、韓国の経験を普遍化する事が重要だ。


・東アジアで領土問題が頻発する理由は何なのか? 独島問題に対する意見も聞いてみたい。

大変慎重を要する主題だ。独島問題に対して韓国にも日本にも冷笑的な視線がある。韓国であれ日本であれ「領土というのは線引きじゃないか」という視線がある。国家というのは自然共同体な性格がない訳ではないが、基本的に近代的概念だ。ベネディクト・アンダーソンが言った「想像の共同体」まで持ち出さなくても、日本という国家はいくら遡った所で明治維新から始まったと言う事が出来る。独島が誰の土地かと聞かれれば、近代以降にどのような過程を経て誰の土地になったかが最も重要だ。

領土というのは支配に基づくものである。アフリカや中東を見ると国境が定規を当てて引いたように一直線だ。それは自然共同体でなく帝国主義国家達が引いたものだからだ。その前提が大変に重要だ。国家に自然共同体的性格がない訳ではないが、領土というのは近代以降に帝国主義国家達の秩序構築過程で一方的に線引きした結果だ。国際秩序を作る時に日本が発言権を持っていたから、海に日本海と名付けたのだ。前近代時代に朝鮮海・東海という名称もあり、日本海という名称もあるのは国際秩序が存在しない状況でそれぞれが自国の名前を付けた結果である。今に来て東海とするのは一方ではナショナリズムの性格が強いものの、別の一方では植民地支配賠償要求と同様に19世紀帝国主義国家達が作った秩序に対する異議提起の側面がある。植民地支配に対する反対の意味だ。

だが日本では植民地の問題と分離して領土問題と見る傾向が強い。ここで視角の違いが発生する。日本は独島編入が1910年「日韓併合」以前に行われたのだから当然国際法上「日韓併合」と無関係であるばかりか、領土に対する権利の放棄を規定した1952年サンフランシスコ講和条約にも該当しないとみなす。だが日本が領土と主張している場所は全て19世紀以来日本列島に限定されていた領土が徐々に増えていく過程で生じたものだ。北海道が日本に編入されたのは1869年である。沖縄が日本に編入されたのは1872年だ。そして1895年の日清戦争以降に台湾を呑み込んだ。中国と紛争を繰り広げる尖閣列島問題もそこから発生した。日本は台湾を併合する時に澎湖諸島も一緒に持って行った。だがサンフランシスコ条約で台湾と澎湖諸島の領有権を放棄すると言った時に、日本はそこに尖閣が含まれないと主張した。日露戦争の時にも旅順半島、サハリン、朝鮮半島までかっさらい、その次が満州だった。このように日本の領土問題は日本帝国主義の対外膨張と分離出来ない問題である。東アジアの領土紛争は基本的に日本問題であり、日本帝国主義の問題だ。


・領土問題の多様な国内政治・国際政治的性格も念頭に置かねばならないようだが、どう見るか?

サンフランシスコ条約の時に整理をしながら一部の島と列島で日本の領土が縮小確定した。だが尖閣を含めて一部の島に対してはアメリカがわざと明文化させなかった。日本の反対もあったと言うが、最近ではアメリカがわざと領土紛争の種を残したという陰謀論的解釈も登場する。周辺国と紛争をしてこそ、日本がアメリカに依存するからだ。独島は韓国が現在実効支配しているという事実が重要だ。日本では独島がどこにあるのかも良く知らず無関心だった。忘れそうになると日本当局者や外交官が一言言うような形だった。先程言った1990年代以降に右傾化の流れが形成されながら独島問題が浮上した。領土紛争が国民国家を再構成するのにおいて、ナショナリズムを高揚させる最も良い方法の一つだからだ。国境を越える市民社会の国際連帯の枠を破る最も効果的な方法でもある。

最近日本の知識人達が独島は韓国の土地だという声明を出したが、ほんの少し前だけでも韓国市民団体と日本市民団体が連帯する時に核問題、平和憲法問題、歴史認識問題においては意見の一致を見ても、独島は取り上げるのが難しかった。日本の市民団体には負担の大きい問題であったからだ。日本政府が独島の話をするのはバラバラに散っている人々を、領土を媒介に再結集させるのに効果的な争点であるからであり、今もその構図は変わっていない。だから李明博大統領の独島訪問はこのフレームに利用された側面がある。


・歴代韓国政権の中で韓日関係を最も良く処理したと評価出来る政権があるならば?

基本的にないと見ているが、相対的には金大中・盧武鉉政権が良くやった。100点満点で仮定するなら、李承晩・朴正熙・全斗煥政権はマイナスの点数を付けられる。それでも低い点数とはいえ付けられるのは金大中・盧武鉉政権だ。


・先程南北関係の改善が日本にとって負担になったと言ったが、このような改善は金大中・盧武鉉政権で成し遂げられたものだ。それでいて同時に韓日関係もうまく処理する事が可能なのか?

南北関係の改善は国際秩序の変化を前提にするだけでなく、新しい秩序の創造を意味する。したがって南北関係の改善が日本にとって新しい変化要因として作用するのは事実だが、これは日本の問題だ。南北関係の改善で日本が外交安保上に負担を感じるからといって、韓国が日本に負担を与えない方向で外交政策を繰り広げる事は出来ない。既存の構図を維持する為に南北朝鮮が対立して、これに対する負担を朝鮮半島に居住する人々が全て背負う事など出来ないではないか? 解放後50年間はそうしてきた。南北関係の改善はそうした意味で画期的だった。

南北関係を改善しながら日本にも負担にならないようにする外交的努力は確かに存在した。金大中政権がそうしていた。そこで慰安婦問題や過去史問題において金大中政権や盧武鉉政権は強力な問題提起を控えた。歴史問題と外交安保問題を分離しようとしたのだった。金大中政権はこれから過去史に対して言及しないと語り、盧武鉉政権は早期には静かなる外交を行った。だが効果を挙げたようには見えなかった。なぜなら日本社会に対して、あるいは日本の市民社会に対して過度に楽観的な評価を下していたからだ。


・それでも先程言ったように、民主化を起点に対日政策が変わった事があったではないか。金大中・盧武鉉政権に以前よりももう少しましな面があるなら、その点について説明して欲しい。

