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韓国の極右ニューライトが早速「誠じゃない方の桜井」にラブコールを送り始めた

最近知ったのだが「温報 オンバオ」という韓国のニュースサイトがある。ここは中国の様々な情報を韓国に紹介するというふれこみで、いわば「華流」のホットニュースを韓国に伝えるという趣旨のメディアなのだろう。が、しかし…。
ここの紙面を実際に読んでみるとすごいものである。このニュースサイトは中国の芸能ネタだけでなく韓国の政治・社会ニュースも取り上げているのだが、その論調は極右そのもの。まさに骨の髄まで親米親日・反共反北という、韓国極右ニューライトの結晶体みたいな事ばかりが書かれている。例によって統合進歩党のような進歩政党や平和統一運動を「極左・アカ・従北」と攻撃し、先の旅客船沈没事故でも「極左勢力が騒ぎを起こしている」と扇動していた。もちろん遭難者を一人も救助出来なかった朴槿恵政権は全面擁護です! はっきり言って保守3大紙の「朝・中・東」より右寄りなんじゃないかというくらい凄絶な紙面である。中国芸能ニュースメディアの仮面を被った韓国極右勢力の発現と呼ぶに相応しい、実に訳の分からない奇怪なトンデモメディアであろう。ぜひ温報にはアジアプレスと業務提携し、日韓双方で互いのトンデモ北朝鮮報道を配信して欲しいものだ。

で、その紙面を色々と見ていたらさらにとんでもないものを見つけてしまった。例の「日韓仲よくしようぜ会」というキモさ爆発のトンデモ集団を率いる「誠じゃない方の桜井(笑)」こと桜井信栄を大絶賛するコラムが載っていたのである。このコラムははっきり言って読めば即身成仏間違いなしだろう。特にタイトルが凄絶だ。「日本人が好きです」だって。凄すぎ。

http://onbao.com/news.php?mode=view&num=40355
キム・ビョンムッコラム「日本人が好きです」

この執筆者のキム・ビョンムッというのは在中韓国人だそうで、温報の極右論調を最も体現しているような書き手と言って良い。統合進歩党攻撃に代表される従北魔女狩りはもちろん、朴槿恵への大絶賛など、読んでてめまいがしてくるような狂信的ニューライトである。
この桜井信栄を褒め称えたコラムは、もちろん全文翻訳など馬鹿馬鹿しくてやってられないので、目玉とも言うべき凄絶な部分だけ訳して以下に抜粋しておきたい。強調部分は訳者による。


桜井教授は「日本の右派内にも反韓デモに反対する人間がいる」として日本の中の一部の行動が日本人全体を代弁するかのように世論が偏る事に憂慮した。

桜井教授が光化門でピケデモをする理由は、ソウルを訪ねる日本人観光客を対象にしてもいるが、ソウル市民を対象に日本国民を代表してメッセージを伝達する為だ。

韓国と日本は自由民主主義の国だ。多様性を前提とした民主主義国家では、一部政治家が国民全体を代弁するのではない。実際に生活の中で接する大部分の日本人達は、過去における日本帝国主義の歴史的犯罪を恥ずかしがり、ただの一人もこれを正当化した日本人に会った事はない。

反韓デモをする少数の日本人もいるが、昨年2013年だけで51万人の日本人観光客が韓国を訪ねた。(中略)反韓デモに参加する100余名にに比べて数十万人の日本人が韓国に対して好感を…(中略)日本国内で韓流文化が広範囲に広がり…(中略)現在の日本の執権勢力が妄言を続けるのに反し、日本国民大衆の主流的世論は韓日両国の親善と友好的関係を望む。

桜井教授のピケデモが我々に伝えるメッセージは、日本人の主流的考えと世論を伝えたいという事だ。過去の日本帝国主義の侵略の歴史を反対するのと、日本人を敵対視する事は全く次元の違う事項だ。韓日両国の国民大衆は戦争よりも平和を望んで、対決よりも親善を望む。

日本国内の政治が極右に偏るほど、我々は平和と親善の原則を明らかにせねばならない。それでこそ日本国内でも一部極右政治家達が孤立して政治的影響力を失う事になるだろう。

昨年5月から毎週土曜日毎に弟子や日本人の知人らと共にピケデモを行ってきた桜井教授の勇気と真心に尊敬と感謝の拍手を送る。


お読みの通り、これを書いたキム・ビョンムッという者は極めて論理性のない支離滅裂な事ばかり言ってる上に、民主主義の本質も、日本の実情もまともに知らないアホだという事がよく分かる。「妄言」をするような極右政治家が日本では「一部」だとか言ってる時点で、こいつ馬鹿じゃねえのかという話だろう。自民党と民主党と維新を合わせりゃ議席いくつよ? それがほんの「一部」なのか? そんな事すら分からないアホが日本の事を語るべきではない。「日本国内の政治が極右に偏るほど、我々は平和と親善の原則を明らかにせねばならない」とか、要するに日本の政治家が歴史冒涜発言を繰り返したり集団的自衛権行使などの軍拡化を進めても、韓国は「平和と親善」だけ唱えて大人しくしていろ(가만히 있으라 by 沈没した旅客船歳月号の乗客案内放送)という事ではないか。要するにキム・ビョンムッは日本のやる事に抵抗するなと主張している訳だが、そんなの日本の「極右政治家達」が「孤立して政治的影響力を失う」どころか、ますます付け上がるだけじゃないのか? 韓国の立場は苦しくなるだけで、過去の歴史清算はますます遠ざかるばかりである。「韓国と日本は自由民主主義の国だ。多様性を前提とした民主主義国家では、一部政治家が国民全体を代弁するのではない」って言うが、その「一部政治家」を「民主的」な選挙で選んだのは日本の有権者なんだが。それに「韓日両国の親善と友好的関係」とやらを築く事と過去の歴史清算は必ずしもイコールではない。今までの日韓関係がそうだったように。「日本の執権勢力」が今までどれだけ歴史冒涜発言を繰り返しても韓日の国交が断絶する事はなかったろう。「韓流」芸能は大好きだけど在特会並みの民族差別主義者で「反日韓国大嫌い」という、「政芸分離」な韓流ミーハーなど日本にはいくらでもいる。そういう日本の民衆意識が妄言政治家を当選させるという事もまた「自由民主主義」の大きな特徴だ。この男(とそれに類する韓国ニューライト)の言う「日韓親善」とやらがどういう性質か良く分かるだろう。
が、このコラムは反面で桜井信栄がどういう姿勢で向こうの現地で活動しているかが、非常によく分かる貴重な証言でもある。この誠じゃない方の桜井は、我こそ「日本国民を代表」しているというのだから。「日本で在特会みたいなのはほんの一部であり、日本人は差別に反対している良心派が大部分だ。朝鮮半島と日本の歴史的・政治的問題と民族差別は関係ない」という、およそ現実とかけ離れた大嘘宣伝を韓国で必死になって広めている、そんなデマゴーグが韓国で「日本人の代表者」然して偉そうにのさばっているという事実を、他ならぬ韓国現地の馬鹿右翼が口をすべらせてバラしてしまったのだ。馬脚を現すとはまさにこの事であろう。ていうか「日本の中の一部の行動が日本人全体を代弁」するのではないなら、桜井信栄自身とて「日本国民を代表」するなどという事はあり得ないだろう。この男は何を以って自分が日本の代表などと豪言壮談(호언장담 大言壮語)しているのか? 

