日帝植民地時代の朝鮮に朴重陽(박중양 パッ・チュンヤン 1872-1959 創氏改名時の日本名 朴忠重陽 ほおちゅう・しげよう)という大物親日派がいた。この男の犯した反民族行為の数々は列挙しきれないほどたくさんあり、その中の一つとして3.1独立運動の弾圧協力が挙げられる。この時朴重陽は他の親日派仲間とつるんで「自制団(または自制会)」という親日御用団体を結成、3.1運動のデモ参加者を解散させて自宅に帰らせたり、甚だしくは実際に暴力を振るってのデモ鎮圧や、総督府へのチクリ行為などでさんざん3.1運動を妨害するのに「手柄」を立てた。で、こうした3.1運動弾圧の「論功行賞」として朴重陽らには総督府から勲三等瑞宝章が贈られ、さらに植民地時代末期の1945年には天皇の勅任によって朴は貴族院議員にまで選任されている。日本や天皇の犬になって「一死御奉公(by朴正熙)」すればこうしたご褒美が与えられるという、飴と鞭による植民地政策の真髄というのを垣間見る事が出来るだろう。
ちなみに朴重陽は日本留学時代に伊藤博文の所に出入りして学問を学んだ、すなわち伊藤博文の弟子だったという事実も付け加えておきたい。この事実だけでこの男がどれだけ悪逆無道な民族反逆者だったか分かるだろう。伊藤博文は朴重陽の他にも女スパイとして有名な裵貞子(배정자 ペ・ジョンジャ1870-1951 伊藤が命名した日本名 田山貞子)など、朝鮮侵略の手先となる親日派を手ずから何人も育て上げていた、恐ろしく極悪かつ狡猾な帝国主義者である。
また、似たような例で厳昌燮(엄창섭 オム・チャンソプ1890-? 創氏改名時の日本名 武永憲樹)という朝鮮総督府の高級官僚がいた。この男もまた職業的親日派として朝鮮人青年の勤労奉仕や学徒動員など率先して扇動し、さらには親日派仲間の孫永穆(손영목 ソン・ヨンモッ1888-1950)や朴春琴(박춘금 パッ・チュングム1891-1973)らと組んで大和同盟という親日団体を結成して侵略戦争協力を積極的に行ってもいる。厳昌燮はこうした活動のおかげで1935年に「施政(植民地化)25周年記念」の表彰対象者となり、1942年には従四位勲三等を授与された。何よりも総督府の朝鮮人官僚で局長にまでなれた者は厳昌燮含めてたった2人しかおらず、この男の「一死御奉公」ぶりがどれだけ徹底していたか、もらったご褒美の数々で十分に想像がつくだろう。
このように植民地時代の朝鮮では、日本の植民地統治や侵略戦争に率先して協力した者には「ご褒美」を与えて手懐けるという事が行われた。もちろんこれは植民地朝鮮だけではなく、世界中どこの植民地でも帝国主義国家が共通して使ってきた手口である。
そしてこれは8.15敗戦後の日本でも在日朝鮮人に対して一貫して行われてきた政策でもあるという事を知っておかねばならない。日本国家は在日に戦後も一貫して差別・抑圧・同化政策で対してきたが、その反面日本の国家体制に様々な形で「恭順の意」を示した者には、色々な形での「ご褒美」が与えられるのである。
http://watashinim.exblog.jp/11250737/
在日朝鮮人という存在は、朝鮮学校無償化排除問題に端的に見られるように、他の外国人と比べてもそれ固有の露骨な差別を受けつつも、一旦日本の「支配」の枠組みを肯定しさえすれば、日本人に準じた地位という「特権」が与えられる。名誉日本人の地位を得た(得ようと努める)在日朝鮮人は、日本人に対して、「自分たちは朝鮮人への差別意識はない」という意識を満足してあげると同時に、日本社会が外国人(労働者)への差別意識・排外意識を持っていないということを示すためのモデル外国人たる役割を果たしている。また、同時に、それらの在日朝鮮人は、「反日的」「民族主義的」な在日朝鮮人への違和感を表明することで、差別批判や民族的権利の尊重を要求する主張を周辺的なものとしてくれるのである。実際、マスコミ界隈の朝鮮学校出身の人物は、朝鮮学校や朝鮮総連について露悪的に語り、日本人の歓心を得ようとする人が多い。
在日朝鮮人は、そのような日本人内部の「空気」を読むことに長けている。私は、そのような「空気」を認識しているからこそ、そのような「空気」を破壊しようと努めているのだが、大多数のマスコミ内の在日朝鮮人は、「空気」を読んでひたすらモデル在日朝鮮人役を務めるのである。
先日少し取り上げた梁英姫のように、特定秘密保護法反対運動にかこつけて「日本人になりたい」とまで言って「日本への愛情・愛国心」をこれ見よがしに表明するのは典型的パターンと言って良い(梁英姫の反北朝鮮映画「かぞくのくに」がわざわざ上映期間を延長されたり賞を受賞出来たのも、同じ「日本人として恥ぢざるだけの精神と気迫とを以って一死御奉公」という文脈で理解出来よう)。知っての通り梁英姫や辛淑玉・高英起らには、石丸次郎&アジアプレスや鈴木邦男&一水会といった悪質日本人とその組織体がバックについてる。すなわちこの連中は悪質日本人に育てられた親日派だ。これは朴重陽や裵貞子らが伊藤博文に育てられ、その御威光を振りかざして活動し、出世した植民地時代の構図と何一つ変わらない。つまり…
伊藤博文曰く
「わしが育てた、朴重陽や裵貞子」
石丸次郎&鈴木邦男曰く
「わしが育てた、梁英姫・辛淑玉・高英起」
誠の方じゃない桜井(笑)曰く
「わしが育てた、頭の足りない『日韓仲良くしようぜ』派韓国人学生」
という事だ。
直近でこれに当てはまる実に気持ち悪い例があった。
https://twitter.com/cafe_more/status/456611444096643074
2013年の全国高等学校演劇大会で、朝鮮学校から日本学校に編入した在日朝鮮人学生を描いた演劇「ROCK U!」が全国最優秀の文部科学大臣賞(!)に選ばれたことを知った。作者は在日朝鮮人で、自身の体験をもとにしているそうだ。
講評によると、差別体験から日本人に対する不信をもつ編入生ミレは「殻」に閉じこもる存在として描かれ、まわりを「受け入れる努力」をするソナは対照的に民族にこだわらず自分らしく生きる存在として描かれる。様々な衝突を経て最終的にミレは「私だって好きで朝鮮人なんじゃない」と「殻を破る」。