金大中・盧武鉉政権で過去史問題に対する各種委員会が国内に作られたのだが、これが重要だ。関東大震災の時に朝鮮人5000-1万人が死んだというが、その数字を明らかにしたのは在日朝鮮人達だ。国家が国家である為には何人が死んだのか、誰がなぜどのように死んだのかは知らねばならないのではないか。日帝時代に連れて行かれたというが、この人達は誰で、どこで暮らし、金はちゃんともらっていたのかを知るべきではないのか。

大韓民国が50年間放置してきた事を金泳三政権から少しずつスタートし始め、金大中・盧武鉉政権で各種委員会が作られた。民主化がもたらしてくれた大きな成果だった。日本の右派新聞が過去史関連委員会を反日委員会だと非難した事があるが、反日かどうかを離れて、国家が国家である為にすべき基礎的な作業を解放されてから50年以上が過ぎてやっとやるようになったのだ。反共軍事独裁政権が出来なくさせた事を民主化以降にようやく始めたのだ。


・では最近の韓日関係に焦点を移そう。李明博政権の韓日関係を評価してみると?

李明博政権に対してはよく分からない。温水と冷水を行ったり来たりして哲学もビジョンも原則もない外交であった為に、果たして何をやったのかと思う。不意に韓日軍事情報協定の話が出て大変憂慮した。もちろん軍事交流は金大中政権の時からやっていた。当時にも問題はあったが、李明博政権では具体的な形態に発展して中身も明らかにならない状態で推進しようとした。おそらくアメリカの意向が強く反映したものと思われる。

さらに理解出来ないのは6月に軍事協定締結を断念して担当秘書官を更迭させたのに、8月に大統領が独島を訪問して天皇の謝罪を要求した事だ。その間に何が起こったのか知り様がない。事実関係すらも分からず、どういうつもりでやったのかも分からない。どれだけ過ぎれば秘密が明らかになるのか分からないが、なぜ急に180度転換する事になったのか分からない。李明博政権の対日政策がどうだったのかを問うなら、評価するだけの材料すらないと思う。けれども重要なのは李明博政権になってから、民主化以降に作られた過去史関連各種委員会達が解体されたり方向性が曲げられて、制度的成果達が否定されたり歪曲されているという点だ。こうした事例を見ると問題は非常に深刻な水準に来ている。


・最後に次期韓国政府の対日政策に対して語って欲しい。

相手がいるから対日政策は簡単な事ではない。一旦新政府が立ち上がったら、これまで民主政府の時にあった委員会達を温存させた形態で復活させ、真相調査もして補償体系も作らねばならない。依然として被害者がおり、その子孫達がいるではないか。また日本に対して要求するのも重要だが、国内的な政策は対日関係に関係なく持続的に行わねばならない。

併せてもう一つ肝に銘じておかねばならないのは、朝鮮半島が世界でも稀に見るディアスポラ(離散)の国だという事だ。世界で移民研究をするならインドや中国を対象にする場合が多いのだが、人口比例で見ると朝鮮半島ほど人口海外流出の多い国はない。ほぼ20%だ。家族辺り1人程度は離散の歴史を経験した。離散は日本帝国主義の支配と分断の為だ。

適切ではないかもしれないがイスラエルを例にしてみよう。ヨーロッパ帝国主義国家達の庇護の下にパレスチナ人の土地に人口国家を作ったではないか。その時帰化法というものを作った。海外にいるイスラエル民族が帰って来るのに必要な行政的手続きをワンストップで提供したのだ。だが今我々は手続きがあまりに複雑だ。在外同胞に限ってでも、帰って来るというなら帰って来れるように助けて定着出来るように機構や施設も整えてやらねばならない。帰って来るかどうかはその方々の決定に任せて、制度的な準備は整えねばならない。

そして日本に対して要求する過去史問題はもちろん外交的な問題ではあるものの、外交戦術によって変える事の出来ないある原則に立脚すべきだ。実現可能性可否を尺度にしてはならない。なぜなら、この原則は朝鮮半島統一国家の基本的な理念となる重大なものであるからだ。朝鮮半島は植民地支配と戦争を経験した。反帝国主義と反戦国家になれる歴史的土壌を備えているのだ。だが結果的には極めて矮小な反日・反北(反共)国家になってしまった。

反帝国主義と反戦が我々の歴史的アイデンティティである。これが原則であり、朝鮮半島の基本理念にならねばならない。日本に要求すべき事は引き続き要求せねばならないが、同時にベトナム戦争に対して韓国政府が積極的な態度を執らねばならない。この問題達は複合的に絡まっているが、植民地と戦争を経験した社会が平和主義を内面化するのが極めて重要だという認識を持たねばならない。

・日本と韓日関係を理解するのに大きな助けを頂き感謝申し上げる。

私にとっても有益な時間だった。良い企画をしてくれて感謝申し上げる。


市民団体である平和ネットワークは皆さんの後援で運営されています。
平和ネットワーク
http://www.peacekorea.org/

訳 ZED

韓国語原文記事はこちら。
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=30121211153150&section=05


訳者あとがきはまた後で述べたいと思います。選挙が終わった後になっちゃいそうですが…。

 

PR

朝鮮半島の視点からシリア情勢を見て気付く事

かつてベトナム戦争では南北朝鮮いずれもそれぞれが支持する側へ援軍を派兵した。北は第3世界植民地解放戦線の側に、南は帝国主義侵略国家の側について、再び異国において激しく戦火を交える事になった訳である。
それが今ではシリアで再現されつつあるようだ。朝鮮民主主義人民共和国は以前からアサド政権にミサイルやロケットを売っており、これがシリアにとっては対イスラエル防衛での大きな役割を果たしてきた(ミサイルの売却が朝鮮にとって外貨稼ぎ手段とはいえ)のである。シリアは第3次中東戦争でゴラン高原をイスラエルに占領されており、長らくその脅威に晒されてきた。シリアの化学兵器も元はと言えば対イスラエルの為の「抑止力」だった事を考えると、それが内戦を契機に破棄されてしまったらどうなるのか? 西側帝国主義国家群に支援された反政府勢力が暴れ続け、イスラエルもさらなる軍事的圧迫を強めるのは必定だろう。シリアの化学兵器廃棄は決して平和にはつながらないのではないか。

