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「延坪島紛争」で読んでおくべき韓国の報道その2

今回は前回に引き続きプレシアンに掲載された記事の中から、林東源(イム・ドンウォンまたはリム・ドンウォン)インタビューの翻訳をお伝えします。
林東源氏は金大中政権時代の統一部長官であり、いわば南北首脳会談と太陽政策の立役者とも言うべき人物である事は多くの方が御存知でしょう。経歴もユニークで、北の平安北道出身で朝鮮戦争の際に南へ来た、いわゆる「失郷民」と言われる北出身者でした。その後朴正煕が政権を握ってからは陸軍士官学校で主に反共対策や対ゲリラ戦の専門家として活躍するという、典型的な軍事政権下の軍人であり、当時はおよそ朝鮮半島の平和や統一とは縁遠い存在だったのです。実際に軍人としてはかなり有能だったようで、80年の退官の際には当時大統領だった全斗煥(こいつも軍人上がりでした)が大いに惜しんだというエピソードも伝わっています。
若き日の林東源氏が軍事政権下で反共軍人として立身出世する道を選んだのは、北出身者という自身の生まれに起因するものでしょう。当時の韓国では北の出身者は敵性国民として監視下におかれ、同時に反共を国是とする政治体制下で様々な差別を受ける立場にありました。北朝鮮では南出身者がやはり要注意人物と見なされて社会的な監視・差別を受けますが、そうした構図は南北どちらにもある悲劇だったのです。そうした中で韓国の北出身者の一部には極端な反共主義と韓国軍事政権への忠誠を誓って過激なテロ活動を行う極右組織(西北青年会、白骨団など)を作って活動する者もいました。こうした極右テロ組織構成員達の多くは北の共産主義体制化で財産を没収されて南に逃れて来た元ブルジョア層という事もあって、北の体制に対する憎悪から南の李承晩や朴正煕政府の忠実な手先となったのです。今回の事件で日本のテレビは、金正日親子の写真を燃やすなどの過激なパフォーマンスを行う韓国の右翼団体の行動ばかりを意図的かつ集中的に取り上げていますが、そうした団体はこうした古臭い極右団体の流れを受け継ぐ存在であり、本来ならばまともに取り上げる対象ではありません。実際に600万人とも言われる大部分の北出身者や離散家族は日帝植民地解放後や朝鮮戦争の混乱期にやむなく故郷から引き離された身であり、そうした一部過激派の極右暴力組織が南の「失郷民」を代表する存在などという事は断じてないのです。
 
筆者のような在日朝鮮人が最も腹立たしく思うのは、こうした朝鮮半島近現代史の深い闇を知りもしないくせに、何か事件が起こると「北朝鮮許すまじ」と軽々しく発言する日本人の存在です。当人が歴史に無知な上に、日本という国の歴代政権は植民地支配の清算もろくにせず南北分断を固定化するような外交政策を戦後一貫して続け、しかも今回の事件では韓米と共に日本軍=自衛隊が軍事演習に合同参加して北朝鮮を挑発した当事者だったという厳然たる事実を無視して、どうしてそんな口が叩けるのでしょうか。しかもその当人が普段は左翼ぶって日本やアメリカの政策に苦言を呈し、朝鮮高校の無償化除外にも反対しておきながら、そういう事を言うのであれば支離滅裂の極致です。日本人の中でもそういう者は信用出来ません。こういう連中は普段は平和だの9条護憲だのと綺麗言を言っておきながら、いざ本当に戦争が始まったら「北朝鮮だけは9条の例外。これは独裁政権を倒す為の文明と野蛮の聖戦」などと福沢諭吉並みの妄言を吐いて戦争に賛成しそうな気がします。共産党や社民党はもちろん、週刊金曜日とかアジアプレスとか、具体的な名指しはしませんがいくつかの「左派人気ブロガー」とか…。
 