民族にこだわらず朝鮮高校(同胞コミュニティ)という「狭い世界」から日本学校という「広い社会」に飛び出すという設定は日本社会でもウケがよさそうだけど、はからずも在日朝鮮人青年が民族的主体性を奪われゆく過程を描いてしまっているとしたら。
http://koenkyo.org/memorial/2013/2013_kohyo.html#07
この演劇とやらがどのようなものか見た事はない。が、見るまでもないだろう。上記ツイッターでも書かれているように、在日の民族的主体性が奪われて自主的に日本人に同化していくだけの物語に過ぎないのだから。「民族にこだわらず朝鮮高校(同胞コミュニティ)という「狭い世界」から日本学校という「広い社会」に飛び出すという設定」とはまさに日本政府や文部科学省が泣いて喜びそうな演目そのものである。おまけに「私だって好きで朝鮮人なんじゃない」とか、民族性を捨ててすっかり日本人化した上で日本社会に飛び出せと言っている訳だろう。日帝時代にも「日本人になれなければ殺してくれ」とまで叫んで総督府に重用された李永根(리영근 リ・ヨングン 1910~? 創氏改名時の日本名 河本龍雄または上田龍男)という激烈親日派がいたのだが、このどうしようもない演劇はまさに李永根の亡霊が現代に甦ったかのようだ。しかもまだ若い在日の高校生がだ。日本の民族差別と同化を推し進める国家的政策と同調圧力の毒がどれだけ強烈か、この事例でよく分かるだろう。この劇の作者のようにこんな若い時分で、かつて「内鮮一体」を強烈に叫んだ朴重陽や李永根のごとき模範的帝国臣民となって、日本の国家体制に簡単に同調してしまう、その恐ろしさには戦慄を覚え、同時に激しい怒りを感じる。
そして、だからこそこの演劇が全国最優秀の文部科学大臣賞に選ばれたのである。この受賞は、3.1運動を弾圧した朴重陽や侵略戦争に積極協力した厳昌燮に「ご褒美」として爵位や高位職や勲章が与えられたのと、本質的には何一つ違わない。朝鮮人同胞の同化を肯定して民族性を貶めると同時に、「日本人に対して、「自分たちは朝鮮人への差別意識はない」という意識を満足してあげると同時に、日本社会が外国人(労働者)への差別意識・排外意識を持っていないということを示すためのモデル外国人たる役割」を「一死御奉公」して十分に果たせばこうした「ご褒美」で報いられる。そうでなければ、あらゆる抑圧・弾圧が待っている。この演劇に文部科学大臣賞を与えたという「日帝のご褒美」は、こうした現実を恐ろしいほど明確に例示してくれたものだ。
初代朝鮮総督・寺内正毅が赴任早々朝鮮の民衆に言い放った「服従か死か」というセリフを、日本政府は今も変わらず在日に突きつけている事を忘れてはならないだろう。今の在日朝鮮人が立っている場所は依然として「朝鮮独立への隘路」にあり、民族の独立は成っていない。
독립은 아직 성공하지 않았다
独立尚未成功
独立いまだ成らず
※
ちなみに最新号(2014.04.24号)の週刊文春にはこんな記事があった。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3881
週刊文春4月24日号
「反日活動は進学のため」と仰天告白
「尊敬する人物は伊藤博文」 韓国名門大学生「ホンネ座談会」
韓国の「反日」を誹謗する為に書かれた記事だろうが、あながち完全なヤラセ・捏造記事でもないだろう。向こうの名門大学生といっても、政治家や高級官僚への道が当初から約束されているごく限られた特権層の子弟達であれば「反日活動は進学のため」「尊敬する人物は伊藤博文」というのが本心であっても何の不思議もないというか、当たり前。大統領はじめとして韓国の与党には親日派の後裔(血縁的のみならず思想的にも)が腐るほどいるので、むしろそんな当たり前の事を何で文春は今更「嫌韓」のネタに取り上げるのか不思議なくらいだ。植民地解放後も一人として親日派が処罰されなかったどころか、それらが引き続き権力や富を握り続け、逆に独立運動家は社会的に抑圧・冷遇されたのが「韓半島唯一の合法政府にして、自由・民主・人権の大韓民国」なのだから。韓国では高位特権層ほど親日派ばっかり。朴忠重陽や高木正雄の小型亡霊ばかりである。
改めて言う。今の「日韓対立」など全くの嘘だ。韓国ほどの親日共和国はアジアに存在しない。
南もまた依然として日本やアメリカに従属したままであり、真に独立などしていないという事を認識しておかねばならない。
例の気持ち悪いデモを計画している「日韓仲よくしようぜ会」という、これまた気持ち悪さ限界な名称の会の会長をしている桜井信栄という男について少し。
この男は韓国の南ソウル大学で日本語を教えているのだが、少なくとも2013年の5月頃からソウルの光化門広場で反在特会デモをやってたらしい。一人で。よくこんなキモイ事を、それも韓国で平然と出来るその歴史的無知と恥知らずぶりと悪質さには全く恐れ入る。
http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=nsuniversity&logNo=204789621&redirect=Dlog&widgetTypeCall=true
上記ブログは南ソウル大学の学生が書いたものらしいが、ここでは「在特会が韓国人と在日を嫌いになった理由」として「韓国が経済成長して日本に迫ったり、韓流の人気で、日本の保守極右勢力は韓国がねたましくなったさらに『在日特権』の噂で反韓が強くなったから(要約)」と説明している。元より本国(南北問わず)の人間は日本や在日の実情を知らない者が圧倒的に多いのは確かだが、このブログを書いた学生のようにここまで歴史と国際情勢に無知になった者を見ると本当に嘆かわしくなる。在日に対する差別は8.15解放後も一貫して続いて来た事であり、別に近年の韓国の経済発展とさほど関係はない。また、日本の対朝鮮敵視政策とも切り離せない問題なのだが、その事についても全く知らないようだ。