そればかりか、まだ一主権国家として健在であるアサド政権下シリアに対する「経済再建国際会議」とやらが韓国で開かれるという。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2013/11/11/0900000000AJP20131111001000882.HTML
シリア経済再建に向けた国際会議 来月ソウルで開催

記事を御覧になればお分かりの通り、これは欧米のひも付きであるシリア反政府勢力の会議であり、早い話がアサド政権を転覆してシリアをイラクやリビアのようにしようという侵略者側の「戦後利権配分会議」という事だ。もうすでにアサド政権を倒したつもりでいる所が、連中の傲慢さと強欲さをよく表わしていよう。しかも会議は「韓国政府の主導」だという。朴正煕がベトナム戦争でアメリカの侵略行為に手を貸して「ベトナム特需」という経済的利得に与ったように、今はその娘が欧米のシリア侵略に手を貸して「シリア特需(?)」というおこぼれに与ろうと皮算用している。
他国で起こっている侵略戦争を舞台に南北が対立。
今のシリア情勢とは朝鮮半島の立場からすると「第2のベトナム戦争」状態なのである。

今の韓国という国は他の「先進国」と同様、「国益」の為に海外紛争地域へ軍隊を派遣して資源の強奪や自国企業の経済侵略をサポートする、といった路線へ露骨に舵を切っている。そうした点では日本と全く変わらない。むしろ、戦後の日本と韓国の悪しき癒着・共犯関係が最高潮に達した「日韓2013年体制」の中で、双方が緊密に連携し合ってそれを推進していくだろう。これからの「日韓新時代」「日韓友好」とは、日本と韓国がいずれも(もちろんいずれもアメリカの傘下にある訳だが)露骨な第3世界への軍事的・経済的侵略を進めていくようになるという意味で解釈する必要がある。今後の「日韓友好・日韓新時代」とは安田浩一や河信基やサザンオールスターズのようなペテン師達が喧伝している「両国の若者が(韓流ドラマなど)互いの文化を楽しむ」平和的なものでは決してなく、極めて恐ろしい世の中になるのだから。

その後、案の定というか南はシリアへの化学兵器査察団に参加すると言い出した。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2013/11/12/0300000000AJP20131112002700882.HTML
北朝鮮との関係究明へ シリア査察団への参加要請=韓国

南北朝鮮はシリアを舞台に「第2のベトナム戦争」に突入しつつある。朴槿恵に南北関係を改善しようとする意思、全く見られず。仮に金正恩の訪中が年内になされても、今の情勢では南北の和解には直接つながるまい。朝鮮半島の平和に必要なのは「北朝鮮の肯定的変化」などではなく、「韓米日の肯定的変化」なのである。


一方、韓国で今回のような会議が開催されるのは、南北朝鮮の統一問題にとってどのような意味を持っているのだろうか。これは今の韓国のニューライト政権や財界がどのような「統一ビジョン」を持っているかという事の発露でもあろう。
これは筆者の個人的な見立てなのだが、南のニューライトや財閥・大企業群にとって理想的な「統一像」というのを要約すると、「北のオイシイ部分だけちょうだいして、後は知らない」という事なのではなかろうか。「北のオイシイ部分」とは具体的に言うと、豊富な地下資源や低廉な労働力といったものだ。要するに、北が大地震後のハイチのようになってくれたら、あるいは極端な話をすると軍事的手段でも良いから政権崩壊させて無政府状態に陥ってくれたらいいという希望的観測である。
ハイチでは大地震で混乱した隙を突いて米軍が大々的に入り込み、事実上の占領下に置いてしまった。そこへ国連などから出る活動費目当てに世界中の人権NGO(早い話、伊勢崎賢治みたいな連中)などが入り込んで、この国を食い物にした。だがそれ以上にハイチにはアメリカの大企業が入り込んで新自由主義政策とセットの工場を建て、困窮する現地人を安い給料でこき使って儲けるようになる。これを差配したのがビル・クリントン元大統領や国連事務総長の潘基文だった。
なお、大型台風で甚大な被害に遭ったフィリッピンでは早くも米海兵隊が入り込んでおり、日本も自衛隊を派遣したくてたまらない様子だ。下手したらフィリッピンもハイチのように…。

日本や韓国でよく耳にするのが「南が北を吸収する形での統一が望ましい」という発言で、最近では日韓いずれも右派左派問わずにこうした無神経な妄言を吐く者が少なくない。だが仮に戦争によらぬ「南による吸収統一」であっても現実的には不可能、と言うか南のニューライト政権や財閥達は望んでいないだろう。と言うのも、そうなったら北の民衆を南が「食わせる」事になるからだ。教育や医療などの福祉政策を責任持ってやらねばならない。それでなくとも南の連中は北の事を貧乏で飢えていると馬鹿にしきってきたが、そんな「お荷物」である北の貧乏な民衆を抱え込むような形の統一を南のニューライト政権や財閥がしたがるだろうか。朴槿恵ら韓国のニューライト為政者というのは、南の民衆の福祉すらケチって切り捨てて(朴槿恵は選挙の時に掲げた美辞麗句の福祉公約を、最近になってことごとく反故にした)、その社会的富をことごとく財閥や大企業にだけ独占させてきた。「北の貧乏人ども」の面倒を見るような統一など、連中にしてみればあまりにも割に合わないのである。

だが、北に埋蔵されている地下資源や安い労働力だけは欲しい。そうなると理想的なのは、北の今の政権が崩壊して政治的混乱状態にありながらも、国家そのものは何とか形ばかりでも維持されているという状態だろう。つまり大地震後のハイチのようになれば現地人の面倒という厄介な事は進駐した国連軍(もちろんそうなったら韓国軍や自衛隊もこの中に編入されるだろうが)がやってくれる。そこへ南の企業が入り込んで工場建てるなり、鉱山を押さえるなりしてオイシイ所だけは全部ちょうだいする…。というのが南の皮算用ではないか。もちろんそのような事も簡単には行かない。仮に北が混乱状態に陥ったとしても、その時は米・中・露など大国達の争奪戦になるだろうし、そこへ韓国の入り込む余地がどれだけあるかは不明である。
しかしそれでも朴槿恵政権下でシリアを早くも経済侵略したり北への軍事的圧力を加える為の会議が開かれたり、事務総長就任後は反北朝鮮的な態度を繰り返し、その方面ではハイチで「実績」のある潘基文が次期韓国大統領立候補に色気満々(野党の民主党もこの男を候補に担ごうという動きがある)という事情を考えると、単なる杞憂では済まない気がしてならない。