桜井信栄がこういう人間なのはさほど驚くにあたらない。仲良くしようぜ運動、すなわちこの男の親分格である野間易通は先日ツイッターで「糞チョソン人」という差別発言をして、他ならぬ「信栄じゃない方の桜井(笑)」にすら嘲笑されていた差別主義者なのだから。この者達が日本の大衆を欺いているのはもちろんだが、それ以上に韓国の人々を特に重点置いて詐欺にかけようとしているのは明らかだろう。その方が自らの目的、すなわち自身の差別性隠蔽や、日本の国家体制サポートといった自分らの御用運動をうまく運ぶのに都合が良いからだ。「日本とは歴史問題を抱える最たる反日国家・韓国が日本の『良識』を認めてくれた」という既成事実がそうした事を運ぶのに、どれだけ都合が良いか! 宮崎駿が「風立ちぬ」の公開に当たって韓国対策に死に物狂いになったのと同じである。そこに韓国側から手を差し伸べてきたのが今回の温報やキム・ビョンムッのような極右ニューライト・親日勢力という事だ。何しろ「日本人が好きです」だぜ? ここまでキモイ事を堂々と言い切った奴など初めて見たわ! 
いずれにせよ、野間易通・桜井信栄一派に対して韓国本国の極右・ニューライトがラブコールをはっきり宣言した、という事は明らかになった。予想されていた事だが、日本の「仲良くしようぜ運動」と韓国の極右ニューライトは極めて親和性が高い事がこれで実証されたのである。韓国と日本の一番悪質な層が手を結ぶという構図がここでも分かり易く再現された訳で、これまた19世紀末の朝鮮侵略時から続いてきた日韓癒着・共犯行為の一例でしかない。仲良くし続けてきたぜ!

こうした野間・桜井らの動きを単純に笑って済ませられないのは、日本で今進行しているある出来事の断片ともいうべき表出だからだ。日本は1937年に日中戦争を引き起こしてから、内鮮一体・皇国臣民化を名分に国民総力運動を始める。これは植民地朝鮮においては朝鮮人を戦争に引き込む為の意味を持っていた。2014年の今はどうだろう。武器輸出解禁、解釈改憲、集団的自衛権行使など戦争と軍拡化にひた走るのが今の日本だ。すでに度々報道されてきたように、韓国の朴槿恵政権は日本の集団的自衛権行使を容認する方針である。アメリカの言う通りに歴史問題を棚上げして、日本との安保協力を優先させてだ。朝鮮半島で戦争がもし起こったら、日本軍は集団的自衛権を行使して堂々と朝鮮半島に上陸・参戦する。「仲良く北朝鮮相手に戦争しようぜ」という事だ。野間や桜井(誠じゃない方)やキム・ビョンムッらの行為は、まさにそれを下支えして戦争に突っ走る現代版内鮮一体・皇国臣民化・国民総力運動そのものである。

野間が表向き「反ヘイトスピーチ」と言いつつ差別発言を繰り返す様は、当時の日本人が表向き「一視同仁」を口にしながら実際には朝鮮人を奴隷のように虐待して罵声を浴びせていたのと全く違わない。
誠じゃない方の桜井がやはり「反在特会」デモをしながら「あれは一部の馬鹿がやってるだけで、日本の大部分は良識派なんだ」「朝鮮半島と日本の歴史的・政治的問題と民族差別は関係ない」というデマを垂れ流し、歴史に無知な韓国の若者をたぶらかして洗脳している姿はどうか。敗戦前の修身教科書第五期にあった「十九 ニッポンノ国」の以下の句はあまりに有名だろう。

日本ヨイ 国、キヨイ 国。
世界ニ 一ツノ  神ノ 国。
日本 ヨイ 国、 強イ 国。
世界ニ カガヤク エライ 国。

この修身はもちろん植民地朝鮮の学校でも皇民化教育の重要なプログラムとして教えられた。特に戦争の雰囲気が強くなった時期、第3次朝鮮教育令が発布された1938-1941年からは授業時間が倍増し、最も優先度の高い教科とされている。この句も植民地朝鮮では上記の日本語で教えられていた。「日本ヨイ 国、キヨイ 国」と。桜井信栄が言ってる事も全く同じであり、今の韓国で次のように若者達に教えていると解釈出来よう。

日本ヨイ 国、キヨイ 国。
反韓デモニ 反対スル 神ノ 国。
日本 ヨイ 国、 強イ 国。
北朝鮮ヲ コラシメル エライ 国。

誠じゃない方の桜井がやってる「自称・反韓デモ反対運動」の正体は、現代版修身・皇民化教育を南朝鮮に再輸出しているという恥知らずなだけの行為だ。これは自分とこの中国人社員を靖国神社と遊就館に送り込んで「靖国に感動しました!」という状態にまで洗脳させる、ゴーゴーカレーの社長並みに恥知らずな所業であろう。これらはあの時代から何の反省も変化もない軍国主義日本人そのものの姿だ。
実を言うと、修身の教科書は最近韓国でも朝鮮語に訳されて刊行されている。もちろんこれは日本の植民地統治の実態を研究する為で、ニューライト勢力や日本極右勢力が主張する植民地近代化論・正当化論を打破する事が目的だ。そうした貴重な資料が刊行されているのだから、韓国の人々は昔の修身と全く同じ事を自分らに押し付けようとしている桜井信栄らの詐術に、一刻も早く気付かねばならない。それに同調する現代版親日派についてもだ。

かつての国民総力運動は中国との戦争の為だった。今また同じような「新・国民総力運動」が日帝から草の根レベルで押し付けられ、その矛先が北の同胞に向けられているのである。
日本と韓国は今でも内鮮一体のままだ。

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【翻訳記事】北朝鮮の親日派清算実態について

〈親日派は生きている 86〉
北朝鮮の親日派清算実態「北朝鮮の親日派清算、我々(南)よりもよくやった」
2013.04.15 00:01鄭雲鉉

解放後、親日派清算問題は南北朝鮮全ての時代的課題だった。先に言及したように、南では米軍政が親日派清算作業を反対した事で、米軍政3年間は手も付けられなかった。続いて出帆した李承晩政権は親日勢力を背に負っていたせいで、反民法(反民族行為処罰法。解放後の南で、植民地時代の親日派を処罰する為に1948年8月に制定された。訳者注)制定段階からして反対し、結局は反民特委(反民族行為特別調査委員会。1948年10月に構成された、反民法に基づいて親日派を調査・処罰する為の特別機関。訳者注)まで瓦解させた。ならば、北朝鮮政権は親日派清算を十分に行ったのか? 結論から一言先に言うなら、北朝鮮はその時それなりの清算作業を終えており、それによって以後親日派問題で国民的対立が惹起された事がない。

解放直後、北朝鮮は親日派清算を当面の課題と規定したが、これは社会主義国家建設の必須課題と認識した為だ。さらに北朝鮮に進駐したソ連軍政は南朝鮮の米軍政とは違い、親日派排除の原則下に反日勢力が権力中枢となる事を希望し、またこれを支援した。北朝鮮の親日派清算方式は南朝鮮とは違う方式を採用した。すなわち反民法制定や機構を作らず、社会主義国家建設過程で処理した。これは人民裁判のような社会主義特有の制度の為だとも言える。