つまりこの、誠の方じゃない桜井(笑)は自分の学校で、歴史や日本の情勢に無知なこういう韓国人をせっせと育てている訳だ。率直に言ってこれは、信栄の方じゃない桜井(笑)が日本でやってる事と同等かそれ以上に問題が大きいのではないか。日本という国のひどい差別主義や戦後保障・謝罪の拒否といった実態を隠蔽し、「日本にはこんなに良心勢力ががんばっているんですよ」というありもしない幻想を南に広める。それに騙される若者が「日韓和解」「仲良くしようぜ」を叫ぶようになる訳だ。以下の講義資料(PDF)を見ても分かるように、この誠の方じゃない桜井は「日本の健全な市民意識」「日本にも戦っている人々がいるのを知ってくれ」というように、とにかく自分ら「良識派(しばき隊など)」はクリーンだという事だけを韓国へ広めるのに必死こいている。
http://twitdoc.com/upload/sakurainobuhide/hyu-20130503.pdf
実際にこのブログ記事によれば、誠の方じゃない桜井のデモを見て「日本にも目覚めた人がいるんだ」と認識を新たにしてしまった者がいるのだという。これでは従軍慰安婦や強制連行被害者への謝罪・補償・救済はますます軽んじられるようにになり、韓日の安保・軍事協力はますます強固になっていくばかりだろう。
信栄の方じゃない桜井は「在日特権」というデマを日本で広め
誠の方じゃない桜井は「日本の良心勢力が差別に反対してるんだ」「朝鮮半島と日本の歴史的・政治的問題と民族差別は関係ない」というデマを韓国で広める。
このダブル桜井はどちらも韓日双方の地でありもしない悪質なデマを垂れ流し続けているのである。両者は対立する立場ではなく、結果的に日本の民族差別をひどくさせ、日韓民衆の歴史・情勢認識を誤らせる為の「最強差別主義者タッグ」として見なければならない。
聞けば、誠の方じゃない桜井は韓国で「日本を批判する日本人」などと言われているそうだ。これは誤りである。この男は「日本を批判」など全くしておらず、単に在特会を悪役に仕立てる事で日本と自分を美化しているだけだ。どこにでもいる「日本を美化する日本人」に過ぎない。要するに「美しい誤解(by 伊勢崎賢治)」をされている訳で、誠の方じゃない桜井にとってもこれは非常にオイシイからそのままにしているのだろう。憲法9条にせよ、反在特会活動にせよ、本当に日本と日本人は「美しい誤解」を悪用するのが好きではないか。
二人の桜井が
流したデマで築かれる
美しい誤解
美しい国
この「桜井ブラザーズ」が共に手を取り合って行き着く先とはそういう事である。
我々のような朝鮮人・韓国人にとって答は一つだ。
信栄の方じゃない桜井も
誠の方じゃない桜井も
両方叩き出せ!
という事しかあり得ないのである。
自衛隊を丸腰で海外派兵すれば世界は平和になる、という何度考えてもさっぱり意味が理解出来ない珍妙な理論をあちこちで言いふらしている、東京外語大の伊勢崎賢治教授。
筆者は最近こんなしょーもない奴の事はすっかり忘れていたのだが、久しぶりにこの男のインタビューを目にして驚いてしまった。何と言うか、もう開き直って行き着くとこまで行っちゃったなと、この男がそれでも今まで目立たないようにしていた凶暴な「戦争屋」としての本性を隠す必要もなくなったんだなと、そんな事がよく理解出来る。まあ、以下の神奈川新聞の記事を読んでほしい。これははっきり言って、読めば即身成仏間違いなしの凄絶さである。「犠牲者を出す覚悟はあるか」って、ここまで来ちゃうと旧日本軍の特攻隊とどこが違うんだって話だろう。そんなに非武装で紛争地域に入って「国際貢献」の犠牲になりたいんなら、てめえが一人でいけ。身勝手な「国際貢献(その実態は日米の国益)」の為に、関係ない民衆に「犠牲」を押し付けるな。伊勢崎という男は大日本帝国の大本営並みに身勝手なクズであろう。
http://www.kanaloco.jp/article/69095/cms_id/73812
平和の創り方 伊勢崎賢治さん「犠牲者を出す覚悟はあるか」
このインタビューで目を引く「伊勢崎語録」を以下に抜粋。
「(武器輸出解禁について)実のところ、あまり気にしていません」
「僕は9条そのものを信じてはいない。9条のおかげで平和だというが、そんなのうそ。9条を押しつけてきた米国が守ってくれているから平和だったにすぎない。その現実を直視したくないから、そう思い込もうとしている」
「外交的に使えるから(9条を)守れと言ってるんです。これだけの経済大国で戦争をしないし、政府開発援助(ODA)も出す。そういうイメージをつくってきたから成功した。ただ、9条のことは海外ではあまり知られてない。誤解しちゃいけないのは、そのイメージは9条のおかげではないということです」
「日本を守ってくれていた米国は元気がなくなっている。それを認識すべきです。2001年から続くアフガン戦争は米国建国以来最長の戦争です。経済は疲弊し、米国は今年中にアフガンから撤退する意向です。平和を引き続き享受したいと思うなら、日米両国の利益になる9条を大切にしていかなければならない」
「9条がつくりだした日本の体臭というものがある。9条の下で暮らしてきて好戦性というものがない。戦火に生きる人々はそれを敏感に感じ取るのです」
「そういう意味では、テロとの戦いにおいて日本も集団的自衛権を行使して参戦すべきだと思います」
要するに伊勢崎の主張というのは、とにかく何が何でも自衛隊を紛争地域に派兵しろという事、そして紛争地域の利権(地下資源や復興ビジネスなど)を食えという事、日本の武器輸出解禁なんて大した事ではないという事、伊勢崎は孫崎享並みの「押し付け憲法論者」であるという事、伊勢崎にとってはそんな米国押し付けの9条など実際に信じてもいない「その程度」の存在だという事、でも「その程度」の9条でも日本という国の「平和な体臭」を醸し出してくれる便利なツールだから徹底的に利用しつくせという事、そして何よりも「米国の利益」の為に9条を利用しろという事だ。