加えて今の南ではやたらと「北に埋蔵されてる地下資源はすごい」という類の話がクローズアップされている。それも財界だけでなく、平和統一運動の陣営からもだ。北朝鮮地域に鉄鉱やレアメタルなどが豊富なのは、日帝植民地時代に収奪の対象となってきた事からも明らかな事実であり、以前であればさして気にもしない当たり前の話だった。だが、現在のように欧米先進国が石油や金・ウランなどの資源目当てでひどい侵略戦争を「人道主義」の口実で大々的に行っている資源強奪的国際情勢を考えれば、今やたらと南が北の地下資源の事を取り上げるのは不純な下心があるのではないかと疑わずにいられない。「茂山の鉄鉱山はじめとする北の地下資源は民族共有の財産」という美名の下に、「だから北の独裁政権がそれを持っていても国民生活の足しにならないから、南が乗り出すべきだ。このままでは中国に持って行かれる」と堂々と主張する者が今の韓国ではやたらと出現しているのである。それもデイリーNKや朝鮮日報のような反共・反北の極右勢力だけではなく、進歩派や統一運動勢力の中からもだ。中でもプレシアンに載った以下の記事は典型で、最低の極致だと思う。

http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=10130506110347
「誰が北朝鮮に投資するのか」大統領発言、本当にそうか?(韓国語記事 以下に一部翻訳抜粋)

過去の数多くの前例と状況に照らし合わせてみると、特に北朝鮮は「自然資源の呪い(自然資源の豊富な国が、そうでない国に比べて低い成長率と貧困率に陥る現象:訳注)」に引っ掛かるのにぴったりな国だ。貧困の落とし穴に掛かっているばかりか、地球上で最も民主主義とかけ離れた国で、為政者達は政権維持に汲々としているからだ。

北朝鮮が自然資源の呪いに引っ掛かる事は我々にも決して望ましくない。数多くの資源富国がそうであるように北朝鮮の独裁政権が強固化し、北朝鮮住民の生活は引き続き悲惨になり、民主化の展望も暗くなるからだ。そうなれば統一も遠ざかり、南北の緊張は続いて我々も莫大な代価を支払わねばならない。

その為に、北朝鮮が自然資源の呪いに陥らないよう我々が助けてやらねばならない。自然資源の呪いを直視しながら南と北が額を寄せ合わせて虚心坦懐に対話すれば、天恵の北朝鮮自然資源を南北の経済成長と南北国民の全般的生活水準向上の為に使う方案を設けるのはいくらでも可能だ。こうした点で朴槿恵政権が大乗的次元で開城工団問題の決着をつけ、我らの先祖が伝えてくれた貴重な自然資源を南北共同で開発する為の足がかりを設けるのにより一層努力を傾ける事を望む。


この記事で言われているのは「統一」ではなく、他国の地下資源をよだれを垂らして虎視眈々と狙う略奪者の浅ましい姿だ。「北は独裁体制で資源を活用出来ないから、南が助けてやるんだ」というのは、欧米日の帝国主義国家がアフリカ・南米・アジアの国々を侵略する時の「人道的大義名分」と何の違いもない。アメリカやフランスや日本などが「アフリカや南米や朝鮮半島は野蛮で民度が低いから、我々が文明を高めてやるんだ」と言って侵略を正当化したのとどこが違うのか。南(韓国)は「同じ民族だから」という事を理由にしているだけ、余計タチが悪いだろう。
「北に地下資源を持たせても独裁体制の維持に使われるから、南がそうならないよう助けてやらねばならない」
「このままでは北の資源は中国に全部取られる」
という言い草こそ真の平和的統一とはかけ離れたものである。北の天然資源をこれまで守って維持してきたのは他ならぬ北の人々だ。それを経済成長に活用出来なかったのは、厳しい経済制裁や軍事的圧迫を課せられていたからではなかったのか。南こそ日本やアメリカと一緒になって北に軍事的・経済的圧迫を加えてきた当事者である。そうした事を無視し、「民族の財産」という美名を悪用して、あたかも北の資源を南のもののように言うのは傲慢の極みであろう。
地下資源であれ何であれ、
「北のものは北の人々のものだ」
と言う事こそ真に民族の平和的統一と和解の精神に適うのである。

北のオイシイ所だけ欲しいなどという身勝手な「統一」がどこにあるものか! それは今の南の進歩勢力と統一運動もまた堕落した状況にある事を意味している。一昔前であれば、「北朝鮮同胞のものは北朝鮮同胞のものに」と李泳禧(리영희 リ・ヨンヒ1929-2010)のような人物が主張していたものだが。それが今は「北のものはいずれ南のものだ」とは、何という道徳的堕落かと思う。

そのような姿勢は、韓国極右勢力の総結晶体(結集体)とも言うべき朴槿恵政権を補完し、民族の分断を促進する結果にしかならない。今のハイチに押し付けられたような経済収奪体制を今後シリアや北に適用する事こそ、韓国ニューライトや財閥の思い描く理想図である。これこそ民族の永遠な分断と対立をもたらす。
南の朴槿恵政権がシリア侵略に加担する事は、南北の関係や平和統一にも甚大な悪影響と拭いきれぬ汚点を与える愚行なのである。
真に平和統一と民族の和解を願う同胞ならば、シリア問題でとるべき姿勢がどういうものかは明白ではないか。ベトナムであれシリアであれ、他民族・他国家の侵略と分断に加担してその生き血をすするような真似は絶対に許されない。

金正恩12月に公式訪中か?