北朝鮮で親日派清算問題が公式的に取り上げられたのは1945年9月、朝鮮労働党平南地区拡大委員会で採択された「綱領」からだ。「綱領」には日本帝国主義と親日的朝鮮人及び反動資本家が所有していた工場・鉱山・運輸などは没収して国有とし、これらの土地も没収すると規定した。これは物的清算を通じて土地改革の為の基本原則として提示したものだが、人的清算も自ずと随伴した。特に北朝鮮は親日派の範囲を先祖の遺産を相続した子孫まで含ませたが、この為に大多数の大物親日派とその子孫達は北朝鮮政権樹立後に越南した。

北朝鮮で親日派粛清作業は、北朝鮮政権誕生と共に本格始動された。1945年10月労働党創建時、親日派処断と日帝残滓清算問題が革命の戦略的課業として決定された。以後親日派清算は2段階に亘って進行されたが、解放後から1946年2月北朝鮮政権樹立までを第1期、1946年2月-1947年2月までを第2期に分ける事が出来る。正式な国家機構がなかった第1期の時には、地方で住民達が人民裁判を開いて親日派達を検挙したり、あるいはソ連軍隊に引き渡したりした。この過程でリンチが加えられた事例もときおりあった。

第2期は1946年11月から1947年2月まで進行された北朝鮮の市・道人民委員会委員選挙過程でだった。北朝鮮は選挙法第1章第1条で親日派排除を規定し、親日分子の選挙権を剥奪した。親日派は投票出来ない事は言うまでもなく、選挙人名簿に登録する事すら禁止させた。その対象は▲中枢院参議・顧問全員 ▲道会・府会議員全員 ▲総督府及び道責任者全員 ▲警察・検事局・裁判所責任者全員 ▲軍需業者 ▲親日団体指導者などだった。これらは選挙人名簿作成過程で身元が確認されたり、また親日前歴が明るみにされたりした。その結果1946年11月3日の選挙で575人の親日派が選挙権を剥奪されたが、当時北朝鮮政権は選挙を通じて親日派を色分けしようとする目的も持っていた。

北朝鮮は親日派清算の為に特別法を制定する代わり、既存刑法と人民刑法、そして1946年2月の北朝鮮臨時人民委員会決定第2号を法的根拠に据える。人民委員会決定第2号の場合、処断対象者として▲売国奴 ▲中枢院参議 ▲特高刑事とそれらの手先 ▲道会・府会議員 ▲警防団など親日団体幹部 ▲日帝統治機関勤務者 ▲その他などを選んだ。主に意識的・職業的に親日行為を行った人間達が大部分だが、官僚出身の場合は高等官以上を対象にした。(北朝鮮臨時人民委員会は1946年3月7日付で「親日派・民族反逆者に対する規定」を制定した)

これらの内、特に独立運動家を弾圧した者は許されず、また供出・徴用・徴兵・創氏改名に率先した人間達も大きく処罰された。対象者達は罪状によっていくつかの等級に分けて処理されたが、大物親日派達が大挙越南したせいで、比較的「ザコ」に属する親日団体関係者達が大部分だった。これと関連して平安南道(平壌市含む)道検察機関で全114件を処理したという証言がある。

北朝鮮の親日派清算作業は、解放直後から怒った民心の爆発によって自然発生的になされ始めた。一例として1945年9月に江原道の高城(8.15解放直後は全地域が北朝鮮管轄下に、朝鮮戦争後は約3分の2が南に編入。これは当初の38度線と朝鮮戦争後の軍事境界線の線引きが異なる為。訳者注)では民族反逆者11人に対して人民裁判が開かれて死刑が言い渡され、またこれを執行しようとした。また、近くの襄陽(8.15解放直後は全地域が北朝鮮管轄下に、朝鮮戦争後は全地域が南に編入。理由は上記の高城と同じ。訳者注)でも民族反逆者3人を人民裁判に付して5年と3年の教化刑を下しもした。1945年8月-1946年2月の間に北朝鮮の所々でこのような人民裁判が開かれたが、裁判で有罪を受けた人間達は大概ソ連軍に引き渡されてシベリアに送られた。

一方、北朝鮮政権樹立後の1947年以後に法と裁判機関が設立されて以降の親日派粛清作業は、国家次元でなされた。ただ、南朝鮮の反民特委のような特別機構は設置せずに人民裁判所と人民検察所でこれを担当した。有罪判決を受けた者達は大概1-2年の懲役暮らしをしたり、さもなければ3-5年の強制労役刑に処された。だが時には死刑宣告が下され、また実際に刑が執行された場合もあった。満州で憲兵補助員を務めた平安道出身のソン・グァンイッ、平壌兵器廠に勤務した仁川出身の韓国人監督などをはじめとして、特高刑事、憲兵補助員出身者の中で処刑された者が何人かいた。日帝時代に特高刑事部長出身の崔鈴(この人物は親日人名辞典にも名があり、越南逃亡した。訳者注)という者は欠席裁判で死刑判決を受けてもいる。

ただ、北朝鮮の親日派清算も完璧たりえなかった。まず政権草創期の高級人材不足が理由で、親日前歴者をたまに起用したりもした。代表的なものとして臨時人民委員会司法部長を歴任した張憲根は日帝時代に警視・参与官・中枢院参議を務め、初代内閣の司法相を務めた李承燁は大和塾に加入した前歴がある。また文化宣伝省副相を務めた趙一明(本名・趙斗元)も社会主義運動をしながらも転向して親日団体である大和塾に加入し、軍部人士の中で初代空軍司令官を務めた李活は日本陸軍航空隊出身だった。

この他にも北朝鮮政権は日帝時代の司法官僚出身者のうち一部人士を再起用し、特に技術者・科学者・医師などは大多数が再起用された。例えば機械工業部第1副部長を務めた金ヨンヒョンは咸鏡北道富寧所在の冶金工場支社長出身であり、後に副相(長官)を務める金チュンサムは鴨緑江水豊発電所の電力技術者だった。ただし北朝鮮政権樹立後に1級親日派は大多数が越南した為、日帝時代の高官出身者や悪質分子が高位職に抜擢される事はほぼなかったと言える。

北朝鮮はまた政府樹立後は制度的に親日派清算を持続的に推進した。1948年9月5日に採択された朝鮮民主主義人民共和国憲法第1章(基本原則)第5条では「重要産業について日本国家と日本人または親日分子が一切所有してきたものは国家所有」と規定し、第2条(公民の基本的権利及び義務)では「親日分子は選挙権と被選挙権を持つ事が出来ない」を、第6章(裁判所及び検察所)では「日帝時代に判検事として勤務した者は判検事になる事が出来ない」と規定して親日派の社会再進出を法的に規制した。また1948年9月10日に金日成主席は「朝鮮民主主義人民共和国綱領」を通じて親日派処罰と植民地経済体制清算を再度指示した。結局、北朝鮮政権は親日派清算過程で樹立されたと言っても過言ではない。

参照:「証言・反民特委」(鄭雲鉉著 三人刊 1989)中から脱北者・申敬完氏の証言

訳:ZED

韓国語原文記事はこちら
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/297053

以前の旧ブログで「親日派は生きている 친일파는 살아있다」(著者 鄭雲鉉)という韓国の本の書評記事を書いた事があります(その書評記事はまた近いうちに再掲予定)。著者・鄭雲鉉氏は韓国のジャーナリスト・親日派問題研究家であり、同書の内容は氏のブログで公開されているので、今回の記事はその中の一編である8.15解放直後北朝鮮での親日派清算作業がどのように行われたかについて述べられた部分を訳しました。この「親日派は生きている」という本は日帝時代から今に至る親日派問題の入門書として最適な歴史読本であり、在日同胞は全員、それも朝鮮学校の生徒達は、とりわけ今のような情勢だからこそ読ませなければならない本と考えます。図書室に1冊必ず置くべきでしょう。無償化や補助金をエサにして日本の自治体が押し付けようとしている「新・皇民化教育(日韓併合は合法、竹島は日本領など)」など学ぶな! こういう本をこそ読んで学びましょう。