それはともかく、若き日の林東源氏もまさにそうした思考で南の軍事政権に忠誠を誓った、歪んだ心根の北出身者であった事に疑いの余地はないでしょう。しかしそれが後に大きく考えを変えて南北対話論者となり、2000年の南北首脳会談と太陽政策の功労者となるのです。
軍を離れた氏はその後外交官に転身してナイジェリア・オーストラリア大使を歴任、90年代からの冷戦終結後はそれまでとは逆に南北対話へと路線を大きく転換して、91年の南北基本合意書締結に大きな役割を果たし、その後94年に北朝鮮の金日成主席が急死する直前まで韓国の金泳三大統領と首脳会談の予行演習も行いました。同年に金大中氏と出会った事が転換点と言われますが、実際にはそれ以前のナイジェリア大使就任が氏の人生にとって最も大きな転換点になったのではないかと筆者は思います。
 
氏が大使に就任した80年当時のナイジェリアはアパルトヘイト時代の南アフリカから激しい武力攻撃を受けていました。当時アフリカではヨーロッパ諸国から多くの国が独立を果たしましたが、南アフリカはそうした黒人政権の独立に驚異を感じて直接・間接的に侵略行為を繰り広げ、それを西欧の旧宗主国が影から支援するという構図があったのです。南アの侵略は正規軍による直接的な攻撃に加えて傭兵を別働隊として大量に送り込み、様々な破壊工作作戦を仕掛けるというものでした。正規の軍には交戦規定やらジュネーブ条約やらややこしい規則・法規によってまだ行動が制限されますが、傭兵の場合はそうした縛りに束縛されず正規軍の表立って出来ないような残虐行為をやりたい放題という状態だったのです。これが南アの侵略をうけた国で大惨事をもたらす結果となりました。これに対してナイジェリアが採った大きな行動が79年12月5日に国連総会へ提出した「傭兵の活動に対する国際条約の起草」と題する議題の上程です。南アの行動を国際テロとし、その傭兵の活動を国際社会に訴えたのでした。国連での傭兵に関する議論はその後も長きに亘って継続し、89年に傭兵条約が採択、01年10月20日という9.11以降にようやく発効されて傭兵が国際社会では違法とみなされたのです。あまりにも遅きに失した感はありますが。現在のイラクやアフガニスタンなどでその手の組織が「傭兵 mercenary」ではなく「警備会社」「民間軍事会社」と称しているのはその為です。
ナイジェリアは非同盟諸国でも有力な国家の一つとして知られますが、それにはこうした南アとの対決と傭兵の問題を国連で訴えた歴史が背景の一つとしてあります。そしてこうした南アに抵抗したアフリカの新興独立国を北朝鮮が支援してきたというのも厳然たる歴史的事実なのです。北朝鮮のこうした非同盟諸国・第三世界での活動は、国内での鉄拳統治とはまた違った評価がなされねばならないでしょう。少なくともこうした国際外交の舞台に関して言えば、イラク戦争前夜に安保理で自らの宗主国に同調するよう経済的に貧しい国々を恫喝して回ったアジアの某島国の「小国」(笑)よりはるかに賞賛されるべき出来事ではありませんか。
そして当時の林東源氏は赴任先のナイジェリアでそうした出来事を直に目撃した事でしょう。南アの侵略による惨状、それに脅かされながらも非同盟諸国の一員として国連をも巻き込んで抵抗し続けたナイジェリアの姿、さらにそれを支援する北朝鮮の姿を。それが北出身ゆえに反共軍人の道を歩んだ林東源氏の人生観に大きな衝撃を与え、南北対話への道を歩ませるきっかけになった事は十分に考えられるのです。
 
第一に非同盟諸国の有力国家であるナイジェリアの大使として赴任し、それを通じた他の非同盟諸国との対話の有効性を思い知らされた事。
第二にそうした軍事・外交上の経験によって冷戦の終結にうまく対応出来た事。
第三に金大中氏との出会い。
こうした経歴によって根っからの反共軍人だった林東源氏は南北対話へとスタンスを大きく変えました。その太陽政策の立役者が今回の事件についてどのように語ったのかを見て行きましょう。長いので分割して掲載します。
 