朝鮮民主主義人民共和国の金正恩第一委員長が来月(12月)に飛行機に乗って訪中する可能性が高いとのニュ-スが入って来た。YTNの金承在(김승재 キム・スンジェ)記者ががプレシアンでたった今単独スクープとして報じたばかり。

http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=10131113234445&section=05&t1=n
金正恩、来月飛行機に乗って公式中国訪問(韓国語記事)

金正恩訪中は今年の夏頃から言われてきた話で、先月末から双方の外務省高官が相互訪問したのはその事前準備と言われてきた。あり得る話ではあるが、まだ何とも言えない。一応の参考にはしていただきたいと思う。

とは言え、こうした動きがある度に「北朝鮮の肯定的変化を期待」という文言を付け加える悪い癖は何とかならんものか。日本でも南でも自分らの態度(敵視政策)は何も変えず問題にもしないくせに、相手の態度変化ばかりを期待するのはあまりに一方的というものだろう。最近、羅先とロシアのハッサンをつなぐ鉄道事業に韓国企業が「迂回融資」で参加するのが黙認され、新たに南北対話の雰囲気が醸成されつつあるという。それでも南や日本の態度と考えが改まらないと、結局はそこから先へ進めずどうにもならない。南や日本こそ硬直した考えを捨てて「行動対行動」の原則に従うべきだろう。

【再掲記事】金明秀という男について

以下の記事は某言論封殺魔の圧力で閉鎖された旧ブログに2012年1月10日に載せた、金明秀批判である。金明秀という男は一見在日同胞の人権などを擁護する振りしておきながら、結論として悪質な日本人(野間易通その他)に媚びるという、どこからどう見ても辛淑玉や梁英姫らと同じ系統の現代版親日派というのが明らかだ(なのに親日派扱いされると腹を立てるハンパなとこが笑える)。同胞を食い物にするのをシノギにしているどうしようもない奴で、最近の「東京大行進」のような在特会絡みの社会現象が目立つようになってからは、その傾向がますます酷くなっている。この男のツイッターなど見ていると信じ難い暴言や妄言が連発されており、それをいわゆる「反ヘイトスピーチ運動」界隈の人間達(日本人・在日問わず)が悪用している現状を考え、過去の消された批判記事を再掲する事にした。
この男は在日朝鮮人が歩んで来た苦難と闘争の歴史を軽んじて冒涜し、「反日的」な同胞を「共和国ナショナリズム」と切り捨てる。まさに日本の国家体制が朝鮮人に一貫して押し付けてきた同化圧力そのものだ。2002年の小泉訪朝以後、さらに北朝鮮の悪魔化と在日への差別・抑圧政策が悪化した日本で、抵抗する在日を「共和国ナショナリズム」と罵倒し、一方で「朝鮮学校は日本の役に立っている」として、日本という「お国」の役に立つ事がこれからの朝鮮人の生きる道であるかのように説く金明秀という男。この男の本質は日帝時代の親日派と何ら変わる所はない。独立運動を検挙する為にスパイとして送り込まれた密偵にこういう人間がたくさんいたものだ。くれぐれも騙されないように、という事は同胞の皆に警告しておきたい。一方で金明秀を支持したり応援したりしている連中をたどって行けば、同胞社会に害をなすロクデナシ(日本人・在日問わず)どもが芋づる式に色分け出来るので、そういう意味では「便利」な存在ではあろうが…。


・金明秀という男について(初出2012.01.10 筆者の旧ブログ記事)

関西学院大学教授の金明秀という男は在日の参政権問題や民族差別問題で色々と発言を行い、宮台真司の歴史的無知を曝け出した妄言を批判したりしたのは、まあ良いと思う。が、金明秀のこれまでの発言には今一つ民族としての緊迫感というか切迫感というものがあまり感じられず、どれも机上の空論的という印象を筆者は拭い切れなかった。在日でありながら、日本社会が自分達に加えている民族差別や抑圧政策といったものを自分の体で感じていないよそよそしさというか、脳天気さというか…。とにかく訳分んない奴だと、筆者はこれまで思って来た。
大した著書がある訳でもない有象無象の小物学者なので問題にする必要もなかったのだが、さすがに人権協会の発行物にこのような発言が載った事は見過ごせない。

http://han.org/blog/2011/07/post-154.html
リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題

この記事の問題点については「日朝国交「正常化」と植民地支配責任」のブログが重要な点をおおむね批判しておられるので、筆者が付け加える事はあまりない。ただ、この発言とその問題点のおかげで、金明秀について筆者がこれまで抱いていた曖昧な印象が晴れた気がした。要するに金明秀という男は「卑屈な人間」という事である。朝鮮学校の無償化を勝ち取るにあたって「「平等」や「人権」といった近代の市民的規範によって抵抗することはもはやむずかし」いから「あなたたちの役に立っているのでいじめないでください」と日本社会に「哀願」せよというのだから。金明秀の言わんとする事はまさに、同胞達にアンクル・トムになれと呼びかけているに等しい。日本人にペコペコする朝鮮人・韓国人になれと、どう考えてもそのようにしか解釈出来ないではないか。逆だろう。日帝時代の清算もしていない日本こそこちらに頭下げろや、と主張すべきなのである。
そもそも、在日は「日本社会の役に立つ」事を目的に「生かされて」いるのではない。日帝植民地時代に強制連行や生活苦の為にやむなく日本に来た我々がどうして「日本社会の役に立つ」事を目的に生きねばならないのか。「日本社会の役に立つ」事などというのは、在日が生活していくうちにいわば「副産物」としてもたらされるものに過ぎず、それを我々の「基本的人権」と引き換えにするなどとんでもない話だ。

金明秀はよくネット右翼から攻撃されているし、自身も片山さつきのような極右政治家を度々批判している。だが金明秀の言い草では、ネット右翼や片山さつきのような完全に頭の狂った差別主義者(狂い過ぎているので実際にはその影響力にも限度がある)は一応批判出来ても、より巧妙で悪質な差別主義者や抑圧者に対する反撃・反論にはとてもならないだろう。「日本社会の役に立つ」「理想的な隣人」論というのは、外国人を安い使い捨ての労働者として扱いたがっている経団連のような組織にとってはむしろ望む所だからだ。例えば坂中英徳(脱北者帰国運動)のような男はそうした経団連的移民論の宣伝役みたいな人間だが、金明秀の言い草はこれと極めてナイスマッチで親和性が高いのである。坂中と金明秀のいずれも「反日」としてネット右翼から叩かれている点が共通している事に注目されたい。ネット右翼に攻撃されているからといって、必ずしもその人物とその言動が在日の基本的人権や利益に合致するとは限らない好例である。