米国が勝手に戦争始めて、それで痛い目を見るのは自業自得だろう。むしろ米国はもっと痛い目にあった方が良いくらいだ。そんなアメリカの尻拭いの為に9条を大切にして活用しろだって? アメリカ様に御奉仕する為の憲法9条活用論かよ。日本の護憲派の腐敗堕落は確かにひどいものだが、それでも伊勢崎のようにここまで言い切った奴を見たのは初めてだわ! 本人曰く、最近の伊勢崎は護憲派の集会・講演などから声がかからなくなったらしいが、むしろ意外な感じがする。逆に伊勢崎は今後ますます日本の護憲派(マガジン9条、9条の会など)に重用されるようになるとばかり思っていたのだが。さすがに「9条そのものを信じてはいない」なんてあからさまに言う押し付け憲法論者にコケにされたのは我慢がならなかったのではないか。気付くのが遅過ぎるというか、日本の護憲派はこれまで一体何を見てきたのだと思う。もっとも今や伊勢崎だの佐藤優・孫崎享などの毒にすっかり染まりきった状態で、たかが伊勢崎一匹切った所で何の解決にもならないだろうし、全ては手遅れの感がある。
それでもまだ自分は護憲派として9条を守るんだ、日本の軍拡化に絶対反対するんだという意識があるなら、伊勢崎を徹底的に批判すべきだろう。過去に伊勢崎を礼賛したり持ち上げた事がある(これをやった者は左派や護憲派内に山ほどいる!)なら、それも十分に反省すべきである。伊勢崎賢治という戦争屋は、いっぱしの反戦平和主義者として自衛隊の海外派兵を断固許さない立場であるならば、完全否定してもなお余りある存在であると思う。もっともそれを今の護憲派に期待するのは、高嶺の花かもしれないが。
誤解のないように言っておくが、伊勢崎の主張とは
「とにかく何を差し置いても自衛隊海外派兵(どんなに平和的なPKOであっても文民は駄目。何でもいいからとにかく軍隊・軍人の派遣を!)」
「日本と日本人には平和国家という『美しい誤解』のイメージがある。これはオイシイから利用しない手はない(逆に言えば、戦後日本が朝鮮戦争やベトナム戦争その他の国際紛争へ積極的に加担して大きな経済的利益を得たり軍拡化に利用してきた歴史は、そうした「美しい誤解」をぶち壊すので黒歴史にするという事。実際に伊勢崎がこうした戦後日本の戦争加担事例について言及した試しは、筆者の知る限り見た事がない)」
「9条は道具だ(だって俺、9条なんて信じてないもん。その程度のもの)」
というもので、実は伊勢崎の考え方や目的・目標は今も昔も一貫して変わっていない。安倍晋三が「法も無視して力ずくでゴリ押し派兵」派なら、伊勢崎は「やるんなら法の抜け穴を利用してもっとうまく派兵せんかい」派という事だ。まともな反戦平和主義者なら激昂するか、その下劣なおぞましさに気分悪くなって逃げ出したくなるのが本当だろう。だが伊勢崎は、それでも大体2000年代頃までは露骨な表現を用いず、もっとソフトな語り口で護憲派や左派を自衛隊派兵容認へと誘導する手法をとっていた。今のように「9条そのものを信じてはいない。9条のおかげで平和だというが、そんなのうそ。9条を押しつけてきた米国が守ってくれているから平和だったにすぎない。その現実を直視したくないから、そう思い込もうとしている(この事自体は間違いではないが、海外派兵を追認・正当化する為に言うべき事ではない)」「日本も集団的自衛権を行使して参戦すべき」という極度に露骨な言い方は、表向き手控える傾向が強かったのである。それが変わったのは、やはり何と言っても2011年の3.11であろう。それまで戦後60年以上掛けて比較的ゆっくり進んで来た日本の右傾化と同等の事が、3.11以降はほんの1.2年で進行してしまったのだから。こういう情勢であれば、今までの糖衣に包むような慎重な言い方でまどろっこしく護憲派を海外派兵容認へと誘導する必要はない。あけすけに本音を語っても全然平気。むしろ、それでも海外派兵にアレルギーがあるような旧来の「護憲派」など切り捨てて全然OK、と思い至ったのではないか。それだけ最近の伊勢崎の発言は露骨であり、凄絶である。あまりのおぞましさに、人によっては正視に耐えないくらいだろう。
意外に指摘している者がいないのだが、3.11後の伊勢崎は原発問題でも酷過ぎる発言(本音)を繰り返している。まあ、見て欲しい。
https://twitter.com/isezakikenji/status/454195413881331712
ということで、国防の重要さを体感している人々、アメリカが始めて悲劇的な戦況になっているテロとの戦いを”闘う”人々と、9条の活用を語るために、柳澤協二さんたちと始めます。「自衛隊を活かす:21世紀の防衛と憲法を考える会」
2:53 - 2014年4月10日
https://twitter.com/isezakikenji/status/454191678526459904
とにかく、9条を活用するために、「護憲派」を切り捨てよう。新護憲派の立ち上げだー!(まだ、ハイが抜けない)
2:38 - 2014年4月10日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/doyou/CK2014021502000224.html
非武装日本に可能性 紛争に和解の種をまく 伊勢崎賢治さん(東京外語大教授)
「アメリカ陣営の一員として緊張感を保ちつつ、中国が「ちゃんとした超大国」になる道をともに考えよう」
「集団的自衛権の行使だ」
http://togetter.com/li/237610
伊勢崎賢治氏の原発事故関連ツイート抜粋
脱原発の議論って「武装解除」と似ている。つまり、武器が無くなることは良いに決まっているが、そのものが目的化して無闇にやると、パワーバランスを崩し逆に治安が悪化、多くの人が死ぬ。僕がやったアフガンは、そうなってしまった。どんな良い事にも、やる前に保障しなければならないことがある。
isezakikenji 2011-06-16 01:03:26