特にこのインタビューでは石丸次郎の嘘がまた一つ暴かれる結果になっているのも見所でしょう(北朝鮮のウラン濃縮開始時期について)。石丸は自身のツイッターでこんな事を言っているのですが…。
 
北朝鮮が「数年前からウラン濃縮始めていた」との報。とするとノムヒョン政権時代の可能性。
 
要するに石丸次郎は盧武鉉政権の太陽政策が北朝鮮の核開発を助けた、だから北朝鮮と対話したり支援したりするのは論外、太陽政策・南北対話は誤りだと言外に言いたい訳です。しかしながら先日訪朝してウラン濃縮施設を視察した米スタンフォード大学のジークフリート・へーカー国際安保協力センター所長の報告書によれば、この施設の建設が始まったのは2009年4月以降、つまり韓国では大統領選挙が終わってとっくに北との対決路線を打ち出す李明博政権となった後であり、盧武鉉政権時代ではありません。またしても石丸は根拠不明のデタラメを述べている訳です。実際には太陽政策ではなく、対決政策や制裁が北朝鮮の核開発・ウラン濃縮を促進させた…。
 
老婆心ながら忠告すると、石丸はもうツイッターを止めた方が良いのでは。これ以上ボロを出したら、せっかく築いて来た「北朝鮮報道の第一人者」という仮面が壊れてシノギに支障を来たすだけですよ。いや、筆者自身にとってはネタになるので、これからも続けてどんどん批判材料を提供して自爆して下さいと思ってますが(笑)。でも石丸自身にとってはマイナスにしかならないから止めるべきなんですけどね。それすら気付かないとしたら、この男はぱぎやん以上の馬鹿としか言いようがありません。
 
韓国語原文記事はこちら。

(訳 ZED 強調部分は訳者による)

「今のままでは北朝鮮は、3度目の核実験を必ずする」
林東源インタビュー「10.4宣言だけでも履行していれば延坪島事件はなかった」
2010.11.29午前8:21:32
 
林東源前統一部長官が、北朝鮮のウラン濃縮に続く「延坪島事件」など急冷却した南北関係と朝鮮半島の緊張の高まりに対して重い心情を打ち明けた。林前長官は26日「プレシアン」とのインタビューで「その間に事態を悲観的に見ていなかったが、最近はむしろ楽観出来ない状況」とし「だんだん事態が悪化するようだ」と暗い表情を浮かべる。「最近憂鬱で死にそうだ」という言葉でインタビューを始めた彼はインタビューの所々で「憂鬱さ」をあらわにした。ある質問には虚脱したように笑いもした。
 
彼は「今回北朝鮮が大韓民国領土に砲撃したのはあり得ない事であり、認められない事」とし「北朝鮮がどのような意図でやったものだろうと誤りである。そうだからと我が政府が屈服するはずもなく、むしろ国民達から敵愾心と怒りばかりを呼び起こした」として憤怒と共にもどかしい心情をあらわにする。
 
林前長官はしかし、これまで北朝鮮との関係で制裁と圧迫だけでは核開発や南北関係改善において良い結果を得られないとし、軍事力増強による問題解決ではなく、時間が過ぎて契機が整えば協商と対話を通じて問題解決の糸口を探さねばならないと強調した。
  
彼は特に朝鮮半島平和体制の構築の為の第1段階として「葛藤の西海」を「平和協力の西海」に変える事が重要だと指摘する。万一李明博政府が、かつての第2次首脳会談で合意された「西海平和協力特別地帯」構想を実践に移していれば、今回の延坪島事件は起こらなかったかもしれないというのだ。
 
「朝鮮半島平和体制を作らねばならないが、その1段階目は西海を平和の海にする事です。緊張と衝突の海を平和の海にせねばならない。それが第一歩です。問題はこの政府にそのような意思があるのかという事です」
 