それに「自営業のノウハウと知識と人脈を持ち、ベンチャー起業のリスクを果敢にとりにいける人材を、朝鮮学校は大量供給しているともいえる。国家の庇護に頼らない自由で不羈の企業人を朝鮮学校は輩出してきたとも表現しうる」という「在日は大企業に就職出来なかったから自分で事業を起こして優れた企業人を輩出した論」は辺真一の言う「強者としての在日」そのものだ。そうした歪んだ民族的優越感が在特会に言質を与えたという事に全く気付いてない。こうした点から分るのは、金明秀は辺真一の劣化コピーでもあったという事だ。

朝鮮学校無償化を適用させたければ日本人にペコペコしろという言い草、似たようなセリフは日帝時代の親日派どもも当時しきりに言ったものである。「内鮮一体、朝鮮人は天皇陛下の恩義に報いるべく忠良なる皇国臣民としてその命を帝国に捧げるべし」という民族の裏切り者達の扇動でどれだけ多くの朝鮮人が抑圧され、戦争に駆り出されて侵略戦争に加担させられた事か。金明秀の「朝鮮学校は日本の国益につながっている」という発言を見た時、筆者はかつての親日派が朝鮮人の若者を学徒動員する為にやった扇動を連想して寒気がした。今はまさに、日本が自衛隊PKO海外派兵を乱発し、韓国・アメリカと共に対北朝鮮戦共同軍事訓練という軍事挑発行動(延坪島事件の原因になったやつね。どう見ても憲法9条違反ではないのか)を堂々と行い、武器輸出3原則を事実上無原則化した現状においてである。これら日本の軍事行動もまた俗に「日本の国益」の為と言われるではないか。朝鮮学校にこうした「日本の国益」に奉仕せよと? 金明秀は自分が何を言っているのかも、かつての親日派の言い草と自分のそれがほとんどダブっている事も分かっていないのではないか。日頃在日の人権や日本社会における民族差別問題をしたり顔で語っているくせに、こういう重い歴史を何一つ知らない。筆者がこの男に抱いていた、差別や人権抑圧を自分の体(はおろか、実際には頭・知識でも)で分かっていないという印象はやはり正しかったようだ。いや、実際にはもっとひどかった訳だが…。

最後に日帝植民地時代の親日派が行った典型的な親日扇動発言を実例として挙げておくので、金明秀の現在の発言と比較されたい。当時日帝の手先になって植民地統治や日本の侵略戦争に協力した連中はこういう事を言っていたのである。これは盧基南(로기남 1902-1984)という韓国天主教会(カトリック)大司教の発言だ(ただし韓国では日本と違ってこの宗教的役職をカトリック・プロテスタントのいずれも「主教」と呼ぶ。ここでは日本式に分かり易く「司教」とする)。盧基南は韓国カトリックの大物神父として布教や教勢拡大に大きな貢献を果たし「盧基南なしには韓国のカトリックはあり得ない」とまで言われたほどである。が、しかし…盧基南は当時日帝の植民地統治に多大な協力をした親日派としても知られ、創氏改名・神社参拝・皇民化教育・学徒動員・戦費募金活動・軍需用金属拠出運動・戦闘機献納運動などに天主教会を挙げて協力させた。また、大戦末期には朝鮮戦時宗教報国会という朝鮮総督府の御用団体に代表委員として就任してもいる。2008年に韓国の民族問題研究所が発表した親日人名事典収録者名簿には、カトリック界の親日派代表7人の筆頭格として記載された。盧基南は当時の創氏改名では「岡本鐵治(おかもと・かねはる)」という日本名を名乗っている。
この盧基南大司教(当時京城教区長)が教団機関紙に書いた文章は以下の通り。筆者は盧基南はじめとする当時の朝鮮宗教界の親日アジビラを読んだり翻訳すると血圧が上がるのを禁じ得ないが、読者達もこれを読んで絶対に興奮は禁物である(笑)。

大詔奉戴と教区長就任に際して

国家非常時局にあたって上より恐れ多くも大詔まで奉じる事となったこの時、無功無徳なる不肖の身が敢えて京城教区長兼平壤・春川両教区管理者に就任する事を恐縮してやまぬが、計り知れぬ天主の深奥なる按配にただ服従して我が一身を犠牲にすると同時に、あらゆる聖職者達と教兄姉妹達が一致協力して我を助けてくれる事を信じて疑わぬ。
熱心なる信者が忠良なる国民であるという事は本職がすでに以前より深く感じてきた所であり、今や国家が大東亜戦局に突入し、恐れ多くも大詔を奉じてわずか一月余りのうちに天主より本教区の牧杖(司教杖)をパリ外邦伝教会より不詳の手に移された事を考えれば、現今国家と教会の時局において天主の神々しき意は何であり、本職に付与された責任が何かは自ずと明らかとなる所だ。そしてその責任はあらゆる聖職者達に分担され、またあらゆる教兄姉妹達にも分担されるであろう事は言うまでもない。
我らは国難を突破せねばならない。我らは今や我が手で我が教会を維持し、維持するばかりか発展させねばならない。この為に我らは何よりも熱心なるカトリック者となり、忠良なる皇国臣民とならねばならない。多くの熱心なる信者と忠良なる国民は自己の責任遂行に心血を注ぎ、その責任が重大なものであれば己の生命までも惜しむ事なく犠牲にする。現今国家の時局はそのような国民を要求し、現今国家の情勢はこのような信者を要求する。我ら全員が熱心なるカトリック者として、国家に対する責任にこのような態度で挑めば、これよりさらに良き宗教報国はあり得ぬ。我ら全員が誠に教会維持と発展に臨めば克服出来ぬ困難はあろうはずもない。
上に述べた二つの大いなる責任を実行するにおいて、本職はとりたてて新たな実践事項を指示する事はない。ただ無言服従と一致協力、この二つを極力勧奨するのみにて、これは実に悠久なる皇国2600余年の歴史が歩み、カトリック約2000年の年輪を統一させる偉大なる原理だ。国家の時局を突破すべく行政当局より指示する所は絶対に信頼し、無言服従せよ。誰よりも当局が、前後情勢とそれに対して国民が歩むべき道を最も良く知るが故に、例え若干難しく不便であろうとも、公然たる批判や恨嘆をせず一致協力して無言服従せよ。そうしてあらゆる信者は模範国民となり、あらゆる教友村達は模範部落たれ。教会の維持と発展に対しても教会長上を信頼し、その指示する所に無言服従・一致協力すべきであり、教会長上を使徒・聖ピエトロと看做して服従し、互いに一つの心・意志にて堅固に結合して行く事はキリストの真の弟子となる確実な表号である。
最後にパリ外邦伝教会と特に元司教(元亨根 ウォン・ヒョングン 当時朝鮮に布教に来ていたフランス人司教ラリボ(Larribeau)の朝鮮名 訳注)より賜った恩恵に感謝してやまず、再び目を上げて天に向かい、我が半島天主教会の守護(主保)たる無原罪懐胎(無染始胎)聖母マリアと我が福者達と殉教した先祖達の加護を祈ってやまない。