(え、伊勢崎って今までさんざん自分がアフガンの武装解除をしたって自慢してたくせに、実はそのせいで治安悪化して人がたくさん死んでたの? それって最悪の大失敗じぇねえか。そんなの自慢すんなよ。おまえは浅間山荘事件の手柄を誇張していつまでも自慢している佐々淳行か! 伊勢崎の言う「戦争を9条と非武装自衛隊で終わらせる」事などとても出来ないという事ですね! 少なくとも伊勢崎は自分の言ってる「戦争終結作業」がまるで実践出来てない事だけは確かだろう。あんた、何しにアフガンまで行った訳? 罪もない民間人の犠牲者ばっかり出しやがって。自分のやった紛争処理失敗を自分でゲロってりゃ世話はない。まあ「正直」な人間なんだろうが…)
脱原発がその実現のため保障しなければならないのは、まず化石燃料依存増大の回避。さもなくば、原油価格の高騰、国際レベルでの貧富の差は更に拡大。先進国の脱原発でアフリカ人が死ぬ。もう一つは「核の秩序」の崩壊の阻止。さもなくば、西側の脱原発が核保有破綻国家を更に孤立化、過激化させる。
isezakikenji 2011-06-16 01:04:33
(「先進国の脱原発でアフリカ人が死ぬ」って、原発推進派がよく言う「原発を止めたら弱者が死ぬ」と同じ言い草じゃないのか? はっきりしてるのは、伊勢崎はこういう屁理屈で原発を延命させようとしている隠れ原発推進派という事だろう)
子どもの安全を思う親の気持ち。無敵の正義である。でも、これが集団で増幅されると単なる狂気になる。
isezakikenji 2011-07-15 23:43:00
AERA記事、福島の子どもたちからの手紙:「ふつうの子供産めますか」。これが増幅すると優生思想になり、放射能より格段に多くの人を殺すことを、この時期に、どう子供達に伝えるか。
isezakikenji 2011-08-30 13:16:38
原発是非住民(国民)投票は、脱原発を目的にやるんじゃない。原発由来電力を使う都市住民が、原発事故の責任を原発誘致地元民に押し付けるような無責任な状況の出現を許さないため。今井一氏。あっぱれ。異論なし。
isezakikenji 2011-10-01 18:09:31
(伊勢崎は今井一の原発国民投票を支持していた。でも「脱原発を目的にやるんじゃない」というのは正直と言えば正直だが、それじゃかえって今井の足を引っ張るんじゃないの? 今井達はそうした本音を隠し、「脱原発が目的」のような幻想を振りまいて投票を実現に持って行きたかった訳だから。「無能な味方は敵より恐い」という格言は正しかった(笑)。それ以前に「原発由来電力を使う都市住民が、原発事故の責任を原発誘致地元民に押し付けるような無責任な状況の出現を許さないため」っていう伊勢崎の(今井の?)主張は全く意味不明)
http://www.magazine9.jp/other/isezaki/index6.php
住民参加による「復興」を 伊勢崎賢治さん
原発に近い地域については、援助を考えるよりも避難させるべきだという意見を持つ人もいるでしょう。僕自身もそこに住む人たちが、必ずしもとどまるほうがいい、とどまるべきだと思っているわけではありません。僕自身も住民だったら避難を考えるだろうし、放射能の影響が出やすい小さい子どもなどがいればなおさらです。ただ、そこで忘れたくないのは、危険性を十分に理解した上でも、そこに「とどまる」選択をする人は絶対にいるだろう、ということなのです。
僕がこう考えるのは、紛争の現場における「難民」の問題をいくつも見てきたからだと思います。紛争や内戦が起こると、国内避難民も含めて必ず周辺の国や地域に大量の難民が発生します。しかし、すべての人が難民となって避難しているのかといえば、そんなことはない。どんなに戦火が激しくなっても、死と隣り合わせで、そこにとどまる選択をする人たちが必ず存在する。僕は職業柄、そっちの方の人々が気になるし、気にしたいんです。
戦火の中に留まる選択をした人々の中には、安全を保障する政府が既に崩壊してしまっているので、自らを、そして家族を護る為に武器を持つという人も出てくるでしょう。それを考えると、もし福島で留まる選択をした人を支援するとしたら、個人個人が被爆線量をきめ細かく管理できる体制を整えることが、政府というより社会がやるべきことなのではないかと思います。具体的には、個人線量計の配布と、その使用の管理支援ということでしょうか。
繰り返しますが、これは別に放射能の危険の中で生活することを奨励するということでも、放射能の危険を過小評価するということでもないのです。戦火の中に留まる選択をした人に銃を託すのと同じ「悲壮感」で、日本人が福島県民に線量計を託すということなのです。この「悲壮感」が共有されないのなら、止めた方がいい。とにかく、東京電力と政府の責任を追及し、最大限の補償を「放射能難民」のために引き出す支援だけに徹した方がいい。
(福島で現に動いている「エートス」とかいう、放射能汚染地帯の中で線量計を持たせて生活させる、人体実験まがいの運動を伊勢崎は先取りしていた。何と機を見るに敏であろうか!)
http://www.kenpou-media.jp/modules/interview/index.php/53.html
「直言53」東京外語大教授 伊勢崎賢治さん
「国威高揚」のための自衛隊の派兵はやめることだ。これまではいわば、タカ派の自己満足のため、自衛隊の派兵の実績を積み上げるために、軍事的ニーズもないのに派兵をしてきた。アメリカにも石油戦略などいろいろと事情はあるだろうが、国威高揚のために兵は出さない。それを日本は続けてきた。イメージ戦略を壊すものだし、実益がない。
(戦後の日本は別に「国威発揚」などという曖昧な目的の為の派兵などしていない。南スーダンPKOなど石油目当てなのが露骨であるし、2003年イラク派兵の際にも川口順子・福田康夫・石破茂といった当時の閣僚らは「石油供給の安定」という「実益」の為とはっきり答弁している。日本は伊勢崎言う所の「実益」の為の派兵をとっくの昔に繰り返してきた。これまでの日本の派兵は「国威発揚」という下らない見栄張りの為だったが、これからの派兵は「国益」や「実益」になる良いものなんですよ、と伊勢崎は詭弁を弄したいのだろう。嘘を言うな!)