鄭雲鉉氏のブログ「宝林斎」
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/

その中で「親日派は生きている」のカテゴリー
http://blog.ohmynews.com/jeongwh59/category/17206

知っての通り、南朝鮮では親日派清算がロクに出来ず今の韓国の「親日共和国」へと至り、また日本では天皇はじめとする戦犯が処罰されないまま戦後の「平和国家の仮面をかぶった大日本帝国シーズン2」として現在に至っています。南朝鮮地域(及び在日)の親日派と日本の戦犯はいずれもアメリカに買い取られる形で免罪された訳で、それらが戦後も引き続き両国の支配階級・既得権層を形成してきました。
では対する北朝鮮ではどうだったのか? それに答えるのが今回の記事です。北朝鮮での親日派清算の実態は「親日派は処罰した」という当局の宣伝だけで詳細な資料が公開されなかった為に、南ですら長らくまとまった研究が進まず、ましてや日本ではほとんど知られてきませんでした。南で北の親日派処断に関してまとまった研究成果が出て来たのは、ようやく1990年代後半になってからです。逆にインターネット時代になってからの日本はひどいもんで、日本語で検索してもロクな記事は出て来ません。韓国極右派のデマをそのまま機械翻訳してパクったようなネット右翼の文章ばかりです。池田信夫の知ったかぶりなんて典型例でしょう。親日派を清算するという事は日本の植民地支配を裁くという事でもあり、だからこそ日本の右派は親日派を擁護し、韓国での親日派財産没収や親日人名事典刊行などをまるで我が事のように声を荒げて攻撃してきた訳です。同時に連中が、南と違って親日派を清算した北の事を蛇蝎のごとく嫌っているのはそうした文脈で理解する事も出来るでしょう。韓国の親日派と日本の戦犯、ならびにその子孫は大の仲良しにして今でも内鮮一体・運命共同体。実は「仲良くしようぜ」は間違ってるんです。日韓の戦犯&親日派は、日本の朝鮮侵略が始まった19世紀末からずっと「仲良くし続けてるぜ」が正しいのです! 戦後はその上にアメリカが君臨して、両者が対米忠誠競争をしているという部分がちょっと違いますが。

さて、お読みなってお分かりの通り、1945年8.15解放後の北朝鮮では親日派処断が新国家建設の必須課題として認識され、それが実行に移されました。親日派の土地や財産は没収、親日派達は選挙権などの公民権を剥奪され、罪状に応じて罰せられ、罪の重さによっては死刑やソ連軍に引き渡されてシベリア送りという厳罰まで執行されたという詳しい実態がこれで明らかになったと言えます。今であれば死刑というのはすべきではないでしょうが、親日派・民族反逆者処断という行為自体は全くもって当然の処置でしょう。
このように北では共産党政権の樹立とそれによる厳しい親日派処罰・粛清方針が定められた事から、北朝鮮地域の大物親日派達は大部分が南へ逃亡する結果にもなっています。解放後に北から南へ行った越南者の数は1946年の1年間だけで18万5000人になりますが、これの大部分は親日派でした。そうした人間達が自らの行為を全く反省せずに北朝鮮政権を逆恨みして「西北青年会」などの極右ファシスト団体を結成し、李承晩や朴正熙といった独裁政権に忠誠を誓って反共テロ活動を公然と行ってきたのが、南朝鮮解放後史の暗部です。外国で、それら南朝鮮の親日勢力と最も親しく手を結んで利用してきたのがアメリカと日本だったという事は言うまでもないでしょう。南では盧武鉉政権下で親日派の土地が没収されたり親日人名事典が刊行されるようになるまで、解放から半世紀以上の時間がかかったのです。これがどれだけ長かった事か! さらに、それすらも日本は外から口を極めて罵り、邪魔をした。植民地支配の反省など、日本という国には欠片もない事がよく分かるでしょう。

ただし文中にもあるように、解放後の北朝鮮でも親日派の中で医者や科学者・技術者・芸術家などいわゆる「手に職持った」人間達に関しては、悪質でない者や罪の軽微な者、過去の行状を真面目に反省した者を選別的に助命・減刑して再起用する例が多くありました。これは解放直後の人材不足が原因で、北朝鮮政権がそうした類の人々に一種の「抱擁政策」を行った事は確かです。過去に親日前歴があるにも関わらず手に職を持っていたので解放後の北朝鮮で再起用された例としては、舞踊家の崔承姫が最も有名でしょう。それでもこれらは比較的罪が軽かった事と、過去の親日行為に対して改過遷善(かいかせんぜん 개과천선)すなわち反省の色を見せた事による「減免措置」という点で、南の親日派や日本の天皇を無罪放免したのとは意味合いが異なると言えます。解放直後の人材不足がどれだけ深刻だったかというと、例えば残留日本人遺骨問題関係者の証言によれば、解放直後の北朝鮮では残留日本人の中から工業技術者を一部再雇用して帰国までの間に働かせた例もあります。本来なら早々に追い出したい日本人であっても使わねばならないほど、当時は技術者が足りないので仕方のない措置でした。当時金日成はこうした日本人技術者に直接会って仕事と朝鮮人技術者への技術引継ぎを頼み、朝鮮人よりも高給を補償したそうです。もちろん解放されたのに日本人に頼らねばならない現状に金日成も内心でははらわたが煮えくり返っていたでしょうが、我慢して太っ腹な所を見せました。そうした日本人引揚者達は帰国後も金日成主席の温情と優遇には感謝していると証言しています。解放直後北朝鮮における親日派の「選別的再起用」は、人材不足で日本人すら一時的に使わねばならなかった社会的情勢も考慮せねばならないでしょう。
ただしこの「選別的再起用」というのは飽くまで一部の例外的措置に過ぎません。北朝鮮政権の親日派処罰で最も重きを置いたのは「独立運動を弾圧した者」の処罰で、こうした人間達への処遇は大変厳しいものでした。具体的に言えば特高警察や満州軍軍人とその密偵といった手合いが該当し、これは北朝鮮政権の首脳陣が民族解放運動出身者達で構成されていた事からも当然の流れでしょう。解放後は追う者と追われる者の立場が完全に逆転した訳です。今回の記事に証言者として名のある申敬完氏の別の本に載っていた証言によると、解放後北朝鮮で新たに人民軍を創設する際、日本軍に徴用された事のある人でも南方へ送られていた人達は再起用しましたが、満州軍や特高警察にいた人間は絶対に人民軍に起用しませんでした。独立運動を弾圧した者に対しては「手に職(軍隊経験・軍事技術)がある」者であっても起用せずにケジメをつけたと言えるでしょう。