昭和17年 天主降誕1942年1月18日 京城教区教区長
平壤春川教区管理者 パウロ岡本鐵治

訳 ZED
「京郷雑誌」943号 1942年2月号より

読んでお分かりの通り、盧基南は信徒達に「忠良なる皇国臣民」として国家に「無言服従」で「宗教報国」せよ、とアジっているのである。金明秀の「日本社会の役に立つ」「朝鮮学校は日本の国益につながっている」発言と何と見事に一致する事か!

韓国において「高木正雄(朴正熙の創氏改名時の名前)」は後に大統領となり、「岡本鐵治」は後に大司教となった。金明秀は後に何になるつもりなのか。

なお、韓国の民族問題研究所と親日人名事典編纂委員会は「親日派」の概念を「日本帝国主義の国権侵奪・植民地統治・侵略戦争に積極加担する事で、我が民族または他民族に身体的・物理的・精神的被害を与えた者」としている。「我が民族」だけではなく「他民族」にも害を与えた者としている点がポイントだ。日本の侵略戦争に加担して他国に危害を加えた者も「親日派」と規定している。これが後の韓国ベトナム戦争参戦や、国連事務総長・潘基文の下でPKO派兵が繰り返されている現状に対して問い掛ける部分は大きいだろう。
日本の右翼や軍事優先主義者達がこぞって親日人名事典を攻撃して来たのは、これが韓国内の民族反逆者を裁くだけでなく、まさに自分達日本の犯罪と恥部を明らかにする行為でもあったからだ。

韓国統合進歩党問題や昔の佐高の発言など雑記的な記事

1)
韓国で統合進歩党の解散審判請求が出され、朴槿恵政権の反共独裁回帰志向がますます露骨になりつつある。朴槿恵のやり方というのは親父の手法をずっと側で見て学んできた訳で、維新政権のデッドコピーそのものであり、それ以外の政治手法を知らない。大統領選挙で国情院はおろか軍までもが不当に介入していた事が判明して大問題になっているが、それだけ朴槿恵というのは韓国の極右・保守派・分断勢力が総結集して今の韓国の政治体制(南北分断体制、狂信的な反共・反北思想、新自由主義経済体制、財閥による富の独占など)を不動なものにしようと手段を選ばず「準備された大統領」という事だ。また、韓国のこうした政治体制というのは国際政治の側面から言うと「アメリカの傘下における日本との同盟」と密接不可分というか、それなしには維持し得ない。故に朴槿恵政権の本質は韓国の歴代政権中でもトップクラスの親日・親米政権である。何度も指摘してきたが、最近の相次ぐ韓米日合同軍事訓練や、「日本の植民地支配が立ち遅れた朝鮮を近代化してくれた。植民地支配は正しかった」と主張する植民地近代化論者を国史編纂委員長に据えるなどの事例がこれを雄弁に語っていよう。朝鮮の海に倭奴(왜놈 ウェノム)の軍艦が土足で入り込むなどとても信じられない話だ。朴槿恵がいかに表向き「やまぬ対日批判」をしようと、そんなものは全て大嘘の八百長である。
「日本の一部の指導者は謝罪する気もなく、元(従軍)慰安婦を侮辱し続けている。(安倍首相と)会談しない方がましだ」
だって? その慰安婦を「強制動員ではなく、自発的な海外就業のようなもの」と侮辱している学者を自国の国史編纂委員長に取り立てた奴が何を言っているのか。
何度でも指摘しておくが、今の「日韓対立」は全て大嘘の八百長プロレス・無気力相撲である。韓国も日本も表向き歴史問題で対立を装い、実際にはどちらも自国で侵略戦争・植民地支配正当化の動きを仲良く急ピッチかつ強権的に進めているのが実態だ。韓国と日本は「首脳会談が出来ない」ほど険悪なのではなく、「首脳会談をするまでもない」ほど気心の知れた関係なのである。間違えてはいけない。今「日韓対立」を口にする者は全員嘘つきのペテン師か、何も知らない馬鹿と見て間違いない。日本のマスコミが朴槿恵政権下で行なわれている韓米日合同訓練の親密さや、国史編纂委員長人事をはじめとする韓国の親日派復権の動きなどを何一つ報道しないのはどういう意味を持っているのか。それを真っ先に考えねばならない。
朴槿恵の顔は今も昔も変わらず、同族の北ではなく、日本とアメリカの方だけを向いている。


