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【翻訳記事】金甲洙氏の「帝国の慰安婦」書評記事

韓国の作家・金甲洙(キム・ガプス 김갑수)氏が自身のフェイスブックで3月6日に、「帝国の慰安婦」の書評を発表した。要点を突いた分かり易い内容なので、日本の読者にも訳して御紹介したいと思う。


金甲洙氏フェイスブックより「帝国の慰安婦」書評

知的無能、歴史的無知、論理的誤謬で点綴された駄々と偏見
「帝国の慰安婦」とは朴裕河、まさにあなたの事だ

本来見向きもすまいとした。だが論争が意外にも大きく飛び火した上に、一部の友人達の要請もあって遅ればせながらも本を求めて読んだ。「帝国の慰安婦」は予想していたものよりもはるかに低級な本であった。

この本の持つ非歴史性と非人間性の他に、この本の低級な水準を即座に指摘する文章がほとんどないのはどういう理由か気掛かりだ。おそらく「慶応」と「早稲田」という著者の学歴、それに現職大学教授という外ヅラの為ではなかったろうか?

時間を節約する為に簡単に核心のみ指摘しようと思う。一々分析せずに、この文章に込められた核心的主張達をそのまま提示しても読者が簡単に理解出来るだろうからだ。

この本は「慰安婦問題が解決しないのは解決を要求する側に誤りがあるという事を語ってくれる詭弁」(序文)で始まる。

― 慰安婦は日本だけの特殊な問題だ。だが軍国主義やファシズムの為ではなく、早くからあった遊郭という公娼制度を持っていた所に求めねばならない。

― 慰安婦募集は強制ではなく騙されたものであり、募集者は日本軍警ではなく売春業者であり、朝鮮人面長(村長)が帯同した事から見て、我々内部の協力者もいた。

― 挺身隊であれ慰安婦であれ、彼女達がそのように動員された過程に朝鮮人が深く介入していた事実を黙過した事が「慰安婦問題」を混乱に陥れた原因でもある。

― 日本大使館前の少女像は歪曲・創作されたものだ。実際の慰安婦は大部分が20歳以上の年齢だった。

― 小説「春婦伝」を見ると慰安婦達が希望地へと移動する場面が出て来る。これは日本軍の深い関与・管理の事実と共に、慰安婦の「自由」も見せてくれるものだ。

― 軍人達と慰安婦達が連れ合って馬や自動車に乗っては「大人が子供のように」遊んだ体験を、このお婆さんは楽しく幸福な追憶のように記憶する。(だが遺憾な事に)こうした類の記憶達もやはり公的記憶になる日はない。

― 彼女達が仮にある程度余裕を持った生活を出来たとしても、彼女達は依然として日本軍慰安婦であり、そうである限り彼女達を作ったのが植民地支配構造だという事は明らかだからだ。

― 実際に朝鮮女性の賃金は日本女性に次ぎ、中国女性はその次だった。

― 植民地朝鮮の貧困と人身売買組織の活性化の為に朝鮮人慰安婦が多かった。

― 慰安婦が20万人おり、そのうち80%が朝鮮人であったとするなら2012年現在まで登録された234人という数字はあまりに少ない数字と言わざるを得ない。

― 私(著者)は日本軍と分け合った切ない愛の話を聞かせてくれるお婆さんに会った事がある。

― 日本人・朝鮮人・台湾人慰安婦の場合、奴隷的ではあっても基本的には軍人と同志的な関係を結んでいた。

― 慰安婦は性奴隷ではなかった。むしろ彼女達の微笑は売春婦としての微笑ではなく、兵士を慰安する役割を付与された愛国乙女としての微笑と見なければならない。

― 2011年12月14日に水曜集会1000回を記念してソウルの日本大使館前に慰安婦を象徴する少女像が建てられたのは、日本の否定派達の反発を一層加速化させた。

― だが成功する可能性の希薄な運動を20年間も続けながら、病気になって歳をとった慰安婦達に韓国の自尊心を代表させたのは果たして当事者の意思を尊重した事だったろうか? これは民族の抑圧だ。

― 慰安婦募集は「罪」ではあっても「犯罪」ではない。

― バルガス・リョサの小説「パンタレオン大尉と女たち」(原題「Pantaleón y las visitadoras」韓国では「판탈레온과 특별봉사대 パンタレオンと特別奉仕隊」という題で出版:訳者注)を読むとペルーにも軍人慰安所があった。