解放後の北朝鮮政権、後の朝鮮民主主義人民共和国が行った親日派清算方式をまとめると

・社会主義国家建設の必須課題として位置付けられていた。
・南朝鮮に進駐した米軍政と違い、ソ連軍政は北朝鮮での反日勢力執権と親日派処断を望み、これを支援した。
・初期は怒った民衆達が自発的に「親日派狩り」をやって人民裁判にかけた。
・司法機関が出来てからはそうした勝手な事は許されず、正式な裁判にかけて処罰した。大概1-2年の懲役か3-5年の強制労役刑に処されたが、重罪の者にはシベリア送りや死刑も執行された。親日派の財産や土地も全て没収され、そうした資産は後の土地改革で小作・貧農層に分配する原資となる。
・そうした処罰を恐れて、特に悪逆な行為をした者や大物の親日派は大部分が南へ逃げた。
・ただし新国家建設の人材不足という問題があった為、技術者や医師・科学者・芸術家など特別な技能を持った人々に対しては、罪の軽かった者や反省の色がある者を減免して選別的に再起用した。
・特高警察や満州軍将校など「独立運動を弾圧した者」に対しては最も厳しく処罰し、これらは解放後の警察や人民軍にも起用されなかった。
・朝鮮民主主義人民共和国成立後も憲法や国家綱領で親日派の社会再進出を法的に規制した。

という具合になるでしょう。
こうした親日派処断は北朝鮮だけではなく、中国の共産党と国民党も同様に戦後厳しく行いました。汪兆銘に代表される中国の親日派を「漢奸」と言いますが、こうした連中は共産党も(後に台湾に逃れる)国民党も戦後の短い期間に迅速に裁判を行って処罰しています。結局南と日本だけがこうした歴史清算作業をロクにやらず、いつまでも恥ずかしいザマをさらしていると言えるでしょう。その帰結が、日本が今やってる集団的自衛権行使や武器輸出解禁だという事です。
「彼ら(朝鮮・中国共産党・国民党)がうらやましく、我々(韓国・日本)は恥ずかしい」
このように歴史を考えられる韓国人と日本人こそがまともなのですが、そんな人はどれだけいるでしょうか。特に日本は!


【補論】申敬完という脱北者について
今回の記事には証言者として申敬完という人物の名が最後に登場します。この人は本名を朴炳燁(박병엽 パッ・ピョンヨプ)といい、他にも徐容奎という仮名を名乗った事もある朝鮮労働党の元高位幹部でした。この人はただの脱北者ではなく、労働党の祖国統一民主主義戦線中央委員会部長や対外情報調査部副部長などを歴任した大物で、日常的に金日成や金正日と直接会って報告を上げたり指示を受ける立場にいたのです。80年代初頭に第3国へ派遣されて、その後いかなる理由からか南へ亡命して、1998年に心筋梗塞で亡くなりました。この人は南に亡命後は自身の経歴が公表される事を極度に警戒して拒み、写真を撮る事はおろかインタビューする時も相手がまっすぐ正面に座る事すら避けたと言います。本名が公開されたのも亡くなった後でした。しかしながら、その証言内容は驚くほど正確かつ貴重な内容ばかりで、氏の遺した証言録の数々は朝鮮民主主義人民共和国を知るのに絶対外せない第1級の資料と言えるでしょう。今回の記事も著者・鄭雲鉉氏が解放直後の北における親日派処断の実態について朴氏から聞き取ったものであり、南ではあまり知られていなかった北の親日派処断について大変重要な証言となりました。日本においても「北朝鮮の親日派処断」についてある程度まとまった形で公開されるのはおそらくこの拙訳が初めてであり、今後は最低でもこの鄭雲鉉氏の記事を下敷きにしてこの歴史的テーマを語る必要があるでしょう。
ただし朴炳燁氏の証言集は日本で翻訳されていないものも多く、日本の共和国研究が遅れている一因にもなっています。中国朝鮮族の崔応九教授と同じで、日本で申敬完こと朴炳燁氏の名を知っているのはよほど本職の朝鮮半島研究者か、あるいはよほどのマニアしかいないでしょう。要するにまたしても「和田春樹なら知ってるが、石丸次郎ごときでは知らない(笑)」というレベルの要人という事です(誤解のないように言うならば、和田は国民基金の復活天皇訪韓を目論むなど非常に問題のある人物ですが、さすがに長い間研究活動を続けてきただけあって、知識に関してだけ言えば石丸次郎のごときチンピラデマゴーグは足下にも及ばないという事)。実際に和田は朴炳燁氏の証言録である「真実の金正日」日本語版に解説文を寄稿したほどですから。
朴炳燁氏にインタビューした事のある記者達によれば、その中には現時点ではまだ公表出来ない内容や話も多くあるそうで、今後の公開が待ち望まれましょう。

同じ「燁」の字を名前に持つ朝鮮労働党高位幹部でありながら、黄長燁とは証言内容の資料性・重要性・貴重性に天と地ほども違いがあります。黄長燁は朝鮮民主主義人民共和国に関する歴史的に重要な話はほとんど語らず、ただひたすら自分を冷遇した金正日への恨み言と反共宣伝ばかりを喚き散らし、その講演活動で稼いだ金を元手にソウル高級住宅街の不動産を買い漁り、その築いた巨富を若い愛人とその間に出来た子供に相続させて死にました。最晩年の黄長燁は南北首脳会談に反対したばかりか、アメリカのイラク戦争すら「正義の戦争」と大絶賛しています。一方の朴炳燁氏は北に関するこれ以上ないほど詳細で貴重な歴史的証言を多く残しながらも、南では貧乏な生活を送り、とりわけIMF事態によって韓国社会の経済と民衆生活が悪化する中、ほとんど無一文に近い状態で病死しました。氏のアパートにはわずかな家財と、今後北に帰る事が出来たら母親に贈ろうと買っておいた服が一着あっただけといいます。私利私欲に走っていい加減なデマ話ばかり垂れ流した者が金持ちになって一生を終え、あまり金にならない歴史的に真に貴重な証言ばかり残した者が赤貧の中に死んで行く。同じ元朝鮮労働党高位幹部の亡命者でありながら、この違いは何なのでしょうか。これは我々朝鮮民族が置かれている立場をそのまま投影した有様ではないのか。黄長燁のような金と権力の亡者を「北朝鮮の改革者」「金正日に諫言した硬骨漢」のように描写してきた人間達こそ恥を知るべきでしょう。

朴炳燁氏の証言集のうち日本で翻訳されていない本などについては、いずれ改めて書評の形で御紹介していく予定です。

恩知らずな亡八者・石丸次郎

石丸次郎のツイッターを見てみたらこんな山崎雅弘のツイッターをリツイートしていた。


故・やしきたかじんの曲が発車メロディになった事を大きく取り上げるNHKの「方向性」について述べているのだが、石丸は何を考えてこれをリツイートしたのか? 「今のNHKはたかじんのような極右をこんなに持ち上げているんだ」式に、籾井体制を批判するポーズを見せ付けたいのだろう。最近の石丸は柄にもなく、籾井NHKへの受信料不払い運動にツイッター上で賛意を表したりしているからだ。
天に唾するとはまさにこの事だろう。と言うのも、たかじんの受け持っていた極右番組で北朝鮮問題を取り上げる際、必ずと言って良いほどゲストに呼ばれたのが他ならぬ石丸次郎(とセットで高英起)だったからだ。

「たかじんのそこまでやって委員会」論説委員・石丸次郎
http://ex-iinkai.com/ronsetsu/iin143.html?PHPSESSID=mtnlltxgk

ウィキペディアの「たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜」項目
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93NO%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%80%9C%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AF%E9%87%91%E6%99%82%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%80%9C