2)
統合進歩党の問題に話を戻すと、同党をここまで追い込んだのは保守派以上に、同じ野党や進歩派マスコミの罪が大きいと思う。他の野党である民主党や正義党は今になって今回の解散請求を「民主主義への脅威」などと言って非難しているが、だったらなぜ李石基議員の逮捕案に同意したのかという事だ。あれに反対していれば事態はここまで行かなかっただろう。日本であまり知られていない当時の状況を説明すると、あの時は進歩党以外の野党とほぼ全ての進歩派マスコミ(例外は民衆の声くらいか)が集団リンチ状態で逮捕案に賛成した。それもそのはずで、民主党も正義党も内心では進歩党が潰れてくれた方が都合が良かったからである。
民主党はセヌリ党との馴れ合い政治(日本で言うと55年体制下の自民党と社会党みたいなもん)を進めるのにうるさ型の進歩党が邪魔で仕方がない上に、とばっちりで「従北」のレッテルを貼られるのが何よりも嫌だった。民主党代表の金ハンギルの当時の発言にそれが明確に表れている。
正義党の方はと言うと、ここは元々進歩党から分裂して出来た所帯なのだが、分裂する時に所属議員のほとんどが「セルフ除名(比例当選者は自分から脱党したら議員辞職しなければならないが、党から除名された場合は議員職が維持される制度を悪用し、自分で自分を除名した)」という違法手段に訴えて出て行ったという弱点を持っていた。これで古巣の進歩党と裁判になっており、これで負けたら正義党の議員は選挙区当選の1人を除いて全員議席を失う事になる。しかも裁判は正義党の方が分が悪いともっぱらの話だ。正義党にとっては「自分らの議席がなくなるか、進歩党が潰れるか」の二者択一しかない訳で、民主党の場合以上に進歩党が潰れてくれないと困るのである。
民主党と正義党が、進歩党への攻撃や李石基逮捕に同意してきたのはまさに「陣営論理・党利党略」そのものであり、「大韓民国の憲法価値や民主主義」とは何の関係もない。連中が今になって慌てているのは所詮ポーズであり、本気で進歩党の解散に反対はしていないだろう。朴槿恵の「日本批判」とおんなじで。むしろ今回の件を、「カタブツで融通が利かなくてウザくて目障りな進歩党」を排除する為の「奇貨」とすら考えているはずだ。
ハンギョレ・オーマイニュース・京郷新聞・プレシアンのいわゆる進歩派4大メディア「ハン・京・オ・プ」の偏向報道もこれら野党に劣らずひどい。2012年4月の総選挙後からこれらは「朝・中・東」の保守派3大メディアと一緒になって進歩党を「アカ・北の手先」だとバッシングの大合唱を繰り返し、解散請求が出された今になって慌てて「民主主義の危機」などと騒いでいる。これは盧武鉉が自殺した時と全く同じで、あの時も不正献金疑惑で保守派のマスコミから盧武鉉は連日叩かれた。が、この時はハンギョレはじめとする進歩派マスコミも盧武鉉の事を連日悪魔のように攻撃し続けたのである。オーマイニュースに至っては所属する市民記者が盧武鉉を擁護する記事を投稿しても、編集部権限で難癖を付けて没にしたり、その記者がある程度キャリアがあったり知名度の高い人の場合はやむを得ず載せたものの、それを目立たない所に配置して読者の目に触れ難くするなどの姑息な手段を繰り返したほどだった。盧武鉉もまたかつては民主化運動の人権派弁護士であり、ハンギョレには少なからぬ出資やカンパをしてきたのだが、それが後年になって自分を自殺に追い込むようなバッシングキャンペーンをしようとは夢にも思わなかったろう。韓国進歩派言論達の度を超したバッシングが大きな原因になって盧武鉉が自殺してしまうと、連中はどうしたか? 今度は手の平返すように盧武鉉の事を「不世出の英雄」のように追慕する記事を載せ始めたのだ。今更そんな事したって遅いんだよ! 生きてる時に「批判的支持・応援」をせずにどうするのか? 盧武鉉の側近で、後の大統領選で朴槿恵と争った文在寅も「朝・中・東から攻撃されても(いつもの事だから)対して痛痒はなかったが、ハンギョレなどの進歩派メディアから不当に攻撃されたのは本当にこたえた」というような話を後に語っている。
進歩党が解散させられそうな状況にまで事態が進んでから「ハン・京・オ・プ」が慌てふためいているのは、盧武鉉の時の過ちから何も学んでいない事を意味する。韓国進歩言論のこうした病理は本当に深刻で、こうした体質を改善・克服出来なければ未来はない。
日本のリベラル・左派の腐敗・堕落振りは非常に深刻だが、韓国のそれもまた負けていない所が問題だろう。


3)
山本太郎の天皇直訴問題で色々と世間は騒がしいようだ。中には「天皇の人権を考えろ」などとトンチンカンな事を言い出す者もいる始末。
「天皇の人権」だって? そんなん初めて聞いたわ!
天皇に人権などあるのか。これについては、今よりももう少しまともだった頃の佐高信が良い事を言っていた。いつだったか、皇太子妃雅子に対してバッシング報道があった頃に、確か週刊金曜日のコラムで以下のような事を言っていたと思う。
「彼ら(天皇や皇太子夫妻など)が持っているのは『人権』ではなく『特権』なのだ」
まさにその通りだろう。天皇や皇太子らこそ日本最高の特権の所持者ではないか。これは馬鹿なネット右翼や在特会が言っている「在日特権」などという嘘ではなく、本当の意味での特権そのものだ。それを天皇は依然として持ち続けている。
「下々の皆さん(by 麻生太郎)」のちっぽけな「人権」などよりも、天皇ははるかに強大な特権を持っているのだから。人権と特権は相反するものであり、両立は出来ない。特権者が人権など元より必要としないのは当たり前の事である。もし本当に「天皇の人権を考えろ」というならば、まずは天皇の特権を剥奪して「下々の皆さん」になってもらった上でしか成立しない。天皇が大きな特権を保持し続ける事も天皇制の重要な要素の一つなのだから。
「天皇の人権」をどうこう言う連中は、天皇支持者の中ですら、天皇制の本質を理解してないかなりレベルの低い連中という事である。「天皇の人権うんぬん」を言う者というのは誰一人として「天皇が特権者」である事に気付いてない「アホ」なのだ。さらに言えば、こうした天皇制の本質を理解せずに「陛下の御心」「天皇陛下はありがたい」と盲従する「アホ」が多数いるおかげで、天皇制は千代に八千代に安泰だという逆理もまた天皇制の大きな特徴である。

プロフィール

性別:
非公開

ブログ内検索

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

フリーエリア