http://twitter.yfrog.com/z/kfc1kpaj
http://twitter.yfrog.com/z/ob3nnyej
「原発運動が『ファシズム』にならないうちに」。藤原書店 機 2012年4月号
初出〔学芸総合誌・季刊〕 環 vol.49 特集:3・11と私――東日本大震災で考えたこと
FUKUSHIMA後、放射能という新たな恐怖は、「平和を希求してきた」日本人社会に、新たなレジームを作りつつある。単純に、反原発か否かが、踏み絵になっている。それで人間の全人格が決まるような。かつて、九条護憲か否かがそうであったように。(略)
放射能への恐怖を源泉とする「排他性」は、「ならず者」への排他性と同質のものである。このことに気づいて欲しい。
反原発運動が「ファシズム」にならないうちに。
現実の3.11後の反原発運動は、放射能を恐れる側が排他的なファシズムになっているのではなく、全く逆に放射能の危険性を過小評価したり無視している側が政府の御用運動化して排他的ファシズムに走っている。がれき拡散問題を排除する反原連や、福島の人々に「現地で普通に暮らせ」と冷酷に言い放った原子力資料情報室が好例だろう。なのに、伊勢崎は放射能を恐がる側を「ファシズム」呼ばわりして非難する(そもそもここで言われている「ならず者(イランや北朝鮮)」に対する排他性と、放射能に対する恐怖心が同質だという伊勢崎の主張は何度読んでも意味不明)。前述のツイッター発言と続けて読めば分かり易いだろう。つまり子供の健康を心配する親のような当たり前の危機意識こそ「狂気」だ、「優生思想」だ、「ファシズム」だと。放射能を恐がる人々や原発事故の被害者で、国や電力会社に対して声を上げるような人々こそ、伊勢崎は排除したいだけなのである。「放射脳」という罵倒語を連発する反反原発派や放射能安全論者と、全く同じ位置に伊勢崎は立っているという事だ。
こういう人間が紛争地域に乗り込んで武装解除や和平工作をする? 戦火に虐げられてきた現地民衆が、伊勢崎にどれだけひどい仕打ちを受けるか容易に想像がつく。伊勢崎は、劣化ウラン弾に脅かされている人々に対しても「集団狂気」「優生思想」「ファシズム」と罵倒するのだろう。伊勢崎が紛争地域に赴任した場合、おそらく初代朝鮮総督・寺内正毅並みに人権意識が高くて、人道的で、平和主義的で、慈悲深い調停人であっただろう事は間違いないのではないか。総督に就任するやいなや「朝鮮人は日本統治に服従するか、死ぬか、どちらかを選ばねばならない」と言い放った寺内総督と互角な人権・平和意識の持ち主たる、ああ我らが伊勢崎教授(笑)! アフガンの武装解除と平和調停に大失敗して無辜の現地民衆を大量に死に追いやった伊勢崎教授に対し、敬意の念を込めて我々は次のような「尊称」を送ろうではありませんか!
・伊勢崎教授に捧げる尊称
「アフガンの寺内正毅」
冗談はともかく、こういう人間を重用してきた日本の護憲派とは重ね重ね何だったのかと思う。伊勢崎の発言を良く読めば誰でも気付きそうなものなのだが。
いずれにせよ伊勢崎賢治という男は、日本の軍拡化と海外派兵を推し進め、原発反対派や被爆を恐れる人々の排除の為に身を委ねている代表的人物という事だ。その為の手段として、自分が信じてもいなければ尊重もしていない憲法9条をふんだんに利用(悪用)だけはしろと解く。戦後も他国の戦争に積極的に加担して利益を得てきた日本の実態を隠す為に。最近話題になっている「憲法9条にノーベル平和賞を」とかいう気持ち悪すぎる運動は、伊勢崎にしてみればまさに我が意を得たりといった所ではないか。もしそんな事が実現したら、伊勢崎と安倍のどちらにとっても仕事が非常にやり易くなる事だけは間違いあるまい。オバマにノーベル賞をやるのと同じ事であり、戦争を抑止するどころか、ゴジラに放射能を与えるのと同じ大惨事になるだろう。
まだまだこの男の本性に気付かず警戒が足りない人々が多いようだが、はっきりと警告しておきたい。
伊勢崎賢治は日本の海外派兵・軍拡化を推し進め、それによる日本の「国益」をこそ狙っている。
伊勢崎賢治は日本の海外派兵と「平和国家という美しい誤解」を以って、アメリカの「国益」に奉仕する事をこそ狙っている。
伊勢崎賢治は反原発運動を潰し、放射能被爆を忌避する人々を貶めて社会的に排除する事をこそ狙っている。
のだと。
非常に奇怪な団体で麻薬追放国土浄化同盟というのがある。知る人ぞ知る山口組のフロント団体で、最近はホームページまで作って公開した。
http://zenkokumayakubokumetsudoumei.com/
麻薬追放国土浄化同盟
ヤクザの山口組が麻薬撲滅? もちろんこれには裏がある。この団体は元々1963年頃に山口組が関東進出を狙っていた際、「麻薬撲滅」の表看板を掲げる事で錦政会(稲川会の前身)や松葉会といった関東のヤクザ組織を牽制する目的で作られたものだった。ただヤクザの山口組だけがそんな事をしても世間の信用を得られないので、右翼の黒幕・田中清玄(共産党転向者)を通じて立教大総長だった松下正寿(統一協会&韓国ロビー政治家)、市川房枝(戦争協力者)、山岡荘八、福田恆存だのといった右派文化人らをオルグして取り込み、いかにも社会正義のようなツラを装ったのである。
だが問題はこの団体の本体である山口組と麻薬の関係はどうなんだという事だ。好例として、当時山口組の傘下組織には菅谷組(77年に組長が山口組本家から絶縁され、81年に解散。組織員達は他の山口組系列組織に吸収される)という有力組織があり、ここは一時期1000人以上の構成員を持つ山口組内でも最大勢力の組だった。菅谷組は資金力の豊富な組としても知られ、当時の警察資料では明確に「麻薬暴力団」と指定されていたのである。当然菅谷組がシャブ売って稼いだ金からかなりの額が、上部団体である山口組本家に上納される…。
そういう事なのだ。麻薬で一番稼いでいる山口組が「麻薬撲滅」なんてお笑い種でしかなく、これがいかに実の伴わない口先だけのものか理解出来よう。要するに関東進出という自分らのシノギの為に、社会正義の仮面を被って偽装したに過ぎない。いかにもヤクザらしい手口ではないか。こんなのに協力した右派文化人どもの下劣な本性もよく分かるというもの。