言わば、たかじんがいなければ石丸ふぜいがテレビに出られる機会なぞほとんどなかった。それほど石丸にとってやしきたかじんとは足を向けて寝られない大恩人だったのである。石丸も自分のツイッターでこれまで何度もたかじんの番組に出るという事を、ラジオフォーラムジャパンをリツイートする形で宣伝してきたのだから。
橋下徹が知事選や市長選に当選して政界に進出出来たのは、たかじんの番組で名と顔を売った所が大きいのは誰もが知る通り。石丸はわざとらしく橋下を批判するポーズをとっているが、両者はたかじんの番組で重用された「のれん兄弟」だったのである。
やしきたかじん曰く「わしが育てた石丸次郎&橋下徹」
だから二人とも仲良くしようぜ!(笑)

そんな大恩人であるたかじんの曲が発車メロディに採用されたなど、石丸にとっては本来祝うべき事であり、祝賀メッセージの一つもツイッターに書いて然るべきではないか。それなのに石丸はそれを祝うどころか、籾井NHKを批判して自分だけ良い子ぶる為のネタにしている。何という恩知らずか。たかじんも石丸も筆者とは政治的に全く相容れない敵だが、今回の件は一般的な社会常識の問題であり、石丸は政治的・社会的スタンスがどうこう言う以前にその常識のない恩知らずぶりが限度を超している。こんな忘恩の輩に目をかけて自分の番組で重用してやったたかじんも自業自得ではあろう。あの世で後悔しても遅いだろうが。
もちろんその後石丸がたかじんと考え方や方向性の相違で決裂していたとすれば、今回のような事もありだろう。だが、石丸がたかじんへの「決別宣言」を今まで公に表明した事は一度もない。「そこまでやって委員会」の論説委員から外れてもおらず、先述のように名前が依然として載り続けている。依然として石丸はたかじんから大きな恩を受け、今もたかじんの極右番組と全く同じスタンスで北朝鮮問題を語り(騙り)続けているのだ。それなのにある日突然、死んだ大恩人に後ろ足で砂かけるような真似をするとは…。
まさに亡八者としか言いようがない。仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌の八徳をことごとく欠いている、そんな人間だからこそ今までの捏造・デマ・民族差別まで何でもありの北朝鮮報道を平気で続けられるのだと考えれば納得出来よう。
どんな恩人でも死ぬか用済みになったらポイして、おまけにそれを自分が「良識派」ヅラするのに利用する。これが石丸次郎という男の本性であろう。これまで何度も指摘した通り、石丸次郎という人間が何よりも重視しているのは、自分を「良識派」に見せかける事。その為にはどんな事でもする。あれだけテレビに出してくれた大恩人のやしきたかじんすら平然と利用して食い物にするなど、この男には朝飯前だ。この男にくっついている者、特に在日や脱北者は間違いなく今回のたかじん以上にひどい仕打ちを将来受ける事は間違いないだろうから、十分に気を付けた方が良いと老婆心ながら忠告しておく。石丸は同じ日本人の大恩人であるたかじんに対してすらこんな不遜な態度をとった。ましてや内心では蔑視し切っている「チョーセン人」どもなど、石丸はそれよりもっと酷い仕打ちをするだろう。
韓国のメディア、とりわけ石丸とアジアプレスを「世界最高の北朝鮮取材チーム」などとして異常なほど礼賛して持ち上げている京郷新聞も同様だ。自分が悪質日本人詐欺師に騙されている事すら気付かずに、あるいは知っていて組んでいる韓国のマスコミはどうしようもない。

이시마루 지로처럼 망언기어(妄言綺語)를 즐기며 음험독랄(陰險毒辣)하고 배은망덕(背恩忘德)한 왜놈새끼는 없다. 경향신문이나 한겨레는 이 자의 진면목을 똑똑히 봐라. 이 녀석이 “이북(北)에 일제식민지지배에 대한 배상 같은 짓을 하도 소용없다.” 라는, 일본극우정치가(日本極右政治家) 다름없는 망언을 지껄인 사실을 알아도 “세계 최고의 북한취재팀” 라는 찬사를 보내는가. 이시마루 같은 왜놈건달과 함께 이북과 거기 사는 민족동포를 폄하는 짓을 되풀이하면 어떤 결과를 초래하는가, 불을 보듯 뻔하리라.

이남(南)사람들은 일본에 대한 환상을 이제 버려야 한다. 일본에는 소위“량심세력(良心勢力)”이란 없고, 지금도 그 나라는 “대일본제국 大日本帝國”임에 변함없다.
친일파는 살아있고 대한민국은 “친일공화국”이다.
일제는 살아있고 일본국은 “대일본제국 season 2”이다.
일본에 “량심세력”이란 없고, 그 있지도 않은 공상(空想)의 산물을 신용하거나 협력하자는 환상(幻想) 망상(妄想) 광상(狂想)은 하루 빨리 돌이켜야 한다.

公害が発生すると必ず発生する詭弁

原発事故含む公害や環境問題などに対して次のような事を言う者がいたら、間違いなく何も知らない馬鹿か悪質な詐欺師・デマゴーグの類と考えて間違いない。その論者がまともな事を言ってるかどうかの、試金石みたいなものである。

「微量だから心配ない」

「ただちに影響はない」

「水俣でも水俣病にならなかった人もいる。福島に行っても鼻血がでない人もいる。だからこれは風評被害で福島差別だ」

「(公害を起こした問題の)企業が潰れたら賠償金が払えなくなる」

「今は犯人追及よりも(問題を起こしたその)企業と協力して事態の収拾が優先だ」

「だから告発型の社会運動や市民運動はもう意味がない、古い」

「放射能(昔はこれが有機水銀とかカドミウムとか非加熱製剤だった)は安全です」

「これからはがれきなど原発事故や公害の痛みを、日本にいるみんなで分かち合わねばならない」

自分とこのアクセス数自慢が3度の飯より大好きな某政治ブロガー曰く
「低線量の放射線の影響は分かってない。放射能汚染問題の追及よりも、「小沢信者」への攻撃が何よりも大事」

某在日朝鮮人ジャーナリスト曰く
「私は脱原発派です! でも大好きな朴槿恵がベトナムに原発輸出するのは大賛成です!」

アフガニスタンの武装解除と平和調停に失敗して多数の犠牲者を出した日本の某大学教授曰く
「原発を止めたら社会的弱者や貧困国の人間が死ぬ」
「放射能忌避はファシズムだ。優生思想だ」

「○○問題(環境汚染やそれに伴う病気など)を解決する新しい技術が某大学と某企業の研究によって発表されました(ただしその「研究成果」がその後実用化される事は決してない)」

「水俣病の時などと違って、原発でも地球温暖化でもこうした今の環境問題は我々一人一人が犯人だ。だから責任論はもう無意味(いわゆる一億総懺悔論)」

上記のような詭弁の類を目にしたら要注意だ。
とりわけ、原発事故でも公害でも薬害・食品公害・環境汚染・自然破壊といったものは、いずれも特定の企業や行政当局を犯人として名指しする事が出来る。社会に住む「我々一人一人」などが犯人なのでは決してない。 「今の環境問題は我々一人一人が犯人」という詭弁は90年代初頭のいわゆる「地球にやさしい」ブームの頃から、行政や企業と癒着した一部のエセ環境団体が言い出し始めたデマだが、福島原発事故以降にまたしてもゾンビのごとく復活して、色々な所で言われ始めている。「脱原発」などと言いながら、実際には被爆問題を軽視・無視したがる御用運動化した連中の間では特に多い。逆に言えば、エセ脱原発・エセ環境運動を見分けるのに便利なお題目とも言えるだろうが…。