― 宗主国(日本)に対する協力と従順の記憶は我々自身の顔として認めまいとした。「自発的に行った売春婦」というイメージを我々が否定してきた事も、やはりそのような欲望の記憶と無関係ではない。

このようにこの本は自己撞着、論点逸脱、相身互い、性急な一般化など全て取り上げる事が難しいほど多くの誤謬一色だ。論理的誤謬を行使するのには二つの理由がある。誤謬である事を知りながら駆使すれば欺瞞をする為であり、誤謬である事を知らずに駆使すれば無知の為だ。朴裕河は後者に属するものと見られる。

一つだけ例を挙げるなら、朴裕河は「だが実際は日本は戦争自体により深く介入した。米軍の要請による通訳や運転などの軍属業務にとどまらず、直接参戦して命を失う人間までいた」(259頁)だとして日本の朝鮮戦争介入を主張しては、いくらもしないうちに「アメリカと韓国は徴兵制を維持して他国に軍隊を送りもしたが、日本はそのような事がなかった。もちろん日本が平和憲法を守ってきたからだ」(300頁)だとして日本の朝鮮戦争介入を否定する。

こうした矛盾現象は自分の声だけで紙面を全て埋めるのが難しい、知的能力の欠如した筆者にこそ表れるものだ。実際にこの本は3分の1以上が日本右翼執筆者達の著書をそのまま取って来て移した引用文で埋められている。

もう一つ驚くべきは、大学教授だという著者が韓国憲法が優越するのか日韓協定が優越するのかも知らずにいるという点だ。そこで「慰安婦賠償問題を韓国政府が解決しようと努力しないのは違憲」という2011年憲法裁判所の判決も誤ったものと強弁する。

呆れた事に朴裕河は水増し式「従北狩り」まで試みる。

「軍国主義を批判するならば北から批判すべきではないか? だが慰安婦問題に積極的な韓国の進歩派が北の軍事主義を大声で批難する事はない」(300頁)

朴裕河は、お婆さん達は強制募集された軍隊慰安婦ではなく「自発的売春婦」だったという挑発的な発言をためらわない。これに対しては朴裕河の知人と見られる日本の和田春樹教授(「金日成と満州抗日戦争」著者)も「一部に人格冒涜的な酷い表現がある」と指摘した。こうした点でこの本が慰安婦のお婆さん達の名誉を毀損したという韓国裁判所の判決は正当である。

この本に対して最も正確な評価をした人は日本・明治学院大学の鄭栄桓助教授のようだ。彼は「(帝国の慰安婦は)検討の対象が曖昧なうえ、用いられる概念が理解可能なかたちで定義されていない」本だと評価した。彼の言う通りこの本は曖昧なだけでなく、互いに相矛盾する主張達がいたる所に散在している。だが一つだけを以って問題を提起すれば、別の一つを以っていくらでも逆攻撃を加えられるように出来ている。

朴裕河がこの本で言わんとした核心は、「日本は慰安婦問題に道義的責任はあるが、法的責任はない」という日本政府の立場を代弁する為のものと見られる。だが能力もない著者がいざ本を書いてみると、所々で駄々ゴネに等しい発言達が露出したのではないかと思う。この本に込められているのは「プロクルステスの寝台(Procrustean bed)」のように、一般的な基準に他の人間達の考えを無理矢理合わせようとする我執と偏見だけだ。

例を挙げると朴裕河は、「朝鮮の慰安婦達は明らかに被害者だったが、それでいて日本帝国内で第2の日本人的地位を享受する事が出来た」だと駄々をこねた。前にはお婆さん達が自発的売春婦だったと言っておいて、不意に日本人に次ぐ2等国民の地位を享受したと語る。これは要するにお婆さん達が「帝国の慰安婦」達だったという言葉と類似する発言だ。真に帝国を慰安する人は誰なのか? 朴裕河、まさにあなた自身ではないのか?