もうお分かりだろう。これと同じ事を3.11後にやってるのが、野間易通だの木野某だのミサオレッドウルフだのの反原連とか旧しばき隊(現・C.R.A.C)だという事が。野間達は日頃から在日に対する差別発言をさんざん繰り返している、在特会と何一つ変わらない悪質な極右民族差別主義者のくせに、「レイシストカウンター」と称していかにも自分らは差別に反対しているかのように「社会正義」を装う。そこへ親日派や反北朝鮮派の朝鮮人・韓国人(辛淑玉、高英起、梁英姫、李信恵、金明秀など)を取り込む事で、活動がまともであるかのように見せかける訳だ。自分らの活動には在日からもこんなに支持されているんだ、自分らが在日どもを守ってやってるんだ、と。山口組が市川房枝らを取り込む事で、自分らの麻薬撲滅運動はこんなにまともなんだ、と世間の目をごまかそうとした手口と何一つ違わない。
麻薬で一番儲けてる山口組が、「麻薬撲滅運動」の表看板を掲げる。
一番の民族差別主義者である野間易通一派が、「反差別」の表看板を掲げる。
山口組はそれをごまかす為に、松下正寿、市川房枝、山岡荘八、福田恆存ら右派文化人を取り込む。
野間一派はそれをごまかす為に、辛淑玉、高英起、梁英姫、李信恵、金明秀ら在日の悪質分子を取り込む。
山口組の本当の狙いは、関東進出という自分らの利権。
野間一派の本当の狙いは、売名という自分らの利権。
もちろん山口組のそうした正体を大きな声で語れば、暴力による威圧が待っている。
野間一派の活動体も「男組」と称する、ナチス突撃隊か黒龍会まがいの下品な暴力派を抱えている。往来で白昼堂々と刺青を見せびらかしては、反対派に威圧を与えているのだから。
社会正義を装うペテン師というのはいつの時代にも存在する。この手の連中は自分の汚い目的を隠す為に、ありとあらゆる手口を動員してそれをごまかし、正義の味方か救世主のようなツラを装っているに過ぎない。とりわけ3.11後という今のような「乱世」こそ、こうした詐欺師にとって一番オイシイ時代であり、大衆は騙され易いだろう。騙されない為には連中の言動を良く見る事だ。金魚のフンのようにまとわりついて正当化のお墨付きを与えてる文化人や親日派朝鮮人の「迷彩」に惑わされる事なく
麻薬で一番儲けてるヤクザの「麻薬撲滅」
一番酷い民族差別主義者の「反差別」
という矛盾をこそ直視するべきだろう。そんな難しい事ではないのだ。
「自衛隊よ待て」というムックが筆者の手元にある。92年のカンボジアPKOへ自衛隊派兵が行われた時、これに反対する市民運動グループ「アジア市民の会」が行った講演記録だ(発行は八月書館)。先日の記事で韓国のPKOについて少し言及したが、それとの絡みで当時の日本のカンボジア派兵に関する記録など改めて読み直していると、色々な意味で興味深い。自衛隊海外派兵の嚆矢となった、このカンボジアPKOに反対するのは良い。だが、この「自衛隊よ待て」に登場する講演者は色川大吉、ダグラス・ラミス、姜尚中、広瀬隆など、今見ると「うげっ、こいつらかよ」と言いたくなる顔ぶれで、後の都知事選で細川・小泉支持者とか、戦争になったら日本の為に戦うとか言ってる親日派韓国人とか、今にしてみると全くもってロクなメンツではない。しかしながら、当時のこの人達は日本の反原発運動や護憲平和運動などの世界でいっぱしの論者として知られ、学習会などでは引っ張りだこという、定番のメンツだったのだ。今考えるととても恐ろしい話で、現在ではこんな連中を呼ぶ反原発や護憲・反戦平和運動集会など時間と金の無駄以外の何者でもなかろう。若い人達には想像も出来ないだろうね…。そんな時代があったんです。
で、このムックを今再読してみると何かもう色々ひどいなと。何で当時はこういう重大な事を気にせずスルーしてたのかと、こんな講演や本を運動の論拠というかマニュアルみたいにしてたのかと、そういう後悔の念が湧き上がってくる。こういう発想で運動やってたら、そりゃ自衛隊を止める事などおぼつかないだろう。今や自衛隊は当たり前のようにバンバン海外派兵され、ジプチには自衛隊の海外基地まで作られる恐ろしい時代になった。それを許してしまう弱さというか甘さというのが、日本の護憲派や市民運動の中にはこの頃から存在しており、それは直るどころかますますひどくなっているというのが「自衛隊よ待て」を再読して強く感じられる。この重大な認識の間違いというのが、90年代以前から日本の護憲派や平和運動の中にはあったのだ。
この本には突っ込み所が山ほどあってネタ集としては事欠かないが、特にひどい一例としては色川大吉(2014都知事選では広瀬らと一緒に細川支持)が挙げられよう。この本で色川は自衛隊を解体して災害救助隊に改組しろと主張しており、それはまあいいだろうと思う。ところが自衛隊という軍隊をなくした後の自衛(色川はこの前に自分は戦争中の体験から「自衛」という言葉にアレルギーがあるとか言ってたくせに、その後もなぜか「自衛」という単語を平然と連発)をどうするかという点についてこんな事を言い出す。
自衛の方法は武力以外にもいくらでもあります。国際紛争を処理する道は軍事的に威圧を加えることだけじゃないんです。現に人類は新しい方法を考え出しています。国際的な経済封鎖というのもあたらしい方法です。
(同書22頁より)
同時に外国から武器を輸入し、権力を維持して紛争を続けようとする支配者があるならば、その国の抑圧された民衆に力を貸して、民衆の手でその専制者を退陣させることです。それが本当の国際支援ですね。
(同書22-23頁より)
「国際的な経済封鎖」(経済制裁)があるなどと言っているのだ。日本の自衛手段が経済制裁だって? これはつまり、どこぞの国が日本に攻めてきそう(脅威)だとみなした時はその国を経済制裁して国際的に封鎖し、それで戦争を防ぐという事だ。これを92年の自衛隊カンボジア派兵の切迫した情勢で、それも「護憲派」「日本の左派を代表する反天皇制論客」と言われた人間が堂々と主張していた事には、ある意味驚かされる。これって、21世紀の今ではそのまま実現しちゃってるじゃない。「外為法」とか「入港禁止法」とか、今の日本が朝鮮民主主義人民共和国に対してやってる経済制裁そのものだ。これらの法律が「事実上の有事法」である事を考えれば、色川大吉に代表される日本の護憲派や反戦平和運動はカンボジアPKOの時代からすでに、自衛隊を止めるどころか「事実上の有事法」を「国際紛争を処理する新しい方法」として提唱していた事になる。これでは自衛隊の海外派兵を止められず、後にほとんど容認するようになっても無理はないだろう。色川大吉が2014年の都知事選で細川護熙を支持するようになるのは何の不思議もない展開だった。