【翻訳記事】「金正日の旧友」崔應九教授インタビュー

金正日の旧友「朝鮮は核実験を強行するだろう、中国も防げない」朝鮮の外交戦術は卓越、独自生存能力備え、中国の影響力にも限界
チョ・ヨンソン記者 登録:2014.05.01 12:28 修正:2014.05.01 01:57


崔應九(応九)所長


「朝鮮(民主主義人民共和国)は核実験を強行するだろう」崔應九北京大学朝鮮文化研究所名誉所長(77)は一部のためらいもなくこのように断言した。崔所長は朝鮮族として40年以上北朝鮮問題を研究してきた中国でも代表的な碩学だ。金日成大学に留学し、北京大学朝鮮語課教授として在職していた。彼は金正日元委員長の旧友としても有名である。


1日に北京で会った崔所長は「朝鮮の核兵器保有能力は中国でも日本でもなく、アメリカを狙っている」として「朝鮮の最終目標は核兵器でアメリカを打撃出来る能力を備える事」だと強調した。その為に南北対話だけでは朝鮮の非核化問題を解けないと付け加えた。


朝鮮の核兵器開発は弾頭軽量化と大陸間弾道ミサイル研究など大きく二つで構成される。崔應九名誉所長は「アメリカや日本の学者・官僚に会ってみると弾道ミサイル技術は相当な水準に到達しているという点で意見が一致するが、弾頭軽量化技術に対しては意見が分かれる」とし「朝鮮はアメリカに核弾頭軽量化技術が完成している事を証明して見せようとするだろう」と説明した。

◆中国の対朝抑止力限界あらわに

核実験を阻止する為の中国の圧迫も効果がないだろうというのが崔所長の展望だ。彼は「中国は朝鮮の非核化を支持するだけに、明確に朝鮮の核実験を阻止すべき努力を傾けるだろう」としながらも「だからといって朝鮮は中国の勧告を受け入れないだろう」と予想した。

中国が朝鮮の核実験を防げないだろうという彼の主張の根拠は大きく二通りだ。第1は、朝鮮はどの国家にも頼らない「主体の道」を歩んでいるという事だ。このテーマについて崔所長は1961年に金正日元委員長と交わした対話を思い浮かべた。当時金日成大学に留学中だった崔所長は、金日成大学経済学科の学生だった金正日元委員長と度々会話して近い関係を維持してきた。

金正日元委員長は当時彼に「首領(金日成主席)は常にソ連も中国も信じてはならないとし、信じるものは我々自らの力量しかないというお言葉をよくされる」と言ったという。崔所長がその間研究してきた朝鮮の外交や政治もやはり他国に頼るよりも、自身に依存する「主体的な」傾向が大きいという。

第2の根拠は、朝鮮は国際情勢をあまりにもよく知り、これをうまく利用してきたという点。崔所長は「朝鮮はかつて中ソ紛争の間であまりにもうまく自身達の利益を貫徹してきた経験があり、この経験は余すところなく蓄積されて今まで伝わっている」として「現在も朝鮮はアメリカと中国が繰り広げる東アジア勢力競争の核心を見通している」と評価した。

◆「朝鮮は東北アジア情勢の核心を見通している」

彼の説明はこうだ。アメリカが中国に、朝鮮に対する圧力をかけて核開発を挫折させろと注文しているが、朝鮮は中国の圧迫で苦難に遭うなら、むしろ朝鮮は転向的にアメリカ側へと寝返る選択をする可能性が大きい。朝鮮を自分側に引き入れられたら、アメリカとしては大きな政治的成果だ。中国に背を向けた朝鮮がアメリカと友好関係を結ぶ事は、中国としてはこの上ない悪夢だ。朝鮮を圧迫すればするほど朝鮮が中国と遠ざかるので、中国の圧迫には限界があるしかないという事。

彼はさらにアメリカの東北アジア戦略に対する分析も見せた。「現在アメリカが最も恐れるのは朝鮮の核問題ではなく、韓国の中国との密着」だとして「韓中関係の急進展を防ぐ為にアメリカは両国関係のアキレス腱である朝鮮核問題を利用する」という説明だ。

例えば韓米両国が朝鮮上陸と平壌侵攻を前提とした軍事訓練を行えば朝鮮が激烈に反応せざるを得ず、これは南北関係をより急冷化させる。南北関係急冷化は韓国をして、同盟国であるアメリカに対する依存度を高め、北に対して友好的な中国に対する親密度を弱化させる。南北関係急冷化はまた、朝鮮の内部引き締めに好材料として作用する。

崔所長は「朝鮮はこうした東北アジア情勢をあまりによく知っている為、中国が自身に対して一定水準以上の強い圧迫が出来ないだろうと仮定している」とし「その為に中国の朝鮮核実験阻止能力にも限界があるしかない」という見解を表した。

◆朝鮮は核実験時期を調整するだろう

ただ彼は朝鮮がいつ核実験をするかについては「現在としては可能性が大きくない」と語る。彼はその理由としてアメリカがこれ以上朝鮮を脅かす大規模軍事訓練をしないだろうという点を挙げた。崔所長は「アメリカの圧迫が極度に強まった時にこそ朝鮮としては核実験を強行する必要が生じるが、最近オバマ大統領の訪韓を契機に韓米関係がより強化されただけに、アメリカとしては強烈な軍事訓練の必要がなくなった状況」だと分析した。

第2の理由としては、現在朝鮮が進めている日本・ロシアとの協議に冷水を浴びせない為だ。朝鮮の核実験は周辺国家達の反発を呼び起こす事が自明だ。
最後に第3の理由は、現在朝鮮の経済状況が好転しているだけに、核実験で経済回復の勢いを折る必要がないという事。

この部分について崔所長は「金正恩政権は予想外に早く安定化している」と評価した。彼は自分が接触している朝鮮の官僚達から「最近20年で、現在の朝鮮経済が一番良い」という言葉を度々聞くと伝えた。食糧事情も良くなり、住宅供給が増え、自動車運転台数も増加し、新しく開業する食堂も目に見えて増えたというのが、崔所長の有する人的諜報の反応だ。

特に昨年から始まった請負生産制が効果を見せており、朝鮮は東南アジアから米を輸入し、イラン・ロシアなどから石油を輸入するなど、明らかに経済の活力が増したという事。彼は「最近の朝鮮はアメリカが手を差し伸べればなお良く、そうでなくとも己の手で安保と経済の二つを全て解決出来るという自信を持ったようだ」と見解を表した。

◆金正恩の年内訪中は難しいよう

金正恩国防委員会第1委員長の訪中時期について尋ねると、崔所長から「今年内には難しいのではないか」という答が返ってきた。続いて彼は「金正恩第1委員長の訪中議題は経済問題ではなく、核問題しかあり得ない」とし「6カ国協議が再開されない時点で朝中指導者間で協議すべき事項が多くない」と語った。

6カ国協議を再開するならアメリカの参加が必須だが、オバマ大統領が「戦略的忍耐」を続けている限りアメリカの参加は期待し難いだろうというのが彼の分析だ。また彼は「朝鮮は主体という事を押し立てているので、中国との首脳会談を急いで推進する需要がないように見える」として「今年中に金正恩第1委員長の訪中は難しいのではないか」と反問した。

◆「金正日、疎通に長けた指導者だった」

彼が金日成大学朝鮮語課修士課程に入学したのは1961年だ。その年のある日、何者かが寄宿舎のドアを開け放って「中国から同胞が来たという便りを聞いて」というのだ。彼こそ金正日元委員長だった。その時から崔所長の金正日との縁が始まる。