一方で林前長官は北朝鮮の追加核実験に対する警戒も怠らなかった。現在のような南北または朝米対決状態が持続されれば、北朝鮮の第3次核実験は「時間の問題というだけで、必ずやるだろう」という警告だ。インド、パキスタンなどの非公式核保有国達が7.8回の核実験の果てに核兵器を手中にした事を考慮すれば、そして今までのように北朝鮮の核開発を放置したまま実効性のない圧迫と制裁だけに固執すれば、北朝鮮は核兵器を確保するまでこれからも引き続き核実験に乗り出すだろうというのだ。
 
林東源前長官はクリントン元大統領が94年ジュネーブ合意で北朝鮮の核開発を第1段階で8年間踏みとどまらせた反面、ブッシュ前大統領は2002年にウラン濃縮を元凶とする対朝強攻策でジュネーブ合意破綻に導いて、北朝鮮の核開発が2006年に3段階目まで(核実験)発展するように助けてやった(?)として、現在のようないわば「戦略的忍耐」では北朝鮮の核開発を決して防げないと警告した。
 
「だんだん事態が悪化しています。それでも転換の機会はあると思いますし、また作らねばなりません」
 
これが現在の事態を眺める林東源前長官の本心がこもった、懇切な忠告である。
 
以下は26日に朴仁奎(パッ・インギュ)プレシアン代表が進行したインタビュー全文である。
 
  
「青瓦台『ウラン濃縮隠蔽』疑惑提起は何もロクに知らず言っている事」
 
プレシアン(以下、プ):少し前に青瓦台政務首席が、金大中・盧武鉉政権が北朝鮮のウラン濃縮の事実を知りながら隠蔽したという疑惑を提起したので、26日に反論を発表された。一部ではウラン濃縮だけではなく、今回の延坪島事件も太陽政策のせいで、しばしば全ての責任を以前までの政府に押し付けようとしているが。
 
林東源(以下、林):この政府が執権してすでに3年になるというのに、いつも全ての事を前政府に覆い被せるやり方で非常に厄介だ。3年間で何も出来ないのか。議院内閣制である欧州国家達を見れば1年ほどで政権が変わる事もあり、それでも政策を立案してすべき事をちゃんとする。3年は十分な時間だ。
 
(この政府は)出発した時から以前の政府を否定して始まった。否定するのは良いが、ならば3年間に何か肯定的な事をしなければならないのではないか。失敗したら過去の落ち度のせい、では困る。ウラン濃縮隠蔽疑惑提起のような事は何もロクに知らず話しているようだ。
 
プ:ジークフリート・へーカースタンフォード大学国際安保協力センター所長の訪朝報告書を見ると、北朝鮮の官僚達が現在のウラン濃縮施設を2009年4月から建設し始めたという。これが事実なら国連で(北朝鮮の「光明星2号」発射と関連して)安保理議長声明を採択して、北朝鮮に対する経済制裁をした時ではないか
 
林:そうだ。実際にその時から建てたものと思われる。今回へーカー博士が訪朝するほんの数日前に完工したが、ならば(北朝鮮の施設着工時点が南の政権交代以降である為)以前の政府には隠すものもない。何も知らずに言っている事だ。
 
ただ認めるのは、以前の政権の時にも北朝鮮がUEP(ウラン濃縮計画)を推進しようという「意図」はあったという事だ。ただプログラムを推進する能力はなく、備える最中だったと思われる。そうしてここ2年の間にプログラムを推進したのだ。
 
ヘーカー博士の報告書を見ると北朝鮮の技術では遠心分離機を作れなかっただろうというニュアンスが漂ってくるが、ならばこの遠心分離機はどこから出て来たのか。どこか外国から持って来たようだが、ならば国連の貿易制裁措置をどうやって通り抜けたのかがまた謎だ。真相を知る術はないが、状況から見れば国連制裁も無力ではないかと思う。
(この項続く)
 

 
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