マリー・アントワネット
「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃなーい」
色川大吉
「自衛隊がなければ、経済制裁で国防すればいいじゃなーい」
自衛隊という軍隊の代わりに経済制裁を「国防」の手段とする、などまるでマリー・アントワネットみたい(?)な言い回しだが、奇しくもカンボジアPKOの92年の時点で、22年後の2004年に作られる改定外為法・入港禁止法の事を「予言」していた事になる。しかし「予言」と言っても、色川は「経済制裁による国防」を否定的なものではなく、「国際紛争を処理する為の、人類が考え出した新しい方法」として肯定的に、当然憲法9条とも矛盾しない理想的なやり方のように主張しているのだから。もちろん当時の朝日関係は今のような「準戦時状態」ではなく、この時点での色川も朝鮮の事を念頭にして「経済封鎖で紛争処理を」などと言っていたのではないだろう。だが、日本のような国が他国に経済制裁を行えば、それが戦争を防止するどころか軍事的緊張を高める結果になるのは当然ではないか。アメリカの核の傘に入って平和を謳歌している以上、日本が軍隊を持っていようといまいと経済制裁という手段はアメリカの戦争政策を補完する行為にしかならない。経済制裁という「平和的手段」が軍備の代わりになる、憲法9条の理念にも矛盾しない、というどうしようもない認識がこの頃から護憲派の頭をすでに占めていたという証左であろう。今現在、対朝制裁への反対が護憲派の中からも聞こえて来ず、むしろ積極的に支持しているというのは、少なくともカンボジアPKOの時代から日本の護憲派はそういう思考パターンだったと解すべきではないか。むしろ色川大吉こそ今の朝鮮への経済制裁の原型とも言うべきイメージとプランを、この頃から主張・提言していた。護憲派こそ20年以上も前から「戦時法」を先取りしていたのだ、と。
現実に色川の言うような「国際的な経済封鎖」が戦争を防止する役に立っただろうか?
役に立ってない!
それどころかそのような経済封鎖は、大国が気に入らない小国をいたぶって兵糧攻めする手段にしかなっておらず、制裁された国の民衆を困窮させるだけだった。そうして弱りきった所へ適当な言いがかりをつけて戦争、というパターンばかりではないか。イラクもリビアもシリアも全部そうだったろう。「国際的な経済封鎖」など大国の身勝手な侵略戦争をサポートする手段にしかなっていないのだ。そんなのをいかにも素晴らしい戦争抑止策のごとく主張する色川大吉は、この時すでにボケていたのではないかとさえ思える。
例外としては周辺の黒人政権国家に侵略を繰り返したアパルトヘイト時代の南アフリカがあろう。だが、南アへの経済制裁に世界で最も強く反対した「アジアの名誉白人国家」はどこの誰? 石原慎太郎などは当時の国会答弁で「その国にはその国の事情があるから」みたいな言い訳をして南アへの制裁に反対し続けたが、そんな石原は後に朝鮮への制裁に諸手を挙げて大賛成する。仮に経済制裁が色川の言うような「良い手段」だったとしても、それをまともに使うどころか、「国益」の為に一番悪用してきた国の一つが日本だったという事実を考える必要がある。アパルトヘイト時代の南アのようにある程度正当性のある経済制裁には決して賛成せず、朝鮮のように国際的な正当性も怪しく、戦時法としての危険な性格を有して憲法違反としか思えない制裁は強力推進という日本…。そうした現実すら頭になかったのが色川大吉の言う「経済封鎖で紛争処理論」だった。
「その国の抑圧された民衆に力を貸して、民衆の手でその専制者を退陣させることです。それが本当の国際支援ですね」という発言もすごい。これまた経済制裁と同じで、欧米先進国が世界中の第3世界で気に入らない政権を転覆する常套手段ではないか。すでに専守防衛ですらないという。イラク・リビア・シリア…。直近ではまさにウクライナがそうだったろう。同国では凶悪なネオナチ団体までもがアメリカの強力な支援を受けて、ああいう騒ぎを起こした。
これが紛争を平和的に処理する、人類が作り出した新しい手段なのだそうです! 憲法9条の精神にも合致しているのだそうです! 本当の国際支援なんだそうです! 「自衛」という言葉にアレルギーがある割には、その言葉を何の抵抗もなく連発する色川先生の掲げる「自衛理論」なんだそうです! 安倍晋三万歳を叫ぶ土井香苗のヒューマンライツウォッチなどが暗躍するのに先駆けること20数年、そんなに早い時期から「人権NGOによる第3世界諸国の政権転覆工作」を先取りしていた色川先生! これで日本の「自衛」は安泰だ!
…冗談はともかく、「護憲派」を称する連中ほど、憲法9条と憲法前文(われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する)との整合性をまるで考えてこなかった事は明白であろう。軍隊持ちません、戦争しません、でも戦争という手段でさえなければ他国の人々を恐怖と欠乏に陥れて生存権を害しても知ったこっちゃない、と。9条と前文が互いに連関し合ってその法の精神を形作るというものではなく、9条を守るという「表向きだけの平和国家」としての体面さえ繕えれば前文は無視しても構わないという御都合主義だろう。こりゃあ自衛隊が海外派兵しまくるようになるのは当たり前だし、どう見ても戦時法である対朝制裁に護憲派の誰一人として反対しないのは当たり前ではないか。
朝鮮への経済制裁に日本の護憲派が誰一人として反対しない。この下地はすでに90年代初頭、それもカンボジアPKOという切迫した情勢の頃からすでに存在していた。翼賛体制はすでにこの以前から続いて来たものであり、それがますます酷くなって今に至った。当時の資料を読み返して、そんな事を強く感じた次第である。
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