彼は当時を回顧し「金正日元委員長は洒脱で快活で魅力的な男性だった」とし「相手を気楽にさせてくれて、人の意見を傾聴した」と語った。さらに「金正日は歳で言えば私よりも5歳下だったが、国際関係問題だとか文化に対する識見は私よりも優れ、私が多く教えられた」と紹介した。

崔元教授は金委員長が経済学を専攻に選んだのも父親の意を汲んでの事だったと伝えた。彼は「なぜ政治経済学を勉強するのかとの聞くと『首領がソ連の経済学が私の助けにならないから、おまえが言って勉強をしっかりしろとおっしゃった』と答えたんだ」とし「当時から言えばソ連の経済学は社会主義圏で『バイブル』として通じた時期だっただけに、その話を聞いて仰天した」と回想した。

訳 ZED(強調部分も訳者による)
韓国語原文記事はこちら
http://www.ajunews.com/view/20140501112735162

今回は韓国の経済紙・亜州経済の記事を翻訳して御紹介した。
最近の北朝鮮情勢について興味深い分析が多く、日本でも知られるべき内容と思えたので訳した次第である。要するに、アジアプレスやデイリーNKやコリア国際研究所のようなクソどもはもううんざり、という人々の要求に応える為の情報とでも言おうか(笑)。
今回登場した崔應九氏は中国朝鮮族の学者で、朝鮮半島の政治的問題から朝鮮語・朝鮮文化の専門家として中国では名高い。韓国のメディアにも2000年の南北首脳会談以降は度々登場しているが、日本ではよほど本職の朝鮮半島研究者でない限り知られていないだろう。つまり和田春樹ならこの人の事を当然知っているが、石丸次郎ごときでは名前すら知らないだろうという事だ(笑)。もちろん崔氏の意見や分析が100%全て正しい訳ではないが注目すべき部分は非常に多く、今後日本でも朝鮮半島情勢を読む際にはこの人の意見に注目すべきだろう。

それはともかく、この間日本のメディアでは北朝鮮の核実験が迫っているぞ、オバマ訪韓の際に仕出かすぞとさんざん煽り立てていたが、結果は御覧の通り。南では旅客船の沈没事故で社会全体が悲痛に沈んだ状況であり、北がそのような「オウンゴール」をする必要はどこにもなかった。先日西海で行われた朝鮮の砲撃訓練も小規模であり、NLLを越えるような射撃はせずに控えめにやっていた事からも、北側が南の情勢をかなり良く読んで行動していた事は明白だった。
ただし、アメリカの圧迫が強まれば朝鮮民主主義人民共和国はいつでも核実験を行う事になるだろう。崔氏の指摘をよく肝に銘じておく必要がある。

崔氏の話でもう一つ注目すべきは現在の朝鮮の経済事情だろう。「最近20年で、現在の朝鮮経済が一番良い」という現地官僚達の声はどういう意味を持っているのか。今から20年前とは金日成が死んだ1994年であり、その翌年から自然災害による大飢饉、いわゆる「苦難の行軍」時代が90年代後半の朝鮮を襲った。その後2000年の南北首脳会談の年から飢餓状態すなわち「苦難の行軍」を脱して経済が少しずつ上向き、今に至っている。つまり「苦難の行軍」以来では、経済状態がベストにまでなったという自負が込められていよう。それ以前、80年代の水準にはまだ回復していないが、ここまで右肩上がりの成長を少しずつ維持した事は驚くべき事だろう。

翻って日本はどうなのか。2000年代以降、とりわけ小泉政権以降の日本で民衆の生活が少しでも良くなっただろうか。この約14年で仕事は低賃金・長時間労働の非正規職ばかりになり、社会保障や福祉は削られ、消費税は上がった。人類史上最悪の原発事故と放射能流出まで起こした。本来なら大きな反政府暴動の一つや二つ起こっても不思議でない状況なのだが、不思議な事にそうした事は一切起こらず、それどころか大手の労組や脱原発運動は揃いも揃って「産業報告会」「脱原発報国会」と化している有様である。そんな日本のマスコミでは次のようなニュースが流れない日はない。
「どん底経済の北朝鮮」「北朝鮮では飢饉で人肉を食っている」
こうしたニュースを見た日本人達は次のように考えるのである。
「ああ、北朝鮮はあんなに酷いんだ。俺ら日本は世界第2の経済大国で民主主義国家、北朝鮮よりずっといい生活してるんだ。俺らって中流かな」
「飢饉で人肉を食っている北朝鮮」という幻想を信じている限り、低賃金・長時間で働き、アメリカ人も食わない古くて狂牛病やホルモン剤の危険が高い牛肉や遺伝子組み換え食品を食って奴隷みたいに暮らす日本人は、自分の境遇にいささかの不満も疑問も感じず幸せに暮らしていけるのだろう…。

正確には2000年以降、
朝鮮民主主義人民共和国では経済や食糧事情が上向き、民衆の生活は少しずつだが着実に良くなった。
日本国では経済や労働環境・社会保障・自然環境が悪化し、民衆の生活は急激に悪くなった。
というのが現実だろう。

「どん底経済の北朝鮮」という流言蜚語が日本の民衆の不満を逸らす大きなネタとしてこれまで悪用されてきたという事実に、いい加減気付けよという話だ。筆者個人の体験として言うなら、これまで右翼だけでなく、「北朝鮮の人権問題」「金正日打倒」を堂々と叫ぶ左翼や労働運動家の日本人を何人も見た事がある。この手の日本人達の民族差別意識ももちろん酷過ぎるのだが、「どん底経済の北朝鮮」「北朝鮮では飢饉で人肉を食っている」という類の政治宣伝を信じきっている、その左翼や労働運動としての戦略の駄目っぷりも限度を超していると思った。「北朝鮮は独裁国家で、経済危機で、飢えて人肉を食ってる」という流言蜚語を日本の労働者民衆が信じて叫んでいたらどうなるのか。為政者や資本家から
「そうだ、君達は北朝鮮よりもずっとマシな待遇を受けているんだ。何を贅沢言ってるんだね。君達が打倒すべき相手は我々日本の為政者や資本家ではなく、北朝鮮の金正恩だろう」
と言われて要求を全てはねのけられるのがオチだろう。そんな事も分からない人間が日本の左翼や労働運動の世界にも山ほどいる。純粋に運動の戦略的観点から言っても「北朝鮮は民衆の生活が年々良くなってる」という事実を前提にした方が有利なのにだ。要するにこの手の連中は差別主義者の上に馬鹿という事である。
朝鮮人に対する差別・蔑視感情や悪魔化された北朝鮮のイメージは、日本人の社会的不満を逸らせて現実逃避させる材料として大いに悪用されてきた。特に2002年の小泉訪朝以降はそれが極度に強くなった。2002年、それは「小泉改革」という新自由主義政策によって、まさにこれから日本の民衆生活が破壊され始める時期でもあり、それと並行して官民挙げての極度な北朝鮮バッシングと在日朝鮮人への抑圧がエスカレートして今に至っている。
日本人は自分の生活が悪化している現実に目を向けず、「仮想敵国・北朝鮮」への蔑視感情と敵愾心を扇動されてこれからもみじめに生きていくのではないか。実際には自分らの生活が悪化の一途をたどっている間に、朝鮮では着々と経済が回復して生活水準も上がっているというのに。現実を何も知らないまま白日夢に酔い痴れて生きてきた日本人が、ある日に本当の事を知って仰天する、しかしその時は全てが手遅れ。そんな未来が来るのが実に楽しみだ。

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