訳:ZED

韓国語原文記事はこちら
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=450177308466552&set=a.126958834121736.27678.100004228604235&type=1


御覧になった通りである。多言は必要あるまい。「帝国の慰安婦」とはまさに、自発的売文行為で日帝を慰安する朴裕河自身の事に他ならなかった!
金甲洙氏も今回の書評を書くにあたって鄭栄桓氏の記事を参考にしたようである。鄭栄桓氏の一連の記事は朝鮮語に訳された事もあって、向こうの人々にも良き影響を与えた(と思う)。訳した方がどのような方かは存じないが、その方の労苦には敬意を表したい。

もう一つ、朴裕河は「慰安婦問題が解決しないのは解決を要求する側に誤りがある」「ソウルの日本大使館前に慰安婦を象徴する少女像が建てられたのは、日本の否定派達の反発を一層加速化させた」という事をしきりに言い、問題が解決しないのは韓国の方、とりわけ「韓国側の過激行為」こそ元凶のように言っているが、このような詭弁と言うか無茶苦茶な論法は今の韓国で流行っているのだろうか? 他の運動でもこういう事を言う奴は珍しくない。そう、またしても例の「日本平和憲法9条ノーベル平和賞推薦韓国委員会(以下、9条ノーベル賞運動韓国側と称す)」である。同運動の推薦人となっている「韓国社会元老」の一人に李富栄(イ・ブヨン 이부영)という元民主党国会議員がいるのだが、この男はこの運動について最も熱心に色々なメディアに出てはしゃべりまくっているスポークスマン的立場と言って良く、この男の発言が事実上9条ノーベル賞運動韓国側の公式的立場とみなして問題はないであろう。李富栄は先日こんな事を言っていた。

http://www.nobelpeace9.kr/%EC%9D%B4%EB%B6%80%EC%98%81-%EC%9D%BC%EB%B3%B8-%ED%8F%89%ED%99%94%ED%97%8C%EB%B2%95%EC%97%90-%EB%85%B8%EB%B2%A8%ED%8F%89%ED%99%94%EC%83%81%EC%9D%84/
元議員に聞く。李富栄「日本平和憲法にノーベル平和賞を」

安倍を糾弾して日本大使館前に行って日章旗を燃やしたりする過激な抗議行動が、むしろ安倍と日本の政権を助けてやる結果をもたらすというのを大いに知る事になりました。

こいつ朴裕河とおんなじ事言っとる! 韓国側の「過激な抗議行動」が安倍と日本の政府を助けたんだと。慰安婦少女像のような「過激行為」のせいで日本が反発し、従軍慰安婦問題が解決しないという朴裕河の屁理屈そっくりそのままの詭弁ではないか。朴裕河の言ってる事というのは日本の極右、すなわち日本の戦争犯罪や植民地支配責任を認めようとしない連中の代弁なのだから、それと同じ事を平然と言っている9条ノーベル賞運動の正体も明らかなのではないか。どいつもこいつも…。
ちなみに李富栄はかつて金大中の側近だった事がある。またかよ…。何で金大中や盧武鉉の元側近衆てのはどいつこいつもこういう豚や猿以下の連中しかいないんだ? 親分だった金・盧大統領が死んだ後、みんな揃って汚い本性を表わすか変節している。

朴裕河と9条ノーベル賞運動のもう一つの共通点は、「日本の良心勢力(笑)」とやらと密接な関係を持っているという事だろう。知っての通り朴裕河は和田春樹とベタベタな関係(国民基金つながり)であるし、韓国の9条ノーベル賞運動は大江健三郎や9条の会と密接な関わりを持っている。いずれも日本側の「権威」をバックにしてでかいツラをしている訳だ。歴史の歪曲、日本を見習うべき偉大なる先駆者と崇め奉る事大主義、それによって韓国民衆を誤った方向へミスリード。朴裕河と9条ノーベル賞運動の向かう先がそんな地獄でしかない事は明らかだろう。
朴裕河と9条ノーベル賞運動韓国の両者はいずれも典型的な「21世紀の金玉均」であると筆者は思う。日本を見習うべき偉大な先駆者的国家だと惚れ込んでそれに取り入り、福沢諭吉ら日本の実力者の力を借りて(利用されて)政権を握ろうとした。己の個人的野心の為に外勢を引き入れて国を売り飛ばし、自国民衆を苦しめる。当時の朝鮮人の多くは、いかにも「開化派」ぶって時代の最も先頭を走っているかのようなポーズをしている金玉均の詐欺師的本性に気付かなかった。同様に、いかにも「日韓和解」「手本とすべき偉大なる国家・日本の良心勢力がマブダチ」というポーズで気取っている朴裕河と9条ノーベル賞運動の正体に、もっと多くの人々が気付かねばならないと思う。両者とも「韓国民衆による日本への反発・抵抗」を骨抜きにする宣撫工作の役割を担っているのだから。

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